董卓の突き刺した剣は、李儒の脇腹をつらぬいていた。
致命傷ともいえる一刺し―――誰もが、李儒が血を流し、崩れ落ちると疑わなかった。
―――そうなるはずだった。
「残念でしたね」
「え、ええ?」
しかし、その予想とは裏腹に、致命傷を負ったはずの李儒は平然と立っていた。
それどころか、脇腹からは一筋の血も流れ出ていなかった。
また、突き刺さった剣には目もとめず、痛みもまったく感じていない様子だった。
「全然、痛がってないのだ…」
「馬鹿な…鎧など纏っていないはず…それに、あの刺し傷では、確実に体を貫いているはずだ!!」
平然とする李儒の様子に、一部始終を見ていた鈴々と愛沙も思わず狼狽した。
武人である二人から見ても、董卓の腕前は素人ではあるものの、李儒の脇腹を刺した傷は、致命傷であった。
少なくとも、そのような大怪我をした李儒が平然としているはずはないのに…。
「驚いていますね。まぁ、無理もありませんよ…私が、人間なら、本当に死んでましたよ」
「まさか、実は不死身な人間なんですー、なんて言うんじゃないでしょうね…」
「ご冗談を。そんな化け物じみた人間なんて、この世に存在しませんよ。まぁ…」
揶揄する否定姫の言葉を、軽く受け流した李儒は、董卓の突き刺した剣を自ら抜き取ると、否定姫に不死身じみた自分の体の正体を教えんと、まとっていた服を脱ぎ捨てた。
一見見ただけでは、なんら人間と変わりない体―――歯車や配線が隙間から見えることを除けば、人間そっくりな体をした人形の体―――!!
「人間じみた、人形なら目の前にいるんですけどね」
「まさか、貴様も―――!!」
「そう、私は、しんだ零崎需識が生み出した代替人形です」
驚きの声を上げる愛沙に対し、李儒は愛沙の言葉を肯定した。
この世界に呼び出された時には、本物の零崎需識は、元の世界で、家族の仇討ちを行うも、返り討ちにあい、致命傷を受け、既に事切れていたのだ。
だが、しかし、零崎儒識は、生前、万が一のために、自分そっくりの人形を作り、その人形に自分の脳内情報を転送し、儒識の死と同時に起動するように組み込んだ。
そして、これが、現在、李儒を名乗る零崎儒識の正体だったのだ。
李儒の正体が明かされ、洛陽決戦これにて、いよいよ大詰めを迎えたところで、恋姫語、はじまりはじまり
第15話<人形演武 後編その2>
「何万体もの人形をどうやって、操っていたかと思えば…人形遣いが人形でしたなんて、まったくつまらないわね」
「おや、そうですか?でも、おかげで、見事に引っ掛かった人はいますけどね」
「きゃ!?」
明かされた李儒の正体に、まるで期待はずれだという否定姫対し、李儒はにこやかに笑みを浮かべながら、茫然とする董卓を背中に取り付けた腕の一本で、体を掴んで、自分の顔の前まで引き寄せた。
「残念でしたね。ご両親の仇を取れなくて。まぁ、でも、安心して下さい」
「は、はな…」
「ええ、放します。まぁ、正確には…」
次の瞬間、李儒は未だに抵抗する董卓を、迷うことなく、宮殿の外にむけて、放り投げた。
「え…?」
「てめぇ!!!」
「放り棄てる、ですがね…v」
李儒の突然の凶行に、反応しきれず、外に向かって放り投げられた董卓―――そして、ここは宮殿の最上階に位置する場所。
ここから、落ちれば、待ち構えるのは死だけだ。
その事実に気づいた七花は、李儒の狙いが分かっているにもかかわらず、武器から手を放し、今まさに外に投げ出される董卓の腕を掴まんと、手を伸ばす。
同時に、李儒はわき目も振りかえらず、標的である否定姫の元へと駈け出した。
賈駆や呂布らが逃げ出した以上、董卓を人質に取ったとしても、人質としての価値は低く、董卓ごと攻撃をされかねない。
ならば、董卓を囮にして、鑢軍と要というべき否定姫を人質に取った方が、はるかに効率はいい。
障害となる関羽と張飛は、<堕落錯誤>が抑えてあるし、人間だけを攻撃対象とする日和号は自分を攻撃することはない。
