鑢軍と曹操軍の決戦もいよいよ終わりに近づきつつある頃、曹操の本拠地である許昌では、城の守りを任された兵士達が、決戦に赴いた曹操らの帰りを待っていた。
「しかし、まぁ、多過ぎだよな」
「まぁな…万が一を考えてのことだろうけど…」
城門を守る二人の兵士が、凱歌と共に戻ってくる曹操軍の姿を想像しながら、暇を持て余し、軽口を叩いていると…
「悲しいですね」
ぱぁん、ぱぁん―――と。
まるで、脳内に爆薬でも埋め込まれたように、突然、二人の兵士の頭が内側から破裂した。
頭を失い、なすすべもなく、そのまま、崩れ落ちる二人の兵士の背後で、涙を流す一人の女―――真庭喰鮫が立っていた。
「ああ、悲しいですね、悲しいですね、悲しいですね―――仮にも、同じ組織の方を、手に掛ける事になるなんて…。しかし、こうでも、しなければ、私達の任務も遂行できませんし…」
「相変わらず、恐ろしい方ですね…人形の体でほんと良かったですよ…」
2体の首なし死体を見つめ、涙を流しがら、静かに語る喰鮫に、両腕両足がバネ仕掛けとなった自動人形―――李儒こと零崎儒識は、城門を開けながら、呆れまじりに、軽口をたたきながら、人形の身となって、正解だったと呟いた。
もし、李儒に、汗をかく機能があれば、冷汗を滝のように出していたであろう。
「あ?」
「ん?」
2体の首なし死体の前で、語り続ける喰鮫と、城門を開けようとする李儒だったが、運悪く見廻りをしていた数名の兵士に出くわした。
そして―――
「お疲れ様です。こっちの方は、始末が付いて、準備万端ですよ」
「ああ、こちら側の方でしたか。ええ、こっちも、順調ですよ」
―――何事もなかったかのように、兵士達のうち、隊長格らしき男と李儒は、あいさつをするかのごとく、平然としていた。
そして、李儒が扉を開けるのを、止めるどころか、咎める兵士さえ、そこにはいなかった。
否、すでに、許昌には、一兵たりとも、残っていなかった。
「上手い具合に、紛れ込めましたからね…拍子抜けする位にですけど」
「仕方ありませんよ。これだけ、複数の土地から兵士をかき集めたのです。城に残った予備兵力のほぼ全てが、入れ替わったなんて、気付くはずないですよっと…開いた、開いた」
容易く許昌に侵入できたことに、皮肉めいた笑みを浮かべる隊長格の男に、相槌をうちながら、李儒は城門に手を当て、並の人間では、開かぬであろう重い扉をこじ開けた。
ようやく城門を開けた李儒の前には、はるか未来の戦国時代を思わせる鎧武者の軍勢が集結していた。
それを率いる将―――棺桶を背負い、世界最大級の弓である重藤弓を手に、笑みを浮かべる一人の女―――司馬懿の私兵を束ねる親衛隊<風林火山>の一人だった。
「さぁて…お祭り騒ぎの始まりっすよv」
「「「「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」
遂に表舞台へと立たんとする黒幕軍団の雄たけびと共に、恋姫語はじまり、はじまりv
第30話<裏切同盟>
そんな許昌での出来事など知る由もなく、裏の世界に於いて、『自殺志願』こと零崎双識と、姜維との戦闘が続いていた。
とはいえ、戦闘と呼ぶには、あまりに一方的ではあるのだが…。
「おおっと!!なるほど、いくら、師匠との、奥義取得の修行前とはいえっと!!…あの不殺剣士が苦戦する筈だね。紙一重で避ければ、すぐに狙われるし」
「ちぃ、何を訳のわからない戯言をほざく!!孔明様に仇なす狂犬がぁ!!」
たまたまその場にいた、曹操軍の兵士達を切り刻みながら、踊り狂う大蛇の如く迫る、姜維の仕込み刀を、昔読んだ漫画を思い出しながら、零崎三天王の一人として知られる双識は、その強さとは正反対の、只管逃げの一手に徹していた。
零崎双識の象徴にして、愛用する得物である大鋏<自殺志願>がないからではない。
