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No.8212の一覧
[0] 異世界鍛冶屋物語(現実→異世界 日常系)[yun](2013/03/12 00:07)
[1] 鬼に鉄剣[yun](2010/11/30 01:00)
[2] 願わくば七難八苦を与えたまえ[yun](2009/04/24 01:16)
[3] 貴き種族の話[yun](2009/04/25 21:59)
[4] 汝は人狼なりや[yun](2009/05/31 17:06)
[5] 蓼食う虫も食わないもの[yun](2010/09/01 19:06)
[6] エルフと死霊[yun](2009/06/21 23:04)
[7] 鍛冶屋の日常[yun](2010/09/02 01:26)
[8] 柔らかな記憶[yun](2009/09/29 01:50)
[9] 夜に生きる[yun](2009/10/21 22:12)
[10] 剣神の憂鬱[yun](2010/04/05 01:39)
[11] 光の射す方へ[yun](2010/09/02 02:00)
[12] 鍛冶師と竜騎士(前篇)[yun](2010/09/07 01:35)
[13] 鍛冶師と竜騎士(後篇)[yun](2010/10/12 03:23)
[14] 得るものと棄てるもの[yun](2010/11/29 02:05)
[15] 復讐するは我にあり[yun](2011/02/01 01:39)
[16] 正しい力の使い方について[yun](2012/12/16 12:33)
[17] 神に祈りを、ヒトに希望を[yun](2013/03/10 08:44)
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[8212] 鍛冶師と竜騎士(後篇)
Name: yun◆04d05236 ID:7d24e2c9 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/10/12 03:23


 何故ヴァレリア達ベルミステン騎士団がこの場にいるかと問えば、その答えは救出に来たからだというものだった。

「……騎士団がわざわざ、城外に取り残された民間人を?」

 ざっと見渡せば、騎士たちは約五十人。小隊が十個、すなわち中隊規模だ。

「ま、ただの民間人と冒険者じゃ、助けには来てくれなかっただろうな」

 怪訝な表情を見せたユキヒトに対して皮肉げに言うのは、冒険者のリーダーであるランクースだった。

「そちらにおわすのはお偉い魔術師様だ。大陸でも魔法陣研究をしてる中じゃあ名前を知らない奴はいないってくらいのな。学術の街ベルミステンとしちゃあ、見捨てるわけにゃあいかなかったってことだろうよ。そのおかげで俺も助かるんだから文句なんざないがね」

 世知にたけた冒険者らしく、騎士団の耳には入らないように小声でこっそりと教えてくれる。

 なるほどそういう事かと思ってみれば、ケイガルド自身もそれを承知しているらしく、普段から不機嫌そうな顔が、苦虫を噛み潰したという程度ではきかないような凄まじい表情になっている。

 ケイガルドにしてみれば純粋な探究心で究めたものを、その様に国策的に保護されるのは一種の屈辱であるとすら感じているらしい。自分の研究の意義など一切分かってもいない癖にという言葉が聞こえてきそうな表情であった。

「あの姉ちゃんとは知り合いか?」

「ん? ……ああ、ヴァレリアの事ですか。知り合いというか、まあそんなところです」

「ありゃあ、相当な使い手だな」

 僅かに見ただけで実力のほどを見定めるのは、流石にベテランの冒険者だ。

 通っていた剣術道場では師範代の免状まで持っている彼女だ。衛兵はその性質上武道を奨励されるのは当然で、剣術はその中でも必修と言って過言ではないが、ヴァレリアの実力はその中でも際立ったものだった。

「あの年で風格がある。間違っても戦いたくねえ相手だな」

 冒険者に必要なのは実力。それは間違いがない。だがそれ以上に大切なのは、勝てない相手と戦わないすばしこさだ。

 彼らは兵士ではない。請け負った仕事にもよるが、基本的に彼らは勝てないと知りつつ戦う事、生きて戻れないと分かる戦場に立つ事はない。そんなことからは逃げればいいのだ。

「綺麗な顔しておっかねえこった」

「女性を捕まえておっかないはないでしょう」

「……小娘でもあるまいに」

 ユキヒトの感覚でいえばヴァレリアの年齢は、年上と言えどまだ頼りなさを残していても少しもおかしくないし、ランクースのような中年からすればそれこそ小娘扱いされるような若さだ。またファリオダズマでは、男女の権利が比較的近しいところがあると言えば聞こえはいいが、中世騎士的な女性はか弱く守るもの、という様な価値観も殆どない。ユキヒトの常識とこの世界の常識は、こんなところでも微妙に齟齬を生じさせる。

「いずれにしたって、おっかないくらい強いヒトは、今は頼りがいがあるでしょう」

「そりゃそうだ」

 あっさりと頷くランクース。切り替えの早さも冒険者には必要な資質の一つだ。

 ちょうどそこに、騎士団からの招集がかかった。










 ベルミステンへの帰還は、翌日昼。騎士団主力がモンスター勢に対して攻勢をかけるのに紛れて街へと入る。実際にはもっと細かい作戦があるのだろうが、素人が聞いたところで分かるわけもない。大まかな部分だけを聞かされることとなった。

 夜。昨夜とは違い、騎士たちが見張りに立ってくれるために、ユキヒトや冒険者一行は見張りをする必要がない。翌日の戦闘も騎士団任せと言うわけにはいかない冒険者たちは、早々に眠りについて体力の確保に余念がない。

 ユキヒトはと言えば、見張り当番を終えたヴァレリアと会っていた。

 周囲に幕を張り巡らせ、その中でランプを使う。昨夜とは違い、発見される事よりもむしろ奇襲される事の方が警戒度が高い。例え見つかったとしても、それに気付いてさえいれば十分撃退は可能だ、という自信の表れだった。

「叔父さまとノルンが心配していましたよ、ユキヒト」

「だろうなあ……。俺のせいってわけじゃないけど、悪いことしたな」

「……もちろん、私も心配していました」

 その言葉の意味するところが、一年前とは微妙に変わってきていることに気づかないほどにユキヒトは鈍くはなかった。

「心配をかけてすまなかった」

「先程自分で言っていましたが、ユキヒトのせいではないでしょう」

 真摯に謝るユキヒトに、ヴァレリアはそう言葉を返した。その声に宿る安堵感と柔らかな感情に、ユキヒトは面映ゆいような気持を抱いた。

「明日の作戦はどうなんだ、危険はないのか」

「危険の無い作戦などありえません。とはいえ、成功の見込みの少ない作戦と言うわけではありません。元々、いつまでも籠城しているわけではなく、城を出て野戦で片をつけることは想定されていた作戦のうちですし、それに便乗して我々は街へ入るだけです」

 嘘をつかない、かといって徒に不安を煽るわけでもない優等生的な回答は、彼女の状態が平静であることの証明だった。

 ベルミステンは現在では学術の街だ。栄えた街であることは事実だが、諸々の物資の生産能力は人口と比べて必ずしも高くない。近隣の街から通ってくる商隊なしには、日常生活もままならないのが実情だ。二日三日でどうにかなるわけではないものの、早期に包囲は解かなければならない。となればいつまでも籠城しているわけにもいかず、野戦は当然の選択肢ではあった。

「……さすがに今回は持ってきたんだな」

 ヴァレリアの腰に佩く二振りの剣を見て、ユキヒトは感慨深く言った。

「勿論です」

 ランプのかすかな明かりに照らされたヴァレリアの表情は、微笑んでいた。

 ヴァレリアは二振りの剣を腰に佩いている。片方は一年前にオルトが贈った剣だ。ユキヒトも相槌を打たせてもらい、つい先日は魔法陣も施した。もう一振りは、ヴァレリアが衛兵になって一年後個人的な蓄えから購入した剣だ。

