すぐに片付く―――哀れな襲撃者二人を逃げる隙間もなく取り囲む兵士達という光景を見て、兵士たちを従えた郭図はそう確信した。
腕は立つようだが、そもそも数が違いすぎる―――真っ向から数百人を相手取り戦うなど、無謀以外のなにものでもない。
「ふふふ…呆気なく終わりそうですね」
故に、余裕の笑みを浮かべた郭図は、すぐに片がつくと思っていた。
そして、実際、この楽成城における一連の出来事は、一気に片をつけられることになった。
もっとも、それは…
「真庭忍軍十二頭領が一人、真庭蝶々」
「虚刀流七代目当主、鑢七花」
「「いざ、尋常に勝負!!」」
「え!?」
…自分の目の前にいる相手が敵の君主だということに驚いた郭図の予想を大きく外れた結末を迎えるわけなのだが。
恋姫語、はじまり、はじまり
第22話<花蝶乱舞・後編>
=楽成城・城門前=
一騎討ちの最中に、言い放たれた黄忠の指摘に対し、愛紗はただ、苦悶の表情を浮かべるしかなかった。
人を殺すことを躊躇って、全力を出せない―――軋識との敗戦と蝙蝠の言葉による枷が、迷う愛紗を縛りつけていた。
そして、沈黙を打ち破ったのは、普段の愛紗からは想像できないほどの、弱弱しくか細い声だった。
「私は…これまで、自分の武に誇りを持ち、戦っていた、戦っていたつもりだった…」
「…」
「だが、本当に、それは正しいのか、分からなくなった…どのように武を使おうと、人殺しは人殺しでしかない…ならば、自分はただの殺人鬼となんらかわらないのではないか…!!私は、私は…ただ殺すことしか能がないから戦っていたんじゃないかと思って…!!私は何のために…!!」」
「関羽殿」
なおも血反吐を吐くような思いで、告解を続けようとする愛紗に、黄忠は静かに制した。
黄忠の顔にあったのは、嘲りでも、怒りでもない哀しみ―――間違いを犯した者を叱咤する辛さの表れだった。
その唇から、静かに、一撃の前置きが放たれた。
「何のために?」
「…」
「守るべきもののためではないですか?…私は、この楽成城の城主として、この街と民、そして娘のために命を掛けて、戦っているつもりです。そして、関羽殿に問います…あなたは、自ら戦の前に立ち、敵を傷つけ、己が傷ついても、戦うのは、何の為ですか?誰の為ですか?」
「…あっ―――」
厳しさを交えながら。あくまで平静に言い放つ黄忠の言葉に、愛紗は思わず、言葉を詰まらせながら、思い出した。
何のために戦うのか―――乱世を終わらせ、誰もが平和に暮らす為に。
誰の為に戦うのか―――悪に脅かされる弱き人々や共に道を歩むと誓った友や義姉妹、そして、初めてであった時、自分に惚れたと言ってくれたご主人様―――鑢七花の為に!!
例え、誰かに、人殺しと罵られようと、偽善者と言われようと、自分の中にあるこの想いは、絶対に譲れない、まぎれもなく本物なのだ。
「…なんとも無様だな。このような事にも気付けぬとは…些か時間を取らせてしまったな。すまぬ、黄忠殿」
「構いませんわ。これより先は多少の手心は期待できるかもしれませんから」
「ふふふ…抜け目のない御方だ」
けれど、悪い気分ではなかった。
今まで、見失っていたものを改めて、気付かせてくれた黄忠に対し、愛紗は、敬意を払いながら、自分のなすべき事をすることにした。
愛紗は再び、黄忠との一騎打ちを始める為に、青龍堰月刀をしっかりと構えた。
「では、改めて…参るっ!!」
「望むところです!!」
全力でもって、武によって、礼を返す――まるで、その言葉通りに、愛紗は一気に斬りかからんと飛び込み、黄忠もそれに応えるように、一気に3本の矢を携え、放たんとした―――
「「「「「―――その一騎討ち、ちょっと待ったぁ!!」」」」」
「えっ?」
「んっ?」
―――瞬間、楽成城の城壁から、愛紗と黄忠の一騎打ちに待ったをかける声が響いた。
思わず、立ち止まった愛紗と黄忠は、聞き覚えのある声があったので、とりあえず、城壁のほうに目を向けた。
