ギンガさんとチビポの歓迎会から数日後。
もう日課になりつつある出張任務から戻ってくると、隊舎のロビーで泣きじゃくるヴィヴィオとそれを必死にあやしてるエリ坊の姿を発見した。
辺りを見回してみるものの、特に人影を見つけることができなかったので仕方なくそちらに足を向ける。
「なにしてんの、エリ坊」
「せ、セイゴっ……」
助けてッ! と言わんばかりの弱りきった表情を俺に向けてくるエリ坊。
なんだか知らないけれど大変そうだったので、ちょっと話を聞いて事情を確認。
で、
「あー。……俺でよければ直すけど」
「ほ、ホントッ!?」
なんかヴィヴィオがお気に入りの人形の腕のところ引き攣らせて破いちゃったので、うさぎさん腕もげてかわいそう的な何かで泣いているらしかったから、まあ別にそんくらい何とかなるだろうと思って修理の提案をしてみる。
ていうかエリ坊さん必死すぎワロタ。
流れとしてはヴィヴィオがめっちゃ泣き出したから、ザフィーラさんが急遽こっちにヴィヴィオを連れてきて、そこにエリ坊とキャロ嬢がちょうど出くわしたらしいけど、キャロ嬢とザフィーラさんがどこかに高町を探しに行ったせいで一人残されてたのがよっぽど堪えたらしい。
まあ、ちょうど入れ替わりに俺が帰ってきたみたいだから、そんなに泣いてる時間が長かったって訳じゃないみたいだけど。
「ほらヴィヴィオ、泣きすぎ。そんくらいどうとでもなるから泣き止めって」
「ぅ……。ぐすっ、ひくっ……せーごぉ……」
「お、おー。分かった分かった。直んないわけじゃないから落ち着けよ」
どうどう。と、泣いているのをなんとかあやしながら、ポケットから裁縫道具を取り出して、落ち着けそうな場所を探して食堂の一角に移動した。
「せーご、うさぎさん、なおせる……?」
「ん? ああ、縫えば直るよ。ほら、人の怪我とかも縫うとかよく言うだろ?」
「……そーなの?」
「あー、うん。大雑把に言えばそう」
厳密に言えばいろいろ違うけれど、まあ、縫って直すのに違いはないと思うので、細かい説明までは俺の担当ではないという形にしていただきたいところである。
「うさぎさんを、よろしくおねがいします」
「お、おう。そんなに気合い入れて頼まなくたって大丈夫だよ」
深々と頭を下げて寄越したヴィヴィオの頭をがしがしとしてから、針にぬいぐるみと同じ色の、目一杯細い糸を通して、修理箇所をちくちくやる。
「セイゴって、裁縫できるんだ。なんだか意外」
「まあ、ボタン取れたら自分で付けなきゃならなかったから。必要に迫られてってやつ」
てか、出来るとは言っても、そこまで上手いわけでもない。
実際問題として、現在進行形で出来上がっていく縫い目が、やってる本人の贔屓目をもってしてもあんま綺麗じゃない。
まあ、幸いにも仕上げ後には縫い目を隠せそうな位置が破けているので、そこまで目に付くようなコトはないだろうけど。
もっと綺麗な縫い目にしたいとは思うのだが、そこまで上手くなるにはもっと練習に時間を割かなくてはいけなくて。
けれど、まあ、そこまでして必要ないだろうと思って、やらなかったのだけど。
「せーごのママは?」
「あー。……いないというか、居たけどいなくなったというか」
「ヴィヴィオとおんなじなの?」
「同じのような、同じではないような」
「せーごもさみしい?」
「……あー」
言いにくい所をストレートに聞いてくるあたりはさすが子供だなーと思う。
「寂しいかどうかはともかく、もっと一緒に居たかったとは思うね」
「そっかー」
せーごもたいへんなんだねーとかお気楽ムードで言ってるヴィヴィオにお気遣いどうもと返してから手元の作業の仕上げに入りかけたところで、
「でも、ヴィヴィオといっしょにいれば、なのはママいるから、せーごもさみしくないね」
「────…おぅ」
それはねーだろと、思わず失笑が漏れかけた。
ただ、あまり人には見せられたものじゃない本音の表情だけは、反射的に漏れ出た。
こないだから、高町の顔を見るたびに、寂しくなって胃が痛くてしょうがない。
どうせすぐに一緒に居られなくなる大事なやつが目の前に居て、素直にたった今の幸せだけを感じていられるほどお気楽でいるのは、流石に難しいようだった
「セイゴ……?」
「……おう、どうした」
「大丈夫? 顔色悪いけど……」
「ああ……」
反射的に漏れでて、咄嗟に打ち消した表情の端っこを捉えたらしいエリ坊。
その心配そうな気遣いに、大丈夫だよと嘘をつきながら、手元の作業に無理やり集中した。
