剣という武器は、世界のありとあらゆる地域に存在する。
文化や風習、技術力にその地域で産出される素材、ありとあらゆる要素を超えて、それでも剣という武器が存在しない場所はない。
剣はある意味で最も原始的と言える武器の一種であり、そしてもっとも洗練された武器でもある。
また、どこにでもある武器でありながら、地域によって全く異なる形状を持つ武器でもある。同じ『剣』でありながら、それでも全く同じ剣は存在しない。
主に刺突に使用されるレイピアの類もあれば、扱いに高い技術と体力を要する長大なツーハンデッドソードもある。盾とともに使用する片手剣が発達した地域もあれば、斬撃に適した長剣が主要な武器である国もある。
それらを扱う剣技もまた、その土地によってそれぞれ異なる。更に、ファリオダズマでは、文化などの違いだけではなく、種族という絶対的な差異により、剣自体も剣技もまさに百花繚乱といったありさまで、数えきれないほどの剣とそれを扱うための技術が存在する。
その中で、剣同士、一対一で戦うならば、もっとも強いとされる種族と剣、そして剣技が存在する。いささか反則的ではあるが、という但し書きはつくものの。
その種族は、アシュラ種族。三面六臂と、絶え間ない闘争を特徴とする種族である。
「それで、私の依頼の剣はどこにあるのかな」
にやりと笑って、今回の依頼人、アシュラのマーリートが言った。
背は高い。元々ユキヒトはヒューマンの平均より少し高い程度の身長だが、それでもマーリートはユキヒトより頭一つ分ほども抜き出ている。
体つきはややほっそりとしている。かといって貧弱なわけでは決してなく、引き締まってしなやかな筋肉は、いかにも敏捷そうな印象を与える。
そして、アシュラをアシュラたらしめる、三つの顔と六本の腕。三つの顔は、今はどれも同じ、にやりとした笑顔を浮かべている。
「できているが……流石に、今回は疲れたよ」
やれやれ、と、疲労の色が濃いぐったりとした表情をして、ユキヒトは答えた。
「まあ、私も自分の剣を一度にすべて新調するのは、流石に初めてだ」
「六振りも依頼するなよ……。この工房は俺しか職人がいないんだからな」
アシュラの剣技は、最低三刀流、多くて六刀流という、あまりにも特殊なものだ。
『闘うために生まれてきた』とも称される種族が彼らだ。死角はきわめて少なく、文字通り『手数』ではどんな種族にも劣らない。竜のようなそもそも問答無用の種族を除けば、その戦闘能力はファリオダズマに数多く存在する種族の中でもかなり高い位置に君臨する。
アシュラは特殊な種族だ。ほとんどの種族は、種族同士で集まって生活をする。交流が進んでいる現在では、都市部においては数多の種族を見る事が出来るが、それでもやはり、その都市のルーツとなる種族が人口の比率として高い事がままある。田舎へ行けば今でも、ほとんどが同一の種族で暮らしている集落などいくらでも見られる。それに対して、アシュラは定住をしない。一族か、せいぜいが二、三十人ほどの集団で移動し、主に傭兵業で身を立てて生活する。ただひたすらに剣技を磨き、闘いの中に身を落とし、闘争の中で死んでいく。そういった、極めて特殊な種族だ。
彼らに与えられる二つ名は多い。『闘うために生まれてきた種族』、『放浪する種族』、『最強の傭兵』、『破壊者』…。それらの二つ名は、その種族の特性をよくあらわしている。
「依頼をして迷惑がられる工房も珍しい」
「迷惑だとは一言も言っていないが……まあ、依頼を六度に分けてくれると非常に助かる」
「次回からは考慮するかな」
「ぜひそうしてくれ」
軽口をたたきあって、お互いにくすりと笑うと、ユキヒトは一振りの剣をカウンターの上に置いた。
「とりあえず、一振り目だ」
「うむ」
刀鍛冶と言えども、専門というものが存在する。
ファリオダズマにはさまざまな種族が生活し、それぞれ体格も文化もかなり異なる。当然、剣にも大きな差が生じることになる。