そこには…
「あ、危なかったのだ…」
「いやはや…間一髪とはこのことだな」
「まったくだよ…」
危うく、本気で黄忠に斬りかかろうとした愛紗を呼び止める事が出来、一安心する鈴々と星、蒲公英の三人と…
「まったく、無茶をしおるわい!!」
「紫苑殿、ご無事でしたか!?」
「おかあさぁん!!わたしは、だいじょうぶだから、もうやめてぇー!!」
同じく、黄忠に待ったをかけた厳顔と魏延、そして、救出された黄忠の娘である璃々の姿があった。
「…これは、さすがに続けるのは、無理ですな」
「えーと…まあぁ、とりあえず…」
さすがに、すでに人質を救出されたのに、無用な一騎打ちの続きをするはずもなく、愛紗と黄忠は互いに顔を見合わせた後、苦笑しつつ、武器を下した。
楽成城での愛紗と黄忠の一騎討ちは、両者ともになんだかなぁーという感じで引き分けとなった。
「どうやら、人質は無事救出できたみたいね。さて、後は、あいつらね」
とりあえず、作戦通り事が運んでいるのを見て、否定姫はやれやれと呟いた。
鈴々達が人質を救出したところをみると、袁紹軍は、まんまと囮である七花に引っかかっているようだ。
もう一組―――七花に戦力を集中させたために、警備が手薄となり、総大将である袁紹がいるであろう城へと潜入した捕虜に気付くこともなく…。
=楽成城城内=
鑢軍と黄忠軍の代表者による一騎討ちや城下町に現れた侵入者によって、黄忠軍や袁紹軍の兵士がほとんど出払って、城の警備する者が少なくなった城内は不気味なほど静寂だった。
そんな城内の一室に、不満そうな顔をした袁紹がいた。
「…まったく、こんな時に私をほったらかすなんて、どういうつもりでしょうね」
袁家の主をほっぽり出して、無礼にもほどがあると、顔をしかめる袁紹だったが、その言葉を口に出すことはなかった。
実質、今の袁家を仕切っているのは、軍師である郭図であり、自分ではないのだ。
名家の当主という看板を背負った形だけの君主。
今更ながら、それを気付かされ苦笑を浮かべるしかない袁紹だったが…
「まったくです。お嬢様を蔑ろにするなど、臣下としてあるまじき行為です」
「え?」
不意に後ろから声を掛けられ、間の抜けた声をだした袁紹は、思わず体が強張った。
そして、その声は、袁紹が幼いころから聞きなれた、そして、今は鑢軍との戦で生死不明とされているはずの従者のものだった。
「ですが、そのおかげで、私は、お嬢さまの元へたどり着けたのですが」
「雪…田豊さん!?なんで、どうして、ここにあなたが!!」
「はぁ、まぁ、色々と事情がありまして…」
思わず田豊の真名で呼びそうになるほど狼狽する袁紹に対し、田豊は否定姫とのやり取りを思い出し、苦笑した。
<あんた、あいつの従者なんでしょ?説得お願いね>―――まるで、買い物を頼むような感覚で、困惑する田豊に、袁紹の説得を任せた否定姫。
しかし、見張りや郭図のような奸臣がいては、説得の邪魔になる―――その為に、敵の目を欺くための陽動部隊が、愛紗であり、鈴々らであり、七花だったのだ。
「それより、お嬢様…今すぐに降伏をしてください。これ以上の戦は無意味です」
「…っ!!…従者が一端の口をきくようになりましたわね…昔と同じつもりですの?」
違う、そんな事を言いたいんじゃない…
心では、そう思っていても、追いつめられた袁紹にとって、この戦は袁家の命運をかけた戦なのだ。
その戦を無意味だと諭すような言い方をする田豊の言葉を、理解はできても、感情で受け入れられない袁紹はいらだたしげに吐き捨てるしかなかった。
「…お嬢さま」
「っ!!ふざけないで!!私は、わたしは、もう貴女に甘えるだけの弱い麗羽じゃない!!先に逃げたくせに!!何で、なんで…!!」
今まで、ずっと逃げてきた癖に、傍にいてほしかったのに、抱きしめてほしかったのに―――ずっと私から、逃げ続けてきた癖に!!