不調も本音も、どれだけ俺の中から零れ落ちれば気が済むのか知らないが、どうにも制御が利いたものじゃない。
なら俺に出来ることは、どんな風になったとしても、本当に大事なところだけでも隠して握りつぶすことくらいだ。
どうせ、いくら綺麗な言葉で飾ったところで、何も変わりなんてしない。
出来ないことは出来ないのだから、しなきゃいけないことだけは、必死で取り繕わなくちゃならない。
うまくやろうなんて、今更もう思ってなんていないのだから。
「体調悪いなら、あとでちゃんと休まなきゃダメだよ?」
「ああ、そうするよ」
「ならいいけど……。あ、そういえばセイゴ」
「ん? なに?」
「体調が良くなったらでいいんだけど、今夜にでも見て欲しい技があるんだ。結構上手く再現できたと思うから」
「……何の話?」
技? 再現? いきなり話が全く関係ないところへすっとんでったなと思いながら、さっきの話題を引きずられるよりはマシかとそっちに乗っかることにする。
「ほら、この間セイゴ、魔神剣撃ちたいって言ってたでしょ?」
「その話はマジで忘れろくださいお願いします」
何で今更その話題だよと思いながら瞬間的に頭を下げて懇願してみる俺の横で、ヴィヴィオがまじんけんってなーに?とか聞いててすげーそわそわする。
「いや、からかうとかそんなつもりじゃなくて」
「ならどういうことよ……」
「えっと、……僕、ちょっと前から翔破裂光閃もどきを練習してるんだけどさ」
「エリオさんまじパネェっす」
いやホント。マジで再現してたとしたらホントにパネェ。
「まだキャロのブーストが無いといまいち上手くできないんだけど、それでも結構よく出来てると思うんだよね」
実戦でもわりと使えそうなくらいの性能はあると思うんだー。とか言ってるエリ坊。
イメージはルークの使ってるFOF変化的なあれらしい。風属性格好いいですね。いや、どう見てもあれ光属性な気がするけど。貫く閃光とか言ってるし。
まあそんな事を言い出したらそもそもエリ坊の場合は武器が槍だからイメージ映像はユージーンとアニーじゃね? キャロとのタッグ技らしい点から見ても、とか思ったけど、エリ坊の思い入れ的にはルークの技を再現したかったのかもしれないし、その辺は好きにしてくださいって感じだけど。
「へー、どんくらい威力あんの?」
「今のところは模擬練習用の案山子に向かって練習してるんだけど、スバルさんが、わー、案山子がみじん切りだねーって笑ってるくらい」
「恐ろしすぎワロタ」
再現しようとしたら確かにそういう技になるんだけどさ。
超高速の連続突きって設定だったはずだし。ジューダスさん的には見切れるもんなら見切ってみろ的な決め台詞だし。
「えっと、とりあえずそんなわけで、セイゴにもアドバイスとかもらえたらなって思ってるんだけど」
「お、おう」
それって俺にアドバイスできるようなことあんのかよとか思ったけど、まあ、あれば言わせてもらうよと適当にお茶を濁してたら、高町を伴なったキャロ嬢がザフィーラさんと一緒に食堂に駆け込んできたのでとりあえずこの話題は一旦終了。
なんだか騒がしくなりそうだったし、高町と顔を合わせる時間を少しでも減らしたかった俺はもくもくと縫製作業を進め、修理を終えたらすぐにその場を後にした。
高町はお礼したいからちょっと待ってと呼び止めてきたけれど、一応就業時間中だった辺りも理由にして、報告もあるからとそそくさと逃げ出す。
そんな自分の態度が、以前の自分の態度と遜色なかったかどうかを思い返しながら、なんて見直しまで含めて、最近の俺のルーチンワークみたいなものだった。
ああ、本当、耐久力勝負だなと、小さく苦笑した。
介入結果その四十 フェイト・T・ハラオウンの"設問"
「こんばんは、ロロナ」
『うん。こんばんは、フェイトちゃん』
そんな定型句みたいな挨拶をして、私たちはくすっとどちらからとも無く笑いをこぼした。
ロロナはどうしてだか分からないけれど、なのはや他の誰かに聞かれないように、わざわざ駐車場で自分の愛車に乗り込んで通信を始めているくらいなのに、緊張感の無い挨拶だなって、私としては少しだけ笑えたからだった。
「こんな時間にごめんね、ロロナ。子供さんは大丈夫?」
『うん、おっけーおっけー。さっき寝かしつけたところだから、しばらくは大丈夫な筈よー』
ついでに旦那も出張取材から帰ってきたばっかで死んだみたいに眠ってるからしばらくは大丈夫よ。って、ニカッて笑いながら言われる。
「そっか。旦那さんも大変そうだね。ジャーナリストさんだっけ?」
