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No.12479の一覧
[0] 魔法少女リリカルなのは Verbleib der Gefühle [えせる](2010/09/26 00:40)
[1] プロローグ[えせる](2009/10/06 01:55)
[2] 第一話[えせる](2009/10/08 03:29)
[3] 第二話[えせる](2009/12/16 22:43)
[4] 第三話[えせる](2009/10/23 17:38)
[5] 第四話[えせる](2009/11/03 01:29)
[6] 第五話?[えせる](2009/11/04 22:21)
[7] 第六話[えせる](2009/11/20 00:51)
[8] 第七話[えせる](2009/12/09 20:59)
[9] 第八話[えせる](2009/12/16 22:43)
[10] 第九話 [えせる](2010/07/24 23:48)
[11] 第十話 [えせる](2010/07/24 23:48)
[12] 第十一話[えせる](2010/02/02 03:52)
[13] 第十二話[えせる](2010/02/12 03:24)
[14] 第十三話[えせる](2010/02/25 03:24)
[15] 第十四話[えせる](2010/03/12 03:11)
[16] 第十五話[えせる](2010/03/17 22:13)
[17] 第十六話[えせる](2010/04/24 23:29)
[20] 第十七話[えせる](2010/04/24 00:06)
[22] 第十八話[えせる](2010/05/06 23:37)
[24] 第十九話[えせる](2010/06/10 00:06)
[25] 第二十話[えせる](2010/06/22 00:13)
[26] 第二十一話 『Presepio』 上[えせる](2010/07/26 12:21)
[27] 第二十一話 『Presepio』 下[えせる](2010/07/24 23:48)
[28] 第二十二話 『羽ばたく翼』[えせる](2010/08/06 00:09)
[29] 第二十三話 『想い、つらぬいて』 上[えせる](2010/08/26 02:16)
[30] 第二十三話 『想い、つらぬいて』 下[えせる](2010/08/26 01:47)
[31] 第二十四話 『終わりの始まり』 上[えせる](2010/09/24 23:45)
[33] 第二十四話 『終わりの始まり』 下[えせる](2010/09/26 00:36)
[34] 第二十五話 『Ragnarøk 』 1[えせる](2010/11/18 02:23)
[35] 第二十五話 『Ragnarøk 』 2[えせる](2010/11/18 02:23)
[36] 第二十五話 『Ragnarøk 』 3[えせる](2010/12/11 02:03)
[37] 第二十五話 『Ragnarøk 』 4[えせる](2010/12/21 23:35)
[38] 第二十五話 『Ragnarøk 』 5[えせる](2011/02/23 19:13)
[39] 第二十五話 『Ragnarøk 』 6[えせる](2011/03/16 19:41)
[40] 第二十五話 『Ragnarøk 』 7[えせる](2011/03/26 00:15)
[41] 第二十五話 『Ragnarøk 』 8[えせる](2011/06/27 19:15)
[42] 第二十五話 『Ragnarøk 』 9[えせる](2011/06/27 19:11)
[43] 第二十五話 『Ragnarøk 』 10[えせる](2011/07/16 01:35)
[44] 第二十五話 『Ragnarøk 』 11[えせる](2011/07/23 00:32)
[46] 第二十六話 「長い長い一日」 [えせる](2012/06/13 02:36)
[47] 第二十七話 『Beginn der Luftschlacht』[えせる](2012/06/13 02:41)
[48] 第二十八話 『Märchen――御伽噺――』[えせる](2012/06/21 19:59)
[49] 生存報告代わりの第二十九話 下げ更新中[えせる](2015/01/23 00:01)
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[12479] 第十八話
Name: えせる◆aa27d688 ID:66c509db 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/05/06 23:37
いつの間にか揺れが収まっていた。
研究施設そのものが軋む悲鳴は止まり、今は私の上げる音だけが通路に反響している。
かつん、かつん。
一歩踏み出す毎に硬質な音が響き渡り、ただそれだけが私の耳に届く。
何か不具合が起こったのか、通路の光源だった照明は落ち、非常灯の頼りない明かりだけがあたりを照らしていた。
少し視線を遠くに向ければ、何も見えなくなってしまう。
薄ぼんやりと照らし出された道は暗く、この先がどうなっているのかまったく分からなかった。
歩みを進める毎に暗闇に吸い込まれていくような気がする。
それは一人になったからなのか。
それとも、口に出して認めたせいかもしれない。
――私、何をしているんだろう。
やらなければいけないことがあって、それが分かっているのに、どうしても気持ちを立て直すことが出来ない。
分かっていた、分かっていたこと。
けれど言葉にすることは心で思うよりも、ずっと意味のあることで……。
そのせいか、足が鉛でも詰められたように動かない。
体が、前に進むことを拒否している。

「……」

胸を右手で押さえる。
再形成した、傷一つ無いバリアジャケット。
でも、その奥にある素肌は、自らの血で真っ赤に染まっている。
――何で、私は生きているんだろう?
さっきははっきりと思い出せなかったけれど、今は気を失う直前の状況を、明確に鮮明に思い浮かべることができる。
不利な状況だったとはいえ、完全な敗北。
あの固くて冷たい拳は確かにバリアジャケットを突き破り、胸骨を打ち砕いて、私の心臓を止めたはずだった。
指先で、貫かれたはずの胸をゆっくりと撫でる。

「……死んだと思ったのに」
――解放されると思ったのに。
けれど死に等しい傷は塞がって、今も私は生きている。
どこにも異常はない。

「何があったのかな? レイジングハート?」
『……』

気を失う前のことは思い出せても、意識のない時のことを分かるはずがない。
だからその時のことを知っているはずの相棒に問いかけてみるけれど、何一つ応えてはくれなかった。

「……そうだよね。レイジングハートもあの時、損傷してたもんね……」
『……yes』
「……私どうしたらいいのかな?」
『……』
「うん、そうだよね、これは私が決めないといけないことだよね……」

立ち止まり、天を仰ぐ。
血は足らないが、体は何とか動く。
魔力もまだ充分にある。
――なら、いかないと、約束があるんだ。やらなければいけないことがあるんだ。
――行っても無駄。どうせ私は何も出来ない。
今まで私を支えてきた心と折れてしまった心。
相反する想いが胸にある穴の中で争っている。
傷が塞がったのは見かけだけ。

「ふう……」

だんだんと大きくなっていく胸の穴。
蟻地獄のようにざらざらと、徐々に、しかし確実にそれは広がってゆく。
それが私を振り返らせる。
目に映るのは前方で広がっているのと同じ闇。
先はまったく見通せない。
――ここで、戻ったら私はどうなるんだろう。
そうなったあとのことを想像する。
やらなきゃいけない仕事を放り出すんだ。
もしかしたら、執務官の職を解任、いや、管理局を辞めさせられるかもしれない。
そうなったら、私はどうするのかな。
海鳴に戻る?
――そんなことできるわけないよ……
約束は今も続いてる。
どんな顔をしてあの二人に会えば良いの?
それに――
思い浮かぶのは、家族の顔。
やりたいことがある、やらねばならないことがある。
そう言って、心配してくれる皆を振り切ってしまった。
だから今更戻ることなんて出来ない。そんな都合の良いこと許されない。
なら。
――私はどうなるんだろう?
心の中で願っていたように、誰もいない世界で孤独なまま朽ちれば良いの?
それがいいかもしれない。
何をしても無駄なのだから。
クロノさんが言ってたことが本当であるはずがない。
私のすることは、全てが無駄。
それどころか、やることなすこと、全てマイナスの要因にしかならない。
――私はいないほうがいいの。
広がり続ける穴は、ついに心を支えていた柱を傾かせ、完全に飲み込む。
ゆっくりと踵を返して、後方へ向き直る。
――これでいいんだ……
そして、首をひねり、行くはずだった方向に顔を向け、今までの全てと決別する。
――私はなんて弱いんだろう。私はなんて無力なんだろう……
胸いっぱいに広がった穴。
それは嘆きで満ちていた。
一歩踏み出す毎に穴の中では嘆きが波打ち、心が揺れる。

「……うっ……うっ……ごめんね」

揺れた水面に飛沫として上がった、謝罪の言葉。
――私は何に謝っているのだろう。
私は何もしないほうがいい、だから、これはみんなのためになるというのに。

「ごめんね……はやてちゃん、ごめんね……ごめんね……フェイトちゃん、ごめんね……アリサちゃん、すずかちゃん、ごめんね……本当にごめんなさい……」

足は自然と駆け足になっていた。
逃げるために。
投げ捨てるために。
でも、
――ママ。
脱走者となった私を逃すまいと、呼び声が追ってくる。
もっと、もっと――追跡者から逃げ出すために、足を速める。

「ごめんね。ごめんね。私には何も出来ないの……でもきっと助けてもらえるはずだから……クロノさんは私よりずっと強いから……」

あの人は強い。
私なんかよりずっと心が強い。
きっと、あきらめずに、あの子を助け出してくれるはず。
だから、だから、と。
けれどどんなに言い訳をしても、どんなに言い繕っても、助けを求める声は耳から離れない。
――ママ、ママ。
分かっている。
これは幻聴。
さっきの念話が、最後の力を振り絞った精一杯のSOSだったことはよく分かっている。
だから、もうあの子の声が聞こえてくるはずなんてないのに、
――ママ、助けて、ママ。
呼び声が耳から離れない。
私に娘なんかいない。
あの子とは今日はじめて会った。
だから、ママと呼ばれる理由はない。
でも、
――ママ
それが私のことを指しているのは、間違いない。
――助けて、ママ。
私だけを求めているのは痛いほど伝わってくる。