さらに、鑢軍の最大戦力である七花は董卓を助けにこちらに構っている暇はないし、今からでは止めることもできまい。
「読み違えましたね、否定姫さん。この勝負、私の勝ちです」
あと、数歩駆ける―――ただ、それだけで、事は足りる。
腕を伸ばせば、否定姫の腕を掴むことができる。
張飛と関羽も追いつけはしない。
そして、迫りくる脅威に対し、当の否定姫は銃も構えずに、一歩も動かず、ただ立ち尽くしているだけ―――恐怖で足がすくんだのだろう。
そう思い、勝利の笑みを浮かべながら、李儒は、右腕を伸ばしながら、立ち尽くす否定姫を見た。
迫る脅威に対し、否定姫は―――。
「いえ、李儒―――」
李儒の想像していた恐怖とは全く逆の、愛沙らに見せたことのない凄みのある笑みで言い捨てた。
「あんたが、これでおしまいなのよ」
「えっ――――――!!」
次の瞬間、否定姫を掴もうとした左腕が、宙を舞いながら切り捨てられ、同時に李儒の体も左腹部へ強烈な一撃が撃ち込まれ、体を九の字に曲げながら、砕けた腹部の外装部品を飛び散らせながら、そのまま吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
「がぁっ、何が…!!」
「「…」」
砕けた腹部を押さえながら、壁から抜け出した李儒は、自分を攻撃した者たちの正体を見て、予想外の事態に愕然とした。
否定姫を守るように、李儒との間に立っていたのは、仮面をつけた二体の人形だった。
一方は、方天画戟を手にした女性型の人形。
もう一方は、無手の男性型の人形。
先ほど、日和号と七花の相手として、李儒が操っていたはずの人形だった。
「馬鹿な…いったい、どうして…?」
「まだ、気付かないの?まあ、単純な話よ。ああ、もう、仮面取っていいわよ、皆」
操っていたはずの人形に攻撃を受け、困惑する李儒を尻目に、否定姫はその答えを李儒に見せつけるために、李儒を攻撃した2体の人形に仮面を取るよう促した。
そして、仮面の下から現れたのは…。
「………」
「まさか、日和号以上に、人間みたいな人形がいるとは思わなかったぜ」
「呂布…!!それに、あなたは、鑢七花!!」
目を大きく開かせながら、李儒が驚くのは無理もなかった。
そこには、人形の振りをしていた―――董卓を見捨てて、逃亡したと思い込んでいた呂布と董卓を助けに向かったはずの七花が立っていた。
「馬鹿な!!なぜ、呂布がここに―――!!それに、鑢七花は董卓を助けにいったはずでは―――!!」
「とても簡単な話よ。誰も逃げてなんかいなかった…あなたを油断させるために罠を仕組んだのよ」
「ま、まさか―――!!」
狼狽する李儒であったが、否定姫の言葉を聞き、ある事に気付き、李儒は董卓を投げ捨てた方向へ目を向けた。
そこには、寸前のところで窓から投げ出されようとした董卓の腕を掴み、持ち上げようとする七花と少女体型の人形―――
「たく、あんまり無茶するんじゃねぇよ…!!」
「まったくだねぇ…寿命が何年あってもたりゃしないよ…」
「月、月、大丈夫!!けがはしてない!!」
「蝙蝠さん、狂犬さん、それに、詠ちゃん…何で、ここに…」
―――否、七花の服装をした真庭蝙蝠と、七花や呂布と同じように仮面をはずした賈駆と真庭狂犬の姿があった。
これには、助けられた董卓も、予想外の出来事に唖然としていた。
「ああ、なるほど…私、騙されていたんですね」
「ようやく、気付いたみたいね」
そう、いたって単純なことだったのだ。
あの時―――立ちはだかる人形達を蹴散らしながら、洛陽宮殿へと向かう一団の中に七花がいるのを李儒は見ていた。
しかし、李儒が見ていた七花は、七花と服を交換し、忍法<骨肉細工>によって、顔だけでなく、肉体さえも七花そっくりに変身した真庭蝙蝠だったのだ!!
そして、本物の七花は、呂布、賈駆、狂犬らと共に、貂蝉が白装束を倒した際に家や壁を打ち抜いた穴から一直線に進行し、李儒が外に目を向けた時には、途中で倒した人形の服と仮面を奪い、変装し、洛陽宮殿に潜入していたのだ!!
