「……ったく、どうしたてぇんだ一体、ん、エリオ?」
やっとのことで捕まえた息子を抱き上げてその顔を覗き込む。
急に走り出したからには訳があるはず、そう考え、視線で問いかける。
しかし、それに対して返ってきたのはきょとんとした表情。
「わかんない」
「ん、そうか、まあ、あんまり心配をかけるんじゃねぇぞ」
「うん」
「うし、じゃあ、ギンガたちはまだ時間かかるから、坊主の様子でも見に行くか」
「うん」
いつもと変わらない、息子の様子に抱き上げたまま、髪の毛をくちゃくちゃにかき混ぜてやる。
息子は少しいやそうにしていたが、気にしない、いつものことだ。
そう、いつものこと。
息子のとっぴな行動は別に今回に限ってのことではない。
そして、それは日増しに表に出ることが多くなってきている。
――こればっかりは、退屈しねぇから良いってわけにはいかねぇからな。
息子、エリオを受け入れたときの経緯を思い出す。
この子は、さして珍しくもなくなってしまったプロジェクトFに関係する研究施設への踏み込み捜査を行った際に保護した子供だ。
だが、それは良い。良くはないが問題はない。生まれそのものはギンガたちと似たようなものなのだから。
ただ、エリオの場合はギンガたち戦闘機人とはまた違った問題を抱えているのだった。
元々プロジェクトFによって生み出された素体には、生前と違ったリンカーコアが宿ることが多い。
だから、魔導師ではなかったモンディアル家の子供の素体にリンカーコアが宿ることはなんら不思議なことではなかった。
しかし、二つとなれば話はまったく違ってくる。
うちひとつがまったく稼動していないといえど、二つものリンカーコアを持っている生物は他にはまだ見つかっていない。
だからこそ、モルモットとしてあの腐れにいいようにされていたわけだが、そのこと自体は家族として迎え入れることが出来た、今も実はあまり変わってはいない。
条件として義務付けられた定期健診。
避けられぬと分かっていても忸怩たるものがある。
――面倒なことだな。本当に。
表情に出さないように、心の中でため息をつく。
そして、その検診によって知らされる内容。
結果的に、成長のため、今後のために役立つ内容の娘達の場合と違い、息子の方は悲観的なものばかりだ。
プロジェクトFを研究していた施設が、謎の爆発によって、根こそぎ失われてしまった今、息子に対してどういう処置が施されていたかは分からない。
だが、結果として残っているのは、あまりにもひどいものであった。
『複数の記憶が移植された可能性があります』
検診を担当している技師から聞かされた言葉。
その声はあまりにも抑揚がなかったため、まるで機械音のようであった。
『どういう目的で施されたか分かりませんが、最低でも一つ、基本となったエリオ・モンディアルのもの以外にも記憶が見受けられます。現在は主人格としてエリオ・モンディアルが表に出ていますが、それがだんだんと侵食されていっています。このままでは遠からず、人格が崩壊する可能性があります』
あくまでも事実のみを報告しようとしているのだろう。
抑揚どころか、表情まで消した技師の女性は、普段娘達の相手をしてくれているときとはまったく違った人間のように見えた。
だが、それはきっと彼女なりの優しさなのだろう。
それが理解できたために、俺はその場では何も言うことが出来なかった。
残された時間は、二年か、一年か、それとも半年か。
まったく予想が出来ていない。
その重すぎる事実ゆえに、このことを妻にさえも相談できていなかった。
――あの喜びようを見ちゃあな……
新しく出来た息子に、弟に喜びの表情を見せる、妻と娘達。
それに水を差す気にはどうしてもならなかったのだ。
知らせずにどうにか出来るなら――その想いがゆえに、娘達の検診にかこつけて、息子を連れて技師に相談に来たのだが。
「ん、どうした? エリオ」
「……」
腕の中にいる息子は上の空で虚空を見つめている。
こちらの問いかけにもまったく反応を示さない。
「……エリオ?」
「……」
視線を遮るように覗き込んでも、その奥を見続けている。
