0.
もう、あの頃のことは随分と思い出せなくなってしまったけれど――。
“アレ”だけは今でも夢に見ることがある。
バカみたいにでかいマネキンのような何かと、その周りを飛び回る赤黒い何か。
ただ単に、運が悪かっただけなのだと思う。
ただただ、運が悪かっただけなのだと思う。
――とにかく俺はその日、初めて死んだ。
1.4月17日
side Nanoha.T
「あがぁッッッ!!!!」
平凡な小学3年生だったはずのわたし、高町なのはに訪れた小さな事件。
受け取ったのは勇気の心、手にしたのは魔法の力。
そして、出会ったのは悲しい瞳をした女の子。
わたしと同じでジュエルシードを集めているというその子は、どうやらユーノくんと同じ魔法の世界の人らしい。
ジュエルシードの影響で大きくなっちゃったネコさんを突然攻撃してきた女の子は、それを防いだわたしにも襲い掛かってきました。
ほんの少し戦っただけだったけど、すぐにわかった。
この子はわたしより、ずっと強い。
にも関わらず、わたしは苦しそうな声を上げるネコさんに気をとられ振り向いてしまい、その間に発射態勢を整えた女の子は、わたしに向けて必殺の一撃を放とうと――
する、まさにその瞬間でした。
わたしとその子との間に悲鳴(断末魔?)と共にドカーンという漫画みたいな爆音を立てながら何かが落ちてきたのは。
相手の女の子も驚いたようで、集中していた魔力が霧散してしまっているみたい。
……というか、悲鳴?
「えええぇぇぇっ!? ちょっ……大丈夫ですか!?」
余程の高さから落ちない限り、あんな盛大な音をともなった着地になんかならないことぐらい小学生のわたしにだってわかる。とてもじゃないけれど、無事でいられるとは思えなかった。
なのに、わたしも女の子もパラパラと舞い散る破片に目を細めながらいまだもくもくと土煙を上げる爆心地を呆然と見ていると、その中で影が動くのがわかった。
続いて、声も聞こえる。
「ゲホっ、げほっ……いってぇ……くはないけど痛い……主に心が」
体は痛くないとおっしゃるか。
魔法とか、悲しい瞳の女の子とか、そういうわたしの中で今大事な何かが吹き飛んでしまいそうな、そんな衝撃だった。
影はやおら立ち上がり一度首を左右に振ってばきばきと音を鳴らした後、わたしの方に向かってゆっくりと土煙の中から出てきた。
男の人だった。
ちょうどわたしのお兄ちゃんと同じくらいの。
黒い髪に、黒い瞳。そして、フードつきの黒いコート……っていうか。
「ⅩⅢ機○の服なの……」
空から落ちてきた男の人は、コスプレ野郎だった。体は痛くないらしいけれど、全体的に痛い人だった。
魔法とか、悲しい瞳の女の子とか、そういうわたしの中で今大事な何かが吹き飛んでしまった、そんな衝撃だった。
「おぉ、わかるのか少女。って魔法少女じゃん!」
話しかけられてしまったの。
こういう時どんなリアクションをとればいいのか、わたしの10年に満たない人生の経験値では知りようもなかった。目の前の変人(仮)はどうりでマナが濃いとかどうとか、よくわからないことをぶつぶつ呟いている。
「なのは!」
はっ、とユーノくんの声で現実に帰ってきたと同時、わたしの後ろの方で大きな音と魔力の発動を感じた。
あの女の子が、動き始めたネコさんに向かって強烈な魔力を叩き込んだのだ。
位置がよかったせいか、わたしより先に現実に帰ってきていたみたいだ。うらやましい限りである。
この目の前の……。
「……あれ?」
視界いっぱいまで広がっているのは、いたって平和な森の緑。
今さっきまでそこにいたはずの黒いコートの男の人は、忽然と姿を消していた。
2.同日
side Fate.T
第97管理外世界・地球。
ここに母さんの探し物がある。
着いて早々発動を感知した私は、拠点の整理を使い魔のアルフに任せて単身確保に臨んだ。
大きな家の広い庭が今回のポイントのようだけれど、そこに降り立ってすぐ結界が張られたことに、私は内心恐怖した。
私以外の探索者がいる。
それはジュエルシードをめぐって誰かと争わなければならないことを意味する。
誰かと、傷つけあわなければならない。
