―――数時間前、曹操軍本陣
「―――と言う訳で、夏侯惇さん達をちゃっちゃと連れ戻してきて、欲しいんですぅ」
「…まったく、呆れてものが言えんな。その軽挙こそが、失敗の原因だと言うのに」
反省と言うモノを知らんのかと、吐き捨てるように呟きながら、誰かは不機嫌そうに顔を伏せた。
明らかに、曹操が、厄介な自分達を遠ざけようとしているのが、手に取るようにわかる。
現に、他の二人は許昌にて、表向きは、鑢軍の奇襲に対する為に、待機するように命じられていた。
無視することもできるが、それでは、使える主の顔に要らぬ泥を被せることになってしまう―――故に、誰かは、曹操の命に従うしかなかった。
「…良いだろう。これも、曹操殿の命令であるならば、従うのが道理だ」
「ありがとうございますですぅ~それじゃ、よろしくお願いするですぅ」
「ああ、そうそう…一つ聞き忘れていたな」
「はい?」
とはいえ、少しばかり意趣返しはさせてもらうとするか―――誰かは、立ち去ろうとする誰かを呼びとめると、徐に尋ねた。
「連れ戻せばいいんだな。どんな方法使っても、連れ戻せば」
「はい、そうですぅ。あぁ、もちろん、兵卒さんの分際で、脱走まがいな事したので、然るべき罰も与えてほしいですぅ」
「当然だな」
誰かの思惑に気付いた誰かが、意地の悪い笑みを見せながら、誰かの満足する答えを返した。
そして、誰かは、返ってくる答えが、分かり切ったものだというような口ぶりで、その場から立ち去ろうとして、ここには―――本陣にはいない曹操に対し、皮肉交じりの独り言をつぶやいた。
「とはいえ、そうなると、与える罰も、連れ戻す方法も一つしかなくなるがな」
いよいよ始まった曹操軍との決戦の最中に、暗躍する者たちが動き始めたところで、恋姫語、はじまりはじまり。
第28話<火艶槍聖>
―――現在:鑢軍本隊
「うぉりゃぁあああ!!糞、張遼襲来ってのが、囮だったのかよ!!」
「恐らく、―――惨滅しろぉ!!・・・そうだろうな!!まんまとしてやられた!!」
「やられただけならいいさ…問題は、このままじゃ本当に殺(や)られかねないってことだ、ふん!!」
曹操軍の策にはまった鑢軍は、態勢を立て直す事もままならず、苦戦を強いられていた。
だが、そんな中、得意の騎馬戦でもって、敵陣に斬りこみながら、次々に敵を突き払う翠、集団で攻めてきたところを、得物である仕込み刀で、一気に切り刻む姜維、多人数を相手に、格闘戦でもって粉砕する蝶々―――本陣の守りを愛紗に任せ、 翠達は、次々と攻め立てる曹操軍の兵を薙ぎ払いながら、未だ態勢を立て直せずにいる鑢軍本隊をギリギリのところで、守っていた。
―――否、守るしか手立てがなかった。
「まさか、鈴々達を本隊から引きはがすのが目的だったなんて…私らだけでなんとかしろってか」
「ふん…それがどうした?戯言を言う暇があるなら、孔明様の為に、戦え」
「…あんた、ほんと、他人を怒らせるような言い方するよな」
気遣いと言うモノを知らない姜維の物言いに、思わず翠は、苛立ちながら、額に青筋を浮かべた。
しかし、さすがに、続々とやってくる曹操軍の兵士を相手にしながら、姜維に喰ってかかるほどの余裕はなく、軽くぶっきらぼうに言葉を返すしかなかった。
「―――来るぞっ!!後ろに下がれ、翠、姜維!!」
「えっ!?」
「ん!?」
とここで、それまで、曹操軍の兵士を素手で蹴散らしていた蝶々は、目の前に飛び込んできた光景に驚きながら、すぐさま、翠と姜維を後ろに下がらせた。