注文を受ければ大抵の刀鍛冶はそれに応えた品物を作るものの、それぞれに得意な剣、というものがある。ツーハンデッドソードの作製が専門の刀鍛冶にレイピアを依頼しても、そうそう高い品質のものを作れるものではないのだ。
ユキヒトが主に扱うのは、オーソドックスな中剣、ないし長剣で、『斬る』ことを目的とする類の剣だ。
そういった意味では、今回の依頼はユキヒトの専門の範疇という事になる。しかしその剣は、『非常に特殊』と分類される剣だった。
刃は、ごく当たり前の、真っ直ぐでやや幅は狭く鋭い両刃だ。しかしその剣には、通常のような柄がなかった。
柄があるべき刃の根元は、そのまま籠手になっている。籠手の内部には握りがあり、使用者は籠手をはめて、その握りで刃を固定する。
拳を振るうようにふるわれるその剣は、通常の剣術とは異なる軌道を描く。ただしその反面、手首を固定するその装備は使用者への負担も大きく、使用者の少ない剣だ。
アシュラ種族には、その剣の使い手が少なからず存在する。それを編み出したのはアシュラ種族だ、とする説もある。確かに、アシュラの六本の腕がそれを装備した時、複雑怪奇なその斬撃を回避できるものは、そうそういない。
「……」
マーリートは、黙ってそれを腕にはめると、しばらくしげしげとそれを眺めた。
しばらくそのまま静止していた彼は、ふと視線を上げると、じっとユキヒトを見詰めた。
ユキヒトは、視線に応えるように、残り五振りの、最初のものと全く同じ剣を取り出す。
マーリートは、差し出された剣を順番に腕にはめていく。
そして彼は、ゆっくりと腕を動かし始める。滑るような動作で、その六本の剣が空を切っていく。滑らかではあるが、決して素早い動きではない。しかしそれは止まることなく、一つ一つ、確かめるように、どこか儀式めいたその動きは続いた。
有機的に複雑に絡み合う動き。ユキヒトは、それを眺めながら、マーリートと対峙している自分を思い描いてみた。
一太刀目、真っ直ぐに振り下ろされる剣は、下がってよける。受け止めれば残り五振りの剣を止めるすべがない。下がったところに、次の剣が突き出されてくる。
その突きは弾いて対処する。次の一撃は薙ぎ払い。それもやはり下がってかわす。とはいえ、下がり続けても攻撃が途切れるわけもない。今度は自分から打って出る。真正面からの唐竹割。しかしそれは、念入りに二振りを交差して受け止められる。
剣を受け止められたまま、さらに追加の斬撃が来る。下がってかろうじてかわすものの、もはや手が残っていない。追撃がさらに続いて、詰み。到底かなわない、という結論が残った。
「良いな」
やがて、ゆっくりと動きを止めると、マーリートは呟くように言った。
「相変わらず、見ていて目が回りそうな剣術だよ。なんでそれで剣同士が当たらないのかが分からない」
「それの為だけに生きていれば、これくらいの事は出来るようになる」
「……それの為だけに、ね」
ただ闘争の中に生き、死んでいく種族。その行動原理は、他の種族には理解しがたいのも事実だ。しかし、当のアシュラ種族はといえば、それを当然のこととして、疑問すらも抱かない。
「ところで、ノルンはどうしたんだ?」
ふと、マーリートがその場にいない少女の名前を口にする。それに対して、ユキヒトは少し表情を曇らせて答えた。
「……ここのところ、少し調子が良くない」
「……そうか」
刀剣工房『コギト・エルゴ・スム』を訪れる客は、基本的にユキヒトにとって見知った顔ばかりである。山中に居を構えているのだ、ふらりと客が立ち寄るはずなどない。客は基本的に、ユキヒトの師であるオルトからの時代の顧客か、あるいはその顧客に紹介されて訪れる者ばかりだ。
そういった者たちばかりだから、当然のことながらノルンの事も皆知っている。
「不憫な娘だ。己の魔力に蝕まれている」
「もう少し成長すれば、ある程度は耐性もできる」