はっきり言って、<自殺志願>無しの方が、双識は圧倒的に強いのだ。
では、なぜなのかと言えば…
「逃走か…もちろん、逃げているばかりじゃ埒が明かないだけど…しかし、ガードが堅すぎる。どうにか、殺す前に、殺すことなく、覗けないかな、あのスカートの中を」
―――極めて、双識らしい変態思考から来るものだった。
もし、ここに、曹操がいれば、極上の笑顔で、双識に馬乗りしながら、容赦なく、双識の顔を只管はたき続けていただろう。
が、敵である姜維は、双識の狙いなど気付くはずもなく、余裕を見せながら、避け続ける双識に殺意を高め、必殺の一撃を繰り出さんとした。
「くっ…逃げが得意のようだが、舐めるなぁ!!」
「んっ!?これは…!!」
声を荒げる姜維が仕込み刀の柄をまわした瞬間、仕込み刀の刃が、先端から九つに裂け、九本の、刃の鞭となり、それぞれが別個の動きと、別個の軌道で、双識に襲いかかった。
再び、回避しようとする双識であったが、まるで網を張るように、縦横無尽に飛び交う九本の、刃の鞭は、頬を、足を、腕を―――次々と双識の体を傷つけていった。
この刃の鞭、一本一本の刃自体の殺傷能力こそ、一本にまとめたものより落ちるものの、逃げに徹す敵の逃げ場を奪い、切り刻むことでは、はるかに有効だった。
「我流奥義:<相柳>―――なぶり殺しは好きではないが…孔明様の為だ。良しとしよう」
「いてて…なるほど、そういう仕掛けもあったのか。罪口あたりが思いつきそうな武器だね」
不機嫌そうに吐き捨てる姜維であったが、双識のほうは、ズタズタになりながらも、どこか余裕の表情を浮かべていた。
あからさまに手を抜いている―――そう思い込んだ、姜維は怒りで顔を歪ませながら、決着をつけんと、一気に空中へと飛び上がった。
「貴様の顔が癪に障る!!微塵となり、深紅の泥土となり果てろぉ!!」
「…どうやら、怒らせてしまったようだね。だが、これは、絶好の機会でもあるね!!」
双識に止めを刺さんと、姜維は、空中から、9つの刃に分かれた仕込み刀を一気に振り下ろした。
対する双識も、仕込み刀の刃から逃げるついでに、空中に舞った姜維のスカートの下を覗こうと、一気に加速しながら、姜維の真下へ走りだした。
そして、走り抜かんとする双識は、見た―――地面に降りんとする姜維のスカートが捲り上がったことで、現れた男の象徴たる器官を。
「――――――えっ?」
「貰ったぁ!!」
思わず、様相だにしなかったモノを見た様に、放心状態で立ち止まった双識を見て、姜維はその隙を逃さず、仕込み方の刃を、双識に突き立てたんとした。
そして―――
「―――絶望した」
「なっ―――」
―――勝負は、双識のただ一言、呟く間に、決着が付いた。
何時の間に手に入れたのだろうか、恐らく、双識が投げつけたと思われる、折れた剣の切っ先が、姜維の額に深々と突き刺さった。
この間接剣の結界の間を通したなどと、信じられない―――そう驚愕した表情を浮かべながら、呆気なく絶命した姜維は、体勢を崩したまま、地面へと叩きつけられた。
「絶望した。本当に絶望した!!こんな…こんなのって、ありかよ…!!なんだよ、男の娘って…ありえねぇ…邪道にもほどがあるだろ!!こんな歪みがありえる今の世の中に、僕は、心底絶望した…!!」
だが、勝利したはずの双識は、気付かない内に、自分の性格が思わず崩れるくらい、打ちひしがれながら、声を絞り出すように嘆いていた。
はっきり言えば―――相手を殺したのに、すっごく負けた気分だった。
「畜生…ああ、そうだね。もう、この打ち砕かれた僕の純情な心は、華琳ちゃんに慰めてもらうのが一番だね…さっさと、鑢軍の本陣へ行かないと…」
絶対にあり得ない妄想を呟き、そう自分に言い聞かせながら、双識は、地面にたたきつけられ、無残な姿をさらす姜維の死体を見る事もなく、背を向けた。
