―――許昌から数十キロ離れたとある場所
「まず、問題としては、如何に、左慈の眼を誤魔化すかだったんだ」
「奴らに話したところで、協力は得られるはずがない。むしろ、敵対するのが落ちだからな」
一足先に逃げだした晋軍の兵士らと合流した劉豹らは、とある人物との待ち合わせ場所にて、一時休息を取っていた。
作戦の性質上、極度の緊張を強いられた兵士達は、作戦成功という事もあり、安堵の笑みを浮かべていた。
その中で、劉豹だけは表情を曇らせながら、隣に座っている徐晃に胸の内を零していた。
「だから、劉備達を逃した。そして、目論見通り、左慈達は、僕のまいた撒き餌に引っ掛かってくれた。兵の皆も、脱出する許昌の民に変装して、抜け出す事が出来た」
「ならば、何も言う事はあるまい。こちらは、一兵も失うことなく、左慈達を葬れるのだ。何を気に病む事がある」
自らの企てた策を説明する劉豹に対し、徐晃は苛立たしげに返事を返した。
劉豹とは、晋軍を結成する前から、古い付き合いである徐晃は、嫌と言うほど知っていた。
―――何も知らぬ誰かを利用する事を、劉豹自身が一番嫌っていると言う事を
「うん…想像以上にきついよ、他人を駒として見るって。自分が嫌になるね」
「はん、泣き事か。 もう止めたくなったか?」
「いや、そんなつもりはないよ。ただ、ちょっと愚痴っぽいことを言いたくなっただけさ」
愚痴を零し、自己嫌悪に苛まれる劉豹に、徐晃は止めるなら構わないと言う口ぶりで答えた。
もっとも、徐晃には、止めるなら、お前を殺すという選択肢以外ないのだが。
そんな物騒な選択肢を遠慮なく選ぶ徐晃の性格を知っている劉豹は、内心感謝しながら、静かに首を振った。
「それと、逃げだした許昌の民には、金子を渡して、鑢軍の本拠地である幽州近隣に行くよう勧めておいた。貴様の指示通りにしたが、殺さなくて良かったのか? 」
「ああ、その方がこちらにとって、都合がいいからね」
とここで、徐晃は、続けて、許昌を抜け出す際に、隠れ蓑として利用した許昌の民たちを見逃した事について尋ねた。
もし、それが情け心からであったなら、徐晃は、先ほど同じく、劉豹を殺すつもりだった。
徐晃の殺気を察したのか、劉豹は、すぐさま説明し始めた。
確かに、今回の鑢軍と曹操軍の戦への武力介入は、両軍の疲弊していた事と、この時代に存在しない兵器―――火縄銃を導入した事で、双方に大打撃を与える事が出来た。
しかし、今後の事を考えた場合、晋軍は、その後に起こりうる無用な戦を避けたかった。
なぜなら、現状の設備では、弾丸と火薬の生成には時間が掛かり過ぎる為、補給がままならず、一回の戦闘で使用できる分しか用意できなかったのだ。
そこで、鑢軍と曹操軍との二回目の戦闘を避けたかった劉豹は、許昌の民を見逃す事で、敵の動きを封じる策を思いついた。
「逃げだした許昌の民はかなり大規模だ。2,3日はともかく、それ以降は、継続的な支援がなければ、すぐに干上がってしまう。加えて、人手だって必要になってくる。軍隊でも動員しない限り、とても追いつかないだろうね」
「それが、鑢軍に対する足止めと言う事か。だが、鑢軍が、そいつらを助けるという保障はどこにある? 無視を決め込めば…」
「それは、絶対にあり得ない」
軍を動員しなければならない程の大規模な難民救援を引き起こす事で、鑢軍の動きを封じる―――劉豹にしてみれば、人の情け心を逆手に取ったえげつない策だった。
劉豹の説明に納得した徐晃であったが、とここで、鑢軍が許昌の民を見捨てる可能性があるのではと指摘した。
確かに、徐晃の言うとおり、補給難である晋軍を討とうと思うならば、準備が整わない内に、即座に攻め込むのが最善の手であろう。
