「よし、これでいいかな」
なのはは手を拭き、椅子に座る。
今日、翠屋は定休日である。
現に店頭には、本日定休日と書かれた札が掛かっている。
それなのに、なのはがこの翠屋にいるのは、待ち人が来るからだ。
「早く来て欲しいな……」
なのはがそう呟いた時、カランカランと客を知らせる鐘が鳴り響く。
なのはがそちらを見ると、なのはが待っていた人々の姿があった。
なのはは立ち上がり、彼女たちを迎える。
「やあ、いらっしゃい。フェイトちゃん達」
そこに立っていたのは、フェイトとその使い魔アルフ、リンディ、クロノ、そして迎えに行かせたユーノだった。
彼女たちを見て、花のような笑顔を浮かべ、なのははゆっくりと手を伸ばす。
「ようこそ、翠屋へ。歓迎するよ」
今日、彼女達をなのはが迎える事になったのは、数日前になのはに掛かって来た一本の電話からだった。
酒を飲んでいたなのはは切ろうと思ったが、相手が時空管理局だったので出る事にした。、
『もしもし、なのはさんですか?』
「あ、クロノ君? どうかしたの?」
電話の相手はクロノだった。
『はい。フェイトの処遇が決まりました』
「本当っ!?」
『さっき正式に決まりました』
なのはが盃を置く。
両手を携帯電話に添えて、クロノの言葉を待つ。
『フェイトの身柄は、これから本局に移動。それから、事情聴取と裁判が行われます』
「うん」
『フェイトは多分……いいえ、ほぼ確実に無罪になるでしょう。大丈夫です』
『クロノ君は、あれからず~っと証拠集めしててくれましたからね』
エイミィが横から割り込んで来た。
クロノがそれを窘めているのを聞きながら、なのはは微笑む。
「二人とも、仲良いね」
『いやぁ、それほどでも』
『エイミィ、余計な事は言わなくて良い!』
なのははその様子に、再び笑みを浮かべる。
クロノは咳払いすると、話を続けた。
『それで、聴取と裁判、その他諸々は、結構時間が掛かるものです。
ですからその前に、一度フェイトと面会する事が出来そうなんです』
「本当にっ!?」
なのはがその顔に喜色を浮かべて聞き返す。
『ええ。フェイトもなのはさんに会いたいと言っているので、良かったら……』
「会うよ。絶対会いに行く」
なのはは確信を持って答えた。
『そうですか。出発は三日後なので、それまでに一度、面会の場を作ろうと思います』
「うん」
なのはは頷いた後、一つ尋ねた。
「ねえ、クロノ君。それって、どこで会うか決まってる?」
『いえ、まだ決まってません。ですが、海鳴臨海公園を予定しています』
「そう。あのね、その場所、少し変えてもらえないかな?」
『? 別に構いませんが、いったいどこに……?』
クロノが問い返す。
なのははフェイトの事を想い、そしてしてあげたいと思った事を伝える。
「お店だよ。私の店は壊れちゃったけど、私のお母さんがやってる本店があるから。
そこで、私の作ったケーキを、フェイトちゃんに食べてもらいたいんだ」
『……分かりました。そうしましょう』
クロノが了承する。
なのはは喜び、電話が切れた後、祝杯を上げた。
クロノの気遣いと、なのはが桃子に定休日に店を使わせてもらうように頼んだ事で、場は整った。
ユーノに案内されて来店した彼女たちを、なのはは微笑みを持って迎える。
「はい、どうぞ」
なのははフェイトの前に、小さなショートケーキを置く。
薄黄色のスポンジケーキの周りに真っ白なクリームが塗られ、上には紅い苺が載っていた。
「自信作なんだ。食べてくれる?」
「……はい」
フェイトは小さく返事をして、フォークでケーキを切り分ける。
