=許昌=
一方、<晋>によって占拠された許昌にある曹操の城では―――。
「…やってくれたな、お前ら」
「ああ、やったが? 鑢軍と曹操軍に大損害を与える事が出来た」
洛陽決戦に於いて、姿を見せた白装束の男達を引き連れた、短髪の青年と眼鏡の青年の前で、七花によって、あばら骨を折られた徐晃は、龐徳に傷の手当てをしてもらいながら、話をしていた。
今回の一件で、こめかみを引き攣らせながら、怒りを抑えようとする短髪の少年の言葉を、軽くあしらうように、徐晃は、許昌から脱出しようとする許昌に住む民の集団を見ながら、そっけなく答えた。
徐晃のこちらを舐めきった態度に、短髪の青年は、感情に任せて、怒鳴りつけた。
「…っふざけるなぁ!! 本来ならば、曹操軍によって、鑢軍を打ち破り、鑢七花を殺す筋書きだったはずだ!! 」
「それについては、この戦で鑢七花が不在だったのと、力不足の曹操軍に代わり、我ら晋軍が、鑢軍を打ち破った。曹操軍を巻き込む形で、大損害を与えたが、問題あるまい。」
「…貴様っ!! 」
しかし、今にも殺さんといきり立つ短髪の青年に対し、あくまで、徐晃は、事実だけを伝えて、軽く受け流した。
尚も、くって掛かろうとする短髪の青年だったが、ふいに眼鏡の青年が、これ以上は殺し合いになると判断し、間に割って入った。
「左慈。そこまでです…これ以上の話し合いは、殺し合いによる話し合いでしか、あまり望めないでしょう。さすがに、それは避けたいところです」
「…ちっ」
「ほう…話が早いな、于吉。理解力があって、うれしい限りだよ」
激高する短髪の青年―――左慈を、眼鏡の青年―――于吉は、溜息をつきながら、仲間割れをおこす愚を諭しながら、宥めた。
その様子を、左慈を挑発した張本人である徐晃は軽く冷やかに笑いながら、見ていた。
「ですが、これ以上のプロットの逸脱は、見過ごせません。今後は、私達の方で、進行を進めさせてもらいます。よろしいですね? 」
「ああ、好きにしろ。ただし、こちらは、一切手出しをしないつもりで、構わないならの話だが」
「ええ、構いません。それでは、失礼させてもらいます」
徐晃の冷やかな視線に気付いた于吉は、これ以上の暴走を防ぐために、徐晃に自分達が中心となって、動く事を告げた。
ある程度予測していた于吉の牽制に対して、徐晃は、自分達は一切手を貸さない事を付けくわえつつ、しぶしぶ承諾した。
そんな徐晃の態度に、ある程度は溜飲を下げた于吉は、徐晃に向けて、殺気を放つ左慈を連れて、その場を後にした。
「はん…負け犬どもが。龐徳、次の戦支度だ」
「徐晃、激動傷開。今後、戦闘不可」
「…はん、この程度、かすり傷の内にも、入ら…」
「絶対、不許可」
左慈と于吉が去った後、徐晃は見下すように、悪態をつきながら、于吉との約束など忘れ、戦の準備に取り掛かろうとした。
しかし、徐晃の手当てをしていた龐徳は、徐晃の負った傷が充分に戦えるほど、浅くないと判断し、徐晃の参戦を許さなかった。
七花との一騎打ちに不満を感じていた徐晃は、なおも食い下がろうとするが、絶対に行かさないと、まっすぐに睨みつけてくる龐徳の表情を見て、不承不承頷くしかなかった。
「分かった…まぁ、元より、于吉と左慈、そして、時雨がいる以上、我らの出る幕ではないからな」
「肯定…誰、来?」
頑固な同僚に呆れつつも、徐晃は、次の戦を任せる事になる于吉、左慈、時雨の三人で事足りると、負け惜しみのように言った。
徐晃の言葉に頷く龐徳であったが、人の気配を感じ、部屋の扉の方に目を向けた。
「…ただいまがお」
「虎翼か。遅かっ…た…な? 」
徐晃は、帰りの挨拶についてきた<がお>の語尾で、部屋に入ってきたのが、呉軍の足止めをしていた虎翼と分かった。
鑢軍と曹操軍の蹂躙が終わった後も、中々戻ってこなかった虎翼に、徐晃は何があったのか、顔をあげて、尋ねようとした。
そして、次の瞬間、徐晃は、背中からダクダクと血を流しながら、平然とした虎翼の姿に思わず固まった。
「怪我、重傷!!早急、措置!!…何故!? 」
「あーちょっと、困ったことがあってがお…」
明らかに致命傷と言える傷を負った虎翼に、龐徳は大慌てで、傷の手当てをしつつ、呉軍相手にこれほどの重傷を負った理由を尋ねた。
尋ねられた虎翼は少し恥ずかしげに、頬を掻きながら、苦笑いをしつつ、答えた。
