八神はやてがその段ボール箱に興味を抱いたのは、ただの偶然だった。中に何が入っているかは、シュレディンガーの気まぐれだし、何が入っていても、しょせん公園にずっと放置されているもの、それほど貴重でも大切なものでもないと思ったが、何故か気になる。二日も放置されて、撤去もされなければ誰も開けた痕跡もない。あんなに目立つ場所に、あんなに堂々と大きなものが置いてあるのに誰も気にしない、そんな違和感が興味を引くブースターでもあった。
三日目、はやてはついにその箱を開ける決意をした。興味の誘惑に負けたのだ。道に落ちている段ボール箱を開ける、あるいは拾い上げるという禁忌を犯すことを、眼が醒めてすぐに決意したのだ。
「カラ箱やと思う。たぶんメタトロンもコーヒー原料も入っとらん。捨て猫の類も違う。でも、シュレディンガーさんはあの箱の中に夢を入れてくれたんやっ!」
いったい、夢で何を見たのだろうか。シュレディンガーが夢枕に立ったのだろうか。
顔を洗い歯を磨き、着替えて朝食も食べずに車椅子を駆る。早朝、人がほとんどいないのをいいことに全力で車輪を回す。
「おっしゃ、誰もおらん」
順調に公園に到達、箱をロックオン。開封も移動もされていないらしく、昨日と全く同じ場所に鎮座していた。
「パンドラの箱か、蛇が入っとるか……」
心音を加速させながら、箱の蓋に手を伸ばす。ゆっくりと蓋を開け……
「これなんてエロゲや」
箱の中には、銀髪の少女が丸まって眠っていた。
不思議系の少女を拾う。確かに、シチュエーションから見ればエロゲのファーストシーンかも知れない。
だが、よく考えれば、ダンボーラーなのだ。美少女でもダンボーラーなのだ。
「やけど、ホンマ綺麗なコ……」
はやてがその頬に手を伸ばそうとしたら、何の前触れもなく開かれる眼。光の加減で漆黒にも深紅にも見える色の眼が、しっかりとはやてを見ていた。
「グーテンモルゲン」
「は? ぐーて……?」
「ドイツ語にて、おはようという意味だ。朝だし問題はあるまい」
「はあ、そうですか。おはようございます」
「ああ、おはよう」
独特の口調。女性であるとか、幼いとかを抜きにして、その綺麗な容姿によく似合っている。不思議な雰囲気をまとい、まるで女神か妖精か、そうはやてには見えた。
「で、ここでなにしとったんですか?」
「寝ていた」
「何故こんなとこで?」
「帰るに帰れなくなってな。気温も高いし段ボールもあったから、ここで寝て待とうと思ったわけだ」
春でも、まだ夜は寒い。しかし、よく見れば少女はその身に不相応に長い黒のトレンチコートを躯に巻きつけており、かなり温かそうだ。
「そんな、まだ夜は冷えますし、変なのに襲われるかも……」
「ふむ、一理ある。そうだな、どこか安全に野宿できる場所を知らないか?」
「いや、野宿の時点で安全やないから」
反射的に突っ込んでしまうはやて。
「……むう。気にはなるが開けようとは思わない絶妙な位置を確保したと思ったのだが。安全で回収もされず、変態や野生動物に襲われない場所、他に知らないか?」
かなりハードルの高い条件だった。どこかの廃屋に不法侵入するぐらいしか方法は無いだろう。
「なんなら、うちにきます?」
この少女との出会いをシュレディンガーからの贈り物と思い込んでいるはやては、なんらの迷ったそぶりも見せず、提案する。
「提案は嬉しいがな、問題がいくつか」
少女はやっと上半身を起こす。流れる銀髪が顔にかかり、少女はそれを邪魔そうに掻き上げ、髪止めのゴムでポニーテールに縛り上げる。
「問題?」
「ああ。人間じゃなかったりするんだが」
重力を無視するように、浮き上がるように不自然に立ち上がり、そのままその足が浮き上がる。
