昔から、自分の気持ちに 名前をつけるのは苦手だった。
そんなわたしに出来た事は、自分のことなのに把握しきれない気持ちを、言葉にしきれない気持ちを、なくしてしまう寸前にどうにか繋ぎとめておくことばかり。
フェイトちゃんの時も、はやてちゃんの時も。
答えなんて、無かったはずだった。
自分がどうしたいのかも分からないまま、"それでも"と思い続けて。
そうして、周りの流れに逆らっていく中で、答えを見つけて。
その答えを形にするために、意地を張って頑張っていた。
だから今、わたしを取り巻いている環境のことを、"いつものこと"だ、って、そう決め付けてしまうのは、そんなに難しいことではないんだと思う。
答えは分からない。
先にあるものもわからない。
だけど、自分の思う道筋を信じて進んでいけば、どこかで正解をみつけることが出来るはずだって────わたしは今まで、そうしてきたから。
だから、────
『じゃあなのはちゃんは、まずはあいつへの自分の気持ちに、名前を付けるところから始めてみたらどうかな?』
ほんの数日前に掛けられた、そんな言葉が頭をよぎる。
そうわたしに告げたのは、彼の恩人って言って差し支えない人────ロロナ・アルファードさん。
彼とティアナとスバルと、そしてミナトちゃんと買い物に出かける予定で向かった出先でセイスさんに連れ出されて、近くにあった喫茶店でせーくんを無理に六課に引き抜いてしまった件を謝罪してから、彼女のお子さんたちへのプレゼント用のサイン色紙にサインをし終わって解散しようとしていたちょうどその時にかかってきた通信。
その中身の、とても大事な一言が、いま頭によぎった一言だった。
最近プレマシーとはどう? なんて世間話から始まって、いくつかの質問に受け答えした後に、仕事の合間にちょっと休憩してくるみたいな気軽さで、彼女はわたしにそう言った。
友達で、同僚で、幼馴染で、わたしにとっては実は先輩で、なのに今はわたしの部下だったり、かと思えばわたしの教え子のことをわたしよりも理解してたり、敵って言葉は当てはまらないと思うんだけど、時々魔法の制御力のこととかでライバル心を刺激されたりもする。
そんな彼へのわたしの気持ちは、きっと友情だけだと説明できない。
だけど────…。
例えば誰かに、あなたは"彼"のことをどう思う? と聞かれたとしたら、わたしはきっとすぐにでも、「好きだよ!」って答えることが出来ると思う。
それは、わたしにとってその答えが、今更考える時間なんていらないくらいに当たり前のことだから。
本当に、反射的に言葉にしてしまうくらいに、当然のことだから。
それくらいには彼のことを、ずっと見続けてきていたから。
普段はちょっとそっけないのに、誰かが本当に困っている時にはすぐに手を差し伸べるところも。
口では嫌だって言いながら、頼まれたら最後まで付き合わないと気が済まないところも。
誰かに優しくしているときの、仕方ないなぁって諦めたような苦笑いも。
そういう彼なりの他人への気遣いを、彼にとっては厄介者でしかないはずのわたしにまで向けてくれるところも。
────そんな彼の、そんないつもの素顔が、わたしの心をいっぱいにしてくれる。
昔からずっと変わらない、自分よりも誰かのために優しくなれる彼。
そんな彼のことを、ずっと近くで見続けた。
時々だけど、肩を並べて何かに挑んだ。
そしてたまには、向かい合って意見をぶつけたりもして。
そんなことを……、そんな、誰にとっても当たり前で、だけどわたしにとってはそうすることが難しいことを、彼とだけはすることができた。
彼はわたしを、会話だけで真っ向から否定してくれる、数少ない人だった。
大事だった。大事で、大事で。そして、掛け替えがなかった。
わたしは、彼のことを"好き"だ。
それはきっと、ただの友情だけだと説明できない"好き"で。
だけど、それがどんな"好き"なのかって聞かれると、やっぱり言葉に詰まってしまう。
────初めてだったから。
こんな風に思う人が、彼以外に一人もいなかったから。
だからわたしは────本当はもっと早くに────彼とのそんなあいまいな状態のことを意識しなくちゃいけなかったんだと思う。
だって最近、自分の気持ちにすごく振り回されてしまっている。
彼と目を合わせると、鼓動が早くなるようになった。
ふとした拍子に彼と近づいて、頬が熱くなるようになった。
廊下で彼を見かけても、前みたいにすぐさま話しかけることができなくなった。
一つ一つはきっと、大したことない些細なこと。
だけど、そんな些細なことが積み重なりすぎて、どこか調子がくるっていた。
そして、信頼し合っている。なんて、ロストロギアの作った彼の偶像の言葉一つで、あんなに嬉しくなってしまっているんだから。
だからこれはきっと、今までわたしが他の誰かに抱いたことのない"好き"。
たぶん、恋とか、愛とか、そういう好き。
いつの間にか、────そう、わたしにとっては本当に、いつの間にかに、
彼に恋をしていたんだって、そういうことなんだと思う。
だからわたしが、この気持ちに名前を付けるなら、────初恋。
彼のことをどう思うかって質問に"答え"を返すなら、────大好きな人。
残念ながら片思いの、わたしの初恋の人。
────好き、好き、好き。
────言葉だけじゃ、たぶん表現できていないくらいに、大好き。
だいすき、すき────だから、一緒にいたい。
はなれないでほしい、そばにいてほしい、こっちをみてほしい。
甘やかしてほしい。それと、わたしがわがままを言ったら、仕方ないなぁって、苦笑しながら受け入れてほしい。
────なんて、そんなことを考えて。
自覚してみたら、こんなにも分かりやすかったんだって、自分のことなのに可笑しかった。
そう簡単にそばにいてくれない、ちょっといじわるなあの人。
そんなあの人に、わたしはこの"答え"を────気持ちを、どう届ければいいんだろう?