――ああ、こりゃ……
息子ではない何かが表に出ていることを悟り抱き上げていた、その体を地面に下ろす。
こうなっては様子を見守るしか方法がないのだ。
じっと虚空を見つめたまま動かない息子。
どれくらいの時間そうしていただろうか。
「……お父さん」
「ん、どうした?」
「あっちに行きたい」
「あっち……?」
指し示された方をみる。
そこにあるのは空に擬装された壁。
ここは本局の外縁部、だからその向こうにあるのは何もない空間でしかない。
「あっちって、おめぇ……」
「……泣いているんだって。だから行かなきゃならないんだって。まだ伝えられてないことがあるから」
「ふむ、なるほどねぇ……」
今、俺と話しているのは間違いなく息子。
でも、息子にそれを言わせているのは、息子の中にいる別の誰かだろう。
息子の中にいる、息子でないものの願い。
はっきりとした理由は分からないが、それを叶えることが息子のためになると感じられた。
「あっちって、詳しくどこだか分かるか?」
「……あっち」
「そうか……泣いているのはどんな子だ?」
「女の子……」
「……そうか、わかった」
ぐりぐりと頭を乱暴にかき混ぜてから、再び息子を抱き上げる。
息子の中にある記憶に関係ありそうな人物で、泣いている女の子。
それに少しだけ心当たりがあった。
数度しか顔をあわせたことがないが、表に出さず泣き続けていることがはっきりと分かった少女。
その少女は息子が保護された作戦に参加していたと聞いている。
そして、今このタイミング。
失われてしまった、助けることが出来なかったと嘆いていたエイミィ。
まだ出来ることがある、全力を尽くしていないといいきったクロノ。
きっと関係があるはずだ。
「さてと……坊主達はどこに向かったかな」
「坊主、あっちらしいぞ」
「あっち……ですか?」
「ああ、そうだ」
蜂の巣をつついたように大騒ぎになっている無限書庫にやってきた不良中年はいきなり僕にそんなことを告げてきた。
いつものように泰然としているその表情からは、まったくその意図が読み取れない。
指差された方を見てみても、そこには整理されていない大量の本があるばかり。
「……あっち……ですか?」
「ああ、そうだ。お前ぇさん、高町の嬢ちゃんを探しているんだろう?」
「え、はい、そうですが……」
「泣いているってよ……そうだろ? エリオ」
意味が分からず問い返した僕に、不良中年は大きく頷いた。
そして、説明をしてもいないのに、今僕達がやっている作業を言い当ててきた。
まったく理解出来ない。
それにその後のやり取りを見ていると、どうやら、あっちといっているのは腕に抱かれているエリオのようだ。
エリオの生い立ちが少し特殊なことは僕も知っているけれど、それが何で今やっていることに関わってくるのか、まったく理解が出来ない。
エリオの方を見ても、向けられた視線の意味が理解出来ないのだろう。
きょとんとして僕を見返している。
「……どういうことです? ゲンヤさん」
「俺にもわからん。だが、あっちらしいぞ。まあ参考程度に頭の中に入れておいてくれ」
「……そうですか、わかりました」
「ああ、そうしてくれ。で、今何をやっているんだ? どうやら、こっちにも関わってくるようだから、休日返上で手伝うぞ」
エリオを降ろして腕まくりする不良中年。
意図はまったく分からなかったが、今は一人でも人手が欲しい。
それに、ゲンヤさんの指揮監督能力は僕も良く知っている。
「資料を探しています」
「資料? まあ、ここでやることなんてそれくらいしかねぇだろうが、何のだ?」
「ええ、このロストロギアのです」
そういって、ゲンヤさんに今判明していることを記した資料を投げ渡す。
「ロストロギア『Door Reise』ねぇ」
「ええ、ミッド語に無理やり訳すと、『旅の扉』です」
「んで、これがどうかしたのかい?」
「ええ、そのロストロギアが、今回の事件に関わってきたものなのですが……」
言葉を濁す。
さっきのゲンヤさんの台詞ではないけれど、これは僕の憶測でしかないのだから。
「まずはこれを聞いてもらっていいですか?」
