趨勢は既に決していた。
堕天使となったウリエルは、ライドウの手によって上下に分割されて地を這って。
月の加護を失ったヘカーテは、相性不利なミシャグジ神との泥仕合で疲弊している。
絶好調のミシャグジ様は、如何に優位に立とうと魔王よりも格下故に手傷を負って。
やっと身体が温まってきたライドウが、仲魔達を従えて周囲の地形ごと三者を斬り捨てた。
――そこまでえっ! 勝者、美少女!!!
「かんかんかーん」
「人間が勝ったぞ、こりゃどういう事じゃ……!」
「おう。……おう」
魔王、堕天使、邪神。戦場に立つ内葛葉ライドウを除く三者全てが倒れ伏し、遂に死闘の決着が付く。
その両手で女性二人の手をそれぞれ握り、勝者の名を高らかに叫ぶのは、実況役であるサマナー。女の敵であった。
事前に用意し損ねた終戦ゴングの代わりとして、片手を握られたままのツクヨミがマイクに向かって擬音を唱える。
100キロババアは己が考えていたものとは全く違う、予想外の結末に我が目を疑った。
手を握られて以降、素直に頷くだけの機械と化した緋熊は、かくかくと上下に首を振るだけだ。
未だに実況からは美少女呼ばわりされている事実に照れるライドウも、決着が付いた事を第三者によって告げられて、振り回していた刀を鞘に納める。
其処にすかさず「お疲れ様でした」のプラカードをそれぞれ掲げた造魔三兄弟の内『二郎』『三郎』が現れ、勝者であるライドウにふかふかのタオルを差し出した挙句に恭しく拝み始めた。
「いっ、いえ、ライドウは御仕事をしただけでして……」
勝利者とはいえ、何故自分はこんなに手厚く扱われているのだろうか。
困惑するライドウの背後、過剰演出された場の雰囲気に翻弄されて造魔に労われるがままの帝都守護役の隙を突いて、泡を吹くミシャグジ様がアームターミナルへと強制送還されていく。
無論、その程度の浅い はかりごとを見逃す葛葉ライドウではない。研ぎ澄まされ過ぎたその直感で視線を巡らせ、事態を察知する。
「っ――『疾風斬』!」
咄嗟に振るわれた白刃を、二郎三郎がその身を盾に防ぎ、――当然の事として両断された。
状況から察するに、邪神から意識を逸らす狙いがあったからこそ近寄って来たのだろう造魔二体を斬り捨てて、しかし背後に庇われたミシャグジ様は僅かにライドウの斬撃を受けながらも遠方への送還が止まらない。送還開始からの経過時間はこの時点で未だ一秒以下、一撃では終わらずそのままの勢いで手首を翻し、再度の一閃が邪神の絡み付いた御柱を断ち切ったが、そこが限界。
巨大な斬撃痕のみが残された瓦礫の積み重なる地面を見て、完全に逃げられた事を自覚したライドウがCOMPを操作、戦場の周辺区域に放っていたセンリを再召喚する。
「センリ、追えますか?」
「――構わん。ライドウ、アレは捨て置け」
聞き慣れた声に目を向ける。
歩み寄ってくる黒猫の姿に、ライドウはようやく肩の力を抜いた。
「ゴウト、どういう事でしょうか。ライドウには状況が今一つ理解できません」
場を賑わすだけ賑わして、邪教の信徒を獲得する、というのがミシャグジ神とその契約者たる少年の望みだった。その行いの結果は看過できぬほど大きな影響をこの世の全てに刻み込んだが、此処でかの邪神を討ったとしても何を取り戻せるわけでもない。そしてあの『虚心』と名乗る少年も、進んで人々を害する類の悪党ではなかった。
だがしかし、今回のように常道を無視した大変非常識 且つ規格外な手管を容易く実行してしまえる、油断出来ない相手だ。更にアデプト・ソーマの仲魔として有名な高位天使ソロネを従えており、メシア教団との繋がりも不明瞭。下手に敵対して後に響く禍根を残すより、泳がせている間にこちらはこちらで組織としてのヤタガラスを立て直し、体勢を整える事が最も堅実、重要事である。
しかしライドウの疑問への答えはゴウトではなく、熱の冷めつつある戦場へと一人忍び寄って来た男が返した。
「アレはもうどうしようもない。放って置け、とそういう事だ」
事の詳細を一切明かさない、諦観混じりの結論一つ。
戦闘の結果として真っ当に歩くのも苦労する荒れ果てた地面の上を、危なげなく歩くジョージ・バットマンがそこに居た。
言葉の意味を理解出来ずに眉を顰めるライドウには一切構わず、半裸の偉丈夫が歩み寄ったのは倒れ伏すヘカーテの傍ら。
「いいザマだな、ヘカーテ」