「は?」
「見ての通りだ」
そのぶかぶかな服から、不相応に長い袖から、手がゆっくりと飛び出す。同様にコートの裾からも、靴をはいた足が伸びる。その足が地につくと、そのコートに相応の美女がそこにいた。
「は~」
「じゃあな」
一瞬で段ボール箱をどこかへ消した少女、否、女性は、口の端をわずかに上げて笑うと、どこかへ去ろうとした。
「待って!」
しかし、そのコートを掴まれてしまう。逃げる機会を逸した女性は、視線だけをはやてに向ける。
「なんだ、恐れないんだな」
「そりゃ、驚きましたけど。でも、女の子が野宿なんていけませんよ」
「ふむ。私を見て女の子か。面白いな、お嬢さん」
「うちは八神はやていいます」
「そうか、はやて、か。私はエルテ、エルテ・ルーデル」
女性、エルテはかすかに笑いながら、己の名を告げる。
「ああ、世話になることが確定してしまったどうしよう」
「棒読みで言われても説得力ありませんよ。じゃ、いきましょか」
はやてはエルテのわざとらしい演技に笑いながら、エルテははやての車椅子を押しながら、公園を出る。
「それにしても、帰るに帰れんって、どんな理由があるんです?」
「敬語はいい。そう歳が離れているわけじゃない」
「ん、わかった。で、そこんとこどうなん?」
「……家が監視されててな。戻るに戻れん」
「監視? あ、そこ左や」
「左か」
「そや。で、なんで監視されとるん?」
「判らん。ただ、監視されてるのが屋敷だけゆえに、ああしてダンボーラーになれた訳だが」
「屋敷? 屋敷に住んどるん? お嬢さまなん?」
「お嬢さまには程遠いがな。ゾンビがいそうなのは確かだ。ほとぼりが醒めたら招待しよう」
その表現はどうかとはやては思ったが、それで大体のイメージは掴めた。
「あ、そこや」
「ふむ。一人で住むには大きすぎるな。寂しくはないのか?」
八神家は、立派な一戸建てだ。それを見て、一人暮らしだとは、普通思わない。
「なんでそんなこと知っとるん? 魔法使い?」
「魔法は使えるが、それとは別だ。人には見えんものが見えるだけ。言っただろう、人間ではないと」
「ホンマやったんや、あれ」
「美少女が美女に変身するところを見せただろうが。あの時浮いていたはずだが」
「自分で『美』いうな。百聞は一見に如かずってのは嘘や。見ても聞いても信じられんもんはある」
「まあ、構わないがな。ちなみに、魔法ははやても使える」
無言で渡された鍵をエルテは受け取り、玄関の扉を開ける。
「ただいま~」
「邪魔すr」
はやてに無言の圧力をかけられ、エルテは口を止める。
「世話になる。『ただいま』は、次回からだ」
「ふ~ん? まあええ……魔法?」
やっとその単語に反応したはやてに、エルテは変わらない無表情のまま、淡々とそれを告げた。
何故か、八神はやてと同居することになってしまった。ゼロシフトで逃げればよかったが、シャワーという単語が頭を制圧してしまった。代謝を最低にして、エネルギー消費も最低にして眠ってはいたが、どうしても生きている限り老廃物は蓄積するのだ。化け物だとしても、生物という束縛からは逃げられない。メタトロンという手段も存在するが、それは最終手段だ。元々は男とはいえ、今は女なのだ、女のファッションなどはどうでもいいが、最低限の女らしさは確保したい。臭う美少女など、もってのほかだ。
「それで、どうなるん?」
「過程と結果を教えたらつまらない……冗談だ。そこは私には判らない。それに、正しいからと予言のまま生きるなんて、他人の操り傀儡と同じことだ」
「そっか。でも楽しみやな、騎士か……お姫さまにでもなった気分や」
「まだ気が早い」
私という同居人ができたせいか、はやては上機嫌だ。