小さく切ったケーキを、フェイトは口に入れた。
ゆっくりと咀嚼し、ごくりと飲み込む。
「……どうかな?」
なのはがその様子をじっと見つめ、ケーキを飲み込んだフェイトに尋ねる。
顔を上げたフェイトは、ジッとなのはを見つめる。
「美味しいです。とても……」
その言葉を発したフェイトは、花のような笑顔を浮かべていた。
「……笑った……」
隣にいたアルフが呟く。
そして、じわじわとアルフの顔に喜びが生まれる。
「フェイト、今笑ったよねっ!?」
「え?」
フェイトがアルフに言われ、自分の頬に手を当てる。
そして、そこで初めてフェイトは気付いた。
意識したわけでもないのに、口角が吊り上っている事に。
自分が笑っている事に。
フェイトは顔を横に向け、アルフに尋ねる。
「ねえ、アルフ。私……ちゃんと笑えてる?」
「うん……うんっ!」
アルフは首をブンブンと縦に振る。
「ちゃんと笑えてるよ。あたしが見たかった、最高の笑顔だっ!!」
「うぁっ!」
アルフが感極まって、フェイトに抱きつく。
倒れそうになったフェイトを、横にいたクロノとユーノが慌てて支えた。
「良かった……本当に、良かったよ……。フェイトが笑えるようになってくれて……」
アルフはそのまま泣きじゃくる。
その頭をフェイトは撫でる。
「ごめんね、アルフ。待たせちゃって……」
「良いよ、そんなの。あたしは全然気にしてないからさ……」
抱きついたまま、アルフはフェイトに言った。
狼でありながら、猫のように擦り寄るアルフ。
なのは達はそれを、万感の思いを込めて見つめる。
そしてなのはは、フェイトに食べさせたものとは別の物を取り出す。
「ユーノ君達もどうぞ。みんなに合わせて作ってあるから」
なのはの持つお盆の上には、色とりどりのケーキが載っていた。
そしてユーノにはモンブラン。
クロノには抹茶ケーキ。
アルフにはシュークリーム。
リンディにはフェイトのケーキと見た目が同じで、ちょっとだけ甘みが強いショートケーキを渡した。
そしてなのはは、フェイト、ユーノ、クロノの前に、それぞれ別の色をした飲み物を置く。
「これは?」
クロノがなのはに尋ねる。
なのははこともなげに言った。
「カクテルだよ」
その言葉に、クロノが眉をひそめる。
それに気付いたなのはが、言葉を付け足す。
「大丈夫。アルコールは入って無いから、ただのジュースと同じだよ」
「そうなんですか?」
クロノ達は目の前に置かれた、冷たさで表面に結露を浮かべているグラスを見る。
「フェイトちゃんにはシンデレラ。ユーノ君にはバージン・マリー。
クロノ君にはシャーリー・テンプル・ブラックが合うと思ったんだ。
私の勝手なイメージだけどね」
珍しげに眺めているフェイト達を見つめ、なのははリンディとアルフに尋ねる。
「リンディさんとアルフさんは何を飲みますか? お酒も用意してますけど……」
その問いに、リンディは首を横に振る。
「私はいいわ。一応まだ勤務時間ですから。なのはさんが何度も淹れてくれた、あの緑茶をお願い出来る?」
「分かりました」
「ああ、あたしも要らないよ」
リンディに続いて、アルフも辞退した。
「ここじゃ20歳以下は飲んじゃいけないんだろ? あたしはまだ2歳だしね」
「え? そうだったの?」
なのはが目を見開く。
赤くなった目を指で押さえながら、アルフは頷く。
「ああ。だからあたしに、さん付けとか要らないよ。
前からむず痒く思ってたんだよねぇ」
アルフはそう言った。
そして、良い事思い付いたと手を叩いた。
「そうだ。どうせならあたしにも、フェイトと同じ物くれるかい?