だが、劉豹は即座にその可能性を否定した―――自分に宣戦布告した少女の顔を思い出しながら。
「劉備は、敵国の民であっても、困っている相手を助ける。なぜなら、昔の僕なら、そうするはずだから」
劉豹は、先のやり取りで、桃香が他者に思いやりのある、敵であろうと犠牲を出したくない優しい性格であるのはすぐに分かった。
そんな桃香が、住む場所を追われた許昌の民を見捨てる筈がないと、誰よりも劉豹は確信していた。
―――なぜなら、昔の劉豹も、また、その選択を迷わず、選んでいたからだ。
「ふん、ならいい。だが、これ以上の甘えは許さん。反吐が出る」
「相変わらずきついね…まぁ、良いけどさ」
確信を持って断言する劉豹に対し、徐晃はつまらなそうに鼻を鳴らしつつ、妥協は許さないとばかりに釘を刺した。
そんな古馴染なりの不器用な励ましに感謝しつつ、劉豹は思わず苦笑するしかなかった。
そして―――
「よぉ、待たせたな、御二人さん」
―――今回の戦を仕掛けた黒幕が姿を現した所で、恋姫語はじまり、はじまりv
第36話<許昌決戦2>
七花が、桃香達と合流していた頃、恋と蝶々による龐徳との、許昌の市街地での戦闘は、終わりを迎えていた。
「粉砕!! 」
「…邪魔っ!! 」
「ガファ!! 」
もっとも、市街地での戦闘は終わっただけで、元市街地だった荒れ地にて死闘は続けられていた。
常人をはるかに上回る巨体を持つ龐徳が、敵を叩き潰さんと、一撃必殺を誇る狼牙棍が振り下ろした。
しかし、セキトに跨った恋は、龐徳の攻撃を回避するどころか、方天画戟を突きあげながら、真っ向から全力で龐徳の攻撃を迎え撃うたんとした。
ガキンという音とともに、恋と龐徳―――両者互いの得物が、勢いよくはじき返される。
同時に、恋のいた場所を中心にして、地面が深く陥没しながら、辛うじて残っていた建物の残骸を打ち砕いた。
それでも、セキトは崩れ落ちることなく、四本の脚を踏ん張らせていた。
「はぁっ!! 」
「腹部攻撃直撃…直、無傷!! 」
とここで、体勢を崩した龐徳の隙を突く形で、龐徳の腹に目掛けて、蝶々は強力な一撃を叩き込んだ。
もし、蝶々の相手が、並の鎧を着た兵士ならば、この一撃で仕留められてもおかしくなかった。
だが、龐徳の纏う分厚い鉄の板を張り付けたような鎧は、蝶々の拳を受けても、傷どころかへこみさえ付く事もなかった。
「くそっ…!! 駄目か」
「…でも、負けない」
「ああ」
幾度となく攻撃を仕掛けても効果がない事に舌打ちする蝶々であったが、再び武器を構える恋とともに、即座に拳を構えた。
鉄壁の防御を誇る龐徳の鎧を前に苦戦する蝶々と恋であったが、勝機がないわけでもなかった。
「幸いなのは、威力は絶大だが、攻撃速度は遅いところか…」
「…うん」
龐徳との攻防戦において、ある事に気付いた蝶々の言葉に、恋もすぐさま頷いた。
確かに、鉄壁の防御を誇る鎧と、周囲ごと敵を粉砕する狼牙棍は、龐徳の持つ最大の武器なのであろう。
しかし、それは、同時に、防御を重視するあまり大重量となった鎧は、体の動きを鈍らせる枷となり、狼牙棍を振るう速さも決して速いモノではなかった。
恋は既に忘れているのだが、恋と蝶々の目的は、龐徳をこの場で喰いとめるという足止めなのだ。
ある程度の時間稼ぎが出来たなら、恋と蝶々には、即座に撤退すると言う選択肢もあるのだ。
だが、恋と蝶々は気付いていなかった。
「…多少反省。認識改変」
「ん…? 」
「殿任務、既終了間近。本格戦闘、我許可!! 」
―――許昌から逃げだした晋軍の殿を任された龐徳もまた、足止めの為に闘っていたと言う事に!!
