「……こんな大事なときに役に立てないなんて」
瓦礫と化した陸士一○八部隊の隊舎から程近い総合病院の一室でクイントは悔しそうに呟いた。
意識は戻り、今は問題ないとはいえ、一時は生命が危ぶまれるほどの大怪我を負った彼女は、ほとんど縛り付けられるようにベッドに寝かされていた。それに加えて責任感が強い彼女が万が一にも飛び出さないように見張り役までもつけられている。
「まあ、仕方がないですよ。お互い先日の防衛戦で消耗しすぎましたから」
魔力の消耗が激しく、クイントと同じように戦力外とされたリンディが慰めるように語りかけてくる。
「……しかし、本当に歳はとりたくないものですね。あれくらいのことでこうも体が言うことを聞いてくれなくなるんなんて、本当にあの子があんなに大きくなっているはずだわ」
右手を左ひじに左手を頬に当ててため息をつく姿は、どこか艶かしく、疲れ果てた言葉とは裏腹に色気すら感じられる。
クイントはその様子に見惚れて、ひととき先ほどの不満を忘れる。
「いえいえ、リンディさんはまだまだお若いですよ」
「そうですか? あの子の歳を考えると私はもうお祖母ちゃんと呼ばれてもおかしくないんですよ?」
リンディはお祖母ちゃんという言葉を嫌そうに口に出すが、その言葉には憧れも含んでいるように感じられた。
「随分とお若いお祖母ちゃんですね」
「あら、クイントさん他人事のように。もしかしたら私たちは同時にお祖母ちゃんと呼ばれるようになるかもしれないんですよ?」
リンディが楽しげに笑いかけてくる。クイントもその笑みを受けて、そうなったときのことを想像する。
クイントは世間一般から言えば、おばあちゃんといわれる年齢には程遠い。そして、実年齢に輪をかけて外見年齢は若い。まだ二十代で充分通せるほどだ。到底、十七と十五の娘がいるようには見えない。そう自負している。
だから、もし街中でおばあちゃん、いやおばさんなどと呼ばれても無視するだろうか、お祖母ちゃんと成ればまた話は別だ。
お祖母ちゃん。その言葉は甘美な響きを持つ。そう感じられるほど孫というものは魅惑的だ。
「……是非、呼ばれてみたいですね。はやく孫をこの手で抱いてみたいです」
「ええ。あの子もさすがにこの一連の事件に決着がつけば、そっちの話にも真剣に向き合うと思うんですよね」
そうその通りだ。婿の最有力候補のクロノは卑怯者でも朴念仁でもない。真面目すぎるだけだ。きっと、事件の決着がつくまでは、そういう浮いた話は自分にふさわしくないとでも思っているのだろう。
「……なんとしても、勝ってもらわないといけませんね」
「ええ、そうですね」
薔薇色の老後?を送るためにはこの決戦の勝利は必須条件だ。そう考えるとクイントは居ても立ってもいられなくなった。
今の状態でまともに前線で役に立てないことはよく理解している。だが、戦えなくても出来る仕事は何かあるはずだ。
そんな頭の中によぎった思考を読み取られたのだろうか? 見張り役が身を乗り出してきた。
「……だめ」
クイントとリンデイが寝かされているベッドの間においてある椅子に座っている見張り役――ルーテシアが眉をしかめて、精一杯怒った表情を作っている。当人は真剣なのであろうが、その姿はとても愛らしく微笑ましい。
愛くるしい見張り役。それは本当に最高の見張り役であった。ルーテシアの真剣な眼差しを裏切って飛び出ることなんて出来ないし、何より、自分たちが行ってしまえば、ルーテシアは一人になる。この病院は都市部から外れていると言っても、戦場がこの先どう移動するか検討も着かないのだ。このクラナガンで絶対に安全な場所などどこにもないのだ。ルーテシアを一人で放っておくことなど絶対に出来やしない。
ルーテシアはリンディにとっては可愛い娘であり、クイントにとっては親友の忘れ形見。未来の孫も大事だが、目の前のルーテシアも大事であるのだから。
「ナカジマニ佐の打つ手は本当に悪辣ですね」
「……ええ、あの人はこういうところ本当にずる賢くて、だから狸なんてあだ名つけられて……」
リンディが困ったように笑い、クイントは額に手を当てて天を仰ぎ見る。いわゆる『詰んでいる』状態だ。
「……ちゃんと寝てないと駄目」
「はいはい、ルーの言うことをちゃんと聞いておとなしく寝ていることにしますね」
念を押すようにじっと見上げてくるルーテシアに、リンディは観念したように起こしていた上半身を横たえる。
「……」
残るは一人とばかりにクイントに向けられる視線。
クイントは最早、白旗をあげるしかなかった。信じて待つしかないと心に決める。
「うん、ちゃんと横になるから、一つお願いしていいかな?」
「……?」
「肌寒くなってきたから、窓を閉めてもらってもいいかしら?」
既に日が暮れかかっているために、外気は弱っている体にはこたえるほど冷え込んでいた。
ルーテシアはクイントの要請に大きく頷くと、足が着いていない椅子からぴょんと飛び降りると、小走りにとてとてと窓のほうに駆け寄る。
背伸びをして賢明に手を伸ばし窓に手をかけるルーテシア。
「……あ」
窓の外に広がっている雲に覆われた暗い空。
その空を引き裂くように、眩い光の筋が、クラナガンの中心部に向かい走っていく。
「ルーちゃん?」
金縛りにでもあったかのように動きを止めるルーテシアに、クイントが声をかける。
ルーテシアは呼びかけに反応して振り向く。その体は何かに怯えるように震えていた。小さな両手で首からかけているお守り――母の形見の石を握り締めている。
「ルーテシア?」
様子がおかしいことに気がついたリンディが慌てて体を起こした。泣き出しそうに成るのを必死に堪えている様子のルーテシアは養母の胸に飛び込む。
「……怖いの?」
頭を優しく撫でながらリンディは問いかける。
ルーテシアからの返答はない。代わりにリンディの胸にきつく頭を押しつける。
「……じゃあ、心配なのね」
ルーテシアは何の反応も返さない。
けれど、それが肯定を意味していることは、ただ見ているだけのクイントにも分かった。
クイントは振り返り、まだ開け放たれたままの窓の向こうを見つめる。
既に太陽は地平線の彼方に姿を消し、普段であれば変わりに煌々と輝きだす営みの光は怯えるようにその身を隠し、広がるのは真の暗闇。その侵食に抗うように、時折、戦闘による光がきらめく。
きらめく光のどこかに、家族が、仲間がいる。心配になるなという方が無理であろう。
信じて待つしかないと分かってはいる。やらねばならないことも娘に託した。だけど、どうしても――
「……大丈夫」
ルーテシアを宥めるリンディの声にも力がない。
確証など誰にも持てはしない。
「……お祈りする」
ルーテシアはその幼い心で何が出来るか必死に考えていたのだろう。せめてとばかりに窓の近くで膝をつき、祈りの姿勢をとる。
ハラオウン家は聖王教の熱心な信者というわけではないが、知人友人に関係者が多数いる。そこから見聞きして覚えたのだろう。ルーテシアの祈りはどうに入っていた。
「……そうね」
娘の行動を見守っていたリンディも祈るように目をつぶる。亡き夫に息子の無事を祈っているのだろうか?
