リアル鬼ごっこって超こわい。追っかけてくるのは美少女だけど、あれって肉食系だよね。
2/白いお姉さん
隠れることは無意味だ。それが今までの少なくない経験から導き出された答えだった。
ミリィは鼻が良い。テントの中にいるというのに、その日の晩御飯が何の肉かを判別できるほどに鼻が良い。食い意地張ってるだけじゃないの、とかは言っちゃいけない。あれでも乙女なのだ。
本当は物陰にでも隠れて休みたかったけれど、止まれば捕まってしまう。だから僕は、貧弱な心臓と四肢を必死に動かして走っていた。バッグが揺れてひどく走りにくいのだが、この中に僕の全財産を詰め込んであるため捨てることはできないし、これが無かったところで結果が変わるとも思えなかった。
そう。これはすでに結果の決まった勝負なのだ。
僕が逃げ、ミリィが追いかける。その発端に違いはあれど、行き着く先はいつも同じだった。すなわちふるぼっこである。種族的な問題が第一であったとしても、普段から部屋でごろごろしている奴と毎日運動している奴が追いかけっこをすれば結果は明白だろう。
しかし、僕はそんなことには負けないのである。男の子の意地なのである。結構、必死なのである。
正直、命がけの追いかけっことかだるくてやりたくないのが本音だ。でも、僕の悪戯衝動は抑えられない。ミリィという人間を見ると、ついついやってしまうのだ。基本的に古代神言語なんてやたらめったら出てくるものでもないし、そうなると僕はすごい暇だし。いや、暇だからって命はかけたくないけど。
まあ、これはこれで僕とミリィなりのスキンシップと言うか、寂しがりやのミリィに僕が付き合ってあげてるみたいな感じかな。まったく、ミリィも仕方ないなあ。はっはっは。後方から殺気がひしひしと伝わってくるんだけどさ!
ミリィはいちいち「待てー!」とか「止まりなさい!」とかは言わない。黙々と追い詰めてさっさと狩るタイプである。主人公達が長々と変身している間にぶん殴ってくるような奴である。空気が読めないとかじゃなく、シンプルなのだ。弱肉強食的な意味で。
今はまだ人ごみが壁となっているけど、そう長くは続かない。早急に次の手を打つ必要があったが、僕に残された選択肢は多くない。
遺跡発掘で長期滞在中のアルレドを目当てにやってきた行商人たちが店を開き、辺りはちょっとした市場になっていた。もうすぐ夕食ということもあって、あちこちから肉を焼く音や、香辛料の匂いが漂ってくる。いっそ食べ物で懐柔しようか。いや、ここら辺のお手軽料理で許してもらえるとは考えにくい。となれば良いお肉を買うしかないけど……。
荒く息を吐きながら、行き交う人の群れの間を縫うように走る。
空の端がほんのりと暗く染まり、夜の訪れが近いことを告げていた。頭上高くでゆったりと歩くいくつもの雲を追い抜きながら、僕はそろそろ限界が近いことを感じていた。幾たびも繰り広げられた追いかけっこによってそこそこ鍛えられたはずなのだけど、それでも基本的なポテンシャルが低いのが僕という人間である。活動時間はあまり長くない。
「……と、なると」
ここら辺で妥協しておくべきだろう。幸いにして、ミリィに献上するに相応しい値段と味を誇るお肉の扱い店には心当たりがあった。懐への打撃は大きいが、中々良いお給料を頂いている現在の僕にしてみれば痛い出費というわけでもなかった。これで命が買えるなら安いものだ。
あとはお肉を手に入れるのが先かミリィに追いつかれるのが先かだけど、これはもう天命に任せるしかない。悪運は強いほうだとは思うので、まあなんとかなるだろう。
―――とか考えていたら、驚くほど簡単に目的地についてしまう。一応うしろを確認してから、僕はその店の中に入った。
「いらっしゃい、ヒロくん」
まるで人が来るのが分かっていたかのようなタイミングと、それが僕であることを知っていたかのような優しい呼びかけ。駆け込んだというのに、その人に驚きはなかった。
ワンルームに等しいくらいの小さなお店は、ひとりの女性のお城である。壷に入った刀剣や、小さな棚に並べられている鉢植えの薬草。壁にかけられている真っ赤な服はどこかの民族衣装だろうか。あっちこっちを気の向くままに旅して、そこで仕入れた珍しいものをまた別の土地で売る。自称「旅するお店屋さん」の店主は、綺麗なお姉さんである。
「どうも、ルルさん」
一見しての感想は、白。いやパンツがじゃなく、本当に白いのだ。長い髪は白銀の光を紡いだかのように輝いているし、そこから伸びるふたつの獣耳も銀色の毛並み。しなやかな肢体は染みひとつない純白の着物で包まれている。おまけに肌まで雪のような白さで、初めて会った時は大口を開けて見惚れてしまったほどだ。