「……ふん。わざわざ死骸を漁りに来たのか、カマソッソ」
如何に悪態を吐こうとも、息を荒げる魔王に戦えるだけの余力は残されていない。
鼻から上を潰された獅子の顔の、開かれたまま硬直した口腔内部にバットマンが魔石を一つ放り込み、更に腰元から無骨な大型拳銃を取り出した。
それを視界に入れたヘカーテも、己の結末を既に悟ってはいたが抵抗しない。
負けたのだ、己は。
魔王ヘカーテはただ強過ぎるだけの人間に敗れ、遠からず潰えるだろうその命を、目の前の失敗作に奪われる。それが結末。負け犬の分際で、死を嫌って無様に喚きたてようなどと考えはしない。『混沌』に生きる悪魔が戦いの末に敗北すれば、残された道は死に他ならぬ。幕を引く相手が己を打ち倒した当人で無い事も、然程重要ではなかった。
敗者には死が与えられる。それが望まぬ形であろうとも、受け入れるのが魔王の矜持。上っ面を取り繕うだけの詰まらぬ格好付けだと断じられようと、ヘカーテはもはや現世に未練が無かった。
こんな事なら天津神に敗れた時に大人しく死んでおけば良かったなどと、腑抜けた思考は欠片も浮かんでは来なかったが。
月によって復活し、月によって敗北した。
月の神格が、自身で作らせた月に進退を左右されて死を迎えるなど、もはや笑うしかない醜態だ。
「ツクヨミめ、消えた後まで――」
最後まで言わせる事無く、バットマンが引き金を引き、炸裂した魔法と銃撃によって止めを刺された魔王が死んだ。
「……呆気ない終わりだな、ヘカーテ」
欠片も達成感が湧いてこない。それでも望んだ結果を得られた事に、出来損ないの魔人モドキが少しだけ笑みを浮かべる。
その直後に黒鞘で殴り倒されて、ジョージ・バットマンは気絶した。
「何を勝手な事をしているのですか、このコウモリめ!」
「聞こえていないようだぞ、ライドウ」
ライドウとしても、此度の異変の黒幕たるヘカーテを滅ぼす事に異論は無い。
だが後からやってきて成果だけを奪い取り、身勝手な納得と共にへらへら笑って自己完結したバットマンの事が、ライドウは非常に気に食わなかった。ただ純粋に、倒れ伏す半裸の男が嫌いだったので、殴り倒した後はフロストファイブに任せて放置する。雪ダルマを形成する芯として組み込まれ凍らされていくバットマンを見て満足気に頷き、僅かな鬱憤を晴らした。
これで場に残るのは、ライドウ一行を除けば堕天したウリエルのみ。
「きょ、しん、きょ……しんんんんんンンン」
既に肉体を構築するマグネタイトさえも足りなくなり、半ば以上スライムと化しているウリエル。
口にする言葉も『虚心』の一言。それさえ真っ当に呼ぶ事が出来ず、哀れな末路と言う他無い。
「……アデプト・ソーマは亡くなったそうだ。手を下したのは、大天使『ウリエル』」
ライブ会場への道中にて『虚心』とソロネから得た情報を口にするゴウト。知らされた事実に僅かな驚きを差し挟みつつも頷いて、ふと思い立ったライドウは己の首元に下げている封魔管に指をかけた。
もはや誰にも見向きもされず、果ては外道族にまで堕ちた大天使。
戦場において彼に直接 手を下したのはライドウだ。同情などは一切無いが、このまま消えるに任せるのも無責任かと、浮かび上がった一つの案を胸中にて捏ね回す。
悩みに悩んで足元の黒猫に視線を向ければ、ゴウトは視線を逸らして尻尾を振った。
好きにしろ、という事だ。
悪魔を法で完全に縛る事は出来ず、罪を犯せば人に出来るのは利をもって従えるか、力でもって滅ぼすのみ。此処で拾い上げる事によってウリエルがこの先どうなるかは、悪魔使いである葛葉ライドウの裁量次第。メシア教団への配慮は当然必要だが、あちらが罪人として、或いは天使としてウリエルの身柄を求めるのならば、ライドウも真摯に対応するだけだ。
「仲良くしましょう。――ライドウでは嫌だと言うのなら、そうなった時に、また考えます」
空っぽの封魔管の中身を満たし、封じられたウリエルに向けて呟く。別にどうしたいかという明確な展望があるわけではないのだが。
スライムから別の悪魔になれたなら、何故こうなったのかという理由くらいは聞いてあげよう。
そんな事を考えて、ライドウは外道『ウリエル』を納めた管を小さく指先で弾いた。
――さてはて皆様、此度の御視聴まことにありがとうございました。沢山の事がありましたが、ミシャグジ様は不滅です! ちょっと死に掛けてるけど、多分大丈ーぅ夫っ!!