「……その通りだ」
自分に言い聞かせるようなユキヒトの言葉を、あえて否定するようなことはせず、マーリートは頷いた。
ヒトは何かを失ったとき、それを補うために別の何かの能力を高める事がある。生まれつき目が見えないノルンは、鋭敏な耳や鼻と、そして高い魔力を持っていた。
魔力というものは、個人の資質によりその量や質に違いはあれど、ヒトであれば誰でも持っている力だ。それを用いた魔術は、ファリオダズマでは日常を送るために不可欠な技術である。
しかしながら、高すぎる魔力は、種族によっては有害になる。
フェアリーのように魔力に依存して存在する種族もあるが、ヒューマンに限って言えば、特に幼少期に高い魔力にさらされるのは好ましくないとされる。例えそれが、自分の発する魔力であろうとも。
とはいえ、一般的な子供であれば、少し体調を崩しやすいであるとか、せいぜいがその程度のものである。しかしながら、ノルンの場合は少し事情が違った。
元々が盲目であるために体を鍛えることがままならない。そうでなくとも、一般的な子供より体が弱いのだ。体調を崩せば長期化しやすいし、下手をすれば深刻な事態にもなる。
原因が生まれついてのものであるために、有効な対処法もこれといってない。成長し、魔力への耐性をある程度高めた段階で、ゆっくりと体質の改善に取り組むしかない。
「生まれついての宿命というのはあるものだ。幸せなものであれ、そうでないものであれ、それを避けることなど出来ん」
「お前、運命論者だったのか」
「別に運命論ではない。全てがあらかじめ定まっていると考えているわけではないが、それでも不可避の何かもあるのだろうよ」
「そうか」
澄ました顔のマーリートは、ゆるゆると微笑んでみせる。無駄のない端正な顔立ちと体つきの彼は、黙ってそこに立っていれば、それこそどこか神聖な気配すら漂う。戦場では、文字通りの血の雨を降らすとは思えないような、静かなたたずまいだった。
「……前から聞いてみたかったんだが、どうしてアシュラってやつは、それこそ運命にそう決められてるみたいに、揃いも揃って闘いに行くんだ?」
「運命にそう決められているのさ」
少し遠慮がちに切り出したユキヒトに、さらりと笑ってマーリートは返す。流石にユキヒトも言葉を失って、きょとんとマーリートを見返した。
「すまないな。冗談だ。運命ではなく、我々は我々の意思で戦場に赴いているのさ」
「それは何故なんだ」
「……宗教、というのがいちばん近い概念かな」
「なんだって?」
宗教は確かに、時として……いや、かなりの頻度で、戦争の原因となる事がある。
献身的な、敬虔なものほど、自分よりも信仰を大切にする傾向がある。それは決して悪い事ではないのだろうが、一部の者がその思考を少し誘導すれば、それは容易に違う価値観への敵対心へと燃え上る。
宗教的にはいい加減にもほどがあるといわれる現代日本で育った若者であるユキヒトだ。信仰の為、という言葉は、ある種で最も理解に遠い部分にある。
「近い概念というだけで、別に特定の教義に従って闘うわけではないが、我々という種族は、常に探究しているのだ。戦場において、究極の剣というものを、な」
「……究極の剣」
「それはあるいは個によって違うかもしれず、あるいは全ての個に通じる普遍的な何かかも知れん。我らの始祖たる存在は、それの体得者だったともいう。そして我らは、いつまでもそこに向かって歩き続ける存在なのさ」
「ロマンチストなんだか物騒なんだか」
「どちらかといえば物騒な方だ」
呆れてものも言えないとはこのことで、自覚しているならどうにかしろとユキヒトはため息をついた。
「とまあ、一般的なアシュラならこういうのだろうが、私は少し考えが違う」
「ん?」
「貴様はアシュラが厨房で包丁をふるうような生活をできると思うか」
「……」