……多分、普通に言ってみるだけだと、聞いてもらうことすらすごく難しいと思う。
だからまず、わたしはわたしの言葉を聞いてもらう場面を整えないといけないはずで。
それはすごく大変で、難しくて、どうすればいいのかなんて、今はちゃんと答えられないんだけど。
ちょっとだけ、こうしたら何とかなりそうなんて、そんなアイデアを形にする方法を考えていた、そんなときの事だった。
ロストロギア、"フラッシュシアター"の暴走事件。
いまだに終わっていないその事件が────、苦節の末に、何とか封印状態まで持ち込むことのできたあのロストロギアが、彼に傷痕を残したって、その連絡をもらったのは。
「……えーと、どうも。初めまして。……に、なるのか?」
それが彼の体に引き起こしたのは、記憶の欠落。
ここ数年の部分的な記憶があやふやになっていて、思い出そうとしても体験したはずの出来事がうまく頭に浮かんでくれないような、妙な状態になっているらしい。
話を聞いたシャマルさんによると、はやてちゃんやフェイトちゃん、今の六課のメンバーや、ここに来る前の知り合いの人たち、友達、それにジェッソさんやロロナさんのことは何となく思い出せるらしいけど────。
────わたしのことは、全く覚えていない。
「ごめん。初めましては、違うかな」
「そう、か。悪いな……」
「あ、そんな、気にしないで! 仕方ないよ、だって……」
「いや、しかしな……」
「────っ」
まるで他人に接するみたいに気を遣ってくれる、彼のその仕草と声音。
思わず嗚咽が漏れそうになって、表情が引き攣ってしまうのが分かった。
それを彼に見られるのが嫌で、無理矢理に笑顔を作って笑いかける。
「だい、じょうぶ。きっと、何とかなるよ」
きっと、何とかするから。
どんな手を使ってでも、彼を取り返してみせるって、取り返したいって、そう思っているから。
「もう、聞いているかもしれないけど……」
「今後の処置の話? まあ、当然のことと思ってるよ。今の俺は、不安定すぎる」
「せーくん……」
「……せーくん?」
なんですかその呼び方は? とでも言いたそうな、すごく不本意そうな表情。
その表情の中に、どこかいつもの彼を感じながら、それでも目の前にいつもの彼がいないことが酷く寂しかった。
そんなわたしの気持ちを知るはずもない彼は、まあそれはともかくと話を仕切りなおそうとする。
「君が俺の監視役になった、ってのは八神から聞いてる。……だから、よろしく」
「……うん」
「────それと、悪い」
「え?」
いきなりの彼からの謝罪の言葉、その意味が分からなくて首を傾げると、彼は言い出し辛そうに表情を歪めてからわたしの目を見て、
「君の名前を、君の口から聞かせてもらえないか?」
すごく申し訳なさそうに、そう言った。
ああ、やっぱりそうなんだ。って、あらかじめ聞いていたはずだったのに、こんな状態の彼の目の前で泣いてしまいそうだった。
名前まで、覚えてない。
そんな、それだけの事実が、彼曰く最近やけに脆くなってしまったらしい、わたしの涙腺を刺激する。
「そ、っか……。そう、だよね。覚えてないって、話だったもんね」
「……ああ。本当に、悪い。追い打ちをかけるような話だとは、分かってんだけど」
誰からその名前を聞いても、それが誰なのかの実感がなかったから。って、彼はすごくバツが悪そうに額に手を当ててうつむいた。
「だから、すまない。正直俺も、こんな状況でどうしたらいいものかわからない。……聞いてるとは思うけど、当事者の君には、自分の口から状態を伝えるべきだよな」
「……うん」
「俺は、君のことを覚えていない。顔も声も、名前も。どういう人間かなんてことに関してもさっぱりだ」
意を決した彼の言葉の一つ一つが、わたしの心を削りとって、削ぎ落していく。
彼に落ち度はない。むしろ、きちんとわたしと向き合ってくれていることに、感謝の気持ちでいっぱいだった。
だけど文字通り、それとこれとは話が別、ってことなんだと思う。