どんな味なのか、あたしも気になってるんだ」
「分かったよ、アルフ」
なのはは手早く緑茶とシンデレラを作り、二人の前に置いた。
なのは自身も、緑茶を淹れて飲む。
そのままケーキを食べ終えるまで、和やかに雑談が続いた。
その中で、静かにケーキを食べ、シンデレラを飲んでいたフェイト。
食べ終えるとなのはに声を掛けた。
「あの……」
「何かな? フェイトちゃん」
なのはは振り向く。
「わ、私、貴女に言いたい事があって……その……」
どもりながら、フェイトは言葉を探す。
だが上手く言葉が見つからないのか、声が段々と尻すぼみになって行く。
その様子になのはは微笑み、助け舟を出す。
「フェイトちゃん、何も難しい事は言わなくて良いんだよ」
「え?」
「たった一言で良い。それだけでも、気持ちは伝わるから」
「あ……」
フェイトは息を呑み、おずおずとその言葉を口に出す。
「ありがとうございます、なのはさん……」
なのははフェイトの言葉に、笑みを浮かべた。
「どういたしまして。やっと名前で呼んでくれたね、フェイトちゃん」
「え?」
フェイトが首を傾げる。
「貴女とかじゃなくて、ちゃんと相手の目を見て、はっきり相手の名前を呼ぶの。
それが、仲良くなる為の第一歩だよ。フェイトちゃん」
「なのはさん……」
「うん」
なのはは頷く。
「それで良いんだよ。それじゃ、仲良くなる為のレッスンその2に行こうか」
「え?」
疑問を浮かべているフェイトに向けて、なのはは両手を伸ばす。
「手を繋ごう?」
なのはの言葉に、おずおずとフェイトが両手を伸ばした。
それがなのはの手に触れ、しっかりと握りあった。
「こうして手を繋ぐとね? 相手の事が良く分かるんだ。
手から伝わって来る温もりが、相手の気持ちを教えてくれる。
それで私達は、もっと仲良くなれるんだよ」
なのははギュッと、フェイトの手を握る。
フェイトも、なのはの手を握り返した。
「なのはさんの手、温かい……」
「フェイトちゃんもね」
その時、ポロポロとフェイトの目から涙が溢れだす。
「あれ?」
フェイトが自らの手に落ちたそれを見て、不思議な声を出す。
自分が何故泣いているのか分からない、といった不思議な顔をして。
「どうして……? 私は悲しく何かないのに……こんなにも嬉しいのに……」
止め処なく溢れ出る涙を、フェイトはゴシゴシと拭き取る。
「駄目だよ、そんなに強く擦っちゃ……」
なのははその頬に手を当て、フェイトの涙を指で優しく拭った。
「ねえ、フェイトちゃん。嬉しい時にも、涙は出るんだよ?」
なのはの言葉に、更にフェイトの涙が溢れる。
ヒックヒックとしゃくりあげながら、フェイトはなのはに言った。
「私……このケーキの味……絶対に忘れません……」
「うん。ありがとう」
なのはがフェイトにハンカチを渡す。
フェイトが涙をそれで拭いていると、なのはがポツリと呟いた。
「でも、フェイトちゃんとしばらく会えなくなるから、寂しくなるね」
「はい……。あ、でも!」
フェイトが顔を上げる。
「もう一度、必ず会いに来ます。……絶対に」
その言葉に微笑んだなのはが、フェイトに尋ねた。
「ねえ、フェイトちゃん」
「はい……」
「良かったら、一緒に暮らさない?」
「え?」
フェイトは目を見開いた。
なのはは言葉を続ける。
「もう時の庭園は無くなっちゃったから、フェイトちゃん、他に行く所無いでしょ?
だから、裁判が終わって、無罪になって、そして自由になったら……。
その時は、私と一緒に暮らさないかな、って」
「あ……」
フェイトの顔がカアッと赤みを帯びて行き、まるでリンゴのようになる。
そして、逃げだした。
「か、考えさせて下さいっ!!」
「あ、フェイトっ!?」
アルフが店の外に逃げ出したフェイトを追いかける。
「まったく、何をやっているんだ、フェイトは……」
クロノが逃げだしたフェイトを見て、小さくぼやく。
「母さ……艦長。一応フェイトが、どこかへ行かないように見て来ます。そろそろ時間ですし……」
「そう。行ってらっしゃい」
リンディが手を振り、クロノもフェイトを追いかけて行った。
リンディがポツリと呟く。
「若いわねぇ……」
「そうですねぇ……」
なのはもそれに同意した。
リンディがなのはの方を向いて尋ねる。
「ねえ、なのはさん」
「何ですか?」
「貴女、もしかしてフェイトさんを養子にするつもり?」