手と顔が一般的な種族の三倍ずつあるから、作業も他の種族の三倍を行なう事が可能かといえば、そういったわけでもあるまい。
顔が三つあるとはいえ、思考は一つだ。マーリートが六振りもの剣を操るのも、『それの為だけに生きて』来た結果だ。
「結局のところ、我らのような歪な種族は、闘いくらいでしか役に立たないのだ。とはいえそれを認めるのも癪だから、求道的な思想を幼いころから施して、それに気づかないように闘いに没頭させるのさ」
「……それじゃあなんでお前はそれに気づいたんだ」
「知らん。いつの世にもどの社会にも、変わり者は生まれるんだ」
「そうかい」
しかし果たして、それは幸せな事であろうかとユキヒトは思った。
はるかな昔から、アシュラ種族はその生き方をしてきた。他の種族にとって理解ができずとも、アシュラ種族にとってはそれが最善であったという事なのだろう。
闘いに優れる種ではなく、闘いしかできない種。それを自ら認めるのは、苦痛を伴う事ではないかと思われた。
「……それに、ある程度察しの良いものや、年長者なら、薄々気づいているだろうよ」
「なんだって?」
どこか諦めたようなその言葉を、ユキヒトは思わず聞き返した。
「他のすべての種族から見て不自然な思想であるにもかかわらず、アシュラ種族だけにとっては自然。そんな事が本当にありうると思うか?」
「それは……確かに」
種族によって価値観や文化はさまざまに異なる。それは事実だ。しかし、ともに社会を形成できる程度には共通した感性を持つ知性体同士だ。本当に、完全に理解できない思想など、そうそうあるはずがない。
「気づきたくないだけ、見なかったことにしたいだけ。個人ではよくある事だ。種族としてそれをやっているというのはどうかと思わないでもないがね」
「……普通に生きていけばいいんじゃないか? 闘いほど才能を発揮できなくても、普通に生きていくのに困るほど不器用なわけでもないだろう」
「普通……普通、ね。私はそれでも構わないと思うが、多分、無理なのだろうなあ」
「何故だ?」
「いつから続いているかも分らん種族のしきたりを変えようというのに、反発がないはずがないさ。そこそこの不満や、漠然とした寂寥を感じている者がいるとして、それでもそれなりに生きているんだ。変えられるはずがない」
「マーリートが個人的にしきたりから外れるなら?」
「それも無理だろう。私が仮に幸せに生き、それが種族に伝わったとすれば、混乱が生まれる。許されるはずなどないさ」
ヒトには、変えようとする力と、元のままでいようとする力の両方が備わっている。長くそうであったものほど、元のままでいようとする力は強く働く。
長く続いたという事は、利点があるという事だ。それでうまくいっているものを、あえて崩す必要はないと感じるのがヒトだ。少しの違和感や不満よりも、大多数の安定を優先するのは、種族として決して誤った事とはいえないだろう。
個人というものを大切にする価値観の世界から来たユキヒトには、時としてそれが行き過ぎているように見える事もある。しかし、現代日本と比較して、『生きる』ということの難しさが格段に違うファリオダズマの現実を知るほどに、ユキヒトの常識で物事を図ることの無意味さも感じる。
「……」
不満はないのか、と問うのは残酷な事に思われた。不満を押し殺して種族の為に、などという美談ではない。不満を表に出せば、命が危ない。
「マーリート」
思わず、ユキヒトは口を開いていた。なんだ、と問い返すマーリートに、何かの考えがあるわけではなく、いつの間にかユキヒトの口は言葉を紡いでいた。
「剣の稽古をつけてくれないか」
ユキヒトは、元の世界での高校時代、剣道部に所属をしていた。
全国区で有名になるような選手ではなかったものの、県大会ではそこそこに名前も知れていた。当然、段位も持っている。
それなりに自信もあったのだが、ファリオダズマで冒険者や衛兵といった仕事に就いているものと剣の稽古をすると、決まって同じ評価をされた。