「本当に気に入ってるんだな。この剣の話になるとヴァレリアはよく笑う」

「……気に入っているのは事実ですが」

 どこか照れたような、それでいて憮然としたような声の理由は、ユキヒトには分からなかった。そんなユキヒトにヴァレリアはひとつ溜息をついた。

「盗まれそうになった時なんかすごかったじゃないか」

「あれは……! その、私も未熟だという事です」

 帯剣したまま警邏をしていた際、剣に目をつけたかっぱらいがヴァレリアから剣を盗もうとした事があった。結局盗めなかったのは無論のこと、大切な剣に無断で触れられ、あまつさえ盗まれそうになった事に激怒したヴァレリアは、普段は罪人と言えど無傷での逮捕を旨としているのを忘れ、犯人の前歯を全てたたき折る拳術を見せた。

 ただし本領でないうえに怒りにまかせた一撃は精彩を欠いたのか、犯人の歯でその時にはめていた皮の籠手が破れ、手の甲にも傷を負った。剣士として手を大切にするヴァレリアが、珍しくも負傷しているのを不審に思って理由を尋ねた時の、怒りと羞恥が混ざり合った表情が、ユキヒトの目に焼きついていまだに忘れられない。すっかり治ってしまうまで、ユキヒトはその傷をなかったことにした。

 今でこそ、からかいの種にもできるようになった出来事だが、当時のヴァレリアは、手という単語が出ただけでピクリと反応するほどにその出来事に対して敏感になっていた。

「綺麗に治って良かった」

 だからこそ、冗談にもできる。つまらない盗人の歯ごときと引き換えに彼女の手に傷痕が残るなど、話にならない。ユキヒトは心底そう思う。

「……ユキヒトはずるい」

「ずるい?」

「なんでもありません」

 到底納得できない評価にユキヒトが聞き返すと、ぷいと、ヴァレリアはそっぽを向いてしまう。

「……なんだかよく分からないけど、ごめん」

「よく分からないなら謝らないでください」

 不機嫌の原因がユキヒトにあるということは否定せず、ヴァレリアはユキヒトの言葉にそう返した。

「いや、その……ごめん」

「また謝る。……良いですよ。本当は別に怒っているわけではありませんから」

 困った人だというように、ヴァレリアは笑った。困った人なのは時々そうやって意味の分からないタイミングで不機嫌になるヴァレリアの方だと内心で思いながら、そう愚痴るとオルトとノルンの父子が何故かそろって深い溜息をつくものだから、最近は心の中だけで愚痴る事にしている。

「今回は、この剣を使う事になるような、そんな気がするのです」

 緩んでいた頬を引き締め、凛とした表情で言うと、ヴァレリアはオルトの剣にそっと触れた。

 ヴァレリアは普段の警邏では基本的にオルトの剣を持っていかない。重要な案件や、危険があるとあらかじめ分かっている現場に駆け付けるときなどは、今回のように二振りとも携帯する。

 それは何故なのかと問いかければ、剣の消耗を抑えるためと、剣に頼らないようにするためだという答えが返ってきた。

 いかな名剣と言えど、使えばある程度の傷は止むを得ない。だからこそヴァレリアのような剣士は剣を振るう技術だけではなくその手入れも徹底して身につけるし、定期的に鍛冶師に剣の状態を見せる。

 血や脂は剣の切れ味を鈍らせる。剣同士で打ち合えば刃こぼれをすることもある。本当に大切な場面でこそオルトの鍛えた剣を使いたいと、ヴァレリアは普段はそれを使わずに温存する。

 そしてもう一つ、生真面目なヴァレリアが言うには、それは優れた剣を使っているという慢心を起こさないための措置なのだという。

 技量の差にもよるが、オルトの剣を用いれば、そこらのなまくらならば剣ごと両断することも可能だとヴァレリアは断言した。むろんそれはヴァレリアの実力をもってすればという話であり、ユキヒトにはどんな名剣を用いようと、剣で剣を両断するという事が可能な気が全くしなかった。

 とはいえそのような無理を通すような剣術はヴァレリアの好むところではなく、それが可能な剣を普段から使っていたのではいざという時にその剣を使えない事が生死を分かちかねない。彼女はそう言って、わざわざ普段は明らかに見劣りがする剣を使っている。

「……勘か?」

「ええ」

 ヴァレリアはなかなかに勘が利く。特に根拠はなくとも、彼女がそうなるのではないかと予想したことはしばしば当たった。

 それならば、明日は厳しい日になるかも知れない。ユキヒトは漠然とそんな事を思った。

「……」

 会話が途切れ、静けさが訪れる。ユキヒトは、一つ大きく息を吸った。

「……聞きたい事があるんだ」

「何ですか?」

 ユキヒトの真剣な声に、ヴァレリアのそうでなくとも伸びた背が、さらにぴんと張り詰める。躊躇いで一呼吸置いた後、ユキヒトはその質問を口にした。

「……今回のこの任務、志願したのか?」

 彼女の所属は治安維持部隊である。騎士団所属には違いないが、軍事と言うよりは警察を司る部門であり、モンスターの襲来時も出撃の優先順位は低い。少なくとも、このように特殊な任務を帯びた少数部隊に組み込まれやすいような所属ではないのだ。

 それでも彼女はここにいる。ならばそこには何らかの意思が働いたと考えるのは不自然な事ではないだろう。

「……」

 しばらく、ヴァレリアはじっとユキヒトの目を見つめる。切れ長の目に見据えられて、ユキヒトは心臓が少し早く鼓動するのを感じた。

 一体自分はどんな答えを望んでいるのか、ユキヒトには分からなかった。

 志願したと言われれば嬉しいのかも知れない。憎からず思っているヒトが、自分の為に危険を顧みず駆けつけてくれたのであれば、それを喜ばないものなどいるだろうか。しかしその反面、そう答えられることを恐れる気持ちが自分の中にある事も、ユキヒトは自覚していた。

 ユキヒトの覚悟が決まる前に、ヴァレリアが口を開く。自分で問いかけておきながらまだ答えを言うのは待ってほしいと思ってしまうあたり、自分は身勝手だとユキヒトは思った。

「志願してはいません」

 きっぱりと、ヴァレリアは言う。その答えに微かな落胆と、しかしどこか安心をユキヒトは感じた。その相反するような感情の説明をつけることは、ユキヒト自身にもできそうになかった。

「……でも、選ばれて嬉しかった。私は小隊長で、私の隊の任務は治安維持ですから。部下たちの為にも私情で本分から外れる危険な任務を志願するわけにはいきません。それでも、選ばれたのならば私は躊躇わずに己の全力を尽くせます」

 しかしそれも、ヴァレリアのその言葉ですっかりと解けた。

 それが自分の望んでいた答えなんだとユキヒトには分かった。

 そうやって生真面目で分別があり、少し不器用で、その上にひどく素直で時々どきりとするような事を言うのが彼女の魅力なのだとユキヒトは思う。そして、自分の為にそんな彼女に己を歪めて欲しくなかった。それでいて自分の事を気にかけて欲しいという我儘までも全て満たしてくれるヴァレリアが、ユキヒトには嬉しかった。

「……ありがとう」

「変な事を言いますね。いったい私は何でお礼を言われたんですか?」

「……はは。なんでだろうな。本当にありがとう」

 不思議なほど穏やかな気持ちになって、ユキヒトは思う。

 ああ、自分はこの人にこんなにも惹かれているのだと。

 ベルミステンに帰ったら、今までとは少し違う気持ちで彼女と向き合ってみようと、そんな事をユキヒトは思った。

 









 明日は厳しい一日になるからというヴァレリアの言葉に従って眠りに就いたユキヒトは、朝まで眠りを妨害される事もなく、穏やかな気持ちのままに目を覚ました。

 確かに厳しい日となるかも知れない。危険な目にあう可能性もあるだろう。それでも今のユキヒトには、それを恐れる気持ちが殆どなかった。

 しかし何を恐れる事があるというのか。傍らには、この世界で最も信頼するヒトがいる。ただそれだけのことと言えばその通りだ。それでもただそれだけで、自分でも不思議なほどに安心と勇気を得られる自分をユキヒトは感じていた。

