認められなくとも構いはしなかったし、認められるとも思ってはいなかった。
けれどあの時の俺は、あの場であのまま生きていくことはどうしようもなくできないと思ったし、今でも明確にそう思っている。
ガキの頃、物心ついた時には既に母はこの世の人ではなくて、今でも生の映像として思い出せるのは、年月の蓄積でフィルター越しの写真でも覗いたかのように霞む、輪郭のぼんやりしたの顔と、あの人がいつでも綺麗で透明な笑顔を浮かべていたことだけだった。
写真やその他の彼女の生きた証とでも言うべきものは全て親父によって神隠しの目にあってしまって俺にはどこに何があるのか皆目見当もつかないし、わざわざ探してまでそれらの軌跡を拝みたいとも思わなかったから、今に至るまで全く探そうとはしていない。
他に俺に残されているものなんて、過去のあの人が未来の俺宛に記した手紙が一通くらいのものだった。
流石の親父も、中身は見ないで俺に渡してくれという母さんの遺言とやらとともに渡されたその手紙まで隠すほどにひねくれてはいなかったらしい。
彼女の直筆でしたためられたその文章だけは、俺が親父の勤める病院に監禁され、気の遠くなるような物量の医学書その他諸々の資料に封じ込められた知識を片っ端から頭の中に叩き込まれ終えたころに手渡され、親父のもとを離れることを決意した理由になり、今でもあのボロアパートの俺の部屋のボロ机の中に保管されている。
あなたがこれを読んでいるということは────なんてお決まりの文句から始まる、地球の言語である日本語で書かれた枚数にして十数枚になるその手紙には、第97管理外世界『地球』に生まれ育ったはずの彼女が、ミッドチルダの医術分野で名前を売り出し始めていた親父と出会った経緯から、どうしてそのままミッドへと移り住み、そして死んだのかまでも記されていた。
端末を使って少しずつ訳しながら読み進めたその手紙の内容は正直信じがたいもので、そしてなにより、俺にとっては辛いものでしかなくて、途中で読むことをやめてしまった。
手紙の中の親父は、今のあの人からは想像もできないくらいに真っすぐで、優しくて、どこか親しみさえ覚える人物だ。
けれど今の親父に、そんなものは感じない。
あの人が描いたこの手紙の内容が、仮に事実だったとして、なにが彼をあそこからここまで変えたのか。
大量に詰め込まれた知識のせいで六歳児とは思えないくらい無駄に老成した頭でそれを考え、そしていつしか答えに至ったとき、俺はどうしても今のままではいられないと思った。
認められなくとも構いはしなかったし、認められるとも思ってはいなかった。
それでも俺は、どうしても親父の敷いたレールの上を歩く気にはなれなかった。
きっと、親父の人生を変えてしまったのは、俺だ。
他人に話したところで、下らない驕りだ何だと一笑に付されそうな、幼稚で無知な考えなのかもしれないが、あのときも今も、俺はそれが真実だと思ってしまった。
けれど俺はだからこそ、今の親父が俺に望んでいることだけは、絶対に許容はできなかった。
……だから、俺は────
先輩がエースさんを拉致してどこかへと連れ去ってしまった。
なんか服を見るとか何とか楽しそうに言いながら笑顔でエースさんの手を引いてどこかへと消えていった先輩。
エースさんはそれに目を白黒させてついて行った。なんか俺の方を見てアイコンタクトで何かを訴えようとしていたような気もするが、俺には何も読み取れなかったから手の施しようがない。だから仕方ない。ああ仕方ない。
だからその事象の延長線上で俺が暇になったのも仕方ない。
ついでにその辺の自販機で買ったミルクティーがうまいのも仕方がなくて、今ベンチに腰掛けて休憩しているのがすげぇ楽なのも仕方がない。…この平和の陰でエースさんが先輩にひっぱりまわされているのも仕方がない。
……仕方がないんだが……。
「……」
俺は無言で、横に腰掛けて俺がおごったジュースを飲んでいる赤い髪を三つ編みにした少女を見た。
少女は俺の視線に気づくと、缶から口を離して目を眇める。
「……なんだよ。なに見てんだ」
「いえ、別に。……ジュースおいしいですか?」
「……うまい」
「そうですか。それは良かった」
それだけ言葉を交わして、また無言に。
……うーん、なんというかあれだ。すごく意外だ。
だって俺のイメージではこの子、あのエースさんといつも一緒にいる感じだったから。
一部の例外を除いて、外でエースさんに会うときは必ずと言っていいほど一緒に彼女がいて、なんだか勝手な先入観としていつでも二人セットな感じだった。
……てか、なんでこの人俺と一緒にいるんだ?