晋軍が桃香と曹操の降伏を認めた事で、呉軍を足止めする必要がなり、虎翼もそうそうに切り上げて、本陣に帰ろうとした。
しかし、防戦とはいえ、白鷺と萌太の二人を相手に、簡単に切り上げられるはずもなく、かといって、呉軍を全滅させるわけにもいかなかった。
結果として、戦いは、泥沼状態となり、虎翼と呉軍は、きっかけがなければ、戦闘が終わらない状態に陥っていた。
ちょうど、そこに反対方向からやってきた女の子乗せた虎を見つけ、虎翼はある事を思いつき、その虎に斬りかかった。
そして、反射的に反撃してきた虎にわざと背中を切り裂かせ、その怪我を理由に、虎翼は戦いを止める理由を作り、帰ってきたのだ。
「…ということがあったんだがお。…どうかしたがお、徐晃? 」
「そうかそうか…さっさと、この馬鹿を治療してやれ、龐徳」
話を聞くにつれ、顔しかめていく徐晃に、虎翼は不思議そうな顔をした。
一方の、徐晃は、予想外の戦力低下に、頭を抱えつつ、投げやりに返事を返した。
何気に晋軍を支える二人の将が、戦闘不能状態になったところで、恋姫語、はじまり、はじまり
第32話<百万一心>
「桃香が捕まったって…本当かよ、愛紗!! 」
「…事実です。あの時、すでに、我が軍にも、魏軍にも戦力は残されておらず、全滅も時間の問題でした。だから、桃香様は、皆を助けるために…」
「そんな…」
目を合わせる事もなく、俯いたまま、事実を伝える愛紗の言葉を聞き、七花は予想以上に深刻な事態になっていた事を知り、愕然とした。
とここで、愛紗は徐に立ち上がると、七花の後ろに隠れるように立っていた恋の前で立ち止まった。
そして、愛紗は、声を荒げることなく、静かに、しかし、沈黙を許さないという重圧を含んだ口調で問いただした。
「なぜだ、恋…? なぜ、御主人様を連れて、出ていったんだ…」
「うっ…だって、ご主人様を取られるから…恋は、ご主人様のことが好きだから―――バチーン!!―――っ!! 」
愛紗の問いに、恋は、珍しく表情を曇らせ、怯えながら、たどたどしく、正直に答えた。
そして、恋の答えに、これまで鬱積していた愛紗の感情は一気に爆発することになった。
愛紗は、顔をあげると、涙目になりながら、恋を睨みつけ、いきなり、恋の頬を平手打ちした。
「ふざけるなぁ!! お前が、お前さえ余計な事をしなければ、こんな事にはならなかったんだ!! 後一人、陣を守る将がいれば、ご主人様さえいれば…桃香様を守り切る事は出来たはずなのだ!! 多くの兵が死ぬこともなかったはずなのだ!! お前の、お前のせいだ!! 」
「…!! 」
大きな声で怒鳴りつける愛紗の気迫に押され、頬をはらした恋は思わずたじろいだ。
確かに、曹操が単騎で乗り込んだ際、七花がいれば、やすやすと曹操を討ち取ることができたであろう。
さらに、晋軍が攻め込んできた時も、桃香を連れ去られる事もなく、最小限の被害ですんだかもしれない。
戦に、もしもやだったらという仮定は、無意味かもしれないが、愛紗の言うとおり、恋の仕出かした事は笑って済ませられる次元をはるかに超えていた。
「あの時、虎牢関での、私の判断は間違いではなかっ…」
「愛紗!! そこまで言う必要はないだろ!! 恋だって、悪気があったわけじゃないんだし」
尚も、恋を糾弾しようとする愛紗であったが、これ以上は見るに見かねないと、七花が間に入って、愛紗を宥めようとした。
だが、それは、今の愛紗にとっては、逆効果だった。
「なぜ、そうまでして、恋を庇いだてするのですか、ご主人様―――いえ、七花殿?」
「愛紗…?」
「七花殿にとって、桃香様は!! 兵は!! 民は!! 国は、どうでもいいとでも、おっしゃるのですか!!そんなにも、恋の事が大事なのですか!! あなたの背負っているモノはそんなにも軽いモノなのですか!! あなたが、もっと自覚を持ってくだされば…!! 」
身勝手な行動で、鑢軍を窮地に追いつめたのに、尚も恋を庇いだてする七花に、愛紗は容赦なく、声を荒げて、怒鳴りつけた。
乱世に苦しむ民を、国を救うために戦う愛紗にとって、今の七花は、民や国を軽んじ、一人の女に現を抜かしているようにしか見えなかった。
そして、今の愛紗は、民と国を支える臣として怒りと、その怒りとは相反する感情―――恋に対する嫉妬に心を乱していた。
どうして、そんな女を庇いだてする!!