慌ててうしろにさがった翠と姜維がいた場所が、次の瞬間、振り下ろされた巨大な何かによって、打ち倒した曹操軍の兵士ごと、地面が、一撃で砕け散った。
「粉砕滅殺」
がそれよりも、翠たちが言葉を失うほど、驚かせたのは、ただ一言つぶやき現れ、それを行った敵の―――大凡常識の範疇を超えた姿だった。
分厚い鉄の板を無数に打ち付け、胴に見るモノを威圧させる鬼の顔を思わせる装飾施した鎧、顔は同じく夜叉の面でもって隠され見えなず、不気味さを醸し出していた。
が、何より驚くべきは、常人をはるかに凌ぐ身の丈10尺という巨体と、その巨体に見合わせた巨大な狼牙棍―――鉄製の棒の先端に付けた紡錘形の柄頭に無数の棘が取り付けられた武器だった。
「な、何だよ、あれ!!あの鎧の化けもんは!!魏には、あんなのがいるのかよ!!」
「いや、翠。どうやら、新手は、こいつだけじゃないようだ」
常識の範囲を超えた敵に対したじろぐ翠であったが、それを超えてなお厄介な敵がいる事に、蝶々は、暗殺を生業とする者ゆえにかぎ分けられる臭いを察知した。
殺人をこなす者にこびり付く、死臭の香りを。
「謝罪。的、外」
「いや、良いちゃよ。おかげで、ここまで、辿り着くのに余計な戦闘しなくてすんだちゃ」
「そうだね…ま、ちょっとずるい気もするけどね」
翠達を仕留められなかった事に、言葉短く謝る巨大鎧武者に対し、得物である釘バット<愚神礼讃>を手にする零崎軋識と一切の武器も持たずにいる零崎双識は、軽く感謝しつつ、翠達の前に立った。
「やっぱり、あんたらも、出てきたか」
「当然ちゃ。俺達、零崎一賊は、家族が傷つけるモノは何であれ許さないちゃ。しかも、殺されたとしたら、国丸ごと皆殺しは確実ちゃ。なぁ、レン?」
殺人と暗殺の違いはあれど、同じ殺しを生業とする相手に、蝶々は警戒しながら、何時でも対応できるように構えた。
対する、<愚神礼讃>を突きつける軋識も、零崎として、零崎に仇を成した者達を殺しつくす為に、極限まで殺意を高めていた。
そして、双識も―――
「うん、そうだね。僕としては、あの見えそうで見えないスカートは頂けないと思うんだ。どうも、あのメイド仮面を思い出しちゃうんだよね。もし、スパッツを穿いているなら、トラウマもののがっかりだよ」
「…そうかそうか。俺は、お前にほんっと、うんざりする位、零崎じゃなきゃ、遠慮なくすぐさま撲殺するぐらい、色んな意味でがっかりしてるちゃよ」
「そっちも、大変なんだなぁ…」
―――零崎一の変態にして、女子中学生大好きな双識の好みに、ばっちり当てはまる姜維をまじまじと見つめながら、見当違いな言葉を返していた。
駄目だ…こいつ…と、軋識は、思わず頭を抱えながら、この変態、もうちょっと緊張感だせないのかと嘆いた。
そして、同じく奇人変人狂人などなど、個性の塊が集まったような真庭忍軍で、比較的常識人であるが故に、苦労人の立場にいる蝶々は、昔を思い出しつつ、しみじみと呟いた。
「戦闘開始。情無用」
「とにもかくにも、んーじゃま、かるーく零崎をはじめるちゃ」
「そうだね―――それでは、零崎を始めよう」
「―――来るぞ!!」
「ふん!!」
「やってやるさっ!!」
がそんな感傷など、武器を構えた巨大鎧武者の言葉を合図に、すぐさま終わる事になった。
すぐさま、笑みを消し、見えを切って迫る軋識と双識に対し、翠達も同時に敵を迎撃する為に、斬り込んでいった。
「ふん…孔明様に逆らいし、愚者共が。その身を屍にさらせぇ!!」
「ふふふ…なるほど、君が僕の相手と言う事か。願ったりかなったりと言うところかな」
