見習いメシアンの朝は早い。
教会の鐘の音に起こされた若者達は礼拝堂にて列を為し、居並ぶ美しい天使達に見守られながら、神父による聖典の朗読に耳を傾けて一日の始まりを迎えるのだ。
礼拝が終われば訓練場に集合、基礎体力作りのための持久走等を行う。
愛深き我らが主のために、メシアの降臨に備える為にと訓練教官は事あるごとにメシアンとしての自覚を促し、疲れた身体に染み渡るありがたい説教は訓練に励む見習い信徒の心を正しき教えで潤していく。
運動の汗を流せば、次は朝食の時間である。寮に併設されている食堂で各々食事を取る。食前食後の祈りは決まった時間に、席に付いた全員で揃って唱和しなければならないが、メシアンであれば当然の事、苦痛に感じる者は当然一人も居ない。
食事の後の小休憩。小とは言っても一時間の自由時間を与えられる。共に学ぶ仲間達と言葉を交わし、主によって齎される無尽の愛、メシアンとしてのあるべき理想を語らい、非情に満ち足りた時間を過ごせる事だろう。
休憩時間を終えれば昼の礼拝を行う。再び礼拝堂に並び、聖典の朗読を聴く前後には皆で祈りを捧げる。
礼拝が終わればまた訓練だ。体力の無い者も、有る者も、皆で戦闘訓練を行う。
基礎の基礎、剣の振り方以前に歩き方、走り方から学び、実際に打ち合う。怪我をした場合は治療訓練の一環として見習い同士で手当てを行うが、万が一のため、訓練の終わりには参加した全員が天使様のお力によって癒しの奇跡をその身に受ける義務がある。義務とは言うが、これを喜ぶメシアンは数多い。
そして夕食。日が落ち始めるまでずっと身体を動かしていた若者達はこぞって美味しい食事に手を伸ばすだろう。当然、食前食後の祈りは欠かさない。祈りを忘れるメシアンなぞ居るわけが無いのだが、主より賜った一日の糧を喜び、感謝の念を捧げる事は大切な事だ。人は常に祈りを忘れてはならない。基本であり、己が命を主に捧げるその日まで続く、生涯の倣いである。
夕食の後の小休止。またも一時間、与えられた憩いの機会を仲間達と過ごす。笑顔の絶えない談話室は、時折顔を見せる正規のメシアン達を交える事によって更なる喜びを与えてくれる。
そして夜の礼拝。就寝前に主を思う事で良き眠りを、良き目覚めを約束されるのだ。
礼拝が終われば就寝時間。見習いメシアンの専用寮棟では消灯時間が厳守される。また明日も主のために働こうと日々の誓いを新たに、清く正しい信徒の一日がこれにて終わる。
――ノイローゼになりそうだ……。
心労から生じる吐き気を耐えて、灯りの落ちた自室で一人の少年が弱々しく呟いた。
毎日毎日、祈って祈って祈って祈って、聖典の朗読とメシア教の定型説教を繰り返し聞かされる生活。
休憩時間でも周りのメシアン達は意味の分からない電波会話で神様を讃える言葉が絶えない。身体を苛める訓練時間が一番気楽で心が休まるのは、逆に健全なのかもしれない。当然だが、教官の言葉は殆ど聞き流している。
此処は洗脳施設だったのだろうか。最近祈りの言葉が脳味噌にこびり付いて取れないんだけど。頭を抱えて愚痴愚痴と繰り返す新たな見習いメシアンの少年は、たった三日間の信徒生活で既に気が滅入っていた。
「貴様の自業自得だろうが。まったく、偉大なる我とて一日中COMPに閉じ込められては暇でかなわぬ」
日中はずっと支給されたCOMPの中に入っていなければいけないスライムは酷く不満気だ。だが考えてみれば四六時中外に出ていた今までがおかしかったのではないか。消費するマグネタイト量を考えて、此処を出た後はもう少しCOMP住まいを長くして欲しいと少年は願う。
二人で愚痴を吐き合っていれば、首から提げている十字架型の支給COMPが勝手に起動して、新たな悪魔がその場に現れた。
『CALL ANGEL』
「既に規定の就寝時間を過ぎています。すぐに床に就いて下さい、咎人よ」
赤い鎧を身に纏い白翼を広げた天使族悪魔、天使『パワー』。
メシア教団から、見習いメシアンとしての生活に従事する『悪食』の監視役として押し付けられた、小言の五月蝿い説教悪魔だ。
「それと、――悪魔よ、未来ある信徒多きこの地にてその醜い姿を現すなと警告した筈だ」