この子、今までの態度から見るにきっと俺のこと嫌いだよな。
なのに、エースさんを追いかけないで俺の横にいる理由は?
この状況で、彼女に生じるメリットは?
と、そこまで考えて気付いた。この子、俺に何か話があるんじゃなかろうか。
でなけりゃこんなところで俺なんかと二人きりになって飲み物を飲んでる理由に説明がつかない。
こう言っては難だが、今の自分は恐ろしいほどつまらない奴だと思う。言ってて嫌になるが。
一緒にいるだけ損だと思うのだ。この状況は。
「……空曹さん」
「……なんだよ」
「私に何か話でもあるのですか?」
仕方ないから単刀直入に聞くと、空曹さんは軽く目を丸くしてから眉根を寄せた。
「……本当に、無駄に察しのいいやつだな。気味悪い」
「……すごく敵意剥き出しですね。さすがにそういう言い方をされると、私でも傷つくんですが」
「いいだろ別に。その分埋めて有り余るくらいいい思いしてただろうが」
「いい思い?」
わけがわからなくて彼女の方を見ると、唇を尖らせてそっぽをむいて言った。
「せーくんとか呼ばれて随分と嬉しそうにしてたじゃねーかよ」
「……私には、そんな記憶はありませんが。なら、私もあなたのことをヴィーさんとでも呼んでみましょうか?」
「そっ、そんなブザーみてえな呼び方なんかいらねえよ!」
「ああ、そうですね。なんだか敵の襲撃でもうけたかのような擬音ですよね」
くつくつ笑いながら言うと、空曹さんは意外そうにまた眼を丸くした。
「お前……笑えんのかよ?」
「……なんですかその妙な認識。私だって人なんですから、笑ったりくらいしますよ」
「いや、そうなんだけどさ。お前が笑ってる所って見たことねーから、すげー意外で……」
「あれ、前にファミレスに行ったときに笑いませんでしたっけ?」
「……あれはいろいろ違うだろ」
「まあそれもそうですね」
しれっと言って、また一口紅茶を飲む。
ようやく会話らしい会話をできたが、それにしても話が進まない。話がしたいというのが真実味を帯びて来たのはさっきの反応を見れば一目瞭然だったが、結局何の話がしたいのだろうか。
……いや、さっき彼女、なんだかエースさんに関してのことで俺に敵意を剥き出しにしていたような……。
って、あれ、もしかして……。
「……まさか、私に高町さんにちょっかいを出すなとかそういうことを言いに来たんですか?」
「────! え……」
びくっとなってから目を瞠って固まる空曹さん。
「……あの、図星ですか? あてずっぽうな部分も多かったんですが」
「ち、ちげーよ! ……いや、違くも……」
どっちだろう。
「……よく分かんねーんだよ。お前がいいやつなのか、それとも腹ん中で下らねーこと考えてるようなロクでもないやつなのか。だから……」
「だから?」
「話をしにきた」
「……はい?」
なにを言ってるんだろう、この子は。……いや、一応話に筋は通っているのか?