まずは、唸りを上げて、曹操軍の兵士達を次々に切り刻みながら、縦横無尽に駆け巡る仕込み刀を振るう姜維に対し、素手である双識は、相手にとって不足なしどころか、大満足ですと言わんばかりの笑みを浮かべながら、只管逃げるように、襲いかかる仕込み刀の刃をかわしていった。
「拳士が相手ちゃか…嫌な思い出しかないちゃけどな…!!」
「そうか。なら、今日は、最悪の思い出になるだろうな!!」
次に、かつてとある拳士と殺し合いを演じて以降、拳士に対し苦手意識のある軋識を、真庭忍軍始まって以来、忍術ではなく拳法に特化した忍者である蝶々が、軽口をたたきながら、迎え撃った。
「え、てことは…」
「尋常勝負」
「…あ、あいつら、何気に一番厄介な奴を、私に押しつけやがった!!」
そして、残された翠は、簡単な消去法で、強制的に、一番人外で、難敵である事が確定的な巨大な鎧武者と戦う羽目になった。
自分から徐々に遠ざかっていく姜維と蝶々に対し、翠は、こんなのに勝てるか!!と恨みがましく叫ぶも、敵である巨大な鎧武者には、翠の都合など、まったく関係のない事であった。
「粉砕」
「っと!!いきなり、これか…しかも…」
再び、短い言葉と共に、渾身の力を込めて振り下ろされた狼牙棍を、馬を走らせ、慌てて回避した翠であったが、生きた心地はしなかった。
一振り―――ただ、それだけで、地面に穴を開けるほど、威力があると知れば、当然だった。
「軽く振っただけで、一撃必殺かよ。ああ、こうなったら、腹くくるぞ!!」
「心意気良…我称号、大山不動―――我名龐徳也」
こいつを通したら、本陣が立て直される前に、壊滅に追い込まれる事を理解した翠は、得物である槍を構えた。
そして、自分を恐れず、ひかずに立ち向かう強敵との一騎打ちに、普段の彼女としては珍しく、喜悦を含めた名乗りを上げ、狼牙棍を振りかざす巨大鎧武者―――龐徳に対し、ここが正念場と、覚悟を決めた翠は馬を走らせ、真っ向から迎え撃った。
―――張遼襲来・東方面
「なははっははは!!遼来々!!遼来々やでぇえええええ!!」
唸りを上げて回転する螺旋槍を振り回しながら、兵を引き連れ、駆け抜ける張遼―――の変装をした李典は、張遼の名を騙りながら、「ちょ、張遼だぁああああ!!」、「何で、こんあところにぃいいいい!!」などと慌てふためく鑢軍の兵士達を蹴散らし、鑢軍の本隊を目指していた。
「なるほどなぁ…こいつは、中々上手いてやんか。使えるもんはどんどん使わんとなぁ。我は、張遼―――遼来々!!」
このまま一気に、曹操軍本隊に出くわし、混乱しているであろう鑢軍本隊を目指そうと、李典は馬を走らせ、そのまま直進しようとした瞬間―――
「なんじゃ、張遼ではなかったのか」
「んな!?」
どことなく詰まらなそうに呟いた声が聞こえた。
不穏な声と殺気を感じ取った李典がすぐさま跳び下りた直後、轟音と共に放たれた鉄杭が、李典が騎乗していた馬の頭をぶち抜いた。
「ほう、やるではないか、小娘―――よく避けたな」
「っ―――なんや、あんたやったんか。さすがうちにも手が余った武器を使いこなせることだけはあるやんけ、厳顔!!」
かつて、自分にさえ手が余った轟天砲を使いこなした厳顔―――桔梗に対し、発明家の性なのか、李典は、満面の笑みを浮かべながら、相対する事になった。
とはいえ、桔梗としては、素直に喜べない所もあった。
「それより、ぬしがここにおると言う事は、まんまとはずれを引かされたか」
「いやいや、はずれはないやろ…こういう具合になやけど!!」
張遼に狙いをつけていた桔梗にとって、まんまと偽物に引っ掛かった為、紫苑と星に大見え切った手前、相手が李典だと分かった以上、肩透かしに似た気分だった。
