いちいち数えていたわけも無いので覚えているわけも無いのだが。
お前の存在は、高町なのはには相応しくない。という意図を含む言葉を、俺は高町と出会ってから一体何度投げつけられてきただろうか。
別に、そんなことを言われたからと言って、俺が傷付くとかそういう話じゃない。
というか、そういった言葉に対して俺が抱く感想はただ一つ。
ああ、確かにそのとおりと、その一言だけ。
本当にまったく、何をどう考えたところで完全無欠に間違いなく正しいその言葉に、それ以上に何か別の感想を抱くなんてことはない。
……と、本当にそのとおりだったならば、どれほど良かっただろう。
当然と言うかなんと言うか、実際のところはそうではなかった。
少なくとも昔の俺は、そんな風に諦めが良くはなかった。
ただ、それら世間様の、ある種否定の出来ないその正論を跳ね返すだけの絶対的なナニカを持っていたわけでもなかった。
だから、そういう言葉をぶつけられるたびに、少しずつ打ちのめされていった。
そんなことは無いと思う。から、そんなことはあるのだろうかと疑問に。
そんな疑問から、そうなのかもしれないと不安に。
そういう不安から、確かにそうだと言う認識に。
辿り着いたその認識から、俺があいつに相応しいわけがない。そんな確信に。
そういう至り方をして、俺は今のようになった。
最初から今みたいに思っていたわけでは確かなかった。
もちろん、周囲からのそんな声だけで自分の意見が変わっていったわけじゃないけど。
いろいろあって、いろいろ言われて、そう思ったほうが楽になれるような事情もあって。
そういった全部が集約して、自分の中で出た結論がそうなった。
だけど、まあ、だからなんだとも思うのだけど。
最初がどうあれ、結果は同じだ。
俺は高町には相応しくない。
今心底からそう思っているのだから、過程がどうあろうと違いなんてないだろう。
なのに。
だというのに。
俺はいまさら。あの高町なのはって女の子に。一体なんて感情を持っているのだろう。
俺は、自分の中でそう決めたように、あの子から自然とフェードアウトしていくべき存在だ。
何十年かの時間が経ってから、ああ、そういう人もいたねと、思い出話に登場するような微妙な立ち位置になるべきだ。
そうでないと、どこかが必ず歪んでしまう。
俺のしてきたことが高町にばれれば、それはあの子の行動と人生を今後、縛り続けることになってしまう。
だから絶対に、今自分が持っているような感情に身を任せてはいけない。
と、そんな感じに今まで何度自分に言い聞かせてきたか分からないような俺の高町に対する認識的なものを復習的にぼーっと延々だらだらと考えてたら、睡眠をとった記憶が無いままいつの間にか翌朝だった。
心なしか頭が重い。コメカミのあたりがしくしくと痛むような気がするし、喉の奥の方がなんとなくざらざらした感触に侵されているし、微妙に熱っぽいような気もする。
とりあえずエリ坊にうつさないようにと、この間高町を看病したときに手に入れていたマスクの余りを装着して、スイッチ一発タイプの体温計を耳に突っ込んだ。
ファントムのスキャニングのほうがいろいろ分かって楽だろうとは思わないでもなかったけれど、頭痛のしている朝っぱらからあいつのやかましさを我慢するだけのタフさは俺には無かった。エリ坊にも迷惑だろうし。
で、体温の方は37度8分。
ははは、見事に風邪ひいてるよとか思いながらどうしたものかとうな垂れた。
仕事を休むのは極力避けたかった。俺が体調不良だと知れたら、高町あたりは今度はわたしの番だと休憩時間ごとに世話を焼きに来かねない。
ただでさえそんななのに、俺は八神に有給の申請しなくちゃならないわけだから、到達地点的には有給を与えてまで高町に看病させようって形が見え隠れしてそうなのだった。
別にそれは役得ではないのかと六課の男性の皆様は思うのだろうが、そんなわけが無い。
というかもう、あまり高町を身近な人間だと意識するような状況に飛び込みたくない。
さっきはあんなふうに結論付けていろいろと押さえ込んだような気になっているけれど、本当は気持ちの整理なんてこれっぽっちも出来てやしないのは、自分が一番良く分かっているんだから。