分からないから、聞く。まずはそれから。
つまり、分かりあえていないから分かりあう努力をしようというのだ、この子は。
俺とは一線を画すものの考え方だった。
俺にはそういうことはできない。できないから遠ざけて、そして今まで放置してきた。それが今の俺の状況だ。
聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥。そんな言葉が、母さんの故郷の世界にあるのだというのをなぜか思い出して、胸が締め付けられるような気がした。彼女はそんな俺の様子に気付かず言った。
「よく分かんねーなら、まずは話をしようと思ったんだ。そうじゃなきゃ何もつかめねーしさ。そういうのだめだと思うからさ、なんか。なのはの好きなやつは、あたしだって好きになりてーんだ」
「……ありがとうございます」
「……なんで礼を言うんだよ」
「いえ、なんとなくです」
本当に意味はなかった。ただ、そうした方がいい気がした。
だから自嘲気味に笑ってそう言うと、空曹さんは掘り下げて聞くのを不毛だと思ったのかまたそっぽを向いて口を開いた。
「……で、そのためにロロナに頼んで、なのはを連れ出してもらったんだ」
「ああなるほど。それで……」
道理で珍しく、先輩が俺を放置して行ったわけだ。
そもそも今日のこの外出は、先輩が俺とエースさんに余計なお節介を働くためだけにセッティングされたと思っていたのに、先輩が俺を放ってエースさんとどっかに行くのはおかしいと思ってはいたのだ。だが、そういう事情なら得心がいく。
……本当、細かいところに気を回す達人だな、あの人は。
そこまで話してから、彼女は缶の中身をあおった。
俺もそうだが、彼女も慣れない相手と話すのはあまり得意ではないのか、一つ会話を終えるたびにそうして気持ちを落ち着けているらしい。
なんだか妙に不器用なところが親近感わくなあ、とか苦笑しながら俺も缶に口をつけた時だった。
「……そういえば、前から聞きたかったんだけどよ」
「なんですか?」
「お前、どうして管理局員になろうと思ったんだ?」
「……それはまた、どうして唐突にそんな質問を?」
空曹さんは、「いや……」と一旦言葉を濁してから、
「お前って、平和を守りたいって感じのやつじゃないし、前に安定した安全な職に就きたいとかなんとか言ってたよな」
「どうでもいいこと覚えているんですね」
「うっせえな。いいから答えろよ。なんで安全ってわけでもないのに管理局員なんてやってんだよ」
「いや、答えろと言われても……」
確かに特段他人に隠している理由と言うわけでもない。
うちの隊の部隊長さんには話したことがあるし、先輩も把握している。……少なくとも表向きの理由は。
だから話してもいいと思った。よって話した。
「多分最初は、ただ逃げてただけなんだと思います」
「逃げた?」
「ええ。……私の父は、医者なんですけど。あの人どうやら私に自分の後を継いでほしかったみたいなんですよね。で、私はそれが嫌だったんです」
「……だから、逃げたのか?」
「ええ、まあ。手始めにまずはあの人の元を離れて学校の寮に入って、医学以外の文献を適当にいくつも手に取って。そこからさらにいろいろあったんですが、管理局に入った理由となると、俺のせめてもの反撃ってところです」
「……反撃?」
「はい。……要するに、その辺の適当な職につくよりも、管理局に入って偉くなればあの人も文句を言えなくなるかなぁと思ったんですよ。魔導士は出世早いですし、幸いなことに魔力資質は高かったですから。運動はそれほど得意ではなかったですけど、その辺は頑張って何とかしました」
おかげでこれでも随分とスピード出世した方だ。
そりゃ、エースさんや目の前の少女には敵わないかもしれないが、それでも自分なりに頑張って手に入れた地位だ。
そしてこれからも俺は、昇りつめていく気でいる。
けれど最近、どれほど出世しようがどうしようが、親父が態度を変えないことで不安になってきている自分もいるのだった。
偉くなれば親父も諦めてくれると思った。
けれど、そう簡単な話ではなかったようだ。
親父が、本当は何を求めていたのか。