「迂闊でしたね。てっきり、賈駆さん達は、董卓さんを見捨てて逃げ出したとばかり思っていましたよ…」
「馬鹿言ってんじゃないわよ…私が、月を置いて、逃げだすと思ってるの!!」
「そういうこったよ。ま、あたしの場合は、裏切られた仕返しなんだけどね」
「ま、お前にしては、迂闊だったな。お前なら、気付くと思っていたんだけどな」
「…あれだけ、完璧な変装…いえ、変身を見破れるわけがありません」
真庭蝙蝠の特有の忍術<忍法:骨肉細工>―――体系や骨格そのものを変えることで、対象に変じることのできる異形の忍術。
その能力は、常人はもちろんのこと、機械人形である李儒でさえ、見破ることが難しく、完全変装と呼べる領域だった。
僅かながら蝙蝠と組んでいたため、蝙蝠の忍法を知る李儒は、やや手厳しい蝙蝠の言葉を受け、むちゃを言うといった様子で、苦笑した。
「やっぱ、気付いていなかったのか…案外、抜けているんだな」
「…どういうことですか?」
「簡単なことだよ。今までの戦を見ていたなら、あんたは難なく見破れていたんだぜ」
「…?ああ、そういうことですか…」
七花の言葉に首をかしげる李儒だったが、腕をだらりと下げた七花の姿を見てすぐに合点がいった。
現在、七花は、虎牢関での呂布との一戦で、腕を折られ、応急処置として添え木をあてられているのだ。
そんな人間が両腕を使って、武器を振るえるはずはない。
しかし、董卓を外に投げ捨てた際、七花は折れているはずの腕を伸ばし、董卓を掴もうとしていた。
些細なことではあるが―――見破る機会はあったのだ。
ただし、それは、見破る機会の一つにすぎないのだが…
「しかし…意外ですね。私と闘う理由などないはずですが…」
「ああ、けど、今回ばかりは話は別だ。これは、蝙蝠がおれたちの仲間になるための条件なんだからさ―――あんたや連合軍から董卓を守って、うちで匿うってね」
「え?」
七花の言葉に、董卓は思わず声をあげて、驚いた。
たとえ、蝙蝠を仲間にするための頼みとはいえ、董卓を助けるということは、連合軍の全てを敵に回しかねない行為だ。
「で、でも、どうして…私は…」
「…俺の我が儘だよ。まぁ、このままあんたに死なれちゃ、何より、俺の気が済まない」
「もちろん。私も、同意見。つうわけで、同じ条件をあいつらにふっかけたのさ」
「ごめんね…けど、私は月に生きてもらいたい。だって、私の大切な友達だから」
「…月、私の恩人。…だから、死ぬの駄目」
「…皆、ひどいよ。これじゃあ、私、死ねないよ…」
蝙蝠や狂犬、賈駆や呂布の言葉に、董卓は俯きながら思わず涙を流した。
今まで、自分が死ねば、全てまるく収まると考えていた。
だが、今は違う―――これほどまでに、命がけで助けにきた自分を思ってくれる人達がいるのに、どうして死ぬことができる?
「と言う訳で、蝙蝠達が仲間になるには、董卓を殺そうとするあんたをとりあえず、倒さないといけないんだよ。」
「ひどい話ですね。結局、鑢軍の皆さんは、董卓さんのことはどうでもいいですか」
「ああ、さっきまではな…けど、俺はあんたをぶっ飛ばしたいってのが一番だけどな」
やれやれといった表情で揶揄する李儒だったが、対する七花はまったく逆の表情―――怒りの表情を浮かべていた。
普段から感情の起伏に乏しい―――昔のころに比べれば、大分ましになったとはいえ、七花なのだが、李儒に対しては激しい怒りを向けていた。
なぜなら、七花には、どうあっても、李儒を許してはおけない理由が二つあった。
「一つは、あんたと白装束のせいで、董卓が悪逆非道の濡れ衣を着せられた挙げ句、董卓の両親が死んだことだ」
「え…!?」
七花の口から出た董卓と董卓の両親の仇討ちとも、義憤ともとれる言葉に、董卓は思わず声をあげて、驚いた。
しかし、七花の怒りとは、ただ道徳や道理といったものではなく、両親を殺され、悪逆非道のそしりを受ける董卓の姿が、七花のかつての主であった奇策師とがめの境遇と重ねたことによる私憤に近いものだった。
「そして、もう一つは…あんた、言ったよな。英雄なんかただの人殺しだって…」