「……」

いつの間にか足が止まっていた。
弱い私には、後ろ髪を引く声を振り切ることができなかった。
だから、これが本当に最後の最後。

「レイジングハート……」
『yes.my master』
「飛行形態に……」
『All right』

あの子を助けたら、今度こそ。
杖の先をやや下に向ける。
ここから、さっきの念話の発信源まではほとんど一直線。
飛んでいけば、一分もかからない。
だから、耐えるのは、心を誤魔化すのは、ほんの少しの間だけで済む。
……それくらいなら。

「いくよ……」

弱々しい光だけど、飛行魔法を発動させるには充分だったみたい。
あっという間に発信源まで辿り着くことができた。

「ええと……」

ここは倉庫か何かなのだろうか。
さっきの実験室より一回り広い空間に、コンテナがうず高く積み上げられている。
照明らしい照明は私の魔力光だけ。その上視界が狭くて、あの子を探すのは難しかった。

「とりあえず……エリアサーチかな?」

そう判断して、サーチャーを作るためにレイジングハートを振ろうとすると、少し先に、大きな人影がうずくまっていることに気がついた。

「……」

腰を落とし、杖の先をそちらの方に向ける。
人影は右ひざをつき、右の拳を床に当てて、顔を伏せたまま、ピクリとも動かない。
だんだんと暗闇になれた瞳が、その人影を判別する。
研究室で私を倒した巨漢。
レイジングハートがあの青年からもらったデータによると、元執務官らしい。
ピンツガウアー・ターゼルという名のようだ。
私と同じ執務官が、何でこんなことを?
そんな疑問が頭をよぎるが、今考えることではないと、片隅に追いやる。
あの子を、ヴィヴィオを助けるためには、この人に勝たないといけない。
さっきの戦闘とクロノさんからもらったデータを頭の中で反芻して、戦術を急いで組み立てる。
その二つが噛み合わないことに頭を捻りながらも、なんとか準備を整えた。
それは時間にして数秒のこと。
されど、戦闘という極限の状態にとっては、長すぎる時間。
それなのに。

「……?」

巨漢はまったく動こうとしない。
私は飛んでこの場までやってきた。
私の飛行形態は、無音と言うのには程遠い。
夜中に飛行訓練などやったら、苦情が殺到するほどだ。
だから、気付いてないはずがないのに、


「……?」

まったく、巨漢は反応を示さなかった。
罠か何かなのだろうか?
先制攻撃をするか否かで、頭を悩ませていると、

「ヴィ、ヴィヴィオ!?」

かすかに自分を呼ぶ声が聞こえた。
目の前の男が気になるけれど、私の目的は彼を倒すことじゃない。
ヴィヴィオを助けること、そのために、私はここに残ったんだから。
警戒を怠らず、声がした方向に急ぐ。
一歩一歩近付く毎に、小さかった声は大きくなっていった。

「ママ、ママ……」
「いひ、いひひ。逃げても無駄ですよぉ、おとなしくしましょうねぇ。酷いことはしませんよぉ、ただ私についてくればいいだけなのですからぁ。それはすごく光栄なことなんですよぉ。この私の役に立てるなんてぇえ」

そして、目に映ったのは、小さい体をいかして逃げ回るあの子と、それを奇怪な笑いを浮かべながら追いかける眼鏡の人の姿だった。

「ヴィヴィオ!」

高速移動魔法を展開して、眼鏡の人とあの子の間に体を割り込ませる。

「マ、ママ!」
「おや、おやおやおやぁぁ?」

飛びつくように腰にしがみついてくるヴィヴィオ。
その温かい感触に、何故だかすごくほっとする。
少しだけど、胸の穴が塞がっていくように思えた。

「ママ、ママ!」
「ヴィヴィオ……」

呼ばれるたびに、瞳の奥が熱くなるような感覚を受ける。
そんな私を見て、眼鏡の人は変わらず、よく分からない笑みを浮かべていた。
ヴィヴィオの様子をしっかりと確認したいけれど、その笑みが不気味すぎて目をそらせないでいた。
いつでも砲撃を放てるようにレイジングハートを眼鏡の人に向ける。

「ひゃひゃはやひゃひゃはははははいひひいひひひいいぃぃぃぃ」

思わず耳を塞ぎたくなる、ガラスを爪で引っかいたような、大きく甲高い笑い声。
レイジングハートの先には人ひとり充分昏倒させるだけの魔力がともっているというのに、眼鏡の人は腹を抱えて笑い転げている。

「マ、ママ」
「ヴィヴィオ、平気だから、ね」

視線を前方に向けたまま、不安がるヴィヴィオに言葉をかける。
でも、それはきっと意味がない行為だったのだと思う。
私自信が信じていないことをどうして他人に信じさせることが出来るというのだ。
不気味な笑いはまだ続いている。
この状況でどうしてこの人は笑っていられるのだろう。
クロノさんからもらったデータにも元技術部管理課の課長としか記されていない。
魔導師でもなさそうなのに、この余裕はなんなのか。
何か奥の手でもあるのだろうか?
情報が少なすぎる。
でも、それが分かっていたとしても、どうせ、私には何も出来ない。
何をしても無駄なのだから。
ヴィヴィオの声を聞いて、少しだけ塞がった穴を不気味な笑いが引き裂いて広げる。
広がった穴が内側から私自身を飲み込もうとするかのように、地に着く足が不安で震えた。

「ママ……?」

弱気が伝染したのか、ヴィヴィオの声もより縋るように震えている。
私を信頼してくれている少女の心を宥めるために口を開こうとしても、言葉をつむぐことが出来なかった。
大丈夫、何を以ってそういえばいいのだろう?
そうやって、震えあっている私たちを見て、眼鏡の人は笑みを深める。

「いひいひいひ、すぅばらしぃですねぇえ! そぉのぉ胸を貫いたのぉが、つい先ほどのぉことだぁというのにぃ、もう、こうやってぇ、魔法をぉ使うことができるぅとはぁ! ちょぉっとぃそのバリアジャケットのぉ下ぁ見せてもらえませえんかあぁ? どんなふうにぃ傷がぁ塞がっているのかぁ、気にぃなるのでぇぇす!」

そしてそのまま、こちらににじり寄ってくる。
得体の知れない恐怖が背筋を走る。

「来ないで、それ以上近づくと、撃ちますよ!」

警告を発し、レイジングハートを突きつけても、眼鏡の人はまったく意に介した様子を見せない。
ぐるぐると私とヴィヴィオの周りを回っている。

「すばらしいぃぃぃ。本当にまったくぅ問題ないぃぃみたいじゃぁなぁいですかぁぁ! くっくくぅぅぅぅ、まさか起動したぁてでぇぇぇ、一回見ただけぇぇの魔法をぉぉぉ、その使い手以上ぉに使いこなすとはぁ!! そのぉ学習能力ぅ、あれだけの傷をあっという間にぃ癒すぅ膨大なぁ魔力ぅぅぅ! すばぁぁらしぃぃぃ! ぜひぃぃともぉぉぉ解明しぃぃなけれぇぇばぁぁなりませぇん! そうすれぇぇばぁぁ 私の研究ぅぅにもぉぉぉ役にぃぃ立つぅぅはずぅぅですからぁぁ!」

一際大きな奇声があがる。
それと同時にヴィヴィオめがけて手を伸ばしてきた。

「マ、ママ!」
助けを求める声。
それが不安を、恐怖を押しのけて、私に引き金を引かせる。

「ディバイン!」
『Buster!』

杖の先で出番を待ち望んでいた魔力が解き放たれる。
それは輝きこそくすんでいたものの、勢い、範囲、共に普段と変わらない。人一人を軽々と飲み込めるだろう。
光の柱は眼鏡の人の上半身に命中する。
いつもより威力が低いとはいえ、殺傷設定で放っていたら腰から上が消し飛んでしまっていたと思う。
それなのに、

「んふふふふふ、いきなり酷いじゃないですかぁ。ちょぉっと驚きましたよぉ」

桜色の輝きが過ぎ去って、そこから表れた眼鏡の人の顔には、先ほどと変わらない不気味な笑みが浮かんでいた。

「うふふふひひひひいひひぃぃぃぃ、本当にひどいじゃないですかぁぁ。まったく武装していない私にぃ、AAAランクの砲撃をぉ放つなんてぇ! でもぉ!」

眼鏡の人はヴィヴィオに伸ばしていた手を引っ込めて、自らを抱きしめる。
不気味な笑みはますます深くなり、唇の端はともすれば耳まで届きそうだった。

「いひいひひいひぃぃぃ! すばらしい! すばらしいと思いませんかぁ!」

そして、奇声を上げながら白衣を脱ぎ捨てる。
その下には灰色の防弾チョッキのようなものが着込まれていた。

「これはぁシェルコートというのですがぁ、それも私の手にかかれぇばぁ、こんなにもぉ性能が上がるのでぇす! だぁかぁらぁ、あの男よぉぉり、私のほうがぁぁぁぁ! 天才なのでぇぇす! 才能が上ぇぇなのでぇぇす!」

