赤いルージュを引いた唇が紙巻煙草を咥えたまま、小さな舌打ちを二度鳴らす。
「詳しいお話はまた今度、だあ? 随分調子の良い事言うじゃねえかルーキーめ」
暗がりを睨み付けるのは赤色のパンツスーツを着て赤髪を纏め上げた一人の女性。そこに居るはずの相手に向けて、握り潰すかのような右拳の開閉運動を見せ付ける。図に乗るな、殺すぞ。全身で戦意と殺意を表現していた。
だが影の中に立つ黒尽くめの男は無感情に肩を竦めた。
米神がゴロゴロと蠢く。女として異性に見せてはいけない類の恐ろしい形相を浮かべる赤髪の女傑は、それでも大きく息を吐き出す事で己の精神を平常値へと引き下ろす。
彼女はガイア教団の古参――という事になっている人物だ。
別に経歴を偽証しているわけではない。荒くれ者の多いガイアでは死傷者も多く、人の出入りが激しい。だからこそ十年に満たない戦歴でさえ一組織における古参扱いを受けてしまうのだ。
ガイアは気に入っている。力を振るえば自由を得、力を磨けば更なる力を得られる。同教団内における私闘さえろくに禁止されていない放埓な集団。実力を持つが故の居心地の良さだが、数年過ごしたガイア教団は彼女にとっての家とも言える。
だからこそ、馬鹿ばかりの現状が気に喰わない。
弱者を踏み躙るのは良い。だが下ばかり見ている癖に自分は強いのだと謳うグズ共には殺意が湧く。
貪欲に力を求めるのも良い。だが強者に媚びて恵んでもらう事を常とする輩にはやはり殺意が湧く。
馬鹿め。馬鹿め。ああ本当に馬鹿ばかりだ。
ガイア教団に愛着が湧いてしまったからこそ、貧弱且つ軟弱な有象無象が気に喰わない。蹴散らした所で次から次へと新しく入ってくる雑魚共を一人一人相手にするのは疲れてきた。
彼女は古参と見なされている自分の立場を利用し、所属組織の在り様を変えてしまおうと思った。思ったが、――どう変えたいのか、どうやれば変えられるのかが全く分からなかった。所詮はガイアーズ、例に漏れず頭脳労働が苦手だった。
苦虫を噛み潰す思いで付き合いの長い仲魔に聴いてみれば、「出来る奴にやらせれば良いんじゃないの?」と来た。
なるほど。と彼女は頷く。分からないのなら分かる奴を連れてきてやらせれば良い。最終的にガイアで物を言うのは暴力だが、そこは自分が持っている。『自由と混沌(カオス)』の徒たる女傑は出来そうな気がしてきたので即座に動いた。
最近噂のマンハンター。ガイアのお偉い方が「人も悪魔も等しく糧とする『悪食』め」と口にした相手。
接触は偶然だが見つけるのは簡単だ。あんな目立つCOMP、見間違いようが無い。
相手はガイアからの勧誘に乗り気のようだが、詳細に関しては次の機会を設けて欲しいと言う。面倒臭い。何故、自分が求めているのに即断しないのだ。不満を覚えて力尽くで連れ帰る事も考えたが、人を動かす為には飴が必要だ。雑魚の意見を聞き入れる度量を示すためにも、ここは譲る事にしよう。
「……ふん、行く場所は分かった。逃げるなよ、殺すぞ」
最後に一睨みして、踵を返す。
結局最後まで暗がりから言葉を投げ掛けるばかりで顔一つ見せようともしない『悪食』。
普段から礼儀のなっていない阿呆ばかり相手にしていたから見逃したが、どうにも態度が気に喰わない。
「あの声もだ、なんか気に入らねえ」
きっとあいつは嫌な奴だ。ガイアに来たらしっかりと躾けてやらなければ。
機械仕込みの右手を振り回しながら、彼女はこれからの予定に思考を回した。
◇
誰もが感じ取れるほど明確に、大きく、異界が揺れていた。
現世とは異なる位相、文字通りの異空間。低級悪魔しか存在しない、程度の低い異界に力尽くで引きずり込まれた霊体の重みによって、まるで地震のような揺れが異界全体を揺さぶっている。