そして、充分な時間稼ぎが出来たと判断した龐徳は、一回の武人として、恋と蝶々を打ち倒さんとした。
その為の切り札を、龐徳は許昌一帯に聞こえるような大きな声で、その切り札を呼び出さんとした。
「…蝶々、どういうこと? 」
「…どうやら、本気を出すみたいだが、何か隠し玉でもあるのか」
いい加減、漢字ばかりの話す龐徳の言葉に首を傾げる恋に対し、蝶々は、一応解説をしつつも、嫌な予感をひしひしと感じ始めていた。
とここで、奇襲を仕掛けた際に討ち漏らしたのか、白装束を着た二人の男が、武器を携えながら、現れた。
「おい…見つけたぞ、貴様ら!! 悪である鑢七花に従うものは、滅すべし!! 」
「劉豹の配下もだ!! 我らを謀った罪、断じて許さん!! 」
次の瞬間、白装束の男二人は、怒りをあらわにしながら、武器を抜いて襲いかかってきた。
すでに、劉豹に謀られた事に気付いたのか、白装束の男二人は、恋と蝶々だけでなく、味方であった筈の龐徳をも殺さんとしていた。
「ちっ…白装束か。まだ、生き残りが…ん? 」
「あ…」
乱入してきた白装束の男二人を、うんざりした顔で迎え撃とうとする蝶々であったが、ふとある事に気付いた。
蝶々につられて、恋も見ると、白装束の男二人の背後から、周囲を揺るがす地響きとともに土煙を巻きあげながら、何かが迫ってきていた。
しかし、白装束の男二人は、怒りで我を忘れているのか、その事に気付かなかった。
「「さぁ…覚―――BOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!―――ごぶべばっ!!」」
「到着切望。我之愛馬――――」
そして、白装束の男二人が斬りかかろうとした瞬間、咆哮と共に背後に迫っていた何かによって、弾き飛ばされた。
ぶつかったときの衝撃なのか、白装束の男二人の体は、どちらも首や手足があらぬ方向に折れ曲がり、地面に落ちた時にはほぼ即死の状態だった。
白装束の男二人を絶命させた何かを見て、龐徳は待ちかねたかのように言った。
其の何かとは、鎧を着た龐徳さえも背中に乗せられるような巨大な体格と全身を覆う分厚い鉄の鎧、その巨大な体と鎧もろともせずに支える頑丈な脚と蹄、鎧の隙間から見える白と黒の毛、そして―――
「―――覇山!! 」
「明らかに、馬じゃなくて、牛だろ!? 」
「…牛だと、変なの? 」
―――立派に生えた二本の角を持つ牛:覇山だった。
これには、さすがの蝶々じゃなくても、突っ込まざるをえないだろう。
もっとも、馬じゃなくて熊であるセキトに騎乗している恋だけは不思議そうに首を傾げた。
だが、そんなツッコミを入れる余裕などない事に、蝶々は知らされる事となった。
「油断注意。覇山騎乗後、我静止不知―――突撃敢行!! 」
「何だ―――フッ…ボォッ!!―――と? 」
巨大牛:覇山に騎乗した龐徳は、不敵な言葉とともに、覇山の口に咥えられた手綱を鳴らした。
そして、龐徳を乗せた覇山が前足を踏み出した瞬間、忽然と恋と蝶々の前から姿を消した。
同時に、恋と蝶々の後ろにあった建物が次々と土の壁を砕くような音と、もうもうと舞い上がる土煙を立てながら、崩れ落ちた。
そして、そのはるか彼方には、ゆっくりとこちらに振り返りながら、途中で引っかけた白装束の男達だった残骸を振り払う覇山に跨った龐徳の姿があった。
「無念…不発」
「…蝶々、見えた? 」
「いや…辛うじてだ」
攻撃が外れた事に不服そうに呟く龐徳であったが、恋と蝶々にとっては脅威でしかなかった。
そもそも、破壊力とは、重量に速度をかけることで導き出されるものだ。
当然のことながら、かけられる重量とかける速度の値が大きいほど、破壊力を倍増する。
そう、一瞬にして進路方向にあった建物を次々と爆際していく覇山に跨った龐徳のように!!