陶酔したように踊り狂う眼鏡の人。
それをみていると私まで気が狂ってしまいそうだった。

『Divine Buster』

耐え切れなくなり、再度砲撃を放つも、

「うふふひひひいひぃぃぃ、無駄ですよぉ」

あの笑みをかき消すことが出来ない。

「これをぉ破るにぃはぁぁ、最低でもぉSSランクのぉぉ魔法が必要でぇぇす! Sランク程度でぇぇ破られてしまったぁあの男のものとはぁ違うのでぇぇす!」

笑みがにじり寄ってくる。

「そぉぉですねぇぇ、これだけでぇぇも私のほうがぁぁ上だという事のぉぉ証明になりますぅぅがぁぁ、せっかくのぉぉ機会ぃぃなのでぇぇ、もっとはっきりぃぃ差を見せ付けておきましょうぉぉ。ここにぃぃ、あの男の作品がぁぁ総力をあげてぇぇも倒せなかったぁぁ魔導師ぃがいるのですからぁぁ! いひひひぃぃいぅふぅぅぅふふふふひぃ!」

眼鏡の人は、大きく飛びのくと右手を上に掲げて指を鳴らす。
空を切り裂く音が耳を劈き、そして、大きな物体が目の前に落下してきた。

「うふふふ、やっと修復が終わりましたよぉ。本当にさっきのはなんだったんですかねぇぇ、あとでぇちゃんと調べないとぉぉ」

私と眼鏡の人の間に降ってきたのは、あの巨漢の魔導師ターゼルだった。
眼鏡の人が不気味な笑いを浮かべているのとは正反対に、まったくの無表情。
それがかえって、私の不安と恐怖をあおる。

「いひいひひひいひぃ、さっきのはぁ、力とぉいうよぉりぃ、私の作戦、知恵のぉ勝利ぃでしたのでぇぇ。今度は力を証明ぃするためにぃぃ、正面からぁ叩き潰してぇぇあげますよぉぉ! いきなぁぁさぁぁぁい!」

眼鏡の人の掛け声と共に、巨漢の足元にさびた赤色で描かれた魔法陣が浮かび上がる。
塞がっているはずの胸の傷がうずく。
そこから噴きだされるのは、あのときの恐怖、そして、何も出来なかった、何をしても無駄だと言う虚無感。
もう、それを振り払う強い気持ちは私にはない。
だから。

「行って……」
「ママ?」
「行って! ヴィヴィオ!」
「ママ……?」
「お願いだから! まっすぐ走れば、助けが来るから! レイジングハート、エイミィさんに連絡! この子を、ヴィヴィオをお願いしますって!」
「ママ!」
「お願いだから行って!」

嫌われてもいい、ううん、逆にそっちの方が良い。
そう思いながらも、大きな声を、怒鳴り声を上げる。
私にはママと慕われる資格なんてない。
母が持つ強さなんて私にはない。
私に何かを守るなんてこと出来るはずがない。
できることはせいぜい、

「行きなさい!」

時間を稼ぐことくらい。
後ろ手でヴィヴィオを突き飛ばす。

「きゃ」

きっとバランスを崩して尻餅をついたのだろう、可愛い悲鳴が耳を打つ。
視線は前に向けたままなので、突き飛ばされたヴィヴィオがどういう表情をしているか分からないけれど、きっと嫌われてしまっただろう。
こんなひどいことをしたのだから。

「行きなさい!」

追い討ちをかけるために、見せ掛けだけの強い声を張り上げる。

「……」

息を呑む雰囲気が伝わってくる。
もう言葉は口にしない。
――行って、お願いだから行って!
――嫌ってくれてもいい。
――でも、せめて私にそれくらいさせて、お願い!

「……」

どれくらいの時間そうしていただろう。
永遠に続くかに思えた沈黙の後、小さな足音が遠ざかっていってくれた。

「……ヴィヴィオ」

振り返らない。
私にそんな資格はない。
それに、あの不気味な笑みから視線をそらしてはいけないと思うから。

「準備はいいですかぁ? 私としてもぉ、あれをこわすわけにはいかないのでぇぇ。全力を出すとぉぉあれの鎧さえも意味を成さないほどのぉぉ威力何ですからぁぁ! さあぁぁ! 証明しなさいぃぃ! 私こそがぁぁ次元世界随一の天才ぃぃぃであることぉぉ!」

奇声が一際大きくなると同時に、轟音が鳴り響く。
それは巨漢が床をけりつけた音だった。
突進のための踏み込み、それだけで頑丈に作られていた床がまるでクレーターのようにへこむ。
目にもとまらぬ速度での突進、反応も叶わないであろう右拳。
振りかぶられたそれが叩き付けられるよりも早く、私はラウンドシールドを展開した。

「くぅぅぅ!」

激しい衝撃が私を襲う。
盾こそ破られはしなかったが、踏ん張りきれず大きく吹き飛ばされる。
弾き飛ばされ、壁に叩きつけられる寸前に、杖を壁の方に向けて砲撃。
勢いを殺して、そのまま上空に逃れる。
体勢を立て直し、巨漢の姿を探すと、追撃に移るためにこちらに向かって飛び上がろうとしているところであった。
――させない!
吹き飛ばされたことによって、距離は離れた。
これは私の間合い。

『Divine Buster』

光の柱が巨漢を打つ。
私の唯一のとりえ。
砲撃魔法の威力、精度は管理局の中でも五本の指に入るといわれていたもの。
それなのに。

「……」

ターゼルが無言で砲撃に向かって手を伸ばす。
その手の先に形成されたのは、さっき、私が張ったのと同じラウンドシールド。
クロノさんからもらったデータによるとターゼルは私より半ランク低いAAA。
だから、盾で私の砲撃を防ぎきることなんて出来ないはずだった。
それなのに。

「え?」

展開された盾が、さびた赤色が濁る。
砲撃が命中する。
しかし、盾を砕き、相手に手傷を負わせるのに充分な威力を持っていたはずの砲撃は、盾にぶつかり、むなしく霧散する。
ありえない。
その想いが心を埋め尽くす。
砲撃は私の自慢、唯一のとりえ。
それがこんなに簡単に、と。

「いひいひいひひぃぃぃぃいひ!」

笑い声が空間を引き裂く。
それと共に突進してくる巨漢。
砲撃を撃って体勢を崩していた私では回避は難しいと即座に判断。
ならば、と杖を後ろに向けて砲撃、一気に加速する。
厚い装甲と盾、そして砲撃によって加速した突進力。
これも、今まで誰にも負けたことがないものだった。

「はぁぁ!」
「……」

巨漢の体を包んでいた赤い魔力光がさらに濁る。
まるで、別な色を混ぜられたかのように。
その光景にどこか既視感をおぼえながらも、迫り来る巨漢に備える。
激突。

「きゃぁぁ!」

襲ってくる衝撃。
そして、激しく吹き飛ばされたのは私のほうだった。
体勢を立て直すことも出来ずに床に叩きつけられる。
息が詰まる。
意識を手放したくなってくる。
でも、まだあの子が逃げるためには時間が足らない。
レイジングハートに縋りつきながら、言うことを聞かない体を立ち上がらせる。

「……はぁ、はぁ」
負傷の状況を確認するために視線を体に向けると、盾を張って激突したにもかかわらず、バリアジャケットはもうぼろぼろだ。
右わき腹が鈍痛を訴えていることから肋骨も何本か折れているかもしれない。
顔を上に上げると、まったく無傷の巨漢がこちらを見下ろしていた。
――何で、何でなの?
疑問で思考が埋め尽くされる。
クロノさんからもらったデータによると、ターゼルはAAAランクではあるが、そのランクにたどり着くことが出来たのは、類稀な魔力操作技術の為であり、どちらかというとクロノさんに似たタイプのはず。
しかも、歳は四十後半、とっくにピークは過ぎている、だから、私が魔法の威力で負けることなんてありえない。
それなのに、

「……!」

思考に気を取られている間に、いつの間にか距離を詰められていた。
真上から振り下ろされる巨漢の拳。
それをとっさに、後ろに飛ぶことによって回避する。
直撃は避けることが出来た。
でも、

「げ……ぼ……ぉ」

その圧倒的なまでの魔力が繰り出した拳はその余波だけで私を吹き飛ばし、戦闘能力を奪うには十分なものだった。
バリアジャケットは千切れて、もう防護服の役目を果たすことはできないだろう。
左手に握られているレイジングハートのコアは無事なようだけれど、ひびが全体に広がっている。もう高威力の砲撃には耐えられないだろう。
そして私自身も今の衝撃で全身が打ち据えられ、もう立ち上がることすら難しかった。
――まだ、まだ……もう少し。
時間はたいして稼げていない。
だからと、体に願いを込めるけれど言うことを聞いてくれない。
もう、折れてしまっているから。
そして、それは体だけではなく、
――ああ、やっぱり。何をしても無駄。私には何も守れない、何も残せない。全力を尽くしても、あの子が逃げるたった数分の時間すら稼ぐことが出来ない。
心にも及んでいた。
もう、終わり。
立ち上がることなんて出来ない。
そんな私を見て眼鏡の人が奇声を上げる。

