鑢軍が華雄軍を撃退した頃、汜水関最前線では、李儒によって魏軍の主力部隊を足止めされ、呉軍のみで汜水関を落とさざるえなくなり、攻め倦んでいた。
「まだ、突破できそうにないのか、冥琳、穏?」
「はい。既に甘寧、周泰の指揮する部隊が取り付いていますが、魏軍の主力部隊を抑えられている以上、我が軍単独での突破は難しいかと」
「仮に突破できたとしても、被害が多すぎです~」
「そうか…」
周愉と陸遜の言葉に、呉軍を纏める孫権は、思わず爪を噛んで、苦々しく呟いた。
当初の予定では、汜水関の攻城戦には、魏軍も加わる予定だったが、突如現われた人形遣いを相手に主力部隊を抑えられ、足止めされている。
何とか、いくつかの部隊が汜水関には取り付いたものの、汜水関を落とすにはまだ時間が掛かる。
このまま無謀な突撃を敢行すれば、陸遜のいうとおり呉軍の被害は甚大なものになる。
孫権が一時後退を考えたそのとき…
「孫権様、周諭様!!鑢軍からの伝令が届きました!!」
「鑢軍から?何かあったのか?」
先の軍議で袁紹と揉めていた金髪の少女―――否定姫のことを思い出した孫権は、不審に思いながらも、伝令の兵士から手渡された書簡を目を通すと、あごに手を当てて、考え込んだ。
「………どう思う?」
「確かに悪くはないです。こちらにも利がある以上、この要請に応じるのは問題ないかと」
「しかし、大丈夫ですかね?相手は華雄さんですし…」
「それは、天の御使いを名乗る鑢 七花の腕次第でしょうね」
陸遜の不安の声に対して、他人事のように呟いた周諭の視線の先には、遠方にて、汜水関へと撤退しようとする部隊と、鑢軍の将らしき二人が、華雄部隊を単騎で追撃していた。
「そうだな…元よりこのままでは、埒が明かない。伝令兵、汜水関に攻め込んでいる各部隊に一時後退するように伝えよ!!甘寧と周泰には、別働隊を率いて、待機せよと伝えよ!!」
汜水関編もいよいよクライマックスから、恋姫語始まり、始まり。
第11話<汜水関決戦・後編>
汜水関へと撤退する華雄らの部隊を、七花と桃香の二人が、頑丈な鉄鋼鎧に身を包んだ的櫨を走らせ、単騎で追撃する。
驢馬でありながら、しかも、重厚な鉄の鎧を装着したままで、的櫨は並の馬をも凌ぐ速さで、追いついてく。
「もう少しで追いつくよ、ご主人様!!」
「しかし、恐ろしい驢馬がいたもんだな…っと、桃香、前、前!!!」
「え、どうしたの?」
後ろを振り返り、七花と話していた桃香が、おもむろに七花の指を指した方向を見れば、前方に、追撃する七花たちを防ごうと、華雄部隊の一部兵士が壁のように立ちはだかり、迫る七花たちを串刺しにせんと、槍を突き出した。
「桃香、避けられるか!?」
「も、もう無理だよ、ご主人様!!的櫨がいうことを聞いてくれない!!」
桃香の命令を無視して、的櫨は避ける事も急停止することもなく、逆に一気に加速し、追撃の邪魔となる華雄部隊の兵士らに突撃していく。
これを見た華雄部隊の兵士らは、この突撃を暴走と理解して、突き出した槍に串刺しとなる敵の姿を確信した。
だが――次の瞬間、立ちはだかった兵士達は「え?…ぁぁぁあああああああ!!」と叫び声をあげて、ズタズタに体を切り刻まれ、血だるまの状態で宙を舞っていった。
そして、一方の的櫨は突き出された槍を打ち砕き、立ちはだかった兵士らを蹴散らし、悠々とその場を去って行った。
―――鑢軍主力陣
七花と桃香が華雄部隊の追撃を見送った否定姫はぽつりと呟いた。
「役に立つと良いわね…あの日和号のいた森で見つけた馬用の<賊刀・鎧>」
この古代中国に完成型変体刀の一本である<防御力>を念頭に作られた刀<賊刀・鎧>の馬用があるというのはおかしな話であるが…
まあ、七花と桃香はそんなことを知らないわけなので…
「え、助かった…みたいだよ、ご主人様?」
「どうなってんだ?」
図らずも無事だったことに首をかしげる七花と桃香の二人だったが、そんなことを考えるまもなく、華雄部隊に到達しようとしていた。
「ちい、追いついてきたか…お前達、さっきに戻っていろ!!」
「え、華雄将軍、どこへ?」