「確かに、龐徳自身は動いていないが…詐欺にもほどがあるぜ。この重量で、この速度―――それだけで、脅威の武器だな」
「…強い」
呆れるようにぼやく蝶々であったが、内心では恋と同じように焦りを感じていた。
これまで、蝶々と恋は、分厚い鎧を着ている龐徳の鈍重な動きという弱点を狙ってきた。
しかし、それが、ただ龐徳が本気を出していなかっただけと言う事を思い知らされた。
なぜなら、龐徳自身が攻撃も動きもしないだけで、持ち前の巨体と分厚い鎧、目にも映らぬ速さで移動する覇山を走らせるだけで、圧倒的な破壊力でもって、敵の軍勢を蹂躙する事が出来るのだから!!
「再度、敢行」
「―――蝶々!! 」
「次かよ―――ボコぉ―――っ!!」
そして、先ほどの攻撃に失敗した龐徳はゆらりと振り返ると、再び手綱を鳴らした。
殺気を感じ取った恋は、大きな声で、龐徳に狙われた蝶々にむかって叫んだ。
慌てて回避しようとする蝶々であったが、蝶々の横を一瞬で間合いを詰めた覇山の突撃が通り過ぎたと同時に、何かが外れる鈍い音が鳴った。
「攻撃、成功。…致命傷、不至」
「…大丈夫、蝶々? 」
「ああ、少し引っかけただけだ…けど、右腕は使い物にならないな」
またも、敵を仕留めそこなった龐徳であったが、蝶々に与えた傷は軽いモノではなかった。
攻撃を受けた蝶々に駆け寄る恋に対し、蝶々は、自分の意思とは関係なく、だらりとぶら下がった右腕を見た。
なんとか直撃を避けた蝶々は骨折こそには至らなかったモノの、龐徳の突撃を掠めた右肩の付け根は、物の見事に脱臼していた。
「蝶々、離れて。セキト…やれる? 」
「がふぁ!! 」
まともに戦う事が困難となった蝶々を見た恋は、蝶々を巻き込まれないように離れるよう促した。
そして、恋自身は、セキトと共に、龐徳の前に堂々と立ちふさがった。
もし、このまま、高速で移動する龐徳に負ければ、一気に七花のところに追いつかれ、これまでの時間稼ぎなど意味を無くしてしまう。
それだけは、七花を―――大好きなご主人様を守ると誓った恋にとって、絶対避けなければならない事だった。
例え、命を変えてとしても―――!!
「恋が闘う…絶対負けない」
「…覚悟上等!! 」
龐徳を迎え討たんと覚悟を決めた恋に対し、久しぶりの猛者との戦いに心躍らせた龐徳も、それに応えるかのように全力で覇山を走らせた。
恋と龐徳が激突した瞬間、大地を揺るがすような轟音と同時に、激突の際生み出されたの衝撃波が吹き荒れた。
そして、その場に立っていたのは…
同時刻、春蘭と郭淮・鄧艾姉妹との闘いは、続いていた。
否、正確にはすぐさま終わらせないように、わざと続けられていた。
「…っ!! うおらぁ!! 」
「ふふふ…あはは…」
腕や足、頬に幾つものかすり傷を負った春蘭は、笑みを浮かべる郭淮に、再度向かって斬りかかった。
春蘭は不利な状況に追いやられていた。
的櫨にいたっては、全身のあちらこちらに矢が突き刺さっているため、その場で蹲るしかなかった。
そもそも、お互いの得物を見る限りでは、春蘭が不利と言う訳ではなかった。
本来、弓矢は遠距離で威力を発揮する武器である事に加え、郭淮の獲物である重藤弓は威力こそあれど、連射に難のある弓だ。
故に、春蘭は矢を回避しながら、剣の間合いにさえ詰めよれば、無防備な郭淮を倒せる。
そう、倒せる筈だった。
「さ、させない」
「ちぃ…こい―――ドスっ!!―――うっ!? 」
「はははハハハハハハハッ!! 」
このまま、春蘭が間合いを詰めようとした瞬間、郭淮の背後から数本の矢が、春蘭にむかって放たれた。
矢を撃ったのは、郭淮と文字通り一身同体となり、郭淮の持つ弓よりかなり短めの弓―――騎馬民族が使用する短弓を手にした鄧艾だった。