「いひいひいひうふふふぅぅぅいひひぃぃぃ!」

もう、首すら動かすことが出来ない私には確認出来ないが、きっとさっきのように踊り狂っているのだろう。
聞いているだけで心が汚されそうな笑い声が鳴り響く。

「すばらしいぃぃぃ! ニアSランクの魔導師がこんなに簡単にぃぃ! やはりぃぃぃ私は正しかったぁぁ! 私の作品こそぉぉ、最高ぉぉ! 私の研究ぅぅこそぉぉ唯一の道ぃぃ!」

不気味な笑いは続く。

「うふふふぅぅぅいひいひぃ! 知ってますかああ? 今一番貴重なものがぁ何かってぇいうことをぉぉ?」

それはだんだんと近づいてくる。
私に自慢げに語りかけてくるその口調はどこか教師じみていた。

「レアメタル? 水? 空気? いえ違いますぅ! そんなものはこの無限に広がる次元世界いくらでも見つけることが出来ますぅ! じゃあ、何か分かりますかぁ?」

気づけば、動けなくなった私を覗き込むように不気味な笑いが覆いかぶさっていた。

「それはぁ魔導師! それが持つ摩訶不思議な器官、リンカーコア! 次元世界はぁその大きさゆえにぃ、今崩壊の危機に直面していますぅ、それはぁぁ世界の自重を維持するほどのぉぉ、治安を守るほどのぉ、武力がぁないからでぇす! 質量兵器に頼ることができればぁぁ簡単なのですがぁぁ、それによってかつて滅びの危機にあった人々のアレルギーはどうしようもありませぇぇん! だからぁぁ、それに変わるもの、魔法ぅぅが選ばれたのですぅがぁぁ、これにはぁぁリンカーコアというどうしても作り出すことがぁぁ出来ない器官が必要でしたぁぁ! なのでぇぇ、あの男はぁぁ、それに頼らないぃぃ戦闘機人何てものを創ろうとぉぉしていますがぁぁ、私違いますぅぅ! リンカーコアをぉぉ研究しつくしましたぁぁ!」

自慢話が続く。
あの声は聞いているだけでも意識を手放したくなるけれど、私が聞いている限りは続く、時間が稼げると思い必死で耐える。
それくらいのことは出来るから、と。

「まずぅ、私はリンカーコアがどこに宿るか調べましたぁ! 丁度ぉ植物状態になった高ランク魔導師がぁ手に入ったのでぇ、思う存分切りぃ刻みぃましたぁぁ! その結果ぁぁ、何が、どれだけ残っていればぁぁ、リンカーコアがぁぁ動作するって言うことはぁぁ判明しましたぁぁ! これによってぇぇ負傷して動けなくなったぁぁ魔導師を再利用する方法が思い浮かんだぁぁのでぇす!」

眼鏡の人が、手の平で巨漢を叩く。

「でもぉ、これだけぇぇはぁぁ、再利用できるぅというだけでぇぇ、あんまりぃ意味がありませぇん! 必要なのはぁぁ大きな力を持った魔導師ぉぉ、たくさんそろえることなのですからぁぁ! だから、私はぁぁもう一つの方法を考え出しましたぁぁ! 作り出すことがぁぁできなけれぇぇばぁぁ、あるところからぁぁもってくればぁぁいいのでぇす! リンカーコアは人の場合はぁ、持っているもの持っていないものぉぉ、さまざまですがぁぁ、この広い次元世界には必ず持っている生物がぁぁいるのでぇぇす! それは魔獣ぅ! 人よりもリンカーコアの質は悪くぅ、しかも大型のばかりぃですがぁ。あれらはぁぁ、必ずリンカーコアを持ってぇぇいます! これを移植出来ないかぁとぉ私はぁ考えましたぁ! 大きさの問題はぁぁ比較的簡単に解決しましたぁぁ、ようは大きくなる前に取り出してぇしまえばいいのでぇすぅ。養殖してぇぇ赤子のうちにぃ取り出してしまえぇばぁぁ、大きさはぁたいしたことはぁありませぇぇん。次にぃぃ、質の問題ですがぁぁ、これは数で解決することにしましたぁぁ」

眼鏡の人はそこで言葉を切り、もう一度手の平で巨漢を叩く。
巨漢はそれに頷いて、上着の前を開き、私に広げて見せた。
私の目に映ったのは極限にまで鍛えられた胸板、そしてそこに埋め込まれている無数の臓器だった。
どれもが別々の命であることを主張しているかのように独自の鼓動を刻んでいる。
吐き気がこみ上げてくる。
眼鏡の人はそんな私を愉快そうに一瞥すると、再度巨漢を手の平で叩く。
巨漢は上着を治すと、その拳に魔力を込め始めた。
長い自慢話が終わると同時に、私を叩き潰すためだろう。
さびた赤色が濁っていく。
さまざまな色を混ぜ合わされ、それはもう赤というより黒になっていた。
――違う、あれはそんな色じゃない。あんなに汚くはない!
さっき覚えた既視感がなんなのか分かり、それを必死に否定する。
――あれは、すごく綺麗だった。みんなの願いが一つに集まって、すごく綺麗な澄んだ色だった。
思い出されるのは、自らを犠牲にして、世界を滅ぼす災厄を包みこんだ少女が作り出した球体。
あれは確かに真っ黒だったけれど、すごく綺麗だった。
決してあんなに濁ってなどいない。

「でぇぇもぉぉ、そこからが難しかったぁぁのでぇす! いくらぁぁリンカーコアを一つの体にぃぃ詰め込もうともぉぉ、それは決して一つの力にぃぃなりませぇぇん! これにはぁぁ、天才の私といえど正直お手上げでぇぇしたぁ! でもぉぉ、天才ぃぃとは、運にも恵まれているものぉぉ! 研究にぃぃ詰まっている私にぃぃ一つの仕事が舞い込んできたのでぇすす! それはぁぁ闇の書のぉぉ経過観察ぅといったものでしたぁぁ」

――ドクン――予想もしていなかった言葉、ここで聞くはずもない単語を耳にして鼓動が大きく波打つ。
何を言っているのだろう? この人は。

「それぇがぁぁ、あの男の下でぇということはぁぁ屈辱的でしたがぁぁ、それでも私は喜びましたぁぁ。なんと言ってもぉぉ、闇の書はぁぁ、複数の生物からぁぁリンカーコアを取り出してぇぇ、一つの力にするぅぅロストロギアぁなのですからぁぁ! これを解明できればぁぁ、私の研究に役立つに違いありませぇぇん。でもぉぉ、上からの命令はぁぁあくまでぇぇ経過観察でしたぁぁ。厳重に封印されていてはぁぁ、闇の書がリンカーコアを喰らう瞬間なんて観察できるはずもありませぇん! だから、私は考えましたぁ! 私の研究が完成すればぁ、八神はやてという小娘の命などぉ、いえ、管理外世界などぉ惜しくもないのですからぁぁ!」

――ドックン――鼓動が跳ねる。
――何で、はやてちゃんの名前がここで出てくるの?
心が、この男が何を言おうとしているのか理解したというのに、思考がついていかない。

「だからぁぁ、私はあの男に話しを持ちかけましたぁ! そしてぇ、あの男もぉ、気になることがあったようでぇすぐに私の話に乗ってきましたぁぁ! おかげでぇ、私の研究はほとんど完成したのでぇす! まだ改善点も残っていますがぁぁ、そんなもの私の手にかかればぁぁ! しかも、予想外のことにあの管理外世界は崩壊を免れたのでぇす! 小娘と、それに巻き込まれた哀れな大魔導師ぃ、たったそれだけの犠牲でぇ、次元世界、数百年のぉぉ平和がぁぁ約束されたのでぇぇす! これほどぉぉ……」
「……だまれ」

それはとても静かな声だった。
呟きといったほうがいいかもしれない。
それなのに、倉庫全体に響き渡っていた笑いを止めるほど強いものだった。
思考がやっと心に追いついてきた。
一つになった心と思考が、動かなくなったはずの体を立ち上がらせる。

「そう……そうなの……」

――はやてちゃんが私たちと離ればなれになったのも。
――フェイトちゃんと会えなくなったのも。
そして――私がこんな道を歩むことになった原因は。
――ドックン――もう押さえがきかない。抑えることなんて出来るはずがない。
――ドックン――私には何も守れない、何も残せない。だからどうだっていい。
だから、せめて――

「おまえが、はやてちゃんたちをぉ!」

――ドックン!!――あいつだけは!
鼓動が爆ぜた。
心の奥底で溜まっていた嘆きや悲哀は蒸発し、すべてが赫怒の炎に転化する。
あの不気味な笑いを浮かべている顔を歪めさせるためだけに床をけりつける。
全身の骨にひびが入っている体が悲鳴を上げるが、それがどうしたことだというのだろう。
全てを奪われた、はやてちゃんやフェイトちゃんたちの苦しみに比べれば、こんな痛み些細なもの。

「うわぁぁぁぁ!」

それに、この心を締め付ける感情に比べれば!
男に向かって飛び掛る私に、巨漢が立ちはだかる。
拳を構える巨漢。
込められた魔力は直撃すれば私を粉みじんにしてもお釣りがくるほどの威力があるだろう。
この人はあの研究者が自慢したように、並の魔導師じゃない。
全力を越えた一撃でも砕けるとは限らない。
だったら――