だが、ここに来た鑢軍の将を食い止める任も負った李典にとっては、簡単に見逃すわけにも、いかなかった―――徐に螺旋槍の柄先端を、桔梗に向けた瞬間、いきなり、柄の先端が開き、空洞部分から、矢が、桔梗に目掛けて、とび出してきた。
「っと!!ふははははは!!また、面白いからくりを仕込んでおるみたいだのう!!」
「こんなもんで、満足したらあかんで…うちの螺旋槍の機巧はなぁ」
不意を突かれたものの、桔梗はすぐさま轟天砲を盾代わりに使い、矢を防ぐと、豪快に笑いつつも、このからくり師―――李典を、油断ならない敵として認めざるを得なかった。
対する李典も、不敵な笑みを浮かべながら、螺旋槍に仕掛けた内蔵機能―――じゃらりと垂れさがる鎖付きの鎌や、メラメラと炎を噴き出すノズル、バチバチと電光を光らせる装置などを作動させながら、桔梗に対峙した。
「―――108機能搭載や!!」
「多機能ぶりのもほどがあるが、まあいい!!出し惜しみなく、存分に掛かってくるがいいさ!!」
武器製作者と武器使用者―――螺旋槍に取り付けた機能を次々に繰り出し、敵を圧倒しようとする李典に対し、その李典が作り上げた武器:轟天砲でもって桔梗は、次々に鉄杭を発射しながら、両者激しい一騎討ちを繰り広げる事になった。
―――張遼襲来:北方面
「っと、ようやく追いついたが…ふむ…」
一方、北方面に襲来した張遼を迎え撃つはずだった星も、どうにか張遼に対峙する事は出来たものの、自分の運の悪さに苦笑するしかなかった。
「どうやら、こちらもはずれだったようだな―――私もまだまだ未熟と言うところか」
「…っ」
溜息をつきながら、自分を自嘲する星の前にいたのは、身なりこそ張遼そっくりに変装したものの、鬘の間から見える銀髪と、顔や腕など体中に刻まれた無数の古傷で見分けがついた。
とはいえ、張遼ではなくとも、目の前の少女が、如何に難敵であるか、星はすぐに見抜いていた。
「―――だが、人違いだからと言って、はいそうですかと、帰してはもらえんのだろうな」
「無論です」
人を食ったかのように、軽口をたたく星に対し、少女は、星を見据えながら、短く答えると、手にしていた堰月刀を投げ捨て、馬から飛び降りると、静かに拳を構えた。
そして、静かに、少女が、足を踏み出し、一歩前進すると同時に、少女に付き従う兵士達も同じく一歩前進した。
「ただ前へ、より一歩でも前へ、前へと進むだけです―――鑢軍本隊に向かって」
「なら、私も帰るわけにはいかなくなったな!!」
少女とそれに従う兵士たちの言動を見た星は、少女の、全身の古傷は、ただひたすら前へと愚直に進みながら、敵の守りを粉砕し、敵の攻めを退けてきた証―――誉れの傷である事に気付いた。
少女を倒さなければならない難敵であると直感した星は、馬を走らせ、間合いを詰めると、少女に向けて、馬上から、得物である槍を、唸りを上げるように突き出した。
「甘いっ!!」
「っと!!」
しかし、零崎一の変態とはいえ、零崎双識の部下兼生徒として、死地を潜り抜けた少女にとって、それは充分対処できる攻撃だった。
少女は、後ろに下がるのではなく、そのまま、前へと進みながら、頬すれすれで、星の繰り出した槍を避けると、騎馬の弱手側に詰め寄ると、体を低く伏せ、下半身の反動と共に、そのまま一気に、拳を打ち上げるように、星の騎乗する馬の腹に叩き込んだ。
少女繰り出した拳の一撃―――ただ、それだけで、星の騎乗する馬は、腹にめり込んだ拳の痕を刻みこんだ。