最初は、縁だけつくってジュエルシード事件が終わったら姿を消そうかと思ったが、ハッピーエンドには近くにいた方が得策と私は考えた。ジュエルシード事件が終わるころには、ヴォルケンリッターも現れているだろう。彼らと関与することはどちらにしろ確定しているのだ。夜天の書の管制人格リィンフォースも助ける術を考えねばならないし、ちょうどよかったのかもしれない。八神家に居候するプランもあるにはあったし、これからはそれに従って行動するとしよう。
「そして、私という破壊神が存在する」
「破壊神、やて?」
「ルーデルの名に、ピンと来なかったか?」
「ルーデル? 知らんなあ」
ルーデル教徒としては、この機会を逃す術は無い。正しくは宗教でもなく、ジョークに近いので勧誘もしないのだが。だが、あのリアルメビウスの存在を知らないのは、私は損だと思う。
「……よし、この家にネット環境はあるか?」
「んー、あるにはあるけど、私はパソコンとかよく判らんし……て、ちょ?」
はやてを抱え、ネット環境を探して数m。ちなみに、今は9歳の躯だ。
「案内してくれ。破壊神ルーデル、その意味を教えてやる」
「は~、力強いんやね」
「そう造られた。自慢もできん」
いわゆるお姫さま抱っこというやつだが、この細い腕に似合わず手はしっかりはやてをホールドし、脚はしっかりとした安定感を見せつけてくれる。
「造られた? おかしなこと言うんやな」
「父親も母親もいない。いるのは既に死んだ技術屋だけ。眼が醒めたらインキュベータの中で液体に浮いていた。周りには、全く同じ顔・同じ躯の少女しかいない。クローンだって、言わずとも判る」
「ふーん。あ、その部屋や」
ふーん、で済まされてしまった。いずれ知られてしまうだろうが、今はこの無関心が有難かった。まだ冗談だと思ってくれている。
「なかなか速いな……よし。さあ、閣下の偉業をその眼に焼き付けるがいい」
火狐どころか馬や歌劇すら入っていない。しかもヴァージョンアップもアンチウィルスソフトも存在しないからセキュリティに非常に不安が存在する。滅多なことじゃ使いそうにないから問題ないかもしれないが、私の精神衛生によくない。近いうちにいじり尽くそう。
「ふーん? ハンス・ウルリッヒ・ルーデル、昔のドイツの軍人さんなんや。けっこうええ男やな……………………はあああああああぁぁぁぁぁ!?」
盛大に驚いておられる。いいリアクションだ。
「冗談キツイで。戦車519輌とか、どんだけ壊しとんねん? しかも最低519て、一体何したらこんなんなるんや」
「もっと正確な数はこちら」
「800オーバー? いやいやおかしいからこれ。ケタが一つ違うから。現実はゲームじゃないんよ。こんなリアルメビウスみたいな人、おるわけないやん」
「これが現実だ」
「確かに破壊神や……まさか」
「エルテ・ルーデル。かの英雄を過大解釈して作り上げられた、文字通りの破壊神」
信じてもらう必要は無い。今は戯言でも、いずれ信じざるを得なくなる。
「まさかなー、そんなわけあらへんやろーしー」
「未来を知っているというのは嘘ではないよ。ヴォルケンリッターが現れるまでは、痛い電波な超人を拾った、そう思えばいい」
「痛い電波な超人って……ただの中二病やないか」
「中二病と違って妄想ではないのが厄介なポイントだ」
「そう言えば、魔法も使えるんやったな」
『そうです』
エイダが、魔法に反応したのかエイダがまた起爆剤を投下してくれた。
「なんや、今の声? エイダ?」
何故知っている、はやて。ZOEでもプレイしたことがあるのか。とりあえず、待機状態のアヴェンジャーを差し出す。500g弱ほどもある、30mm弾頭のペンダントを。
