地上本部ビルはミッドチルダの平和の象徴として作られたものであった。平和の象徴とするためにレジアスが本局の反対を押し切り建設を推し進めたもの、力を以って混乱を押さえつけるという決意の表れであった。ゆえに、本部ビルは幾重にもめぐり施された防衛機能があり、これに各地から集められた精鋭部隊が加わり、難攻不落の要塞と化していた。その本部ビルの地下奥深くにある司令管制室、ミッドチルダに配備されている全部隊を取りまとめるは電子的魔法的セキュリティも厳重であり、たとえ、戦闘機人№1ウーノの処理能力をもってしても、突破には時間がかかる。
攻め落とすのは難しく、絡めてでも時間がかかる。だが、ここを無力化しなければ、ゆりかごが衛星軌道上に到達するのは不可能。この難題に対して、ウーノがとった手段はひどく単純なものであった。
ビルというハードウェアを、血の通わないシステムを落とすのが難しいのならば、か弱い存在である人を相手にすればいい。さらにウーノは狙いをその中でも一番もろい心、結束に絞った。
レジアスを筆頭とした強硬派、最強評議会の息がかかった一派が実権を握っているミッドチルダ地上部隊であったが。完全な一枚岩というわけではない。少数ながら穏健派、本局派といわれるものたちが存在する。それは管理局の成り立ちから、無視できない勢力であり、ミッドチルダ地上部隊の独立独歩を目指し、力をつけていたレジアスにとっても目障りな存在であった。それをレジアスは最高評議会の協力を得て、時間をかけて勢力をそいでいき、ポストに座る者を扱いやすいもの、無能なものにかえていったのである。
だが、その人事はウーノによって逆手に取られた。
ウーノが取った手段は至極単純なもの。今までレジアスたちがスカリエッティと協力して行ってきた、違法研究、強引な手段、また亡きドゥーエが得ていた高官の不正を一般回線で暴路しただけだ。
レジアスに押さえつけられていた本局派は一斉にこれに噛み付いた。今、ミッドチルダが置かれている状況を考えずに。無能がゆえに吠えることしか出来ない本局派であったが、強硬派がこれ以上、実権を握ることだけは許そうとしなかった。
有能だが違法な手段に手を染めている強硬派と、清廉潔白だが吠えることしかできない無能な本局派。
この争いは混乱を生んだ。市民はこの醜い争いに地上部隊への信頼を薄め、厳しい訓練を積んだ精鋭であるはずの各部隊は上層部の混乱ゆえに的確な行動を取ることができない。
もし、レジアスが健在であれば、その豪腕でこの混乱を強引に治めることが出来たかもしれないが、彼は患っていた心臓の状況が悪化して、本部ビル内の医務室に運び込まれたまま、動かすことすら出来ないでいた。
もはや、スカリエッティの夢を、その夢を叶えるためにウーノが立てた計画を阻むものはいない。
この問題が飛び火しないように、様子を伺っている本局が重い腰を上げるまでの、数時間、完全なフリーハンドを与えられたのだ。
たとえ、準備が完全でなかろうとこの好機を見逃すウーノではなかった。
醜く争う地上本部を、混乱するミッドチルダを、嘲笑するように、見下すように、今――
――白き箱舟が姿を現した。
魔法少女リリカルなのは Verbleib der Gefühle
第二十七話 『Beginn der Luftschlacht』
「状況はどうなってます!?」
クロノは一○八部隊の臨時司令室となっているテントに飛び込むなり、乱れた息を整えることすらせずに、ゲンヤに問いただす。ゆりかごの飛翔を目にしたクロノは、車を乗り捨て、非常事態における執務官の権限を使い、ギンガを連れて、市街を一気に飛行してきたのであった。先日の戦いからの消耗からも回復していないため、全力飛行をするだけでも体が悲鳴を上げている。だが、今は一刻を争う。体をいたわるのは後でもいい。今動かなければ意味がないのだから。
「おう、戻ったか……状況は最悪といっていいな」
