死の恐怖を感じていた。
私にとって、サンクロトンドの山は決して危険な場所ではなかった。
私以上に大きく、力のある生物など見たことがない。故に、私は数百年にわたり、この山の王者であったのだ。
刃向ってくる山の獣や、訓練された人間やエルフなどのハンターは、すべて返り討ちにし、皆殺しにした。
絶対的な暴力の力が私には生まれ持っていた。生後直ぐに、両親を食い殺し王の座を得た。
――だが、今はどうだ? 私は王と言えるのか?
人間のハンターに恐怖し、必至に翼を動かし逃げている私は王と言えるのか?
思考を停止させ、本能に身を任せ、人間という貧弱な生物から必死に逃げている私は、王としての……いや、獣としてのプライトすら無くしてしまったのか?
――違う、わたしは王だ。
サンクロトンドの首領だ。サンクロトンドの獣はみな、私を恐れ畏怖し崇拝する。
だからこそ、私に負けは、王に負けは許されない。いや、負けなどという選択はないのだ。強者が居れば、それ以上の強者になればいいこと、力で劣っていれば速さで勝ろう。
速さで劣っていれば、知力で翻弄しよう。すれば、勝利は我が手のもの。
私は、動かしていた翼を止めた。
さあ、来い愚かなる人間よ。私は王だ、偉大なるサンクロトンドの王なり。
剣で切りつけてくるのなら、自慢の牙で食い千切ろうぞ。 槍で突いてくるのなら、
剛腕の腕で潰してやろう。魔法で消し去ろうとするならば、耐えてみせそう。
ハンターが近づいてきた。
目視できる。その人間とは思えぬ速さに風となったのか、と錯覚を覚えるほどだ。
咆哮をあげた。振動する木々、剣呑な雰囲気を感じたのか逃げ出す獣たち。
空気の振動は、やがて天まで届き雲を割った。
轟音が鳴り響いた。
私は何時の間にか嵐になっていたことに気づく。
まるで神風、暴風と共にやってくるハンターは、腰から短剣を取り出すと私の頭に標準を合わせた。頭を横に傾かせ避けようとするが
――間に合わない。
スピードの乗った短剣は私の頭を見事に抉った。
倒れる私。 雨が異様に温かく感じる。
空は、咆哮によって一点だけ雲がなく晴れていた。まるで私が通る扉のように。目が開かない、呼吸ができない。
私は、両親のことを思い出していた。
数十分足らずしか一緒に居たことのない両親、私のことをアルフレートと呼んだ母。抱いてくれた父。
私が二人を食べている間も、声一つ上げず微笑んでくれていた。
目が開かない。だが、目に両親の姿が浮かび上がってきた。
そうだ、私はそこに行く。
だから、私は此処にいる。
思考が闇に包まれた。
漆黒の闇が広がった場所に私はいた。
場所と言っていいのかも分からない。地面に足をつけていることすら分からない。
この闇が、果てなくあるのか限りがあるのか。
体が動いていることも、目で見ることも聞こえることも、本当に出来るのかどうか分からない。
足を動かしてみるが、矢張り感覚がなく。瞬きをしても何も変わらず闇が広がっている。
一体、どれほどの時をこの空間で過ごしたのだろうか。
一刹那かもしれない、一日かもしれない、一ヵ月、一年。もしかしたら、永遠かもしれない。
ここを地獄と仮定してみたら、納得がいった。
生前に殺した生物の本来の寿命分、この空間で過ごさなければならないのかと、そう考えた。
確かに地獄だった。
こうして、考えることしかできない空間。音も無い。死んでいるためなのか空腹感もない。
最早、全ての感覚が遮断されているようだった。
突然、本当に突然、声がした。
何一つの前触れもなく声がした。その声は私に優しく語りかけているようだった。
嘗て母が、生まれたばかりの私を頭で撫で語りかけてくれたのを思い出した。似ていた。ひどく似ていた。声が止まった。
また、何の前触れもなく急に空間が激しく揺れた。世界が揺れた。
一筋の光が、この闇の空間に灯った。その光は綺麗で、美しく、神々しく、なにより儚かった。
私は光に近づいて行った。感覚が戻った。
私は歩いていた、自由になったと思った。この空間で永遠の時を過ごした私を祝福してくれているかのように光が広がった。もう、光は直ぐ其処だ。私は闇の空間から抜け出した。
光の先で一番先に見たものは、巨人族だった。
ジャイアントといわれる巨人族は様々な種類がいると知識では知っていたが、実際に見たのは始めてだったため、種類までは分からなかったが、掠れている視界の中、目を凝らしてみた巨人は、人間をそのまま大きくしたみたいな容姿をしていた。
私の体の約三、四倍程の体長、目算で約二十五メートルもある。
通常、巨人族とは一番大きいギガース達が十二メートルほどだ。目の前の巨人族たちは、氷河期以前に存在していたヴァン神族と同等の大きさを誇っていた。
私は直に、翼で飛び上がろうとした。
だが、翼は動かなかった。なぜだ、と思い。もう一度、動かそうとするが動かない。
私は大きな咆哮をあげ気合いをいれた。
また動かなかった。否、動かなかったのではない、なかったのだ。
生まれてから死後まで連れ添ってきた体の一部が消えている、という事態に私は、数百年ぶりに酷く混乱した。取り乱している私をギガースの一体に抱きあげられ、私の意識は堕ちた。
目が覚めた時、私は巨人族の女の腕の中でいた。背中を少しまるめ、頭が胴より上の位置にあったため、私は自分の体を見下ろすこととなる。
視界に映るのは、もみじのように小さく、柔らかそうな手、足も肉付きがよく柔らかそうだった。
(なんだ、これは……?)
これでは、何処からどう見ても、人間の赤子にしか見えなかった。
(私が? 人間になったのか?)
ワカラナイワカラナイ、あの闇の空間は、この女の中だったのか?
突然、聞こえた声はこの女のものだったのか?
(この、この、私が、あの脆弱にして貧弱な人間なんぞに……生ってしまったというのかッ!)
とても許容できなかった。
人間と言えば、必要以上に戦を好み、無意味な同族殺しはお手の物、摂取量以上に動物を狩り食べては残し捨てる。木々の伐採も進め、他の生物のことなど考えずに自分たちの利益だけを求めている種族だ。
地獄だ、と思った。
生前最も、軽蔑していた種族になるとは、欠片も微塵も考えたことなどなかった。
(これが……これが、罪に対する罰か)
プライドが崩壊していった。じわじわと、段々、しかし確実に。
往く路は、人間という傲慢な種族として生きる道のみ。
自殺などという考えはない、私のために死んだ両親に申し訳がなかった。
(この運命を誰が仕組んだのかは分からぬ、だが私はサンクロトンドの王バハムートだ。運命なんぞ打ち砕いてみせる)
ここに、サンクロトンドの王バハムート。十万の魔獣の頂点に立っていた竜の人間としての生活が始まった。