「…………」
『これは、どうしようもありません』
詰んだ。
闇の書浄化計画はここで一つの転機を迎えた。
簡単に説明すると、防衛システムが確実に起動することが判明した。ロジックには悪意しか感じられない。これはよほど破滅が好きな狂人か、悪の代名詞とでも言える人物の手による改変だろう。
どこかの無人世界で極秘裏に起動させ処理するという案は、はやてからは世界をまたいで離せないせいで無理だ。闇の書のプログラムである守護騎士が持ち運ぶのなら問題ないが、私の権限は、言うなれば偽造ゲストアカウント。セキュリティに気づかれないように慎重に解析を進めていたから今までどうにかなっていたが、これ以上はもう、無理だ。
夜天の書の原典が見つかれば、あるいは、可能かもしれない。しかし、無いものねだりにすぎない。探してはいるが、無限書庫にセンチュリアを送り込みまくる訳には行かないし、遅々として進んでいない。
「いっそ現状維持という手もあるな。私を消費し続ければ、はやては死ぬことはない……」
『……八神家地下施設の設計を開始します』
エイダの声はどこまでも平坦だ。私は知っている。こういうとき、エイダは冷徹であろうとする。感情というロジックを停止させ、論理的な計算ができるように。
私を『消費』するのが感情で許せないから、エイダは冷徹になる。
「プランは――――闇の書を完全閉鎖型地下施設に隠匿。私の生産プラントを配備。死体を再利用できるようにリサイクルプラントも設計してくれ。完成と同時に移送、グレアムも解放しよう……ん? これ、まさか本当に最善の手か?」
『八神はやて及びヴォルケンリッターの存在を脅かさず、かつ有能であるギル・グレアムを失うこともありません。夜天の書の管制人格も、時間があれば解放できる手立てが見つかる可能性もあります。闇の書が発見できなければ、ギル・グレアムも行動できないと考えられます。現状では最善手と言えるでしょう』
瓢箪から駒、とでも言うのか。まさか、苦肉の策が最善手だった。
私は、そしてエイダは、この世界の誰よりも闇の書を熟知している。故に、闇の書に関して知らないことがあることも知っている。それを知るための権限が必要なことも、それを手に入れるためにはやての協力が必要なことも。夜天の書の原典があれば、ほぼ確実に修復できることも。そう、知っている。
「やっと、この部屋が広くなるな」
私が16個体立ち並び、ベッドに5個体転がり、そして3個体が解析と魔力パスを管理している。躯は子供ではあるが非常に狭い。
「エイダは否定するだろうが、私はこれでいいと思う。私は苦痛を感じないし、死ぬこともない。個体の死で『死』を実感することはあっても。私には数がある。私は兵器だ、攻撃機やミサイルと変わらない。代わりはいくらでもある。だから、もう、失うことは恐れなくていい。100個体しかいなかった頃とは違う」
『それではありません。私が気づいていなかったとでも?』
ばれたか。
『以前から妙な魔力の流れを検知していました。こっそりしているつもりでしょうが、独立型戦闘支援ユニットを舐めないのが賢明です』
「正解だ。もう膝関節くらいまでだ。さすがにこれは予想外だったな」
私の個体、そのほとんどに現れた症状。はやてと同じ、麻痺。
『それなら……』
「却下。なんのための義体化・電子化・量子化だ。これが魔力的なものであるならば、コンピュータの中で生きている私にまでは影響しない」
『だからといって……』
「生身が死ぬなら、全て死ぬ前にどうにかすればいい。筋肉が動かないのなら人工筋肉に入れ替え、神経はオプトナーヴ。心臓は永劫機関。どうだ、完璧だ」
『脳はどうしようもありません。ワイヤードゴーストにでもなるつもりですか? 恐らく、二度と戻ってこられません』
「躯さえできれば戻ってこれるさ。なに、量子存在も私だ。魔法が使えなくなるだけ、それだけだ。特に問題はない」
詭弁だ。電子や量子に移行したとしても、私が全て失われた場合……次に造られるとき、その私が『私』の意思を持っているかはわからない。躯に意識を転送したとしても、元通りの私に戻る保証もない。
「要は、終わってしまう前に終わらせればいい」
『要は、終わってしまう前に終わらせればいい』
「よくわかっているじゃないか」
『わからない方がおかしいです。私はあなたの――――』
「独立型戦闘支援ユニットで、私はランナーだからな」
『セリフを取らないでください』
「フフフ、悪い。では、仕方ない。久しぶりに、俺の本気を見せてやる」
笑う。しかし、俺ではこれが精一杯。この躯は、豪快に笑うことを許してくれない。だから、精一杯笑う。
『久しぶりですね。あなたの一人称が変わるのは』
「これが最後だ。と、思いたいな」
俺が『私』になったのは何故だろう、いつだっただろう。つい最近のようで遥か過去のようで、思い出せない。完全記憶とか言いながら、そういったことが思い出せないと気づいたのはつい最近だ。
「知っているか? 『私』は死ぬのは未だに怖いんだ。だが『俺』だと死が実感できなくなる。こんな体質だからか、傍観者としての意識ができてしまったからか。まだこの世界が『幻想』であると戯けたことを思っているのか。わからないがな』
『レックス・トレメンデが何を言っておられるのですか』
「レックス・トレメンデでも怖いものは怖い。絶対に余力を残して、どんなことがあろうと必ずどこかで生き残る算段を立てている。だから、恐れず向こう見ずの『俺』はこれで最後だ。今回だけは死ぬことも視野に入れ行動する。だから死を恐れない『俺』がやる」
本当の全力を行使する。各世界の私がいきなり消えたとしても、予備の歯車が回るようにしてある。組織とはかく立てるものだ。
私は単体では破壊しかできない。多少の個体があったとしても、破壊か、多少できることが増えるだけ。ならば、数多の私がいれば相応のことができるはず。他人を頼れば、さらに多くのことが。管理局にだって数百万の同僚や部下がいる。民間にだって数えきれないほどの友や仲間がいる。管理外世界にも、この世界にも。
「プラン9を実行する」