「……けど、マスクして仕事してたら結局結末がおんなじなんだよなぁ」
マスクしてる→具合悪いの?→休んだほうがいいよ→よろしいならば看病や。な展開が目に見えるようだった。
かといって、マスクもせずに職場に行って風邪を撒き散らすのも言語道断な話だ。ていうか、風邪は引き始めが肝心なので、普通に休んでさっさと治すのが手っ取り早い話なのは間違いない。
「……仕方ない」
多少の俺に対する精神的不都合については我慢して、今日はさっさと体調不良を治すことに専念しよう。
そんな風に結論付けて八神に連絡を取り、有給願いをよろしくしつつ、無駄とは分っていながらも高町関連のいろいろを行わないでくださいねと釘をさしてからタオルケットかぶってソファに横になってたら、朝練の時間になって起きてきたエリ坊に事情を聞かれてから怒られた。
「具合悪いならそんなトコに寝てちゃダメだよ! ベッド使って!」
起こしてくれればすぐにも退いたのにと口を尖らせながら氷枕とゼリー飲料用意してきてくれたエリ坊とか優しすぎだろ……とか思いながら結構動かすのもしんどくなりつつある体をベッドに移してゼリーを啜る。
その間にもう着替えを済ませていたエリ坊が、それじゃあ僕は出掛けるけど、ちゃんと暖かくして寝てなきゃダメだよとか、スポーツドリンクが冷蔵庫の中に入ってるから飲んでねとか、お昼はお願いしておくからちゃんと食べてねとか、後で昼休みにシャマルさんに診てもらえるようにお願いしておくからそれまでは我慢しててねとか言ってから行って来ますと出掛けていったので、ぐったりとベッドに寝転がりながら行ってらっしゃいと手を振っておいたのだがあの子気が利きすぎだろ……。
あの調子なら他の誰かが看病に来るまでもないと言わざるを得ない。エリ坊さんはいい嫁になりますね。
とか的外れなこと考えてたら若干熱が上がってきたのかボーっとしてきたのでさっさと寝ることにした。
何かあったら、まあ、そのときに考えようくらいの気持ちで。
額に冷たさを感じて目を開けたら、目の前にエリ坊の顔があった。
あれ、この子さっき出て行ったばっかじゃねとか思いながらボーっとしてたら俺が眼を開けたのに気付いて、
「あ、ごめんっ。やっぱり起こしちゃったかな?」
とか謝ってくるエリ坊。さっき出て行かなかったっけ?と聞くと、目をぱちくりさせてからもう昼休みだよと説明された。
マジですか。正直俺的には5分も寝てないような気がするのだけれど、それほどに寝入るくらいには疲れていたと言うことだろうかとか思いながら体を起こし、多少ふらつく頭を押さえた。
指先に触れた感触で、冷却シートが額に張られていることに気付く。本当気の利く子だ。
「わざわざ戻ってきてくれたのか? 悪いな」
「気にしなくていいよ。大したことないし」
とか言いながら、はいこれ薬、と処方箋とかを手渡されて、あれ、シャマル先生は?と聞いたら、さっきまでいたけどもう戻っちゃったよと言われた。
俺が寝こけてるうちにいろいろ駆使して診察終えてじゃあお大事にって感じで戻ってしまったらしい。
なんかわざわざご足労願っておいてド無視を決め込んだのと対して変わらないあれな対応をしてしまったようなので、明日にでもお礼の挨拶に伺うことにしようとか思いながらエリ坊に話しかけた。
「飯は? 食った?」
「うん、軽くだけど」
軽くとか普段あれだけ食う子なのに大丈夫なのだろうかと思ったので聞いてみたら、この子の中での軽くってのは、必要最低限は食べることを言ってるらしいのでなんか大丈夫なようだ。
とか何とかやってたら、ドアが開いて誰かが部屋の中に入ってきたのでそちらを見てみたらキャロ嬢とフリードのコンビだった。
キャロ嬢の方が土鍋の載ったお盆を慎重な手つきで抱えていた。
「あ、セイゴさん、起きたんですね。お昼持って来ましたよ」
食べられますか? と聞かれたので、もちろんとお盆を受け取った。
胃に直撃な風邪ならともかく、そういうわけでもないのに朝からゼリーだけで大の大人の体がもつわけも無い。要するに腹ペコなのだった。
とか言う事情はあったのだが、なんかキャロ嬢の妙にそわそわしてるみたいな感じがなんか気になる。
