響き渡る実況解説、市街地の街頭テレビに映し出される戦闘風景。
諸々の手伝いを申し出て、結果として全世界同時中継を実現させたバットマンは溜息を吐いた。
正直に言って、此処まで派手な事を仕出かす馬鹿には会った事が無い。
アイドル『MIKOTO』の年越しライブ。
会場に駆け付けた万単位のファンは残らず死に絶え、しかし画面越しに目を向けていた人間達は辛うじて生きている。
視聴者が死んでいたとしても、リアルタイムで放映されている画面、記録に残される映像だ。使用機材をほぼ全て流用しているこの放送は、きっと今宵一晩では終わらない波紋を投げ掛けるだろう。それこそ悪魔関係者に限らぬ、人類全てに対し。
それが何を意味するのかを、あの小僧は考えているのだろうか?
「俺としては、ヘカーテの吠え面を拝めれば上々だがな」
テレビ放送、インターネット配信、果てはCOMPを通した悪魔関係者御用達の情報網。通ずる限り、あらゆる経路を用いて世界中へと余さず広まる、人魔 交えた頂上決戦。
此度の一件によって、人類は悪魔の存在を知った。
惑星全土に広がらんとする月世界が齎したマグネタイト汚染によって、悪魔はこの世界に存在しても良いモノとなった。
そして今、よりにもよって魔王と大天使に邪神という、常人が目にすれば毒にしかならないような高位の霊的存在を望んで衆目に晒している。
化け物共の人知を逸した殺し合いは単なる情報としてだけではなく、目にする全ての人間の霊体を強烈に揺さぶるだろう。
最初に世界を滅ぼそうと考えたのが魔王ヘカーテであるのなら。
現実に世界を滅ぼしたのはあの少年だ。
もはや誰も、何者も、数時間前までは確かにあった筈の、当たり前の常識の中で生きていく事は叶わない。この世に悪魔は実在し、輝く天使が堕天して、現世に本物の神が降臨する。――そしてそれら全てを討ち取る最強の人間が其処に居た。
誰も彼もが知らずには居られない。一人残らず変えられていく。
その影響はどこまでも広がっていくだろう。やがては相互に干渉し合い、納まるべき新しい世界の形が出来上がるまで止まらない。人にあらずとも、悪魔にあらずとも、誰一人として旧世界に立ち戻る事は叶わない。あらゆる全てが一人の少年の望みに沿って踊らされるのだ。
死体ばかりのライブ会場で、風に吹かれて転がってきたパンフレットを拾い上げる。
本来ならば多数の人々が持て囃し歓声を上げただろうアイドルライブ。その最終演目の曲名を目でなぞった。
「……本当に皮肉が利いている」
この曲名を考えた奴は誰だったか。ファントムの別部門による管轄であったため、外回りの多いバットマンには分からない。
新時代を切り開く歌姫などと謳われていた造魔に歌わせるべく作られた、旧時代の最終曲。
まさか世界の終わりがこんな形になるとは、誰も思っていなかったのだろうが。
「『Hello New World(新世界)』か。――本当に来たぞ、新しい時代が」
だからといってバットマンにとっては何一つ変わらない。
確かに今までの世界に愛着はあったが、その在り様が変わるのならば、ただ其処で生きるだけ。
ジョージ・バットマンは変わらない。
肉体を得て既に狂った身だ。精々長生きできるように、これからも頑張っていくとしよう。
「お前はどうする、――『悪食』、『虚心』」
或いはその名も もう古いのか。
世界を壊した人間に相応しい呼び名とは果たして何だろう。
そんなどうでも良い思考を遊ばせて、バットマンは今夜の一件が終わった後にどうするべきかを考える。
出来れば自分を高く買ってくれる所に転がり込みたいものだ。ファントム・ソサエティとガイア教団、どちらも勘弁願いたいものだが、ヘカーテが居なくなればマシになるものかもしれない。
画面越しの愉しい殺し合いを眺めて、ゆっくりと考えよう。
何処へ行くとも無く足を動かすバットマンは、手に持つパンフレットを放り出すと空を見上げた。
新月の空には、何も浮かばない。
下界を見守る輝きなど一つも見当たらず、ただただ空虚に広がるばかりだった。
考える。
ひょっとすると、『彼』はああいうのが好きなのだろうか。
「うーん……」
映像は無いが声は はっきりと聞こえてくる。メシア教団の中庭、メシアンの少女は仲魔である天使『エンジェル』と共に治療活動に従事しながら思い耽っていた。
思い返せば訓練施設でも人目を惹くような少年だったが、もしかするとあれは目立つような所作を心がけていた結果なのだろうか。それとも生来そういった派手な振る舞いが板に付いているが故に、自分に合った騒々しいやり方で危急の事態に対応しているのか。
ここは彼の在り方に理解を示してあげるべきだろうか。
それとも、もう少し落ち着くように諭してあげなければいけないのか?