「……今度は何やらかす気だ。相変わらず顔も見せねえであのクソはよおッ!」
「落ち着きなさいなサマナー」
赤毛の女傑がメシアンの頭部を右手で砕き散らしながら悪態を吐く。
言葉を投げ掛ける悪魔『ヴィーヴル』も天使を一体葬りながら、素早く周囲に視線を巡らす。
この異界内で何かが行われている。下手人は間違いなく自分達をこの状況へと誘い込んだマンハンター、『悪食』。
メシアンとの喰い合いなぞ奴の企みの内では前座に過ぎないという事か。舌打ちを三度ほど繰り返すと、女は生き残った敵手へと視線を向ける。
まずは目の前の邪魔者達を排除するべきだ。『悪食』が何を行おうと、万全の状態で迎え撃てばどうとでも出来る。ガイアーズとして生き残ってきた己の戦績への自負からそう断言する。
同じ戦場に立つガイアーズの下っ端共は既に二人しか残っていない。対するメシアンは残り五人。追加の仲魔さえ要らず自分とヴィーヴルで殺せる数だが、消耗を少しでも抑えたい。ならばやる事は決まっていた。
「おいグズ共、突っ込め」
「は?」
地霊『ノッカー』一匹だけを侍らせた男が一人。COMPを壊され刀剣を構えている少年が一人。
少しも役に立ちそうに無い。そもそも最初から戦力として期待していない。剣を構える小僧に至っては棒切れでも握っているかのような酷い構えだ、盾にだってならないだろう。
だから使い捨てる。ガイアーズとして当然の思考だ。
「あのメシアン共に向かって真っ直ぐ突っ込め。出来なきゃ死ね」
物分りの悪さにうんざりして吐き捨てると、ヴィーヴルが仕方無さそうに肩を竦める。その反応に少しばかり米神が疼いたが、仲魔の知ったかぶった振る舞いにもいい加減慣れている。この状況では腹を立てるのも面倒だ、と新しい煙草を咥えて見なかった振りをする。
言われたガイアーズは未だに何を命令されたのか分かっていない顔をしていた。
それが殊更気に喰わなかったから、女傑は機械音を鳴り響かせる右手を伸ばし、――少年の握っていた刀剣を粉々に握り潰した。
「へあっ?」
ガイアーズの少年の顔が呆けた。彼の中の常識では、金属で作られた刀剣が素手で、しかも掌で握り込むだけで壊れるなど有り得ないのだ。あってはいけないのだ。
握っていた手を開くと、剣の破片らしき残骸ではなく、まるで砂のように細かく粉砕された銀色の何かが地に落ちた。
「――次は、お前らの顔面な」
丁寧に、噛み砕くように言葉を投げ掛ければ、ガイアーズの二人はメシアンに向けて全速力で走り出した。
命令一つにも時間がかかる。これだからガイアは!と女傑は己の所属教団を罵倒する。
「仲間に対してなんという暴挙、これだからガイアは!」
「恥を知れケダモノ!」
「だったら助けてくれよおおおおおお!!」
「おかあちゃああああああーーーん!!」
向かってくるガイアーズに対して情け容赦の無い魔法攻撃を見合うメシアン達。
泣き叫ぶ二人はそれでも一縷の望みに賭けて、どうにか生き残る道を探そうと逃げ道を求めて前方へと全力疾走する。
「サマナー、僕COMPに戻ってるね?」
そしてこっそり拾ったCOMPを操作して自己送還を行うノッカー。
「生きてたら、また会おうよ!」
彼のサマナーは既にメシアン目指して遠く離れつつあったが、ノッカーは自分が大事だった。サマナーよりもずっとずっと大事だった。
その背中を、女性用の革靴が軽く蹴り飛ばす。
「お前も行けよ」
「……やっぱりィ?」
COMPを弄っている所を女傑に見つかり、ノッカーもサマナーに倣って震えながら走り出す。
一連の寸劇にヴィーヴルが笑い、女傑が睨みつける。