それでも、母さんの願いは私の願いだ。母さんからこんな風に頼みごとをされたのは初めてなのだ。
私がジュエルシードを集めて帰ったら、母さんはまた昔のように優しい笑顔で私を見てくれるはずなのだ。
だから、探索者が私と同じくらいの女の子でも容赦なく攻撃した。
隙を見せた瞬間狙い撃とうとした私を止めたのは、突然落下してきた何かだった。
空と大地を裂くように落ちてきたそれは、人。
本当にびっくりしたけれど、そこから現れた男の人が無事なのを確認した私は、彼女たちを無視してジュエルシードの確保に向かった。
別に、彼女と戦うのが目的ではないのだから。
痺れが取れて動き出した媒体を、強力な魔力攻撃でそれと分離させる。ジュエルシードの表出を確認。
「ロストロギア、ジュエルシード・シリアルⅩⅣ、封印」
≪Yes sir.≫
撃ち出した金色の雨が媒体に降り注ぎ、最後に封印式をともなった魔力が浴びせられる。
激しい閃光の後、残ったのは封印が完了したジュエルシードと、媒体になった子猫だった。
私は心の中で子猫に謝りながら、確保するべくジュエルシードに向けて歩を進める。
他の探索者がいる以上、決して油断なんかしていなかった。
けれど、目を離すまいとしていたはずだった青い宝石は、突然目の前から、
『消えて』しまった。
「へぇ、これがさっきまでの妙な魔力の原因か」
目標が消失した驚愕に畳み掛けるように、頭の上から降るようにして声が届いた。
「なっ……!?」
少し距離をとった樹の上に座っている黒い服の男の人。ほんのついさっき、突然空から落ちてきたあの人だ。
その手には、ジュエルシード……ついでにもう片方には媒体となっていた子猫。
いったいどうやって……。
「で、魔法少女さんたちはこいつをめぐって争ってるって認識でいいのかな?」
「……それを、渡してください」
「いいよん」
「え?」
あまりにもあっさりとしたその返答に拍子抜けしたのもつかの間、私に向かって放り投げられたのは、あろうことか子猫の方。
気を失っているからか、全く身動きしない。
このまま落ちたら――。
「わ、わわっ!! ……!?」
思わず子猫を受け取る姿勢をとろうとした私の目の前で、今度は子猫の姿が空中から掻き消える。
先ほどジュエルシードが消えたのを見ていたけれど、再び目の前で起こる異常な事態に目を剥いてしまう。
「いやいや、さすがの俺もそんな鬼畜な真似はしないって。俺ネコ派だし」
「…………」
魔法が発動した気配は一切ないのに、どういうわけか投げられたはずの子猫は再度彼の手元に戻っていた。
そのにやにやした顔からなんとなく遊ばれたことだけはわかって、どろっとした嫌な気持ちが心の中に溜まっていく。
「そんな怖い顔しちゃダメだってば。可愛い顔が台無しだって」
「……バルディッシュ」
≪Yes sir. Scythe form Set up.≫
何をどうやっているのかわからないけれど、彼が何かをしたことは確からしい。
とにかく、ジュエルシードは取り返さないと。
一度大きく後ろに距離をとって、刃が左上を向くようにバルディッシュを下段に構えた私は、一直線に黒い彼に向かって突進した。
周囲の木々が、勢いよく視界の後方に流れていく。
「元気がいい、っていうよりは血気盛んって感じかな。何にせよ、女の子が振り回すべきものじゃあないよな」
「……ッ」
そんな、明らかに威の乗った疾駆を見てなお一切避けるそぶりを見せずに、余裕を見せ付けるように立つその姿に一瞬面食らったが、私ももう止まれない。
申し訳ないけれど、気絶してもらいます。
そのつもりで入った、私の間合い。
けれど、再び私を襲う異常な現象。今度は突然彼が『消えた』のだ。
否、一瞬の逡巡の後理解したのは『周囲の景色が突然変化した』こと。決して、私は空から地面に向かって飛んでいたわけではないのだから。
いきなり迫る地面を前に速度を落としきることができず、魔力強化した左手で地面に手をつき転がりながらスピードを殺し、跳ね上がるように飛び起きて樹の上を睨む。
やはり黒い男の人の姿は変わらずそこにあり、魔法が発動したような気配は存在しなかった。
理解できない現象の連続に、背中に少しだけ冷たいものが走る。
「何を……したんですか?」