少なくとも表向きは、自分の目の届く範囲に俺を置いて、俺を自分の息子に相応しい地位に就かせたいのだと、そういうスタンスだった。
理由はどうあれ、こっちにもあっちにも譲れないものがあって、親父と俺は水と油のように始終反発していた。
俺が医学以外の道に進むと反抗した時も。
学校に通うとき、彼の傍を離れることにした時も。
管理局入りが内定した時も。
まともな口論に発展したことはない。親父はいつだって、俺の決めたことが自分の意に沿わない時には一言、
『私は反対だ』
と言うだけだ。
だけど、そんな根拠を何一つ示さない一言で納得できるわけがない。
なのに、俺がなぜかと理由を聞いても、「自分で考えろ」の一点張りなのだ。
歯数の違う歯車のように、俺たちはまともにかみ合わなかった。
にもかかわらず、入局してからかなり経った今でも、嫌がらせのように定期的に俺の近況を聞いてくる。
しかも、なにをどういう風に喋ったところで、
『そうか』
一言だけそう言って、一方的に通話を切る。
もうどうすればいいのか分からない。というのが、最近では本音になってきているのも事実だった。
けれど、だからと言って止まる気はなかった。……止まれなかった、と言った方が正しいかもしれない。
なのに、親父を諦めさせるために今まで頑張ってきたのに、最近ではそれは違うんじゃないかと思う自分がいる。
そのあたりのことまで掻い摘んで話したあたりで、空曹さんが妙な表情を浮かべて頭をかきながら口を開いた。
「……なんか、悪ぃ」
「……は?」
「余計なこと聞いちまったな。…でもお前、そんな話をあたしに聞かせてよかったのか?」
ああ、何だそういうことか。別に気をつかわなくたっていいのに。
「確かに会ってそう経ってもいない知り合いを相手に言うようなことではないのかもしれませんけれど。……まあ、いいんじゃないですか? あなたにこういう話をしたところで、何が変わるってわけでもなさそうですし」
「……どういう意味だよ」
「あなたって、こういう話に同情するタイプでもなさそうですし。あんまり仲が良くない相手だと愚痴りやすいというかなんというか……こう言ってはいろいろと台無しですけど、あなたを相手にストレス解消させてもらったんだとでも思ってもらえると速いですかね」
「て、てめっ……」
目を吊り上げる空曹さん。心の中では殴りかかりたい本能とそれを抑える理性が戦っているような、そんな微妙な心中を隠し切れていない表情だった。
が、結局理性の方が勝ってくれたのか、こめかみに怒りマークでも浮き出て来そうな表情ではあるものの、それを押さえつけるように話を変えた。
「……お前、それで結局どうしたいんだよ?」
「さあ? 正直よく分からないんですよね、最近は」
空曹さんは俺の煮え切らない様子を見てしかめっ面で眉根を寄せる。それでも怒鳴らないあたりにいつもとは違う気遣いを感じるけれど、出来ればそういう気遣いはよしてほしかった。……いや、それほど仲良くもない相手に、それは望み過ぎか。
「確かに、半ば喧嘩別れみたいに家を出てきた当時は、少しでも早くあの状況から解放されたいとか思っていたんですけど、最近じゃあそういうことをあまり考えなくなったというかなんというか」
苦笑しながらそう言うも、空曹さんは腑に落ちないようで機嫌の悪そうな表情は戻らない。
けどこれは、本当に俺の本音だった。彼女にこんなことを言っても仕方ないのに、本気の本音を口にしていた。
「……にしてもよ」
「はい?」
「何でお前の父親ってのは、そんなにお前の生き方を決めたがるんだよ。なんか得でもあるのか?」
「……得、ですか?」
どうしようか。そう聞かれて思いつく理由はいくつかある。
その中の一つに俺が今こうしている理由も含まれているのも事実だ。
言うのは簡単だけど、なぜだかそういう気にはなれなかった。だから誤魔化そう。
「……きっとあれでしょう。あの人には自分の子供の理想像があって、それを現実化しようとしているんじゃないですか?」
「……そういうもんなのか? 親って」
「どうなんでしょう。私は親ではないのでわかりません」