クイントはじっと外を見つめる。クイントも聖王教を信仰しているわけではない。だから、祈る相手は一人しかいない。
――私たちが守ってきたクラナガンが燃えようとしている。隊長が汚されている……それにあなたの娘が泣きそうなの……だから、お願い。
亡き友、亡き戦友。
三人とも一言も発しない、静まり返った病室。
ライフラインに異常がでたのか、照明が非常灯に切り替わる。
静寂に包まれた暗闇。
その中で、ルーテシアが握り締めている石だけが優しく光を放っていた。
魔法少女リリカルなのは Verbleib der Gefühle
第二十八話 『Märchen――御伽噺――』
「うわ!」
至近弾があったのかヘリがひどく揺れ、スバルは座席から投げ出された。
今、スバルはギンガとスバルと共に、クラナガン郊外の森にあるスカリエッティの研究所に向かっている。余計な消耗を避けるため、何より、スバルたちが空を飛べないため、移動手段としてヘリが選ばれたのであったが、敵とてそれを見逃すほど甘くはない。現在、ヘリは多数のガジェットに襲われていた。
反撃しようにもスバルには射撃魔法はほとんど習得しておらず、クロノと護衛についてきた陸士に頼りきりになっていた。
「おおっと、そこだ!」
護衛の一人、やたら射撃がうまい陸士がまた一機ガジェットを撃墜する。
「ガジェットドローンの動きが鈍い。ゲンヤさんの作戦はうまく言っているようだね」
クロノはその様子を見て、安心したように頷いている。
その様子を見て、スバルは事前に説明を受けた作戦の内容を思い出す。
スカリエッティの研究所を抑えるクロノたち、ゆりかごを止めるなのは、クラナガンを守る部隊と三手に分かれたのであるが、この中で一番厳しいのは、ゲンヤが受け持つクラナガンを守る部隊であった。与えられた戦力のわりに、守るべき範囲が広すぎるのだ。エースたちの力で一点突破すればいいクロノたちとは違う。
先の戦いでかなりの数が消耗したのにも関わらず、まだ無限と思える数のガジェットの大軍。それに対抗するためにはミッドチルダ地上部隊すべてを持ってあたらねば難しいが、上層部が混乱し通信がうまくつながらない現状ではそれも不可能に近い。
ゆえに、ゲンヤは逆に攻めに出た。前線を指揮している戦闘機人を討ち取るために。小数の部隊でガジェットの群れに飛び込むことは無謀であったが、そこはかねてより用意されていた秘策があった。
ガジェットが管理世界各地で確認されるようになってから、十年近くたつ。その間、管理局の技術者たちは何もしていなかったわけではない。その構造を解析し、対策を用意していたのだ。
ガジェットにある種の電波を受信させ、その行動を阻害する。単純な方法ゆえに、対策も簡単に取られるため使えるのは一度きりであるが、その効果は抜群であった。地上本部ビルの強力な通信設備を使い、その電波が今クラナガン中に飛ばされている。そのため、ガジェットの動きは鈍く、その戦力は半分以下に落ち込んでいた。
「……おそいよ」
この手段が、先の戦いでつかえていたら、とスバルは唇をかみ締める。
分かってはいる。これが効果があるのは相手が対策をとるまでの数十分の間だけであり、何より今これが使えているのは、ゲンヤたちの行動を邪魔していた上層部が混乱しているためであるということを。
皮肉な話であるが、今、この段階になってやっとスバルたちは自由に動けるようになったのだ。
スバルは、なんともいえない気持ちで、ヘリの窓からここからでも見えるほど大きな地上本部ビルを眺める。
「あ……!」
スバルは地上本部ビル近くで閃光が瞬いているのに気がついた。
戦闘が行われている。ガジェットに襲われているのだろうか? 本部ビルには空戦適性を持った精鋭部隊が多数配備されている。ガジェットのみであれば、おとされることはまずないだろう。
「……違う! お兄ちゃん!」
だが、スバルは本能的に本部ビルに襲撃をかけているのがガジェットではないと判断した。閃光が瞬いているのはほぼ一点だけ。何よりこの距離にいても感じられる威圧感には覚えがある。
スバルに呼ばれたクロノが同じように窓を覗き込む。
「……ゼスト・クランガイツ」
クロノが小さくその名を呟く。
かつてクラナガンの防壁とまで謳われた偉大なるエース。スバルたちの母であるクイントが尊敬してやまない上司……それが今は行動の自由を奪われた哀れな魔導兵器と化している。
――止めてあげて。
出発前に母から頼まれた言葉が思い出される。
「お兄ちゃん!」
スバルの呼びかけに、クロノは考え込むように押し黙る。
地上本部ビルが早々に落ちれば、ゲンヤの作戦は瓦解する。ガジェットの大軍の中に取り残されたゲンヤたちはなす術もなく全滅するだろう。ゲンヤたちがいなくなれば、後は、連携が取れない各部隊が各個撃破され、クラナガンは火の海となる。
かといって、いくら先の戦いほど膨大な魔力がなくなったとはいえ、ゼストが強敵であることは変わりがない。まともに相手してはまず勝ち目がない。クロノたちが掴んでいる情報ではゼストは研究所の守りに配備されているはずであり、その対応の意味も含めてクロノが研究所に割り当てられていたのだ。
ゼストを止めるにはクロノが行くしかないのだが、そうするとウーノを止め、スカリエッティを捕らえることが出来なくなる。
クロノはそう判断に迷っているのだろう。そうスバルはあたりをつけた。
だから、言う。
「お兄ちゃん。私に任せて!」
信じてくれ、と。
思考に沈むクロノの前に立ち、じっと目を見つめる。
ゼストを止めてあげてと、頼まれているということもあるが、それよりもクロノには進んでもらわなければならない。
そう、スバルは考えていた。幼き頃より、ずっとクロノの背中を見続けてきた。そして、その背中が背負っているものの意味も知っている。
正念場なのだ。クロノたちの十年が意味を成すのか、無意味なものとなるのか。
――絶対に叶えるんだから!