一連の催事の締めに入る実況役。
街中に響き渡るほどの大音量で人魔の戦いを実況し、あんなにはっきりと自分を美少女呼ばわりしたりと、すごく不思議で謎の人物である。一体どんな人なのかと、ライドウはほんの少しだけ気になった。
この放送が何を求めて行われたものだったのか、今のライドウは全く理解していなかったが、後日になって嫌というほど理解する事になる。
最高位の悪魔を三体同時に敵に回して尚 無傷で勝利する超人を、新しい世界がどのように捉えるのか。
本当に嫌という程、理解する事になる。
しかしそれは未来の話。
ようやく一仕事終えたライドウは、ゴウトと仲魔達を伴って一先ずメシア教団へと足を向けた。
悪者を倒せばソレで終わり、などという簡単な仕事ではないのだ。新米ながらに帝都守護役として、今日も明日もライドウは走り回る必要があった。
大きな雪ダルマと化したバットマンを仲魔達に引き摺らせながら、夜闇の中に姿を消した。
残ったものは瓦礫のみ。
市街地の一角に、久方ぶりの静寂が戻るのだった。
◇
その頃、ミシャグジ様は死に瀕して震えていた。
「ぉ、オスザルよっ、我あんなの聞いてないぞっ。あの人間ちょっと強過ぎぃ……っ!」
――大丈夫だ、俺も聞いてない。わーお、お揃いだねっ。
「それで済むと思っておるのかコラ貴様、貴様ーっ!?」
血塗れの上に片腕が斬り落とされていたりする、割と消滅寸前の、邪神ミシャグジ様。
喜び勇んで戦場に参じたというのに、結果は他の二体同様の惨敗である。信徒の働きによって神格を得て はしゃいでいただけに、実は凄く落ち込んでいた。
戦いを目にした者達に己の名は売れただろう。しかし人間に負けるような神様に、進んで従いたいと思う信徒が居ようか。確かに登場のインパクトはあったが、これでは出落ちと笑われても仕方が無い。
すべてはライドウが強過ぎたために起きた悲劇。過ぎた力は悲しみしか生まないのである。
敗北を確信して咄嗟にミシャグジ様を回収したが、あの戦いの結末はサマナーの目論見とは掛け離れたものだった。
化け物三体を圧倒しての、謎の美少女の一人勝ち。魔王と元大天使に、偽りの月を呑み込み劇的なパワーアップを遂げた邪神を喰い合わせて、何故そこで人間が勝つと予測出来るのか。
実況では気楽な口調で場を纏めてはみたが、あの戦場を利用せしめんとした少年の内面はズタズタだった。
平気な態度を取り繕っているのはミシャグジ様のためだ。大声で騒いではいても、神格を得た上で真正面から戦って敗北したのだ。本心から落ち込んでいるのだろう相棒を、せめて自分が「これくらいは想定の範囲内だ」と笑ってやらなければならない。それで劇的な変化が訪れるわけでもないが、こうして無事生き延びたのだから次の機会はきっとある。どうにか再起を図るための気力を維持しつつ、今回は負けを受け入れよう。
後々の挽回も不可能では無いが、信仰の確保はほぼ完全に失敗した。ならば現状に拘泥せず、一刻も早くこの場を退き、また新たな悪巧みに勤しまねば。
しかし今 思い返してもあの美少女は本当に強かった。人間、やれば出来るものらしい。
サマナーは自分があれくらい強くなった光景を想像して、すぐに破棄した。
――うん、無理。
「お、お宅ー、夜逃げの準備できたからさっさと行こうよ、行こうよー」
パワーと共に必要な荷物を纏めていたメガネが声を掛ける。
今宵は随分と派手にやってしまった。自身の名と身元を伏せての行動ではあったが、分かる人間には分かるだろうし、組織によって周囲を探られては面倒な事になるだろう。だからこのまま逃げる。
メシア教団には戻らない。家や学校も捨てていこう。