「さぁ? なんのことやら。おっと……」
彼が何かに気づいたように私の後ろを見やる。魔導師の白い子とその使い魔らしき動物がやってきたようだ。
「あ! あなた……ってうわ出た!!」
彼女は私を見つけると声をかけようとしたが、私を挟んで向こう側の樹の上にいる彼を見て途端に声を上げた。知り合いか何かなのかもしれない。
「なのは! あの人、ジュエルシードを持ってる!」
「ほんとだ……」
白い子が少し引き気味に私をちらりと見やってからそう呟いた。
使い魔の子が続ける。
「それは危険なものなんです! どうか、こちらに渡していただけないでしょうか!」
「危険なものと聞いて君たちみたいな子供に渡せるわけないでしょうが」
「(格好のわりに)言ってることは正論なの……」
「そっちの黒い子とはお友達なのかな?」
「彼女は僕たちと同じその宝石の探求者ですが、会ったのは今日が初めてです」
「ふむ、じゃあ取り合いであってたのか。そっちの子、教えてくれなくてさ」
話に耳を傾けながらも、取り返す隙を見つけるべく彼を注意深く観察する。けれどその姿はあまりに自然体が過ぎて、切り込むイメージが持てないでいた。
「危険物を子供が取り合うなんてそれこそ危険だな、うん。よってこれはお兄さんが預かります」
「させない!」
言って、腰掛けていた枝の上に跳ねるようにして立ち上がったその人に向かって再び飛びかかる。
持って逃げようというならすぐさま方針変更だ。力ずくで奪い返す!
そう駆け出そうとした瞬間、あまりにも唐突に子猫が眼前に現れた。
それは、さっきまでと逆。
何もない空間から、けれど最初からそこにいたかのように空中に四肢を大きく大の字に広げた子猫は、私の顔を覆うように張り付いてしまった。
「むぎゅ」
思わず、自分でも情けないと思うような声が出る。
「えっ? ふえっ!! 大丈夫!?」
「待ってなのは! あの人の反応がない! 結界から逃げられた!!」
彼女の使い魔の声を聞いた途端、顔から子猫を引き剥がして――爪がちょっと痛い――周りを見渡すが、彼の姿がない。
……逃げられた。
「あ……あのぅ」
白い子が声をかけてくる。ほんの少し戦闘で時間を費やしたとはいえ、彼女に何か非があるわけでも、もちろん何か恨みがあるわけでもないのだけれど、とにかく今はなんだか煩わしく思う。
「……できればもう、ジュエルシードを探すのはやめて」
「え?」
「誰かを撃ちたくなんて、ないから」
次にあったら、墜とす。
努めるまでもなく、感情の一切を乗せずにそう、意味を込めて告げた。
そして彼女が何ごとか言おうとしたのを意図的に振り払って、その場を後にした。
私は、母さんの頼みの最初の任務に、失敗したのだった。
3.同日、夕方
「ふーむ、やっぱり日本っぽいな。やりやすいっちゃやりやすいんだけど、海鳴? って地名は知らないしなぁ。こういうときはここがべストなんだけど……」
あの場を後にしてしばらく、あの白い子の反応からあの格好でぶらつくのは危険と判断したため、今は全体的に黒っぽい以外は普通の服を着ている。
あのコート、お気に入りなんだけどなぁ。
今はぶらつきながら情報収集。大気中のマナが妙に多いから、魔法的魔術的世界なのかと思ったが、最初に出会ったあの二人以外ろくに魔力なんか感じないわけで。
その場のノリで逃げてきてしまったけど、もうちょっとあの子達から話を聞くべきだったかな。
「なんて考えながら、今日はもう閉館してしまった図書館の前に立っているのである」
周囲に誰もいないので独りごと言い放題である。まぁいたらいたで変な目で見られるのは慣れてるので特に問題はない。
エクストリーム・独り言でもあればかなりの自信があるわけだが、それはイコールでさびしいやつどころか狂人と紙一重なんじゃないかと結論が出そうなあたりでその考えを放棄する。
この世は気づかないほうがいいことばっかりだ。
「しっかし、今日は野宿かねー」
言わなきゃいいのに、どうしてか口をついたその言葉に現状を再確認し、思わずうな垂れそうになる。
正論とは何時でも人を傷つけるものだが、独り言もまた真実であるがゆえに誰かを傷つけるのだ。
今は主に、自分を。