そう考えるスバルの想いは、きっと皆の想い。
だから、出来ることをやる。
「私に任せて!」
出来なくてもやってみせる、そう決意する。
スバルの瞳に宿った強い光を感じ取ったのだろうか?
クロノは一度大きく頷き、
「ああ、スバルの気持ちはよく分かった……けれど駄目だ。認められない」
首を横に振る。
クロノとしてはそれは当然の判断であった。ゼストは最早、化け物という表現すら生ぬるい相手だ。真正面からぶつかって止めるのなら、クロノになのは、エリオの三人であたってやっとだろう。やっとAランクになったばかりのスバルに任せられるはずがない。行かせても、足止めすらならずに犬死するだけだ。
「考えがあるの! だから行かせて!」
スバルとて何の手も考えずに、無茶を言っているわけではない。思い付きであり、まだ一度も試していないことであるが、上手くいけば、今の何倍もの出力を得る方法があるのだ。
「どういう手段だ? 何を考えている?」
いやに強気なスバルの言動を、いぶかしんだのか、いつにない強い口調でクロノは問い詰める。
「え、えっと……」
スバルは答えられない。言えば止められると分かっている、失敗する可能性もある危ない手段だと分かっているだから。
「スバル、まさか君は……!」
スバルの様子に何か感づいたのか、クロノはさらに語調を強めて詰問する。
「……いや、そんなことないよ、お兄ちゃん」
たじたじになるスバル。
だが、その調子も長くは続かなかった。
「うふふ、本当に悪戯をした妹を問い詰める兄みたいですよ、クロノさん」
二人のやり取りがおかしかったのか、今まで黙って様子を伺っていたギンガが笑いながら仲裁に乗り出したのだ。
「お姉ちゃん……!」
「ギンガ、笑い事では……」
場違いともいえるギンガの様子にあっけに取られるスバルとクロノ。
「……いえ、申し訳ございません。あまりにもいつもの調子だったので、少し安心してしまいました」
ギンガは居住まいをただしクロノに向き直る。
「ハラオウン執務官。私からも提案します。私たちを本部ビルに向かわせてください」
クロノをじっと見つめるその瞳は、スバルと同じように強い光を宿していた。
「執務官も分かっているはずです。執務官にはスカリエッティの捕縛に向かってもらわなければ成りません。そして、ゼスト・クランガイツも放っておくことは出来ません。ならば二手に分かれるしかないではありませんか」
「しかし……」
「任せていただけませんか? 勝算はあります。確かに危惧していらっしゃるとおり、危険な手段ではありますがスバル一人よりも二人でやれば危険は減ります。それにここで無理をしなければ、この十年が無駄になるんです。やらせてください!」
「……だが」
言いよどむクロノ。
そして、しばらくの黙考ののちに、
「分かった……本部ビルは君たちに任せる」
諦めたようにため息をつき、スバルたちの別行動を認めた。
「だが……決して無理はするなよ? 本部ビルが落ちてもゲンヤさんならきっと何とかしてくれる」
「ええ、分かってます。父はあれでもかなり頼りになることは……それよりも、クロノさんのほうこそ無茶しないで下さいね。私たちがいなくなる分、クロノさんの負担が大きくなるのですから……本当は一緒に行きたい、着いていきたい! もし、あなたに何かあったら……」
――あれ?
なんだかおかしくなってきた雰囲気にスバルは首をかしげる。
空気がなんだか変わったような感じがするのは気のせいだろうか?