『そうそう。で、実に2週間ぶりの帰還だからさ、今夜は寝かさないぞ的なあれもあるわけなんだけどね』
「そ、そっか、……ほどほどにね」
ちょっと頬が高潮するのを感じながら、視線を逸らしつつそう言ってみると、ロロナが口の端を持ち上げてにやりとした。
あ、からかわれたんだと気付いてじとっと見つめてみると、
『あはは、ごめんごめん。でもフェイトちゃん、なんだかちょっと暗いんだもん』
「う……」
それを言われちゃうと、私としても何も言えなくなっちゃう。
そもそも、悩みを相談するために連絡しているわけで、少し暗くなってしまっている所くらいは許して欲しいところなのだけど。
『それで、今日はどうしたの? プレマシーのことで相談って話だっけ』
「あ、うん。えっとね……」
けど実は、こうして会話を交わしている今この場所でさえ、どう相談すればいいのか決めきれてない。
と、言うよりも、これが相談していい話なのかすら、決めかねていた。
けれど、なかなか話を切り出さない私を見て、ロロナはくすりと小さく笑って、尋ねてくれる。
『もしかして、話し辛いこと? だったら、取り留めの無い話しからでもいいよ』
「え?」
『全然関係の無い話をしろって言うんじゃちょっと違うと思うけど、最近あなたが感じてる違和感をちょっとだけでも口にしてみない? 頭の中にあることって、それで結構整理できちゃうものだと思うよ』
「ロロナ……」
「フェイトちゃんって、頭の中で思ったこと言葉にするの、なんだかんだで昔から苦手だもんねー」
そんなロロナの、しょうがないなぁってばかりの笑顔に、強い既視感を覚えて、思わず口を噤んだ。
それが何から来たものかを考えて、つい最近に、すごく身近でこんな笑い方を見ていたことを思い出す。
────なのはと話しているときの、セイゴのこぼす笑顔だった。
だから、不意に頭の中で答えが繋がった。
この人は、セイゴが繋がる、大事な場所の一つなんだ。
それを確信した瞬間に、次の言葉は驚くくらいにあっさりと口を突いて出ていた。
「あの、最近のなのはが、すごくかわいいの」
『……え、なに?』
「え?」
思わず二人で、見詰め合って固まってしまう。
あれ、おかしなこと言ったかなって、発言を思い返してみるけど、そんなに変なことを言ったとは思えなかった。
『……ていうかなにそれ、ノロケ?』
「ノロケ? そんなつもりはないけど……」
『あ、そう。……まあ、いいや』
「……?」
『いや、まあ、あなたと私の感覚の違いは置いときましょうか……』
とりあえず彼女、昔からかわいくない? そう首を傾げられて、あ、全然説明が足りていないんだって、ようやく思い至る。
「あ、えっと、分かり辛くてごめんなさい。なんて言えばいいかな。……説明するとその、私にとってのなのはって、かっこいい存在だったの」
『かっこいいって、……ヒーローみたいな?』
「うん!」
思わず大きく返事をすると、ロロナが額に手を当てながら苦笑した。
『ちょ、ちょっと落ち着いてフェイトちゃん。なんか話が逸れそうだから、キミの親友自慢はとりあえずストップで』
「あ、ごめんなさい……」
『……あはは、落ち込みすぎだよフェイトちゃん』
あなたの親友自慢は、また機会があれば聞いたげるからさ。
苦笑いを浮かべながらロロナがそう言って、じゃあ、と言葉を繋ぐ。
『それで、あなたがそんなに興奮しちゃうくらいにヒーローヒーローしててかっこよかったなのはちゃんが、最近はどうかわいくなっちゃって、それがあいつとどう関係あるの?』
「それは────」
私は、最近のなのはとセイゴのやりとりと、その時に二人が見せる表情を、自分が知っている範囲で説明した。
以前の二人の関係。
そして、そこから変わりつつある最近の二人の関係。
その中に入り混じる、セイゴの苦笑となのはの柔らかな笑顔。
そんな、私から見た二人の日常をロロナに伝える。
『……へえ。昔と違って、あいつも随分と丸くなったもんだ』
「そうなの?」
『ええ。少なくとも私が居たころは、そんな姿まるで見れたものじゃなかったわね。あいつ、人間関係はこうと決めたらよほどのことが無い限りは改めたりなんかしなかったから』
あなたの話を聞く限り、最近はそうでもないみたいだけど。
そう言ってロロナは、ちょっとだけ楽しそうに肩をすくめた。
『頑固だからね、あいつ。その上何か言う時いちいちふてぶてしくて、もうイラッとさせるったら……」
「ふふっ、確かにセイゴは、昔から自分の意見に堂々としてるよね。自分に自信満々! って感じで、すごいなって、私感心してたくらいだったんだ」