「どうでしょうね……」
なのはは口篭もる。
「フェイトちゃんと一緒に暮らしたい、というのは本当の事です。
ですが、養子にしたいというのは、まだありません。
別に、フェイトちゃんを養子にしたくない、という訳ではありません。
フェイトちゃんの母親になれるのなら、それはとても誇らしい事だと思います。
私はそう思っていますが、私の中の何かが、それは違うと感じているんです」
なのはは緑茶を一口口に含む。
「……フェイトちゃんは、お母さんを亡くしたばかりです。
それなのに、そのすぐ後に私がお母さんだと言うのは、何か違う気がするんですよ」
フェイトはプレシアに拒絶され、死に別れたばかりである。
表面上はそんなそぶりは見せまいとしているが、行動の端々にそれは垣間見えるもの。
その別れが、フェイトに影響を与えているのは間違いないのだ。
「ですから、フェイトちゃんがプレシアさんの事に折り合いをつけるまで、私は待とうと思います。
もし、フェイトちゃんが折り合いをつけて、それで私をお母さんと呼んでくれる時が来たなら……。
もし、そうなったなら、その時初めて、私はフェイトちゃんの母親になろうと思います。
それまでは、仲の良い家族でありたいと考えています。
別に、フェイトちゃんが私を母親と見なくても、私は姉として傍にいようと思います」
なのははリンディを見据え、そう言った。
リンディはなのはを、厳しい目で見ながら言った。
「……子供を一人育てるという事は、並大抵の苦労ではありませんよ?」
なのはは頷いた。
「分かっています。
子供がペットが欲しいから飼う、という事と同列に扱う訳ではありません。
覚悟は……正直、出来ているとは言えませんね。
重要な事ですから。
その覚悟を決めるためにも、この一時的な別れは必要な物なんだと思います。
でも、そうでなくても私は……」
なのははそこでいったん言葉を区切った。
そして、深呼吸をして、想いを口にする。
「私は、フェイトちゃんの成長を、隣で見守って行けたら良いな、と思っています」
「……そうですか。分かりました」
リンディは頷いた。
「正直、あっさりと覚悟を決めていたら、私は貴女を怒ったでしょうね。
子供を育てる事を、いったい何だと思っているんだ、と。
でもその事もちゃんと、貴女は考えているみたいですね」
「子供を育てた事の無い者の、ただの戯言ですけどね」
なのはは苦笑する。
「あら?」
リンディが茶目っ気を込めて、なのはを見る。
「でも貴女は、それをただの戯言で終わらせる気は無いんでしょう?」
「勿論です」
なのはは力強く頷いた。
そこでなのはは、ユーノが自分を見ている事に気付いた。
ユーノのその目に、羨ましそうな視線が混じっている事にも。
なのははクスリと笑って、ユーノに尋ねた。
「ユーノ君も、うちの子になる?」
「あ、いえ……」
ユーノは顔を真っ赤にして、下を向いた。
「か、考えさせて下さい……」
それは奇しくも、フェイトと同じリアクションだった。
その事に、なのはとリンディが噴き出す。
ひとしきり笑った後、リンディが外を見て声を発する。
「どうやら戻って来たみたいですね」
「あ、本当だ」
なのはが入口の扉を見遣ると、フェイトが頭を半分だけ出して、こちらを窺っていた。
フェイトのその顔は、まだ赤かった。
逃げる時に走ったせいか、先程以上にその顔は赤かった。
「それじゃ、そろそろ私達は行きますね。あまり長い事、アースラを放っておく訳にもいきませんから」
「分かりました。今日来れなかったエイミィ達にケーキを包むので、どうか持って行って下さい」
「あら、本当? ありがとう、なのはさん」
リンディが我が事のように喜ぶ。
「それと……」
なのはは懐から、一つの手帳を取り出す。
「これをエイミィに渡してくれませんか?」
「これは?」
「幾つかのケーキのレシピです。以前教えると言ったけれどそんな暇が無かったので」
『クロノ君用に作って上げられる物を、多めに書いていますから』
念話でリンディに伝えると、リンディが頷いた。
「ありがとう。エイミィも喜ぶわ」
『二人の仲が進展したら教えますね』
『よろしくお願いします』
なのははリンディに手帳を渡した。
リンディはそれを懐にしまう。
互いに含みのあまり無い、にこやかな笑みを浮かべていた。
そして、別れの時間が来た。