「…」
「わたしは、名門袁家の主:袁本初!!私は負けません…どんな手を使っても!!どのように罵られようと、構いませんわ!!だって、それさえ、失えば…!!」
「麗羽!!」
誰も、自分を見てくれる人なんていなくなる―――そう言い切る直前、突如、これまで事件以来一度も呼ぶことのなかった袁紹の真名を、声を張り上げて叫んだ田豊が、袁紹にむかって、詰め寄った。
殺される―――そう察知した袁紹は、思わず目を閉じて、頭を守るように、両手で隠し、すくみあがった。
そして…
「え?」
袁紹が受けたのは、大木をも粉砕する拳ではなく、そっと優しく抱きしめるような田豊の抱擁だった。
予想外の展開に、思わず声を上げた袁紹だったが、自分を抱きしめる田豊を振りほどくことができず、ただ茫然と受け入れるしかなかった。
「私がいます。例え、あなたが袁家でなくとも、私はあなたを見捨てない。もう私は自分の力を言い訳に、あなたから逃げたりはしない。あなたと共に道を歩んでいきたい。だって、私は…」
「あっ…あっ…」
言わないで、言わないで…その先をあなたに言われたら、もう私は、袁家の主としての対面を保てなくなる!!だから、突き放すんだ、今すぐ!! でも、違う どうして、今まで、違う 寂しかった 止めて!! あの時からずっと悔んでいた 何で、こんな時に、そんな事を 待っていた 私は袁本初なのに 関係ない 抱きしめて 私は―――。
―――ずっと望んでいた、あの頃のように、まだ、自分が袁家という意味さえ知らずにいた子供の頃のように、ただ、雪崩おねえちゃんに。
今にも、泣き崩れそうな袁紹に、田豊は自身の想いをはっきりと言った。
「田豊、いえ、凍空雪崩は、麗羽の姉として、あなたを愛しています」
「…うん」
きっと、明日になれば、きっといつもの我がままで世間知らずなお嬢様の自分に戻ると思う。
けれど、今だけは、今だけは、子供だった時のように、雪崩おねえちゃんに抱きしめられ続けたい。
もう少しだけ、もう少しだけ…抱きしめられながら泣き続けたい。
もう少しだけ、もう少しだけ―――
誰もいない城の中。
袁家の当主である少女は、姉のように慕っていた女性の胸に蹲って、何時までも、何時までも泣き続けた。
いつまでも、いつまでも。
=楽成城・市街地・中央広場=
楽成城の各場所での戦いに決着がつき始めたころ、市街地にある中央広場での戦いにも決着がつこうとしていた。
「あぶねぇ、蝶々!!虚刀流―――『牡丹』」
「ぎゃぁつ!?」
「後ろだ、虚刀流!!ちぇいっ!!」
「ぎぃえ!?」
次から次へと向かってくる袁紹軍の兵士たちを、悉く打ち倒していく七花と蝶々。
ある時は、蝶々の背後を狙ってくる兵士を、七花が後ろ廻し蹴りで、取り囲んでいる兵士達に叩き返せば、その隙を狙って七花に斬りかかる別の兵士を、すかさず蝶々がその長い腕から繰り出される強力な拳の一撃でもって仕留めた。
即席ではあるものの、七花と蝶々の二人は、互いの隙を援護しつつ、向かってくる敵次々に蹴散らしていた。
しかし、当の二人は、自分達を取り囲む袁紹軍の兵士らを見ながら、うんざりとした表情をしていた。
「これで、何人目だ…さすがに多すぎるぞ」
「五十人目のあたりから、数えるのは諦めた。二人では、少々きついな」
例え、十人を倒しても、続々と数十人単位での増援が集まってくるため、袁紹軍の兵士の数が減らず、並の兵士を簡単にあしらっていた七花と蝶々も、さすがに息があがり始めていた。
だが、本当に追いつめられていたのは、他でもない袁紹軍らの兵士達の方だった。
「どういうことですか、これは…」
まるで悪夢を見るような様子で呟く郭図の前には、「おい、どうするんだ?」、「知るか!?」、「こんな化け物と闘えるかよ!?」などと、七花と蝶々に斬りかかるのをしり込みする袁紹軍の兵士らの姿があった。
この時点で、七花と蝶々の手で、二百人の兵士が討ち取られ、数の優位で保っていた兵士らの士気もすでに萎え、逆に、迂闊に手出しができず、ただ逃がさないように取り囲むだけとなっていた。