『おはようございます。戦闘行動を開始します』
「動けえええええええぇぇぇぇぇ!」
かわいらしい声で、あの名シーンを再現してくれた、はやて・イーグリット。
「なんや、この機動性は」
『当機は急降下爆撃機シュトゥーカです。操作説明を行いますか?』
「エイダや。パーフェクトなエイダがここにおる」
シュトゥーカの時点でアウトな気もするが、機嫌がいいところに水をさすのも無粋だ。
『お褒めに預かり光栄です。独立群型戦闘支援ユニット、エイダです』
「エイダー!」
「はやて、騙されるな。こいつはエイダの幻影だ。はやてのエイダが汚されるぞ」
「でも、これは紛うことなきエイダや。たとえ偽物でも、エイダなんや」
『ありがとうございます。そう言ってくれるのはあなただけです』
エイダにどれだけの思い入れがあるのだろうか。しかし、この駄AIは時々どころかよく暴走する。
「で、魔法ってどんなんなん? ラジカルペイ○トー! とか叫ぶん?」
「全く違うな。必殺技を叫ぶ感じだ。私は微妙に違うが」
「へー、見せて見せて」
とりあえず視覚的にインパクトのある、攻撃魔法じゃないものを見せないといけない。
「エイダ、ザ・ワールド」
『Ready』
「特は止まる」
一切の音が消え去る。すべての色彩がモノクロになる。私ははやての背後に回り、その躯を抱きしめる。
「そして時は動き出す」
「うわ!」
「時を止めてみたのだが。どうだ?」
「これは……魔法じゃなくてスタンドや」
「私にスタンドはいないぞ。魔法で時を止めただけ」
「そっか。エルテがいうんならそうなんやろな」
その手を緩めると、はやてがこっちを向いて抱きついてきた。唐突だった。
「あったかいな~。エルテ、こうしてると普通の人やん」
「……普通の人、か」
考えたこともなかった。記憶と躯、この特異な要素は、私の精神を予想以上に蝕んでいたらしい。
『私は普通の人間じゃない』
『私は破壊神の器』
『だから普通に生きる権利はない』
『全てを知る者、力を持つ者の義務がある』
「そや、普通の人。やから、普通に生きてええんや」
「……そうはいうがな、はやて。知っている人間の不幸を回避する術を知っていて、その為の力も持っていて、それでいてやらないのは罪だと思う。危険はあっても、私はそれを見逃すことはできん」
「そっか。でもな、せめて私の近くくらいは、普通の人でおっても構わんやん」
「……そうだな」
はやての前くらいは、普通の家族としていよう。今なら、ヴォルケンリッターの気持ちがよく判る。
絶対に心配などさせてなるものか。
《NG》
「パンドラの箱か、蛇が入っとるか……」
心音を加速させながら、箱の蓋に手を伸ばす。ゆっくりと蓋を開け……
「うわ……」
箱の中には、銀髪の美女がどこぞの雑技団もびっくりな大勢で眠っていた。どんな関節構造をしているのだろうか。それでも段ボール箱は小さいのか、パンパンに膨らんでいた。
「美人やけど……キモ」
《あとがき》
はやてってこんなんだっけ?
口調を山口弁から関西弁に修正するのがえらくてえらくて。
この出会いは、エルテにとっても予想外なこと。はやてとすずかが友達になった後のことが難しくなる気がしてたまりません。
はやてが夢でシュレディンガーの神託を受けなければ……。
はやてはうちの猫に似ている気がします。誰にでもよくなつきます。初対面であろうとなんであろうと。誰もいない家に帰ってくると、真っ先に出迎えてきます。寂しがりやです。一緒にいると、いつのまにかよってきて腹のうえに乗ってきます。擬人化したらヤヴァイ気がします。主に萌え殺される意味で。
そんなイメージではやては書かれています。(実ははやては私のドすとらいく)