「カートリッジロード!」

レイジングハートがどんな状態か忘れたわけじゃない。
それでも私は装填されている七発のカートリッジ、そのすべてを炸裂させる。
たとえ、この体が砕け散ようとも、この杖に込められた魔力を、この心に渦巻く感情を、あの男にぶつけられればそれでいい!
巨漢の拳が振るわれる。
だけど、まさか巨漢も私がそのまま突っ込んでくるとは思っていなかったみたいだ。
インパクトが、魔力が炸裂する瞬間がずれる。
威力が高すぎた拳は、私の体を弾き飛ばさずに、わき腹をえぐりそのまま後ろに突き抜けた。
左のわき腹をえぐられた私は勢いを失い、そのまま巨漢の肩に抱きつくような形となる。
もう、巨漢を振り払うような力も、離れて体勢を立て直すような力も残っていない。
でも、これでいい。
巨漢は今私の懐にいる。
だから杖を伸ばしても、その先を邪魔するものはいない。

「はやてちゃんごめん。フェイトちゃんごめん。アリサちゃんすずかちゃんごめん。やっぱり約束は守れなかった。私は弱かった。でも、でもね……はやてちゃんたちが味わった苦しみだけは!」

杖から光が放たれる。
それは他の色なんて混ざっているはずもないのに、酷くどす黒く私には見えた。

「ひぃぃいぃ、顔がぁぁぁ、私の顔がぁぁぁ! ターゼル、ターゼル! 私を助けろぉぉぉ!」

不気味な笑い声が悲鳴に変わる。
それは、
――ああ、やっぱり、駄目なの……
全てを解き放ったのにもかかわらず、たった一つの想いさえも遂げられなかったことを私に悟らせる。
――ごめんね……本当にごめんね……



そして、私は謝りながら、意識を、全てを手放した。






































小さな箱から迸る光の本流を水色の翼が覆うように包み込む。
あんな小さな箱のどこにここまでの力が詰まっていたのだろうか。
迸る力を受けた翼から、羽が次々と舞い落ちていく。
一枚剥がれ落ちるごとに術式が変化して、それを制御している脳神経に多大な負荷がかかる。

「く……」

苦痛で漏れ出そうになる、うめき声を唇をかみ締めて押さえつける。
集中を切らすわけには行かない。
いくら高性能のデバイスがあろうとも、信頼できる相棒が支えてくれようとも、結局は自分しだいなのだ。
改めて、課せられた責任の重さを自覚して翼の制御に意識を集中する。
しかし、そんな僕をあざ笑うかのように、箱は輝きを増していく。
光の膨張に耐え切れなくなった翼から一気に十枚以上の羽が剥がれ落ちた。
脳神経がショートするような感覚が走る。

「う……」

遠のこうとする意識を唇を噛み切ることで引き戻した。
そして、かろうじて保った意識を総動員して、羽が剥がれ落ちて薄くなった箇所に比較的余裕があるところから魔力を回す。
極めて繊細な魔力操作。
それがさらに脳に負担をかける。
一体どれくらいこうしているのか、あとどれほど持たせればいいのか。
エイミィから事前に最低限持たせなければならない時間は聞いてはいた。
しかし、極度の精神集中によって、時間の感覚が麻痺している。
限界が近い状態で、先が見えないということほど辛いことはなかった。
そして、限界が近いのは僕だけではない。
だんだんと輝きを失い、その密度が薄くなっていく翼。
遺跡の魔力炉から送られてくる魔力が少なくなってきている。
予想以上にロストロギアの出力が大きすぎた。
このままでは、結界が破られるのにさほど時間はかからない。
――でも、そんなことは!
魔力が少ないなら運用の仕方を変えるだけ。
一枚で強固な壁を作れないのなら、薄く、しかし幾重にも連なったが故の強固な盾を生み出せば良い。
足りないものは、技術で補う。
魔力量に恵まれなかった僕は、いつもそうやってやりくりしてきたのだから。

「っち……」

やはり無茶であったのだろう。
元々限界が近かった脳にさらに負荷をかけたのだ。
右の視界が閉ざされる。
得られる情報量を減らして負荷を少なくしようという脳の自衛手段だろうか?
気がつけば、右目だけではなく、右耳も音を拾ってこない。
これが一時的なものなのか、それとも永遠に続くのか、まったく見当もつかなかったが、今はそんなことを気にする必要は一切ない。
今、僕のやるべきことは一秒でも長く、結界を持たせることなのだから。

『……ク……君……ロノ……』

そして、どれくらいそうしていただろうか、永遠に続くと思われた時間が終わりを告げる。

『クロノ君! クロノ君! 被験体の収容を完了したよ!』

それは女神の声のように聞こえた。
でも、逆にそれがきっかけで集中力が途切れてしまい、結界が破られてしまう。
押さえがなくなった光は激流となって部屋を埋め尽くし、僕は壁に叩きつけられてしまう。

『わ、クロノ君、平気?』
「ああ、なんとかな、結界を維持する必要がなくなった分、楽になったくらいだ。それより、今の話は本当か? 全員の退避は完了しているのか?」
『……う、うん、後はギャレット君が戻ってくれば完了だよ。だからクロノ君も早く離脱して!』

叩きつけられた体を立て直しながら、エイミィに問いかける。
返ってきたのは、歯切れの悪い言葉。
されど、離脱を呼びかけるその声は鬼気迫るものだったので、指示に従い、壁に寄りかかるようにしながら、部屋を出る。

『クロノ君……って、その右目、何? 真っ赤だよ?』
「ああ、どうやら神経が切れたらしい」
『大変じゃない! それにその様子だと一人で帰ってくるのは難しいよね? ギャレット君が近くにいるから、合流して!』
「了解した。それより、崩壊まで後どれくらいだ?」
『多分、十分くらいかな?』
「……本当に全員収容できたんだな?」
『うん……全員だよ』

部屋から出たことにより、光に直接晒されることがなくなり余裕が出来た。
だから、気になっていた先ほどの歯切れが悪かった返答をもう一度問いただす。
そして、返ってきた答えも、どこか釈然としないものだった。
――らしくないな……
付き合いが長い分、その態度から何かを隠していることを見抜くことは簡単だった。
だが、それと同時に、この相棒が、こうと決めたら簡単に口をわらないことも知っている。
――埒が明かない。ギャレットが近くにいるんだったな。そっちに聞くほうが早いか。

「そうか、分かった、僕が戻ったらすぐに出航できるように準備をしておいてくれ」
『了解!』

そう判断して、通信を切り、先を急ぐことにする。
そして、送られてきた離脱ルートとギャレットの位置座標を確認しながら、走り出す。
いや、走り出そうとした。
だが、考えていたよりも、脳にかかっていた負担は大きかったようで、命令がうまく伝わらず、引きずるようになってしまった足が瓦礫に躓いて派手に転んでしまう。

「……何をしているんだ、僕は」

自分自身に悪態をついてから、体を起こそうとするが、着いた手が滑ってしまい、再び床と抱擁してしまう。
――ちょっと無理をしすぎたか……
体がまったく言うことをきかない。
これでは一人で船まで帰ることは難しいだろう。
ギャレットと合流しろというエイミィの指示は正しかったようだ。

「……魔力が残っていれば、まだ何とかできるんだけどな、はぁ」

魔力があれば、動かない体を強引に動かすことも、飛行魔法を使うことも出来たのだが、今の自分は糸が切れた操り人形よりも始末が悪い。
おとなしく、助けを待つしかなかった。
そして、

「……クロノ執務官?」

それは程なくやってきた。
ギャレットがこちらを覗き込むように見下ろしている。

「ああ、さすがに無理をしすぎたらしい」

差し出された手をつかみ引き起こしてもらう。
だが、立ち上がってすぐにバランスを崩し、再びギャレットに支えてもらうことになってしまった。

「クロノ執務官無茶をしないで下さい、ほら、つかまって」

情けない、そう思いながらも、好意に甘え肩を借りることにする。
そこでやっと、機能している左目の視界に、ギャレットの背中が入ってきた。

「……ギャレット、その子は?」
「……被験体です。この子を船に運べば全員です……」

力なく背負われている小さな女の子。
そのむき出しの手足は、荒れ果てた通路を走ってきたためだろうか、傷だらけだった。
意識はないように見えるのに、その小さな口は絶えず動き続けている。
そして、その唇の動きは、左しか見えない僕にもはっきりと読み取ることが出来た。

「……ママを助けて、か……ギャレット…………高町は?」

こんなに傷つき、意識を失ってもなお、自分ではなく、人を心配できる女の子。
きっと心優しい子なのだろう。
――そうか、救うことが出来たんだな……高町。
感情では女の子の一途な思いに心打たれながらも、行動を支配する理性が、そのつぶやきで全てを悟る。
力なく背負われている女の子、それを背負っているのは迎えに行った高町ではなくギャレットであるということ、そして、どこか挙動不審だったエイミィ。
それらのピースが合わさって、ひとつの結論に結びつく。
先ほどの問いかけは事実を確認するために過ぎない。

