一番、三番、六番、七番、十一番の肋骨骨折。その破片によってできた複数の内蔵の損傷。限界を超えた酷使によるリンカーコアの磨耗。右上腕部分より下部の切除。
それが医者から伝えられた負傷の状態。
聞いたときは、まるで何かの呪文のようだと、他人事のように思ってしまった。
「……ふう」
もう見慣れてしまった白い天井を見て、もう何度目だかわからないため息をつく。
やることがない。
何もさせてもらえない。
約束してしまった手前、それをおおっぴらに破ることもできない。
だが、ばれないように、こっそりと動くことができないわけではない。
痛みを我慢すれば、歩くことくらいはできるのだ。
資料室に行き、今まで得られたデータを検討し、または無限書庫に足を運ぶことくらいならきっとできる。
医療担当者の制止なら振り切ることができる。
後遺症が残ることがなんだというのだ。
今、こうしている間にも罪もない人々が犠牲になっているかもしれないのだ。
だから、できることを少しでもすすめておかなければならない。
でも、それは許されなかった。
自分の行動は読まれていたのであろうか。
「ん? お兄ちゃん。どうしたの? 喉がかわいたの? お水飲む?」
天井を見上げて、動きを止めている自分の顔を監視者が覗き込んできた。
その小さな手には、水差しが握られている。
何故か、表情はどことなく嬉しそうだ。
「ん……いや、いい。ありがとう」
自由に動く首を横に振る。
「……そう、じゃあ、りんご食べる? 剥いてあげるよ!」
「……ああ、頼む」
特に食欲はなかったが、その勢いのよさに負け、首を立てに振る。
「うん! じゃあ……」
監視者は元気よく返事を返すと、山のようになっている果物の籠から赤々と熟したりんごを取り出し、
「んしょと」
当然のように果物ナイフを手にとった。
「あ……」
気づいたときには、もう遅かった。
現状に対する不満に気を取られすぎていて、すっかり忘れていた。
「ま、待て!」
不器用というわけではない。
だが、まだ慣れていないのだ。
微妙な力加減に。
その与えられた機人としての力の制御は普段はうまくできている。
だが、慣れていないりんごを向くという行為、刃物を扱うという緊張感が、それを誤らせる。
「……あ」
「……しょうがない」
「ごめんね、お兄ちゃん」
なんとか動く左手で、顔についたりんごの破片をぬぐう。
「気にしないでいいよ、そのうち慣れるさ」
「ごめんね、ごめんね」
涙目になりながら、一生懸命、飛び散ったりんごを片付ける監視者。
「……これ、もう換えないとだめだよね?」
「……ああ、そうだな」
ベッドのシーツは飛び散ったりんごによって、随分と汚れてしまっていた。
「ばれないうちに片付けないとな……」
「うん……」
大惨事になってしまったとはいえ、自分のためを思ってやってくれたこと。
そのことで、怒られているのを見るのは忍びない。
だから、痛みに耐えて、シーツが換えやすいように体を動かしたのだが、
「失礼します……ああ、スバルまたやった!」
時はすでに遅し。
監視者の片割れが戻ってきてしまった。
「もう! だからやっちゃだめって何度も言ったでしょ!」
「うう、ごめんなさい」
「クロノさんも、クロノさんです! 果物が食べたくなったら私に言ってください!」
「……すまない」
雷は監視者をうち、それどころか、こっちにまで飛び火してきた。
手際よく飛び散ったりんごを片付けた、片割れはベッドの横の椅子に腰を下ろすと、新しいりんごを手に取った。
「本当にもう……」
監視者からナイフを奪い取った、片割れによって綺麗に向かれていくりんご。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
差し出された、綺麗に切り分けられたりんごを、受け取って口に運ぶ。
「……どうですか?」
「うまい……」
ただ皮をむかれただけのりんごは、何故か、普通より甘く感じられた。
「よかった……」
嬉しそうに微笑む、監視者の片割れ、ギンガ。
「むぅ~~~、お姉ちゃんばっかりずるい! 私もおにいちゃんのお世話するんだから!」
その隣で頬を膨らませている、監視者、スバル。
今日の当番はこの姉妹であった。
この姉妹のように、毎日必ず誰かが監視に、いや、世話をしに顔を出す。
母であったり、姉妹であったり、幼馴染であったり。
いろいろと世話を焼いてくれることはありがたいのだが、なんと言うか、まったく自由がないのは困りものであった。