おぼつかない足取りで、鑢軍の本陣へと足を向ける双識であったが、精神的負担が大き過ぎたために、殺人鬼としての直感が鈍っていたのか、気付く事はなかった。
既に死体となったはずの姜維の指がかすかに動いていた事に―――。
混迷を極める鑢軍と魏軍の戦場から、遠く離れた場所で、二つの一騎打ちが行われていた。そして、鑢七花は苦戦していた。
「そら、そら、そら…!!避けるだけか、天下無双!!」
「っと、虚刀流<柘榴>!!」
「はっ…!!なるほど、ただの色ボケでは、なさそうだな」
現在、鑢軍の鑢七花と、司馬懿親衛隊<龙造寺院四天王>の一人、徐晃との一騎打ちが、周りの木々をなぎ倒しながら、繰り広げられていた。
次に次に突き出される、徐晃が振るう、十字槍の穂をかわしながら、七花は懐に潜り込み、槍の攻撃範囲外である近距離から仕留めようと、掌底を打ちこまんとした。
「だがな、私の槍は、鎌でもあるのだが、なっ!!」
「やばっ…!!」
が、対する徐晃は、体ごと後ろに跳びのき、紙一重でかわすと、一気に十字槍を引きもどした。
攻撃を察知した七花は、慌てて、その場に身を伏せ、後ろから迫ってきた枝刃を、髪の毛をかすらせながらも、見事にかわした。
「その槍…随分と色々な事が出来るんだな」
「ふん…十字槍は、ただの槍ではない。突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌―――あらゆる攻防に対応する万能武器だ」
「…道理で、やりづらい訳だな」
再び、七花を打ち倒さんと、十字槍を構える徐晃に対し、七花は面倒だという表情で、相手の突き攻撃に対処できる虚刀流一の構え<鈴蘭>で、徐晃の十字槍に対応しようと、向かい合った。
ここにきて、七花は、徐晃を、星に匹敵する強敵として認識すると、まずは、得物である十字槍の破壊を試す事にした。
繰り出すのは、虚刀流において、武器破壊を重点に置いた技―――
「はぁつ!!」
「…ここだ!!虚刀流<菊>―――」
―――虚刀流<菊>!!
しびれを切らし、先に動いた徐晃の十字槍の突きを、七花はそのまま背中越しで避けた。
そして、七花は、両腕の二の腕とひじの部分を使い、徐晃が引き戻す前に、十字槍をがっちり抑え、背骨を軸にそのまま、徐晃の十字槍を―――
「―――っ!!」
「っと…ほう、武器破壊を狙ったか。確かに、着眼点は良かったな」
―――不意に、腕と背中を襲った、予想もしなかった痛みに耐えかね、七花は、思わず放す事になった。
危ういところで、戦闘力の要である十字槍を破壊されかけた徐晃は、武器破壊を狙った七花の対応に少しばかり感心していた。
だが、そんな事よりも、七花は、腕と背中を襲った痛みと、ある事実に驚きを隠せなかった。
「ちょ、ちょっと待てよ!!あんた、なんで、そんな熱い槍を平然と持っているんだよ!?」
そう驚く七花の腕と背中には、先ほど押さえつけた柄の跡が、熱した鉄を押さえつけたかのように、くっきりと、痛々しい火傷として、浮かび上がっていた。
よく見れば、徐晃の持つ十字槍の柄は、鈍く光る黒金から、ゆらゆらと陽炎が見えるほど紅く染まっていた。
「ああ、これか?餓鬼の頃に、戦に巻き込まれ、半身を焼かれてな…それ以来、汗をかく事を失った私の半身は、燃え盛る焔と変わらない程、熱いのさ」
発汗機能の喪失による発火能力の顕現。
その徐晃の言葉が正しい事を示すかのように、徐晃が徐に近くの枝を拾った瞬間、枝は、煙をあげながら、燃え上がった。
「どういう体してんだよ…いくらなんでも、人間離れしすぎだろ…」
「ふん…」
人間離れした徐晃の能力に、思わず、七花は、驚きを通り越して、呆れるしかなかった。
そんな七花を、鼻で笑いながら、徐晃は、常人にはもてない程の、高熱帯びた十字槍を構えた。