どうして、そんな女を愛する!!
そんな女より、私の方が―――!!
「愛紗…そこまでだ。それ以上は、我らが主を侮辱することになるぞ」
「いくら、何でも、これ以上は、聞いちゃいられねぇからな」
とここで、これ以上は本当に不味いと判断した星と翠が、主である七花にすら激高する愛紗を咎めた。
「星、翠…お前達まで、恋を庇いだてするつもりなのか!! 恋の、この女の性で、我らは!!」
「…ならば、恋を責めたところで、桃香様が戻ってくるというのか?」
「それはっ…!!」
予想もしなかった星と翠の仲裁に、なぜ、自分が咎められるのかと、愛紗は、声を荒げながら、星と翠に喰ってかかった。
ひとまず、星は、愛紗を落ち着かせるために、道理を含めた正論でもって、激高する愛紗を抑えた。
「そうじゃないだろ、愛紗。今、あたしらのすべきことは、どうやって、桃香を助けるかってことなんじゃないのか?」
「そんなことは、分かっている…!!だが…!!」
続けて、翠も、今は、恋を責めるよりも、桃香を助ける事が先決である事を、愛紗に諭しつつ、宥めた。
星と翠の言葉に、さすがに冷静になったのか、愛紗も不承不承ながら、事実を受け入れ、納得するしかなかった。
今にも、内部分裂寸前の状況ではあったが、事態をどうにか打開しようと、年長者である紫苑は、雛里に、晋軍によって、痛手を受けた鑢軍の状況を尋ねることにした。
「…雛里ちゃん。いま、残っている私達の兵は、どのくらいなの?」
「半数ほどです…でも、殆どの人達が、怪我を負っていて、まともに戦えるのは、ほぼ4割程度です」
紫苑の問いに、あまりに絶望的な状況に、表情を曇らせていた雛里はうなだれるように答えた。
鑢軍の軍師達にとって、鑢軍の残存兵力では、許昌を占拠したであろう晋軍と一戦交えるには、あまりにも戦力が足りなさ過ぎていた。
「そうね。必然的に城攻めになるから、向こうの兵力を考慮すると、こちらの兵数が圧倒的に足りないの。しかも、あいつらは、見た事のない新兵器を装備しているから、一人一人の、兵の質だって、話にならないわ…」
「この状態で、あいつらの占拠した許昌に向かったところで、返り討ちにあうだけってわけか…やばいじゃん…」
雛里に追従するように、詠もまた、許昌へ攻め込む事に難色を示した。
孫氏の兵法でも書かれているように、城攻めというのは、自軍の被害が最小限におさえることが中々できない。
さらに、敵の兵力がこちらを上回っているなら、それはただの自殺行為に過ぎない。
そして、晋軍の新兵器―――火縄銃は、威力と射程範囲が、弩や弓矢とは比べ物にならないほど、ずば抜けている為、例え、攻め込んだとしても、城に攻め込む前に狙い撃ちにされ、全滅するのが関の山だった。
八方塞がりともいえる状況に、普段はおちゃらけている蒲公英も、さすがに顔を青ざめるしかなかった。
「そんな事、関係あるか!! 私は、今からでも、桃香さまを助けに行くぞ!!」
「鈴々もなのだ!! 朱里、鈴々達に兵を預けてほしいのだ!!」
しかし、桃香を慕う焔耶と、桃香とは義姉妹の契りを結んだ鈴々の二人は、桃香を助ける為なら、道理すら退けるといわんばかりに、いきり立った。
焔耶と鈴々は、武器を手にすると、朱里に兵を預けるよう頼んだが、朱里は、首を横に振って、却下した。
「…駄目です。許可できません。ここは、相手の出方を窺ってからです」
「そんなのまってられないのだ!!」
「それとも、貴様は、桃香さまがどうなってもいいとでもいうのか!!」
朱里としては、晋軍と戦おうにも、正攻法では勝ち目がない為、あくまで、晋軍の出方を見てから、動こうとしていた。
しかし、鈴々や焔耶にとっては、桃香の身を案じ、そのような悠長な事をしている時間はないと、朱里に強く非難した。
さらに、気持ちの高ぶった焔耶が、怒り任せに罵声を浴びせ、うなだれたままの朱里を問い詰めた。
次の瞬間、朱里は徐に立ち上がると、キッと焔耶と鈴々を睨みつけると、大粒の涙を流しながら、喉が張り裂けんばかりの涙声で言い返した。
「どうでも、どうでもいい訳なんかありません!! 私だって、今すぐ、桃香様を助けに行きたいです!! でも…どう頑張って、考えたって、方法がないです!!どれだけ、犠牲を払っても、桃香様を今すぐ、助ける事なんて、できないんです!!」
鈴々と焔耶と同じく、出来る事なら、朱里も、感情の部分では、今すぐにでも、許昌に攻め込んで、桃香を助けたかった。
しかし、軍師としての理性が、すぐさま、桃香を今すぐ助ける事は無理だと、告げるのだ。
―――桃香を助けたい。
―――兵力がまるで足りない。
―――それでも、桃香を今すぐ助けたい。
―――結局、みんな、犬死するだけだ。
―――策を、方法を考えれば!!