「え、えーと」
「で! 結局、ヘリはどこに向かえばいいんですかね!? いい加減この場にとどまっているのもきつくなってきたんですが!」
スバルが対応に悩んでいると、クロノが抜けてからずっと奮戦していた射撃の上手い陸士が大声で判断を求めてきた。
「……ああ、すまない。ヘリは本部ビルに向かってくれ。ガジェットの群れを突っ切ることになるが出来るか?」
「何とかしてみせます。お姫様方をちゃんとエスコートさせていただきますよ!」
クロノは一呼吸置いてから振り返って、陸士に行き先を告げる。その表情は緊張感に満ちたものに戻っていた。
陸士は強く頷いたのを確認してから、クロノはスバルたちのほうに向き直り、
「……僕はここで降りて、飛行魔法で研究所に向かう……ギンガ、スバル。無理はす……いや」
いつものように心配を口にしようとするのを軽く首を横に振ってやめる。そして、
「信頼している。だから、僕が研究所を、ウーノを抑えるまで何とか持ちこたえてくれ」
紡ぎだされたのは絆の言葉。
「うん! 任せてよ!」
スバルは全身を使って頷く。嬉しくてたまらなかった。スバルは共に歩む仲間として認めてもらえたような気がしたからだ。嬉しさのあまり、デバイスに覆われた右手をクロノの前に掲げる。士官学校に在籍していたときに良くやっていた出陣の儀式。お互いのデバイスをかち合わせて、互いの幸運を祈るおまじない。
実際に配属されてからやっているところを一度も見たことがなく、作戦開始前でも落ち着きを払っているクロノ相手にやりづらかったので、最近はずっとやっていなかったのだが、今ならこの行為はふさわしいような気がしたのだ。
「ああ、それ陸士の訓練校でもやってましたよ」
「……ゲンかつぎか懐かしいな」
スバルの右手とギンガの左手、そしてクロノのS2Uが交差して、金属同士が共鳴しあう綺麗な音が響き渡った。
再開発計画が頓挫して、うち捨てられた廃棄区画。放置されて朽ちかけたビルの群れのみがかつてそこが都市であったことを主張するゴーストタウン。そこは今、往年を越える賑わいを見せていた。だが、それは再び人の手が入り、この区画が生き返ることを意味するのではなかった。廃棄区画は選ばれたのだ。ここならば、人がいないゴーストタウンであるがゆえに、民間人の心配をする必要がない。大規模な魔法を使っても失われる財産がない。ゆえに戦場として最適であったのだ。魔法の炸裂音、動力炉が破壊されたガジェットが墜落する音。バリアジャケットを抜かれ負傷した隊員のうめき声。それらの音は廃棄区画に捧げる葬送曲だったのかもしれない。
「第四小隊、今だ、ぶっ放せ!」
ゲンヤの指揮を受けて、戦闘には参加せず力を蓄えていた第四小隊が全力で砲撃魔法を放つ。臨界ぎりぎりまで収束された砲撃はガジェットの群れをなぎ払い、第一、第二小隊がこじ開けた陣形の穴をさらに大きく広げる。
このゲンヤたちの攻撃を受けて、オットーは直接管理しているガジェットを使いその穴を埋めようとするが、待機していた、第三、第五の近接魔法にすぐれた隊員たちで固められた小隊がガジェットの動きを妨害する。
「……よし、いいぞ」
その光景を見てゲンヤはいつもの飄々とした笑みを浮かべる。ここまでは作戦通りであった。
「……このままいってくれよ」
ゲンヤはどちらかといえば戦略家タイプであり、直接的な指示をだす戦術はそこまで得意ではない。ゆえに、今回は堅実的な作戦を選んでいた。ガジェットおよびAMF対策として研究されてきた戦術をそのまま使っている。強力なAMFに対応するため、主力にはMAFに負けないほどに収束された砲撃魔法、そして、影響を受けにくい近接魔法を置き、牽制用の射撃魔法、AMF下では消耗が激しい防御魔法と、それぞれ専門の部隊を置いて対応する。魔力量の少ない一般隊員でもAMF下で動けるように考えられた戦術であり、それゆえに効果的とされていたが、単純な戦術であることから、人工知能ではなく、直接指揮されるガジェット郡を相手にどこまで通用するか不安であったのだが、どうやら杞憂のようであった。
「士気が高いって言うのは素晴らしいねぇ……」
ゲンヤは手持ちぶたさになっている右手を使い、頭をがりがりと掻く。
ゲンヤが今指揮しているのは、各部隊から集められた精鋭のみで構成された一個大隊。そういえば聞こえがいいが、要するに寄せ集めの部隊であった。確かに個々の力は高いであろうが、編成してまだ一日もたっておらず、演習を行ったこともなければ、互いの顔と名前がまだ一致すらしないのだ。連携をとることなど、ましてや一糸乱れる統制など期待するだけ無駄。実力の半分も出せればいい。後は一○八の生き残りと切り札であるエリオを使って突破口を開く。そうゲンヤは見積もっていた。
だが、予想はいい意味で裏切られる。
想像を超える連帯感。これは精鋭のみで構成されたことから来るのか、それとも各自の想いゆえか。
「……どっちかって言えば後者だろうな」
隊員一人ひとりの表情からそう判断する。
元々管理局員になろうとする者は正義感が強いものが多い。それは人々の命を、生活を守らなければならにという義務感を強く持っている。また中には子供の頃に見た夢を、幼い頃あこがれたヒーローになるという夢をこじらせたものもかなりの数に上るだろう。
この戦いはミッドのクラナガンの全市民を守る戦い。彼らの肩にのしかかる責任感はとても大きいものだろう。
また、この戦いは言い方を変えれば、あくの科学者との最終決戦なのだ。くすぶっていた夢に火を灯すには充分すぎるものだ。
