――いつの間にか夜の戸張が降りて来ており、大きな月がその存在を主張していた……そんな中、俺達が声のした方に振り向くと……そこには眼鏡を掛け、長身で学者風の男が居り、その長髪を風に揺らしながら、翼の生えた人…フェザリアンが浮島へと飛翔していく様を眺めていた。「いつ見ても美しい翼だね。君もそう思うだろ?」フェザリアン、か……文献や物語を見て、知識としては知っていたが……実物はこれが初めてだった――実際に見ると。「確かに綺麗だったな」「アタシもそう思う」俺とティピは自分の素直な意見を述べる。「僕はいつか、フェザリアンの住むあの浮島に行ってやるんだ。だがそのためにはもっと研究をしなくては……」「あなた、学者さんなの?そういえば、普通の人とはちょっと違うみたい?」「ああ、そうだよ…君もただの妖精じゃないね?ホムンクルス?」学者風――いや、自称学者の男はティピの正体に感づいたようだった。「わっ、凄い!よくわかったね!アタシ、ティピ!よろしく♪」「カーマインだ」「僕はアリオスト。魔法学院で飛行の研究をしている」「アリオスト…?魔法学院の天才魔導科学研究者の、あのアリオストか?」「そんな大層なものじゃないんだけど……僕のことを知ってるのかい?」「ルイセ――妹が話してくれてな」そう、長い間俺は王都から外に出られなかった。だが時折、休暇などでルイセが我が家に帰郷を果たすと、学院でのことをよく話して聞かせてくれたのだ。……当時の俺にとっては、外の世界のことを知ることが出来る――数少ない方法だった。「ルイセちゃんが?」「ああ……まぁ、あいつのことだから退屈していた俺を元気付けよう――と、思って話してくれていたんだと思うが」最初の頃はそうだったんだが、後の方になるとそれはむしろ口実だった様な気がする。アイツは俺に甘えたがるからな……もう花も恥じらう年頃なのだから、そろそろ子犬の様に甘えるのは止めた方が良いと思う。――要するに、兄離れをしなさいと言うことだ。「ルイセ?君は彼女のお兄さんなのかい?」「ああ…ルイセのことを知ってるのか?」我が妹ながら、確かに可愛らしい容姿をしているが……差程、目立つ性格はしていないはずだが。「彼女は有名人だよ。グローシアンだからね」成程な、そういうことか。「……ぐろーしあん?」「何だ、知らないのか?」知らなかったのか――母さん、せめて最低限の常識くらい教えてやれよ…ほら、ティピが阿呆の子みたいになってる。アリオストがそんなティピの為に、グローシアンとは何たるかを説明する。日食や月食の期間に生まれた者は特殊な魔力…【グローシュ】を得る。その力を得た者をグローシアンと呼ぶ。グローシアンの力は、月食、日食、皆既月食、皆既日食の順に力が強くなっていく。ルイセは皆既日食の間に生まれた。――つまりは、もっとも優れたグローシアンになる……あの甘えたがりが、そんな大層なものには見えないんだが……これは列記とした事実だ。「へぇ〜…アンタ知ってた?」俺にそう尋ねてくるティピ。「当たり前だろう。何年家族をやってると思ってる……?」というか、ルイセが生まれた時にはもう俺は居たのだから、皆既日食だって経験済みだ。「それじゃ、アタシだけなの?もうっ、マスターも教えてくれればいいのにっ!」それは俺もそう思う。「ちなみに、グローシュは知ってるだろう?」「……えへへ……よかったらそれも教えてくれる?」……ティピ…お前本当に阿呆の子だったのか……?まぁ、この場合まともな教育をしていない母さんに非があるわけだが――。「お前も既に見ている……というかお前、俺が塾の講師の人と話しているのを聞いていただろうに――グローシュのことも話に出ていたぞ?」俺はやれやれ…と、首を振るう。「な、なによ〜、人をまるで馬鹿みたいに…塾の講師?…ん〜……何かそんなことがあった様な…」…駄目だコイツ…早くなんとかしないと。