―――どれも不可能、どの方法も無理、無謀、無謀、無謀、無謀、無謀!!
―――考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考え尽くせ!!
そして、あらゆる方法を思案して、朱里の頭脳が、導き出される答えはただ一つ―――晋軍の動きを待つしかなかった。
それは、責任感の強い朱里を打ちのめすには、充分な答えだった。
「助けなきゃいけないのに、考えて、策を巡らして、出てくる答えは、どれも駄目で…!! 私は、軍師なのに、策を考えなきゃいけなのに…!!何で…!!」
「あ…す、すまない…」
「朱里…ごめんなのだ…」
軍師として何もできない事を突きつけられた朱里は、自分の無力感に苛まれ、泣き崩れるしかなかった。
これには、焔耶と鈴々も、状況の悪さと朱里の苦悩を察したのか、武器を置くと、すぐに謝った。
「お主ら…少しは落ち着け。今、焦って、軍師殿を責めたところで、良い考えが浮かぶ訳でもあるまい…」
「…とはいえ、それは、向こうも、同じみたいだけどな」
桔梗も、朱里を刺激させないように、いつものどなり声を出す事はなかったが、今にも飛び出しかねない血気盛んな焔耶と鈴々を静かに窘めた。
とここで、蝶々は、鑢軍と同じく、総大将を捕縛される事になった、敵であった曹操軍の将達に目を向けた。
「霞ぁああああああ!!貴様ぁ、なぜ、華琳様を止めなかった!!」
「落ち着け、姉者!!今、霞を責めたところで、何もならん!!」
事の真相を聞かされた夏侯惇は、この場にいる中で、唯一、戦の前に曹操から全てを聞かされていた張遼に、怒りをあらわにしながら、問い詰めた。
曹操を慕う夏侯惇にしてみれば、無謀な作戦に手を貸したあげく、まんまと晋軍に曹操を捕縛された、張遼の失態を許せる筈がなかった。
激高する夏侯惇を、止めようと、夏侯淵が間に入るも、夏侯惇の怒りは収まる事はなく、今度は、筍彧ら軍師達に、矛先を変えた。
「止めるな、秋蘭!! それに、柱花、稟、風…お前達も、なぜ、気付かなかったんだ!! それでも、魏の誇る軍師なのか!!」
「「「…」」」
「姉者…それ以上は…!!」
「だが、秋蘭!! 柱花達が、華琳様を止めていれば、こんなことには―――パンっ!!―――いっ!!」
夏侯惇は、いくら罵られても、沈黙を通す筍彧らに、侮辱されたと思い、苛立ちを募らせていった。
必死になって夏侯淵が落ち着かせようとするが、夏侯惇は、構うことなく、怒りに任せ、筍彧らの責任を追及しようとした。
その瞬間、何も分かっていない夏侯惇の暴言に、遂にブチ切れた夏侯淵は、平手打ちで、夏侯惇の頬を反射的に、思いっきり引っ叩いた。
「え、秋蘭…?」
「ならば、姉者こそ…!! 姉者こそ、なぜ、勝手に軍を抜け出したりしたんだ!! そうであったなら、華琳様自ら、斬りこむ事など無かったのだ!!」
「な、どういう事、なのだ…? 」
怒りで我を忘れていた夏侯惇であったが、予想だにもしなかった夏侯淵の平手打ちを受け、思わず、怒りさえ忘れて、唖然とした。
呆ける夏侯惇に、夏侯淵は、普段の彼女からは想像できないほど、感情に任せ、厳しく叱咤した。
どういう事なのか訳が分からない夏侯惇だったが、郭嘉と程昱が詳しい事情を説明する事にした。
「本来なら、この敵陣に斬りこむ役目は、春蘭…華琳様は、あなたに任せるつもりだったんです。鑢軍の将を分散させるのに、ほぼ全ての主力武将を廻したため、本陣に攻め込む将として、あなたを…」
「霞さんに及ばなくても、破壊力に関してなら、春蘭さんより上の方はいませんからねぇ~それに、朱里さん達にも聞きましたが、春蘭さんが、華琳様の不評を買って、重用されなくなったから、完全に視野に入っていなかったみたいですしぃ~」
「何だと!?」
郭嘉と程昱の説明を聞いた夏侯惇は、初めて知らされた曹操の思いやりに驚くしかなかった。
武将にとって、一番の名誉挽回の手段は、武功をあげる事に他ならない。
だからこそ、曹操はちゃんと用意してくれていたのだ―――兵卒に落とされた夏侯惇が、武功をあげる為の晴れ舞台を、もっとも信頼できる将にしかできない仕事を!!