「良いのか、オスザル。……新たな友垣も出来たではないか」
気遣うミシャグジ様には悪いが、正直どうでもいい。本当にどうでもいいと感じていた。
混乱した今の状況だからこそ、何処にでも行けるし、姿を晦ませるのも簡単だ。
メガネに緋熊やツクヨミと、ついでに鏡も付いてくるらしい。
鏡はツクヨミのオマケ扱い。ツクヨミに至っては盛大に事を起こしてしまったからこそ、一人で放って置くわけにもいかない。仲魔になったのだから、このまま連れて行ってしまおう。緋熊は仲魔共々、サマナーから離れる気が無さそうだし、熊が恐いからと言って逃げようにも実力差ゆえに逃げられず、戦力として計上出来るのだからともう諦めた。
メガネは技術的に便利過ぎるので、居てもらわなければこちらが困る。
――なんかお前、溶けてきてないか?
「まっ、マグネタイトが足りぬう!」
サマナーの言葉通り、手傷を負い過ぎて自動回復効果が間に合っていないらしいミシャグジ様の身体が、少しずつ崩れてきていた。
このまま放っておけば、またスライムになるのではないか。
売名行為に程好く失敗した自身の責任かと溜息を吐いて、サマナーは ぐったりとした蛇頭を指先で軽く弾いて叩く。
――まあ、その。……いいんじゃないか?
恐る恐る見上げてくる邪神から視線を逸らして、アームターミナルに手を伸ばした。
天使ソロネは仲魔としての契約だけをそのままに、教団へと帰還させよう。
きっとアデプトの居なくなったメシア教団は大騒ぎになる。世界の混乱が新しい日常を営める程度まで治まるにはどれほどの時間を要するのか分からないが、新たに悪魔という要素を組み込まれながらも最低限の社会秩序を求めるならば、教団の安定は必要な事だ。高位天使の存在は、その一助と成り得るだろう。
必要ならば契約を辿ってソロネ側から連絡が入る。そうでなければ契約を切っても良い。
燃費が悪いとはいえせっかくの戦力。しかし無理に引き摺って行こうとも思わない。ソロネの望むようにしてやろう。
それが『虚心』からアデプトに対する、最後の義理立てだ。
――お前がスライムになってもさ、また一緒に頑張って行けば、それで良いじゃないか。
サマナーの言葉に、肉体の崩壊が加速していく。
見上げてくるミシャグジ様に軽く笑い掛けてやれば、白く濡れた邪神の肌がどろりと歪に溶け出した。
「……良いのか?」
――良いのさ。
見慣れた緑色の不定形をそっと抱き上げて、これから先の未来に同乗する面々へと足を向ける。
少年の歩調は凄く軽快で、悩みなど欠片も無いと言外に語り掛けるかのようだった。
だから腕の中のスライムも、いつも通りの調子で声を掛ける。
「うむ。オスザルよ、今後も偉大なる我によく仕えるが良いぞーっ!」
偉そうなスライムの頭をぺたぺた叩いて、笑うサマナーが小さく応えた。
――ああ、今後ともよろしく。
こうして、照らすもののない新時代の夜空の下、彼等の物語は一先ずの終わりを迎える事となる。
愚者と外道の出会いから一ヶ月。
終わった世界の片隅で、いつも通りの、しかし全く新しい朝が訪れようとしていた。
それはきっと世界中の人々の元へ等しく訪れるものであり。
此処に居る少年と悪魔にとってだけは、より良いものであるのだろう。
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また勝てなかったよ、の第三十三話です。
盛り上がる展開が無いですが、本当にライドウ無双しかないので今話はこんな感じになりました。
今回も締めはスライム。色々と燃え尽きたのでここで終わっても良いのですが、多分エピローグがあります。
続かないと言ったのです。