責任感と夢の再燃の相乗効果が高い士気を生み、一つになった想いが強い一体感を生む。
いまやこの即席の部隊は厳しい訓練を続けた高い練度を持つ部隊のような動きを可能としていた。
「……っとサボってばかりじゃ格好がつかねぇな……第四小隊、第二射、っ撃てぇ!」
ゲンヤが余計なことを考えている間も隊員たちは奮戦し、こじ開けた穴をさらに広げていた。そこにさらに砲撃魔法が打ち込まれたことにより、相手の陣形は最早崩壊寸前といってもいい状態になっていた。
それを感じ取ったのか、ゲンヤのそばで落ち着きがない様子で待機していたエリオがずっと高い位置にあるゲンヤの顔を見上げるようにしながら言う。
「おとうさ……ナ、ナカジマニ佐! 僕の、自分の出番はまだでしょうか!?」
他の隊員が戦っているのに自分だけ待機しているのが申し訳ないのか、今すぐ出たいと顔いっぱいに書いてあるような表情をしている。
ゲンヤはそんなエリオの心をほほえましく思い、優しい笑顔を浮かべながら、エリオの頭を荒っぽくかき混ぜる。
「そう慌てるなって、真打は最後に出てくるもんだし、切り札はここぞって言うときに出すもんだ」
「……どういうことでしょうか?」
「エリオの出番はまだ先立って言うことだ。だから今のうちのしっかり休んどけ」
かき混ぜていた手をそのままエリオの頭にのせたまま、戦況を見守る。
戦闘機人はまだ動いていない。情報通りであれば、ここに配備されている戦闘機人は三機。後方支援型指揮官機と高速遊撃型、そして万能砲撃型である。ゲンヤたちの狙いは指揮官型であり、一帯の通信妨害を行っているオットーをおとすことだが、ガジェットの群れの奥にいて動いていない。ガジェットの陣形がかなり崩れていることから、今からエリオを投入しても届きそうであるが、他の二機の姿が見えないことからこれは罠だとゲンヤは考えていた。ガジェットの群れを相手しているときに、不意を突かれたらエリオでも危ないかもしれない。もしかしたら、現時点でもSランクの実力があり、将来的にはSSSにまで確実に届くだろうといわれているエリオなら不意打ちなど跳ね除けて、敵を殲滅してしまうかも知れない。――だが、とゲンヤはその甘い考えを否定する。エリオは若干9歳。まだ体も出来上がっていない不安定な状態だ。この連戦で疲労もたまっており、随分と無理をさせている。どんな不調がおこってもおかしくないのだ。ここは安全を期すべきだとゲンヤは考える。幸い戦況はこちらが優勢だ。無理をすることはないと。
ゲンヤのその判断は間違っていないだろう。事実、夢と責任感に燃えた隊員たちの活躍は凄まじく、この調子ならエリオを投入しなくてもかれらだけで片付けてしまいそうなほどの勢いがあったのだから。
だが、それは敵と自分の部隊だけを見ての判断でしかなかった。
『一番厄介なのは無能な味方』その格言をゲンヤに思い出させる連絡が舞い込んでくる。
「隊長!」
ゲンヤの補佐であるカルタスが表情を変えて走りこんできた。
「どうした?」
普段は鉄面皮と評されるほど表情を変えないカルタスのあまりの慌てように、ゲンヤは異変を感じ取り、エリオの頭にのせていた手を引っ込めてカルタスに向き直る。
「近隣の部隊から連絡に局員がが駆けつけてくれたのですが、付近の部隊には撤退命令が出ています! 敵の主力を殲滅するために戦術兵器を投入した、と!」
「戦術兵器? それに撤退命令だと?」
もぎ取るように、カルタスが持ってきた通信文を受け取り、目を通す。
そこには戦術兵器がいったいどういうものなのかはかかれていなかったが、撤退命令が出ている地域は広範囲におよび、その異様な威力を用意に想像できた。
「……お約束とばかりに、俺たちはいないことになってるな」
ゲンヤたちの部隊は独自に編成したものであり、本部の編成表にはない。それゆえに見落としたと言い訳が立つとでも考えたのだろう。
「しかし、何をやろうってんだ」
この指定された範囲が本当だとすると今から撤退を開始すればぎりぎり間に合うかもしれない。だが、アインヘリアルを失った地上本部にこれほどの広範囲の破壊を可能とする兵器があるのだろうか? その兵器は本当にガジェットの群れを抜き、戦闘機人たちを倒すことが可能なのであろうか? ゲンヤたちが個々で退いてしまえばチャンスが失われる。ガジェットたちに仕掛けているトラップに対策が講じられれば、つぎの戦いはこう簡単には行かないのだから。そうなれば、クラナガンの市民の命はどうなる? あまりにも難しい判断をゲンヤは迫られていた。
ゲンヤが迷っていた時間はそう長いものではない。数十秒ほどの葛藤。それが新たな出会いを生む。
「……おとうさん、あれ!」
エリオが何かに気づき、クラナガン中心部へ続く空を指す。
「……どこだ?」
あまりに小さな影にゲンヤは目を凝らす。それはだんだんと影を大きくしていき、響いてきたローター音と共に自らの存在を知らせる。
「ヘリ? 一機だけか?」
やってきたのは何の変哲もない地上部隊で採用されているヘリ、しかも経年劣化が激しいと入れ替えを行われている旧型であった。
それが一直線にこちらに向かってくる。
「何だっていうんだ?」
そのゲンヤの呟きはこの場にいる全員の心を代弁していた。広範囲を殲滅するとされた戦術兵器が何の変哲もないヘリなのだ。疑問に思うなという方が無理だろう。そして、その疑問はすぐに一つの答えに直結する。
「まさか……質量兵器?」
ヘリに積めるもので、これほどの範囲を殲滅するもの、それは高性能爆薬などの質量兵器なのではないだろうか?