 一行は森の端、もっともベルミステンに近い辺りまで進行していた。計画としては、騎士団主力が出陣し、ある程度モンスターを蹴散らし、優位な状況になったのを見計らって、ベルミステンへ帰還することとなっている。

 騎士団主力とモンスターたちとの戦闘については、一行は揃ってさほど心配していない。確かにベルミステンはヒト同士の争いの脅威に晒されなくなってから随分と経つが、ロマリオ皇国の主要な街の一つであり、有事ともなればそれなりの兵力の供出を義務付けられているために常備軍の戦力はかなりのものだ。そもそも騎士団が警察機能も司っている関係から、都市の規模が大きくなればヴァレリアの様な衛兵の数は増え、いざとなればその治安維持部隊も都市防衛に駆り出される為に、防衛力は街の規模にほぼ比例して大きくなる。

 確かに今回のモンスターの襲撃は見た事がない規模のものだ。しかしベルミステン騎士団の実力と数を考えれば、十分退けられる数と判断されていた。

「それでは、移動開始です」

 森の端とはいえ、ベルミステンまではそれなりの距離がある。直接視認することはできないが、戦闘は既に開始されている時刻だ。

 騎士団に促されて、一行は出発する。

 森から抜けたとはいえ、まだ十分に視界が確保できる開けた場所ではない。騎士団が機敏に周辺を警戒し、安全を確認しながらの進行だ。決して速いとは言えないが、それでも確実に進んでいく。

 途中、モンスターと遭遇する事もあったが、向こうも本隊からはぐれているものらしく、大した数でもなければ、当然のことながら連携も取れていない。あっという間に騎士たちに斬り伏せられる。

「……危険になったら自分の身は自分で守れって言われてもな……。こう楽勝じゃ、気も緩むぜ」

 見事な練度を見せる騎士たちに、半ばあきれたようにランクースは言う。ベテランの冒険者だけに、そうは言いながら周囲の警戒は怠っていないものの、その感想もただの軽口と言うには真情の入った言葉だった。

「あの姉ちゃんはやっぱりすげえな……殆ど首を一薙ぎか。お手本みたいな剣術だ」

 そんな腕利きの騎士たちの中にあっても強い輝きを放っているのがヴァレリアだ。贔屓目なしに見て、その剣術の鮮やかさは群を抜いていた。

「……ええ」

 短く、ユキヒトは返す。

 ユキヒト自身、ヴァレリアと剣の稽古をした事は数えきれないほどあっても、彼女とモンスターの交戦を見るのは初めてだ。そしてこうも違うものかと、殆ど惚れ惚れとするような思いを抱く。

 もちろん、ユキヒトとの剣の稽古の際にヴァレリアが手を抜いているわけではない。ユキヒトなど、ヴァレリアは手加減という言葉の意味、もしくはその仕方を知っているのだろうかと半ば本気で疑っているほどだ。

 しかしそれでも、稽古と実戦は違う。相手を打ち倒そうという気迫と、相手の命まで奪い去ろうという殺気は、明らかに異なる。

 ヴァレリアと対峙すると、稽古の時ですら足が竦むほどの気迫をぶつけられる。あり得ないとは思いながら、ヴァレリアと真剣を交えることになれば、自分が正常に動けるという自信がユキヒトにはなかった。

 殆どの敵はランクースの言う通り、、鮮やかに一閃、首筋を斬られている。モンスターと言えども生物、その部位を斬り裂かれて生きていられる種族は多くない。とはいえ狙うのが難しい部位だ。それを狙うのはどうやら、剣の消耗を考えての事らしいとユキヒトは気づく。

「……しかも、あの剣、どう考えても使ってない奴の方が業物だな」

「鋭いですね」

 ヴァレリアの趣味も考慮して、オルトの剣には余計な装飾が施されていない。鞘に収まったまま抜かれる気配すらないそれだが、見るものが見ればその剣に宿る強力な魔力に気づくだろう。魔法金属であるオリハルコンとオルトが選りすぐった良質の鋼の合金製、更にユキヒトが一世一代の思いで施した魔法陣が宿る魔法剣だ。見るものが見れば、その剣が並のものではないのは分かる。

「どこの刀剣工房と魔術師の作だ? 見ただけで分かるレベルの業物なんぞ、なかなかないぞ」

「刀剣工房『湖亭』オルト・ハインの作です。魔法陣は……俺が」

「お前さんが?」

 不躾なほどにまじまじとユキヒトの顔を見るランクース。その視線にわずかに居心地の悪いものを感じながら、ユキヒトは一つ頷いた。

「さすがにあの大魔術師ケイガルドがわざわざ探索に連れてくるだけの事はあるな。その若さで大したもんだ。刀剣工房は『湖亭』か。今度一振り、作ってもらうかね」

「お待ちしています」

「……?」

 飲み込めない、というように怪訝な表情をするランクースに、ユキヒトはにやりと笑った。

「俺は『湖亭』の見習い職人なんです」

「おいおい……あれだけの魔法陣を扱える魔術師の上に刀剣工房の職人? 欲張りすぎだろう」

「『湖亭』のオルトさんに恩があるんです。それに、鍛冶も好みにあったもので」

「そうかい。しかしまあ、魔術師を抱えた刀剣工房か、大したもんだ」

 通常、刀剣工房で魔術師を抱えている事はない。むろん、ある程度以上の刀剣工房になれば、顧客から作製した刀剣に魔法陣を施したいというオーダーも増えてくるため、付き合いのある魔術師というものも自然にできる。しかしながら一流の魔術師に魔法陣を依頼すればかなりの金額が必要になるため、必ずしも施されるとは限らない魔法陣の為に工房で魔術師を抱えるのはコストパフォーマンスが悪すぎるのだ。

 ユキヒトの場合、実際にはオルトの弟子であってもお抱えの魔術師ではなく、貰っている給金にしたところで鍛冶師見習いとしてのものである。オルトもそのあたりは弁えていて、工房の顧客に対して弟子であるところのユキヒトが魔術師である事を明かす事もないし、ユキヒトに対して魔法陣の施術を要請する事もない。

「さて……そろそろ、ベルミステンが見えてくるころか」

 小高い丘の頂点に差しかかり、そこからならベルミステンが見えるはずだった。そこで戦況を確認後、ベルミステンへ向けて一挙に進行する。その予定だった。

「戦況は……おお、流石ベルミステン騎士団だな」

 ランクースが戦場を眺め、ほっとした声で言った。

 打って出たらしい騎士団は、街から随分と離れた地点までモンスターたちを追い返している。まだ交戦は続いている様子だが、この押し込んだ状況であれば、勝利も間近であろう。

「それでは、迅速に街の中へと入ります」

 騎士たちは流石に気を緩めた様子はなく、冒険者達とケイガルド、ユキヒトを真ん中に包むように布陣し、行軍を始める。

 救出対象であるケイガルドがそれなりの年齢である事を考慮しているのか、やや早足ではあるものの遅れそうになるほどでもない。前線も遠く、ベルミステンにたどり着くまでにその近くを通らなければならない事もない。危険はどうやら無いようだった。

 ヴァレリアの勘も今回は外れたらしいなとユキヒトは内心で胸を撫で下ろす。

 その時、遠くから爆発音がした。

 何の音かと、音がした方を見る。どうやら騎士団とモンスターたちが戦闘している辺りから音がしたという事は分かるが、何の音かは分からない。騎士団の面々にもそれは分からなかったらしく、彼らもまた一瞬足を止め、音の方を向いた。