それに、まだ姉妹や、幼馴染の場合はいいのだが、母に関しては世話をしにきているのか、世話をさせにきているのか謎なところがある。
はい、と義妹を、自分の隣に座らせて、そのまま立ち去るというのは、一体何を考えているのだろうか。
まだ、義妹にどう接していいか、いまだにわからない自分は、母が迎えに来るまで、ずっとにらめっこをしている羽目になるのだ。
「ふう……」
「どうかしたんですか? クロノさん?」
「どうしたの? お兄ちゃん?」
ため息に、反応して、こちらを見つめてくる姉妹。
「ああ、なんでもない……」
一人の時間が欲しいとは、さすがに言えないので、ごまかしておく。
こうやって、病院のベッドに縛り付けられて、三ヶ月。
いい加減、いろいろと窮屈になってきた。
だが、医者に言われなくても、まだ自分の体が万全ではないことはわかるし、それに、
「……クロノさん、まだ右腕出来上がらないんですね」
「ああ、あれは、まあ、いろいろと特殊だからな」
片腕のままでは、現場に出ても邪魔になるだけだからだ。
「いつぐらいになるのかな?」
妹分が身を乗り出して尋ねてきた。
自分のこと以上に、この右腕のことを気にかけてくれているようだ。
その気持ちはわからないでもない。
なぜなら、今、自分のために作られているような、最新型の義手は、全て、彼女達から得られたデータを下に作られているのだから。
いろいろと悩みの種に、なっている自らの体が、親しい人の手助けになるかもしれないのだ。
どんな結果が出るか気が気でないのであろう。
「出来上がるまでに、あと二ヶ月、調整に一ヶ月。まともに動かせるようになるのは今年の暮れだろうな」
「……まだ、そんなにかかるんだ」
自分の返答に、顔を曇らせる妹分。
「ああ、別に、義手の技術のほうに問題が合ったわけじゃないぞ。僕の注文が特殊すぎただけだから」
技術のほうに問題が合ったとしても、別にこの姉妹の責任ではないのだが、あまりに深刻そうな表情をしていたので、それが、少しでも和らげばと、左手で頭を優しく撫でる。
「えへへへ……」
気持ちよさそうにされるがままになっている妹分。
「ん、もうクロノさん、スバルを甘やかしたらだめです!」
そして、もう一人は何故か、不機嫌になっている。
「ああ、すまん……」
自分も、何故か謝罪の言葉を述べている。
何がなんだかよくわからない。
よくわからないうちに、先ほどまで平穏だった病室は、混沌の場と化している。
「はぁ……」
天井を見上げてため息をつく。
姉妹の目があるとわかっていても、止めることができなかったのだ。
もう、これは癖になっている。
直さねばならない悪い癖だとはわかっているが、おかれている状況が、それを許してくれないのだ。
この場を幼馴染にでも見られでもしたら、またうるさく言われてしまうであろう。
「ほら、また。ため息は、幸せを逃すって何度も言ってるでしょ。こんな可愛い女の子に囲まれて何が不満なんだか」
と。
「あ、エイミィお姉ちゃん」
「やっほー、どう、この馬鹿、なんか無茶しようとしてなかった?」
「いえ、ちゃんとおとなしくしてましたよ、ね、クロノさん」
「……ああ」
あまりのタイミングのよさに、なんと言葉を返していいか、わからずにいると、
「そう? でも、この馬鹿はどうせ、こっそり抜け出して仕事しようとか考えてるんだから、油断しないで見張っていないとだめだよ?」
まるで心を見透かしているような発言までしてきた。
やはり、こちらの行動は完璧に読まれているようだ。
この様子では、この見張り番を提案したのも、この幼馴染であろう。
「そんなことありません! クロノさんはあのときちゃんと約束してくれましたから!」
「うんうん、そうだね。クロノ君は真面目で正直すぎるから……」
聞いていると若干心が痛んでしまう、強い弁護。
それをあっさりと受け流す幼馴染。
「はい、これ差し入れ」
果物の籠が、さらに一つ追加される。
「……これを全部食べろと?」
「果物は健康にいいんだよ」
「それは、そうですが、これはさすがに多すぎだと思うんですが……」
顔を出すたびに、何かしら果物を持ってきているのだ。
さすがにこれは一人では食べきることは難しい。
「……うーん、そうだね。でも、まだ時間はかかるようだし、それにみんなで食べれば、これくらいは。スバルちゃん、食べる?」
そういって、りんごを一つ、妹分に差し出す幼馴染。
「……お兄ちゃん?」
こちらの様子をうかがってくる視線に、微笑みをうかべて、
「うん、いいよ」