「ええ、そうとらえればいいですし、私はそう思っています。それが…?」
そして、李儒が、李儒の非道な振る舞いに怒りをあらわにした愛沙に向けていったあの言葉こそ、李儒が七花を怒らせた最大の原因にして、致命的なミスだった。
李儒は、愛沙を挑発しかけて、自分に攻撃を仕掛けるように仕向け、愛沙自らの手で人質を殺させることで、相手の気勢を削ごうとした。
だが、この時、李儒は愛沙自身の未熟さを責めるような挑発を仕掛けるべきだった。
おおよそ戦場で活躍をする英雄全体を貶めるようなことを言うべきではなかったのだ。
なぜならば…
「あんたの言葉は、俺の親父を貶めた。これが一番許せないのさ!!」
鑢七花の父親にして、六代目虚刀流当主:鑢六枝(むつえ)も、また、戦場で武勲をあげた英雄で―――幼いころから七花は、弟子として、息子として、そんな六枝を心の底から敬愛していた。
だからこそ、七花は、六枝を貶めたとも取れる言葉を言った李儒を許せなかった。
「……ふふ、随分と私怨の混じった答えですが、双にい様なら、満点合格をだすでしょうね。良いでしょう…幕引きはあなたにやってもらいましょう!!」
「ただし、その頃にはあんたは八つ裂きになってるかもしれないけどな!!」
父親を馬鹿にされたから―――大よそ、一国の将が闘う理由としては、最低かもしれない。だが、例え、勝ち目のない闘争であっても、家族のために、全滅を覚悟で仇討ちを挑んだ零崎儒識、否、李儒にとって、それは満足のいく回答だった。
故に、李儒は、七花に全力を持って、挑まんと背中に取り付けた10本の腕を七花に向けた。
対する七花も、変幻自在の足運びを可能とする虚刀流七の構え『杜若』でもって対抗する。
そして、七花の決め台詞を合図に、洛陽決戦最後の幕を下ろすべく、両者一斉に相手に向けて走り出した!!
「だが、甘いとしか言いようがありませんよ…折れた腕という手負いの状態で、私を仕留めようなど―――あまつさえ、武器ももたないで!!」
「やっぱり、気付いてないみたいだな…虚刀流はよ、刀を使わないからこそ強いんだ」
「精神論なら、余所でやりなさい!!さぁ、極彩と散りなさい!!」
駆ける七花の言葉を遮るように、李儒は背中に取り付けた10本の腕―――その指先から人形を繰るための糸が一斉に飛び出し、前後左右、蜘蛛が網を張るように所狭しと次々に張り巡らされる。
これぞ、李儒―――零崎儒識が人形を失った際の切り札、限定空間内にて糸を張り巡らし、敵の動きを封じ、触れるものすべてを斬り裂く糸の結界。
その名も―――
「これぞ、<我流曲弦技・女郎蜘蛛>」
そして、張り巡らされた糸の結界でもって、こちらに突っ込んでくる七花をズタズタに切り裂かんと待ち構える李儒。
しかし、七花はそのまま突撃するのではなく、その直前でその図体には見合わない身軽さで、飛びあがり、そのまま糸の結界を飛び越えた。
「なっ!!」
「人の話は最後まで聞くもんだぜ。虚刀流の人間ってのは、代々、剣術の才能って奴がこれっぽっちもねえんだよ―――故に、虚刀流の剣士ってのは、刀を、武器を使わない剣士なんじゃない。刀を使えない剣士なんだ―――!!」
鑢七花も、父である先代鑢六枝も、そして、開祖である鑢一根も―――だ。
だからこそ、一根は、剣士でありながら刀を捨てようなどという誰も思いつかないような発想に辿り着いたのである―――そうでなければ、弱点のために利点を捨てようなどだれが思う。
そして、刀を捨てたからこそ、普通の剣士では持ちえない身軽さ―――機動力を虚刀流は得たのだ!!
「そして、こいつが、虚刀流七の奥義―――」
「―――!!」
そのまま、李儒の頭上に到達した七花は、呆然とする李儒の真上から、足を斧刀に見立てた、全体重を乗せ加速させた前方三回転かかとおとしを振り下ろした――――!!
これぞ、虚刀流・七の奥義――――!!
「落花狼藉―――!!」
振り下ろされた足刀が、とある殺人鬼の振りをした人形の頭を砕いた瞬間―――洛陽決戦の幕は下りた。