「……何だ?」

 ユキヒトは小さく呟く。なぜか今の音に、ひどく不安を覚えた。

「……」

 そして、再び同じ音。今度は数回、立て続けだ。

 ファリオダズマにも火薬は存在する。しかし、それを戦闘に用いるという習慣はない。代わりとなるのは魔法だ。しかしながら威力のある魔法を精緻に発動させるのは非常に難しく、魔法による攻撃は交戦に入る前、遠距離からと相場が決まっている。

 では果たして、この爆発音は何なのか。少なくとも、ベルミステンの騎士団によるものではない。そうであるならば、護衛の騎士たちがこのように怪訝な表情をするはずがない。

「……え……?」

 呟いたのは、誰だったか。そこには信じられない光景があった。

 騎士団が後退している。いや、はっきりと言えば、潰走している。パニックに陥ったように、隊列もなく、秩序もなく、てんでばらばらに逃げ去っている。

「……総員、全速力でベルミステンへ! 護衛対象を脱落させるな! 駆け足、始め!」

 何が起こったのか、詳細は分からない。しかし、異常事態である事だけは確かだ。中隊長が叫ぶと、立ち止まっていた騎士達が、一斉に走りはじめる。

「……ユキヒト、走れますね!?」

 後衛をつとめるヴァレリアにせかされ、ユキヒトも走りはじめる。隣では、ケイガルドが思いきり渋い表情をしつつ、同じように走り出していた。

 距離からして、騎士たちより前に街へ入れるかは微妙なところだ。そして、騎士たちが街の中へ入ってしまえば、門を開けておく道理などどこにもない。そうなれば結果は火を見るよりも明らかだ。ならば今はとにかく全力で走る。それだけだ。

「くそ、何だってんだ!」

 ランクースが走りながら悪態をつく。それに応えたのは、ケイガルドだった。

「ふん。筋道を立てて考えれば分かる。ヒトが行わない交戦状態に入ってからの大規模魔法による攻撃。それによる騎士団の潰走。そんな事が出来る種族はそう多くない。メデゥーサか、キメラか、あるいはデモンか……いずれ、最悪の部類だ」

 モンスターは魔術的要素を備える生物である。中には、ヒトのように魔術を用いて敵を攻撃する種族もある。ケイガルドがあげたのは、それらの種族のうち、特にそれに長けた種族だ。

 流石に魔術の専門家だけに、ケイガルドの推測はかなり正確なものであるように思われた。それだけに、事態は最悪だった。

 それらの種族と言えど、流石に単体でこうも連続で大規模な爆発を起こすような魔術を扱えるわけがない。危険度最上位に分類されるそれらのモンスターが、まず間違いなく相当数。

「……最悪だ……」

「ふん。そう言っているだろう」

 五十人程度の集団でどうにかできる話ではない。とにかくベルミステンへ逃げ込む事、それだけを考えるべき状態だった。

 とにかく全力でベルミステンへ。交戦を行なっていたベルミステン正規軍も、今はその体面を保つことすら忘れて、ひたすら街を目指して走っている。

 一部の部隊はまだ踏みとどまっているのか、今のところモンスターの追撃が激しいようには見えない。とはいえ、この状況では遠からず支えきれなくなるだろう。時間との戦いだった。

 爆発音は、断続的に続いている。仲間の為に踏みとどまった勇敢な騎士たちのうちどれほどが、無情にもその体を引きちぎられた事だろうか。それは確かに無視できない悲劇ではあったが、今のユキヒトにそれを思う余裕はなかった。なんとなれば、己とてしばらく後には同じ運命をたどる可能性があるのだから。

 ひたすらに走る。騎士たちは野戦用の鎧を身に纏っており、その点、軽装備の冒険者たちと比べれば負担は大きい。とはいえ一行で最も足が遅いのは、救出対象である魔術師のケイガルドである。ままならない行進に、特に雇われ者に過ぎない冒険者たちがかなりのストレスをため込んでいるのをユキヒトは感じた。

「……くっ……」

 味方の戦況を横目に、ヴァレリアが小さく声を漏らす。踏みとどまる部隊もついになくなったのか、ついにモンスターによる激しい追撃が開始された様子だ。戦闘のうち被害が最も甚大になるのは撤退時である事は常識である。まして、殿をつとめる部隊もろくにない有様では、戦闘以前に虐殺でしかない。

 その日、ベルミステン騎士団は、その長い歴史の中で対モンスター戦において最大の被害を記録することとなった。










「……痛恨の極みでした。亡くなった方、重傷を負い任務に復帰できなかった方の中には、私の知り合いもいます」

「何もかも自分のせいみたいな顔をするのは、やめた方がいい」

「分かってはいます」

 本当に分かっているのかと重ねて問いたくなるような、深い懊悩を刻んだ表情のままに、ヴァレリアは答える。

「あの日、何が悪かったのかと問われれば……皆が皆、油断していたのでしょう。モンスターに知性などなく、よって戦術などという高度なものを使用するはずもない。戦力を隠しているはずもないのだから偵察もそこそこ、伏撃も警戒せずにひたすらの力押し。ヒト相手であれば、散漫と言われて仕方のない戦闘です」

「でも、モンスター相手であればそれが常識だった。むしろモンスター相手の場合は、力押しの短期決戦の方が重要だった。だから、落ち度があったとは言えないよ」

「……私があの場にいれば何かを為せたと、その様な事は思っていません。死んだ、もしくは重傷を負った者の名前が少し違うだけ、それだけのことでしょう。それでも……上手く割り切ることはできません」

 少しうつむいて、ぎゅっと唇をかむヴァレリア。たかが一介の小隊長が、あの大惨事を食い止められたはずもない。それでも、剣技に優れた彼女がその場にいれば、周りの幾人かが逃げる時間を稼げたかもしれない。彼女が真剣にそんな事を考えている事を、ユキヒトは知っていた。

「……続きを、話そうか」

 何故彼女は自分よりも他人を大事にしてしまうのか。それを悲しく思いながら、ユキヒトは言葉を続けた。












 一行が門の付近まで来た時、ほとんどの騎士たちはベルミステンへの帰還を果たしており、モンスターはかなり街に近い位置まで追撃をして来ていた。

 外壁の上に立つ騎士たちが、弓や魔法でモンスターに攻撃を加えているが、それもモンスターのあまりの数に、ほとんど足止めもできていない。

「……突破!」

 中隊の指揮をしている騎士が、短く鋭い声を発する。指示を受けて、前衛の騎士たちが剣を構える。

 帰還が遅れている一行の前には、すでに一部足の速かったモンスターたちが群れをなしている。それをわざわざ迂回していたのでは、街から遠ざかり、モンスターに近付く一方だ。切り捨てながら進む、それを一行は選択した。

 流石に精鋭の選抜隊だけの事はあり、ゴブリンやコボルドといった下級のモンスターは、鎧袖一触だ。

 あっという間にモンスターを突破し、門を目指す。周囲にはもはや、逃げ遅れた騎士たちもいなくなっている。

「……門が……閉じ始めてる!」

 退却はほぼ完了し、これ以上門を開けていたのではモンスターが乱入する恐れがあるのだろう。門は閉じられ始めていた。

「全速前進! 取り残されれば死ぬぞ!」

 いかに精鋭と言えども、これからモンスターの群れを再度突破し、安全な場所まで逃げるなどという芸当は無理だ。突破した先からモンスターが群がってくる状況、いつ魔術を行使し騎士団を潰走に追い込んだ上級モンスターが現れるかも分らない。