うなずきをかえす。
この妹分は、元気よく、本当においしそうに物を食べる。
見ているほうが気持ちよくなるくらいに。
だから、このまま痛んでしまうよりは、妹分に食べてもらったほうが間違いなくいい。
りんごを皮のついたまま、丸齧りする妹分。
それをほほえましい気持ちで眺めていると、
「……」
ちょっとした表情の変化に気がついた。
「ギンガも、ほら」
自分でも一つりんごを取り、姉のほうに手渡す。
「え、えと、クロノさん?」
「いいよ、食べて」
しっかりしたところはあるが、姉妹なのだ。
それに何度もこの姉妹とは食事の場をともにしている。
だから、わかっているのだ。
「ほら、遠慮しないでいいよ。どうせ、こんなにたくさんは、僕一人では食べきれないのだから」
「はい、ありがとうございます」
小さく会釈をしてから、りんごを食べ始める姉。
でも、何か気にしているのか、妹のように大きく齧らずに、小さ、く少しずつ齧っている。
「ふ~ん、なるほどねぇ」
「どうかしたか? エイミィ」
なにやら、うなっている幼馴染に、いぶかしげな視線を送ると、
「いや、なんでもないよ……でも、わかっていたけど、クロノ君も本当に……ねぇ」
よくわからない返答が帰ってきた。
「……何が言いたいんだ? エイミィ?」
「いや、本当に何でもないよ」
「そうか、それで、今日はなんのようだ? 昨日、来たばかりだったはずだが」
今日は監視の当番ではないはずだ。
そう意味を込めた視線を送る。
「うーん、可愛い弟分の様子を見に来るのに理由はいらないと思うけど、まあ、いいや、はい、これ、おじさまから」
「ん? 何だ、これは?」
渡されたのは分厚い封筒。
「飴だよ。鞭ばかりでは持たないでしょ? ちゃんと進んでいるから、しっかりと療養しなさいって」
「……ああ、なるほど」
封筒の中身を開いてみれば、それは捜査状況が記された書類の束であった。
ざっと、目を通してみると、さすがとでも言えばいいのだろうか、あの不良中年ならではの手法で確実に捜査が進んでいるのがわかる。
「そうか……なら、しっかりと治さないとな」
「うん、そうそう。肝心なときに働けないとだめだから、今はしっかりと休もうね」
義手が完成するのに、あと三ヶ月。
あとは、それをうまく使えるようにリハビリ、と戦闘訓練で半年は必要だ。
この捜査の進行具合から言って、ぎりぎり間に合うかどうかといったところ。
気持ちを落ち着けて、ベッドに体を横たえる。
「うんうん、えらいぞ」
それを見て、喜ぶ幼馴染。
だが、
「……で、まだほかに話があるんだろ?」
その表情にはどこか曇りがあった。
はやる気持ちが治まったことでやっと、それに気づくことができたのだ。
この能天気に見える幼馴染が、表情を曇らせるような悩み。
それに自分のことばかりで、気づけなかったことに若干の怒りを覚える。
「ええと、わかっちゃう?」
「まあな、長い付き合いだからな」
「うんと、どうしよう……」
まだ、話しづらそうにしている幼馴染。
「……そうか、ギンガ、スバル、悪いが少し席をはずしてもらってもいいかな?」
「はい、わかりました。スバル、いくよ」
「うん、お兄ちゃん、またあとでね」
手を小さく振って部屋を後にする姉妹。
「これでいいか?」
それを見送ったあと、視線を幼馴染に戻す。
「うんと、言いにくかったのは、そのせいだけじゃなかったんだけど……気づかれちゃったのならしょうがないか。どうせ、もう話さないと納得してくれないでしょ?」
「ああ」
「もう、聞いても、ちゃんとおとなしくしてるんだよ。どうにもならないんだから」
幼馴染は、そう前置きしてから、表情を曇らせている理由を話し始める。
それは、アイケイシア崩壊後のそれにかかわった人たちの状況であった。
「そうか……提督が……」
「うん、ひどいよね」
救えたのはたった千五百二十六人。
経済にあれほどの大きな打撃を与えたのにもかかわらず。
湧き上がる大きな非難。
それを誰かが引き受けなければならなかったのだ。
「左遷だ、なんて」
提督は、局の中では反主流はとなってしまっている。
それでも、重要な役職にいられ続けたのは、その能力と功績がゆえ。
しかし、今回の案件は、それを揺るがすには充分なものだたようだ。
「ああ、でも、それは仕方がない。救えなかったのは事実なんだから。誰も責任を取らないよりはずっといい。でも……」
提督は己の責務を果たした。
だから、罰せられるべきはほかにある。
「でも?」
「……いや、なんでもない」
