空が破れた。世界を覆っていた天蓋は轟音と共に光の柱に打ち砕かれた。天蓋が砕かれ散るさまは、まるでオーロラのように空を彩る。それは、生き残ったものを、人に過ぎない身で、どうしようもない危機を乗り切ったことを祝福するように輝いている。だが、それはひと時のことですぐに空は厚い雲に覆われた、どこまでも暗い本来の姿を取り戻し、世界を静寂に包む。
動くものは、動けるものは誰もいない。魔力の奔流の源だったゼストは、まるで糸の切れた人形のようにうなだれている。埋め込まれていたレリックが力を失ったせいか、それとも魔力の暴走を抑えるためにすべてを注ぎ込んだためか、彼はあらゆる色を失い、まるで燃え尽きた灰のような様相を晒している。ただかすかに上下する胸の動きだけ、彼が、まだ人としてこの世に存在していることを表していた。
クロノはその様子を見つめながら、確信する。
勝った、と。
魔法少女リリカルなのは Verbleib der Gefühle
第二十五話 『Ragnarøk 』
力を使い果たし、いうことを聞かない体に鞭を打って首をめぐらす。皆、クロノと同じように全力を使い果たしたせいか、身動きが取れないようだ。特にエリオとリンディは意識を失ってしまっているようだが、規則正しく胸が上下していることから命に別状はないようだった。
誰も死んではいない。失ってはいない。
「……」
奇跡、のどまででかかったその言葉をクロノは飲み込む。この勝利は、そんな簡単な単語一つで片付けていいものではない、そんな感じがしたのだ。かわりに、この勝利を次につなげるための言葉をつむぐ。
「スバル、スバル! 動けるか!?」
この勝利は、あくまで一時的なものに過ぎない。完全なものとするためには、ギンガたちを、ヴィヴィオを無事、離脱させなければならない。
ガジェットのほとんどがこの魔力の暴走を抑えるために失われた。クロノたちとの戦いにより戦闘機人も消耗している。さらにスバルが一機を捕らえたという話も聞いている。
敵の戦力は半減しているといっていいだろう。傷を負っているなのはと、病み上がりのギンガだけでも突破できる可能性は高い。だが、万全を期するために、魔力を使い果たしても戦闘機人として行動が可能なスバルに声をかける。
「スバル、スバル!」
「……あ、はい」
クロノの何度目かの呼びかけに、スバルは、はっとしたように返事をする。
「ごめんなさい、システムの再起動がかかっちゃって……」
「再起動?」
「もっと出力を上げられないかな、と思って動力炉も起動してみたんだけど……」
スバルは、ばつが悪そうに笑いながら言う。クロノはその言葉を聞いて思わず言葉を失ってしまった。
戦闘機人の動力と魔導師としての魔力は似て異質なるもの、クロノが知る限りでは、決して交じり合うものではなく、同時に使えるはずがないものであった。
「なんて無茶を……」
「スバル! どこか異常ない!?」
クロノが驚愕より立ち直るより早く、スバルの母である、クイントが娘の下に駆け寄る。クロノと同じように力を使い果たしていたのにもかかわらずその動きはとても速かった。
「うん、大丈夫だよ……」
スバルは母親に心配されて、嬉しがっているような恥ずかしがっているような態度で答える。スバルに異常がないことを確かめたクイントは、ほっとしたような様子を見せた後、表情を一変させる。
「スバル! 今のが儀式魔法だってことは分かってたわよね?」
「え、うん……」
「なら、何で、そんなことをしたの!? 儀式魔法が繊細な物だって言うのはスバルも分かっているでしょう? 士官学校で何を習ってきたの!?」
「う、うん、それは分かっていたんだけど、あのままじゃあ出力が足りていない気がして……それに、ずっと前だけど、相手の戦闘機人の人が、戦闘機人としての力と魔力を同時に使っているのを見たから、私にもできるかなぁ、って思って……」
「出来るかな、って言うあいまいなことを、こんな大事なときに試すんじゃないの! 失敗したら皆死んでしまったかもしれないのよ!」
心配した分、怒りも大きいのだろう。クイントの剣幕にスバルのたじたじになりながら言い訳は通用しない。スバルは視線で体を起こして近づいてきたクロノに助けを求めてくる。クロノとしても言いたいことはクイントと同じなので、普段であれば放っておくのだが、現状で問題がないのなら、クロノとしてはスバルには早く、ギンガたちの下に向かって欲しいので、助け舟を出すことにした。
「まあ、クイントさんその辺で……スバルには、ギンガたちの下に向かってもらわないといけないですから」
「ですけれど、クロノさん……」
「まあ、スバルには後で僕からも言って聞かせますから……スバル頼めるか?」
まだ憤っているクイントをなだめてから、スバルのほうに向き直る。
「え、えと、うん。でもお兄ちゃんやお母さんたちは?」
スバルは自分がやらなければならないことを理解してはいるが、クロノたちが心配でここを離れづらいのだろう。
クロノはその心配を取り除くために言葉を続ける。
「さっき、ゲンヤさんから連絡があって、動けるものをこちらにまわしてくれるそうだ。あと、スバルが捕らえた戦闘機人、ノーヴェのほうにも人を送ってくれたそうだよ」
「……うん、わかった」
スバルはクロノの言葉に納得したのか、元気よく返事を返す。
「……ああ、頼む」
結界が破れたことと、AMFが薄まったことにより外の部隊との通信も回復した。あと少しで精鋭を乗せたヘリ部隊が到着するとのことだった。スバルが、合流すれば、たとえ相手に予備戦力があったとしても援軍が到着するまで充分耐えられるだろう。