 前衛が道を切り開き、中衛はその道を広げつつ中心の護衛対象を守る。後衛が追撃を振り払い、ひたすらに前進する。

 流石に騎士たちも余裕がなくなってきたらしく、護衛がやや雑になりはじめる。冒険者たちもそれぞれの得物を手に、襲いかかってくるモンスターたちを切り捨てながら走る。

 護衛対象であるところのケイガルドは、流石に年齢から体力の限界が訪れているらしく、もはや足を引きずるようにして走っている。

「ケイガルド師、手をお貸ししますか?」

 いまだ余裕を見せるヴァレリアがそう声をかけるが、ケイガルドは、息を荒くしながらも首を左右に振る。弱音や泣き言を言わないのは、偏屈な老人なりの意地と言うところなのだろう。

「……了解しました」

 近づいてくるモンスターを切り捨てながら、ヴァレリアは頷き、遅れがちなケイガルドのそばに寄った。ユキヒトもまた、偏屈なかつての師をかばう位置で走る。

「……ふん。この……ような、偏屈…老人など、捨て置けば……よい、のだ。自分……命が、他人のそれより、大事なはず……なかろうが」

 ぜぇぜぇと荒い息の合間を縫うように、ケイガルドが言う。それを聞いて、ヴァレリアはあろうことか、にこりと微笑んだ。

「その様な悪態がつけるようなら、まだまだお元気ですね。もうひと頑張りお願いします」

「……ふん」

 ヴァレリアの言葉を聞き、ケイガルドがわずかながら足を速める。ヴァレリアはそれに手を貸すことはなく、ただすぐ後ろを走った。

 群がるモンスターたちでは、ヴァレリアの足止めにもならない。流石にすべてを防ぐことはできなくなっているが、ヴァレリアとその部下たちが討ち漏らした僅かな数程度であれば、ユキヒトでもどうにかできる。ひとまずは安定した状況だ。

 とはいえ、その安定もきわどい事は分かりきっている。疲労があるのはケイガルドだけではない。ユキヒトとて相当の疲労を感じているし、表面上は平然とした顔のヴァレリアにしたところで、わずかながら太刀筋が乱れ始めている。

 予想外の事態であるからこそ醜態をさらした騎士団ではあるが、敵に脅威となる上級モンスターがいると分かっていれば対策も立てようがある。危機ではあるが、一度体勢さえ立てなおせば、致命的ではない。まずは街へ逃げきること、それが何より肝心だ。

 ようやく、前衛はモンスターの群れを突破する。ベルミステンの堀にかかる跳ね橋に先頭がたどり着いた。

 そうなれば後は、中衛が前衛のこじあけた穴を広げ、後衛がそれに続くばかりだ。

 最重要の護衛対象であるはずのケイガルドは、足の遅さがたたり、最後衛の位置まで来ていた。周辺を護衛するのは、ヴァレリアの小隊くらいのものだ。ケイガルドに合わせていたのでは全部隊が立ち遅れる。やむなしの措置だった。

「……抜けましたか!」

 流石のヴァレリアも、感情を隠しきれない声をあげる。

 ヴァレリア達最後尾も、跳ね橋までたどり着く。重い扉は、閉めるにも時間がかかる。

「……むっ!?」

 その時、体力の限界が訪れていたケイガルドが、足をもつれさせて倒れる。

「!?」

 ヴァレリア、その部下の騎士たち五人、ユキヒトが足を止める。振り返れば、モンスター達はすぐそこまで迫ってきている。

「立てますか!?」

「……むう……」

 ユキヒトが焦りから声をかけるが、ケイガルドの手足はぶるぶると震え、簡単には立ち上がれそうにもない。

「……皆、ケイガルド師を抱えて走りなさい!」

「しかし、それでは!」

 とても、肉薄しているモンスターからは逃げられない。そう言おうとする部下に対して、ヴァレリアは手に持っていた剣を鞘に納めた。

「この場は、私が食い止めます!」

「ヴァレリア!?」

 元々使っている剣に代わって、オルトの剣を抜き、ヴァレリアが凛々しく宣言するのに、ユキヒトは悲鳴のような声をあげた。

「待て……わしのような老いぼれの為に、若いものがあたら命を捨てるでない……」

 ケイガルドが、息を切らせながらそう言う。偏屈だが、誇りの高い男だ。自分の為に他人を犠牲にするなど、耐えられないのだろう。

「行きなさい!」

「しかし、小隊長!」

「命令です、聞けないというんですか!」

「……!」

 ヴァレリアの言葉に、部下たちがぴんと背筋を伸ばす。

「小隊長……御武運を!」

 一人がケイガルドを抱え上げ、残りの四人も後退する。

「ヴァレリア!」

「ユキヒトも連れて行きなさい!」

 声をあげたユキヒトだが、ヴァレリアの部下が引きずるように連れていく。

「……貴方に施してもらった魔法陣……無駄にはなりませんでした」

 ヴァレリアが、剣を構える。その横顔がかすかに微笑んでいるのが、ユキヒトには見えた。

「はっ!」

 ヴァレリアが気勢をあげると、青白い半透明の障壁が現れる。

 ユキヒトがヴァレリアの依頼を受けて施した魔法陣。それは、魔力に反応し魔法の障壁を張るという仕掛けの施された魔法陣だった。

 ヴァレリアは魔法の扱いが上手くない。それを補うための魔法陣だ。

 剣としての完成度はもう十分。それより、剣だけでは救えない人を救うために、剣とは異質の力を。それをヴァレリアは望んだ。

「ヴァレリア……ヴァレリア!」

「いい加減に聞き分けてください! 小隊長があそこに残っているのは、貴方を逃がすためでもあるんだ!」

 ヴァレリアの部下の言葉に、ユキヒトは理解してしまった。それが、どうしようもないほどに、本当の事だと。

 不器用な彼女の、下手な好意の示し方。だから彼女は、笑って死地に立つ。

「……っ!」

 それが分かってしまったからこそ、ユキヒトは門に向けて走り出す。ヴァレリアの部下たちに囲まれ、かつての師を追い立てるようにして、街へと向かう。

 門はもはや閉じられる寸前だ。ヴァレリアを見捨てるという宣告にも等しいその事実が、ユキヒトの心をかきむしる。

「ああああああああああああああっ!」

 自分でもよく分からない叫び声をあげて、ユキヒトは騎士たちとともに門の中へと駆け込む。

 ぎぎぎ、と重い音を立てて門が少しずつ閉じられていき……

「ああああああああああああああああああああっ!」

 叫んで、ユキヒトはその門から再び外へと飛び出した。

 直後に、ずしんと重い音を立てて、門が閉ざされる。退路を失ったユキヒトの心は、不思議なほどに穏やかだった。

 門が開かれることはない。援軍もない。もちろん、この辺り一面を囲うモンスターの群れを蹴散らす手段もない。それらすべてを十分に理解してなお、ユキヒトの気持ちは澄み渡っていた。

 ユキヒトは走り、橋の半ばで魔力障壁を用いてモンスターを押しとどめているヴァレリアの隣に立つ。

「ユキヒト……」

 魔力障壁を維持しながら、ヴァレリアが彼の名前を呼ぶ。その声には、様々な感情が込められていた。悲しみ、怒り、呆れ、そしてかすかな喜び。

「……どうしてですか」

「ヴァレリアに死なれて生きていくくらいなら、ヴァレリアと一緒に死んだ方がましだ」

「我儘ですね。貴方が死んで悲しい思いをする人は、たくさんいるというのに」

「……返す言葉もない」

「私だって、貴方には生きていてほしかった」

「すまない」

「でも……私は、少しだけ嬉しかったです」

「そうか」

「剣を抜いてください。障壁を解除します」

 魔力に反応して生成される障壁である以上、維持しているだけで消耗する。ユキヒトは頷いた。

 そうして、闘いは始まった。











 長く、息を吐く。

 どれだけの時間が経ったか。もはやはっきりとした事は分からない。少なくとも日は暮れていない、分かるのはその程度だ。

「……どうですか、まだ、行けますか」

「どうだろう、分からないな」

 周りには、数えきれないほどのモンスターの死体。しかしながら、こちらも無傷と言うわけにはいかない。

 ユキヒトの使っている剣はもはや刃こぼれで殆ど切れない鈍器と化している。ヴァレリアも、ユキヒトをかばいながら戦う結果、鎧を何度もたたかれ、かなりひしゃげている。二人とも傷は数えきれず、服や鎧を濡らす血はモンスターからの返り血だけではなく、少なからず自分自身のものが含まれている。