そして、星が慌てて、飛び降りると同時に、馬は白目をむいて倒れ込むと、口から血の泡を噴き出し、一鳴きする間もなく絶命した。
「それにしても、拳一つで、闘うとは―――まずは、名乗りだ。私は、鑢軍将軍の一人、趙子龍!!貴行の名は?」
「―――楽進」
「ただ前へと進む、あまりにも愚直なその武―――嫌いではない」
馬を潰され、少女との一騎打ちを余儀なくされた星が、少女の名前を問うと、少女―――楽進は、ふたたび拳を構えると、星を見据えながら、静かに己の名前を告げた。
そんな生真面目な楽進の姿を見て、星は、思わず笑みを浮かべながら、七花以来の、相手にとって不足なしの敵と見た楽進と対峙し、静かに槍を構えた。
「「いざ、尋常に勝負!!」」
一騎打ちの開始を告げる言葉と同時に攻める星と楽進―――さながら、ひらりひらりと敵の攻めをかわし、戦場に舞う華麗な蝶と、ただひたすら敵の攻撃に耐えながら、前進する無骨な甲虫という、相反する戦い方をする二人の、熾烈な戦いが始まろうとしていた。
その頃、戦場から遠ざかっている七花と恋は―――
「…ご主人様の馬鹿…分からず屋」
「ああ、そう泣くなよ、恋…なぁ、いったい、どうすりゃいいんだ…?」
「がふ~ん」
なんとも情けない表情でため息をつきながら、恋を抱える七花と、七花に抱えられながら、愚図る恋、そして、器用にお手上げの状態しながら、首を横に振る赤熊:セキト―――こっちも、色々な意味で、思いっきり、大変な思いをしていた。
恋に拉致される形で、駆け落ちをする羽目になった七花は、素巻き状態から抜け出し、ようやく恋を止める事に成功した。
が、いざ、鑢軍の本陣に戻ろうとした時、今度は、駄々をこねる子供ように、拗ねた恋が帰りたくないと、その場に座り込んでしまったのだ。
なんとかして、宥めようとする七花だったが、結局、恋の機嫌が直る事はなく、一先ず、早く戻る為に、七花が、恋を胸の前あたりで、横向きの形から下を支える体勢―――通称:お姫様だっこで連れて帰るしかなかった。
「…ご主人様、結婚しちゃ嫌なのに…どうせ、恋のことなんて」
「はぁ…姫さん、俺、もう挫けそうだよ…ん?」
もはや体力より先に、心が限界を迎えそうな七花であったが、ふいに、帰り道の先に、何かが近づいてくるのが見えた。
遠目から見る限り、判断したところ、馬に乗った武装した兵士数名―――掲げてある旗には曹の文字が書かれていた。
「曹ってことは、曹操軍の連中か?でも、何で、こんなところに…恋、一旦、降ろすぞ」
「…やだ」
「え、やだって…恋?」
「…ご主人様、一人で帰るつもり…放さない」
「いや、帰るつもりもないし…一人で、そんな事言ってる場合じゃ、って!!何で、首に腕を巻きつけるんだ!!」
一先ず、戦闘態勢に入る為に、恋を降ろそうとする七花だったが、拗ねた恋が素直に応じるわけもなく、逆に、絶対に離すもんかと、七花の首根っこにしがみつくように、腕をまわした。
何とか振りほどこうとする七花だったが、前天下無双は伊達じゃないのか、恋は、振りほどかれるどころか、逆にますます力を込めて、しがみついた。
そうこうしている内に、曹操軍らしき数名の兵士―――七花を追いかけてきた夏侯惇と兵卒仲間の山隆と元盗賊3人組は、なんなく七花達の元に辿り着いた。
「ようやく、追いついたぞ!!鑢軍の総大将、鑢、七、花…?」
「…あっ」
「…ん?」
さっそく、名乗りを上げた夏侯惇だったが、七花と恋の姿を見て、思わず固まった。
何処をどうすれば、このような体勢になるのか知らないが―――恋は振りほどかれないように、七花の首に、腕をしっかりと廻しつけ、脚も七花の腰に巻き付け、しがみ付き、七花は恋を落とさないようにしっかりと、両腕で恋を落とさないように抱えていた。