ゲンヤは、そんなクロノの様子に何か言いたげな表情を浮かべたが、すぐにいつもの飄々とした顔に戻り答える。
しかし、ゲンヤの表情にはいつもの余裕がないように、クロノには感じられた。
――それほど、追い詰められているわけか……
クロノは内心の動揺を抑えて、詳しい状況の説明を受ける。道中、念話などによって連絡を取ろうとしたのだが、通信妨害がひどく、この場に着くまで状況の把握が出来なかったからだ。
説明を聞き終わり、クロノはゲンヤの表情の意味を理解する。
状況は絶望的といってもいい。上層部は混乱しており、さらにはまともな通信手段すらない。この状況でミッドチルダに配備されている部隊が連携を取って動くことなど不可能に近い。いや、たとえ、通信手段を回復させたとしても、今の上層部の指示に素直に従う部隊がどれほどいるだろうか? 局員であるからには、命令には従わないければならない。そのことは皆理解しているだろうが、元はと言えば、この一連の騒動じたいが、上層部が引き起こしたものだと知ってしまったのだ。
――違法な手段を使って進めていた研究の成果が逃げていくから、それを捕まえてくれ。
そういわれて、感情的に反感を覚えない局員は誰一人いないだろう。
もし、クロノたちも、ヴェロッサがノーヴェの脳から読み取ったウーノの計画を、聖王のゆりかごの性能を知らなければ、呆然と見送ってしまっていたかも知れない。
だが、すべてを知ってしまっている。ウーノの計画が成ってしまえば、ミッドチルダの全市民の命が人質にとられるのだ。たとえ、動けるのがクロノたちだけだろうと、阻止しなければならない。
「……三手に分かれるしかないですね」
「やっぱり、それしかなねぇか……」
寡兵をさらに三つに分ける。戦術をかじった程度の素人にも分かる悪手であったが、計画を阻止するためにはそれしかない。
ウーノが立てた計画の最終目的はスカリエッティとその一味のミッドチルダからの離脱である。そのために取る手段はゆりかごの主砲によってミッドチルダの、特にクラナガンの市民を人質に取ることであった。
そのためにはまず、クラナガンの何百万という市民を扱いやすく、混乱させるために各種のインフラを破壊し、最終的には地上本部ビルを占拠する。これには、比較的稼動暦が浅い戦闘機人と無数のガジェットドローンが当てられており、これに対処するためにはかなりの数の人員が必要だと考えられていた。
「そっちは、俺が行く、まあ何とかしてみるさ」
ゲンヤがこの役目を買って出る。スカリエッティの確保だけを考えるのならば、これは見過ごしてもいい。だが、インフラを破壊されれば、市民に生活が崩れ去る。その過程で多数の命が失われることは間違いない。ミッドチルダを、クラナガンを長年守ってきたゲンヤにとってそれは許せることではないのだろうとクロノは考えた。
「……そうですね。ですが、精鋭とはいえ一個大隊では……」
「まあ、それはおいおい何とかする、当てがないわけじゃないしな」
「本当に狸ですね」
「褒めたってなんもでねぇぞ……ああ、エリオをつれていっていいか?」
「ええ」
まるで、近所の公園に散歩に出るというかのように気軽に請け負うゲンヤにクロノは苦笑を浮かべながら答える。エリオを連れて行くといったのも、広範囲に及ぶインフラの防衛に必要というよりは、一般隊員では対処が難しい戦闘機人の相手をまかせるためであろう。
「……私はゆりかごに行くよ。きっとあの子が待っているから」
背後から決意に満ちた声が響く。いつの間に起きたのだろうか? 振り向けば、多量の出血と魔力の消耗により深い眠りについていた、なのはが強い光を瞳に宿し、毅然と立っていた。
すでに飛翔を始めているゆりかご。これはなんとしても止めなければならない。地上でゲンヤたちがいくらがんばろうが、ゆりかごの主砲一発ですべては塵となって消える。
だが、ゆりかごはすでに飛び立っている。陸戦型魔導師で構成されたゲンヤの部隊では対処が出来ないし、クロノには他に行かなければならないところがある。
