謎の美少女『ライドウ』は記憶喪失である。
謎の化け物に襲われていた少年を颯爽と助けた少女ライドウは、化け物にとどめを刺した直後、うっかり足元に転がっていた空き瓶を踏ん付けて、転んで頭を打って記憶喪失となった。
まるで古い漫画である。
「申し訳ありません……、ライドウは自分の名前さえ分からないのです……」
己が一人称で既にその名を名乗っている少女の本名は、未だ不明のままらしい。
まったくもって名称不明などではないのだが、初めて出会った夜の勇ましくも美しい少女の姿と今現在のポンコツっぷりを比較する事で、その大きなギャップに心をときめかせる一人の少年が、彼女の名前を指摘する事はない。
だって可愛いから。
少年はライドウに恋をしていた。どうしようもなく女を見る目が無いとしか言いようがないが、一目惚れだった。
夜闇にとけ込む黒尽くめと、その細い右手に握られた一振りの日本刀。
雲間から差し込む僅かな月光を跳ね返す美しき刃が化け物を両断したその瞬間、少年は生まれて初めて恋をした。
だから記憶を失って途方に暮れている美少女を無理矢理 自宅に連れ込んだ。――というわけでは無い。
少年の生涯は僅か十数年、その間に、あのような化け物は初めて見た。
ライドウは正義の味方なのかもしれない。あの化け物は悪い奴なのかもしれない。そんな子供の思い描くような世界設定が、有り得ないとは笑えぬ現状。
頭を強く打った記憶喪失の少女を近所の病院に連れて行くとして、その病院が悪の組織の関連施設ではないと、果たして本心から言い切れるだろうか。警察組織が彼女の敵では無いと断言出来るのか。
少年は言い切れなかった。化け物の存在など笑える冗談の類に過ぎない筈であり、化け物を滅ぼす美少女が日本刀片手に世界の平和を守っているなどという妄想は俗人の脳味噌の中から出てこない。その筈だったが、現状を振り返れば神妙に口を噤むしかない有様だ。
誰もが嗤うだろうその妄想は、単なる妄想では終わらなかったのだ。ならば、世に隠れた悪の秘密結社などというものも存在するのかもしれない。そんな危険な場所に彼女を連れて行く事など絶対に出来ない。
分からないのならば近付かない。不安ならば確実な安全策を取る。
それは弱腰となじられても仕方のない選択だ。しかし馬鹿にされようと蔑まれようと、少年は己の好いた少女の身の安全に関して、一切の妥協を許さなかった。
その結果が二人の同居である。
言い訳が許されるのなら、その結論を下す際、少年の中に下心は欠片も無かった。
結果的に好きな女の子と同居するなどというミラクルが実現してしまったが、その事実に気付いた少年はとりあえずガッツポーズをした。ガッツポーズした場面をライドウに目撃されたので少々気まずかったが、不可抗力だと自分を誤魔化す事で少年は精神の安定を取り戻した。
「これがアイドルというものですか。……成程、ライドウも少々憧れます」
過去を思い返して溜息を吐く少年を余所に、ライドウはテレビに映るアイドルに夢中だった。
なんだか世界を滅ぼしそうな匂いのする美しい少女が、薄い笑みを浮かべながら恋の歌を歌っている。
理由などは一切不明だが、アイドルの歌を聞いた少年の脇腹がシクシクと痛む。原因不明の腹痛に眉を顰めたが、放っておけば痛みも消えるだろうと気にする事なく放置した。
歌って踊れるあのアイドルの名前は何だっただろうか。欠片も興味が無かったために全く記憶に無かった少年だが、ライドウがあんなに興味を持っているのならば頑張って調べてみようと決意する。
テレビ相手にぱたぱた拍手をしているライドウの身元は、今のところ一切不明のままだ。
身元を証明する物など彼女は何も持っていない。現代日本に似つかわしくない立派な日本刀の鍔模様も、妙に目を惹くものではあるが何を表すのかが分からない。どこぞの家の家紋なのかと調べてはみたが、結局は空振りに終わってしまった。
無駄に頑丈な黒一色の装束にも、財布一つ入っていない。
ひょっとすると彼女と出会ったあの場所に、何か身元を証明する物を落としているのかもしれない。今更気付いたその可能性に、少年は己の不明を恥じて頭を掻いた。流石に常日頃から刀一本で走り回っているわけでもないだろう。遅すぎるかもしれないが、どうにか時間を作って足を運ぼうと決意する。
そうやってライドウのために頭を悩ませる少年を、記憶喪失の少女とて気付いていないわけではない。
しかしこのライドウ、現状に不満など全く無いのだ。
記憶をなくしてしまい、きっとかつての自身の知り合いは困っている事だろう。しかしこの振って湧いた休暇、のびのびと羽を伸ばす事は本当に悪い事なのだろうか。
憶えていないから判らない。憶えていたのならばかつての自分は怒るかもしれない。
「しかしライドウはお腹一杯 食べられるのならば何も不安などありません!」
きっと記憶喪失のまま見知らぬ異性と同じ部屋で暮らす事に色々と悩みもあるだろう。そう考えて日頃から少女を気遣っている少年に対して、別の意味で不安になるような事を言ってのける。
自分の名前さえ分からないと言いつつ一人称でライドウライドウ連呼して。過去を憶えていない事や先行きの見えない現状に不安を抱いているだろうと思えば食事事情が最優先。
何だろうか、この何とも言えないが凄く不安を掻き立ててくれる生き物は。このままでは彼女は、いつか悪い奴に騙されてしまうのではないか。純朴と言う言葉では誤魔化し切れないライドウのポンコツっぷりに、少年は逆にやる気を出した。
――俺が護ってやらないと!
まさしく、恋は盲目と言う他無い。
未だにどうする事が正解なのか、先行き不透明で頭を抱えている。それでも二人は割と平和に平凡に、何処にでもいる少年少女の当たり前の日常を過ごしていた。
――そういえば、クラスメイトからライブのチケットを貰ったんだよ。
「ほほう。その話題、ライドウは興味津々です」
それがあっさりと崩れる日が間近に迫ってきてはいたが、割と何とかなる事だけは既に確定していた。
これは一人の平凡な恋する少年と、記憶を失っていても普通に神様くらいなら殺せてしまう非凡なる少女の物語。
後に惑星全てを牛耳る、偉大なるライドウ帝国。
その建国記の最序章。この世全ての人間が、来るべき未来を知らない頃の話である。
■
というわけで、ライドウがヒロインになれる世界線を探すオマケ話でした。
名前が思い出せないと言いつつ自分をライドウと呼ぶポンコツ、というシーンだけが思い付いたので。
結論として、他のヒロイン候補が誰も居ない独走状態ならばライドウがヒロインを名乗れるのではないでしょうか(遠い目)。
しかしその後のヒロインレースで猛追するツクヨミ、まで妄想しましたが。
このルートだとスライムはゴウトが拾ってくれるかもしれません。多分。
おわり。