すかさず、立ち止まって、剣で全ての矢を斬り払う春蘭であったが、その隙をつく形で、一本の矢が春蘭の脚に突き刺さった。
春蘭に刺さった矢が放たれた先には、己の得物がもっとも効果を発揮する距離まで下がった、弓を構えながら、笑みを浮かべる郭淮の姿があった。
「ゲェェアアア―――ハハハハハハハアハ!! どうした、盲夏侯!! 戦闘が取り柄のあんたが、無様じゃねぇか、ああん? 」
「五月蝿い…この出鱈目人間が…!!」
郭淮は化け物じみた笑い声をあげながら、脚に突き刺さった矢を抜く春蘭を詰った。
それに対し、理不尽さに我慢できず、腹立たしそうに悪態で返す春蘭であったが、無理もなかった。
春蘭が間合いを詰めるたびに、鄧艾が連射の効く短弓によって、春蘭の前進を阻止する。
その間に、郭淮は、得意とする遠距離へと位置を変え、動きの止まった春蘭に向けて矢を放つ。
単純な作戦ではあるが、二つの異なる性質を持つ弓の前に、春蘭は近寄る事さえできずに、苦戦を強いられていた。
とはいえ、ここで一方的に終わる春蘭ではなかった。
「おいおい、随分威勢がいいじゃない。まぁ、そのくらいの余裕はないと…」
「…今だ、的櫨!! 」
「ぶひいいいいいいいいんんっ!! 」
「っ!? しまった―――」
足にけがを負わせた事で、春蘭の動きを封じた郭淮は、勝利を確信してか、余裕の表情を見せていた。
勝利を目前にした際の油断を見せる郭淮に、春蘭は、その隙を逃すことなく、合図を出した。
満身創痍の体を奮い立たせ、郭淮の背後に回っていた的櫨に向かって!!
的櫨の鳴き声に気付いた郭淮であったが、春蘭の方にばかり気を取られていたため、弓を構える間もなかった。
蹴り殺さんと迫ってくる的櫨を前に、郭淮は不覚を取った事に驚く―――
「―――じゃな~い!! 」
「えっ? 」
「!? 」
―――振りをしながら、舌を出した。
郭淮の予想外の反応に驚く春蘭であったが、この場合は、驚きの度合いでは的櫨の方が大きかった。
的櫨の眼に映ったのは、自分の体に深々と突き刺さった一本の矢と、後ろを向いたまま、両腕があり得ない角度に曲げた状態で矢を放った鄧艾の姿だった。
「う、後ろは、ま、任せて」
「―――っ!! 」
「的櫨!! くっ…おのれぇ!! 」
どもりながらも、郭淮を守ろうとする鄧艾によって、遂に的櫨は崩れ落ち、瀕死寸前の怪我を負った。
春蘭は、倒れる的櫨にむかって叫びながら、化け物じみた能力によって立ちはだかる郭淮と鄧艾を睨みつけた。
しかし、春蘭が如何に咆えたところで、足にけがを負った今、満足に動く事が出来る状態ではなかった。
「さて、続き…っと、どうやら邪魔な連中が来たみたいだねぇ」
「何? 」
それが分かっている郭淮は、わざと急所を外しながら、春蘭をなぶり殺しにしようとした。
とその時、郭淮の耳は、背後から向かってくる幾つもの足音を察知した。
聞こえてくる音の色から判断すると、十人前後―――既に晋軍の兵士は、許昌から逃げだしている為、郭淮はすぐさま、足音のぬしが誰であるのか、すぐさま見抜いた。
そして、その予感は見事に的中した。
「郭淮…よくも、我らを謀ったな!! 劉豹の犬風情がっ!!」
「許さん…許さんぞっ!! 鑢七花に組するものどもとまとめて葬ってくれる!! 」
「覚悟せよ、裏切り者っ!! 」
現れたのは、武器を手にした十人の男達―――七花達にやられ損なった白装束の生き残りだった。
晋軍の仕掛けた策に気付いたのか、味方である筈の郭淮と鄧艾に、怒りをあらわにしながら、剣を向けていた。
だが、郭淮は、そんな白装束の男達を冷ややかな目で一瞥した。
「面倒だね…花南、まとめて片つけるよ―――できる? 」
「う、うん…り、了解」
折角の殺し合いに水を差された郭淮は、何の迷いもなく、剣を向ける白装束の男達を敵として、皆殺しにする事にした。
