病院で目を覚ました。
集団昏睡事件の被害者。などと聞かされても何の事なのか理解できず、訳のわからないまま今日一日は病院で安静にするように、との指示に頷いた。
頷いて、当然のように抜け出した。
何故そんな事をしたのかは分からない。
ただ今すぐに動くべきだと、有る筈の無い己の霊感が囁いたのだ。
立ち入り禁止と書かれた黄色いテープが張り巡らされた先、地下へと伸びる階段を出来る限り静かに下りていく。おぼろげな記憶から引きずり出せば、此処こそが己の記憶の最後にある場所だ。その筈だ。
誰も居ない、静かな空間。
瓦礫の散らばる、壊れてしまった異様なステージ。
此処に何があるわけでもない。有る筈は無い。だが来なければいけなかった。誰かが、自分を呼んでいるのだ。
己の腹を右手で押さえると、あの時に吐き出せなかった熱が息をするように疼いた。
「ぉ、おおお……」
呻き声。
誰も居ない地下室。事件が起こったというのなら未だ検分に汗を流す職業人が居て当然の場所。自分一人しか居ない空虚な荒れ地に、水っぽい異音が鳴り響いた。
「我、我を、偉大なる我を我を偉大偉大偉大偉大ィィイイ……ッ!」
壊れているのか、狂っているのか。正気とはとてもいえない言葉に足を動かす。
ライブ用に設えたステージ中央。
丁度この地下室の中心点に、彼の掌よりも小さな泥がへばり付いていた。
「我、我を崇めろ、我を、畏れよ、我は偉大な偉大なるなる、なる我、が……」
地下室全体から塵のような灯火が宙を駆け、泥に向かって飛んでいく。だがその大部分が中途で立ち消え、ようやく辿り着いたごく一部を飲み込み、蠢く泥は僅かずつ体積を増していく。
それが無駄なのだと、腹の奥に渦巻く熱が語る。
踏み躙れば消えてしまいそうなほど小さな、泥の塊。緑黄色の奇妙なそれはまさか生きているのだろうか。生理的な嫌悪感と鼻腔を擽る僅かな異臭に唇を歪めて、次の行動を決めかねていた。
「我、を」
今にも消えそうな声が耳朶に入り込む。
泥の中ほどにある小さな切れ込みから漏れる声音に意識を傾けると。
「我を、捨てっ、ないでぐれ、民草よ……っ」
眼球の存在せぬ小さな洞(うろ)から、腐汁のような濁った雫が落ちた。
かつて『ミシャグジ様』という神が居た。
古くは縄文時代から石や樹木を依代として信仰され、病の治癒や子育て、五穀豊穣など種々様々なご利益を与えてくれる土着神である。信仰の発祥以降、他の神格との習合化によって信徒に齎される加護は数と種類を増していき、長い時の中で日の本の広い地域で信仰された為にこの神を指す呼び名は数多い。
名を良く知られ、祟り神としての側面故に畏れられ、だが同時に敬われる、力の有る神だった。
――力の有る、神だった。
「あっ、ア、あ、ああアあァあぁぁァァ」
子孫繁栄の加護から転じて、性交渉に伴う快楽を齎す事で、歪ながらも若者達からの信仰を、マグネタイトを得る筈だった。
だが失敗した。まだ僅か二度、三度しか行っていないというのに、護国の防人によって察知され、敢え無く散った。ここにある泥のような存在は既に神ではない。若者達に向けて撒き散らされた性交へと掻き立てる『魅了』の魔力、その残滓がこの場に現れた彼の腹に残っていた同質且つ未使用の魔力を呼び水として不完全な具象化を為しただけのモノ。
神ではない。国津神という己の属性を利用して、力衰えようとも日本国内という限定条件化だからこそ現世にて顕現し得たミシャグジ神は既に滅ぼされてしまった。消滅寸前の魔力の残滓が寄り集まっただけの泥の中にはミシャグジとしての神格も記憶も宿っていない。大本であるミシャグジの消滅から丸一日も放置すれば霧散していただろう、本当に無意味で無価値な残骸だ。
だからこそソレは強く願う。吐き出された力が寄り集まったものだからこそ、神を名乗れぬ泥の塊だからこそ、内側には想い一つしか持っていなかった。
かつて『ミシャグジ様』に捧げられた信仰と、畏れ。
離れ行く畏敬の念と、失われてしまった、民から捧げられる熱情という名のマグネタイト。
既に失くした遠い過去への羨望ぐらいしか、ソレの中には残されていなかった。
「民、よ。われを、われ、に」
溶けていく。
「だれ、かぁ……」
一掬いほどの小さな泥が、静かに啜り泣きながらゆっくりと宙に溶けていく。
信仰とは感情であり、感情とはすなわちマグネタイトだ。
霊体に依存する悪魔達は己の霊魂へと捧げられるマグネタイトが尽きれば、現世から引き剥がされて消えてしまう。
確かな霊格を持たぬ悪魔未満の存在ならば、魔界へ渡る事も出来ずに滅ぶだけ。
哀れなる神力の残り滓は、此処で己の意義も得られずに死んでいただろう。
拾い上げる誰かが、居なければ。
◇
低級悪魔しか生息していない一つの異界にて、複数のメシアンとガイアーズが殺し合っていた。
「ムド!」
「ムド!」
「ムド!」
「くそっ、何故効かん!!」
「呪殺対策は『メシア教徒(メシアン)』の基礎だ、馬鹿め!」
「天使召喚、撃てっ!!」
「ハマ!」
「ハマ!」
「ハマ!」
サマナーによる集団戦闘において基本とも言える即死魔法の応酬。