「忠告しておく―――私は、普通に殺してやるほど、加減はできんぞ」
「了解した。ただし、その頃には、あんたは八つ裂きになっているだろうけどな!!」
赤々と熱せられた十字槍を突き出す徐晃に対し、背中に軽いやけどを負った七花は、気合を込めて、決め台詞で返した。
鑢七花は―――苦戦していた。
一方、恋は苦戦をしていなかった。
「…」
「ちっ…さすが、前天下無双といったところか…!!」
無言のまま恋は、得物である方天画戟を振るいながら、夏侯惇が渾身の力を込め、振り下ろした剣を軽くいなした。
なぜ、夏侯惇が、恋と闘っているのかと言えば、例え、自分を殺しに来た徐晃を討ったとしても、七花と恋が、自分を見逃す確証はないから―――ではなく、ただ、七花が、徐晃と一騎討ちを始めた為、やむを得ず、恋と闘う事になったからだった。
とはいえ、数々の敵兵を蹴散らしてきた、魏が誇る猛将である夏侯惇とはいえ、七花に手傷を負わせた前天下無双の恋には、些か実力が足りなかった。
「だが、勝負はこれからだ!!まだまだ、いくぞぉ!!」
「…面倒。でも…」
だが、何度打ち負かされようと、ひるむ事もなく、剣を構えた夏侯惇は、はぁとため息をつく恋に斬りかかった。
そして、本来ならば、何の苦戦もなく、数回打ち合うだけで、恋の勝利で終わる筈の、恋と夏侯惇の一騎打ちは、数十回打ち合っても、決着がつかないでいた。
恋と闘ううちに、夏侯惇に秘められた力が開花し、恋の実力に追いついてきた―――と言う訳でない。
原因は、夏侯惇ではなく、恋にあった。
「…恋が勝っても、恋には意味がない」
―――簡単に言えば、恋には、この一騎討ちに勝つ為の意欲がまるっきりなかったのだ。
もちろん、負けるつもりは毛頭ないが、例え、恋が夏侯惇を打ち倒し、七花に助勢し、徐晃を倒したとしても、七花は、そのまま本陣に戻るだろう。
それが、七花と一緒にいたい恋にとっては、不満であり、勝つ為の意欲を―――やる気を大きく削ぐ事になった。
「…はぁ、面倒」
「ああ、もう!!ならば、さっさと打ち倒されろ!!あと、溜息をつくな!!」
対する夏侯惇は、実力は恋に劣るものの、負ければ死という後がない状況で、必死になって、全力で闘っていた。
結果として、お互いが決め手に欠けることで、この一騎打ちが長引く事になった。
恋は、苛立たしげに咆える夏侯惇が、振り回す剣をいなして、防いだ。
かといって、攻める事もなく、恋は、再び溜息をつきながら、詰まらなそうに呟いた。
―――恋は、苦戦をしていなかった。
しかし、一向に勝負が決まる様子もなく、ずるずると決着は引き延ばされていた。
鑢七花と徐晃、恋と夏侯惇、その二つの一騎打ちが続けられている頃、朱里の策により戦を有利に進めていた筈の鑢軍にとって、最大の危機が迫っていた。
「そ、そんな…」
「は、はわわわわ!!」
「え、え、え!?」
「ちょ、何で、あんたが、ここに…!!」
現総大将である桃香と、鑢軍の三軍師である、朱里、雛里、詠が驚くのも無理はなかった。
前方から来た張遼に変装した少女が、やすやすと鑢軍本陣を斬り込んだからではなく、張遼に変装した少女の正体にあった。
「…あえて言うなら、人手が足りなくて、仕方なくというところかしらね。まぁ、我ながら、あり得ないと思うけど、これしか手段がなかった…」
その手段は、戦の常識を知る者にとっては、大凡選ばないであろう悪手でしかなかった。
しかし、度重なる張遼襲来により、本物の張遼を発見する事に気を取られ、偽張遼の正体について、疎かになった事で、悪手を、敵に致命傷を与える一手となったのだ。
そして、翠も愛紗も、偽者であると判断すると、少女を見逃した。
「故に、私は、曹猛徳は、この奇策でもって、ここにいる!!」
偽者の正体が、敵の総大将曹操であることに気付くことなく―――!!