そして、郭淮は、確認の問いかけと共に、それができる鄧艾に自分の得物である重藤弓を手渡した。
重藤弓を受け取った鄧艾は、郭淮の問いに、声をどもらせながら頷いた。
「恐れるな!! 如何に、弓の名手と言えど、この数で攻め込まれれば、対処できまい!! 」
と次の瞬間、白装束の男達は、武器を振り上げながら、一斉に襲いかかった。
如何に鄧艾が、弓の名手とはいえ、同時に襲いかかってくる複数の相手を同時に狙い撃つ事など出来ない。
ならば、一斉に攻撃を仕掛ければ、勝てるだろうと考えた白装束の男達であったが―――それは、最悪の選択だったと言わざるを得なかった。
なぜなら―――
「偉そうにほざくな。雑魚!! 花南、全員射ぬいとけ!! 殺し合いの邪魔だ!! 」
「う、うん…ま、真里亜の、じゃ、邪魔する奴、し、死ね…」
―――鄧艾は、同時に襲いかかってくる複数の相手を文字どおり狙い撃つことのできる弓兵なのだから!!
春蘭に背を向け、啖呵を切る郭淮の合図とともに、重藤弓を構えた鄧艾は、白装束の男立ち同じ人数分の十本の矢を番えた。
次の瞬間、普段は開ける事の無い目を見開いた鄧艾は、常人の腕力では到底不可能であるはずの、弓に番えた十本もの矢を一気に放った。
そして、ヒュンという風切り音とともに、ズブリと肉に何かが突き刺さる鈍い音が、辺りに響いた。
「そ、そんな…ば、がな…」
「な、何だと…!? 全員、まとめて、射抜いただと!! 」
同時に、白装束の男達は、郭淮と鄧艾の横を素通りしながら、次々と崩れ落ちた。
断末魔とともに崩れ落ちる十人目の白装束の男には、脳まで到達しているのか、深々と右目に矢が突き刺さっていた。
本当に同時に襲いかかってきた白装束の男達を打ち倒した鄧艾だったが、春蘭が驚いたのは、そんな些細なことではなかった。
なぜなら、鄧艾によって射殺された白装束の男達十名は、全て<右目>に矢が突き刺さって、打ち倒されたのだ!!
そんな事、偶然である筈がないし、例え、弓の名手であろうとも狙ってできる事ではなかった。
「数なんて関係ないんだよ。花南の、私の半分の前じゃ、何人いようが、敵じゃない。ただの動く的なんだよ。あぁ、そうそう…」
ただ、郭淮だけが、この結末になる事を確信していたのか、死骸となった白装束の男を踏みつけながら、嘲りの笑みを浮かべた。
そして、郭淮は、何かを思い出したかのように、春蘭の方へ振り返ると、そのまま宣言した。
「あたしの半分を化け物呼ばわりした盲夏侯とかいう的を射ぬいてなかったねぇ…覚悟はいいか、あん? 」
「くっ…」
文字通りの死刑宣言とともに、矢を番えた郭淮は、満足に動けない春蘭に向けて、鈍く光る鏃を向けた。
そして、許昌の居城においては、白装束の男達を束ねる左慈と于吉を相手取り、七花と双識の闘いが始まろうとしていた。
「八つ裂きだと…この異分子風情がっ!! 」
「速い…っ!! 俺の相手は、こっちか!! 」
まず、先に動いたのは、七花の言葉によって苛立ちが限界に達した左慈だった。
まるで地面を滑走しているような動きで、わずか数歩で間合いを詰めた左慈は、必殺の掌底を叩き込まんとした。
だが、虚刀流一の構え<鈴蘭>で待ち構えていた七花も、すぐさま、左慈の動きに反応した。
殺意を伴って迫る掌底に対し、七花は、すかさず、横に払うように手刀を繰り出し、左慈の攻撃を弾くような形で防いだ。
「ちっ…どうやら、天下無双というのは伊達ではないようだな」
「そっちこそ、ただの訳の分からねぇ奴じゃないみたいだな…双識、桃香達を頼んだ!! 」
「そうして、もらえるとありがたいね…ああいう手合いの相手は、怪我に響くから」
最初の攻撃を防がれた左慈であったが、腕を弾かれた痛みから幾ばくかの冷静さを取り戻した。