「わざわざ、ここまで追ってきたのだ。この私が相手をしてやる!!」
「お、お待ちを…!!ここは、汜水関に立て篭もって…!!」
「そんな受身で、戦に勝てるか!!たかが二人、相手に背をむけられるか!!」
華雄は呼び止める部下を無視して、馬を翻して、自分に追いついた七花らに向き直った。
「ほう、貴様が、噂となっている鑢 七花か。大将自らここまで追ってきたか」
「どういう噂かはあえて聞きかないけど、まあ、とりあえずは、討ち取らせてもらうぜ」
「抜かせ。馬上では貴様の実力は発揮されまい。正々堂々、一騎打ちといこうではないか」
汜水関を目前にして華雄は七花の挑戦に応じて、部下達を汜水関に退かせ、自身は馬上から降り、己の得物である戦斧を構える。
「ご主人様、気を付けてね…」
「おう、任せろ。」
愛沙と互角の勝負をした華雄との一騎打ちに、七花を身を案じる桃香だったが、当の七花はすぐに終わるといわんばかりに、軽く答えた。
「ふん、無双の武を誇るそうだが、所詮は、賊徒程度を屠る程度のもの。私が最強の武を教えてくれるわ!!」
「ああ。けど、その頃には、あんたは八つ裂きになってるけどな!!」
お互いの言葉を合図に七花と華雄は一気に距離をはじめる。
「ふん、素手で挑むこと自体が愚かだというのだ!!」
「っと!?」
まずは、華雄が向かってくる七花を討たんと戦斧を振り下ろすが、七花は紙一重のギリギリの距離で後ろに大きく避けた。
相手が下がったのを好機と見た華雄は一気に攻めだした。
打ち下ろし、切り上げ、横になぎ、戦斧を自在に操り、七花を追い詰めていく。
「はははは!どうした?我が武のまえに、恐れおののいたか!!」
「……いや、あんた、そんなに大したことねぇよ」
「ふん、そうであろうな・・・なんだと?」
不意に投げかけられた予想外の七花の言葉に、思わず華雄は攻めを止めた。
自分はこいつを、七花を追い詰めているはずだ―――なのに、なぜ、こいつは平然としているのだ。
まるで、期待はずれだといわんばかりの口ぶりで……!!!
「貴様ぁ、我が武を愚弄するか!!無手というだけでも万死に値するというのに!!」
「そう言われても…正直、星の方がまだ強かったんだけど」
「減らず口をほざくな!!殺す!!全力で完膚なきまでに撃ち取ってくれるわ!!」
元々熱い性格も災いして、七花の挑発ともとれる言葉に火がついた華雄は怒りに任せて、戦斧手当たり次第に振り下ろす。
地面が抉れる轟音と風をきるような斬撃音が辺りに響く…しかし、それでも、七花の骨肉を断ち切る音だけはいっさい聞こえない。
無論、呂布、張遼についで、董卓軍の猛将華雄が弱いというわけではない。
むしろ、華雄の戦闘姿勢に問題があった。
基本的に七花は面倒くさがりな性格が災いして、あまり考えるということは苦手なため、趙雲のような策を弄する相手には、どうしても苦戦を強いられてしまう。
しかし、今回の華雄のように真っ向勝負を強みとする相手とは、純粋な力と力のぶつかり合い―――七花自身の力を存分に発揮できる!!
「貴様ぁ!避けるだけしか、能がないのか!!正々堂々うち合え!!」
「ああ、そうさせてもらうぜ。ただし…その頃にはあんたは……八つ裂きになってるけどな!!」
怒りの咆哮を上げ、戦斧を自身の最速の速度でもって、振り下ろし向かってくる華雄を、七花は下半身に根がはえたが如くがっちりと構え、引きちぎれんばかりに 腰をひねり、最速を超える最速の技を持って向かえ撃つ。
叩き込むは単純にして明快。
一の構えから繰り出す、一本の掌底―――!!
「虚刀流、『鏡花水月』―――!!!」
「なっ!!!」
華雄の戦斧が七花に届く前に、七花の掌底は斧の柄を粉々に粉砕し、華雄の胸に打ち込まれた。
目前に迫る必殺の一撃に華雄の脳裏には、かつて華雄の師が忠告した言葉が過ぎった。
「華雄、お前は確かに強い。だが、真に強いということは、己の力量を知り、それ以上の力量を持つ者には敏感に反応し、決して挑まぬものだよ」
(あのときの自分は、中途半端な強さを持った臆病者の戯言だと一蹴したが、中途半端な強さを誇り、相手の武を見抜けず、無双の武に挑んだ自分こそ…!!!)