ていうかめっちゃ俺の手元に視線注がれてるんですけどなんなの。食べたいの? それともなんか仕掛けでもあるの?とか思いながら土鍋の蓋を開けると、食欲をそそる出汁の香りが湯気と共に広がってなんだかほっとした。
なんかあれだけじろじろ見られると何らかの罠が隠されてるんじゃないかとか本気で心配になるのはなんとも訓練されきった芸人のような反応だとは思わないでもないのだが、もうほとんど脊髄反射のようなレベルで刷り込まれた強迫観念なので仕方ない。
そんな不毛なことを考えながら、卵雑炊らしきものにレンゲを突き刺して口に運んで一口啜って違和感一つ。
……いや、違和感と言うには語弊があるかもしれない。ただ、ちょっと察したことがあると言うだけで。
というか、キチンと固形の食品から出汁ひいてるっぽいし、諸々の調味料で味が調えられてるみたいだし、卵と薬味ネギとシイタケだけしか入ってないように見えるのになんかそれだけとは思えないくらいめちゃくちゃ美味いし、何をどうしたか知らないけどなぜベストを尽くしたのか。
鼻が詰まってないだけましだったが、風邪で舌がバカになってるかも知れない時の食事なんて、別に業務用の特大ヨーグルトを枕元に置かれてるだけだったとしても文句なんて言いやしないのに。
「……うーん」
「セイゴ?」
どうかしたのと聞いてくるエリ坊にいや別にと返事をしながら、なんというか強かになったものだと感心した。どんな心境の変化かは分からないけれど、直接押しかけてこなかったのは、彼女なりに病気の俺を気遣ってくれたのかもしれない。
追いかければ逃げるだけというのを、いい加減察しただけという気もしないでもないけれど。
「……」
「あの、本当にどうかしたの、セイゴ?」
「ん? ああ、いや、なんでもないよ。なかなか美味いなコレと思ってさ」
「あ、本当ですか? きっと喜びます!」
それは一体誰がなんですかねぇ……。とか聞きたい衝動に駆られながら、キャロ嬢のセリフは聞かなかったことにした。
まあ、言えるわけが無い話なので、俺はさっき感じた無視すべき気持ちをかき消した。
このあと、仕事上がりにいろんな人がお見舞いに来てくれたりしたのだが、高町が部屋を訪ねてくることはなかった。
介入結果その三十八 高町なのはの一喜一憂
ようやく今日の分の仕事と明日の段取りを終えて時計を見ると、いつもタイムカードを切っている時間よりも30分くらい遅かった。
今日みたいな日に限って仕事に時間をとられたことを少しだけ恨めしく思いながらも急いで隊舎を後にして、宿舎へと続いている道を早足に歩く。
せーくんが風邪で倒れたって話を聞いたのは、朝起きて身支度を整えている時だった。
はやてちゃんから連絡があって、具合が悪いから今日はお休みを取るって連絡を受けたことを伝えられた。
寝耳に水な話だったけど、横で話を聞いて驚きながらも心配そうにしていたフェイトちゃんをよそに、わたしはどこか納得の気持ちを持ってしまっていた。
昨日彼の様子がおかしいことに気が付いたのは、ようやくミナトちゃんたちと合流して、彼女の昇進のお祝いの品を選んでいたあたりだった。
なんだかぼーっとしていて、わたしに以外のみんなにも上の空で、もしかしたらあの時から、せーくんの具合は悪かったのかもしれないって、そんなことを考えているところではやてちゃんに言われた。
お休みをあげるから、せーくんの看病をしてあげるといいって。
わたし自身の正直な気持ちの話をすると、確かにそうしたいって気持ちはあった。
だけどお仕事のこともあるし、それにわたしがそれをしたくても、彼がそれを望んでいないのはもう分かりきってることだ。
下手をすれば、わたしに看病されたくないなんて理由で無理にでも起き上がりかねない。
って、考えていて寂しくなるようなことだけど、きっとそれは事実で、そしてわたしは、そうなってほしくない。
せーくんが風邪で具合を悪くしているって言うなら、ゆっくりと体を休めてほしい。
この間わたしが風邪を引いたとき、彼は自分の気持ちを押し殺してわたしに甘えさせてくれた。
だったら今度はきっと、わたしが彼を気遣ってあげなきゃいけない番だと思う。