加えて、左慈は、相対する七花がただの異分子から危険な異分子である事を再認識した。
それは、七花も同じだったらしく、万が一の事を考え、桃香達が自分と左慈の戦いに巻き込まれないように、双識に于吉の相手を任せる事にした。
双識の方も、左慈の相手をするのは、怪我をした自分では骨が折れるのと、もうちょっと華琳ちゃん達と一緒にいたいので、七花に任せる事にした。
そして、七花は、今にも駆け出しそうな動の構え―――虚刀流七の構え<杜若>から、一気に左慈に突っ込んでいった。
「ならば…全力を持って、本気で殺すだけだっ!! 」
「な――――っ!! 」
と同時に、七花が踏み込んでくるのを狙っていた左慈も、七花の懐に自ら踏み込んでいった。
もはや振りかぶる事さえできない距離まで近づいた左慈は、その場で立ち止まると、徐に手の甲を七花の腹に密着させようとした。
―――やばいっ!!
これまで戦闘経験から培われた直感から、左慈の攻撃を避けようとした七花は、慌てて前足から後方に向けて踏み出した。
七花が後方に避けたと同時に、左慈の手の甲から、耳を劈くような轟音が打ち出された。
不発に終わったとはいえ、もし、七花がそのまま前進していれば、あの打撃をまともに食らって、腹の骨を砕かれるところだった。
「ちっ、仕留め損ねたか」
「あぶねぇ…こいつが、異国の拳士か」
またもや、攻撃をかわされ、舌打ちする左慈であったが、七花は異国の拳法を目の当たりにして、わずかばかり冷汗を垂らした。
先ほどの攻防において、左慈は、僅かな足さばきで間合いを詰めより、腕以外の動きだけで強力な一撃を放った。
左慈が、これまで、倒してきた白装束の男たちとは、段違いの強さを持っているのは明白だった。
そして、七花にとって、左慈は、今まで闘ってきた相手の中で、かなりの上位に位置する相手となっていた。
「四千年もの時間をかけて磨き上げられたこの拳法―――たかが数百年程度の島国拳法風情に後れを取らん!! 」
「虚刀流は、拳法じゃねぇよ―――剣法だ!! 」
七花を打ち倒さんとする左慈は、必殺の拳を叩き込まんと、再び七花に襲いかかった。
同時に、左慈の言葉を訂正しつつ、七花も、虚刀流七代目当主として、真っ向から左慈に立ち向かった。
「<活歩>の歩法に、寸頸―――なるほど、彼は八極拳の使い手ということだね」
「相手が鑢七花といえど、左慈が負ける事などありえませんよ。私もですがね、マインドレンデルさん」
七花と左慈が闘う一方、桃香と曹操を任された双識は、左慈の戦い方を評しつつ、于吉と対峙していた。
絶対の自信からくる余裕を見せる于吉は、おもむろに数枚の呪符を取出した。
だが、それでも、双識も同じように余裕を保ちながら、桃香と曹操に目を配らせた。
「さて、華―――シュッ―――も、孟徳ちゃんと桃香ちゃん…なるべく、離れないようにね 」
「ええ…だからと言って、私はどんな危機が訪れようと、体を密着させるなんて事はしないわよ。邪な期待は捨てるように」
「…神は死んだっ!! 」
なんか色々と期待していたのか、華琳の言葉に、双識は世の中のすべてに絶望するようにがっくりと膝をつけながら、悲しげに叫んだ。
本当に大丈夫なのかなぁ―――と心の中で不安になる桃香であったが、敵である于吉は、もっと微妙な顔をしていた。
「はぁ…いかに仕方がないとはいえ、やる気がそがれますね」
「おやおや、随分と余裕だね。あまたの死線を潜り抜けてきた、この二十人目の地獄と称される零崎―――」
ため息を漏らす于吉に対し、双識はすぐさま立ち直ると、于吉にむかって対峙した。
未知なる技を使う于吉に対しても、双識が余裕を崩さないのには、訳があった。
いかに道術を使うといえど、そこに殺意があるならば、零崎一賊はおろか、<殺し名>属するものであるなら、十分に対応できるからだ。