「お前が、ふわふわぴかぴかと言ってたこの宙に漂っている光の玉――これがグローシュだ」「ああ!そうだったそうだった!」どうやら思い出したらしい。とりあえず思い出せたなら良いんだが。「このグローシュは時空の不安定なところから、この世界に流れてくる魔力なんだ。つまり、これが多い場所ほど時空が不安定というわけだね」俺の説明を継いで、アリオストがグローシュについて講義してくれる。一般的に北へ行くほどグローシュが増え、南に行くとほとんど無い。これが関係しているのかは分からないが、南のランザック王国は魔法技術に関しては遅れているらしい……優れた魔導師が生まれ育つにはグローシュも必要、ということなんだろうか?その後、幾らかの雑談をした俺達はアリオストと別れた。しばらくは王都の宿に泊まっているのだそうだ。そして俺達もまた、帰路に着こうとした……。その時……。「あなた……来てくれたのね……」「え?」「む…?」俺達はその声に振り返る………そこには……。「ずっと…待っていました……」夢で見た女性が…。「あなたがここに来てくれるのを……」慈母の様な微笑みを携えながら…愛おしそうに…俺を見ていた。「待っていた……俺を……?」「……はい。あなたがここへ戻ってくることを信じて……。もう……20年も経ってしまった……」この女性は俺を……いや、俺を通して夢の中に出てきた男を見ているのだろう…と理解できた。「…………」ティピは彼女を…俺達を見ながらも、無言のままだった。俺と彼女の放つ雰囲気から、何も言えなかったのだろう。「これを……これはあなたが持っていて。」そう言って女性が俺の手を取り、俺の手の平に何かを乗せる……。それは夢の中で男が女性に渡した指輪だった。「綺麗な指輪だね〜」ティピがそんなことを言ってくるが、俺の耳には届かなかった。夢の中に出て来た指輪……夢の通りなら、彼女にとっては何よりも大切な指輪の筈だ。「この指輪はお返しします」今なんて言った?この指輪を返す……誰に…?「そしてあの子に会ったら、伝えてください。シエラは…母は今でも愛していると……」「あの子って…」「愛しているわ、あなた……あの子に、よろしくね……」「!?――待ってくれ!!」だが、俺の声は虚しく届かず、女性は霞の様に消えてしまった……。「い、今のって……?」「…今朝、俺が見た夢のことを話しただろ?…その夢に出て来た人だ…」ティピは何やら驚いているが……俺の心中は複雑だった。女性は俺を夢の中の男だと思い、この指輪を託したのだろう……罪悪感が胸を過ぎる。――最初から人違いだと言っておけば良かったな…。夢で見た様に、不思議な輝きを放つ指輪を握り締めながら、俺はそんなことを考えていた。その後、俺達は帰路に着いた。途中で行商人の男と出会った。男が言うには王都方面で盗賊がうろついているらしい。男はここで野宿するらしい……が、俺達はそうも言ってられない。帰りが遅くなれば、ルイセも心配するだろうしな。******やっぱり気になる…。遠目で見ただけだけど…あのカーマインという人、ラルフさんに似ている……ううん、似過ぎている。宿のおばさんの話しを聞く限りだと、カーマインさんは昔からこの街に住んでいるらしいけれど……。彼は、あの人……シオンさんのことを知ってるかも……。他人の空似で、実際には関係なんて無いのかも知れない。そう頭では理解してる筈なのに、心が叫んでる……会いたい、あの人に会いたいって…。シオンさんが旅立ってから、ずっと音沙汰もなくて……毎日が不安で一杯だった。時々帰って来る兄さんにも、心配させてしまった。不安で胸が一杯になる度に、首からさげた彼との約束の証を握り締める。――あの穏やかな日々は夢だったんじゃないか……って。兄さんが居て、ラルフさんが居て――そして……あの人が、居た。