なのはは、まだ顔が赤いフェイトに話しかける。
「フェイトちゃん」
「な、何でしょうかっ!?」
キョドっているフェイトに、なのはは一枚のメモを渡す。
そこに書かれている言葉に、フェイトは首を傾げる。
「あの、これは……?」
「私のお店の住所だよ。
今は建て直している最中だから、今日はここを使わせてもらったんだけどね。
今度フェイトちゃんが戻って来る頃には、もう完成してると思う。
だから今度は、ここを訪ねて来てくれると嬉しいな」
「……分かりました」
フェイトはそのメモを丁寧に折りたたんで、ポケットに入れた。
地面に転送の魔法陣が生まれる。
なのはは一歩下がると、彼女たちに声を掛ける。
「それじゃ、クロノ君。リンディさん。アルフ。フェイトちゃん」
なのはは手を振る。
「またね」
フェイトも手を振り返した。
「また……」
転送の光が辺りに広がる。
光が消えた時、フェイト達の姿は、そこにはもう無かった。
「なのはさん……」
「うん」
ユーノの呼び掛けに、なのはは頷く。
そして、カウンターの下から、魔王を取りだした。
「よし、飲もう!」
そしてなのはは、魔王を空けた。
私、高町なのは。●●歳
運転手は気合いを入れていた。
「よっしゃあ! 今日も稼ぐでぇ!」
気分は絶好調、信号以外で誰もわたしを止められない、と運転手は意気込んでいた。
その時、運転手の乗るタクシーの窓を、コンコンと叩く音がする。
運転手が顔を向けると、そこには、金の髪を風に靡かせた少女が立っていた。
運転手がドアを開けると、少女はするりと中に入って来る。
そして、懐から一枚のメモを取り出し、運転手に差し出した。
「あの……ここまでお願いします……」
消え入りそうな程に小さな声で、少女は言った。
運転手がそのメモを受け取り、場所を確認する。
「ああ、ここやな……」
その住所は運転手にとって、とても身近な人が経営している喫茶店だった。
半年程前の地震で倒壊し、つい先日建て直されたばかりの店だ。
「あの……」
「ああ、まかせとき。ちゃんと送り届けたるさかいな」
運転手は車を発進させる。
運転手は車を走らせながら、バックミラーでチラチラと少女の事を窺った。
窓の外を眺めている姿は、とても絵になるものだった。
透き通るような白磁の肌。
陽光に照らされてキラキラと輝く金糸の髪。
黒いシックな服が、それらをより引き立てていた。
その様子は可愛いというより、綺麗といった方が相応しい気がした。
(まるでビスクドールみたいやな……)
運転手はそう思った。
同時に、彼女が何故、自分の知っているあの店へ行きたい、と言うのか気になった。
あの店は、特別どこかが目立つ、という外見をしている訳ではない。
店はあまり目立たない場所にあるし、同じ名前ならもっと有名な本店がある。
それなのに、彼女はそこに行きたいと言う。
店の住所が書かれたメモまで持って。
何かがある、と運転手は察知した。
店ではなく、そこにいる人にこそ、この少女は用事があるのだと。
「なあ、お嬢ちゃん」
「……何ですか?」
窓の外を見つめていた少女は、運転手の声に反応して、ゆっくりと前を向く。
「いやな、この行き先の場所、喫茶店なんやけどな?
もしかして、お嬢ちゃんがそこに行くのは、そこの店長に用事があるからか?」
「そうです」
少女は頷く。
自分の考えが間違っていなかった事に、運転手は上機嫌になる。
「そか。実はな、わたしはそこの店長と顔見知りなんよ。
でもお嬢ちゃんとは、今まで会っとらんからな。
だから、お嬢ちゃんは店長といったいどんな関係なんかなぁ、ってちょい気になってな」
その言葉に、少女は俯く。
「えっと……その……」
少女はまごつく。
視線はあちこちを彷徨い、その頬は赤く染められた。
その様子に、人形のようだと印象を抱いた運転手は、その感想を訂正する。
とても人間らしい、可愛らしい少女だという感想を抱いたからだ。
運転手は車を運転しながらも、時折バックミラーで少女の顔を窺う。
すると、小さな声で、少女は言った。
「……です」
「へ? 何や?」
あまりの声の小ささに、思わず運転手は聞き返す。
その間もハンドルは放さない。
だが耳だけはとても集中して、少女の声を聞いていた。
少女は再び言った。
「……母さん、です……」
閑静な海鳴の住宅街に、一台の車のクラクションが鳴り響いた。
完