「でも、春蘭…あんたが、勝手に軍を抜け出したせいで…!! 将が足りないから、華琳様が、自ら出るしかなかったのよ…!! あんたが、あんたが、勝手なことして、華琳様の作戦を滅茶苦茶にしちゃったせいで…!! 責任取りなさいよ、役立たず!!」
「そ、そんな…私は…」
それまで、夏侯惇に一方的に責められた反動と、肝心な時に曹操を守れなかった自身の不甲斐なさを交えながら、筍彧は、夏侯惇の前で、顔をゆがめるほど、泣きじゃくり、声を張り上げて、只管に強く責めた。
何も分かっていなかった、何一つ理解していなかった―――自身の浅はかさと犯した罪、支払った代償の大きさに気付かされた夏侯惇は、言いわけさえする余裕を無くすほど、言葉を失った。
「ちょ、どこいくや、軋識…!!」
「決まってるちゃ。許昌に乗り込んで、レンと、まぁついでに、曹操を助けにいくちゃ」
とそれまで、夏侯惇らとのやり取りを黙って見ていた軋識は、<愚神礼讃>を手にすると、徐に立ち上がった。
慌てて、軋識を呼び止めた李典に、軋識は、晋軍に囚われている双識と曹操を助けに行くと言い出した。
「助けるって、軋識にいちゃん一人で行くつもりなの!!」
「無茶ですよ!! 軋識さんだって、怪我してるじゃないですか!!」
「そうなのー!! 無理しちゃ駄目なのー!!」
「問題ないちゃ…この程度…そこ、どくちゃ」
これには、許緒や典韋、于禁らも大慌てで、許昌へ向かおうとする軋識を止めに入った。
鑢軍との戦の中、蝶々との戦いで、軋識は万全とは程遠い状態にまで、負傷していたのだ。
しかし、軋識は、許緒らの言葉に耳を貸さず、押しのけるように、許昌へ向かおうとした。
「駄目です。今の状態で行っても、犬死になるのが…!!」
「知った事かっちゃ!! レンを、家族を助けにいくっちゃ…どけちゃ!! 」
尚も、死地へと赴く軋識を、止めようとする楽進であったが、軋識は、いきなり、得物である<愚神礼讃>を、楽進に突きつけた。
如何に殺人鬼である零崎軋識とて、許昌に待ちかまえる晋軍に太刀打ちできない事など百も承知だった。
しかし、同時に零崎一賊として家族の、双識の危機を見過ごす事など、軋識にはどうしても、できなかった。
まして、それが、かつて、軋識が、双識の窮地へ駆けつける事の出来なかったなら、なおさらだった。
無理にでも、押し通ろうとする軋識であったが、ここで、思わぬ横やりが入った。
「ふんっ!!」
「がっ…!! て、てめぇ…」
不意に何かを感じた軋識であったが、軋識が反応するより早く、蝶々は、軋識にあてみをくらわせた。
不意を突かれた軋識は、意識が途切れる直前に、蝶々を睨みつけ、恨みがましく呟きながら、崩れ落ちた。
「これでいいか? 」
「…すみません。ありがとうござます」
「礼はいいさ…本当なら、殺し合っていたんだからな…それから、うちの軍師から、あんた達に提案だ」
手段はどうあれ、軋識を止めた蝶々に対し、楽進は礼を述べた。
それを軽く返した蝶々は、今後の事について、朱里からの言伝を、曹操軍の面々に伝えた。
「晋軍に囚われている桃香と曹操、双識を奪還する為に、俺達と手を組むつもりはないか?」
それは、晋軍に対抗する為に於いて、最上の策―――鑢軍と曹操軍との共同作戦の申し出だった。