「……いよいよキツイな」

「……私は、後悔していませんよ。ユキヒトはどうですか?」

「後悔はしてない。まあ、先生がこけなけりゃ、今頃はもうちょっと楽しい未来の事を考えられてたかな、っていう気はしてる」

「違いありません」

 この期に及んでも、ヴァレリアは笑った。気負いのないその笑顔を見ていると、まだ戦えるんじゃないかと言う錯覚がユキヒトを襲った。

「さて、あとどれくらいか分かりませんが……最後まで戦って見せましょう」

「こうなってから泣き喚いたんじゃ、格好悪いしな」

 手に持った剣の重さがいい加減腕に辛い。投げ出してしまいたくなるのは山々だが、ユキヒトは無理をして剣を構えた。

「さあ、来い!」

 モンスターに言葉が分かるはずはないが、景気づけに大声で叫ぶ。

『よく耐えた、ヒトの子よ!』

「!?」

 突如響いた『声』に、ユキヒトは顔をしかめた。

 それは、空気の振動による音声ではなかった。頭の中に直接響くようなそれは、魔力を使った、テレパシーに近いものだった。

『そなたらの勇と武、我が見届けた。後は任せるがよい!』

 辺りを見渡すが、その魔術を使っているらしい者の姿は見えない。ヴァレリアを見ると、彼女は眼を細め、空の遥か彼方を見つめていた。

 ユキヒトも、その視線を追う。ふと、空に一点、黒い影のようなものが見えた。

「……?」

 それが何なのか分からず、ヴァレリアと同じように目を細め、それを凝視する。

「……! ヴァレリア、魔力障壁張れるか!?」

「……なんとか!」

 近づいてくるものに気付き、ユキヒトがあわててヴァレリアに問いかける。ヴァレリアはそれに応え、意識を集中して魔法陣を発動させる。

 近づいてくるのは、とてつもなく巨大な火の玉。見たこともない超大規模魔術だった。

 着弾、轟音。モンスターの群れのど真ん中に直撃したそれは、ユキヒト達の立っていた場所から相当遠くであったにもかかわらず、凄まじい暴風を巻き起こした。障壁がなければ、ユキヒト達も、少なくとも立ってはいられなかっただろう。

「……なんと……」

 風が収まり、見れば、大きなクレーターができている。直撃を食らったモンスターは、欠片すらも残らなかっただろう。馬鹿馬鹿しいまでの威力の魔術だ。

「……あれは……竜種か!」

 空の黒い点は、徐々に大きくなってくる。そのシルエットを見て、ユキヒトは声をあげた。

 ヒトの守護者、絶対の強者、気紛れな救世主。それが猛烈な勢いで空を飛んでいる。

『竜種ファフリム・ドゥラが命じる! ヒトの子らよ、門を開け反撃に移れ! よもやベルミステンに勇士は二人きりと言う事はなかろうな!』

 テレパシーとともに、再び魔術の発動の気配。モンスター達は算を乱したのか、早くも散り始めている。

「グオオオオオオオオオオオオオ!」

 今度は、鼓膜を震わせる猛烈な雄叫び。それとともに、先ほどと同じ魔術が再びモンスター達に叩きこまれる。

 翼を振るい、竜が舞い降りてくる。ユキヒトとヴァレリアが戦っていた跳ね橋を渡りきった位置に着地すると、竜は周囲のモンスター達を意にも介さず、ユキヒト達の方を向いた。

「見事なり、ヒトの子よ。同胞の危機を前に躊躇わず、死地にあって諦めぬそなたらの勇気、我が見届けた。そなたらのごとき者がおるがゆえに、ヒトの世界は面白い」

 優しいとさえ言える口調で、ファフリムと名乗った竜は言った。安堵と同時に体力、魔力双方が尽きたのか、珍しい事にヴァレリアががくりと膝をついた。

 慌ててユキヒトは彼女を支える。礼を言うだけの余裕もないのか、ヴァレリアはぜいぜいと荒い息をつくばかりだ。

「そなたら、ツガイか? 良くかばい合い、良く戦っておったな」

 はじめ、ツガイという言葉が何を意味しているか分からず、しばらくきょとんとした後、番い、という漢字に行きついて、ユキヒトは顔を赤くした。

「いや、俺たちは別にそういうわけじゃ……」

「そうか。睦まじく見えたがな。まあ良い。……む?」

 何かに気づいたファフリムが、手をかざす。魔力障壁を張った瞬間、その障壁を叩くように爆発が起こった。

「小賢しいわっ!」

 不意打ちを狙ったらしい上級モンスターの魔術攻撃をあっさり防ぐと、ファフリムは敵を一喝し、その巨大な腕を振るい、周囲の何匹かを斬り裂いた。

 その頃になって、門を開閉する装置を動かす音が響き始めた。ベルミステンは反撃に移ろうとしていた。

「ヒトの子よ。名を聞かせてくれ。我はファフリム・ドゥラ。ベルビオ山を住処とする竜の一族だ」

「ベルミステン騎士団所属、ヒューマンのヴァレリア・ロイマーと申す。ご助力、誠にかたじけない」

「刀剣工房『湖亭』見習い職人、ヒューマンのユキヒト・アヤセです。救援、深謝します」

「ヴァレリアにユキヒトか。その名、しかと覚えた」

 名乗り合うと、竜はモンスター達の方へと振り返り、威嚇の咆哮をあげた。






 疲労の激しかったヴァレリアは、流石に反撃作戦には参加しなかった。ユキヒトともに騎士団に保護され、門の中へと入る。

「……流石に……疲れました」

 言葉の通り疲労の極致にあるようで、ヴァレリアに普段の凛とした雰囲気はなかった。力が抜け、弛緩して、しかしどこか満足げにふわりと笑う様は、普段以上の女性らしさのようなものをユキヒトに感じさせた。

「お疲れさま。……もたれかかるか?」

 だからだろう。周囲がばたばたして自分たちに注目しているものなどないとはいえ、道端の石畳に胡坐をかいて座りながら、そんな事を言ってしまったのは。

「……お願いしてもいいですか?」

「……うん」

 ヴァレリアも極度の緊張から解放された直後だったせいなのか、しばらく驚いたように目を開いた後、微笑んで普段はとても言いそうにない事を言った。

 少しばかり恥ずかしいとも思ったが、言ってしまった以上反故にもできない。覚悟を決めていると、ヴァレリアは血塗れになった鎧を外し、ユキヒトの体を背もたれに、すとんと身を預けた。

「……うん、良い座り心地です」

「そうか」

 ユキヒトの肩に頭を預け、ご満悦のヴァレリアに、返すべき言葉もなく生返事をする。

 汗臭くはないかと気になったが、口を開きかけて、それを尋ねればヴァレリアの方こそ自分の汗を気にするだろうと気づき、そっとしておこうと決めた。

 ヴァレリアは完全に体重を預けて来ている。ユキヒト自身の疲れも相当ではあり、負担にならないといえば嘘だが、そこは魔力すらも使いきっているヴァレリアの為、意地を張って耐える。