曰く、決して下手なわけではなく良く修練して洗練されているが、貴族剣術に近く実戦に向かない、との評価だ。
その評価を、ユキヒトは苦笑しながらも受け入れざるを得なかった。
剣道では有効部位さえ打たれなければ、一本にならないのだ。たとえば肩であるとか、足であるとかそういった部位はそもそも有効部位ではなく、そこを狙う技もなければ、そこへの攻撃に対する防御も修練していない。
一方で、現実的には、足や腕を狙うのは有効な手段だ。腕に傷を負えば武器を振るうことは難しくなる。足にダメージを負えば、それまでどおりの足さばきは困難だ。
とはいえ、実戦剣術が差し迫って必要なわけでもないのがユキヒトの立場だ。改めて剣術道場に通うなどの事はしていない。体をなまらせないために、剣道時代の修練をある程度こなしてはいるが。
修練用の模擬剣は、二振りしかない。ユキヒトとマーリートで一振りずつだ。マーリートは、これでは自分の本領は到底発揮できないと冗談交じりに苦情を言ってきたが、ハンディキャップだと言ってユキヒトは取り合わなかった。
本来の武器ではないとはいえ、マーリートは十分に強かった。
そもそもからして、ユキヒトの振るう剣より、マーリートの剣は、速い。
単純な事実であるが、それにより生まれる差は大きい。それは、同じタイミングで同じ部位を狙った場合、マーリートの剣の方が先にユキヒトに届くという事だ。
もっとも、そんな相内覚悟のような攻撃をマーリートは仕掛けてこない。ユキヒトが迂闊な攻撃を仕掛けてくれば、その速い剣を活かして捌き、反撃に移れば良いのだ。
一方で、ユキヒトとしても、それを理解したうえで、攻撃を仕掛けざるを得ない。
そもそも受けに回れば、相手の方が技量も剣速も上なのだ。反撃もできずに防御に全力を尽くすことになり、どこかで破綻して負けるのが落ちだ。
ユキヒトは、へその前あたりに左手が来るように両手で剣を持ち、剣先の延長線上が相手ののど元に来る程度の高さで保つ。剣道の中段の構えだ。
貴族剣術と言われようと、実戦に向かないと言われようと、下手に我流で形を崩せば無残な事になるのは、剣道を学んだ時期に十分理解している。通用しようとしまいと、ユキヒトはただ自分の型を思い切りぶつけるだけだった。
一方でマーリートは、ろくに構えもせず、だらりと剣をぶら下げているだけだ。
ちなみに、六本の腕のうち、左右を向いている四本は腕組みをして邪魔にならないようにしている。今は、正面の左右の腕だけを使う、という意思表示だ。
マーリートが構えを取らないのは、ユキヒトを侮ってのことではない。元々、その自然体こそが彼の戦闘態勢なのだ。
「……やああああああああっ!」
剣道の試合であるまいし、声を発する必要などないのだが、染みついた習慣はそう簡単に除けるものではない。気勢を発して、ユキヒトは踏み込みつつ、正面から剣を振り下ろした。
流石に、面、などと声を発することはしない。いくらなんでも、打つ部位を声に発するのは、剣道を知らないこちらの世界の人間には奇妙に過ぎる。
反撃ができないわけではなさそうであったが、マーリートは様子見をするつもりか、ひとまずは右手に持った剣でそれを受ける。
ユキヒトの両手での一撃を、マーリートは右腕一本で涼しい顔をして受ける。アシュラ種族は、筋力にも優れた種族だ。
「はあっ!」
ユキヒトは負けが見えている鍔迫り合いに持ち込むことなく、すぐさまひきつつ、相手の左の胴を薙ぎ払う。
剣道の胴は、通常、相手の右の胴を払う。左側を払うのは逆胴と呼ばれ、頻繁に用いられる技ではない。ユキヒトにとっても、慣れた技ではなく、違和感がある。
それでもあえて逆胴を打ったのは、マーリートが右腕一本で剣を持っているからだ。普通の胴打ちでは、右手一本で受け止められる恐れがある。同程度の技量、筋力であれば、そのまま押し切って体勢を崩すこともできるかもしれないが、マーリートは筋力も技術もユキヒトを上回る。右手一本で抑えられる可能性は高かった。