その翌日の朝、晋軍の占拠により、ほぼ全ての人間が逃げだした許昌は、不気味なほど、ひっそりと静まり返っていた。
「…えっと、捕まっちゃたけど…皆、無事だといいね、曹操さん、双識さん」
「そうね…まぁ、そう簡単に約束を反故するような連中じゃないでしょうけど」
「皆も怪我してなきゃいいけどね…ところで、なんで、僕だけ、鉄鎖で体中をグルグル巻きにされて、こんなに手枷をはめられているわけ?」
そんな中、桃香と曹操は、差し出された食事を食べ終え、身動きの取れない双識を放置しつつ、皆の身を案じていた。
現在、晋軍に捕まった桃香と曹操、双識は、一時、曹操の居城に幽閉されていた。
とはいえ、劉豹の意向により、桃香らは、牢屋に閉じ込められている訳ではなく、見張りは付けられているものの、曹操の私室にて、ほぼ自由に行動できるよう取り計られていた。
ちなみに、双識は、曹操の意向で、身動きが取れないように、頑丈な鎖と手枷で拘束されていた。
「はぁ…まんまと出し抜かれたわね。まさか、五胡の連中が、ここまでやるとはおもっていなかったわ」
「うん…そうですね…」
「あれ? 無視された? もしかして、無視されているのかなぁ?」
ある程度の対策はしてあったものの、晋に首都を乗っ取られた曹操は、自分の甘さに自己嫌悪を覚え、酷く憂鬱な態度で、溜息をもらした。
そんな曹操の言葉に頷く桃香と、見事に無視されている双識。
とそこに、今回の戦で、晋軍を指揮しているであろう五胡王・劉豹が、趣味である朝の掃除をしていたのか、箒とちり取りを持って、部屋に入ってきた。
「どうも、すみませんね。ちょっとゴタゴタしていて、充分なもてなしができなくて…」
「劉豹…随分と結構なおもてなしね。五胡では、人の家を奪って、もてなすのが流儀なのかしら?」
「それを言われると、結構心痛いなぁ…ほんと、ごめんなさい」
掃除をしながら、桃香らに罰悪そうに謝る劉豹に対し、一番の被害者である曹操は、人の悪い笑みを浮かべながら、やんわりと皮肉で返した。
曹操に痛いところを突かれた劉豹は、ただ申し訳なさそうに、苦笑するしかなかった。
「…この私を出し抜いたから、どんな謀略大好き冷酷非道腹黒男かと思ったけど、随分とすっとろい男ね。後、あなたの書いた本、結構冗長で、つまらないわね」
「ひ、酷い言われようだなぁ…まぁ、乗っ取りについてはただ謝るしかないけど…」
想像していた人物像とはかなりかけ離れた劉豹の態度に呆れつつ、軟禁される際に、暇つぶしでもと、劉豹に渡された本―――劉豹直筆の歴史を題材にした小説をつまらなそうに酷評した。
相当自信があったのか、小説の出来栄えを酷評され、劉豹は、情けない声を出しながら、落ち込んだ。
とここで、残された愛紗らの事が気になっていた桃香は、落ち込んでいる劉豹に尋ねてみる事にした。
「あの、劉豹さん。皆はちゃんと無事なんですか?」
「はい、大丈夫ですよ。龐徳さんなら、そうした約束は守る人です。私が保証しますよ」
「そうですか…」
一先ず、愛紗らが無事である事に、桃香は少しだけ安堵したが、同時に気になる事があった。
本当に、この気の弱そうな、見るからに頼りない人が、なぜ、同盟を組んでいる筈の曹操達を裏切ったのか?