ふーん、結局よくわかんねーな。と言いながら、空曹さんは俺から注意を逸らした。
俺はそれに心中胸を撫で下ろしつつ、缶の中身を一気に飲み干してベンチを立ち、近くのダストシュートへ向かった。
缶を捨ててからベンチへと戻り、先ほどの会話を蒸し返されてはたまらないので、とりあえず逸れた話題を口にする。
「そんなことよりあれですねあなた、随分と高町空曹長と仲がいいですよね」
「え、あ……まあな」
おお、なんだかかなりの好感触。選んだ話題が良かったのかしっかりと食いついてくれて助かった。
「なるほど。それで会って間もなかった頃は、盛大に俺を睨んでいたわけですか」
「……まあな。模擬戦とかでああいう所に行くと、ガキだからって馬鹿にした態度でかかってくるような奴もいるし、なのははそう言うのに無頓着だから、あたしが目ェ光らせてんだよ」
「なんだか過保護な母親みたいですね、あなた」
ははっ、と苦笑すると、空曹さんは唇を尖らせて鼻を鳴らした。
まあそれはいいや。
ところで、
「でもあなた、最近高町さんと話している私を見る視線に、時々嫉妬に似た何かが混ざっているようなことがある気がするんですが、気のせいですか?」
「……き、気のせいだろ。うん」
「へぇー」
じとーっとさせた目で空曹さんを見ると、彼女は「な、なんだよっ」と声を荒げながらあわてていた。
友達が自分以外の相手と仲良くしているのを見て嫉妬。随分と可愛らしい反応だ。
このままからかい続けるのも楽しそうではあったのだが、あんまりやりすぎると報復が怖そうだったので、早めに切り上げることにした。
「まあ、高町空曹長もきっとそのうち俺に飽きたら勝手に離れていくでしょうし、そこまで気にする必要も────」
「あ?」
瞬間、俺を刺し貫く視線。
研いだ刃物が野晒しになっているような野蛮な鋭さ。研ぎ澄まされているわけではない、けれど、その気合いは圧倒的に俺の気力を呑み込んでいた。
「おい、お前」
「……なんですか」
空曹さんの向けてくる情け容赦のない威嚇の視線を、気力の全てをまわして真っ向から睨み返した。
空曹さんはそのまま言った。
「なのはを見くびるな。あいつはこういうことで飽きるなんてことは絶対にねえし、そういうことが原因で見捨てるなんて最低な真似も絶対しねえ。いいか、絶対にだ」
「……なるほど。────すみません。また考え無しのクソッタレな発言をしてしまったんですね、私は」
「……けっ」
吐き捨てるような表情で悪態を吐くと、空曹さんは立ち上がって俺に背を向け、歩き出した。
俺もそれを追うように立って、背中を追う。
「一応聞きますけど、どちらへ?」
「……いい加減待ってるのも飽きたから、探しに行くんだよ」
「あの二人をですか?」
「そうだよ。文句あんのか」
「いえ、特には」
「……ふん」
こっちを見もせずにスタスタ歩く背中につき従うように歩きながら、俺は自分の空気の読めなさに辟易して、自嘲のため息を吐いた。
全く、本当に馬鹿だな。俺は。
そんな風に自分の駄目さ加減を唾棄しつつ、空曹さんの背を追いながら、ふと気付いた。
そういえば、どうして俺は昔、将来の夢のことをあんな風に思っていたのだっけ。
先輩の言うとおり、あれでは中年オヤジの現実的課題だ。とても子供の見る夢じゃない。
「……まあ、覚えてないってことは、どうでもいいってことだよな」
「……ん? おい、なんか言ったか?」
小声で呟いていたのが耳に届いたようで、空曹さんがこちらを振り返ったのでなんでもないですと言う。
しかし彼女はそれを信じられないようで、疑惑のこもった瞳で俺を見据えてきた。
「……あたしの悪口でも呟いてたんじゃないだろうな」
「まさか。私は悪口は面と向かって吐き捨てます。陰で言うのは呪詛ぐらいのものですから、安心してくださって結構ですよ」
笑顔を浮かべてそう言うと、空曹さんは今度こそ頬を盛大に引き攣らせた。
「……いま一つだけお前のことがわかった」
「へぇ、どんなことがですか?」
「お前、すっげー嫌な奴だな」
「あれ、今更気付いたんですか?」
「……っ」
頬をひくひくさせながら、開き直った俺に勢いよく背を向けて空曹さんが歩いて行ってしまったので、俺はまたその背を追った。
