皆さんお久しぶりです。神月ひかりです。
夏休みにウィッチになったり、その時の新事実にちょっと凹んだりしましたが、無事に新学期を迎え、季節は秋を迎えました。
そして、今私はある博覧会に来ています。
その名も『国防と資源大博覧会』です。
何故私がこの博覧会を見に来ているかと言いますと、父さんが
「ひかりも来年の春にウィッチ養成学校へ行くけど、その前にこういった事(軍事とか)の勉強もしておいた方が良いだろうから、見に行こう」
と言ったからです。
学校の勉強はともかく、こういった関係の勉強は殆どできませんでしたから、早速と見に来ました。
こっちの勉強をしてなかったのかって?
考えてもみてください。一般家庭の十歳の女の子が軍事に関する専門書籍を読み漁ってる光景っておかしいですよね?
せいぜい新聞をよく読んだりするのが精一杯ですよ。
話を戻しましょう。この博覧会は、扶桑皇国で産出される資源。その流れと、それを守る国防について理解してもらうというのを趣旨として、
陸海軍や官庁のバックアップを受けて開催されてます。そして、数ある展示館の一つ、資源館の『扶桑皇国勢力圏図』の前に立っているんですが……
なんですか、このチート国家は。勢力圏がハンパじゃありません。
北はアリューシャン列島経由アラスカ、南は台湾、フィリピン等を経由してオーストラリアやニュージーランド等の南洋諸島を領土におさめています。
しかも、瑞穂国がリベリオンと合併するまでは、南リベリオン沿岸とファラウェイランドを除く太平洋地域のほぼ全てが扶桑勢力圏だったんですから、
太平洋のかつての別名が『帝(みかど)の庭園』と言われていたのも納得です。
というか、ぶっちゃけ進出し過ぎです。いくらネーデルラントやヒスパニアが衰退した時期に上手く立ち回ったといっても、まず有り得ないくらいです。
しかも、ブリタニアと戦争やらかしながらなんですよ?
前世歴史の鎖国という名の引きこもりを知っている身としては、この進出ぶりにちょっと頭を抱えたくなります。
「どうしたんだい、ひかり?」
「え?いや、何て言うか、扶桑って大きな国だなって」
「扶桑は大きな国か。そうだね、父さんもそう思うよ。信長公が海外進出を奨めたおかげだね。ひかりも知ってるよね?」
「知ってます。扶桑皇国中興の祖と言われてる人でしょ?私もちゃんと勉強してるんだから」
「うん、感心感心」
「む~、私のお願いを聞いてもらったんだから、がんばってるもん」
「ごめんごめん。ひかりががんばってるのは、父さんもしっかり分かってるさ」
「でも、扶桑の武士団がリベリオンまで渡って瑞穂国を作ったりしたのは織田信長も予想できなかったかな?」
「どうだろうね。確かに、ある程度まで領土を広げるのは予想してたかもしれないけど、自分の死後に太平洋を越えてリベリオン大陸までいったのは予想外だったんじゃないのかな」
「意外と予想してたのかも」
「ハハッ。そうだったら凄かっただろうね」
本能寺の変を危機一髪で逃れた織田信長は天下統一後、平定した各地の大名に命じ、扶桑武士団を海外に進出させる事に成功しました。
さらに言えば、彼は大陸への進出は全く行わず(ちょっかいをかけて来た時は、容赦なくやり返したそうですが)、シャム王国と
同盟を結び、呂宋(ルソン)や満剌加(マラッカ)を足掛かりに南洋や太平洋への進出を命じたとの事。
進出のしかたが妙に手際よすぎる気がしてなりません。この人も私と同じで知識を持って生まれ変わった類じゃないでしょうね?
私の些細な疑念は置いといて、父さんと一緒に資源館の展示を見て回ります。
資源館には広大な扶桑領で産出される資源の産出地図や産出される鉱石の実物、それが精錬されて資源となるまでの流れ、
そしてその資源の流れなどが地図や写真などを使って分かりやすく展示されています。
各地で産出された資源を加工して生産された小型かつ良質な工業製品、その製品を領内だけでなくリベリオンや欧州にも輸出する技術工業国扶桑。
どう見てもチート国家でした。
そして、この国のチートを支えているのが、高速船舶による航路と飛行艇などの大型航空機を使った航空路です。
両方とも官民を挙げて整備を推し進めた結果、広大な勢力圏を網羅するに至ったのだそうです。
そのおかげかどうかは分かりませんが、皇国郵船の船長や南洋航空の機長になるのは男の子たちの夢なのだそうです。
さて、このチートぶりと、資源の流通をよく覚えたうえで、いよいよ国防に関する各展示館へと向かいます。
私としては、海軍館での艦艇の艦橋を再現した所や大型の艦艇模型を見て、陸軍館で実物の戦車や航空機、大砲等をじっくりと見てから、
ウィッチ館と通称されている扶桑海事変大パノラマ館でウィッチについての勉強がしたいのですよね。
…………はて?
「………あの~~……」
「そして、この模型と資料を使用したパノラマ図を順番に従って見ていくことで、扶桑海事変を発生から終結までの流れが解りやすくなっています」
「なるほど、事変で動員された部隊がどのように動いていたか、これを見れば一目瞭然ということですね」
「その通りです」
「なるほど。新聞やラジオ等の報道では、全体像を掴むというのは、我々のような市民にはなかなかに難しいものですからね。これは実に解り易い」
「そうおっしゃっていただけると、このパノラマを初めとした資料制作を監修した私達の苦労も報われます」
「……もしも~し」
「うん?どうしたんだい、ひかり?」
「えと、なぜこうなってるのかな~?と」
「元ウィッチの方に事変の流れを詳しく教えてもらってるなんて、普通じゃまずない事なんだけど、ひかりは不満なのかい?」
「そうよ。私の案内にどこかおかしな所とか、分からないこととかあったのかしら?」
「そうじゃないんですけど、何故原田さんがここにいるのかな?と」
私は海軍館を見学してから、陸軍館で実物の戦闘機をじーっくりと観察しようとしてた筈なんですが、
何故かいつの間にやらウィッチ館の扶桑海事変パノラマ模型の前で、お父さんと一緒に原田さんから詳しい説明を受けています。
というか、原田さん。なんでこう狙ったかのようなタイミングで現れてるんですか??