そして、そうなれば、ユキヒトの両手をマーリートが右手一本で抑えているも同じ状況だ。すぐさま詰め寄って、左の拳が来るだろう。剣の稽古といっても、これは剣道ではないのだ。
一方で、左の胴打ちを防御しようと思えば、マーリートも両手で剣を持つか、あるいは右手一本で受けるのだとしても、右手と剣が邪魔になって左手は動かせない。追撃を封じつつ、一度間合いをあけるための選択だった。
「ふむ」
一つ頷くと、マーリートは素直に剣の持ち方を両手持ちに変え、ユキヒトの逆胴を受けた。そのまま引いて間合いを取るユキヒトを追撃するでもなく、ユキヒトと似た、両手持ちの中段の構えをとった。
「悪くはないが、いささか消極的だ」
「そいつはどうも」
にやりと笑って、講師的な物言いをするマーリートに、ユキヒトは少し獰猛に笑い返した。
ユキヒトは基本的に穏やかな人間だ。争いを好む、などという特性は持ち合わせていない。しかしそれでも、剣を持って相手と対峙する時、闘争心を持たないでいるわけではない。
県内ではそれなりに知られた選手だったユキヒトだ。負けず嫌いな面も持っている。
マーリートは、ユキヒトに合わせた中段の構えをとっている。ユキヒトにとっては、それがありがたい。その構えからならば、どういった動きがあるか、ある程度は予測がつくうえ、攻略も慣れている。
……一手、指南してもらおうか。
ユキヒトは、口の中だけで小さくつぶやいて、鋭く踏み込んだ。
板張りの道場と違って、だん、という小気味のいい音がするわけではないが、ずしりとした土の感触を踏み締めながら、小さく、マーリートの剣を握る右手首辺りを狙った。
マーリートは、すっと静かに一歩退きながら、剣を上段に振りあげる。狙われた小手をかわすと同時に、攻撃の姿勢にもなる合理的な動きだ。それだけに、ユキヒトにも予想がつく。
そのままその剣を振り下ろしての面打ちか、それとも、その面打ちを防ぐために腕を上げたところで胴を抜くか。選択肢は大きくその二つだ。
だが、ユキヒトはその二択に付き合わない。マーリートの剣速を考えれば、こちらの動きを見てから対応を変えることもできるだろう。むろん、一瞬遅れるだろうからそれを防げないわけでもないだろうが、かなり体勢を崩される。そうなればかなり苦しい。
元々当たると思っていなかった小手打ちだ。止めるのもたやすい。すっと剣先を上げ、マーリートの喉元に剣先を合わせる。
刺突が目的ではない。突きは腕も体も伸ばしきってしまう。かわされた時がかなり危険な技術だ。ただ、喉元に剣を突き付けられて、自由に動くことはできない。
「小癪だな」
「なんとでも言え」
無理はしないという判断なのか、マーリートは後ろに下がってそれをやり過ごす。ユキヒトも追撃は難しく、やはりとどまった。
「……普通の中剣を使うのは久しぶりだったが、思い出してきたよ。そろそろ、こちらから行くぞ」
「……来い!」
ユキヒトの踏み込みとは違い、ゆらりと静かにマーリートは前進する。しかしそれは、気迫に劣るという事を意味しない。ユキヒトは、気おされて後ずさりをしたくなるのを、かろうじてこらえた。
再び構えは右腕一本に。左足で踏み込みながら、斬り落とすような肩口への斬撃。それは両手で持った剣でしっかりと受け止める。
そのまま、ぐいっと剣を押しつけてくる。両足をしっかりと踏ん張り、ユキヒトはそれにあらがう。
次の瞬間、押しつけられていた剣の圧力が弱まる。マーリートが、右足を一歩踏み出してきた事で、体勢が変わったためだ。
そして、この状況で体勢を入れ替える事の意味が、ユキヒトにも分かる。圧力が弱まったのをいいことに素早く鍔迫り合いから逃れ、後ろへと下がる。
ユキヒトの予想に違わず、マーリートが左の拳を突き出してくる。鋭い一撃だったが、予想をしていればよけられないほどでもない。マーリートの拳が空を切ると同時、ユキヒトはその手を狙って剣を振り下ろす。