『え、そう? ……んー』
「ロロナ?」
目を細めて黙ってしまったロロナ。
どうかしたのかなって恐る恐る声をかけると、小さくため息をついた。
『あいつ、別に自分に自信なんてないはずだからさ。フェイトちゃんの認識は、私の視点とはちょっと違うなって思って』
「え? でも……」
普段からとても落ち着いていて、驚くような事件に遭ったとしても、すぐに冷静になろうとして考えを巡らせるセイゴ。
あれは、自分が今までに積み上げてきた経験に、自信があるからできることのはずだった。
その考えを助力するように、他の人なら躊躇うような決断も、ほんの少しの策と、あとは何とかするって自信だけでどうにかしている場面を何度も見てきていた。
「それって、セイゴが自分の力に自信があるって事なんだって、思ってるんだけど……」
『まあ、そういう面は確かにあるけど。それとこれとは別っていうかさ。自信の種類がちょっと、ね』
「それって、どういう……?」
『……あいつのあれは────』
何かを言おうとしたロロナが、急に眉を寄せて、悩むように目をすがめた。
『────ねえ、フェイトちゃん。話をする前に、一つだけ教えて』
「……なにを?」
『これから私のする話は、多分、あいつ自身も気付いてはいないけど、私の思うあいつの"根っこ"の話なの。だからきっと、あなたがあいつに感じている違和感のどこかしらに関係あるとは思う。だけどだからこそ、あいつが一番、なのはちゃんの関係者には知られたくない話でもあるはずよ』
「なのはの……?」
なぜ、なのはの関係者、つまり私たちには知られたくない。なんて話になるのか、全然分からなかった。
『もちろん、あいつに直接聞いた話じゃない。聞けるような話でもないし。だから全部が全部合ってるってわけじゃないはずだし、もしかしたら本当に頓珍漢なことを言ってしまうかもしれない。けど、正直な所、そんなに核心から外れた考察だとも思ってない』
「……」
『だからこの話を聞けば、きっとあなたは選ばなくちゃいけない。────だってあいつのこんな気持ち、あの子とは……なのはちゃんの気持ちとはきっと、相容れないものだもの。……だから、聞きたい』
あなたはこの話を聞いたあと────────誰の味方をするの?
足元が崩れ落ちたみたいな、そんな感覚に襲われた。
ロロナは、本当に不思議そうに聞いてくる。
その混じり気のない淡々とした表情に、思わず押される。
怒気を感じるわけでもないし、悲しい気持ちが降りかかってくるわけでもなかった。
ただ淡々としている事実確認の言葉。だからこその、その迫力。
そのおかげで察することが出来た。
ロロナは、ここで私の口から望みどおりの回答が得られなかったら、その場で会話を終わらせるつもりだって言うことを。
「……私、は」
言葉にする事が、出来なかった。
"その人が困っていれば、私は誰の味方にもなります"
そんな言葉が、ふと脳裏に浮かんだけれど。
それは確かに、私の中にある答えの一つだったのだろうけれど。
けれど、でも、この場で困っている人って、誰だろうって。
その誰かのための、一体何の味方に、私がなれるんだろうって。
そんな疑問が、後から後からわいて来て。
なのはの味方とか、セイゴの味方とか、そんな、それだけの答えが、この場で出すべき答えなんて思えない。
どっちか一つだけなんて、そんな、寂しすぎることを自分の口から言い出すだけの確信も無かった。
だからこそ、だったのかもしれない。
私に出せる答えは、きっと、最初からそれしかなくて。
それしかないくせに、誰かに聞かれるまでそれを言葉に────形にすることも思いつかなくて。
けど、やっぱり、一度それに気付けば。
閃きの中にあったその答えに、気付く事が出来さえすれば。
その答えは、とてもシンプルに、私の口から告げる事が出来た。
「────私は、セイゴともなのはとも、一緒に笑うことの出来る道を選びたい……です」
味方だとか、味方じゃないだとか、そうじゃなくて。
私が、二人と一緒に、二人を助けることでたどり着ける場所が、みんなで笑っていられる場所であってくれればいいなと思うから。
私の答えに、ロロナは一瞬きょとんとしてから、ふわりと呆れたみたいに笑った。
『甘ったれだなぁ。フェイトちゃんは』
「そうかもしれない。けど……」
そこから先の気持ちを、上手く言葉には出来なかったけれど。
胸の中心あたりに渦巻く、なぜかきゅぅっとするような言葉に出来ない気持ち。