果たしてどちらが彼好みの女性像であるのか。どうにも判らなかった少女は、己の仲魔に訊ねてみた。
「ねえエンジェル、男の子って亭主関白とカカア天下、本当はどちらの方が嬉しいのかしら」
「……彼の好みはきっと、負傷者の治療を頑張る心優しいメシアンなのではないでしょうか」
美しい天使が疲れたような声音で返し、メシアンの少女は仲魔の求めに応じて再び回復魔法『ディア』による治療に立ち返りながら、しかし一つだけ気になっている事があった。
「200キロジジイなら知ってるんだけどなあ……?」
解説役として紹介された怪異『100キロババア』。
実家近辺で耳にした怪談を思い出し、似たような話はどこにでもあるのだな、と感心する。
その頃、元メシアンの青年もその放送を耳にしていた。
「なんであのお婆さんが解説してんの!?」
凄くどうでも良い事に凄く驚いて、しかし所詮それだけの話である。この場で彼について語る事は特に無い。
もはや何度目かも分からぬが、ミシャグジ様という神格について語ろう。
ミシャグジ。ミサグチ。シャクジン。シャグジ。
御社宮司。御左口。石神。赤口。
多様性に富み過ぎた彼の神格の呼び名は、数にして100を優に超える。
石木に降りる精霊、自然神であったミシャグジ様の多面的に広がった名と力が寄り集まり、やがては多くの信仰を集める一柱の神格となった。
自然とは古くより人々の身近にあって、あらゆる恩恵と災禍を与え続けてきたモノ達だ。命短き人間とは異なる、永遠とも思える長き時の中を絶えず存続してきた大いなる生命の坩堝。
豊穣の神として民草に恵みを与える反面、荒ぶる神として多くの命を奪っていく。時は過ぎ、やがて利益を求める者達からは崇められ、傷付けられたくないという畏れから奉られた存在。
「――なんか恐いヤクザ屋さんみだいじゃのー」
――身も蓋もないっ! しかしその考えはもっともだぁ!!
あまり人気取りになっていないだろう、少年と怪異による軽々しい言葉の応酬。
だがそれで良い。
多くの人々に知られてさえいれば、それで充分なのだ。無知と無関心こそが最も恐ろしく、何より無益だ。こうして由来と恩恵と いざ敵に回した際の脅威を知らしめれば、遠からずサマナーの望む結果が寄って来る。
悪魔はもはやこの世に在って当然のもの、人類にとっての恐れるべき隣人だ。
怯えずには居られまい。頼らずには居られまい。縋らずには居られまい。嫌わずに、畏れずに、彼等に目を向けずして生きて行こうなぞ決して叶わぬ ゆめまぼろしだ。
恐怖と不安の蔓延した世界で真っ先に人々の目を惹き付けるものとは、世に広く知られた力ある存在だ。
事此処に至って、これ見よがしな人気取りなどというものは必要無い。そんなものは邪魔でさえある。
あのおぞましい邪神に目を向けずに、名を知らずに、生きていける者が居てたまるか。
生理的な嫌悪感を掻き立てる異形ではあるが、天使と魔王を相手に暴れ回るアレは、正に自然の驚異そのものだ。その姿を目にした有象無象が何も思わずに済ませられるほど、生易しい生き物では決してない。
強大な力を振るい、しかし恐ろしいだけではなく恩恵を与えるもの。ミシャグジという名の神の存在を少し調べれば、この情報化社会においてどういうものかは容易く知れよう。既に目にした暴威の上で、傅く者達に利益を振舞う神でもあると、僅かながらも興味を持った人間自身の手で神に関する知識を漁り得てしまえば。
本当に、手を伸ばさずに居られるだろうか?
この、悪魔の跋扈する新たな世界で。人が人のみで生きていこうなど、そんな甘い考えが通るわけが無いというのに。
――それではミシャグジ様に関する薀蓄を披露した後でございますが、続いて戦場に立つ他の面々も御紹介しましょう!