待機状態のS2Uを差しだして、録音していた音声を再生する。
「……なんだ? これはミッド語じゃねぇな、そうすると古代ベルカ語か? 俺にはまったくわからねぇが」
「ええ、似ていますが、古代ベルカ語よりさらに古いようです。騎士カリムはそう言っていました」
「……って、お前ぇさん、随分と無茶をするな、くそ忙しいだろうカリムの嬢ちゃんに翻訳を頼んだって言うのか」
「ええ、こっちも時間がありませんでしたから」
身内がしでかした大事件に、教会は今大騒ぎになっている。
まとめ役として忙しいはずの騎士カリムであったが、僕の願いを快く聞き届けてくれた。
その理由は、はっきりと分からないが、今はそこまで気にしている余裕はない。
「ええ、これが避難を誘導する場内アナウンスのように聞こえたので、気になっていたんですが……予想通りでした。最後の聞いてもらっていいですか?」
「ふむ……なるほどな」
「ええ、さすがに正確な翻訳は騎士カリムでも難しかったようですが、大体の意味はつかめました」
一言で言うんなら、転送すると言っているのだ。
施設の安全が確保できない状態になったため、安全な場所まで。
「なるほどねぇ……この翻訳が正しくて、さらに、そのロストロギアが正常に作動していれば、高町の嬢ちゃんは生きている可能性が高いって言うことか」
「ええ、僕が直接触れてみた感じでは、あれは暴走はさせられていても、正常稼動しているように思えました。ならば、安全装置みたいなものがあってもおかしくはないかと」
「ふむ、だから無限書庫か……」
「ええ、本局待機を命じられた身では、どうせこれくらいしか出来ることはありませんし……」
「よし、わかった手伝わせてもらうぜ。で何をすればいい?」
「では、こちらの区画の指揮をお願いします……なにぶん広すぎる上に、整理がほとんどされていないので……ふう」
ゲンヤさんに指揮を頼むために、視線を落とした無限書庫の見取り図を見てため息をつく。
レティ提督が管理者になって、整理が随分と進んでいるが、無限書庫はその名が示すとおり、高層ビルを丸々飲み込んでしまえそうな広さ一杯に詰め込まれた資料が散乱している。
一年間という短い時間と、限られた人員ででは、いかなレティ提督といえど、焼け石に水といった程度のことしか出来ていない。
だから、待機を命じられた人員をかき集めて、資料の捜索に当たっているけれど、まだ何も見つけることが出来ていない。
――時間がないというのに。
今まで無限書庫を整理しようとせず放ったらかしにしていた歴代の管理者に怒りがこみ上げてくる。
高町の傷は深い。
応急処置はしてあるが、そのままであったのなら数日も持たないだろう。
一緒に飛ばされた被験体の少女が、先のように治癒魔法を使ってくれる保障はどこにもないのだ。
いや、それ以前に、同じ場所に飛ばされているという保証もない。
緊急避難場所に指定されている転送先が一つとは限らないのだ。
焦燥が心を焼き尽くす。
僕はあの時、高町に大見得を切った。
無駄になんかならないと。
全力を尽くしたことにちゃんと意味があるのだと。
だから――
「…………おい、坊主! 聞こえてるか!?」
考えに沈んでいると、突然肩を強くつかまれ振り向かされた。
「……ゲンヤさん、なんでしょうか?」
「って、おめぇ、さっきからずっと呼んでいるのに、ここなんだがよ……ん、坊主?」
「なんでしょうか?」
「お前ぇさん、目、どうした?」
「ああ、これですか……」
誤魔化すように、視線を遮るように、手のひらを右目に当てる。
「たいしたことはありませんよ。一時的なものです。診断魔法は走らせましたから、時間がたてば治ります……」
「って、たく。お前ぇさんは、またそういう無茶を……誰かエイミィの嬢ちゃんを呼んで来い! 坊主を医務室に引きずっていけって!」
「いや、平気ですから……」
「いいからちゃんと診てもらえ。大事になったら、どうするんだ。お前ぇさんが倒れたら、大変なことになるんだぞ?」
「ええ、それは分かっていますが……」
「だったら、おとなしく言うことを聞け……戻ってくるまでこっちは見といてやるからよ」