ウォルフ族というからたぶん狼かなにかなのだろうけど、ルルさんはとても穏やかな人である。そしてとてつもなく美人である。あまりの美人さと気品に、僕は1m以内に近づくことができないくらいだ。
たぶんルルさんの周りには聖域が張ってあって、穢れた僕という存在は踏み込めないとか、そんな感じなんだろう。
ルルさんは、やんわりとした深い海の色の瞳で汗だくな僕を見ると、大まかな見当をつけてしまったらしい。
「またミリィちゃんと追いかけっこ?」
「……あはは」
とても楽しそうに言われてしまったので、とりあえず笑ってごまかしておく。そんな僕を見てくすくすと控えめな笑い声が響いた。
「仲が良いのね、ふたりとも。でも、あんまりいじわるばかりしてちゃ嫌われちゃうわよ?」
悪戯っぽく微笑む美人のお姉さん。正直、僕はもうメロメロである。自分が「その胸で包み込んでくださいお姉さま!」とかとち狂ったことを叫んでルルさんに抱きつこうとしないかが心配で仕方ない。
「性分なもので。それにミリィの反応がおもしろいからついつい」
「あ、それはちょっと分かるわ。ミリィちゃん、可愛いものね。抱き締めたくなっちゃう」
えへーっと頬に手を当てるルルさんを見て、僕の中の何かがぴしりと音を立てた。
「僕はルルさんに抱き締められたいです」
「え?」
「あ、独り言なのでお気になさらず」
瀬戸際でひびを修復した僕は、こくんと首を傾げるルルさんに、にこにこと笑って見せた。
僕は忘れていた。ここは魔界なのだ。知らず知らずのうちにルルさんの魅力に引きずり込まれてしまう恐ろしい領域。というより、ルルさんが魔性の人だろうか。
以前、怖い人に難癖を付けられたことがあったのだけれど、通りがかったルルさんが二言三言話すと、怖い人はでれでれのだらしない人になってしまった。しかもルルさんに言われるがまま、僕にしっかりと謝罪をしたのだ。その人はそのままルルさんに連れて行かれてしまったのでどんなマジックを使ったのかは分からないけれど、明確なことは2つ。気を抜くといろんな意味で危ないということと、ルルさんは逆らっちゃいけないタイプの人ということである。
「それで、今日はなにをお探しかしら? 装飾品でも贈ってみる?」
ほわんとした笑みでルルさんが訊く。ミリィとの追いかけっこでどうしようもなくなったときに、僕はここでいろいろと買って行く。そのため、話がとても早い。
「えっと、今日はお肉にでもしようかなーと思いまして。何かないですかね、美味しいやつ。多少お高くてもいいので」
「美味しいお肉ね」
顎に白い指を当て、ルルさんはぽんやりと虚空を見上げた。思い当たるものが見つかったらしく、胸の前で両手をぽんと打ち合わせる。
普通であれば体型を寸胴にしてしまう着物ですらその豊かな胸は押さえ切れないようで、どーんと主張する膨らみに僕の視線は釘付けである。
「ゴスファングのお肉はどうかしら。今朝仕入れたばかりだし、なんと珍しい胸部のお肉なの。大きくて柔らかいのよ」
「たしかに、大きくて柔らかそうです」
「とっても美味しいんだから」
「たしかに、美味しそうです」
僕はルルさんの胸を凝視したままこくこくと頷いた。
「こらこら。そっちの胸じゃないの」
僕の視線に気付いたルルさんが僕の額をぺちりと叩いた。不躾な僕の視線にも、こにことと笑っている。まるで出来の悪い弟を持ったお姉さんみたいだった。
「すいません。つい視線が」
頭を下げて謝ると、人差し指を立てたルルさんが諭すように僕に言う。
「ヒロくんが見つめるべきなのはミリィちゃんのお胸でしょう? じっとりねっとりとね」
あれ? おかしいな。変な幻聴が。
思わず耳をほじくる。閉月羞花もかくやという清雅なルルさんが、まさかそんなことを言うわけが……。
「はい、お肉。ちゃんと仲直りするのよ?」
「あ、はい」
そこにいるのは真っ白な獣耳の巨乳お姉さんで、冬の朝のような澄み切った気配を纏うルルさんに違いなかった。やはりさっきのは聞き間違いに違いない。ほっと息を吐く。
「がんばって押し倒してね。きっとミリィちゃんも満更でもないだろうから、そういう雰囲気に持ち込めばなんとかなるわ。獣人族は耳と尻尾が弱いから、責めるのはそこ。じっとりねっとりとね」
どうやら僕は疲れているらしい。こんな妄想みたいな幻聴が聞こえるなんて。かなりの重症のようだった。
ルルさんにお肉の代金を払って、僕はさっさと戻ることにした。今日は早く寝よう。それできっと、全てが夢になるはずだ。そうに違いない。僕はそう信じている。
――――――
<ひっそりと作者>
|ω・`)
|ω・`)……。
|ω・`)そんな目でこっち見んな。
異世界喫茶が驚くほど進まないのでむしゃくしゃしてやった。話が全然進んでないことは反省している。綺麗でおっぱいなお姉さんが書きたかったんだ。