「ゲンヤさん、お久しぶりです」
「おうよ、がんばっているそうじゃねぇか」
休日の昼下がり、子供たちを連れて足を運んだた公園。
そこに目的の人物はいた。
「お兄ちゃん、お疲れ様! はい、タオル!」
抱きかかえていた娘が腕から飛び降りて、青年の下に駆け寄っていく。
いつも元気一杯の娘だが、今日は普段以上に張り切っているように見える。
幼いながらも気づいているのだろう。
だから、精一杯の笑顔を浮かべて元気付けようとしているのだ。
「ああ、ありがとう」
礼を言ってタオルを受け取る青年。
そして、娘に笑顔を向け、その頭に手を乗せる。
青年が大好きな、娘は普段だったのならそれだけでおおはしゃぎするのだが、今のそんな幼い感情の発露さえ憚られる。
そんな雰囲気を青年は纏っていた。
「……え、えとね、お母さんからお弁当を預かってきたんだよ! 一緒にお昼にしよう! それに今日はエリオも着ているんだよ! エリオ、こっち!」
それでも負けないといわんばかりに、娘は援軍を呼んだ。
「ほら、呼ばれているぞ、エリオ」
足にしがみついて体を隠すようにしている幼児の背中を押す。
一年ほど前に家族になった男の子。
育った環境が環境であったせいか、最初はなかなか打ち解けてくれなかった。
家族に打ち解けた後は、今度は外に出ることを恐がり始め、このごろやっとこうやって連れ出せるようになったのだが、
「ほれ、別に恐いもんなんてなにもねぇぞ」
どうやら、スバル以上に人の感情に敏感のようで、そのため、最近は青年を避けているようであった。
「たく、しょうがねぇな、ほら、坊主もそんな仏頂面していないで笑え、笑顔だ笑顔」
「え、ええ」
ぎこちない笑みが幼児に向けられる。
「……たくよぉ」
元々表情が豊かなほうではなかったが今の青年はひどすぎる。
あれは笑顔になっていない。
内に篭もった感情を隠せていない。
青年の性格、生業からいって、そういったものを隠すのには慣れているはず。
自分とて、青年の感情の機微を読み取るのは、いつも苦労していた。
だが、今は、それがまったくできていない。
初対面の人間でも分かるであろう。
気落ちしていると。
「……どうでぇ、少しは得るものがあったのかい?」
それに気がつかぬ振りをして、いつものように飄々とした笑みを向ける。
「ええ、それなりには……」
「そうけぇ……ま、難しい話はおいておいて飯にするか」
青年の瞳に光がないことを確認して背を向ける。
――本当に余計な水を指してくれる。
瞳に宿った怒りの炎を悟られないために。
自分は期待していたのだ。
青年の成長に。
次に会うときはどれだけ大きくなっているか、楽しみで仕方がなかったのだ。
それは息子を持った父親の気持ちと同じようなものであった。
だからこそ許せなかった。
壁を乗り越えるために努力しているところに、あざ笑うかのように出された辞令。
行き詰っていたところに、目標まで奪われたのだ。
いくら青年が強い意志を持っていたとしても、これでは続くはずもない。
――いいぜ、いいぜ、人事権をおもちゃのように使えるのも今のうちだ。思う存分に堪能しておきな。
怒りにそっとふたをしてから、改めて青年のほうを振り向く。
「ほら、なにつったってんだ。かみさんが気合を入れて作った弁当だ。気合入れて味わわねぇと罰が当たるぜ」
「うん!」
「うん……」
「はい」
片隅にあるベンチに陣取って、嫁から持たされた弁当を広げる。
「ほう」
その中身を見て、思わず声を上げる。
嫁の最近の弁当に対する力の入れように驚きを覚えた。
残り物をつめてもらっている自分の弁当から、かなり気合のはいったものになっていることは察していた。
「……こりゃあ、すげぇな」
しかし、それは想像をはるかに超えていた。
嫁なりに、青年のことを気遣っているのだろう。