先行した二人と一匹が僅かでも隙を作れば良し。ヴィーヴルへと視線を向ければ、指示を汲み取り諸共薙ぎ払うための準備に入り――。
「ほう。『緋熊(ヒグマ)』か、久しぶりだな」
背後から現れた偉丈夫――ジョージ・バットマンの声掛けに顔を歪めた。
「ファントムのクソホモ野郎かよお……っ!」
「あら久しぶり。インキュバスは元気?」
「ああ、ケツを使い潰してしまったから代替わりさせたよ」
「あら悲惨。仲魔は大事にしないとね?」
「ははは。ベッドの上では紳士さ、俺は」
パンツスーツの女傑――『緋熊』と呼ばれた女はバットマンの物言いに吐き気を耐えて煙草を吐き出す。
対照的に、親しげな振る舞いで手を振るヴィーヴルとバットマンは本当に仲が良さそうだった。そして本当に仲が良いので、緋熊はこの二人のやり取りが死ぬほど嫌いだった。
彼らの会話内容が常に自分の許容範囲から大きく外れているのも大きな理由だが。
「戦場できったねえ話してんじゃねえぞ、このクソ共おッ!!」
「……お前、まだ独り身なのか」
「関係無えだろがどこから来たんだよその発想はよお!?」
「俺とインキュバス軍団の枕事情に嫉妬したわけじゃないのか?」
「クソが!!!!!」
話が通じない。発想が異次元から来ているかのようだ。緋熊は血を吐くような思いで会話を打ち切った。
口元を押さえて笑いを堪えるヴィーヴルの様子に大きな舌打ちを繰り返し、メシアン達へと視線を戻す。
走っていたガイアーズはノッカー共々全滅していた。当然の結果だった。まんまと機会を無駄にした事を理解した緋熊は、懐から取り出した紙巻煙草を七本ほど纏めて咥えて火を付ける。何の意味も無い行動だった。八つ当たりにもならぬ衝動的な浪費である。
メシアンが三人へと武器を向ける。天使もまた戦意を隠さない。
「……バットマン、お前も『悪食』、じゃねえな。マンハンターの件か?」
「『悪食』で構わん、その呼び名は聞いている。勧誘を行っていたのだが、異界の揺れに乗じて逃げられてな」
「ああ゛っ? お前の方に居たのか? じゃあこの揺れは別口か? んん?」
緋熊が右手を突き出す形で構えると、ヴィーヴルはその斜め後方で攻撃準備。
横に並んだバットマンはサングラス型COMPを左手で操作して仲魔の召喚を行う。
「これは何か来る、な」
『SUMMON DEVIL』
「返り討ちにすりゃいいだろが、全部、全部よお」
遠くから雄叫びが聞こえる。
まるで何か恐ろしいものから逃げ続ける無力な獲物が上げるような、悲痛な声が。
「急げオスザル。不味いぞオスザル。あれはガルダインだな、あの阿呆め狙いも付けず無差別に撃ち出すつもりだぞ。マグネタイトを用意したのは誰だと思って――む、戦場に辿り着いたな」
それは丁度少年期から青年期へと移り変わる、中途半端な年頃の少年だった。
両腕で外道スライムを抱き締め、不自然なくらいに多量の汗を流しながら、荒い息を整える間もなく走り続けたであろう必死な顔。衣服は薄汚れて、ここが天下の往来ならば哀れみさえ覚える、被害者の姿そのものだ。
恐怖からか俯きながら真っ直ぐ走り込んで来た少年は、勢い余って緋熊の眼前で転んでしまう。
乱れた呼吸のまま、それでも胸元に抱えるスライムだけは傷一つ付けまいと身体を丸めて地面を滑る様子は、力強さなど欠片も見えないが正しくサマナーたる者のあるべき姿。
「あー……、おい餓鬼。何があった。つーか誰だお前」
酷く面倒臭そうに少年を足で小突く緋熊。
はっと目が覚めたような表情で女傑を見上げた少年が目を見開いて一言、不意に零れたというかのような透き通った声で、だがはっきりと。
――結婚してください。
「………………は?」