どんな物理的現象が生じるよりも先に、攻撃的意思を把握し、対処できるからこそ、<殺し名>にとって、道術による攻撃など、同じ飛び道具の銃器による攻撃となんら大差はない。
「では、このような趣向はいかがですか?―――発!! 」
「―――あつっ!? って、いない…? 」
だが、そんな事など、双識たちを呼び込んだ于吉にとって、百も承知だった。
于吉がおもむろに数枚の呪符を投げつけた瞬間、双識らにむけて、呪符から勢いよく熱気を帯びた蒸気が噴き出してきた。
吹き付けられた蒸気に思わず目をそらす双識達であったが、幸いにも火傷を負うほどのものではなかったのか、すぐさまあたりを見渡した。
だんだんと視界が明らかになっていく中、そこに于吉の姿はなかった。
「あの人、逃げちゃったの? でも、何処に…(カチッ)…え? 」
「…危ない!? 」
「え―――ドォン!!―――きゃっ…!! 」
姿を消した于吉を探そうとする桃香であったが、不意に何かのスイッチが入る音が聞こえてきた。
とここで、何かを察知した双識があわてて、桃香を庇うように地面に伏せると同時に、何かが破裂するような音があたりに響いた。
突然のことに訳が分からない桃香であったが、双識の姿を見て、思わず驚いた。
「そ、双識さん…肩が…!! 」
「ああ、まったく…とことん研究し尽くしてるわけだね」
『その通りですよ、マインドレンデルさん』
いつのまにか双識の肩がわずかに削れ、その傷口から血が滴るように流れていた。
何が起こったのか分からないでいる桃香に対し、桃香を庇った双識は、厳しい目つきでつぶやいた。
とここで、何処からともなく、于吉の声だけがあたりに響いてきた。
『言ったはずですよ? 色々と知っていると―――当然のことながら、<殺し名>がどのような存在であるかということもね』
「ふぅ…なるほど、これは予想しておくべきだったね、道士君」
姿を現さないまま、獲物が罠に引っかかった事に喜悦を含んだ声で喋る于吉に対し、双識は自分の迂闊さを改めて認識することとなった。
もし、于吉たちが、双識達をこの世界に招いた張本人であるなら、当然、双識達についての情報も、ある程度知っていて、当然なのだ。
ましてや、零崎一賊初の離反者である儒識からも、対処法を聞いているはずなのだ。
殺意のある攻撃ならば、銃器が通用しない<殺し名>といえど、殺意なき武器―――ゴム弾などの非殺傷銃器並びに、先ほど于吉が仕掛けた地雷式の呪符など人の意思を介さない兵器に対しては対処できないということを!!
『どんなに恐れられていようと、殺人鬼ごときに負けるつもりなど毛頭ありません。さぁ、足手纏いを庇いながら、自慢の得物がないまま、対処できない攻撃に怯えながら…あなたが死ぬのを待つとしましょう』
自らが手を下すことなく、双識を倒そうとする于吉に対し、双識は――――
「ふ、うふふふ…うふふふふふふふふ…」
「…何がおかしいのですか? 」
「―――全く随分と命知らずな真似をしてくれるものだ―――このマインドレンデルを相手に、罠にはめてくれるなんて、馬鹿馬鹿しい」
――――それがどうしたと言わんばかりに、笑っていた。
追い詰められているとは思えない双識の反応に、訳が分からない于吉は怪訝な口調で問い詰めた。
それに対し、いつに間にか、肩の傷の応急処置を終えた双識は、大きな勘違いをしている于吉にむかって、はっきりと言い放った。
「随分と調べたものだけど、これだけは知らなかったみたいだね。零崎双識にとって、<自殺志願>を使わない方が、圧倒的に強いと言う事は―――!! 」
そして、<二十人目の地獄>の一つ名でもって呼ばれていた零崎双識の本気でもって―――
「―――それでは、零崎を始めよう」