そんな申し開きのしようもない恰好だった。
そして、目が点になった夏侯惇は、後ろにいる山隆と元盗賊三人組と目を配らせした後、再び、剣を手にしつつ、前を向き―――
「何をやってるんだああああああああ、きさまらぁあああああああああああ!!」
「うぉ、いきなり、何すんだよ!!」
―――皆の思いを乗せ、渾身の突っ込みを入れながら、容赦なく、七花を斬り付けた。
不意を突かれる形になった七花だったが、恋にしがみ付かれたままではあったが、何なく夏侯惇の一撃をかわした。
「それはこっちの台詞だ!!この大事な戦の最中、な、なにをふしだらな事を!!くそ、これだから、男と言うものは…っ!!この性欲の塊っ!!」
「何を勘違いしてるのか知らないけど、面倒なことに…って、そういうあんたは、誰なんだよ…」
怒り顔で捲し立てる夏侯惇に指をさされながら、頭を抱えたくなった七花は、一先ず、話を逸らそうと、相手の名前を尋ねた。
七花に名を問われた夏侯惇は、思わず固まりながら―――何処か苦悩するように、俯き、血涙を流しながら、苦渋の表情で名乗りを上げた。
「…兵卒の、夏侯惇です」
「ごめん…聞かない方が良かったみたいだったな」
如何に他人の心の機微に疎い七花でも、分かるほど、表情に出ていたのか、夏侯惇の触れられたくない所に触れたのを気づき、思わず謝った。
「ありがとう…じゃなくて!!鑢軍総大将:鑢七花、我が主君:華琳さまの為に、あと、私の汚名挽回のために、いざ、勝負だ!!」
「今更、格好を付けられてもなぁ…それと、もう止めといたほうが身のためだぞ」
「ふっ…それはこっちの台詞だ!!そんな姿で―――!!」
汚名を挽回しちゃ駄目だろうと思いつつ、もはや戦意を削がれた七花は、とりあえず、夏侯惇の後ろで繰り広げられる惨状を見て、一応、被害を増やさない為に、夏侯惇に警告を与えた。
だが、脳筋もとい直情性格な夏侯惇が、素直に応じるはずもなく、七花と恋の姿を詰りながら、再び剣を構え、斬りかかった。
「―――まともに、ぐほぉお!!」
「がふああああああああああああ!!」
―――直後、夏侯惇の背後に回っていたセキトが、両腕で夏侯惇に胴を抱え、そのまま、持ち上げ、自ら後方に倒れ込みながら、夏侯惇の頭を地面にたたきつけた。
ちなみに、夏侯惇の背後では、同じくセキトにやられた山隆達が、大きなこぶを作りながら、気絶していた。
どうやら、貂蝉とのところに、恋が、セキトを連れて、たびたび遊びに行った際、食前前の運動がてらに、セキトは、格闘戦に強い貂蝉から、みっちり鍛え上げられたらしく、今では、投げ技のスペシャリストとして、覚醒したようだ。
「だから、言ったのに…」
「…セキト、強い」
「~~~~~っ!!ひ、卑怯だぞ!!ちゃんと正々堂々闘え!!後、熊に闘わせるなぁ!!」
気の毒そうに呟く七花と、セキトを褒める恋に対し、夏侯惇は、もう鑢軍、やだーという気持ちで、今度こそ、真面目に戦おうとした瞬間―――
「―――何を戯れている、貴様?」
「―――なっ!?」
「―――っ!!」
「―――んっ!?」
―――誰にも気づかれず、何時からそこにいたのか、身の丈3倍もある長さの柄に、穂先に左右対称の枝刃を取り付けた槍:十字槍を携え、この国では見られない和風の着物を乱暴に纏い、炎のように赤い髪を靡かせ、いかなる事故に巻き込まれたのか、顔の―――否、体の右半分に火傷痕が特徴的な女がいた。
「―――ご主人様!!」
「っと!!いきなり、問答無用かよ」