だからわたしははやてちゃんの提案を断って、だけどちょっとだけ状況を確認しようと思ってヴィヴィオのことはフェイトちゃんに任せてエリオたちの部屋を訪ねると、ちょうどエリオが部屋から出てきたところに出くわした。
朝の挨拶と一緒にセイゴのお見舞いですか? って聞かれて頷くと、エリオは彼の様子を順を追って説明してくれた。
どうやらそこまで酷い風邪ではないらしいことに胸を撫で下ろしていると、中に入りますかと聞かれたから、ちょっとだけ名残惜しさを感じながらも首を横に振る。
寝ているのなら起こしたくないし、わたしが顔を見せたら、必要のない心配をさせてしまうかもしれない。
だから会うのはやめておくねとエリオに告げると、エリオは難しそうに眉根を寄せる。
だけど少し考え込むようにしてから、何か閃いたみたいに表情を明るくさせて、
「あ、それならこうしましょう。セイゴのお昼、なのはさんが作ってくれませんか?」
「え?」
「セイゴには誰が作ったか言わなければ大丈夫ですよ」
後で元気になったときにバラして、びっくりさせてあげましょうよ。ってそこから更にエリオに説得されて、押し切られるみたいに彼のためにお昼を作ることに。
少しでも元気になってくれればいいなって、そんな気持ちでお母さんに急いで教えてもらって作った土鍋の中身は、空っぽになって返ってきた。
それがすごく嬉しくて、運搬係になってくれたキャロにも、せーくんがおいしいって言ってくれていたことを伝えられて、正直すごく照れてしまった。
その時にはもうだいぶ具合も良くなっていたみたいで、だからそろそろお見舞いで顔を合わせても大丈夫だよねって、そんな理屈でいま歩みを急がせていた。
だけど、本当に心配だったのに、一番苦しかったはずの時に何もしてあげられない今の関係は、一体なんなんだろうって思う。
わたしの関係が、こんなにも難しくなってしまったのは、一体いつからだったっけって。
最初はもっと単純に、なにか他愛のないことを話せているだけでよかったはずなのにな、って。
そんな事を考えている時だった。
レイジングハートに呼び止められて足を止めて、告げられたほうに視線を移してみると、そこに彼がいた。
もう動けるようになるくらいに回復していた嬉しさと、病み上がりで夜風に当たったりしている彼の無用心さへの憤りで、やっぱり早足で彼の元へと近づく。
「せーくんっ!」
呼びかけると、一瞬肩を揺らしてから、彼が酷く緩慢な動作でこちらを振り返った。
わたしの姿を確認した彼は、すごく不本意そうにゆっくりとした溜め息を吐いた。
「……。大声出してなによ?」
「せーくんこそその態度はなんなのっ。ていうか風邪なのにこんなところで何してるのっ!」
「寝すぎて寝れないから暇つぶし」
「……もーっ」
悪びれずに言う彼に、ずっと心配してたのにってそう告げると、ただの風邪だよ。って呆れられた。
そんなこと、関係ないと思う。
いつもはそこにいる人が今日に限ってずっといないって、そういうのはなんだか、すごく違和感があって。
その原因が体調の悪さだって分かっていて、心配にならないはずなんてないのに……。
そんな事を言っても、きっとはぐらかされてしまうだけだっていうのは分かっているんだけど。
それでも、伝える努力を怠るのはもう嫌だったからなにか言おうと口を開こうとした矢先に、彼がわたしの首元を指差して言った。
「ていうか、なんかレイハさんが残念なことになってね?」
「え? あ、えっと……」
指摘されて、首から下がっているアクセサリーに指をかけた。
シャーリィにお願いして、昨日せーくんにプレゼントしてもらったあの首飾りのガラス玉のはまっていた部分に、レイジングハートを組み込んでもらった。……って言うのは少し語弊があるかもしれない。
見た目は確かにそのとおりだけど、本当の所はレイジングハートにあの首飾りを組み込んだようなものだから。
ちょっと大胆だったかなって、そんな気持ちは確かにあったけれど。それでも、彼がわたしのために買ってくれたプレゼントを、しまい込んでおくのはもったいないって思ったから。
「あはは、せっかくだから。ね?」
「何がせっかくなの? レイハさんにご迷惑がかかるからやめなさい」
「えーっ? そんなことないよね、レイジングハート?」