 余程疲れているらしく、ヴァレリアは眼を閉じ、すうすうと規則正しい呼吸をし始める。居眠りをする彼女を見るのは初めてで、ユキヒトはくすりと笑った。

 ユキヒト自身も、少しばかりの眠気を感じたが、ヴァレリアに寄りかかられた現状では、流石に眠ることもできない。

 やれやれと思いながら、しばらく放心する。

 生きているんだなと、当たり前と言えば当たり前のことを思う。門を飛び出した時、死ぬ覚悟があったのかと言えばそんなことはなかった。それでもあの場所は確かに死地であったし、それを自覚してもいた。

 生きている。死んでいない。自分の力で切り抜けたわけではなく運が多分に関係したが、それでも生き残った。それだけが事実だ。

「……おいおい、見せつけてくれるじゃねえか」

 安堵とともに目を閉じていると、耳になれた声がして、慌ててユキヒトは眼を開く。慌てた拍子にびくりとしてしまい、その動きでヴァレリアが目を覚ます。

「……うん? ああ、ユキヒトすみません、少し眠って……」

「ヴァレリアのかわいらしい寝顔なんぞ、赤ん坊の時以来じゃねえか?」

 寝ぼけて何かを言いかけたところでオルトのからかいが入り、ヴァレリアはがばっと起き上がった。

「叔父さまこれは違います違うんですええもう全く違います見たものは正しくありません忘れるのが良いと思います忘れてください」

「息継ぎくらいしろ」

 跳ね起きて言い訳じみた何かを息もつかずに話しだすヴァレリアに、オルトはにやにやと笑いながら言った。ううう、と小さく唸ったヴァレリアだが、次の瞬間、ふらりと足元をよろけさせた。

「危ない!」

 居心地が悪く座っているわけにもいかなかったユキヒトが、倒れそうになったヴァレリアを支える。

「す、すみません……。少しばかり、血が足りないようです」

「……こんな場所にいる場合じゃないな。診療所へ行こう」

「……大丈夫? ヴァレリア姉さま」

 オルトが連れて来ていたノルンが、心配そうに声をかける。それに対して、ヴァレリアは微笑んだ。

「大丈夫ですよ、ノルン。少し疲れているだけです」

 無論ただの強がりだが、そうとは感じさせないほどの力強さがその声にはあった。

「……叔父さま、申し訳ないのですが、自分では手入れができそうにありませんので、私の剣の手入れをお願いしても良いでしょうか。かなり使い込んだので、両方本格的な手入れが必要だと思うのです」

「全く……こんな時くらい剣の事は忘れろ。新品みたいにしてやるよ」

「頼みます」

「ユキヒト、お前のはどうする?」

「俺のは、もう無理ですね。廃棄処分です」

「そうか、分かった」

 ヴァレリアは、ふらつきながらもオルトに剣を手渡す。

 ユキヒトとヴァレリアは、オルト、ノルンに支えられ、診療所へと向かった。










 診療所には数多の怪我人がいたが、ユキヒトとヴァレリアは二人で一つの部屋を与えられた。

 ヴァレリアは、その様な厚遇を受けるわけにはいかないと他と同じ扱いを希望したのだが、竜に認められた勇者をその様な扱いはできないと、半ば強引に部屋に入れられてしまった。

「……何でしょう、何か……思いもよらないことになっているような気がします」

「……今日は考えるのをやめとこう」

 疲労と怪我による失血で、まともな思考ができる状態にない。それに加えて用意されたベッドのほど良い寝心地は、容赦もなくユキヒトの意識を奪い取っていく。

「お休み、ヴァレリア。また明日……」

「はい、お休みなさい。私ももう、今日は、考えるのが億劫です……」

 そう言葉を交わして、二人は眠りに落ちた。





























 その翌日。目覚めた二人は、刀剣工房『湖亭』での火事と、工房主オルト・ハインの死去を知らされた。




























「……聞いた当初は、ただの火事と言う話でした。不運ではあるものの、良くある話と。しかし、何かがおかしかった」

 オルトがそんな初歩的なミスをすると思えなかった。そもそも、それを知らせに来た衛兵の態度がどこかおどおどしていた。

「だから私は……あの夜、何が起こったのかを自分で調べました」

「……」

 繋いだ手が、痛いほどに握り締められる。ノルンの不安と恐怖を少しでも和らげられるならばと、ユキヒトは優しくそれを握り返す。

「……あの夜。何が起こったのか。ノルン……話してくれますね?」

「……はい」

 殆ど泣きそうになりながらも、ノルンは返事をした。









 その夜。もはや帰ってくる事はないと覚悟すらした大切な人たちが無事に帰ってきた日の夜、ノルンは興奮のあまりなかなか寝付けなかった。

 寝付けないのは父であるオルトも同じであったらしく、帰るなり仕事をはじめ、夜になっても続けている。よっぽど二人が帰ってきたのが嬉しかったんだと、ノルンはそのこと自体も嬉しく思った。

 従姉のヴァレリア。活発で、礼儀正しく、強い従姉。自慢の従姉。憧れの従姉。

 兄のようなユキヒト。物知りで、穏やかで、優しい兄。同じく自慢で、憧れの兄。

 二人は仲が良い。もっともっと仲が良くなれば良いとも思うが、それについては早々急に話が進まないらしい。父や伯父、伯母が時々話しているのを聞く。父も叔父叔母も、二人が結婚することを望んでいるらしい。そうなれば良いなとノルンも思う。

 今日、二人が街に帰ってきた直後、ヴァレリアがユキヒトにもたれかかって居眠りをしていたと父は言っていた。ヴァレリアは、見たこともないような安心しきった緩んだ表情だったと。

 いつもきちんとしている従姉のそんな顔を、自分の目で見る事が出来ないのはノルンにとってつらい事だが、起きた時の少し寝ぼけて緩んだ声を聞けば、従姉がどれだけ気を許していたかは分かる。それで自分には十分だとノルンは思った。

 興奮してどうにも眠れない。ノルンはベッドから起きだした。

 父はまだ仕事をしているのだろうかと、工房の方へ歩いていく。外を歩くときは杖を使うが、この家の中ではそんなものも必要ない。どこに何があるのかはしっかり頭に入っているし、ノルンの為に部屋の中はいつもきちんと片づけられていて、何かに躓く恐れもない。

 工房に続くドア。防音の為に鉄製になっていて重いそれを、ノルンは体を押しつけるようにして開く。工房に入ればしかられるのは分かっているが、こんな日くらいは許してほしい。そう思って、ノルンはドアを開く。

 瞬間、鼻につく異臭に気がつく。

「……」

 何の臭いだ。いや、分かっている。これは、今日の昼間に嗅いだ臭いだ。

 汗と、血の臭い。

 汗の臭いはいつもの事だ。仕事中の工房の中は暑く、父もユキヒトも汗だくで仕事をしている。その匂いは嗅ぎ慣れたものだ。

 血の臭い。何故血の臭いがする。分からない。何故、工房で血が流れている。いや、そもそも、血を流しているのは誰だ。こんなにもはっきりと臭うほど、大量の血を流しているのは、一体誰なんだ。

「……ノルン……」

 その苦しげな声が、ノルンの敏感な耳にははっきりと届いた。届いてしまった。

「逃げろ……」

 父の声。呻く様な、父の声。血を流しているのは、他の誰でもない、父であるオルト……。

「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 全てを理解し、ノルンは絶叫した。










「お父さんが……。お父さんです、お父さんが血を流していたんです……」

 魘される様な声、蒼白な顔。悪夢を見ているような語り方に、それでもユキヒトとヴァレリアは話を止めなかった。

「怖くて怖くて、私は叫んでいました。なんで、どうして、全然分からなくて、ただ、怖くって……」

 とうとうノルンが、こらえていた涙を流す。

「ずっと叫んでいたら、息が苦しくなって、でも自分じゃ呼吸もできなくて、ずっと叫んでて……そうしたら、何かが爆発した音がしました。それで私は吹き飛ばされて、倒れて気を失ってしまって……次に起きたら、診療所にいました」