ゆえに――
「……大丈夫か?」
彼女は一人であの巨体を止めなければならないのだ。
「大丈夫だよ。私はもう挫けないって決めたから。それにあの子にこれ以上情けないところを見せられないから」
ゆりかごの始動キーとなっているヴィヴィオを助け出し、ゆりかごを動かしている戦闘機人を排除する。口で言うのは簡単だが、あの中は信じられないほどの濃度のAMFに満ちているのだ。発揮できる魔力は通常の数分の一ほどまで落ち込むだろう。いくら強い意志を宿していようが、魔法という力を失えば、なのはは唯の少女に過ぎない。
だが、今はそれしか方法がない。信頼して任せるしかないのだ。
「……うん、だから、クロノさん……よろしくお願いします」
じっと見つめるクロノに対して、なのはは深々と頭を下げる。
彼女が管理局に属している元々の目的。それを果たすためには、どうしても確保しなければならない者がいる。闇の書事件。それを影から操っていたスカリエッティ、そして実行犯のクアットロ。この二人の証言が必要なのだ。
ウーノの計画ではクアットロは、これからなのはが向かうゆりかごの指揮を執っているはずであるが、スカリエッティは……
「ああ、任せてくれ……」
根拠地としている郊外の森の地下にある研究所にいるはずであった。
そして、そこはこれからクロノたちが向かう場所でもある。総指揮を執っているウーノ。彼女がいる限り、この騒乱は終わらないからだ。本局の中枢を司っているコンピューターに匹敵する処理能力を持つとされている彼女は、驚くことに、根拠地である研究所にいながら、すべてのガジェットドローンを、そしてあまつさえも飛翔するゆりかごすら遠隔操作できるのだから。ウーノがいる限り、いくらゲンヤたちが前線でがんばろうと、なのはがクアットロを抑えようとすべてが無駄になる。
そして、そのウーノとともにいると思われる、ジェイル・スカリエッティ。彼を逃せば、またこの一連の悲劇が繰り返されるかもしれない。
クロノはなのはの目を見て大きく頷きを返す。
「クロノさん……私たちは?」
まさか、置いていかれるのでは? そう不安に思っていることがありありと分かる顔をした姉妹が、クロノの顔を覗き込んでいる。
「……ギンガとスバルは、僕についてきてくれ。君たちの機動力をいかして、やってもらいたいことがある」
クロノは脇につるしている魔力カードを入れているフォルダを確認しながら、二人に答える。
あの幼かった姉妹は、いまや大切な戦友、かけがえのない仲間に成長した。いまさら、彼女たち抜きで作戦を立てることなどできない。この戦いは、もうクロノ一人の戦いではないのだから。
「お兄ちゃん、あれ使うの……?」
「ああ、これしか手がないからね……」
クロノが何をしようとしているのか悟ったのか、心配そうな表情を浮かべるスバルの頭を左手で軽く撫でる。
「でも……あれは……!」
「大丈夫、信じてくれ……このためなんだから」
なおも食い下がるスバルの額を、右手の甲でこつんと叩く。
「う、痛いよ、お兄ちゃんそっちの手で叩いたら」
「おっと、すまなかったな」
涙目になるスバル。いつもと変わらないそのリアクションに、入りすぎていた力が抜ける。
「じゃあ、準備はいいか?」
その様子をほほえましそうに見つめていたゲンヤが尋ねてくる。
「……はい」
頷き、皆の顔を一人ずつ見つめる。
リンディとクイントは先日の戦いの消耗が激しく動けない。本局のほうではレティ提督とエイミィが動いてくれているようだが、間に合わせるのは難しいだろう。
だから、ここにいる者だけで、どうにかしなければならない。
「きっと、厳しい戦いになる……でも、これが最後だ。僕たちの目指す未来のために、守らなければならない者のために、果たさなければならない約束のために……行こう!」
右腕を強く突き上げる。
それぞれの返事が唱和する。
最後の戦いが今、始まった。