もしかしたら、何か、深い事情があるのではと思い、桃香は、それを聞かずにはいられなかった。
「あの、もう一つ、良いですか?」
「ええ、構いませんよ」
さらに質問を重ねる桃香に、劉豹は笑顔で了解すると、桃香は意を決して、劉豹に尋ねた。
「どうして、曹操さん達を裏切ったんですか? 曹操さんに教えてもらったんですけど、五胡は、魏と同盟を結んでいる筈じゃ…」
「どうしてか…元々、五胡は、司馬懿殿のツテで、魏の手伝いをしていたので、同盟を結んでいたわけじゃないんです。それに、魏が、僕達の理想の障害となりそうだったので、早めに排除したかったというのもあるのですがね」
まっすぐに自分を見据えて、問いを投げかけてくる桃香に、劉豹は、落ち込むのを止めると、すぐさま掃除用具を立てかけた。
そして、反対側の席に、真正面から、桃香を見据えるように、椅子に腰かけた。
劉豹は、まず、五胡が本当に組んでいた司馬懿である事を伝え、最初から、曹操軍を潰す計画だった事を伝え、静かに自分の胸の内を語り始めた。
「曹操さん、劉備さん…僕はね、物書きになりたかったんだ。私の書く物語で、笑顔を作り、皆の心を楽しませれば、それで良かった。だけど、今の世は乱世。それでは、それもままならない」
「ええ、そうね。だからこそ、この曹猛徳が、天下を治める必要があるわけよ」
劉豹は、曹操に酷評された著書を手に取りながら、夢を追いかけていた昔を懐かしむように、そして、夢をあきらめざるを得ない現状を嘆くように、悲しげに言った。
それに対し、曹操は自身の覇道こそ、乱世を終わらせると豪語するが、劉豹は静かに首を横に振った。
「それは無理だね。歴史を学んで、分かった事だけど、皇帝というたった一人の人間が、背負うには、天下と言うものは、あまりに重すぎるからね」
「…曹猛徳では、天下を背負うには、役不足だというつもり?随分と軽く見られたものね」
これまで、多くの王や皇帝がこの中華という地で、天下を一つにまとめ上げてきた。
しかし、ただ一人の人間に、天下の全てを背負わせる事自体が、異常なのではないか?
歴史の学ぶ事で、劉豹は、その事実に気付き、この異常こそが、乱世を引き起こす歪みではないかと考えていた。
それに対し、曹操は、天下を背負う覚悟決めた曹操の覇道を否定したともいえる劉豹の言葉に、不快に感じながらも、表情に出すことなく、逆に笑みを浮かべながら、冷静に切り返した。
「なるほど。確かに、君ほどの器量なら、天下を背負う事が出来るかもしれない。けれど、君は、曹猛徳とはいえ、永遠に生き続けられるわけじゃない」
「…!!」
「そして、その後継者は、曹猛徳ほどの器量を持っていないと考えるのが、妥当じゃないかな」
自分こそが天下背負う事のできる者だと主張する曹操に対し、劉豹は、曹操の器量は認めるも、一人の背負う天下の脆さを追求した。
確かに、曹操ほどの器量の持ち主なら、生きている内は天下を支える事ができるかもしれない。
しかし、曹操が死んだ後は、どうだろうか?
はたして、その後継者は、曹操ほどの器量を持つ者なのだろうか?
答えは、否であろう―――曹操ほどの器量の持ち主など滅多に現れる事など無いから、傑物と言われるのだから。
「ならば…なら、王を否定するあなたの目指す天下とは、何だというのよ!!」
「百万一心―――この中華に住む全ての民、一人一人が自分自身と言う国の君主となり、心を一つに天下を支える。これが、歴史を学び、歴史を知り、考え付いた答え。僕達の目指す天下だよ」
「なっ…!!」
これまで歩んできた自身の覇道を否定され、激高する曹操の問いに、劉豹は、曹操の問いに答える形で、自身の掲げる理想―――百万一心による天下統一を堂々と言い切った。
これは、一人の王が天下を支えるのではなく、この中華に住む多くの民によって、天下を支える―――現代で言うところの、民主主義の原点と言うべきものだった。
これまで、誰も考え付かなかったであろう答えに、唖然とする曹操に対し、桃香は目を輝かせながら、立ちあがって、歓喜した。
「すごい…すごいです、劉豹さん!!これなら、皆が笑って暮らせる国が出来るよ!!」
「…って、劉備!!あなたは、どっちの味方なのよ!!」
「あ、で、でも…私は、皆が笑って暮らせる国をつくるなら、これが正しいと思うの」
半ば呆れ交じりの曹操にたしなめられながらも、桃香は劉豹の出した答えに賛同しつつあった。
一人一人が、心を一つにし、互いに協力しながら、国を支える事で、無益な戦を無くす事が出来るのだから、まさしく、桃香の理想に最も適した答えだった。
「民主主義政治の確立…まさに、時代を何世紀も前倒しにした偉業だね」
「そうだね…法律もそれなりに改善しなければいけない。それに民にも、文字の読み書きなどを教える教育制度も作る必要がある。だから、まず―――」
「うん、うんv」