「……残念ですが、先ほどシグナルが途絶えたと……」
「……そうか」

答えを返すギャレットの声にも力がない。
同僚を失ったときの喪失感は何度味わってもなれることはない。
ましてや、失われたのは自分よりずっと年下の少女だったのだ。
きっと、守らなければならなかったものを守れなかった悔しさで心が一杯なのだろう。
そして、そのことは僕も変わらなかった。
――行かせるべきではなかったのかな……僕の判断は間違っていたのか……
後悔が頭をよぎる。
だけど、それ以上に――なんて説明すればいいのだろう。
意識を失ってまで、高町を求めている女の子に。
力なく垂れ下がっていた小さな手が何かを求めるように伸ばされる。
けれど、その手が届くことは決してない。
ないのだから。
その光景を見ていたら、自然と口が言葉をつむいでいた。

「結局は救えるものしか救えない……だから、僕達は全力を尽くすしかない、か…………ギャレット、僕達は本当に全力を尽くしたのだろうか?」
「……ええ、クロノ執務官は全力を尽くしました。だから被験体、全てを収容する時間を稼ぐことができたんです」

そのつぶやきは答えを求めてのものではなかった。
だけど、ギャレットは慰めとも取れる返事をくれた。
――本当に情けないな、僕は。
こんな緊迫した状況にもかかわらず弱音を吐いて、さらには慰めの言葉までかけてもらうとは、なんて自分は弱いのだろう。
魔力は空、体は一人では立つことが出来ないほど傷ついている。
でも、まだ意識はある、考えることは出来る。
だから、せめて考えることをやめてはならない。
そう自分に言い聞かせる。
思考を続けることによって、今回の自分がしでかしたミスが明白になり、次に活かせるかもしれない。
思考を続けることによって、これから降りかかるかもしれない危機を未然に防ぐことが出来るかもしれない。
そして、思考を続けていれば、万が一、それが間違いだった場合に――
三つ目の思考はおそらく無駄になるだろう。
でも、万が一ということがある。
誰もその目で確認をしていないのだから。
どんな可能性にも備えて思考をめぐらせること。
それが今の僕に唯一できることなのだから。
まだ動いてくれている右手でS2Uを起動。
エイミィから受け取ったデータを広げて、もう一度頭に叩き込む。
ここは古代ベルカ時代に遺棄されたと思われる中継ステーション。
任務は違法研究であるプロジェクトFの摘発。
この遺跡に派遣された部隊は、執務官高町、ギャレットを隊長とする武装隊一個中隊三十九名、管制司令のエイミィ、オペレーターのグリフィス、シャリオなど、僕を除いて四十三名。
遺跡で研究に従事していた十四名のうち、十三名を確保。
犠牲となっていた被験隊九十二名を全員保護。
これらのことに加えて、遺跡の構造、今現在こうむっている損傷など、逐一頭に入れて整理する。
いまさら、かもしれない。
もうこれから後は脱出するだけなのだ。
無駄になる可能性が高い。
だから、これは半ば意地。
自分が死なせてしまった高町に対する意地。
僕は、全力をつくしたことは決して無駄になんてならないと高町に言い切った。
それによって救うことが出来る命があるのだと。
だから、ギャレットに止められようとも、意識が朦朧としてこようとも、呼吸をしている限り、考えることが出来る限り、全力を尽くす。
まだ出来ることがあるのだから。
だけど、そんな僕の意地は逆にギャレットの足を引っ張ってしまった。
ギャレットもかなり消耗しているというのに、小さな女の子と僕二人を担いで走っているのだ。
そんな状態で僕がデータを広げるために身じろぎすれば、当然バランスを崩してしまう。
取り落とされ床に投げ出されたのが僕だけだったということはある意味幸運だったのかもしれない。

「すみません、クロノ執務官、大丈夫ですか?」
「ああ……」

助け起こしてもらいながら、ギャレットに背負われている女の子が無事であったことに胸をなでおろす。
高町が命を張ってまで救い出したこの女の子に何かあったのなら後悔どころではすまないだろう。
その顔に傷ひとつないことを確認してから、再び思考に戻る。
馬鹿なことを、と自分でも思ったが、半ば意地になっていたため、やめることが出来なかったのだ。
全力を尽くすことは無駄になんてならない。
そして、そんな僕の意地に応えてくれたのだろうか?
気がつくことが出来た。
あらゆるものから情報を得ようと気を張っていたからこそ気がつくことが出来た。
遺跡の揺れが一際大きくなったときにそれは聞こえてきた。
まるで場内アナウンス。
しかし、それは決して設置されているスピーカーから聞こえてくるものではなく、直接脳に入ってくる念話のようなものだった。

『Uberschritten die kritische Ausgabe von Tur zu reisen. Denn Sicherheit nicht funktioniert, beginnt es von Selbstzerstorung. 149 durch das Spektrum gefuhrt, verlassen Sie bitte sofort.』

あわてたように首をめぐらせるギャレット。

「クロノ執務官、これは……?」
「……古代ベルカ語? いや、もっと古いか?」

まったく聞き覚えがない言語。
S2Uに翻訳させようとするも、出来たのはたった一つの単語だけ。
百四十九名。
痺れが走った。
そして、その痺れと、ずっと続けていた思考が、理性とは別に口を開かせる。

「……ギャレット、魔力はどれくらい残っている?」
「……クロノ執務官?」
「その魔力分けてもらえないだろうか?」
「……何をしようというのです? そんな体で?」
「体は動かないが、魔力があれば簡単な魔法、飛行魔法くらいなら使うことが出来る。だから確かめに行く」
「何をです! もう高町執務官は……」
「ああ、そうなのかもしれない。けれど、今のを聞こえたか? 百四十九名、そういったんだぞ? 死んでいるものを一名とは数えないだろう? だから行くんだ」
「そうかもしれないですが、でも、時間が!」
「ああ、そこら辺はちゃんと考えてある。エイミィに伝えてくれ、ギャレット君が戻ったらすぐに出航するようにと。そしてこの座標へ……」

エイミィへと伝言を受け取った、ギャレットはその意味を悟り血相を変える。

「無茶です! 虚数空間を跳んで、船に飛びつくなんて!」
「心配は要らないよ。僕は器用なんだ、そういった小技くらいいくつか用意がある」
「だったら、私が行きます!」
「駄目だよ、ギャレット君が行ったら、この子はどうするんだ? 僕では運ぶことは出来ないし、君が魔力を僕に分け与えたら、君が高町のところにたどり着くことが出来なくなる。だから、僕が行くんだ……それに」
「それに?」
「さっきからうるさいんだよ」

右手で持ったS2Uを杖代わりにしながら、ギャレットから離れる。

「だから、早く僕に魔力を分けてくれないか?」

そして、ねだるように左手を伸ばした。

「結局は救えるものしか救えない、けれど、救えるものは残さず救う。そうだろう? ギャレット」

そんな僕の姿を見てギャレットはあきれたように笑いを浮かべる。

「……本当にあなたは昔から変わらない」

伸ばされた左手に重ねられる右手。

「高町執務官のことを言えませんよ。あなたのほうがよっぽど無茶苦茶だ」
「……む」

先ほど、僕と高町が似たもの同士だと自覚してしまったため、その言葉に対して何も言い返せない。

「……まったく、リミエッタ司令への言い訳はクロノ執務官がしてくださいね。意外に怒ったら恐いんですから、彼女は」
「……大丈夫だよ。僕は怒られなれている」
「まったく、なにが大丈夫なんだか……高町執務官と一緒に戻ってこなかったら、リミエッタ司令だけじゃなく、私も承知しませんからね」
「ああ」

重ねられた手はいったん離れ、そしてまた交差する。
甲高い音が鳴り響いた。
それを合図に起動する飛行魔法。
慣れ親しんだこの術式は特に意識しなくても維持することが出来る。
それに今やらねばならぬことをはっきりと確認できたおかげで、朦朧としていた意識もはっきりしてきた。

「ああ、出来れば船に戻ったらその子を目覚めさせてあげてくれないか? 出迎えがあったほうがきっといい」
「……そうですね。そのほうが高町執務官が喜びそうですね。しかし……本当にあなたは……」
「ん? どうかしたか?」
「いえ、何でもありません。それより、おそらく離脱の時間も考えるとその座標にとどまっていられる時間はほんの一、二分です。急いでください」
「分かった。行ってくる!」

一気に加速して、無事を祈るギャレットの声をおいて行く。
建物の中で、しかも崩れかかっており、いつ上から瓦礫が降ってくるか分からない状況で音速を超えるほど速度を出すなんて自殺行為。
普段の自分ならば決して選ばない選択肢だが、今は何故か、そのことに対する不安はなかった。
――本当に僕も無茶苦茶だな。
自分自身にあきれながらもさらに速度を上げる。
この速度で行けば、高町のシグナルが失われたところまでほんの数秒。
捜索と負傷していれば治療の時間を考えても充分、リミットまで余裕がある。
だから、きっと。
そう思っていた、思い込もうとしていた。
その光景が目に入るまでは。
目に入ってきたのは血の海。
その中に沈みように横たわっている高町の姿だった。
その手にはコアが砕け散って機能が停止した愛機が握られている。
それだけであるのならば、先ほど実験室で見た光景とさほど変わらない。
しかし、大きく違っている点があった。
わき腹が大きくえぐられ、今も噴水のように血が流れ続けている。
先ほど、治療魔法を受けたとはいえ、流れ出た血は補給できたわけではない。
それに加えてまたこの出血。
死んでいてもおかしくはない。
――いや、まだだ!
失意のそこに落ち込もうとしている感情を、理性が押しとどめる。
血が噴水のように吹き出ているということは、まだ心臓が動いているということ。
死んではいない。
駆け寄って、わき腹に手を当て治療魔法を発動させる。
だが、もともと、自分の治療魔法はあくまで応急処置的なものでしかなく、さらには今は魔力がほとんどない。
ここまで深い傷を塞ぐことなど出来るはずもなかった。
だから、再び無茶苦茶な方法を取る。