「長かったのう、神様談義」
飾らない本音でぼやく怪異の存在は、新たな信徒を欲するサマナーにとって非常に有益だ。
殊更ミシャグジ様を持ち上げる事がなく、『秩序』にも『混沌』にも傾かない『中立(NEUTRAL)』から、忌憚の無い曖昧な主義主張と個人の好悪に基づき、こちらの供した話題をばっさりと切り捨てる。
それが良い。何よりも良い。きっと視聴者の同意を得られる、何物にも縛られぬ自由な言葉だ。
混乱に乗じての洗脳染みた誘導では後が続かない。扇動するのは楽だが、それを長らく維持する事は非常に大変なのだ。僅かながらに視聴者の頭を冷やす怪異の意見を差し挟み、各々が自覚出来る程度には冷静に考える余地を残したその上で、迫り来る混沌の時代の中で縋る対象にミシャグジ神を選ばせなければならない。
そういう意味でも、真っ先に名を売った者こそが勝つ。
この状況下では自分の行うこの放送こそが一番乗りであると、サマナーは確信していた。
――それでは、まずはウリエル選手ー! ……なんか姿変わってないかなアイツ、イメチェン?
「ほほーう、大天使じゃのう。メジャーじゃけど、……アレ、堕天使じゃね?」
暫しの沈黙が場を満たす。
ほんの数分見ない内に、あの大天使に何があったのだろうか。サマナーは必死に考えたが、全く検討も付かなかった。
――よし、次っ! 頭が三つもある食いしん坊、ヘカーテ選手です!
「流したかー……。まあアレは仕方無いじゃろーけどさ」
大天使がたった数分で堕天使になっているなんて、誰が予想できるのか。
だから仕方ないよね、と自己弁護を行うサマナーは、責任の大半が己にあるとは考えていない。
――ヘカーテってさ、あれ、食道とかどんな風になってるんだろ。
「すっごくどうでも良い事に目を付けたの、実況殿」
しかし頭が三つあるのである。不思議に思う者はきっと他にも居る筈だ。そういった疑問にお答えするのも、エンターテイナーの義務ではないか。別にエンターテイナーではないサマナーはそう考えた。
喉の辺りで合流しているのかもしれない。適当に考えて、今度は真面目に紹介をする。
ヘカーテは魔術の神であり、月の神であり、冥府の神でもある。
天と地と海の支配権を有する名高き豊穣神。異形の三つ首はそれぞれに『過去・現在・未来』『新月・半月・満月』などの三相一種で表される様々な概念を表す、ヘカーテ神の偉大さの象徴だ。
「なんか色々持ち過ぎじゃないかねえ?」
しかし全て並べればこんなものではない。ヘカーテは真に力ある神格。
正直に言えば、ミシャグジ神より凄い。
「おっ、オスザルぅうう! なんかこの魔王どんどん強くなっとるんだけどもーっ!!」
――現場のミシャグジ様っ、そんなものは錯覚ですよ多分!!
無論、錯覚ではない。
霊体に依存する悪魔は、人の思念を真正直に受け取ってしまう。
現に今も、ヘカーテだけではなくミシャグジ神にさえ様々な感情が、信仰が、捧げられている。
『きもい』
『きもい』
『きもい』
『太い』
それがどんなものでも良い。大衆から一心に向けられる感情がマグネタイト燃料として霊体の器を満たし、悪魔の力となるのだ。
それは月を奪われ激昂するヘカーテとて同じ事。
「う、ぐ、おおおおおおおおオオオオっ!!!!」
「ぬおおおおおうっ! たっ、『たたり生唾』ぁ!!」
御柱を間に挟んで殴り合う最中、蛇頭から吐き出される白濁とした粘着液が宙を舞う。
祟り神であるミシャグジ神の攻撃、触れれば如何なる呪いが我が身を襲うか分からない。故に回避したヘカーテの背後から、しかし空中で方向転換した白い唾液が吐き出された勢いを落とす事無く襲い掛かった。
祟りとは呪いだ。呪いとは本来、距離や位置関係には囚われない。
『たたり生唾』は狙い定めた相手に当たる。それは既にそう呪っているからだ。物理的な回避手段など意味が無い、呪いに抗するには呪われた事実を否定する以外には方法が無い。祓い浄め、或いは呪い返し、呪いの力そのものを消さねば被弾は免れない。
「ふっほはははははふは! どーうだ堅実なる我が絶対攻撃は! 魔王なにするものぞーっ!!」
「貴っ様、この汚らしい月食いの蛇めがっ、今すぐにでも冥府の獄に繋いでくれるッ!!」
魔王ヘカーテと邪神ミシャグジを比べれば、どうあっても前者の力が上回る。
本来ならば、結果など決まりきっていた。それを覆すのは偽りの月の消滅だ。
月と同一視されるヘカーテ神を相手に、月を飲み干した神が挑む。これによって一時的に神格同士の属性相性が生じ、空の月が呑み込まれる瞬間を目にした人間が数多く居た事もそれを後押ししている。
その神格は空の月を、つまりは月を象徴とするヘカーテを飲み込む神である、と。――つい先程 生まれたばかりのこのミシャグジ神は、その誕生の由来から、『月神殺し』の権能を有しているも同然なのだ。
本来のミシャグジ神にそんな逸話が存在しない事など関係が無い。人々の信仰によって神として完成する過程にある生まれたての邪神は、今まさに己だけの神話を紡いでいる最中にあった。
加えて、月を飲み干した事で体内に取り込んだマグネタイト量も関係している。
潤沢なマグネタイトを消費する事で多少の手傷はすぐさま治癒し、翻って月を失ったヘカーテは無敵の護りも自然治癒能力も失っていた。
本来の性能差を埋めて喰らい付けるほどの脅威が、魔王の眼前に迫っている。
――そしてエントリー・ナンバー4! えーっと、誰だっけ? 半裸が名前言ってたような……。
手元のCOMPに映し出された戦闘映像。
その中に移る一際小さな黒影を目にして、サマナーは笑顔で口を滑らせた。
――ああ。なんだ、ただの美少女か。
長く美しい黒髪と、日ノ本の民である事を表す真珠色の玉の肌。
夜闇にて激しい火花を散らす、片手に握られた一振りの日本刀。
飾り気の無い黒尽くめ。しかし異形犇めく死戦場の渦中において一切 己を飾らず人として極まった武技を存分に振るうその少女を美しいと称せずして、何に対して美を語るのか。
――エントリー・ナンバー4、美少女です。もう一度繰り返します、美少女です!