「そ、曹操さん…まさか、本陣の守備を突破してくるなんて…」
「あら、私、こう見えても、雑兵程度蹴散らすぐらいの武芸は身につけているつもりよ…あの不愉快な男はいないみたいね」
まんまと本陣奥まで乗り込んできた曹操に、桃香は、怯え震えながらも、普段は持たないようにしている剣を手にし、おぼつかない手つきで、構えた。
対する曹操は、あまりに闘い慣れしていない桃香の姿には興味はなく、軽く鑢軍の本陣を見まわし、戦場に姿を見せなかったため、本陣にいる筈と思っていた七花の姿がない事に気付いた。
「…まぁいいわ。ここに、鑢七花がいない以上、劉備、あなたを討ちとれば、この戦を早々に終わらせるだろうし。さぁ、覚悟はいいかしら…?」
「うっ…」
七花が不在である以上、現時点の鑢軍をまとめる総大将である桃香を討ちとればいい。
結果として、総大将を失った鑢軍は混乱に陥り、曹操軍は、そこにつけいることで、勝利をおさめる事が出来るのだ。
見たところ、桃香自身の武勇は、それほど脅威ではなく、七花らが動く前に、容易く討ち取ることも可能だ。
そう判断した曹操は、得物である鎌を構えると、桃香に突きつけるように言い放った。
そこで、ふと、かつての会談の後、曹操が、双識に、桃香について尋ねた際に、どこか羨むように妬むように呟いた一言を思いだし、何気なく口にした。
「劉備―――あなたは、天下を望むのに、あまりにも普通すぎた。君主となるべきではなかった」
「私は―――っ!!」
鎌を振り下ろさんとする曹操からの思わぬ否定の言葉に、剣を構えた桃香は、命の危機にもかかわらず、譲れないものを守る為に、反論しようとした瞬間―――
「あ、どうもーv私、惨状ですーv」
―――いつもの天然ブリを発揮しながら割り込んできた、場違いな闖入者、司馬懿が現れた。
「…どうして、あなたが、ここにいるのかしら?」
「あっ、曹操様が、ばればれの変装で、何処かへ出かけようとしていたんで、面白半分で、追いかけちゃいましたーv」
桃香に鎌を向けつつ、訝しげに尋ねる曹操に対し、司馬懿は、いつもと変わらない様子で、悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、曹操の質問に答えた。
もっとも、それで、納得するような曹操ではなく、さらに不信感をあらわにしながら、司馬懿を、視線で射抜くように、睨みつけた。
「…それだけの理由で、私が納得すると思う?何を企んでいるのかしら?」
「…あう、疑われちゃってるですぅ」
曹操から、まるっきり信用されていない事に、司馬懿は、泣き真似しつつ、肩を落としながら、珍しく落ち込んだ。
もっとも、空気を読めないのは、司馬懿だけではなかった。
「あーようやく、辿り着いたよ。華琳ちゃん、早速だけど、慰めてくれない?」
「ああ、もう…!!どうしてこう、緊張感を削ぐ連中が多いのよ!!慰めるって、いったい、何があったのよ…!!」
今度は、姜維を倒した後、曹操がいるであろう鑢軍の本陣に、癒し分を回復させる為に、曹操を求めてやってきた双識が、喜び勇んで、乱入してきた。
緊張感あふれる闘争の空気をぶち壊す二人目の登場に、いい加減、嫌になってきた曹操が、真名を呼んだ事も含めて、桃香の事など忘れたかのように、双識に詰め寄った
対する双識は―――
「―――思い出したくない」
「…そう、まぁ、私も聞かないでおくわね」
―――思わず、華琳が効くのを躊躇うほど、ドン引きする位、双識のやる気は地の底まで落ちていた。
だが、この双識の登場に一番驚いていたのは、今現在、守りを失い、命の危機にさらされている桃香と朱里、雛里、詠の四人だった。
「な、なんで…?」
「あわわ…」
「はわわ!!」
「う、うそでしょ…」
「?」
双識を見た瞬間、桃香達は、まるで、あり得ないものを目にしたかのように、動揺していた。
桃香の様子に、訳がわからず、首を傾げる曹操だったが、すぐさま、その理由は、桃香の口から判明する事になった。
「なんで、双識さんが二人もいるんですか!?」
「!!?」
「え!?」
予期しなかった桃香の言葉に、曹操と双識は、思わず驚きを隠せないまま、司馬懿の方へと目を向けた。
双識が現れた際、桃香は、はっきりと、双識が二人いると言った。