「奴隷風情が、偉大なる我になんたる物言いか。我が霊格を取り戻した暁には貴様らの崇める神とて――」
室内の空気が歪む。
赤鎧の天使から吐き出される攻勢マグネタイトが、擬似的な異界とも呼べる重圧を室内に生み出していた。
右手に握る槍を掲げ、切っ先を向けはしなくとも攻撃の意思を露わにしてスライムを恫喝する。
「口を慎め、邪教の亡霊が。『アデプト』の温情によって生き長らえているだけの汚らしい貴様の妄言、寛大にして全知たる主が聞き流そうとも、私がそうであるとは思うなよ」
パワーに任されたのは監視役と、教導役だ。
道を誤った少年を正しき信徒として導く為に守護天使として降臨した。――というのがメシア教団側の言い分。マンハンター『悪食』が生まれる原因となり、今も傍に寄りそう外道族悪魔を排除したいと考えているのは当然の事だった。
実力差から言えば、パワーはいつでもスライムを殺せる。
それでも槍を向けさえしないのは、アデプトと呼ばれる教団側の重鎮がスライムの生存を条件付きとはいえ認めたからだ。アデプト当人の要請によって派遣されたパワーはCOMPを用いて結ばれた契約と、天使として課せられた役割でその行動を縛られている。
「……即時の就寝を、咎人よ」
重々しい再度の勧告には頷くしか無い。従わなければ小言が振ってくる、という程度ならまだ良いが、メシア教団が天使族以外の悪魔に対して寛容さを示すなど本来は有り得ない事だ。契約があるとはいえスライムに危害が加わらないと楽観出来るわけもない。
「むうううう!」
天使の態度に言い返したくて堪らないスライムが唸り、サマナーが仲魔の頭頂部を軽く叩いてCOMPを操作する。
――おやすみ。
「……うむ、よく眠るが良いぞオスザル」
スライムがCOMP内に送還され、パワーもまた勝手に戻っていく。この十字架型COMPを身に付けている限り、常に内部から天使が監視を行っている。それでも人目のある場所では姿を現さず、声を出す事も無いのは周囲への配慮か。果たしてメシア教団は『悪食』などといういかがわしい悪名を冠したサマナーがメシア教に改宗すると本気で思っているのだろうか?
メシアン専用の訓練施設から外に出る事は許されていない。無理に外を目指せばパワーも黙ってはいまい。
課せられた規則に従事していれば他の見習いメシアンと待遇も変わらず、想像していたよりずっと緩い生活に思うところもあるが、虜囚とはとても呼べない自由度で戦闘訓練や悪魔に関する知識を修める機会を得られるのは有り難い。
有り難いが、遠からず抜け出さなくてはならない。
こんな所で敬虔なメシアンになるつもりは全く無い。何故自分達がこのような待遇を受けているのか、教団の思惑なぞ欠片も察せられないままだが、どうにかして逃げ出さなければ、本当にスライムが殺される時が来るかもしれない。
閉じた瞼の裏で、相変わらずの黒色を見て息を吐いた。
近付いているのだろうか。もしかして遠退いてしまったのか。
あの状況で最大戦力を有するメシアン側に屈した事を後悔しているわけではないのだが、ここから巻き返すにはどう動くべきか。予想よりも好待遇の現状だが、それが逆に不気味に思えた。内情の見通せない相手と、一体どうやって戦えば良いのか。
焦燥を胸に抱えても、今は耐えるしかない。
力が足りない。手札が足りない。最低でも監視役である天使パワーを殺せる状況を作らなければ、教団からは抜け出せない。今は相手の思惑などより自分が何を出来るかが最重要。
生き延びたのだから、まだ道は続いている。そう信じて探し続けなければ。
明日も訓練に身を入れよう。変わらぬ方針を胸中で繰り返し、今日もまた一日が過ぎていく。
◇
起床の鐘が鳴り、とあるメシアンの青年が寮室で目を覚ました。
視界に映るのは自分に割り当てられた一人部屋。
見習いメシアンとして訓練施設に入居して以来使い慣れた、味気ない内装。
備え付けの机の傍らに置かれた、仲間達の遺品。
「……起きたくないな」
憔悴した顔で呟いて、それでも身体は朝の礼拝に向かう準備を始める。
準備を進めながら、青年の視線は遺品を納めた箱から離れなかった。自分がリーダーとして率いて、それ故に異界で散った、かつての仲間達の私物。自分以外は死んだと聞かされた、その時の胸の痛みを忘れられない。