――この場合、即死は怖いから対策を行うのは当然だ、と考えるのは間違っている。
死んだ経験の無い人間が「当たれば即死する魔法があるから対策を用意しよう」などと殊更に意識出来るわけが無い。組織立っての戦闘行動が当然であるメシアンだからこそ、相性次第で強者さえ敗れ得る『破魔』と『呪殺』への対策は必修課目として教導を受ける。
特に天使族の下級悪魔は呪殺への抵抗力が低い。サマナーと仲魔、双方の呪殺対策は必須だった。
対してガイアーズはと言えば。
「なんでムド使って死なねえんだよ! バグかッ!」
「くそっ! 破魔耐性のデビルソース買っときゃ良かったぜ!」
「俺の仲魔が全滅した! もう退くぞっ!」
「ふざけんな銃撃てっ、銃!」
烏合の衆としか言いようが無い有様を晒していた。
先達が後進に知識を授ける、という至極当然の事さえ行っていないのがガイア教団のスタンダードである。
強き者が生き、弱き者は死ぬ。それがガイアの広義的な謳い文句である。だが実態は「強い俺は好き勝手振舞っても良いけど、弱いお前らは餌な、餌(笑)」というクズ一直線の輩が大多数だ。悪魔に関する情報一つとってさえ、基本中の基本ですら他者に教える事はしない。どれほど些細な情報であろうと、それが他者の弱みに、ひいては己の強みに繋がる可能性があるのだから。
俺達、仲間だろ?などという清く正しい思想は、ガイアでは通じないのだ。
「――うるせえ」
騒いでいたガイアーズの面々が口を閉じる。
顔を青褪めて立ち尽くすガイアーズの最後方、頭髪を真っ赤に染め上げたパンツスーツの女が紙巻き煙草を奥歯で噛み潰しながらメシアン達を睨み付けていた。
「……こりゃあ、あの『悪食』野郎に嵌められたかねえ?」
左手でいかめしい拳銃型のCOMPを構えると、銃身部分が中央から左右に割れて、悪魔召喚器としての起動を開始する。
煙草を咥えたまま器用に舌打ちを繰り返すと、空いた右手から小さな機械音を鳴らし始めた。
『SUMMON DEVIL』
「ヴィィィイーーーーヴル! 狩りの時間だあッ!!」
右半身を竜へと変じさせた美しい女性悪魔が召喚され、パンツスーツの女傑もまた一歩前へと踏み出す。
「龍王族だと!?」
「陣形を乱すな! 火属性で攻めたてろっ!」
「耐性なんざ弄ってるに決まってんだろが。お行儀良過ぎだぜ、お坊っちゃんよォオ――ッ!!」
召喚された悪魔の能力値に動揺するメシアンと、対照的に強力な悪魔の登場で士気を上げるガイアーズ。
乱戦の様相を呈する異界内部にて、外道の目論む第一戦がいよいよもって開始された。
そして想定外の一戦もまた、同異界内、別の一角にて開始されようとしていた。
「返答を聞こうか、『悪食』」
冬季に突入しているこの国で、異界内部とはいえ裸の上半身に夏用のジャケットを羽織った偉丈夫が仁王立ちのまま口を開く。
視線の先に立つのは黒い乳母車を傍らに置いた、黒尽くめの人間。――世界の裏側に関わるごく一部の人間が『悪食』などという呼び名を用い始めた、最近噂のデビルバスター兼マンハンター。
「や、やばいよ、やばいよー……。や、やっぱりお外なんか出るんじゃなかったよ、なかったよー……」
――の変装をさせられているメガネの中年男であった。
常日頃から異界内部にて顔を晒さないよう心掛けていた彼に扮する事はそこまで難しくない。だがこうして一対一で強そうな相手と向かい合わねばならないメガネは、何故こうなってしまったのかと頭を悩ませ、頬を伝う脂汗が止まらない。
「し、しかもあれバットマン先輩だよ、勝てっこないよ、勝てっこないよー……!」
――で、でもせっかく友達が頼ってくれたのに、ここで応えないと男じゃないよ、男じゃないよー。
身体の震えを押し殺し、必死に俯いて顔を見られないように頑張るメガネ。
対して戦闘準備を行うわけでもなく、目線を隠すサングラス越しに黒尽くめに扮したメガネを睨み付ける、非情に寒そうな格好の偉丈夫。――ジョージ・バットマン。メガネの元・勤務先であるダークサマナー組織『ファントム・ソサエティ』所属の凄腕デビルバスターである。
「ファントムに加入するか、此処で死ぬか。選択の余地は残してある」
――存分に考えるといい。俺が許可出来るのはあと十秒だけだがな。
「か、考える時間が短いよ、短いよー……!?」
明確な強者を目前にしての絶体絶命の危機。
メガネは汗と鼻水を垂れ流しながら、一刻も早くこうなった原因である友人が助けに駆け付けてくれる事を祈る。
こうして、さして重要度の高くない一つの異界を舞台に、外道系スライムの企みを発端とした複数の戦場が生まれようとしていた。
■
スライムもヒロイン枠に入れて構わないのですが、別に成長しても外道スライムから美少女系土着神に変化するわけではないのですよ(震え声)。
第一話のミシャグジ様は真・女神転生2のビジュアル。【検閲】形の頭に毛の生えた白い蛇です。うろ憶えなので真・女神転生2に出ていた記憶が無いですが。
続きます、と言ったらエタりそうな恐怖と戦いつつ続かないです。
※2014/12/16投稿
※2014/12/20誤字修正