そんな温かな日々の思い出が、自分の想い描いた妄想だったんじゃないかって……そんな不安に駆られながら――。そんなある日、彼から手紙が届いた。内容は近況報告と、旅での色々な人達との出会い、出来事……そして、今まで顔を出せなかったことへの謝罪だった。その便箋は可愛らしい感じのデザインで、彼には似合わない感じがした。それでも、一生懸命選んで買った便箋なのだろう――そう考えると、思わず笑みが零れてしまった。それからは、定期的に手紙が送られてきた。その度に私の心は満たされていった……けど、同時に渇望もしていった。不安は和らいだ……でも私は余計にシオンさんに会いたくなってしまった…以前よりもっと恋い焦がれる様になってしまった…。それから私は、時折兄さんに着いていく様になった。旅先でシオンさんの手掛かりを掴めるかと思って……。こうしてローランディアまで来て、結局手掛かりを得られなかったと思っていた時に……カーマインさんが現れた。私は結局、居ても立ってもいられなくなり、兄さんに書き置きを残して宿から飛び出してしまう。……先程カーマインさんが追い払った筈の人達の視線にも――気付かずに……。********やれやれ…結局ローランディアでは正式に雇って貰えず、か。まぁ、仕方ないな。今のローランディアは温厚なアルカディウス王が統治する国だし……ローランディアに限らず、戦争でも無い以上は、傭兵みたいな職は求められていないのも道理。やっぱりちゃんとした働き口が無いと、今後は辛いのかも知れないな……と言っても、個人で傭兵をやっている俺にはツテらしいツテも無いんだが――。そういえば、そろそろ闘技大会の時期だな。闘技大会には各国の御偉方が来賓としてやってくる。その為に闘技大会で優勝した者は、国から正騎士として抜擢されることもある。今年は傭兵業を一時休業にして、俺も出てみるかぁっ!……どうでも良いが『アイツら』は出場したりしないよな?あれから俺も腕を上げたが……シオンには未だに勝てる気がしない。ラルフとはやり合ったことが無いから分からないが……苦戦は必至だろう。アイツらも闘技大会に参加したことは無い筈だから、必然的に同じフレッシュマンの部になるだろう。……まぁ、その時はその時だな。というか、たまには顔を出しやがれってんだ!カレンがすっげえ心配してたっつうのに。そうこうしてる間に宿に着く。宿のおばさんに軽く挨拶した後に部屋に戻る。「カレーン。今帰ったぞ〜」しかしそこはもぬけの殻だった。既に外は夜で、窓の外の月明かりだけが部屋を照らしている状態だった。それでも十分明るいのだが、部屋は薄暗くなっていた。俺は明かりを着け、部屋を見回す。すると、机の上に書き置きが置いてあるのを見付ける。「何々…?」『兄さんへ…少し出掛けてくるけど、すぐに帰ってくるから心配しないでね。カレン』「カレンの奴、こんな時間に出歩くなんて……いくらローランディアの治安が良いとは言っても、流石に危ないだろうが!」俺は宿のおばさんに話を聞いてからカレンを捜しに行くことにした……そして、話を聞いて更に俺の不安は増すことになる。「出掛けたのは昼から!?」オイオイ!!すぐ帰るとかの話じゃねえぞ!?俺は宿を飛び出しカレンを追った。これが数十分前までの話だ。そして現在、俺は数人の男達に囲まれている。見た感じ、盗賊――野盗の類いか?「なんだお前ら――俺は急いでるんだ!道を空けろっ!!」「へへへ…そう強がるなよ?妹がどうなっても構わないのかい?」……コイツは今、何を言いやがった?「貴様ら……カレンに何をしやがった!?」「別に何もしちゃいないぜ?アンタが大人しくしててくれりゃあな…意味、分かるよな?」「ぐっ……」クソッタレ……これじゃあ手が出せねぇ……。「――ハッタリは止めときな」男の声が響き、盗賊達に一つの戦斧が襲い掛かった。