どうして自分はあんな事をしたのだろう。どうして自分は、生き残ってしまったのだろう。何故、彼らは死んでしまったのだろうか。
分からない。何に責任を求めるべきか。自責の念から施設での日々を鬱々と過ごしても全く気が晴れないまま、時間だけが過ぎて行こうとしている。それが、堪らなく苦しい。
手を伸ばせば、死んだ仲間の私物の内一つが目に入った。
薄いプラスチックケース、音楽CDのジャケットには女性アイドルの笑顔が印刷されていた。あいつらこんな物を持っていたのか、と所有者も特定出来ないまま死人達に対して今更ながらに新しい発見をしてしまう。視線を再度遺品用の箱に向ければ、同じアイドルに関連する物品がいくつも見て取れた。
『新時代の歌姫――MIKOTO』
ジャケットには満月を背景に薄く笑う、綺麗な顔の少女が映っている。
遺品を漁ってみれば、数ある品にはどれもこれも同じような笑顔。確かに容姿は整っているが、青年には変わらぬ笑顔の数々が少しばかり不気味に思えた。音楽CDであるのだからもしかすると凄く歌が上手いアイドルなのかもしれないが、わざわざ聞いてみようとも思えない。
二十歳の誕生日を間近に控えた青年からすれば、中学生くらいの幼い少女の歌を聴くためだけにこれ以上 故人の品を漁るのは、申し訳なさと同時に妙な気恥ずかしさを感じてしまう。
誰の趣味なんだろうか、と自身と大して変わらぬ年齢ばかりだった仲間達を思う。品数が多いから、もしかすると複数人物が同じアイドルに熱を上げていたのかもしれないが。そうなると自分だけが知らなかったのか、と身勝手な、自分だけが仲間外れにされていたかもしれないなんて被害妄想が湧き出てきて、更に気落ちする。
もうやめよう。考えても仕方ない。手に取っていた品をもう一度遺品達の中に差し戻すと、白に青色の縁取りを施された見習いメシアンの支給衣服を着込んで部屋を出た。
「あ」
丁度 隣室から顔を出したメシアンを見て、思わず声を漏らした。
黒髪の少年。
見間違いようが無い。あの日 異界で目にしたサマナー、赤髪のガイアーズを打ち倒したマンハンター。自分達が異界に向かった理由の片割れ、『悪食』と呼ばれていた人間だ。
おはようございます。と少年から向けられたいつも通りの挨拶に、言葉を濁して会釈を返す。
この施設内で顔を合わせるようになって数日、複雑な心境だった。
誰も殺していないマンハンター。己の過失のそもそもの元凶であったが、彼自身が青年の仲間を殺したわけではない。少なくとも、面と向かって責めたてる事が出来ないくらい、青年にとっては自己へ向かう鬱屈の方が深かった。
メシア教団の重鎮、『アデプト』の言葉が蘇る。
――彼はただ己の在るべき姿が見えていないだけなのです。
人は間違い、だが後に悔い改める事が出来る。きっと正しさに目を向ける日が訪れる。
だから彼を見ていて欲しい。自身が過ちを犯したと考えられる貴方だからこそ、頼みたいのです。
胸元を強く押さえて、叫びだしたくなる激情を抑え込む。
何故沢山の人を襲ったのかと問い詰めたい。自分の抱える後ろ暗い感情を目の前の少年に知らしめてやりたい。お前のような奴がメシアンになるなんてふざけるなと怒鳴りつけたい!
だがそれで何になるというのか。上役から与えられた役目を思い出す事で、青年はようやく平静を装える。揺らぎに揺らいだ己の正しさを掴み取れないまま、メシアンとして、上っ面の体裁だけを取り繕った。
かつてはひたむきに掲げられた自身の信仰は、もう戻って来ないかもしれない。
元々そんなものがあったのかさえ、今では心底疑わしいのに。
立ち尽くす青年を気にもせず先を行く少年の後を追って、不確かな足取りで礼拝堂へと歩き出す。
己の胸元で揺れる天使の宿らぬ十字架型COMPが、青年には酷く頼り無く感じた。
■
悪食編終了。メシア教団編開始。
どうやって世界を滅ぼすか考えつつ、第八話の投稿です。
平和な時代におけるメシアンの教団内生活事情が不明過ぎて困っていますが、とりあえずこんな感じでいきます。
それから、遅ればせながら確認してみれば白蛇のミシャグジさまは確かに真・女神転生if...でした。ご指摘ありがとうございました。
そして続かないのです。