と次の瞬間、七花の体にしがみ付いていた恋が、唐突に七花から離れると同時に、抜き身の剣が七花と恋の間を通過した。
七花から離れた恋は、自分の得物である方天画戟を手にし、何時でも対応できるように構えた。
そして、それは、恋が離れた後、虚刀流一の構え<鈴蘭>で構えた七花も同じだった―――目の前に現れた火傷傷の女は、天下無双の二人にさえ、気配を、そして、攻撃を察知されないほどの技量の持ち主であるならば、当然の対応だった。
「戦争の最中、大将が色恋ごとの真っ最中か…良い御身分であるな」
「…だから、なんで、そうなるんだよ」
「違うのか?まあ、何であれ興味はないがな」
七花の言葉をどうでもいいと言いきった火傷傷の女は、徐に馬から降りた。
とここで、夏侯惇が、気絶からいち早く立ち直った山隆とともに、突如現れた火傷傷の女―――司馬懿直属の親衛隊の参上に対し、いぶかしむ様に尋ねた。
「貴様、なぜ、ここに…鑢軍との戦はどうしたんだ!?」
「ん?ああ、曹操殿の命令でな。貴様らを連れ戻して来いと言われて、わざわざ来たのだが…鑢軍の総大将と元天下無双がいるとはな。都合が良い」
「いててて…でも、ほんと良かったですよ。俺らだけじゃ手に負え―――」
「…何を勘違いしている?」
「―――へっ?」
馬から降りながら、無愛想に、夏侯惇の問いに答えていた火傷傷の女は、山隆の言葉に首をかしげた。
そして、次の瞬間、訳が分からず呆ける山隆の胸を、槍の穂先が―――司馬懿に仕える私設部隊の将とは言え、同じく魏に属する将であるはずの火傷傷の女が手にした十字槍の穂先が突き刺さった。
「あ、え…しょ、将軍、なん…で…?」
「何時、私が、貴様らを生きて連れ戻すと言った?私はな、貴様らを処断するつもりで来たのだ。兵卒が脱走まがいの行動をとれば、当然の結論だ。都合がいいとはな、貴様を連れ戻すという取るに足りん命令が、我が主が標的とする獲物が一緒にいたから、都合がいいと言ったんだ」
自分の胸に突き刺さった穂先に訳が分からず、死にゆく山隆に対し、当然と言う口調で言い切った火傷傷の女は、山隆の屍を無造作に投げ捨てた。
そんな火傷傷の女に対し、一番に怒りをあらわにしたのは、短い間とはいえ、何かと世話を焼いてくれた山隆と親しかった夏侯惇だった。
「貴様ぁっ―――!!」
「喚くな、兵卒。不愉快なのは、こちらも同じだ」
剣を突きつけ、激高する夏侯惇に対し、火傷傷の女は、不愉快そうに、舞台に紛れ込んだ、場違いな、汚らわしいモノを見るように、夏侯惇を睨みつけた。
虫唾が走る。
反吐が出る!!
貴様ら、如きが一端の兵士面をするな!!
火傷傷の女にとって、夏侯惇はもはや処断すべき罪人であるのはもちろんのこと、七花や恋を含めた全員が、もっとも度し難い者たちだった。
「貴様らは、一端の兵士を気取っているようだが、嗤わせるな…貴様ら如き、似非者が将を、兵を語るなど、不愉快極まりないわ!!」
なぜなら、曹操への恋慕によって従う夏侯惇も、色恋沙汰に感けて、戦場から離れ、自身の軍を放棄した七花と恋も、火傷傷の女が持つ―――己の体と忠を全て捧げ、ただ唯一無の主に仕え、数多の戦場を巡り、敵を打ち倒してきた兵士(つわもの)の美意識からもっとも外れた異端でしかない故に―――!!
「我が名は徐晃!!字は公明!!―――与えられし称号は、火艶聖槍!!さぁ、精々足掻けよ!!」
名乗りを上げた火傷傷の女―――徐晃は、得物である十字槍を手に、一気に攻め込んだ。
かくして、戦場から遠く離れた地にて、この戦局を覆しかねない、三つ巴の戦いが始まろうとしていた。