このような対多数戦闘には鉄則があり、それは流れを掌握するということだ。
敵に主導権を与えてはならない、敵に動かされてはならない。
常に主導権を握り、敵を動かし、攻め手を持ち続けなくてはならない。
それが出来なければ戦場は民主主義に席巻され、多数決によって勝敗が決することになる。
進むべきは覇道。
ただ一人の専制君主となって群集を隷下に収めるべし。
そして、現在、この戦いの場の流れを掌握しているのは、七花と蝶々―――数の優位を過信するあまり、流れを掌握し損ねた郭図らは、未だ数の優位はあるものの、時間がたつにつれ、確実に追いつめられていたのだ。
「くっ…何をしている!!たかが、相手は二人!!さっさと片付けろ!!糞、この役立たず共、死刑にされたいか!!」
想定外の事態に苛立ちに身を任せ、兵士らに檄を飛ばす郭図であったが、兵士達は、あからさまな拒否こそはしないものの、しり込みをしていた。
これまでの戦で自身の命を張らずに、後ろでただ指示を出すだけだった者の命令に従う者などいなかった。
そして、兵士たちを単なる捨て駒としか見ていなかったが故に郭図は気付かなかった。
檄を飛ばす郭図の傍らに立つ兵士の目が、冷たく睨んでいる事に。
「だったら…」
「?!」
「お前が、死ね」
まさに一瞬の出来事だった。
何を―――そう言いかけ、傍らに立つ兵士にむかって、振り返ろうとした郭図の喉笛に一本の棒手裏剣が突き刺さった。
そして、郭図の傍らに立っていた兵士が、つるりと自分の顔をなでると、そこには、忍法『骨肉細工』によって、袁紹軍の兵士になりすました真庭蝙蝠のすがたがあった。
「―――、―――っ!!」
「もう少し、敵の部下にどんな奴がいるのか把握しておくべきだったな。もっとも、ばれるとはおもっていないけどな」
喉笛を突き刺され、もはやパクパクと口を動かすしかない郭図に対し、蝙蝠は静かに言って聞かせるような言い方をした。
それに対し、すでに瀕死の郭図は尚も現実を受け止める事が出来なかった。
なぜ、苦しいんだ?
なぜ、息が出来ない?
なぜ、喉から血がでているんだ?
なぜ、誰も助けない?
なぜ、この下手人を捕らえない?
なぜ、こいつの存在に、誰も気がつかなかった?
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ…私、俺はこんなところで、死ななければいけない―――!!!
もし、声を出せたなら、理不尽な結末に対する疑問の絶叫を上げていたであろう郭図は、ただ、ひたすら苦しみながら、歯を食いしばり、眉間にしわを寄せ、顔を強張らせながら、安らかとは程遠い死に顔で崩れ落ちた。
「最後まで見苦しかったな…まぁ、卑怯卑劣が売りの忍者に殺されるのが、お前みたいな悪党には充分な最後だろ」
「こ、蝙蝠さん!!どうして、ここに!?」
すでに死体となった郭図を見下ろしながら、つまらなそうに呟く中、郭図の暗殺に唖然とする一同の中で、すぐさま蝙蝠と同じ真庭忍軍の頭領である蝶々が、大きな声で、蝙蝠がここにいることに驚いた。
「蝶々か。まぁ、その辺の事情は、追々説明させてもらうとして…で、こっちは、人質を取り返して、黄忠軍を味方につけて、なおかつ、袁紹は降伏を受け入れたんだけど、まだやり合うのか?」
そんな蝶々を片手で制した蝙蝠は、未だ、呆然とする袁紹軍の兵士達に、指揮官である郭図を討ち取られても、尚、戦闘継続の意思があるかを尋ねた。
袁紹軍の兵士らは、戸惑いながら、互いに顔を見合わせるが、行動でもってその答えは返ってきた。
袁紹軍の兵士達は、全員迷うことなく、その場に武器を捨てた。
結局、おのれの力を過信し、おのれの利の為に君主さえ欺いた郭図の信望などその程度でしかなかった。
そして、この時点でもって、大規模な戦闘を迎えることもなく、郭図を入れて、袁紹軍兵士数十名の死傷者を出すにとどまり、楽成城における全ての戦が終了した。
同時に、それは、鑢軍が袁紹軍を降すという快挙を成し遂げた瞬間だった。