それはマーリートも織り込み済みだったのだろう。素早く拳を戻すと、今度は両手で剣を握る。
「ハッ!」
短い呼気とともに、右脇にやや低く構えた位置から、思い切り振りあげるような、剣道にはない軌跡の剣。
鋭い。よけようとしてよけられるものではない。覚悟を決めて、重心を落とし、その一撃を剣で受ける。
ぎぃん、と、鈍い音。凄まじい衝撃がユキヒトを襲う。一瞬、体が浮いたような気すらした。
それが錯覚だったか事実か、それは分からない。しかし、ユキヒトは勢いに負けてよろけた。
その時に、勝負はついていた。なおも数手、繰り出される剣をユキヒトは回避するものの、一度崩れた姿勢を取り戻すには至らず、ぴたりと喉元に剣先を突き付けられ、負けた。
その瞬間、ぱちぱちぱち、と、拍手の音が響いた。
「ノルン! 寝てないとダメだろう」
あわてて拍手の音の方を見れば、そこにいるのはノルンだった。流石に寝まき一枚で出てきたわけではないが、それでも少し厚手のローブを羽織っただけの姿で、ユキヒトがあわてるのも無理はない恰好だった。
「だいぶ、気分が良くなりました」
「病気はかかり始めと治りかけが肝心なんだ。無理してまたしばらく寝込むのは嫌だろう?」
「じっとお部屋の中にいるのも不健康です」
「まったく……」
こんな軽口が出るようならば、確かにかなり良くなっているのだろう。とはいえ、安心はできない。マーリートを促して、ユキヒトはノルンをつれて、すぐに家の中へ戻った。
素直に部屋に引き下がるつもりがないらしいノルンの様子に、ユキヒトは諦めて、せめて、と、少し厚手の膝かけをノルンにかけた。
「なんで出てきたりなんかしたんだ?」
責めるつもりはないが、無理をしてほしくはない。ユキヒトはノルンに、理由を尋ねた。
「……ユキヒトさんとマーリートさんが、楽しそうだったから」
「……なんだと?」
声を上げたのは、マーリートだった。
「お二人はとっても、楽しそうでした」
「……」
確信めいた声で、きっぱりと言い切るノルンに、マーリートは押し黙って、その六本の腕をそれぞれ二本ずつ腕組みをした。
「楽しそう……そうか、楽しそうか……」
しばらく、マーリートはぶつぶつと呟いて、何か考え込むような顔をした。
「どうしたんですか? あんなに楽しそうだったのに、楽しくなかったんですか?」
「……」
ノルンの問いかけに、マーリートはしばらく沈黙していたが、やがて、くすくすと笑い始めた。
「くっく……。まさか、こんな幼子に教えられるとはな」
「?」
「楽しかった。ああ、楽しかったぞ、ノルン。ユキヒトと剣の稽古をして、私は楽しかった」
「そうですか」
何よりだ、というように、ノルンはにっこりと笑った。
その笑顔を見て、マーリートは、あっはっはっ、と、豪快に笑った。
それからしばらく雑談を交わした後、マーリートは、清々しい表情をして去って行った。
「……マーリートさん、ご機嫌でしたね」
「……ノルンのおかげだよ」
「はい?」
きょとん、と、ノルンは首をかしげる。今回のところは、ノルンが何かを察して立ちまわったわけでなく、純粋に感じた事を口にしただけだったらしい。
マーリートが感じた事を、なんとなくユキヒトは悟っていた。
運命やしきたりといった複雑な何かではなく、もっと簡単で、大切なもの。それにマーリートは気づいたのだろう。
「……後でジュースを作ってあげような。元気になったなら、少し何か食べられるか?」
「……すりおろしたリンゴなら」
殆どジュースと変わらないじゃないか、と笑いながら、作ってあげると約束をして、ユキヒトはノルンの頭を優しく撫でた。
上機嫌な様子のユキヒトに、ノルンも嬉しくなったらしく、元気にはい、と返事をした。
『剣の道を往く求道者へ 貴方が求めるものを見失わないように 行人』