今は、まだ無理だ。
だから、それは心のうちにとどめておく。
それに、
「ああ、だが、次の役職は、資料室長か」
今は、この幸運を喜ぼう。
「安心して、エイミィ。レティ提督は、きっと喜んでいるよ。このタイミングで、その役職に就けたことを」
心配そうにしている幼馴染を励ますために、微笑みを向ける。
アイケイシアの事件が起こる直前、提督には捜査の進行状況を全て話してある。
だから、今、何が必要なのか、理解しているはずだ。
資料室長。
それは、捜査や観測でえられた情報や、古代の書物などを一手に管理する役職。
その下には、あの無限書庫もあるのだ。
きっと、必要な情報を集めだしてくれるだろう。
「わかったよ、クロノ君がそういうんなら、そっちはもう考えないようにしておくよ。でも……」
「高町か……」
幼馴染の表情を曇らせているもう一つの原因。
そちらのほうを、取り除く、言葉は見つけることはできなかった。
元々、提督の指揮下に会った少女。
今の提督には、もうそちらにかかわる権限はない。
だから、少女が、提督の元を離れ、所属が別になるのは当然のこと。
今までは、どんなに、あの少女が無謀な、無茶苦茶なことをしようとしても、最終的な制御は提督が行ってくれていた。
「もう、艦付きになっちゃったみたいだから、顔も見ることができなくって、どうしているのか、心配で心配で」
最後にあったときは、もう抜け殻のようだったと、幼馴染は言う。
そのような状況で、庇護してくれていた提督の下を離れてしまったなら一体どうなるであろうか。
「……リストを」
「え、なに?」
「殉職者のリストには、名前はないんだろ?」
幼馴染は、大急ぎでウィンドウを開き、ざっと、目を通す。
「ええ、うん」
「ああ、当然そうだろうな」
「え、え?」
「心配しないでいい。きっと何とかなる」
それは何の裏づけもないあやふやな保証。
だが、自分は、それだけは何故か確信を持っていた。
「ええと、クロノ君?」
「ああ、保障する。あの馬鹿には傷一つつかない」
「……うん、わかった」
自分の自身ありげな笑みに、幼馴染は納得したようにうなずく。
「……ああ、保障するよ」
少女は守られているから、約束に、誓いに。
あの時、何故か自分だけに見えた唇の動き。
もしかしたら気のせいかもしれない。
でも、何故か、それは信じる気になれるのだ。
「うん、そうだね。ごめんね、お見舞いに来たはずなのに、逆に励まされちゃった」
「まあ、頼りない姉を支えるのはできた弟分の役目だからな、気にするな」
「もう! まあ、今回は譲っておいてあげるよ。じゃあ、ギンガちゃん達呼んでくるね」
そういって、幼馴染は席を立ち、姉妹を呼びにいく。
「ふう……」
一人になり、小さく息をつくと、幼馴染が開きっぱなしにしていたウィンドウが目に入った。
「今月だけでも、六十七人か」
最近、増加傾向にあるその数字。
その一つ一つの名前を刻み込むように読んでいく。
いまだに、端がまったく見えない、広がり続ける次元世界。
足りない人手。
増えいく殉職者達。
このままでは遠からず、管理局システムは崩壊するであろう。
だからなのだろうか?
彼らが、犠牲を出してまで力を求める理由は。
「ティーダ・ランスター……」
リストの最後の一人の名前を小さくつぶやく。
言葉が見つからない。
自分は、このリストに名前が載っている人々になんと言えばいいのだろうか。
そして、なにができるのだろうか。
「お兄ちゃん!」
元気な声とともに、扉が開く。
「こら、スバル、静かに、ここは病室なんだから!」
続けて響く、それを叱る、同じように元気な声。
「うふふ、ギンガも声が大きいよ」
こぼれる笑み。
その光景を見て理解する。
きっと、こんな光景なのだろう。
「本当に……」
ウィンドウを閉じながら、入ってきた三人に微笑みを返す。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
「何か、いやらしいことでも考えてた?」
「クロノさんは。、そんなこと考えません!」
「いや、でも、クロノ君、以外にムッツリの素質ありそうだよ?」
さらに騒がしくなる病室。
だが、これでいい。
「本当に」
リストに名前が載っている人たちが守りたかったのは切ったこんな光景。
そして、自分が引き継いでいかなければならないのはその想い。
だから。
天井を見上げて、小さくつぶやく。
「早く治さないとな」
それが、きっと、今の自分にできる一番のことだから。