事態は信じられないくらいに好転した。少し前までに感じていた絶望感がまるで嘘のように。
だから、そのあまりのかわり具合のためか、クロノはどうしても不安を拭い去れないでいた。何かとてつもない落とし穴があるような気がしてならなかったのだ。
「じゃあ、行ってくるね。ん、どうかしたの。お兄ちゃん?」
ギンガたちのもとに向かおうとしたスバルはクロノの様子に気がついて足を止める。
クロノが感じているそれは何の確証もない勘のようなものだった。だが、その戦場の勘といわれるものに何度も命を救われてきたクロノは懸命に思考を回転させ、同時に周囲に意識をめぐらせる。
だから、その音に気がつくことが出来たのかもしれない。
踏みしめられる地面があげる唸り声と、引き裂かれる空気があげる悲鳴に。
「スバル!」
「え?」
きょとんとしているスバルを突き飛ばす。それと同時に三条の光の閃きが走る。
それは無駄がなく洗練された動きだった。少ない魔力で最大の威力を生み出すために練られた技。
ゆえに、事前に気がついたクロノであっても、スバルを突き飛ばすことしか出来なかった。
三条の光の閃きから、突き飛ばされたスバルは逃れることが出来た。スバルを突き飛ばしたことによって体勢を崩していたクロノは左腕を掠めただけですんだ。だが、残る一人は……
「な、なんで……たい……ちょう……」
背中に突き抜けた閃きは、輝きを失っている。かわりにクイントの胸から吹き出るものが、口から吐き出されるものが閃きと、あらゆる色彩を失い灰となっていたものを赤く彩っていく。
「何故……」
致命傷、すぐにそうと分かる傷を負ったクイントと、その傷を負わせたゼスト。クロノは理解が出来なかった。確かに、ゼストは先ほどまで操られており、敵として戦っていた。だが、ゼストは部下の命を救わんがために、ミッドチルダを守るために、それに全力で抗い、結界の破壊に協力して、その反動でほとんどの力を失っていたはずであった。
だが、これは力を失ったがゆえの皮肉な結果であった。
コンシデレーション・コンソール 。膨大な魔力という壁に遮られ、完全な効力を発揮できないでいたスカリエッティの操り糸が今その役目を全うせんと、動き出したのであった。
「……」
ゼストはクロノの問いに答えない。槍に突き刺さったままのクイントの体をまるで傘についた雫を振り払うように打ち捨てると、低く構えクロノを見据える。
その瞳は、返り血により、まるで赤い涙を流しているように見えた。
「お、お母さん……? お母さん……わああああああああ!!」
その光景を、打ち捨てられて身動き一つしなくなったクイントを見たスバルが叫び声をあげる。瞳の色が金色に変わり、戦闘機人として起動する。
「スバル、待て!」
暴走したスバルにクロノの制止は届かない。いや届いたとしても押しとどめることは難しかっただろう。それほどまでにスバルは力強く踏み込んでいた。己を持つすべてを母を殺した相手に叩きつけんとしていた。ゆえの暴走。
後先考えないで出されたその力はSランクにも匹敵したであろうか。
対して、ゼストからはほとんど魔力は感じられない。埋め込まれたレリックはすべて力を失い、まるで暴風のようなスバルに比べれば、頼りない草木のような存在に過ぎない。
だが、それゆえに、決して折れない。
暴風のようなスバルの攻撃を、まるで柳のようにかわし、受け流す。積み重ねられた修練だけがなしえる達人の動き。
ゼストはスバルの攻撃をいなし、すれ違いざまに攻撃を積み重ねていく。だが、一撃は軽かった。すべての魔力を使い切りバリアジャケットすら纏っていなかったクイントは貫けた、だが、暴走により力が増したスバルのバリアジャケットは浅く引き裂くことしか今は出来ないでいた。
「スバル、落ち着け!」
クロノは、力を使い果たし満足に動いてくれない自分の体を呪いながら、必死に声を上げる。
暴走による力の増加は長く続くものではない。力を使い果たせば、たどり着く結果は分かりきっている。だから、スバルを落ち着かせるために声を張り上げる。
「スバル!」
だが、その声は母を失い、自分さえも見失ったスバルに届くことはない。
「お母さんを……お母さんを!」
スバルは拳を振るい続ける。だが、それは決してゼストの体を捉えることが出来なかった。拳が一撃振るわれるごとに暴風は弱まっていく。
そして……
「くう!」
ついに、槍の穂先が暴風を潜り抜け、スバルを引き裂く。左の腿を深く貫かれたスバルはバランスを崩し倒れこむ。
「動いてよ、動いてよ、何で動かないんだ、お母さんの仇を取らないといけないのに……」
暴走による反動か、一度倒れてしまったスバルは、再度立ち上がることが出来なかった。悔しそうに自らの足を拳で叩くが、言うことを聞いてくれる様子はまったくない。
立ち上がることが出来ないスバルに、大きな影が落ちる。スバルがそれに気がついて見上げるとゼストがスバルに止めを刺さんと槍を振りかぶっていた。
迫る死期。だが、スバルはそれを眼前にしても叫び続けた、求め続けた。
「お母さんを……お母さんをかえしてよ!」
魂からの叫び、願い。
それは……
「スバル!」
クロノの叫びは届かず、槍は振り下ろされる。
だが、スバルの母を求めた叫びは確かに届いていた。
そして、それは新たな暴風を生む。
スバルのもとに冷たい槍の閃きは届くことはなかった。
かわりに、温かい雫が頬を打つ。
「……ノーヴェちゃん……?」
スバルの瞳は、姿かたちは違うけれど確かに『母』を感じる存在を映し出していた。