真の愚か者だと理解した瞬間、杭が打ち込まれるように華雄の胸から骨の砕ける鈍い音が聞こえた。
「あっ………」
そう声をもらし、華雄の眼から光が消え―――口からかすかに血を流し、ぐらりと後ろに倒れこんだ。
華雄の胸には、七花の掌底がくっきりと減り込んだ跡があり、<鏡花水月>の威力をまざまざと見せ付けていた。
「あの華雄さんを一撃で、倒しちゃった…」
「敵将、華雄…討ち取ったぜ。って、これでいいよな?じゃ、早く戻ろうぜ。なんかやばそうだし」
あまりの早くの決着に驚く桃香を尻目に、打ち倒した華雄を尻目に、七花はすぐさま桃香の後ろから抱きつくように的櫨に跨った。
その直後、汜水関の門が開き、華雄の敵討ちといわんばかりに兵士達がこちらにむかってきた。
「あっ!!的櫨、行くよ!!」
それに気づいた桃香はあわてて、たずなを引くと、的櫨はすぐさま、反転し、主人らを危機的状況から離脱させるために、一気に駆け出した。
「はぁ、すみませんが、とっと死んでくれませんか?あんまり、長引くと殺し飽きちゃいますから。」
「冗談じゃないよ!!あんたみたいな、奴に負けてあげるわけないよ!!」
「兵士の皆さんの仇うちです!!」
「元より、貴様のような輩を生かしておいては、華琳様の害となりかねん!!即刻、切り捨てる!!」
「まったく、元気な事で良いですねぇ~若さって何でしょうかね?」
良い加減殺し飽きたとぼやく李儒だったが、汜水関に戻っていた蝙蝠がこちらに駆け寄ってきた。
「李儒、不味い事になったぞ」
「おや、えっと…蝙蝠さんじゃないですか?何かありましたか?」
「華雄が奇襲に失敗し、汜水関まで撤退したところで、討たれた。打ち破ったのは鑢 七花という男だ。今、華雄の部下が仇うちに汜水関から出撃している」
「ああ、あの天の御使いとか言う……華雄さんが討たれたのは、別に良いんですけど。」
やれやれといった表情で李儒は肩を竦めた。
本来なら、篭城戦に持ち込み、遊撃部隊である李儒と華雄が敵の戦力を削るという手はずだったのだが、華雄が討ち取られた以上、<堕落錯誤>以外の残りの2体を出さないと、魏軍と呉軍を同時に抑える事はできない―――呉軍?
不意に思い浮かんだ言葉にハッと汜水関へ攻め込んでいるはずの呉軍に目を向けた。
いつの間にか、汜水関へと攻め込んでいた呉軍が半数にまで減っていた。
「って、やられました!!」
「ん?どうかしたのか?」
普段は漂々とした性格である李儒の慌て振りに、蝙蝠は何かを指したのか、動揺する李儒に事情をたずねた。
そして、返ってきたのは、ある種予想通りの返事だった。
「蝙蝠さん、急いで、虎牢関へ撤退しますよ。…汜水関は落城します!!」
「待て!!このまま、逃すとおもっているのか!!」
身を翻して、すぐさま撤退を試みる李儒だったが、それを阻まんと夏候惇らが李儒と蝙蝠を取り囲んだ。
「まずいですねぇ…ジャンプして逃げられますが、追いかけっこになりかねませんよ?」
「やれやれ…俺が合図をしたら、そいつでおれをかかえて、上に跳び上がれ。蹴散らすぞ」
「了解です。ぶちかましてください」
とここで、李儒と蝙蝠の余裕とも取れるやり取りに苛立った夏候惇が剣を突きつけた。
「何をごちゃごちゃと、喋っておる!!さあ、さっさと負けを…」
「勝手に決め付けるんじゃねぇよ。良いぞ、李儒!!」
「お任せ、あれ!!跳べ、<堕落錯誤>!!」
「な、待て!!」
「悪いが、蹴散らせてもらうぜ。すぅうううううううううう!!!」
次の瞬間、蝙蝠を抱えた<堕落錯誤>が一気に跳び上がり、同時に蝙蝠は深く息を吸い込み、常人ではありえないくらい腹を大きく膨らませた。
そして…
「かあああああああああ!!!」
腹を限界まで膨らませた蝙蝠が息を一気に吐くと同時に、何処に仕込んであったのか大量の手裏剣が一気に発射された。
「なっ、面妖な技をっ、うあぁ!!」
「夏候将軍!!」
「悪いな。卑怯卑劣は俺達の専売特許みたいなもんだからよ、悪く思うなよ」
「それでは、さようなら~」
思わぬ不意打ちに、隙をつかれた夏候惇であったが、吐き出された大量の手裏剣の一本が夏候惇の右目に深く突き刺さった。