そう聞くと、もちろんですって答えてくれる。だから、ほら。ね?ってせーくんに水を向けたら、
「お世辞に決まってんだろ。もしくはご主人様の意向を最大限に尊重してんの」
「そっか。ありがと、レイジングハート」
「そうじゃないだろ……」
"問題ありません"って返事してくれる彼女。せーくんの方は納得できないって顔をしているけれど、それはいつものことだから、わたしはとりあえず誤魔化しみたいな意味を込めて曖昧に笑いかけながら、とりあえず別の話題を振る。
「そういえば、今日はタバコ吸ってないんだね」
「……病み上がりだし。ずっと寝てたからタバコなくてもすっきりしてるし。ていうか露骨な話題逸らしすごいですね」
「ふふっ。せーくん、えらい」
「俺のセリフは多少露骨でも無視することに決めちゃったコースかよ……」
「けっ」と吐き捨てるように言うせーくん。だけど、それから一つだけため息を吐いて、まあいいやって視線を逸らしてしまった。
あれ? と思う。
シャーリィに頼んだ時点で文句を言われることはある程度覚悟していたのに、なんだか今日は追求にキレが無いような気がする。
病み上がりなのが原因かもしれないけど、そうだとしたらちょっとだけ今日の彼の風邪には感謝しないといけないかもしれない。
いつもどおりの彼だったら、なし崩し的に説得されて元の状態に戻されてしまっていただろうから。
それはやっぱり嫌だから、わがままでごめんねって内心では謝りながらも、話題を蒸し返されないように黙り込む。
そうなると、わたしたちの間には会話が生まれない。
せーくんから話題を振ってくれることはそんなに多いことじゃないから、そうなるのは自然なことなんだけど。
でも、こういう静かな空気は嫌いじゃなかった。
むしろ彼との間にしか生まれないこの沈黙は、昔からどこか心地いいくらいだった。彼の体調が悪いのでなかったらしばらくこのままで居たいくらいだったけど、そうもいかない。
そろそろ部屋に戻った方がいいよって彼に言うと、一つ伸びをしてから「そうだな」って頷いてくれた。
それから歩き出そうとして、何か思いついたみたいに立ち止まって、わたしがどうしたのって聞くと、「そういえばさー」って前置きしてから、
「昼にキャロ嬢が卵雑炊運んできてくれたんだけど、あれなかなか美味くてさ」
ビクって反応しなかった自分を褒めてあげたい気分になった。
誰が作ったのか聞くの忘れたんだけど、高町は知ってるか? って聞いて来る彼に対して、しゃべったら声が震えてしまいそうな気がしたから、返事は首を横に振るだけで済ます。
「ふーん。まあ、後でキャロ嬢に聞くか」
エリオがキャロにも口止めしてるはずだから、聞いても多分答えてくれないと思いながら、わたしの仕業だって彼が気付いていないことにほっとしていた。
あれはわたしが何かしたかったから作っただけで、それをせーくん本人に知ってほしいなんてこれっぽっちも思わない。
なんだか、だまし討ちしたみたいで絶対に知られたくない。
彼との関係の根底にすれ違いがあるから、他の事に関しては出来る限り真正面からぶつかりたいって、そんな変なこだわりがいまのわたしにはあった。
だからエリオにもキャロにも、今日のことは隠しておくようにお願いしてあった。
彼がわたしの料理を褒めてくれて嬉しい。
だけど、わたしのことを知ってもらうわけにはいかない。
「……っ」
「なに、お疲れ?」
「へ?」
聞こえているとは思ってなかったから、本当に小さなものだったはずの、ため息にもなっていないため息に反応があったことに思わず目をぱちくりとさせてしまう。
こういうときだけ音を拾うせーくんの耳の良さを恨みながら無理やり笑顔を作った。
「え、あ、そ、そんなことはないけどっ」
「ふーん。ま、どうでもいいけど仕事もほどほどにな」
あくびしながら本当にどうでもよさそうに言う彼に、なんだか敗北感を覚える。
仕事ばかりしている自覚はあるから、何も言えないのは確かなんだけど。
でも、良かった。いつもどおりの彼だ。って思って、コレがいつもどおりってことが少しだけ悲しい気持ちになって。
だけどなぜかほっとする。けどやっぱり、少しだけ寂しかった。
2013年9月8日投稿