つまり、曹操が桃香を討ちとろうとした時に、司馬懿が現れた際、桃香らには、司馬懿の姿が、双識の姿として、見えていたのだ。
「あちゃぁ…劉備さんには、私がそう見ちゃうのですかぁ~もっとも警戒する相手を再現したのがいけなかったみたいですぅー」
「司馬懿…あなた、どういうこと―――」
「司馬懿?いいえ、私は…」
疑惑の視線を向けられた司馬懿らしき人物は、自分の失敗に思わず、嘆くようなそぶりを見せるも、その口調は、どこか、相手を小馬鹿にしたようにも見えた。
ここにきて、司馬懿を信用に置けない味方ではなく、油断できない敵として、意識を変えた曹操が、司馬懿が妙な事をしないように、得物である鎌を突きつけた。
だが、鎌を突きつけられた司馬懿は、さして気にする事もなく、曹操へ向き直った。
「裏切同盟が一人―――」
「なっ!?」
「―――危ない、華琳ちゃん!!」
次の瞬間、自身の正体を明かそうとした司馬懿の姿が、曹操には、ここにはいない筈の夏侯惇の姿へと変わっていた。
思わず、曹操が得物である鎌を落とし、隙が生じると、夏侯惇となった司馬懿の剣が、曹操を突き刺さんとした。
この光景を見た双識は、すぐさま、ここにいる司馬懿の正体に気付き、曹操を守る為に、夏侯惇の剣を受け止めんと、飛び出した。
「時宮時雨(ときのみや しぐれ)―――ああ、傑作だぜ、マインドレンデル」
そして、不敵な笑みを浮かべ、時宮時雨は、怨敵である双識に、自ら名乗りを上げた。
だが、時雨本人の姿は、双識の眼には映らなかった。
ただ、曹操を庇い、脇腹に傷を負った双識の眼に映ったのは、顔面に入れ墨を施した少年―――双識がもっとも世話を焼き、面倒を見た零崎一賊の鬼子にして、双識の弟である、零崎人識の姿だった。
「ふふふ…なるほど、殺し名だけじゃなくて、呪い名である時宮病院まで、来ていたという事か…しかも、以前に会ったご老人より、なお達が悪い」
「かはははは―――生前の反省を踏まえてんだよ、マインドレンデル。そのうえで、俺は、てめぇの知る限り絶対に殺せない相手を再現している、はず、だぜ」
「ああ、そうだろうね…いくら、僕が零崎一賊の殺人鬼であるといえ―――」
―――僕は家族を殺せない。
そう呟きながら、痛みに耐えかね、崩れ落ちる双識の姿を見て、時雨は、嘲り笑った。
双識の殺せない相手である人識の姿で。
「ざまあねぇな、マインドレンデル。身内に対して甘いってのは、あの零崎が言っていた通りだな。無様だと思わねぇか、曹操さんよぉ?」
「…随分とやってくれたじゃない。双識は、変態であっても、無様じゃないわよ。その妖術の方に頼らなければいけないあなたの方が、よっぽど無様ね」
「操想術だよ。精神干渉による幻想を相手に認識させる技だ。かはははははは…非戦闘には持って来いって奴だぜ。もっとも、あんたや、そこの劉備のねーちゃん、軍師方にゃ、別の姿で映って見えるんだろうけどな」
倒れた双識を庇うように、前に出て、挑発する曹操に対し、時雨は、それには、意に介さないまま、自ら、自身の能力を明かした。
勝ち誇りや自負などではなく、暗示の更なる強化の為に。
とここで、桃香は、ある事に気付き、桃香には七花の姿に見える時雨に、尋ねた。
「時宮さん…本物の司馬懿さんは、どうしたの?」
「さぁ、何処かで死んでるんじゃねぇのか?どうでもいいけどな」
どうでもいいと言わんばかりの口調で、桃香の質問に答えた時雨は、懐から、見慣れぬ筒―――現代では、信号弾と呼ばれる狼煙を取り出した。
そして、時雨は、与えられた役目である開戦の合図をあげた。
「さて、そろそろ、俺の役目を果たさせてもらうぜ―――俺達の戦争を告げる狼煙を、な。傑作だぜ」
天に向け打ち出された信号弾は、もうもうと赤い煙をあげながら、天を目指し、そのまま、上空で、耳を劈くような炸裂音とともに弾け飛んだ。
同時に…
「合図、確認。総員、出撃」
「「「「「「はっ!!」」」」」」
いつの間にか、戦場から離脱していた龐徳の指揮の元、刀や弓、火縄銃で武装し、<晋>の旗を掲げた鎧武者の軍勢が、鑢軍と曹操軍の決戦の地にむけて、平原の向こうから進撃を開始した。
これが、後に、鑢軍、魏、呉を相手取り、同盟と裏切りを重ね、三国時代の中華を席巻する事になる合衆国<晋>の初陣となった。