それは最悪の予想。だが、誰も否定できない。
「全員退避!」
ゲンヤの怒号が飛ぶ。隊員たちは各々の判断で散っていく。
ガジェットもそのヘリを感知し、危険と判断したのか、撃墜するために群がっていく。自動操縦なのか特に回避行動も見せずに被弾し、ヘリは火を噴きながらゆっくりと高度をおとし、ゲンヤたちが主戦場としていた高速道路跡に墜落する。
ヘリの燃料に引火したと思われる爆発が起こるが、それ以上何も起こらない。激しく燃え盛る炎。
ゲンヤたちは呆然とその炎を見つめていた。
「……なんだってんだ?……ん?」
炎を見守るゲンヤたちの耳に小さな小さな声が――泣き声が聞こえてくる。
まだ若い、幼い泣き声。己の定めを呪い、すすり泣き嘆く声。
声がだんだんと大きくなり、炎の中から人影ゆっくりと姿を現した。
エリオと同じくらいだろうか?十にも満たない小さな女の子。きっと手入れをしっかりとすれば綺麗な鮮やかな光沢を放つだろう桃色の髪はばっさりと短くされ、少年と身紛ごうばかりに成っている。いろいろと着飾りたい年頃のはずなのに、着せられているのは病人が切るような白い貫頭衣。それすらも煤で薄汚れている。そして、何よりに目に付くのは囚人のように手足に嵌められている枷であり、頭部に嵌められた鈍い輝きを放つ金属で出来た冠であった。
――子供にさせる格好じゃねぇ。
怒りを覚え、ゲンヤがその少女に駆け寄ろうとすると同時に、冠に魔法の光が灯る。
「……いや」
それが少女に苦痛を与えているのか、少女の鳴き声がだんだんと大きくなり、そして
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」
戦術兵器が召還された。
その姿は本来神々しくもっと美しいものなのだろう、とエリオは感じた。今、眼前で暴れまわっている一匹の巨大な古龍。全身を独自に脈打つ蛭のようなものに寄生されている。
「いやあああ!」
女の子が泣き叫けば、蛭は脈打ち、それが古龍に激痛と力を与え、破壊をもたらす。
女の子の悲鳴が響くごとにガジェットが弾き飛び、隊員が倒れていく。最早、敵も味方もなかった。
破壊をもたらすことが、少女の叫びを止める唯一の方法だといわんばかりに古龍は暴れまわる。その姿はまさに広範囲殲滅兵器と称するにふさわしいものであった。
ガジェットの群れは突然現れた敵に盲目的に攻撃を加えるが、それは古龍の膨大な魔力に阻まれ一切届かない。ならば、と接近を試みる気体もあったが、近づくだけで、魔力に侵食され、動力炉が暴走する始末であった。
「いや! もういやなの! やめて、もう苦しいの!」
だが、古龍に傷一つつけられない攻撃でも、女の子には痛みとして感じられるのか、ガジェットの攻撃が着弾するたびに、悲鳴を上げ、泣き叫ぶ。
そしてその叫びが新たなる破壊を呼ぶ。取り壊されるのを待っていた廃棄都市は、すでにその必要がないほど姿を変え、更地と言ったほうが正しい様相を呈していた。
「……」
天を仰いで泣き叫ぶ女の子。流れる涙。流す必要がない涙。それがぽたりぽたりと乾いた地面に吸い込まれ消えていく。エリオはその光景に目を奪われていた。
「おい、エリオ、何をやってる、退くぞ。これは手がつけられねぇ」
ゲンヤが呆然と立ち尽くしているエリオの肩を掴んで、振り向かせる。
既に部隊は体勢を整え終わっており、いつでも撤退が可能な状態になっていた。ゲンヤが撤退の判断を下したのは、古龍が手をつけられないほど強大な障害であることもあったが、古龍が破壊を続けた結果この周辺にいたガジェットのほとんどが破壊されたからであった。通信妨害が解けていないことから、オットーはまだ健在であることは分かっていたが、この場にはもういないことは明白であり、ガジェットの消耗も考えると仕切りなおしたとしても、こちらが優位に立てると考えたゆえであった。それに盲目的にガジェットが古龍に攻撃を続けてくれているおかげで、今なら無事に撤退できる。
「このまま、ここにいたら今度はこっちが危ねぇ」
ゲンヤは急かすために、エリオの手を引こうとする。
だが、エリオは衝動的にその手を跳ね除けた。
「……どうした、エリオ?」
いぶかしむゲンヤの視線を受けて、エリオは意思とは勝手に動いた自らの右手を見つめる。
――何で跳ね除けてしまったのだろう? とてもあたたかったのに……
手に残るぬくもり。それをかみ締めながら理解する。跳ね除けてしまったのはあたたかかったからだ、と。
「……泣いているんです……あそこで女の子が泣いているんです!」
今も耳に響く少女の泣き声。女の子は痛いから、それだけの理由で泣いているのではない。嘆いているのだ、己の不幸を。恨んでいるのだ、どこまでも冷たい世界全てを。
エリオは女の子の気持ちがよく分かる。
エリオは冷たい試験管の中で生まれ、暗い研究所の一室で目を覚ました。あたたかいぬくもりに抱かれることもないまま、研究のためと称し、体中弄繰り回された。生きているということの意味も分からぬまま、ただ嘆いていた。
エリオは知っている。
人として扱われず、名前すら与えられず、偽者と呼ばれ続け、人形として使い捨てられた少女がいたことを。
だから、一緒に嘆きたい。女の子の隣に座って、自分たちを生み出した世界の全てに不満をぶつけたい。
そして、力いっぱい泣き叫んだら、女の子の涙をぬぐって、その手を握り助け起こしたい。
エリオはよく分かってる。
世界はそれだけじゃないって。優しく抱いてくれるその腕を。頭にぽんとのせられる手の大きさを。弟にいいところを見せようと背伸びする姉の姿を。
エリオは知っている。
少女が出会えたことを。友達になりたいと命を懸けてくれた人がいたことを。そして少女がその人に名前を告げられたことにどれだけ充足感を得ていたかを。
だから、だから――
「泣いているんです! 女の子が泣いているんです!」
放っておくことなどできはしない。女の子の世界をそれだけで終わらせたくなんかない。もっともっと、ずっとずっと世界はあたたかいんだって伝えたい!
エリオの叫び。それは言葉になっていなかったかもしれない。
女の子が泣いている。それは見れば誰にでも分かること。何をしたいのか、そうすればどうなるのか。何の説明にもなっていない。
だが、言葉以上に伝わるものがある。
「……カルタス」
「はい」
エリオの叫びを、想いがこもった眼差しを受けたゲンヤは、視線はそのままに背後に控えていたカルタスを呼ぶ。
「廃棄都市区画外の住民の避難が遅れている……だったな?」
「はい、周辺の陸士部隊が誘導していますが、なにぶんガジェットの妨害もあり、思ったように進まないようです」
「そして、あのでっかいのの活動はいつまで続くのか、どこまで広がるのか検討も付かないと……」
「はい」
カルタスの報告を受けて、ゲンヤはがりがりと頭を掻き、
「あーーしかたねぇな」
そう呟くとエリオの頭に大きな手をぽんと乗せ、こう言った。
――ハンカチは持ってるか?