「デュランダル!」
『OK, Boss.』

左手にデュランダルを起動、それを傷口に押し当てる。
凍りつく傷口。
本当ならユーノのときのように全身を氷の棺に入れてしまったほうがいいのだが、今はそれをやるほどまでに魔力が残されていない。
だからこれは気休めにしかならない。
傷が氷で塞がれても、出血によって弱った命は今にも失われてしまうかもしれない。
僕にはこれ以上どうする手段も残されていない。
だから呼びかける。

「高町!高町!」

もう縋ることができるのは、本人の生命力、意思だけなのだから。
だから、高町が生きていてもいい、生きていたことは無駄ではなかたっと、伝えるしかない。
冷たくなったその体を背負いながら必死で呼びかける。

「高町! 高町! あの子は保護したぞ! 救えたんだ! 無駄じゃなかったんだ! おまえのやったことは無駄じゃなかったんだ! こうやって救えた命が確かにあるんだ! だから、高町! いつか約束も果たせる! 僕も協力する! だから! 高町!」

飛行しながらの呼びかけ。
音をおいていくような速度で飛んでいるのだ、その呼びかけがどこまで高町に届いたか分からない。
だから高町が意識を取り戻したのは、別に理由があるのかもしれない。
もしかしたら、炎が消える前に一際大きく燃え上がるようなものだったのかもしれない。
だけど、今はそれに縋るしかなかった。

「……ヴィヴィオ」
「ああ、そうだ! あの子は無事だ。今頃船に収容されている。だから、高町、おまえのやったことは無駄じゃなかったんだ。救うことが出来たんだ!」

次に意識が失われたらきっともう終わり。
だから保つために語り続ける。

「……違うの、違うの。私は最後そんなこと、救うことなんて何も考えてなかった。ただあったのは憎しみだけ……殺したいと思う心だけ。だからあの子を救ったのは私じゃない」

けれど、それは逆効果だったのか、高町はうめくように自らをさいなむようにつぶやき続ける。
このままでは、先に心が失われてしまう。
そうなれば命も。
だから――

「そんなわけがあるか!」

全てを否定する。

「あの子の手足を見たか? 傷だらけだった! 高町、おまえを助けるために救いの手を捜すために、あんな小さな子がこの揺れる遺跡の中を、瓦礫で埋め尽くされた道を走り続けたんだ!……子供というのは鏡みたいなものだ。高町。おまえがあの子を助けたい。救いたいと心から願ったからこそ、あの子もそう願ったんだ。だから、高町!」
「……ヴィヴィオが?」
「ああ、そうだ。船でおまえの帰りを待っている。だから、あと少し耐えろ!」
「……そう、ヴィヴィオが」

朦朧としている高町にどこまで僕の言葉が届いたか分からない。
だが九割が消えてなくなっても、残りの一割が伝われば、それでいい。
あの女の子が、ヴィヴィオが高町を待っている。
それだけでいい。
高町はどこまでもまっすぐだ。
だから、裏切れない。
待っている人がいるというのに一人で逝くことを選ぶことなんて出来るはずなどない。

「……ヴィヴィオ」
「もうすぐ、もうすぐだ! 見えたぞ、高町!」

そして、僕の予想通り、願いどおり、高町は耐えることが出来た。
遠くに小さく船が見えてくる。
朦朧としている高町にはしっかりと見えているだろうか?
だんだんと大きくなっていく船の扉から手を振り、必死で呼びかけ続けている女の子の姿を。

「ママ! ママ!」
「ヴィヴィオ……」
「っく、行くぞ、しっかりつかまっていろ!」

母を求める女の子と、その子のためだけに命をつないでいる高町との間に横たわっている魔法を全て無効化する虚数空間。
これを跳び越えなければ、母と子の再会はありえない。
だから、そのために僕は再び無茶をする。

「ええい! 魔法まで使うことになるとはね。これでは何も言い返せないな」

S2Uを逆手に持ち下に向ける。
そして、

「ディバインバスター!」

放たれる砲撃。
魔法を全て無効化する虚数空間でも、すでに発生してしまった結果を覆すことは出来ない。
砲撃によって加速した質量を押しとどめるには同じだけのエネルギーをぶつけるしかない。
実体を持たない虚数空間にはそれを実行することは不可能だ。
だから、届いた。
飛行魔法が苦手な高町が空を飛ぶために作った魔法が、母と子を結びつけた。

「本当に無茶苦茶ですね!」
「ああ! 僕もそう思うよ!」

精一杯に伸ばされた左腕。
その手に握られているデュランダル。
その先をギャレットがしっかりと握り締めていてくれた。

「まったく……しっかりつかまっていてください。今引き上げますから。あとリミエッタ司令がかんかんですよ。覚悟しておいてくださいね」
「……それは少し恐いな。もう少しこのままでもいいかな?」
「ママ! ママ!」
「何を言っているんですか、支えているこっちも辛いんですよ、なんと言っても二人分ですから。それに早くこの子と高町執務官をあわせてあげないといけないですからね」
「そうだったな……高町?」
「……ヴィヴィオ」

首を後ろに向けると、高町はしっかりと僕にしがみついていた。
先ほどまで朦朧としていたのが嘘のように瞳にしっかりとした光を浮かべている。
酷使しすぎた右腕が、安心したのか機能を停止してしまったので高町を支えることが出来ないでいたが、この分なら引き上げられるまでしがみついていることくらいは出来るだろうと判断する。

「ママ! ママ!」

逆に女の子のほうが体を乗り出していて、今にも落ちそうで危なっかしい。
見ていて微笑ましくはあったが。

「ふう、やっと終わったな……」

頬が緩んだことで、気も緩む。
そして、それは僕だけではなかったのだろう。
皆終わったと思いこんでしまっていた、武装隊の面々もエイミィも、オペレーターの二人も。
まだ終わってなかったというのに。
だから、気がつくのが遅れてしまった。

「……ギャレット、後ろ!」
「え!?」

縛られておとなしくしていた研究員の一人が突然暴れだす。

「聖王陛下は、渡さない!」

気が緩んでいた局員達の制止が遅れる。
それはほんの瞬きするような時間。
でも、それは小さな女の子を突き飛ばすには充分な時間だった。

「……ママ?」

まるでコマ送りのように感じられた。
突き飛ばされ、船から落ちていく女の子が僕の横をゆっくりと通り過ぎていく。
手を伸ばそうにも左手はふさがっていて、右手は動かない。
だから、伸ばされたのは僕の手ではなかった。

「ヴィヴィオ!」

小さき命を救うために伸ばされた手。
その手は確かに届いた。
けれど、それは自らの命を手放すことを意味していた。
ぎりぎりの状態でしがみついていた高町に、子供とはいえ、一人の人間が落ちてくる衝撃を受け止める力などあるはずがない。
手がつながった代わりに、高町は僕から引き剥がされる。
その反動で、ずっと握り締められていたレイジングハートも離れていく。

「高町!」

振り向き、下を見るが、目に映るのはだんだんと小さくなっていく二人の姿。
それは手を伸ばしても届かない無限に等しい距離。

「高町!」

呼び声はむなしく虚数空間に吸い込まれる。
そして、

『駄目! 時間! 空間がはじけるよ!』

エイミィの叫びと共にそれは起こる。

『Start der Selbstzerstorung. Die Namen sind oberste Prioritat im Rahmen der Rettung. Transfer in Kraft.』

再び流れたアナウンス。
そしてそれと共に、

「高町ぃぃぃ!!」

空間は白い光に包まれた。




















まるで葬儀の場みたいだった。
本局への帰途、誰も口を開こうとしなかった。
確かに皆ぼろぼろで疲れ果てていたけれど、理由はそんなことじゃないのは私にも分かっていた。
視線を前の方に向けると、一つだけ誰も座っていない椅子が目に入った。
昨日までそこで俯き加減で仕事をしていた栗色の髪の少女はもういない。
――結局は救えるものしか救えない……やっぱりそうなのかな? クロノ君……
この言葉をいつも悔しそうに口にしていた男の子は与えられた個室に篭もったまま出てこない。
一言、すぐに報告できるようにデータをまとめといて、と私に頼み事をしたのを除いて、呼びかけのコールにも答えてくれない。
――やっぱり今回ばかりは、そうだよね……私も、もう限界だよ……
支えて欲しい、支えてあげたい、そう思ってもお互いが傷つきすぎていて触れ合うことすら恐い。
きっと、それはこの作戦に参加した全員が同じなんだと思う。
だから、皆口を開かない。
違法研究のデータは回収できた、容疑者も確保できた、被験体もほとんど助けることができた。
たくさんの人を救えて、これから起こるであろう被害を未然に防ぐことが出来たんだ、作戦は成功したといってもいいと思う。
だから、私達は胸を張らないといけない。
そうして、救えた命を見ていかないと、次へ進めない。
私たちにはそれがよく分かっている。
でも、今まで出来ていた、心の持ち方が出来ないほどに、今回は不意打ち過ぎたんだ。
……一人の犠牲も出さずにすんだ、そう皆が思ってしまったから。