寂しいとか、悲しいとか、そういう言葉が近いような気はするけれど、そうだとはどうしても思えないような温かさも感じてしまうような気持ち。
やっぱり、言葉には出来なかった。
だって、どんな言葉を尽くしたとしても、陳腐なセリフになってしまいそうな気がしたから。
そんな風にはしたくない気持ちだったから。
それくらい大事なものだと感じられたから。
だから、私はその気持ちを言葉にする代わりに、私の中に今確実にある気持ちのことだけを口にした。
「────私」
『うん』
「セイゴとなのはが一緒にいるところを見るのが、大好きなんです」
一緒に笑ってるところなんて、とても珍しくてなかなか見られないけれど。
なのはが目一杯笑っていて、それをセイゴが苦々しい表情で見ている所だとか。
セイゴのきつい冗談に、なのはがすごく慌てて事情の確認を行なっているところとか。
その冗談がどうしようもない嘘だって言うことがなのはにばれて、追い掛け回されているセイゴとか。
そういうのを見ていれば、あの二人がどんな風なのかなんて、すぐにだって分かるから。
「いつもあんな態度だけど、セイゴがなのはのことを大事に思ってるってことくらい、分かるから」
そして、それだけじゃなく、私個人だって、これまでセイゴとの時間を築き上げてきた。
だから知ってる。彼がどんな人かを。
私自身が。
友達として。
「だから今、セイゴは────私にとって親友なんです」
いままで、自分の中ですら曖昧だったその気持ち。
今回、ちゃんと向き合って、考えて、答えを見つけたから自信を持って言える。
私にとっても、セイゴは掛け替えの無い親友なんだって。
「だから、教えて。私は、私のために、セイゴのことを知りたい」
ロロナは、そんな私を見つめて、満足そうに微笑んでから、小さく頷く。
『なら、言うね────この左手』
そう前置いて、ロロナは自分の左手を掲げた。
見た目は普通の腕と変わらない、けれど中身は機械仕掛けのそれ。
彼女の声にはどこか突き放したみたいな冷たい色があって、私は思わず身構えた。
『きっとあいつは、私がこの左手の贖罪に死ねって言ったら、迷うと思う。────本当に死ぬべきかどうかを』
それはどこか、確信に満ちた声音だった。
私は「え……」とかすれた声を出すのが精一杯で、けれどロロナはそんな私に構わずに続ける。
『普通の人間なら、どう許してもらうか考えるか、どう責任を逃れるかを考えるはず。普通、死ぬべきかどうかなんて所で悩まない。でもあいつは、そこで悩んじゃう。……目を逸らすなんて、自分に何度も許されるわけないことだと思っているから』
目を逸らす? と疑問に思ったけれど、そこは今関係ないところだろうからと口を噤む。
『けど結局、悩むのは間違いないけれど、死ぬって言う結論にはたどり着かない。それはそれでいい。……でも、そんなの普通だと思う?』
「それは……」
普通じゃない。そう答えるのが、たぶん普通なんだと思う。
だけど、私はそこで即答できなかった。
即答できることが、多分普通なのに。
だから、それと同時に気付いた。
私の中にある、私に対する劣等感。
私って、生きていていいんだっけって、そんな普通の人にはありえない問い掛け。
それがもし、セイゴの中にもあるんだとしたらって、そんな仮定。
「……ロロナ、セイゴは、もしかして────」
自分が生きていていいのかって、疑問を感じるような何かがあったの?
そんな私の問い掛けに、ロロナは目をパチッと見開いてから、察しが良すぎて怖くなるわねと苦笑いを浮かべた。
『────あいつはね、手を差し伸べられるなら、さして迷わずにそうする。自分のことを省みずに。……でもそれは別に、自己犠牲をしたいなんて思ってるわけじゃない』
「……」
『単なる価値観の問題なのよ。あいつは、誰もが無意識にそうするように、自分にとって価値のある順に手を回してるだけ。単純に、あいつの中での優先順位が、しっかりしすぎてるってだけ』
「────」
『だから、自分のことがおざなりになる。……あいつの中での自分の価値は、そういうレベルで低いのよ』
「そんなっ、そんなの────!」
そんなの、自分に自信が無いなんて、そんなレベルの話じゃない。
今の話が本当なんだとしたら、セイゴはそもそも、自分の存在価値そのものを────
『母親の命を削って、奪って生まれてきた自分は、誰から何を奪われて終わりを迎えるのか』
「っ……!」