「あらやだ見る目無いわねこの子よりにもよってうちのサマナーとか。……頭おかしいのかしら?」
「ああ、俺もそう思う」
ぽかんと目と口を開いて呼吸さえ止めた緋熊。そして傍らでは未だかつて無い驚嘆からか心よりの本音でもって契約者たるサマナーを罵倒してしまう龍王ヴィーヴル。したり顔で頷くバットマンは平常運転だ。
緋熊達の反応からおよそ五秒。
自分の発言内容を顧みたらしい少年が慌てて視線を周囲に泳がせた挙句、縮こまるように俯いて己の顔をスライムの背に埋める。
初心な少年が憧れのお姉さんに告白したが、それは不意に零れた本心であり今はまだあの人と並び立てる自信など無くこうして想いを告げる気なんて僕にはなかった筈なのに!と言外に語るような、見事な恥じらいの仕草。ドラマのワンシーンのようだった。
緋熊の咥えた七本の煙草がじりじりと焼けて煙を吐き出す。メシアン達もこの状況でどうすれば良いのか困っていた。隙を晒しているガイアーズを攻撃するべきなのだが、それでは自分達は空気を読めていないと言っているようなものだ。
「あー、あー……っ、その、だな? うん。いや、うん」
「あらやだサマナーってば照れてるわキモイ」
「生粋のガイアーズだからな。恋路とは縁遠くて当然だ」
少年へと視線を向けられず、言葉を濁す事しか出来ない緋熊。
罵倒の言葉を止められないヴィーヴルと、理解ある態度で頷くバットマン。
「キッ、キキキキキ、キシィイイイイイイイイイイイインンンンンンッッッッ!!!!」
停滞しつつあった空気を引き裂くのはタケミナカタの具象不完全体、大外道スライム。
「でけぇなっ!?」
「すらいむ?」
「スライムだな」
咄嗟に少年を庇う位置へ飛び出す緋熊。残りの二人は巨大すぎるスライムに眉を顰め、メシアン達はサイズ差のあり過ぎる敵の出現に腰が引けていた。
バットマンの傍らで先程召喚された悪魔がその身を起こす。
とても美しい肢体をもつ、輝く黄金の頭髪を背に流した男性悪魔。
「いけるな、『ナルキッソス』」
「ええ。……ですから今宵の夜伽はご容赦下さい、サマナー様」
「ははっ。大丈夫だ、褒美にたっぷりとくれてやる」
「……しにたい」
金色頭の頭頂部から伸びた花が萎れるようにへたり込んだ。
漏れ聞こえる会話に泥を呑んだような不快感を覚えながら、緋熊は膝を付いたままの少年へと声をかける。
「下がってろ、……邪魔だ」
言葉は荒いが、声音には小さな気遣いが見えた。
はい!と素直に頷く少年に、ああそうだよやっぱり素直なのが一番だよな何でガイアは聞き分けの無い奴ばっかりで……、と考え小さく頬を緩ませていると、隣でヴィーヴルが己が主をじっと見つめていた。
思わずたじろぐ。
「な、なんだよ」
「年下が良かったの、あなた?」
「違え。違えから。本当に違うからな。違うに決まってるだろ馬鹿か」
緊張感の無いやり取りと裏腹に、戦士達の肉体は迫る戦闘に備え始めていた。
壁や天井に体躯を擦り付けながら距離を詰めてくる巨大スライムが、全身を震わせて人間達に襲いかかる。
――そして彼ら全員の視界から外れた位置で、スライムを抱えた少年が凄く悪そうな笑顔を浮かべて状況を観察していた。
■
少々投稿が遅れましたが第六話です。
そして物語の着地点が見えないままのキャラ紹介。
緋熊
NEUTRAL-CHAOSのガイアーズ。
脳味噌筋肉な全身赤色人間。
必殺技はソニックパンチ。
ヴィーヴル
NEUTRAL-NEUTRALの龍王族。
サマナーに対してお姉さんぶる悪魔。
愛の形には理解がある。
ジョージ・バットマン
DARK-NEUTRALのダークサマナー。
同性愛者だが男に厳しく女に優しい。
悪魔に人権は無いと公言している。