 それだけ言って、とうとう声をあげて泣きじゃくるノルンを、ユキヒトはぎゅっと抱きしめた。

 ヴァレリアは、何かに耐えるように目をつぶり、ぎゅっと拳を握る。しばらく泣き続けたノルンは、叫ぶように続きを話し始めた。

「……でも、でも、でも、でも! 本当は知ってるんです! 何かじゃない。爆発したのは、何か分からないものなんかじゃない! 私です! 爆発したのは、私の魔力だったんです!」

 生まれつき目が見えないノルンは、その他の感覚がヒトより鋭い。嗅覚。聴覚。触覚。味覚。そして……魔力。

 恐怖の絶頂が、力の制御も知らないノルンに魔術を使わせた。ただ乱暴に、原始的に、魔力を爆発させた。ただのヒトであればそんなことで魔術と呼べる規模の何かを発動することはできない。ノルンの高い魔力だからこそ起こった現象だった。

「だから……だから、あの日、あの時まだ生きていたお父さんを殺したのは、わ、私かもしれない!」

 少女の悲痛な告白に、ユキヒトはノルンを抱きしめる手にさらに力を込めた。

「私が、私が殺したの! お父さんを、お父さんを! 大好きなお父さんを!」

「……いいえ。貴方の父を……叔父を、オルト・ハインを殺したのは、私です」

 震える声で、ヴァレリアが言う。

「私は調べました。あの夜、何が起こったのかを。叔父さまは、あの夜、強盗に入られ、刺されました。強盗の目的は……私の剣です」

 ヴァレリアが両手で自分の顔を覆う。剣を持たせれば恐れを知らない猛者である彼女が、か弱い少女のように震える。

「竜に認められた騎士の剣。もちろん表の市場に出せるものではありませんが、裏に回れば、そう言ったものに莫大な金を出す好事家は数えきれないのだそうです。何か自分を取り巻く状況が大変な事になっているような気がしていたのに……。私は、何の手も打たなかった!」

 罪を告白する罪人そのものの表情と声で、ヴァレリアは叫ぶ。

「だから、ノルン……。私なんです。全ての原因はこの私。だから貴女は……私を憎んでいい。貴女がそれを望むなら、貴女に刺されて死んでも構わない!」

「わあああああああああああああああああ!」

 そんなことは聞きたくなかったと、ノルンは大声で泣き喚く。抱きしめるユキヒトを、かつてない力で振りほどき、ヴァレリアの元へと突進する。

「お父さん! お父さん! お父さん! 返して! お父さんを返して! 返してよ! 返してよおおおおおおお!」

 本当の元凶はヴァレリアなどではないと、そんなことは分かっているはずのノルンが、泣きながら何度もヴァレリアの胸を叩く。癇癪を起した幼い子供そのままのその行動を、ヴァレリアはただ受け止めた。

「……一番醜いのは、俺だ」

 やがてノルンが疲れ切り、小さくぐすぐすと鼻をすするだけになった頃、ユキヒトは呟くように言った。

「……ヴァレリアを助けに行かなければよかったと思った。結局のところ俺はそんなにヴァレリアの助けになれなかったし、ヴァレリアなら多分ファフリムが助けに来てくれるまで、一人でも耐えきれた。だから俺が助けに行った意味なんかなくて、オルトさんのところに帰ってれば、そんなこと起こらなかったって、そんな風に考えた。真剣に、そんな風に思ってしまった」

 殆ど恐怖するような思いで、ユキヒトはその思いを吐露する。

「……ヴァレリアの事、見捨てればよかったなんて、そんな事を思ったんだ。大事なヒトのはずなのに。誰よりも大事なヒトなのに、見捨てればよかったなんて……俺は!」

 その事がユキヒトには許せなかった。余りにも薄情な自分にぞっとした。何より許せないのは、そんな気持ちをいまだに捨て切れていないことだった。

「誰も彼も、自分のせいだと思って。そんなんだから、いつまで経っても、俺たちはこの街に帰ってこれなかった」

「私だって、あの日から一歩も前になんて進めていません。ファフリム殿から竜騎士の称号を贈られて、異例の昇進をして中隊長になったところで……。結局私の時間はあの日のまま、止まってしまっている」

「……」

 こうなる事は分かっていた。あの日の事を話しあえば、ここに行きつく事は分かっていた。

「どうすれば、決着をつけられるんだろうって思ってたんだ。ずっと。全員が納得できる答えはどこにあるんだろうって。それがなきゃ、俺たちはもう前になんか進めやしないだろうと、そう思ってた」

 長く長く、ユキヒトは息を吐いた。

「無理だ。俺たちは結局、あの時のことをそれぞれずっと後悔し続けなきゃいけない」

 断ち切るように、ユキヒトは言った。

「……もう、取り戻せないんだ。後悔は後悔として、ずっとそのままなんだ。いつか納得できる時が来るかもしれないけど、時々夢にも見るかもしれない。もう、そう言う事になってしまってるんだ」

 過去をなかった事には出来ない。過去に起こってしまった事はもうどうにもならず、それが悔やむべき事柄であるならば、もはや取り返しようのないそれを、人は後悔することしかできない。

「それでも、前に進むしかないんだ。納得できなくても、どこかで折り合いをつけなきゃいけないんだ。……そういうものなんだ」

「それは、苦しい事ではありませんか? 答えが欲しいと思うのは、いけない事ですか?」

「苦しい事だろうし、いけない事ではないと思う。もしかしたら、いずれ何かしらの納得はできるかもしれない。だけどそれには、一人で考え込んでたんじゃ多分だめだ。現に俺たちは結局今まで、あの時から一歩も進めてないだろう?」

「……だけど……」

「怖いのは分かる。言葉にしたくもないし、思い出したくもない事だ。だけど本当に怖いのは……いつまでもそれにとらわれたままでいる事の方だ」

「……」

「何回も思い出して、悲しい思いもするだろうけど……とにかく、前に進むんだ」

 それが正しい事なのかも分らない。それでも、そうしなければならないんだとユキヒトは思った。

 疑問を持たず、自分の道を行くヒト。挫折を知らず躊躇いなく未来へ進むヒト。己の道をひたすらに究めるヒト。誇りを持つヒト。諦念を抱きながらももがき続けるヒト。過去を振り払うためにただ現在に打ち込むヒト。

 様々なヒトと出会ってきた。それぞれが己の道を歩いていた。皆前に進みながら、足を止め、停滞した自分の事を気にかけてくれた。

「オルトさんの剣、今はどうしてる?」

「……使えていません。ずっと、家の倉庫に押し込めています」

 問われてヴァレリアは眼をそらす。それが、ヴァレリアが心に負った傷の形だった。

「俺に、鍛え直させてくれ。それができたら……新しい剣を一振り、打たせてほしい」

「……分かりました。あの剣、貴方に託します」

 覚悟を決めたように、ヴァレリアは頷く。それに対して、ユキヒトは頷き返した。

「ノルン」

「……はい」

「オルトさんはノルンに逃げろと言った。つまりもう自分は助からないと思ってたんだ。だけど、それだけじゃノルンが自分を責めるのを止めることはできないだろう」

「……!」

 びくりと、ノルンが震える。

「……俺は、オルトさんが死んだのはノルンのせいじゃないと思ってる。だけど、もし、本当にもし、それがノルンのせいだったんだとしても、俺はノルンのそばにいる。ノルンが平気になるまで、いつまででもそばにいる」

「……はい」

 うつむいて、ノルンが唇を噛む。甘くはない。それでも、それがノルンの望むことだった。

「……もう一度始めよう。この街で。前に進むんだ。行きつく先は分からなくても、きっと……」

 そのあとの言葉は紡げず、ユキヒトは空を見上げた。

 太陽が、眩しかった。














『最愛のヒトへ 君と再び始めることを誓って ユキヒト』






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