今日家に帰ったら、先輩にこの間押し付けられて家の本棚にそのまま放置してしまった、『他人の地雷を悟るコツ』という、いかにも怪しげなタイトルの本を紐解いてみようかなと、そんなことを思いながら。
その辺の服屋で楽しそうに買い物をしていた二人を見つけ、隣の空曹さんの機嫌が壮絶に悪い理由を先輩に問い質され、それをなんとか誤魔化してから朝もまだだった俺が、飯が食べたいですと提案した。
その時彼女たちが持っていた紙袋が俺に任されたのは男女間のヒエラルキーの関係上当然で、まあスタンダードサイズの紙袋二つ程度を持たされることには何の文句もない。というか、この程度のことで文句を言うほど心は狭くない。
そういう、三人の少女に荷物持ちという肩書を任されてつき従う、そんな昼下がりのことである。
「えっと、そういえばさ」
「はい、なんでしょう?」
適当な店に入って適当に昼飯をかっくらっていると、また俺の対面に座っているエースさんが話しかけてきた。
「せーくんのバリアジャケットのデザインって、なんだかせーくんのイメージに合ってないよね」
「……は? はあ……」
また取り留めの全くない会話かと適当に返事をかえすと、横に座ってた先輩が「ああ、分かる分かる」とか言い出して話が膨らむ。
「なんかこう……。こいつって14で体とかかなり鍛えまくってる癖に170㎝とか無駄に身長高いし、もっとコートとかバタバタと風に靡かせてかっこつけてそうなイメージなんだけど、悲しいかな一般隊員のバリアジャケットとほとんど変わんないの着てるから、地味で無個性なのよねー」
「……地味な上に無個性で悪かったですね。いいんですよバリアジャケットなんて。展開できて魔法を防げてパージさえできれば誰も困らないんですから」
「そんなことないわよ。見た目って大事よー。ほら、強そうな格好してた方が敵もビビったりするだろうしさー」
「そんなものかね」
「そんなものよ。ねー、なのはちゃん」
「んー。でも私たちの相手って、基本的にガジェットとかですよね」
「そうだけど、まあ時々違法魔導師逮捕とかもあるじゃない」
「そういう連中は、基本的に俺たちの格好なんて気にしないでしょう。大体真正面から特攻なんてしかけないから姿も見られないし」
「……くっ。ああ言えばこう言う。なんてかわいくない部下なのかしら」
「俺にかわいさを求める方がどうかしていると思いますが。この通りどうにも捻くれ者なもので」
「くぅ~っ! マジでかわいくないわね!」
「ホントに可愛くねーよな」
「あ、あはは」
空曹さんの本音とエースさんの苦笑を聞き流しながら、残っていたスープをあおって食事を終え、御馳走さまと呟いてから立ち上がってセルフサービスのドリンクコーナーへ向かう。紙コップに何となくコーヒーを注いでからそれを手に元の席へと戻ると、適当に会話をつなげた。
「それで、私のバリアジャケットのデザインがおかしいと、何か不都合でもあるのですか?」
「いや、おかしいんじゃなくて、似合ってないって話でしょうよ」
「……似たようなものだろ」
「ぜーんぜん違うわよ。デザインがおかしかったらデザイナーのせいだけど、似合ってなかったらそれはあんたのせいでしょ。着こなしがなってないのよ着こなしが」
「……この短時間によくもまあ、それだけ他人を否定できるもんで」
「否定じゃないわ、指摘よ。それにしても……よし」
なんか知らんがまた悪だくみでも思いついたのか、先輩はにやりと口の端を持ち上げてから、隣のエースさんの耳元に顔を近付け、何か囁き始めた。
エースさんはそれを聞いて目を丸くしてから、ちょっとだけ楽しそうに笑った。
あー、なんかメンドくさそうな伏線が一つ張られたようである。これはいい予感が少しもしない。泣きたい。
にしても、人生において伏線なんて言葉を本当に使う時が来ようとはな。
2010年1月3日 投稿
追記
そう言えば言い忘れていました。
皆様、あけましておめでとうございます。
今年も何とぞ、この作品と作者をよろしくお願いいたします。
2010年8月29日 改稿
2015年7月27日 再改稿