『そんな問いかけを、あいつは自分に向けてし続けてる。母親が与えてくれた命で、母親の命を削ってしまった。そんな劣等感が根底にあり続けるから。だからあいつは、自分自身の存在価値にまるで自信が無い。……けどそれとは反対に、自分が積み上げてきた経験には間違いが無いって思ってる。それは、自分が誰かと一緒に積み上げた、誰かとの成果だと思ってるから』
「……それが、あなたの言う"自信の種類の違い"?」
『まあ、そんなところ。確かに周りから見たら自信満々よ。自分の存在価値の低さと、今までに積み上げた経験則の正しさについてはね。でも、それはいろいろと違うでしょ?』
「……っ」
『まあ、それがただ自分に価値がないことに自身があるってだけだったら、別にほっといたってよかったんだろうけど……。それも多分、そうは行かないと思うんだよね』
「どういう、こと……?」
『今更あいつだって、そんな問いかけに意味があるなんてきっと思ってない。なのに、それでもあいつはずっと、そんな問いかけを自分にし続けてる。……これをあえて言葉にするならきっと、そう────』
────呪い。
『……あいつは今でも無意識のうちに、自分の母親が、自分のせいで死んだって気持ちに支配されてる。だからその罪の意識を埋めるために、なにかに命を賭けたっていいと思ってる。……けど、自分の命は母親の────マコトさんの生きた証そのものだから簡単には死ねないって思ってるはず』
思わず息を呑んだ。
そんなの、本当に、本当の意味で、"呪い"だ。
きっと、普通の人なら全然理解できないはずの"呪い"。
『だから、マコトさんの生きた証を、終わってしまったことのために無駄に散らすことは出来ない。散らすなら、絶対にそれ相応の意味が必要なはず。けど逆に言えば、意味さえあれば躊躇っても実行しちゃう』
けれど、そんな呪いに自身を引き裂かれそうになっている彼の────セイゴの気持ちを、私は自分の中のどこかで察していた。
────私は、生まれてきていい子だったのかな。
幼い頃に心を侵していた、そんな暗い気持ちを、今だって忘れることは出来ないから。
でも、忘れることは出来なくても、消し去るつもりなんて今更無くても、私には、私のことを支えてくれた人たちが居た。
なのはにアルフ、お兄ちゃんやお母さん。当時アースラに乗っていた乗組員の人たち。
傍にいて、何気ない言葉をくれて、ここにいていいんだよって、生まれてきてくれてありがとうって、そんな風に言ってくれる人たちが居た。
なら、セイゴには?
『さて、母親のかけた呪いを解くことの出来るお姫様は、果たして現れるのでしょうか?』
「────っ。ロロナ、そんなふざけた言い方……」
『ふざけてないわよ。……私には、無理だったんだもの』
不意に覗いた、自嘲するような表情。
その彼女の表情が、熱しかけた私の頭を急速に冷やした。
『私も結構自信家だったからさ、割とどうとでもなると思ってたんだよね』
あいつのああいうところ、私結構早い段階で気付いてたしね。ってロロナは言う。そして、それでも無理だった、とも。
『なのはちゃんのおかげで、仲違いしていた父親とは和解したって話は聞いてる。それ以来、プレマシーの周囲への態度が軟化したってこともね』
けど、それだけだったって、ロロナは首を振った。
『あいつの心の問題は、それで解決したわけじゃない。表面上は区切りをつけたつもりでも、根っこに染み付いたそれまでの気持ちが────悩みぬいてたはずの想いが消えるわけじゃないはずだもの。だからあいつは今だって、自分を省みないこと、いっぱいあるんじゃないの?』
「そ、れは……」
心当たりは、確かにあった。
あの地下道の戦いでの、身を張った新人達のための時間稼ぎ。
あの時の無茶は、それこそ一歩間違えば取り返しの付かないことになっていたって、なのはからもシャマルからも聞いていた。
『子供の頃の母親の存在って、やっぱり大きいと思う。……私だって、プレマシーみたいなトラウマを、自分の子に持たせてしまうようなコトになるかもしれない』
ロロナは、ちらと自分の手元に視線を向けて、それから寂しそうに息をついた。
『それに私、あいつの呪いに余計なものまで乗せちゃったし、ね』
彼女から左腕を、管理局員としての人生を奪った。
それが事実だったかどうかなんて、今更セイゴには関係ない。
セイゴ以外はまるでそんな風に感じていないことを、彼は誰も知らない所で抱え込んで、そして完結する。
『ねえ、フェイトちゃん。私だって本当は────もっとあいつと関わっていたかったんだよ』
「ロロナ……」
寂しそうに笑うロロナ。こういう時、気持ちを上手く言葉に出来ない自分を、酷くもどかしく思う。
