「あなたと幼馴染みだっていうだけでも嫌なのに!」
目を覚ます。悲鳴を上げる様な類の夢ではなかったが、それでも夢が終わったことに安堵する。
…それがほぼ一月前に実際にあった情景だったとしても。
―――4/4 06:29枕元の時計で現在時刻を確かめる。目覚ましが鳴るには少し早いが、さりとて二度寝するには時間が足りない、そんな時間。
(今日から大学生になるんだった、な…)
外は既に明るくなっており、カーテンの隙間から陽光がこぼれている。
カーテンを開け、目覚ましのアラームが鳴り出すことのないよう止めると、
主人 公は寝巻きのまま部屋を出て階段を降りて行った。
…向かいの家の窓から目を背ける様に。
あの素晴らしい日々をもう一度
第一幕 始まりはいつだって唐突だ
「おはよ~」
「あら、おはよう。一人で起きてくるなんて珍しい」
台所に顔を出して母親に挨拶するとこんな返答をされる。
公は苦笑いしながら返す。
「俺だって子どものままってワケじゃないよ」
そんなセリフを言いながら、まだ父親が起きていないことを確認し、表まで新聞を取りに行くことにする。
そうよね、もう高校生ですもんね…なんて、母親の半分感心、半分からかいの呟きを聞き流しながら。
(お母様、僕ぁ今日から大学生ですよ? 失敬だなぁ…)
公も負けじとからかいと呆れを含んだ返答を返す
―心の中で。
朝食前に母親の機嫌を損ねるとまずいのだ。
つっかけに足を通し、玄関を出て表のポストまで出る。
余談だが、主人家のポストは少し壊れており、敷地の中から中身を取り出すことが出来ない。わざわざ外まで回りこむ必要があるのだ。
門を開け、ポストの前に回ると中には新聞のみが入っていた。
「牛乳、配達忘れかよ…。電話して文句の一つでもつけねばならんな…」
主人家では毎朝牛乳を届けてもらうように業者と契約している
―飲むのは公のみなのだが。
そのことも思い出しつつ、そもそも牛乳を取り始めたのって俺が部活を始めてからなんだよな…などと考えていると、隣の家の門が開き
「いってきま~す」
なんて、鈴を、転がしたような、声が、する。
そちらを見るまでもなく、その声の主が誰かなんて公には分かっている。分かりきっている。
―藤崎 詩織
―その名は公の胸に鋭い痛みと共に
―1ヶ月前とは全く逆の感情と共に
―浮かび上がる。
1ヶ月前、そう、今では彼の母校と呼ばれる存在となったあのきらめき高校の卒業式のあの日、彼は彼女に告白したのだった。
そもそも彼がきらめき高校に入学したのは自分の隣人であり、幼馴染であり、そして長年の想い人であった彼女が入学したからであった。
もっとも、一口に入学したといっても公と詩織では学力に大きな差があり、彼女は推薦で早くも進学が決まっており、彼の方はギリギリまで勉強し、それでも補欠による滑り込みの入学だったが。フォローするならきらめき高校がこの辺りでは所謂『進学校』であったということも記載しておくべきか。
とまれ、同じ学校に入学した二人だったが、公はすぐに彼女に想いを告げるワケにはいかなかった。
藤崎 詩織は完璧なのだ。
勉学、運動は言うに及ばず、その容姿、性格、その他全てが文句の付けようのない水準、最高水準で整っていた
―性格については人によって意見が分かれるかもしれないが。
そんな彼女に告白し、OKをもらう…つまりは彼女の『彼氏』になる為には自分を磨き上げる必要があると公は考えた。
その当時の公は補欠入学の例からも分かるように、勉強は中の中、運動そこそこ、容姿人並み…まぁ性格については優柔不断と言うか優しいと言うか…さらに他にこれといった特技があるわけでももなく、そこら辺の一般生徒に埋もれるような人間だったのだ。
そこで彼は高校の3年間で自分を鍛え上げることにした。彼女の、藤崎 詩織の隣に立つに相応しい男になるために。もっともそこには入学式の日に彼の悪友(入学式の日に初めて出会い、その時から既に悪友と定義された)から聞いた『伝説』に賭けてみた、なんて事情もあったが。
…しかし、現実は過酷だった。
彼女の後を追う形で入部したバスケ部だったが、元々適正がなかったのか3年になってもスタメンには選ばれず、さらにはベンチ入りも認められず、補欠のままで終わってしまった。
勉強に関しても要領が悪いのか、3年間励んだ割には定期テストでもよい結果は残せず、最終的に入学できた大学も二流止まりだった。
そして、何より問題だったのが………高校生活において様々な女友達が出来た公だったが、詩織を差し置いて彼女達と遊びまわるかのような行動をとってしまった事であろう。
健康的な高校男児である彼を責めるのは酷であるかもしれないが、それでも彼の節操のなさは詩織
―公のことをどういう風に思っていたかは分からないが
―の気に障ったということなのだろう。それを彼が自覚していないという点がさらに問題を悪化させているのだが。
きら高の卒業式のあの日、『伝説の木』に呼び出されなかったのは無念が残るが、それでも自分から告白すれば受け入れてもらえるだろう
―そう考えて詩織に告白した公への返答は………今朝夢に見たような内容だった。
目を見張るような結果を残せなかったとは言え、彼の3年間の努力を否定されたという思い、そして彼の手元に何も残らなかったという現実、そんな持って回ったことよりも、単純に恋に破れたという事実。それらにより公はこの一月、『女々しい野郎』と言われてもしょうがない生活を送ってきた。
それでも大学が別
―詩織は一流大学に進学したのだった
―なので相手に顔を合わせなくてもよい、という事でなんとか心を落ち着けていた先に、早速彼女と顔を合わせなくてはならないという事態に直面してしまった。
もっとも、隣に住んでいる以上、二度と彼女と顔を合わせないでいるなどということが出来るはずもないのだが…。そこは精神状態を安定させる為の目隠し、心の不思議といったところだろうか?