呼ばれた、幼馴染が僕の前に立つ。
さっきから随分と機嫌が悪かったためか、目線を合わせようとしてこなかったので気づかれないでいたが、こうして目の前から覗き込まれては隠しようもない。
「クロノ君……」
「ああ……」
もうそこからは、問答無用であった。
逆らうことなんて出来ようはずもない。
出来ることはおとなしく、医務室に引きずられていくことだけであった。
「はい、これで。三日後には見えるようになると思います……ですが、放っておいたら視力が随分と落ちていたかもしれません。次からはもっと早く診せてくださいね」
「はい、本当に申し訳ございません」
憮然とした表情で告げてくる医師。
隣で、エイミィはまるで母親のように、僕の代わりに頭を下げている。
「もう、クロノ君分かっているの!」
「ああ、分かっているよ……」
「……薬を出しますから、受付の前で待っていてください」
「はい、わかりました。本当に申し訳ございません……ほら、クロノ君も!」
「ああ」
エイミィに促され、医師に頭を下げてから部屋を出る。
そして、そのまままだ部屋の中にいるエイミィを待たずに受付に向けて歩き出す。
余計な心配をかけた僕が悪いとは理解しているが、あんまりうるさく言われたくないため、追いつかれないように早足で歩く。
ガーゼで右眼が覆われているため、ほとんど見えていなかった右の視界が今は完全に見えなくなっている。
だからか、正常に動いている左目からの情報がはっきりと伝えられてきた。
そして、そのせいで足が止まる。
「まったく、クロノ君は、もっと自分の体を大切にしてよね! 約束したじゃない」
「……ああ、すまない」
「って、聞いてい……」
追いついてきたエイミィがうるさく小言を言ってくる。
しかし、でも僕が見ている方向に何があるか気がついたのだろう。
途中で言葉を飲み込んで、僕と同じように黙ってそれを見つめる。
僕達は見ているのは一枚のプレート。
そのプレートの脇にある扉は開け放たれており、なにやら中で看護士が作業をしているようだ。
「……」
「クロノ君……」
「行くぞ、エイミィ」
「え、でも……」
「君の言うとおりだ。体は大切にしないとな……そうしないと守りたいもの、守らなければならないもの……何も」
「クロノ君!」
ほとんど走るような速さでそこから遠ざかる。
心の中を埋め尽くしている感情は怒り。
それが何に対してなのか、僕自身もよく分からない。
大口を叩いておきながら、まだ何も出来ていない自分自身に対してなのか。
それとも、守ると決めた人が、今、危機に直面しているというのに、寝たきりで動けない彼に対してなのか。
ぶつける先を見つけることも出来ないまま、心の中でそれは燃え続ける。
「……エイミィ。必ず助けるぞ」
「……うん」
「必ずだ……」
燃えあがったものは自分の中で収め切ることが出来なかった。
だから、意味もないこと、出来はしないことだと分かっていても漏れ出てしまう。
「君も……あの時の言葉が、僕の耳に届いた呟きが本気なら……」
足を止め、振り返って言葉を投げかける。
届くはずがない、それは分かっている。
相手は、心臓や一部の臓器、そしてリンカーコアを除いて、まったく機能していない、植物状態なのだから。
「……く……僕は何を……」
「クロノ君……」
返ってくるはずもない、返事を待つ余裕なんてない。
もう振り返らない。
床を強くけりつけてその場を後にする。
僕のできることをするために。
燃え上がったものは、それによって生まれた力は無意味に空回りする。
そんなものはちっぽけなものだといわんばかりに、膨大な蔵書量を誇る無限書庫の捜索は進まない。
三日、まだ三日。
だから当然の結果。
焦りからは何も生まれない。
それが分かっているから、感情を押さえつけて理性で行動する。
でも、この遅々として進まない単調な作業は、燃え上がっているものを逆なでするには充分なものだった。
だから仕方がないだろう。
馬鹿げた話を聞いたとき、思わず怒鳴ってしまったのは。
「幽霊が出る!? 何を言っているんだ、君は!」
と。