「いただきます!」
「いただきます……」
「おう、たくさん食え、坊主も遠慮してねぇで、ほら、食わないと治るもんも治らねぇぞ、体、まだ本調子じゃねぇんだろ」
「はい」
しかし、青年から返ってきたのは力のない返事だった。
――しょうがねぇなぁ、やっぱり巻き込むしかねぇか。
このまま放っておいたら、立ち直るにはかなりの時間を要する。
ならば、一回別なほうに目を向けさせたほうがいいだろう。
それに、この一件は青年の悩みとまったく無関係というわけではないのだから。
「坊主、飯食い終わってからでいいんだけどよぉ、きいて欲しい話があるんだ」
持ってきた水筒からお茶を注いでやりながら、青年に話しかける。
「……なんでしょう?」
あまり食欲がないらしく、食べることにほとんど口を使っていない青年が、すぐに先を促してきた。
「まあ、そうあせらねぇで、まずは食いな、万が一にも残そうもんなら、かみさんになんていわれるかわかったもんじゃねぇ。俺の顔を立てると思ってな」
焦る青年を宥めて食事を続けさせる。
これから、やろうとしているのはある意味荒療治。
出来る限り体力をつけておいてもらわなければ、逆効果に成ることは間違いない。
「ほれほれ、残さず食えよ、あ、スバル。それはだめだ。坊主のだ。手を出すとお姉ちゃんに何されるかわかんねぇぞ」
「え、あ、うん。はいお兄ちゃん」
「ああ、ありがとう」
娘を主戦力として山のようにあったお弁当はあっという間になくなっていく。
そして、
「ふう、やっぱり、食後のお茶はいいねぇ。至福のときだな」
くつろぎのひと時。
しかし、今の青年にはそんなひと時を楽しむ余裕もないようだ。
「それで、ゲンヤさん話とは?」
「急くねぇ、まあしょうがねぇか……いや、大見得切った手前いいにくいんだがよぉ」
頭を後ろ手にぼりぼりとかいて、いかにもすまなさそうな表情を作る。
「すまね、行き詰っちまった。手を貸してくれ!」
初めてのお使い 第三話
人の手が入っていない、そうとひと目で分かるほど自然が豊かな未開の世界。
ぽかぽかと暖かい日差しが照りつける静かな草原に座ってすぐ隣にいる人に聞こえるようにわざとらしく独り言を呟く。
「うーん……なんでだろう?」
腕を胸の前で組んで、首をかしげて悩んでいる格好を作る。
「なんででしょうか?」
肩の上で相方が同じような仕草を取る。
「もう、半年くらいたっているのに、何でまだ半分も戻れてないんだろう?」
「どうしてですかね?」
本当に分かっていないようなので、首を傾ける方向を逆にして見る。
「わ、痛いです~~なにするですかぁ?」
ぷにといった感触が頬に感じられる。
こちらも少し痛かったが、我慢して顔には出さないようにする。
「本当に何でだろうね?」
「わ、わわ」
なにやら悲鳴が上がっているが気づかない振りをしてさらに傾ける角度を深くする。
「つぶれちゃうですぅ~」
もうそろそろ、ぷちという音がしそうになってきたので、首の角度を元に戻す。
これでも一応は相方であり、私の本体とも言える存在だから、本当につぶれてしまっては困る。
「うぅ、ぺちゃんこになるところでした……」
「うん、そのほうが早くつくかもね」
「どうしてですかぁ~?」
「……はぁ」
本当に分かってなさそうな肩の上の君を見てため息をつく。
なんだろう。
本当なら私は母さんと一緒ならすごくわがまま一杯言える年頃なのに、この子といると私がお姉さんな分色々と大変な目にあっている気がする。
「どうしたですかぁ? ため息をつくと幸せが逃げるですよ?」
ため息の原因は心配そうに頬をぺちぺちと叩いてきた。
それをじと目で眺めて、
「……私達は大切なお使いの途中なんだよ? 分かってる?」
「わかってるですよ!」
「だったら、何であっちこっちふらふらするのかな?」
「えーとですね……」