…などと感慨に耽る暇もなく、公は家の中に引っ込もうとする。現状で顔を合わせるのは避けたいからだ。その現状とやらがいつまで続くのかは不明だが。
しかし彼の努力は一生報われない運命にあるのか、彼が家に戻る前にあっさりと詩織は出てきてしまう。
「………」
公の方から声をかけることなど出来るはずもなく、目を逸らしながら家に入ろうとすると
「おはよう、公!」
などと詩織の方から声をかけてくる幻聴が聞こえてくる。
(……俺ってそこまでまいってたのか…?)
なんて思いながらチラっと詩織の方を見ると、『きらめき高校』の制服に身を包んだ詩織がこちらを見て『ニコニコ』してる。
(……幻覚まで見えているんだろうか…?)
一瞬、唖然としながらも公が考えていると、不審に思った詩織(の幻影?)が傍に来て、続けて声をかけてくる。
「どうしたの、公? そんな難しい顔して。どこか具合でも悪いの?」
まるで公を振ったことなんてこれっぽちも覚えてませんよ~なんて感じの詩織の様子に、公は幻覚・幻聴の類であるという思いを強くする一方、近くで見るこの存在感は幻ではないと考え返事をする。
「い、いや…。なんでもない。なんでもないんだ。しお…、藤崎さん」
詩織は目を丸くして、自分の事を苗字で呼ぶ幼馴染を見つめ、怒ったように
―事実、怒っているのだろう
―言う。
「どうしたのよ、急に私のこと苗字なんかで呼ぶなんて! それに、なんでもないって様子じゃないわよ? 何かに怯えるような素振りをして…」
名前で呼ぶなって言ったのは君だろとか、なんでもないって様子じゃないのはそっちだろとか、貴女に怯えてるんですよとか言い返したいことは山のようにあるのだが、彼女のまるで昔のような
―そう、例えるならきらめき高校に通いだした頃のような
―様子に困惑しつつも、きっと何か企んでいる
―彼女がその明晰な頭脳を駆使すれば俺の想像もつかないような効果的な拒絶の仕方を思いつくだろう
―と考え、別の話題を出すことにする。
「そっ、そう、その制服だよ! どうして、し…藤崎さんはそんな服着てるんだよ!!」
「え? あぁ、これ? 恥ずかしかったから言ってなかったんだけど、実は私、今日の入学式で新入生の代表として挨拶しなきゃならないの。それで、式の前に打ち合わせとかがあって早めに学校に行かなきゃならなくて……」
相変わらず自分を苗字で呼ぶ幼馴染に不自然なものを感じながら答える詩織と、幼馴染が新入生代表になったことを聞きながら、その実、全然自分の疑問に答えを返してもらえていないことを考える公。
詩織の大学の入学式では新入生代表は高校の時の制服で行うんだろ~か? いやいや一流大学の考えることはわからん、きっとそこの校長の趣味なんだろうな~とか取り留めのない想像(妄想)をして公が現実逃避を図っていると、詩織が続けて話しかけてくる。
「だから、ごめんね?」
「ごめん? 何が?」
「今日は一緒に学校に行けないのよ」
「一緒…に?」
「うん。最初の日くらい一緒に学校行ってもいいんじゃないかって話してたじゃない? だけど、私はもう出ないといけないから…」
公は何か会話の歯車が噛み合わさっていない事を感じる。
「いや、一緒にって…。俺達、違う学校じゃん? 方向も全然違うし」
それに一緒に行くような間柄でなくなったし…などと心の中で付け足す。それも彼女の方から拒絶されたのだが。
「…公、やっぱりどこか変よ? 私達、同じ学校に通うことになったじゃない! …それとも、補欠入学が駄目になったの……?」
詩織が不安そうに聞いてくる。その不安は公の振る舞いがおかしいことに由来するのか、補欠入学が無効になった可能性に由来するものか?
そんな詩織の様子に露と気付かない公はそれを聞いて頭の中を『???』で一杯にしながら、決定的な質問をする。
「学校って…?」
それを聞いた詩織は一寸びっくりしたように、でもすぐに、とても優しく微笑みながら
―そう、その微笑みは後になってもはっきりと思い出せるくらい公の心に残った
―答えた。
「私立、きらめき高校よ?」
刻が、止まる
「………」
「……公?」
「………………」
「……………公っ!?」
「………………………」
「……………………公君っっっ!?」
「………………………………あ」
「………………………………あ?」
「あんですとぉ~~~~~っっっ!?」公の声が朝の住宅街に響き渡るのであった。