「ふう、私がしっかりしないとね……シャーリー、入港準備よろしく……グリフィス君は、データの整理頼めるかな?」
「分かりました」
「……はい」

二人の声も暗い。
確か、所属が同じ部隊から犠牲者が出たのは初めてだったはずだからなおさらなのかもしれない。
――いきなり、すぐには無理だよね。私にさえ無理なんだから、時間をかけるしかないよね。
幸か不幸か私たちにはそれが許されるだけの時間が与えられた。
表向きは作戦行動によって受けた負傷の治療のための休養。
だけど、そんなことはとってつけた理由にしかないということは私にもよく分かった。
きっと、これ以上この件に関わらせないためなんだろうね。
私たちが戻ってくるとは思っていなかったんだと思う。
艦にたどり着いたときの艦長の慌てようといったらなかった。
そういう筋書きだったんだとクロノ君は言う。
私たちが命をかけて得た情報。
断末魔の代わりに送られた最期の通信。
それを元に一斉検挙。
そんなことだろうと。
だから、私達はいてもいなくても変わらない、いや、いるだけ邪魔なんだろう。
――本当に、もう、何のために。
悔しさがこみ上げてくる。
私達は何のために命を懸けたのだろう。
そして、なのはちゃんは。
こみ上げてくるものを抑えることが出来ない。
思わず、今からあの禿艦長をひっぱたきにいこうかと物騒なことまで考えてしまう。
――うん、そうしよう。
そして実行に移そうと決断を下す。

「……変なことを考えないで下さいね、リミエッタ司令」

でも、それはすぐ水を差されてしまった。

「あ、ギャレット君」
「……気持ちは分かりますが、やめて起きましょう。そんなことをしても何も変わりませんよ」
「……うん、そうだよね。分かってはいるんだけど、どうしてもね……ギャレット君は平気なの?」
「……ええ、まあ、落ち込んでいても私がミスをしたことは変わりませんから」

ギャレット君は表情を曇らせる。
もしかしたら一番後悔しているのは、私でもなく、クロノ君でもなく、ギャレット君なのかもしれない。
あの時、ギャレット君が出した指示。
拘束を強化することではなく、昏倒させることを許可していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
――そんなこといったら、その通信を聞いていながら、聞き流してた私の責任のほうが重いんだけどね……
後悔、先立たず。
過ぎ去ってしまったことは変わらない。
そんなことは分かっているんだけれど、どうしても受け入れることが出来ないでいた。
――みんなを励ます前に、まずは私から、かな?

「はあ」
「リミエッタ司令?」
「本当にこれからどうなるんだろうと思ってね……さあ、本局に着くよ。少し揺れるから、席についていてね、ギャレット君」















本局についた私たちを待っていたのは休暇と言う牢獄だった。
休暇といっても実質待機だから本局から出られるわけではない。
大都市のように色々なものがそろっている本局ではあるけれど、今はこの閉鎖された空間がとてもたまらなかった。
ここだってそう。
良く出来た公園を模した空間。
ベンチに座って空を見上げれば、どこまでも青い空が続いているように見えるけれど、そんなものはまやかしだ。
息が詰まってしまう。
せめて、仕事があったのなら気を紛らわせることも出来たのだろうけど、休暇中とあってはそれすら許されない。

「本当に、クロノ君は……」

クロノ君は船を下りてから一回も姿を見せてくれなかった。
相変わらず私のコールを無視し続けている。
本局から出ていないことは間違いないのだけれど、どこにいるかまったく見当がつかなかった。

「はあ……」
「おう、どうした嬢ちゃん、しけた面して」
「え、あ、おじ様。どうして、こんなところに?」
「付き添いだ、付き添い。娘達の定期健診だよ。まあたまの休暇くらいこうやって家族のことをやらないと忘れ去られちまうからな、親父って言うのはそんな役割だよ。っと、こいつと顔をあわせるのは初めてだったか。うちの新しく出来た息子、エリオだ。ほれ、エリオ挨拶しな」
「……エリオです」
「よろしくね、エリオ君。エイミィだよ」

ベンチでぼうっとしていると不意に横から声をかけられた。
振り向いてみれば、クロノ君がミッドでお世話になっているナカジマ家の大黒柱、ゲンヤさんだった。
その足に隠れるようにちっちゃな男の子がしがみついている。
ゲンヤさんに促されると、ちいちゃく頭をこくっとさげて挨拶してくれた。
ゲンヤさんとは何度か情報のやり取りをしてただけの関係だけれど、すっごく懐が大きな人っていうことは感じられていた。
だから、思わず弱音が漏れてしまう。

「……もう、駄目かもしれないです私たち」
「……随分と大変だったらしいな」
「ええ、お姉さんぶっていながら、結局なのはちゃんには何もしてあげられなかったし、下手な餌に食いついたせいでカリムさんたちには随分迷惑かけちゃうし」

本局へ着いてみてからわかったのだけれど、本当の狙いは私たちではなく、聖王教会だったみたい。
一部の暴走を派手に騒ぎたてて、管理局に食い込んでいる教会の勢力を一気にそぎ落とすのが今回の目的だったみたいだ。
今頃教会の代表のカリムさんは対応で大忙しだろう。

「まあ、教会のほうは、なるようになるだろうよ。カリムの嬢ちゃんはああ見えて、結構図太いからな、何とか乗り切るさって、おっと、これは上官かつ教会の偉い司祭様に失礼な言い方だったかね?」
「……うふふふ、カリムさんはああ見えて優しいですから、きっと許してくれますよ」
「おお、そうかいそうかい、子供三人抱えて路頭に迷う羽目になるかと思っちまったよ」

私を励ますためだろう。わざとおどけて見せてくれるゲンヤさん。
その心遣いを嬉しく思いながら、でも心の底から笑うことは出来なかった。
笑いたくても笑えない。
どうしても思い出してしまうから。
――なのはちゃん……
あの子はどこまでもまっすぐだった。
願っていたのはすごく簡単なことだった。
友達とみんなで笑いあっていたい。
そんな簡単な願いをかなえるために、なのはちゃんは無茶をして帰らぬ身となった。
ずっと、なのはちゃんのことを見ていた私はそのことを良く知っているから。
だから、全てを忘れて笑うことなんか出来なかった。

「……なのはちゃん、本当にごめんね……」

涙が零れ落ちてくる。

「嬢ちゃん……」

泣きじゃくる私にさしものゲンヤさんもかける言葉が見つからないようだ。

「ごめんね……ごめんね、私が不甲斐ないばかりに……私にもっと力があれば、もっと頭を使って入れば、死なせることなんかなかったのに、きっと約束を果たす事だって出来たはずなのに!」

泣き声は、いつの間にか慟哭に変わっていた。
公園にいた人々が何事が起こったのかと、視線を集め始める。
普段の私ならきっと恥ずかしくなって、隠れようとしただろう。
でも、今だけは、とてもそんな気にならなかった。
皆に見て欲しい、そして責めて欲しい。
そんなことで許されるとは思わないけれど、そうしないと気がすまなかったのだ。
嘲笑って、石を投げつけて。
そんな願いが込められた慟哭。
それを止めたのは嘲笑でもなければ投石でもなかった。

「死んでなんかいない!」

強い否定の言葉。

「約束したから……すごく一方的な約束だけど、まだ果たせていないから!」

ずっと、父親の影に隠れていた男の子がまるで人が変わったかのように大きな声を上げる。
いや、本当に変わったのかもしれない。
どこか口調も女の子っぽくなっている。

「あの子は生きてる! 生きてるよ! だってまだ輝いているもの! あんなに強い光ほかにあるはずないもの!」
「エリオ?」
「エリオ君……?」
「だから、助けに行かないと!」

突然のことで首をかしげている私たちをおいて、エリオ君はどこかに駆け出してしまう。

「ったく、しょうがねぇな、おいエリオ、どこ行こうってんだ!?」

ゲンヤさんが慌ててそれを追いかける。
私もよく分からないけれど、とりあえず追いかけよう、そう思って、ベンチから腰を上げたところで呼び止められた。

「エイミィ、何をやってたんだ。さっきからコールしているのに出ないで、探したんだぞ」

振り向いて見れば、自分のことを棚にあげて発言をしているクロノ君の姿があった。

「……なによ、ずっと私が呼んでも応えてくれなかったくせに、助けてくれなかったくせに」

なのはちゃんがいなくなったというのに、まったく気にした様子を見せずに変わらぬ表情を浮かべているクロノ君を見て、思わず愚痴がこぼれ出る。

「……何を言っているんだ? エイミィ?」

クロノ君は本当に分からないといった感じで首をかしげる。

「だから、私達のせいで、なのはちゃんは!」

だから、精一杯の気持ちをぶつける。

「……嘆いている暇はない。そんなことをしている暇があるんなら手伝ってくれ」

だけど、クロノ君はそれさえも一蹴する。

「手伝うって何を!」

そして、当たり前のように言い放った。

「まだやること、すべきことは残されている。僕達は、まだ全力を尽くしていない」

と。


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