と同時に、<堕落錯誤>に抱えられた李儒と蝙蝠は、兵達に動揺が起こると、逃げるように急いでその場を後にした。
一方、先の李儒の言葉が正しい事が証明されたかのように、追撃部隊を送り出した汜水関に迫る三つの軍がいた。
「皆の者、汜水関の扉が開いたぞ!!私達、白馬陣の力をみせてやれ!!」
「「「「「「「「おおおっっっっ!!!!」」」」」」
一つは、公孫賛率いる虎の子の白馬騎馬部隊が…
「ここにいるぞーーー!!」
「涼州騎馬隊の姿、かつ目して見やがれぇーーー!!」
「「「「「「「「おおおっっっっ!!!!」」」」」」
もう一つは、馬騰の娘である馬超と馬岱を先頭に涼州連合の騎馬部隊が…
「今が好機!!鑢軍の撤退を援護しつつ、汜水関を落とせぇーーー!!」
「汜水関から出撃した部隊は無視してください!!」
「わしらは援護に回るぞ!!弓兵部隊、一斉射撃!!」
「「「「「「「「おおおっっっっ!!!!」」」」」」
そして、最後に弓兵部隊を率いる黄蓋らの援護を受け、呉軍の奇襲部隊の担当である甘寧と周泰が陣頭に立ち、七花と桃香を追撃しようとしていた汜水関の兵士らを蹴散らし、汜水関へと一気に入り込んでいった。
「ど、どうなっているんだ?」
「う~ん、よく分かんないけど、助かったみたいだね」
そして、からくも危機から脱出した七花と桃香の二人は、公孫軍、涼州連合、呉軍の三軍の攻勢によって落城していく汜水関を呆然と見るしかなかった。
一方、落城寸前の汜水関の様子は、魏軍への追撃から逃げ延び、虎牢関へと撤退する李儒と蝙蝠も見ていた。
「やってくれましたね。一騎討ちに兵士達の視線を集中させ、後退させておいた呉軍、涼州連合、公孫軍を気づかれないように進軍させて…」
「敵討ちに出てきた兵士達が門を開けたところを一気に攻め立てるか。えげつねぇな、おい」
「ええ…これほどの策、あの袁紹が考え付いたものではないでしょう。まったく、もって厄介な…!!」
―――魏軍の本陣
「やってくれたわね。まさか、私達を足止めに利用するなんてね」
呉軍、公孫軍、遼州連合の一斉攻撃の意図に曹操は、落城する汜水関を見ながら苦笑しつつ呟いた。
恐らく、鑢軍からの伝令が来なかったのも、夏候惇率いる主力部隊が李儒との戦闘で足止めされていたことに加えて、李儒をその場に留めておくためであろう。
下手に軍を動かされでもしたら、李儒に気づかれ、奇襲の要となる三軍が足止めされる可能性がある。
「鑢軍…この私を利用するなんて本当に楽しませてくれそうね」
乱世の奸雄すらも、己が策に利用する―――いずれ見えるであろう鑢軍との戦を想像し、曹操は知らず知らずの内に、笑みを浮かべた。
―――鑢軍の本陣。
「ま…どうにか、間に合ったようじゃない」
望遠鏡にて、城壁に<孫>の旗を立てられ、落城した汜水関とすぐ近くにいる七花と桃香の姿を確認した否定姫は、やれやれといった表情で、安堵の笑みを浮かべた。
「まったく、国の主たる者が、単騎がけなどと、帰ってきたら、きつくいわねばなりません!!それに、否定姫殿もなぜ、止めなかったのですか!!」
「しょうがないわよ。あのまま汜水関に篭城されたら、こっちの被害もばかにならないわ。あの二人には、汜水関の門を開けるためのちょっとだけ餌になってもらっただけよ」
「んな、なんということを!!お二人の身に何があったら、どうするのですか!!」
「でも、でも、無事でよかったじゃないですか」
「うん、否定姫さんが事前に出してくれた伝令のおかげで、ご主人様達が助かったわけなんですから。」
対して、七花と桃香の単騎がけについて何も知らされていなかった愛沙は否定姫を責めるが、否定姫の方は狙ってやったというような態度に、声を荒げ、掴みかかろうとするが、間に入った朱里と雛里に押し留められた。
「しかし、姫殿も大変ですな。総大将である袁紹殿の許可を得ず、勝手に軍を動かしたわけなのですからな」
「無茶をするのだ…」
「否定するわ。この程度の無茶なんて、虎牢関でやる無茶に比べたら、たいした事無いわ」
星と鈴々の苦笑に、否定姫はあまり気に止めることなく否定し、次なる策に利用する生贄―――恐らく勝手に軍の指揮を取ったことに対することに、憤怒しているであろう総大将がいる袁紹軍の本陣を見つつ、さらりと言い流した。