と。
「いいか、お前ら!」
ゲンヤの声が響く。通信機を使うのでもない、ましてや念話を使うのでもない。そのままの肉声。ゲンヤは重大な指示を、隊員の命が関わるような指示を出すときは必ず直接告げる。それで何か変わるというわけではない。だが、ゲンヤにとってそれはけじめだった。
「このまま、あのでかいのを暴れまわらせていたら、クラナガンの市民に危害が及ぶかも知れねぇ。だからここで俺たちが時間を稼ぐ」
隊員たちから目立った反応はない。じっとゲンヤの言動を見守っている。
「相手はこっちの攻撃が一切とおらねぇ化け物だ。逆にやつのブレスでも喰らった日にゃあ、バリアジャケットなんて意味もなさずに消し炭になっちまう。けどなぁ、どうしてもやらなきゃならねぇ……それは俺たちが管理局員だからだ」
それはこの場にいる誰しもが理解していたこと。市民を守るために命を懸ける。それは管理局員としての義務。たとえそのために己の命が失われようと、その責任から逃げるようなものはここにはいない。
隊員たちからの返答はない。それは無言の肯定。悲壮感をおびた決意。
だが、ゲンヤはそんなものはくだらないと吹き飛ばす。
「……それにこんなチャンス見逃すのは惜しいとおもわねぇか? なあ、カルタス?」
「……何がです?」
ゲンヤは突然砕けた口調になり、横に控えていたカルタスに話を振る。
「ヒーローになれるチャンスだぜ?」
「何を突然……?」
わけが分からない様子のカルタス。
「あれ、俺の記憶違いか? 前にサシで飲んだときにいってたじゃねぇか、子供の頃に見た何とかって言う特撮ヒーローにあこがれてこの道に進んだとか……」
「ち、違いますよ!」
「違わねぇだろ」
慌てるカルタスに、したり顔で笑うゲンヤ。
ゲンヤの突然の暴路に、呆然と聞いていた隊員たちからも反応が出る。
「……カルタス二尉もあれ見てたのか」
「俺も小さい頃、あのヒーローに憧れてたんだよな」
「……いや、あれより、こっちのほうがカッコ良かっただろう」
大なり小なり、どの隊員も覚えがあるようだ。こんなときにも関わらず、いやこんなときだからこそ、幼い頃の見た夢に想いをはせているのかも知れない。
「くっくっく……だからよほら見てみるよ」
隊員たちの反応を確認していたゲンヤが笑いながら背後を指す。指が指した方向にはクラナガンの市街が広がっている。
「平和な街を」
そしてその指を古龍に向ける。
「悪のドラゴンが脅かそうとしているんだぜ、しかもちゃんとお姫様まで付いてくるとくりゃあ……燃えてこないか?」
ゲンヤの愉快そうな、本当に楽しそうな声。それにつられたのか、一瞬の静寂の後に歓声が沸きあがった。
その様子に嬉しそうに頷いた後、ゲンヤはさらに続ける。
「っと、喜んでいるところに水を差すようで悪いが、お姫様を助ける騎士の役はうちの自慢の息子が勤めさせてもらう。悪いがお前らは脇役だ。残念だったな!」
「ちょっと隊長それはないですよ!」
「悪りぃな、もう決まってるんだ。ほら、お前らもがんばらないと、この物語に、壮大な御伽噺に登場すらできねぇぞ、ほらほら配置に着いた着いた!」
ゲンヤが大きく手を打ち鳴らすと、隊員たちは口々に文句を言いながら散っていく。
「ということだ、エリオ。道は作ってやる……後はやれるな?」
エリオは無言で頷く。半分は自分のわがままなのだ。やって見せなければ男ではない。男だったらやって見せろ、エリオはゲンヤにそう教えられているのだから。
古龍の戦闘能力は圧倒的だ。普通の武装局員がいくら集まろうと傷一つつけられないだろう。倒すためにはアインヘリアルのような兵器が必要になる。
ゲンヤたちにそんな強力な兵器は望むべくもないし、何よりあったとしても使わないだろう。そんな大規模な魔力兵器を使ったら、女の子を巻き込んでしまう。目的は古龍の打倒ではなく女の子の救出なのだから。
あの少女を苦しめている冠をはずすことが出来れば、女の子を止められるとゲンヤたちは考えていた。
隊員たちが古龍の動きを止め、ひきつけている間に、エリオがその速度を活かし一気に女の子に近づいて冠を破壊する。
一言で言える単純な作戦であるが、それがどれほど難しいことであるのか、エリオにはよく分かっていた。
まず、あの古龍には一切こちらの攻撃が通用しない。エリオの全力をもってしても怪しいだろう。そして、近づくだけでガジェットが破壊されるほど、暴力的に濃い魔力。それらを潜り抜けなければ、女の子のもとにはたどり着けないのだ。
古龍に関してはエリオは心配していない。ゲンヤが何とかすると言い切ったのだ。有限実行が常の父を疑ったりなどするはずがない。
だから、後はエリオ自身の問題だ。
「……」
ユニゾンをして準備を整えたエリオは、古龍の背後、崩れたビルの破片にすがりつくように泣き続ける女の子の姿を見ながら、ゆっくりと呼吸を整える。
そして、呼びかける力を貸して、と。
「エリオ、準備はいいか?」
「はい」
エリオの短いけど力強い返答を聞いたゲンヤは右手を高々と上げ、振り下ろす。
「じゃあ、いっちょいくか!」
合図と同時に隊員たちは一斉に攻撃を開始する。
隊員たちがそれぞれ放った攻撃は、あらかじめ決められた箇所に正確に命中するが、古龍は揺るがない。
攻撃は古龍に隊員たちを敵として認識させたに過ぎない。
肩から生えている二本の触手の先に膨大な魔力が集まっていく。SとかSSSなどと、人間が区分した魔力ランクが馬鹿らしくなるほどの強い魔力。放たれれば隊員たちの命が失われるだけでなく、地形が変わり大きく地図の修正が必要とされるだろう。
だが、その狂的な威力を持っているドラゴンブレスは放たれることはなかった。
「人間様を甘く見るんじゃねぇ! 第二射!」
ゲンヤの指示が飛び、第二射が放たれる。まるで一人の人間が放ったかのように感じられるほど、一点に集中された射撃魔法。
しかし、それは古龍に向けて放たれたものではなかった。