『いろいろあったし、異性として好きってわけじゃなかった。けど、かわいくなくても頼れる後輩だったし、手のかかる弟みたいなやつだったし、命を預けあった仲だった。……だから、』
────だから、こんな風になりたかったわけじゃなかった。
なのに、今ロロナとセイゴの関係は、こんなにも遠くて辛いものになってしまっていた。
そんな風になってしまうことの辛さは、わたしには想像くらいしかできないけれど、でも。
ロロナの表情が、私の胸を酷く締め付ける。
『結局、私自身どうすればいいか分からなくなっちゃって……。私じゃダメだったって、それだけのことなんだろうけど、さ』
言葉を区切って、視線を落としたロロナは一つため息を落とした。
それはある種、彼女にとっては仕切りなおしみたいな意味もあったのかも知れない。
次に彼女が視線をこちらに向けたとき、その表情はさっきまでとは少しだけ違っていた。
『……ごめん。余計な話だったね』
「そんなこと、ないっ」
『……ッ』
間髪居れずに否定すると、ロロナはちょっとだけ言葉に詰まったようだった。
『ありがとう、フェイトちゃん。……ああーっ、もう、ごめん! こんな辛気臭い話、全然私っぽくないよね!』
頭をわしゃわしゃって振り乱して、端末越しでも分かるオーバーアクションで、ロロナがまた私に謝ってくれた。
『本当、ごめんね。フェイトちゃんの悩みを聞くはずが、私の愚痴を聞いてもらったみたいになっちゃって』
「ううん、気にしないで。というか、ちょうどよかったと思う」
『……そっか。少しは気持ちの整理、できた?』
「多分。だけど、ロロナの話を踏まえて最近のことを思い出すと、思い当たることがいくつかあるんだ」
セイゴと一緒に居るときのなのはの表情が、笑ってて、かわいくて、楽しそうなはずだった。……なのに。
時々セイゴの表情に入り混じる寂しげな色が、私の気持ちにさざ波を立てて仕方が無かった。
それが、私の抱いていた違和感。
そんな表情を、どうしてなのはと一緒に居るときにしているのか、それは今をもって分からないままなのだけれど。
「まだ私も、……ロロナも知らないセイゴの気持ちがあるのは間違いないと思う。けど、一番の根っこの気持ちは、ロロナのさっきの話の中にあるんじゃないかな」
『あいつが、さっき言ったみたいなコンプレックス中心に回ってるんだとしたら、それこそ本当に命賭けてそうで笑えないのよね……』
「何とかしなきゃ、だよね。……でも、どうすれば」
『……実は私。昔、なのはちゃんにちょっとだけ期待してた時期があったの』
「────え?」
予想外だったロロナのその言葉に、思わず目をパチパチさせて驚いてしまう。
「期待?」
『そう。あの子、割と他人の心にぐいぐい乗り込んでいくようなところあるでしょ?』
「なんだか人聞きの悪い言い方だね……」
頬が引き攣りそうになるのを我慢しながらなんとかそう言うと、ロロナは『いや、貶してるんじゃなくて、褒めてるんだって』と手をパタパタ振って補足した。
『あいつって、いろんなことに悩みだすと自分の殻に篭るような所あるから、ああいう誰かを引っ張りまわすのが得意な子との相性は、割と悪くないの』
その言葉に、少しだけ考え込む。
確かにセイゴの前の隊の隊長さんは、セイゴに意欲的に任務を回して、彼に忙しさの中ではあったけれど、生き生きとした表情をさせていた。
それにそんな事を言っているロロナ自身も、どちらかといえばそっちのタイプだ。
『だから一時期だけど、あの二人を仲良くさせてみようって、いろいろ手を回したりなんかしたこともあってさ。……まあ、結局はそんなに上手くは行かなくて、あいつが大怪我したりしちゃってね。そのすぐあとだよね、私たちがフェイトちゃんと会ったのって』
問いかけられて、少しだけ当時のことを思い返そうとして────最初に出てきた映像が、あの執務官試験対策の面接練習の場面だったので、思わず微妙な表情になって身震いしてしまう。
思えば私とセイゴに出会いって、なんだかとってもおかしくて、初対面のイメージとしては最悪に近かった気がする。
それが今みたいな関係になっているのだから、分からないものだなぁって、不思議な気持ちになった。
『そんな事故のこともあったから、とりあえずあれから何か、って事はしなかったんだけど。────あの頃から私の中でのなのはちゃんの評価って、結構どころかすごく高くて……。なのに、今のなのはちゃんって、私があの頃にあの子に抱いてた期待値の、遥か上を行っちゃってる』
期待値の、上?
