風牙衆の反乱から二日後。復興作業に追われていた神凪邸は、その活力を徐々に取り戻してきていた。
そしてそんな中。優希はあてがわれた客室にて、顔を曇らせると、ふと溜息をついた。
「さてと、これからどうしようかなぁ」
優希はベッドにダイブすると、枕をぎゅっと抱きしめながら、そう呟く。そして、瞼を閉じると同時に思考に入った。
(……眩しいなぁ)
窓から入り込む日の光すら、今の優希にはうっとおしかった。
――優希は今年で十六歳になった。それは言い換えれば、優希が未だいたいけな少女だと言うことでもある。
つまり、社会的に見るならば優希は「ただの子供」なのだ。そんな優希には、考えるべき「これから」が多く存在した。
簡単にあげるなら、今のところ問題は二つある。
まず第一の問題として、優希にはそもそも、この世界の戸籍が存在しないという事があげられる。これはまずい。
日本は先進国の中でも、そういった点には厳しい国なのだ。住居を構えるにも、いちいち戸籍が必要なのである。魔術を扱える優希ならば、それはさして、深刻に考えるような問題ではないかもしれない。だが、それでもあるに越した事は無いだろう。という訳で、戸籍を用意するのは確定事項だ。
そして、第二の問題。特に、これが重要なのだが。風の聖痕、第二巻の始まり。つまり「大神操の暴走」は、優希の記憶が確かならば、風牙衆の事件から、一週間後の宴会から始まる。そして、その結果は千人規模の人間が死ぬ、大事件となるのだ。
悲しい事に、自分の運の悪さを自覚している優希としては、仮に原作への介入を避け、東京から避難をしたとしても、自身が巻き込まれる予感がしていた。
という訳で、正直とても嫌なのだが。優希はこの事件の発生を、止めるべく動く事にした。
(まあ、戸籍はともかく。操……さん、の件は、和麻に一言注意を呼びかけておいたら、大丈夫だとは思うんだけどね)
そうは思うのだが、不安はぬぐえない。
「よいしょっと」
優希は枕を放すと、辛い体に鞭を打って「さっ」と立ち上がった。
若干おっさん臭さがかもし出されているが、そこはご愛嬌である。
優希は着ている流し着を男らしく脱ぎ捨てると、備え付けられたクローゼットの中に用意された洋服の中から、動きやすいキュロットスカートと、シンプルな茶色のブラウスを取り出した。
そして、およそ女性らしからぬ速さで身支度を整え始める。
本当はジーパンにTシャツという格好をしたかったが、あいにくそれらの服は用意されていなかったので仕方がない。スカートは、ひらひらとした布が腿を擦れる感覚が嫌いなので、滅多に履かなかった。
というよりも。
(男共の視線が気持ち悪いから、いや)
それが、一番の理由だったりする。
それから数分後。優希は戦闘後に修理した、大切な鞄を手に持つと部屋を出た。
向かうは重悟の下。その理由は、先日の報酬を貰いに行く為である。
(先立つ物は、お金だよね)
少し目つきが悪くなっている気もするが、優希の足取りに迷いはない。
――数時間後、部屋に戻ってきた優希の手には、大金の入ったアタッシェケースが掴まれていた。
こうして、優希は予定通り、当面の資金を手に入れたのである。
それから五日後。「お金さえ貰えば用は無い」といわんばかりに、報酬を受け取ったその日から、都心から少し外れたビジネスホテルに移住していた優希は、熱心に誘われた事もあって、神凪での宴会に出席していた。ちなみに開催場所は、件の事件でほぼ全壊していた、あの広間だったりする。
「屋敷の修繕を祝って!」
「風牙衆壊滅を祝って!」
「「乾杯!」」
状況は、殆んど原作どおりだった。
そこかしこから聞こえてくる台詞は、多少は原作と違った気もしたが、風牙衆をこけおろしながら酒を飲む者が殆んどである事に、変わりはない。
(こうも原作どおりだと、自分がいるこの世界が作り物のような気すらしてきますね)
そんな彼らを上座から眺めている優希の視線は、酷く呆れていた。
優希は女中さんの質の高さから、神凪家を若干、見直しかけていたのだが、そんな状況で見たのがコレである。神凪への評価は再び急下降していた。
「宗家の人々は、あまり騒いでないようですけど。それでもこれは……」
「まあ、馬鹿が多いからな。仕方がない」
溜息と共に呟かれた優希の言葉に、横に座っていた和麻が反応する。
時間通りに現れた和麻に即効、抱きついてきた煉を膝に乗せながらも、その口からは、痛烈な批判が飛び出た。
「そもそも、無能では無かった風牙衆を奴隷のように扱い、追い詰めたのは神凪だ。反乱を起こされても、文句は言えねぇだろう」
「ごもっともで。まあ、僕は風牙衆の受けてきた痛みなんて知りませんけど。……それでも彼ら。神凪みたいのが上司だったら、さぞかし辛いだろうとは思いますね」
「全くだな。というか、何故あいつらが被害者面をしているのか、俺は理解に苦しんでいるぞ?」
「至極同感ですね」
「……ていうか、今気づいたんだが。お前って『ボクっ子』だったんだな。知らんかった」
「余計な事を突っ込まなくてもいいです。あっ、この漬物おいしい」
そんな事を二人で話し合っていると遂に、優希が先刻からさりげなく様子を伺っていた、彼女が動き出した。
内心どきどきの優希を他所に、その女は楚々とした佇まいで和麻の目の前に跪くと、深々と礼をする。
「操と申します。和麻様のお世話を仰せつかっていますので、なんなりと申しつけ下さい」
大和撫子を連想させる、二十歳前くらいの着物を着た、和風の美女。そして。
(和麻を逆恨みする、この物語のキーパーソン)
神凪家が分家。大神操が、ようやく物語に登場した。
――数時間後、ホテルの自室のベッドには、疲れからか、死人の様に眠る優希の姿があった。
結論から言うと、優希の緊張は徒労に終わったのである。
宴会は、全部が全部、和やかな雰囲気で終わった訳ではなかった。
操は「嫌々この場にいるのだ」という態度を隠そうとしていなかったし、和麻は神凪家に対して鷹揚な態度は見せなかった物の、下種な台詞は吐かず、綾乃を可愛がっていた。
綾乃に至っては、原作どおり和麻に向かって、気で強化された箸を投げつけたぐらいである。
(ちなみに、綾乃本人は照れ隠しのつもりで箸を投げつけたらしい)
だが、それでも優希の存在によって何かが変わったのだろう。操は結局、短刀を和麻に向ける事をしなかったし、和麻や綾乃の物言いも、原作に比べれば若干、柔らかな物になっていた。未来は確かに、いい方向へと変化を見せていたのである。
(和麻には『アルマゲスト』がこっちに来ていると、忠告もしておいたし、大丈夫だよね?)
あの時の和麻の表情は恐ろしかった。やっぱりなるべく会いたくないなぁ。
そう最後に思考して、優希は深い眠りに落ちていった。
東京の何処か暗い所で、自身を狙う者がいる事に気づかずに。