ここまでいってやっとこちらの意図が伝わったのか、だんだんと言葉尻が小さくなっていく。
「だって、すごいんですよ?」
「なにが……?」
「全部がです!」
なにやら自慢げに両手を一杯に広げる。
「……うん、気持ちは分かるんだけど」
私では一つずつしか世界を転移で移動することは出来ない。
しかも、素の状態ではその一回で魔力を使い果たしてしまう。
だから、魔力が回復するまでの間その世界にとどまることになるんだけれど、
「もう、初めて見るものが一杯です!」
そのたびに、ふらふらとどこかに消えてしまうのだ。この手がかかる妹分は。
生まれてから一年足らず、知識はあれど経験がないこの子にとっては何もかも珍しいということはすごくわかるのだけれど。
そんなことを考えていたら、どうやら隙を作ってしまったようだ。
「あ、だめだよ!」
肩の上の君はそう言って目を輝かせながらまたふらふらとどこかに飛んでいこうとする。
手の届く範囲外に出られたら魔力がなくなってしまっている私では追いかけることが出来ない。
一生懸命手を伸ばして捕まえようとするが、相手は小さくすばしっこい。
運動があまり得意ではない私ではなかなか捕まえることが出来なかった。
「んもう、本当に駄目だよ! 私だって我慢しているんだから!」
もう飛び上がらないと届かない位置まで上がっていってしまった肩の上の君。
息が切れてきたので、飛び上がるのをやめて少し恨み言が篭もった制止の声を投げかける。
「だから!、だめだよ!もう少し休んだら魔力回復するんだから……あれ?」
それが効いたのだろうか?
全力で飛び上がってもぎりぎり届くか届かないかくらいの高さで肩の上の君は動きを止める。
「ええと、分かってくれたのかな?」
ピクリとも動かなくなってしまったその背中に恐る恐る声をかける。
妹分は見た以上に心が優しい子だ。
もしかしたら、必死の呼びかけが通じて、一人で遊びに行くことをやめてくれたのかもしれない。
しかし、その予想はある意味当たっていて、ある意味大はずれであった。
「どこですか?……」
小さく呟いて、あたりをきょろきょろと見回し始める。
「え、えとどうしたの?」
その表情があまりにも真剣であったため、私も一緒になって辺りを見回しながら尋ねる。
「声が聞こえたです……」
「声?」
「はいです。助けを求めてました。それに……」
「それに?」
「どこかはやてちゃんに似ていたです!」
「あ、だめだよ!」
妹分は声を張り上げると大きな魔法陣を展開し始めた。
転移魔法陣。
「わ、わ、どこに行くの!? だめだよ! また大変なことになっちゃうよ!」
あの子が魔法を使って問題が起こらなかったことなんて、今まで一度もなかった。
だから、やめさせるために、必死になってその足に向かって飛びつく。
「待ってるですよ!今行くです!」
その努力が天に届いたのか、何とかその足先に手が触れる。
しかし、それは、
「わ、わわわわ」
すでに遅く転移魔法陣が作動し始めた後であった。
眩いばかりに輝く正三角形。
その輝きから込められた魔力が相変わらず途方もない量だということが分かってしまった。
これだけの魔力が正常に働いたのならば、次元世界の端から端まで飛べてしまうかもしれない。
それどころか、時間すら力押しで飛び越えてしまうかもしれない。
そして、それを操るのは制御のせの字も知らないような鉄砲娘。
「行くですよ~~!」
自信満々の声と共に魔法が発動する。
もうこうなってはとめることなんて出来ない。
下手に止めようものなら周辺世界十数個が吹き飛んでしまうかもしれない。
だからせめて、離れ離れにならないように妹分の足をぎゅっと握り締める。
――いつになったらお使いをやり遂げることが出来るのかな?
そんな諦めが篭もったため息をつきながら。