ロロナの言葉の意味を見つけようと眉根を寄せていると、彼女はその答えをあっさりと口にした。
『ぶっちゃけ、いま、あの子以上にあいつが受け入れてる人間なんて、多分居ないわよ』
「え、そんなに?」
そんなにもセイゴが、なのはのことを憎からず思っている。
確かにあの二人は仲がいいけれど、まさかそこまでの事になっているなんて認識は全然持ち合わせていなかったから、結構狼狽してしまう。
『あいつ、大した理由も無くあんな風に他人から逃げ回るようなやつじゃないもの。ちょっとあれだから詳細は伏せるけど、実際そこにはあいつなりの大した理由があるの。────そしてこの場合は、自分のせいでなのはちゃんが傷付くと思ってるはず』
自分だけが傷付いて終わるなら、その方が楽だからって平気で思うような思考回路だしね。って、肩を竦めながらロロナは言う。
『なのにあいつ、未だになのはちゃんとの距離感が中途半端なのよね。私との時みたく、淡々と突き放すって感じのこともしてないみたいだし……ってフェイトちゃん? 私もいい加減立ち直ってはいるからさ、そんなに泣きそうな顔しないでって。……ね?』
思わず寂しい表情が顔に出たのを、ロロナが慌ててフォローしてくれる。
そんなロロナの優しさに申し訳ない気持ちになりながら、私は先を促した。
『あいつの、こうと決めたら貫き通すってやり方が中途半端で終わらないのは、私が身を持って証明されてる。……なのにあいつがなのはちゃんを突き放しきれてないのは、確かになのはちゃんの努力もあるんだろうけど……それと同時に、あいつ自身がなのはちゃんと離れることにほんの少しだろうと迷いがあるからだと思うのよね』
「迷い、が……?」
『そう。そしてあいつがそんな風に接した子、あの子以外には過去に一人だって居ないのよ。それくらい、あいつはあの子の事、大事だと思ってるはず。……でもそれってつまり、あの子でダメなら他の誰にもどうしようもないってことでもあるでしょ?』
「────っ」
『だけどあいつがさっきまでの話のとおりの人間だとしたら、"自分を命がけで生んでくれた母親"への贖罪よりも、"自分の好きな友達"の言葉を優先することなんて無いはず。……だからもし、あいつの気持ちを本当にどうにかしたいって言うのなら────』
そこから先の言葉を、ロロナは言い淀んだ。
けど、もう言われなくても分かる。
セイゴの気持ちを変える事が出来るほど、彼の傍にいて、彼の心に寄り添っていく、そういう関係────。
私が察したことを察したのか、ロロナは力なく微笑んでから、『でも』と首を振った。
『そんなもの、そう簡単には求められないよ』
一生あいつの隣にいて、あいつと添い遂げるくらいの覚悟。
それくらいのものが無ければ、何も変えられない。
そう言ってロロナは目を伏せた。
なのはちゃんには、なのはちゃんの人生があるのだから、と。
『まあ、私のほうからちょっとけしかけてるような部分もあるけど、それ以上のことは出来ないし、しちゃいけないよね』
「けしかけてる?」
『ああ、いや、うん。そこはちょっと話せない。なのはちゃんも嫌がるだろうし』
「……そっか。なら、とりあえずは聞かないでおくよ」
本当は問い詰めたい気持ちはあったけれど、それはロロナに聞くよりも本人に聞いた方がよさそうだったから、とりあえず保留する。
けど。
それなら、その中で。
私にできることはなんなのだろうかと考える。
二人を助けて、二人と一緒に笑い合う事の出来る場所へ行くための行動は?
「……あ」
その時ふと、この間のギンガとミナトの歓迎会の時に、セイゴが漏らした呟きのことを思い出した。
────……高町って、好きな男とかいないのかな────
『どうかしたの?』
「あ、えっと……」
その呟きのことを相談するべきかどうか、一瞬迷った。……けれど、
「────ちょっと、待って」
あんな呟きを彼が漏らしたのなんて、少なくとも私と彼が出会ってから初めてのことだった。
今までなのはとの事に関する弱音とか、本音とか、そういうものを見せてくれたことの無い彼の"あの言葉"。
彼がそれを漏らした理由があるとして、今の時点で考え付くものは二つ。
────彼が私のことをそこまで信用してくれたか、あるいは……。
(彼が、なのはとのことで、そこまで追い詰められてる……?)
一つ目の理由だけなら、私が嬉しいだけだった。
一方的にだけど、親友だと思っている相手から、信用してもらえているってことだから。
けれど、二つ目の理由がそこにある、または加わるのだとしたら、話は大きく変わってくる。
「……ごめん。ちょっとだけ、私一人で考えをまとめさせてくれないかな」
『そっか。じゃあ、また少し時間を置いてから話しをしようか』
「うん。本当にごめんね。私の都合で相談に乗ってもらったり、待ってもらったり」
『気にする必要ないよ。誰でも物事に対して即断即決できるわけじゃないもの。だから"間に合えばいい"。それだけだよ』
……私と同じ轍は踏むな。
きっとロロナはそう言いたかったはずだった。
だからこそ、私が自由に出来る時間はそう長くはない。
私もロロナも、もう知っている。
セイゴはきっと、このまま進んでいくのだとすれば、どんな道行きを辿って行ったのだとしても────
────いまのままでは、いられなくなってしまうのだろうから。
2015年12月21日投稿