狙いは古龍の足元。古龍は今、崩れ去ったビルの瓦礫の上に立っている。何トンにも及ぶだろうその体重をしっかりと支えてくれる硬い地面の上ではない。
隊員たちが放った射撃魔法は瓦礫の一部を打ち抜き、辛うじて安定を保っていた山を崩壊させる。突然足元が崩れ去った古龍はバランスを崩し、その巨体を支えるために手を伸ばす。
「だからさせねぇ! 次!」
ゲンヤの指示に従い、古龍が手をつこうとした先に集中する光弾。崩れ去るビル。
またしても、自重の預け先を失った古龍は大きな音をたてて倒れこむ。
「ヴォォォッォ~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!」
古龍の怒りの咆哮が響き渡る。
そして、同時に聞こえてくる空気を叩く音。羽ばたき。
「そうだろ、それくらいの知恵はあるよな。地面に立っていられなければ、飛ぶしかない。それを待っていたんだよ! エリオ!」
「はい!」
古龍は宙に浮いた。女の子を地面に残したまま。
エリオは即座に高速移動魔法を発動させる。エリオが使う移動魔法ソニックブームは音速をはるかに超える。一瞬の隙があれば女の子の元にたどり着ける。
そのはずであった。
「くぅ!?」
古龍が少女を守るために伸ばしていた魔力の壁がなければ。
物質を崩壊させるほど濃い魔力流はエリオの移動を阻害しただけでなく、エリオの小さな体を掴み侵し、捻り潰さんと圧迫してくる。
エリオは必死に魔力を放出して耐えるが、力の差は歴然であった。咄嗟に張った障壁はあっという間に破壊され、バリアジャケットもまるで高温に晒された氷のように溶けて消えていく。エリオを襲いくる魔力から身を呈して守ってくれたのだろう。アギトの意識はもう感じられない。
抗いようのない膨大な魔力は人のちっぽけな心を折るには充分なものであった。
「……」
そう、それが一人の心であるならば。
突然目の前に現れたエリオを驚いた顔で見つめる女の子。
その瞳には光がない。空っぽだ。
きっと、笑ったら可愛いんだろうな――エリオは唐突にそんなことを考える。そして決意する。絶対に笑わせてみせる、と。
――お願い!力を貸して。
――守りたい。あんな目をさせたくない。名前を呼んで抱きしめてあげたい。もう僕たちみたいに、嫌な思いはさせたくないんだ!
エリオの体には二人分の心がある。
だから、悲しい記憶は二重にある。それはエリオに深い傷を残している。
だが、幸せな記憶が、報われた想いも二人分存在している。それは深い傷を乗り越えられるほど大きなもの、大切なものだから。そのぬくもりを女の子にも感じてもらいたいから。だから!
――助けたい
その想いは今一つに。エリオの中にある二つのリンカーコアが一つに融合していく。
「うわぁぁぁぁぁ!」
エリオを蝕もうとしている闇といえるほど濃い魔力が生み出される眩いばかりの金色の光に押し返されていく。
想いが生んだ人の心を宿した強い光。
だが、それさえも闇を完全に払うことは出来ない。
開いたのはほんの少しの隙間。
少年の手がやっと通るほどの小さな隙間。
エリオはその隙間から女の子に向かって懸命に手を伸ばす。
女の子はその手を見て何を思っているのだろうか?
身動き一つせずに、その手を見つめている。
「……一緒に行こう」
無表情なままの女の子にエリオは優しく語り掛ける。
「信じられないんだろうね。分かるよ。きっと想像できないくらいひどいことされてきたんだろうね……でも、それだけじゃないんだ!」
話しかけているうちに、エリオの声はだんだんと大きくなっていく。大きな声に驚いたのか、女の子は怯えた表情を見せる。
女の子の感情に反応したのか、魔力の締め付けが強くなり、エリオを圧迫する。今にも閉じようとする隙間に伸ばした手はちぎられそうに成っている。
だが、その程度の痛みがなんだというのか。女の子がこれまで味わってきた苦しみ、そしてきっとこれから感じられるぬくもりに比べればたいしたことなんてない。
「……僕の名前はエリオっていうんだ。君の名前は?」
「……キャロ」
全身が痛みに苛まれているのだろうに、懸命に笑いかけるエリオの想いが届いたのか、女の子――キャロが小さく自分の名前を呟く。
「キャロ……可愛い名前だね。キャロ、突然こんなことを言ったら驚かれるかもしれないけど、ずっとずっと一緒にいてあげる。痛いのも苦しいのも二人一緒ならはんぶんこになるし、それに喜びや楽しいことは二倍になるんだよ? 想像できる?」
「……」
「みんな一緒だと何をしても楽しいんだ。寂しくないんだ」
じっとエリオを見つめるキャロの瞳に宿るものを感じ取りながら、エリオは必死に言葉を紡ぐ。二人分の心があるといってもエリオはまだ子供。泣いている女の子を慰める格好いい言葉なんて知らない。
だから、自分が知っている一番大切なこと、この世界で一番大事だと思っていることを話す。
「……それに知ってる? 人の手ってすっごくあたたかいんだよ?」
懸命に伸ばされた手。エリオの気持ちが篭った言葉。
ゆっくりと、ゆっくり伸ばされ、触れ合い、握り締められる手。
「……ね? あたたかいでしょ?」
「……うん」
エリオの想いが通じたのか、それとも幸せだった過去を思い出したのか、キャロの瞳に涙が浮かぶ。
だけど、それは先ほどまでのような悲しみの涙ではない。
「だから、一緒に行こう。世界にはもっともっとあたたかいものがあるから。!」
「……うん!」
エリオの手が引き戻され、キャロがエリオの腕の中に飛び込んでくる。
「もう絶対に寂しい想いはさせないから」
「うん……うん……」
キャロはエリオに抱かれたまま泣き続ける。
ぽたりぽたりと涙が落ちて地面に吸い込まれていく。
その涙は一粒ごとに、古龍をのろいから開放していった。
騎士の手によってお姫様は助け出され、龍はのろいから開放された。
――今確かに、御伽噺はなったのだ。