「シャマルさんの診断で、記憶の虫食いがここまで酷い状態になっている知り合いは、今のところ君だけってのは判明してる。……だからこそ、今回君が俺の監視役に選ばれたはずだ」
「うん、わたしが積極的にキミに関わっていくことで、記憶を刺激して経過を見守る。っていうのが今の治療方針だってお話は、わたしも聞いてます」
それが、封印処理まで終わってるはずのあのロストロギアの置き土産に対して、今のわたしたちができる精一杯。
結局のところ、現状ではそれ以外に手の打ちようがなかった。
はやてちゃんの、フェイトちゃんの、わたしの、ユーノくんの、ジェッソさんの────わたしたちが頼れる伝手を全てたどっても、彼に対する有効な治療の方法を見つけることが出来なかった。
「状況としては、そんなところだ。……だから、」
そうして、彼はまた、言い出し辛そうに言葉を詰まらせた。
だからわたしは、これ以上彼のそんな顔を見ていたくなくて、
「わたしは、高町────」
できるだけ早く、自分の名前を告げようとした瞬間、ふと思った。
こんな、今までのわたしと彼の思い出を、なかったことにしたような、リセットしてしまったみたいな状況。
わたしの知っている彼が、比喩じゃなくどこか遠くに行ってしまった、そんな状況。
たぶん、わたしの今までの19年の人生の中で、TOP3に入りそうなくらいに認めたくないこの状況。
……なんだろう。彼が悪くないことはわかっているはずなのに、なんだか、すごく、……。
わたしが何かを思ったり、決めたりした時に、彼がしそうなやり方。
彼と交わしておきたい会話とか、伝えておきたい気持ちとか、その内容とは全然違う何かで、全部をなかったことにされてしまいそうなこの状況。
論点をずらして煙に巻こうとする、彼の得意の逃げの一手。
「────…」
「……あの、どうした?」
急に喋りだして、そして急に黙り込んだわたしのことを心配してくれたのか、彼が訝し気にわたしに問いかけてくる。
その表情をじーっと見つめてみると、彼は眉をひそめてまた口を開いた。
「あの、俺なんかおかしなこと言ったか?」
「……ううん、言ってない。というか、いつも通りのあなたで逆に安心した」
記憶はないはずなのにね、って、ちょっとだけため息をついてしまったところは見逃してほしい。
自覚もないのに、わたしの前から逃げていこうとするのだけは変わらない彼。
だからこれは、いつかにぶつけたあの"宣戦布告"の延長でもあるのかもしれない。
わたしに背を向けて逃げるなら、その背中を捕まえてみせる────
あの時の気持ちに、嘘なんて絶対にない。
だからわたしは、引き戻さなくちゃいけない。
彼に対して、わたしが抱いている"答え"。
それを見せなくちゃいけない相手は、彼であって彼じゃないから。
大体、きちんと向き合っている時にだって納得できるかわからないのに、こんなお別れの仕方だけは、絶対に許すことが出来ない。
だけどやっぱり、ちょっとだけため息をつきたい気持ちくらいはあるから、わたしはもう一度ため息をつきながら、自己紹介の続きを口にした。
「高町なのはって言います。キミからは、高町って呼ばれてました」
だから、高町って呼んでくれればいいよ。って、彼に告げる。
「……上官なのに?」
「うん、キミ相手だったら、上官とかわたしにとっては関係ないから」
相変わらず、こちらの様子を窺うみたいな喋り方をする彼にそう断言して、心の中で決意を新たにした。
昔からいつだって、わたしの前から姿を消すのがうまい彼を、もう離す気なんて、ほんの少しも持ってなんていないんだから。
それに、本当は、こんなことになっていなかったら聞きたいことだってあったのに。
あのロストロギアの中で、彼の記憶から作られたもう一人の彼。
そのもう一人の彼が口にしていた────今思い出しても頬が熱くなりそうな言葉。
「────ふん、だ」
それを思い出して、わたしはふてくされたみたいに口を尖らせるのだった。
2017年5月22日投稿