この中で、唯一、現代の知識を持った双識は、劉豹の掲げる理想を理解し、同時に、それがどれだけ困難であるかも理解していた。
さすがに、それも劉豹も分かっているのか、必要となってくる政策をあげつつ、当面のなすべき事を語った。
桃香は、笑顔で頷きながら―――
「―――大規模な戦を起こして、この中華に住む民の八割は死んでもらわないといけないね」
「うん―――えっ?」
―――劉豹らの恐るべき計画に凍りついた。
「ちょっと待ちなさいよ!! 劉豹、あなたは、民の心をまとめると嘯きながら、民を殺すというの!?」
「うん、そうだよ。だから、私達は、晋という国を立ち上げ、大義名分さえあれば、もっとも大量の人を殺す事が出来る方法―――戦争を仕掛けてきたのさ」
先ほどまでの理想とは大きく矛盾する劉豹の言葉に、曹操は、酷く驚きつつも、虐殺宣言をした劉豹を問い詰めるた。
しかし、劉豹は、狼狽するどころから、態度を全く変えることなく、曹操にいたって平然と答えを返した。
それを見た桃香には、なぜ、そのような酷い事を平然と言えるのか、まったく理解できなかった。
「な、何で…何で、そんなひどい事が出来るんですか!! 劉豹さんは、皆の笑顔が見たかったんじゃないんですか!!」
「そうだよ。だけど、教育を整えようとしても、人の数が多すぎて、対応しきれない。それに、儒教の徳治政治を、絶対とする今の中華では、異端とも言うべき百万一心による政治が、浸透するには数百年単位の時間がかかる。それでは、遅すぎる」
「なるほどね…その数百年の前倒しの為、この時代で、戦争を仕掛けてきたんだね。自らを、悪役として任じながら…」
必死になって問い詰める桃香に対し、劉豹は戦争による粛清の必要性を言いつつ、簡単に答えた。
確かに、劉豹の言うとおり、後の歴史に於いて、中国では、億単位の人口の多さと、法よりも徳を優先する儒教の教えにより、民主主義政治を確立することが出来ない要因として挙げられている。
だからこそ、劉豹は、もっとも人口が減り、尚且つ古くからの政治基盤を打ち砕く事が出来る今だからこそ、戦争を仕掛け、動いたのだ。
現代の知識を持つ双識も、劉豹の目論見に気付きいた―――そして、劉豹が、その変革で生み出されるを、負を一身に背負うつもりだという事も。
「…僕は、稀代の暴君として、悪名を残す事にはなるだろうね。だけど、それだけの価値がある。なら、僕は喜んで、そのそしりを引き受けよう―――数百年、数千年の未来の為、その時代に生きる人たちの為に、乱世の暴君として、この中華を治めるつもりだよ」
「…っ!!」
この中華の未来の為に、あらゆる業を背負うと宣言した劉豹を前に、曹操は圧倒され、何も言えなかった。
今の乱世を治める事を信念としていた曹操にとって、はるかな未来を見据えた劉豹の器量に、その為に悪名さえも被る劉豹の理想を言い負かせる言葉など持っていなかった。
勝てない―――曹操の心は、もはや崩れ去る寸前だった。
だが、この中で、一人だけ、劉豹に異を唱える者がいた。
「…間違ってます」
「劉備…?」
「そんなの、そんなの絶対に間違ってます!!」
普段は、滅多に怒る事のない桃香が、怒りに打ち震えながら、はっきりと劉豹のやろうとしている事をはっきりと否定した。
正直なことをいえば、桃香は、皆が天下を支えるという劉豹の理想は良い事だと思った。
だが、その理想を実現する為に、やろうとする事は、桃香は絶対に、認める事など出来なかった。
「数百年、数千年先の未来? その時代に生きる人たちの為に? 今、生きる人たちを救わないで、何が、未来なんですか!! 劉豹さん、どうして、あなたは、今を生きる人たちを見ないんですか!! 後に生きる人たちの為に、今を生きる人間を殺すなんて、そんなの絶対に、絶対に間違ってます!!」
「なら、劉備さん…あなたは、私達、晋との全面戦争を望むという訳ですね」
未来だけしか見ようとしない劉豹に対し、桃香は、今を懸命に生きる人たちを見捨てる事などできるはずがなかった。
故に、今を生きる人たちを踏みにじろうとする劉豹と戦う事を、桃香は許す事など出来なかった。
そして、最後通告ともとれる劉豹の問いに、決意を固めた桃香は、真剣なまなざしで見据えながら、静かにうなずいた。
「いいでしょう。その宣戦布告を受け取りましょう。しかし、私を、晋を打ち倒すのは至難の業ですよ。それこそ、私を超える王にならなければ無理です」
「分かっています。こっちは、最初からそのつもりです!!」
穏やかに、しかし堂々と、劉豹は、王としての口調で、初めて戦う事を決意した優しい少女の―――桃香の言葉を、真正面から受け止めた。
ここにいたり、図らずも、鑢軍と晋との全面戦争が決定づけられたころ、許昌の城門では―――
「―――敵襲!! 敵襲!! 敵が、攻めてきたぞ!! 数は五人!! 後、馬とか熊もいるぞぉおおお!!」
―――五人と二頭の襲撃者に攻め込まれていた。