己に許された十数年の短き生涯。その中でもかつて無かった穏やかな心持ちで言の葉を紡ぐ。
邪念など一切無い透き通った声音で語る少年の声音に触発され、リアルタイムで戦場を見守る世界中の有象無象から送られてくる数多の思念達もちょっとだけ横道に逸れた。
『美少女』
『美少女』
『美少女』
『MIKOTOのが可愛いし』
『あれライドウじゃね?』
それを受けて、戦場にて戦うライドウ。
映像は観えずとも、実況の声は届いている。
「びっ、びしょおじょ……っ!?」
実況からの唐突な賛美に頬を染めて、ついうっかりウリエルの腰を両断してしまっていた。
「――ォオ゛ン゛?」
しかし迂闊。
実況解説を行うサマナーと100キロババアの背後、愛しい男の護衛と周辺への警戒のために至近にて待機していた緋熊から、年頃の女性が口にしてはいけない類の異音が漏れた。
かつての恐怖を思い起こして びくりと震えたサマナーの傍らでこっそりとその袖を握るツクヨミは、特に何を考える事も無く、じっと少年の顔を見上げていた。
無論、教団にて治療行為に精を出すメシアンの少女も咄嗟にその手を止めてエンジェルに注意されている。
――いや待ってくれ二人とも。今のは、そう。つい、口が滑ったんだよ!
「滑ったか。……つまり嘘や冗談の類じゃねえのか、へえー」
「きょしんさん……」
歯軋りをして笑いかける熊の威嚇行動。
無表情で見上げたまま、曖昧な声で名を呼び掛けるアイドル。
『修羅場だ』
『修羅場か』
『修羅場だな』
『唐突な修羅場に草不可避』
『今MIKOTOの声が』
嗚呼、まったくもって彼等は何をやっているのか。
呆れるソロネはメシア教団の救助活動に手を貸しながら、夜空へ向けて小さく溜息を吐いた。
街頭の大画面に映される戦場は、もう間もなく終わりを迎えるだろう。
本当の勝者など既に決まりきったようなこの状況で、それでも自分は自分に出来る事をしなければ。
出来れば己の手で大天使に止めを刺したかったが、そんな感傷はアデプトに仕えた自分が救助作業を手伝わぬ理由には到底足りない。それに、必要の無いものにも思えるのだ。
年若い少年の姦計に嵌り、その結果 堕天したウリエルに対し恨みを抱いたままに僅かな哀れみさえ覚えて、四つ巴の戦場をそっと見上げた。
果たして『虚心』はこれからどうするつもりなのか。
出来るなら教団にてアデプトの跡目を継いで欲しい。しかしまず間違いなく、その想いは叶わないだろう。
破天荒な少年の暴走を止める事も出来なかった己を恥じて、天使はまた一人傷付いた人間を救い上げる。
空は暗く、眩く照らす月光の絶えた地上もまた仄暗い。
決着は近く、しかし真の夜明けは未だ遥か先にあった。
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最終決戦で戦場に立たずに修羅場をくぐる主人公が居るらしい、第三十二話です。
皆さんスライム大好きですね。いや本当にどうしてこうなったのでしょうか(白目)。
続かぬ地平にゆくのですか。
※2015/01/13投稿
※2015/01/13一部改定「――ああ。なんだ、ただの女神か。」を「――ああ。なんだ、ただの美少女か。」に修正