葛葉ライドウは最強である。
当代の『ライドウ』を襲名した少女は、平たく言えば無能だった。
魔法の一つも使えない只の人間。頭の出来が群を抜いているなどという事もなく、もっとも肝心な悪魔使いとしての才にしても時代の流れか、召喚と契約を一緒くたに担ってくれる最新式のCOMP頼り。日ノ本の悪魔召喚師に代々伝わる悪魔召喚器『封魔管』など一つしか扱えない体たらく。その管の中とて今現在は空っぽだ。
従える仲魔達も懐の深い天女と、今が楽しければそれで良いという気楽で陽気な妖精共が居るくらいで、貫禄という意味では全くもって振るわない。仲魔達 個々の能力に関してだけは随一といえるが、『秩序』と『混沌』の両属性を同時使役するなどという、悪魔使いとして埒を外れた器の広さも当然持ち合わせていなかった。
ならば何故そんな彼女がライドウ足りえたのか。
人手不足、などという寂しい理由ではない。
強いからだ。
「ピクシー、『雷電剣』を」
「もーっ、そういうの苦手だって知ってるでしょー! 合体、『雷電剣』ー!!」
大天使が盛大に撒き散らした極大の電撃魔法。
偽りの月に照らされた夜の街並みを更に強く輝かせる、唯一神の名を冠したウリエルの最強魔法。
それをライドウは一刀の下に断ち斬った。
電撃属性魔法に対し、ピクシーの助力によって同属性を付与された愛刀『赤口葛葉』。極短時間ではあるが魔法に対する直接干渉を可能とした稲妻纏う白刃を存分に振るって、小型のビルディング一つ程度ならば飲み込めるだろう規模の『神の雷光』を己が剣腕一つで斬り殺す。
魔法の余波など些細なもの。斬り捨てた後には僅かな静電気が宙空に散るばかりだ。
「ば、かな、……馬鹿なああああああ゛あ゛っ!!!!」
血を吐くような絶叫が大天使の喉奥から絞り出された。
上述の通り、この世全ての上に立つ『神』の名を冠する魔法だ。自身の有する魔法の内でも最強の一撃だ。だというのに何故、人間一人が金属刀を振り回すだけで無効化されているのだ。こんな事は馬鹿げているッ!!
魔法とは本来そのような防ぎ方が出来るものではない。
だがライドウは斬る。
何故ならば、その方が早いからだ。
魔法を使うよりも斬った方が早い。仲魔を喚ぶよりも先に斬った方が早い。考える暇を設けるよりも、剣で斬った方が早い。
刀を握る。ただそれだけで当代ライドウはこの世界の誰よりも早く、何よりも強かった。
至極単純な帝都守護役としての適正。他を隔絶する強さ。たったそれだけで『ライドウ』を継いでしまったのが彼女だった。
「ライドウにはメシア教団と敵対する気など無いのですが……」
ウリエルの攻撃とその後の反応に渋るライドウ。
大天使と魔王の立つ戦場に乱入した際、メシア教団本部に攻め込んでいるらしい魔王が居たので、とりあえず斬った。教団幹部アデプト・ソーマへの取次ぎを願う足掛かりとして、まずは三つ首の悪魔から倒してしまおう。秩序の天使には受け入れがたいかもしれないが、後々の心象を考えて、この場限りでも良いからと共闘を申し出ておこう。
ライドウはそう考えたのだが、何故かウリエルが攻撃してきた。
向けられた攻撃魔法を己が斬撃で残らず打ち消し、改めて話をしようとしても何やら心を乱している大天使は聞き入れようともせずに再度の攻撃を見舞ってくる。
既に何度やり過ごしただろうか。教団と敵対するわけにはいかないライドウは大天使に対して攻撃出来ないというのに、あちらはやりたい放題だ。やりたい放題の結果、ライドウには未だ傷一つ無いのだが。
「ははっはっはははははっはは! 本当に人間か、貴様っ!」
笑いながら戦場へと立ち戻ったヘカーテ。先程奪った筈の右腕は健在だった。
空に昇る偽りの月から供給させた、大量の高純度マグネタイト。ヘカーテの月の護りを突破された事は大層驚いたが、四肢が幾つかもげた程度ならば、満月を背負う魔王にとって致命傷には成り得ない。
只の人間が今宵のヘカーテに傷を付けた。非常に面白い。だが既にそのカラクリは理解した。魔術の神たるヘカーテには、少女の振るう刀を包む何らかの加護が見て取れる。先の一撃はそれ故の手傷。
「まだこの国にそれほどの力を持つ神格が居残っていたか。いや、或いは件の四天王か、帝都守護を担う怨霊か?」
どちらでも良い。一方的な蹂躙ではなく、敵手と競い合った上での勝利こそが至上。
この混沌とした月世界も、大天使と目の前の人間を敵に回した命懸けの闘争も、魔王ヘカーテにとっては最高の娯楽だ。数年間の隠居生活から開放されて早々にこのような愉しみに出会えるとは、なんとも運の良い事だ。最高だ。是非とも目の前の二者を手ずから殺してやらねばなるまい。
絶対の防護を破られようと、未だ魔王ヘカーテは己が勝利を確信していた。
完全回復したヘカーテを前に、ライドウはバットマンから奪取した情報を脳内にて繰り返す。
基本的に全属性に対する完全な『反射』耐性を有し、こちらは特別な処置を施した愛刀以外での攻撃が通らず、傷を負わせても勝手に治る。
「とんだクソゲーです。ライドウは断固 抗議します」
事前情報を元にヘカーテの戦闘性能を推測し、その日から今日まで、どうにか月神の護りを突破する方法を捜し求めて日本全国津々浦々。結局は帝都を守護する四天王と猛将に頭を下げて、精一杯頼み込んだ上で実力を示して加護を得た。
相も変わらず手間が掛かる上に最後は力に訴えなければ助力を渋る。ライドウはあの面倒臭い守護神達が大嫌いだった。3分経過後のカップ焼きそばの蓋にくっ付いた野菜類と同じくらい嫌いだった。今までにも彼等に用事がある度に戦って、毎回異なる条件を設けた上で打ち倒せと無茶を言われ、今回で通算何度目の勝利を重ねた事か。仲魔共々、帝都の思い出といえば四天王の館か皇居の一部しか記憶に残っていない有様である。
ライドウの振るう刀『赤口葛葉』に与えられた加護、それは簡単に言えば攻性結界だ。
偽りの月の齎す『護り』の加護を打ち破るため、国家守護を担う彼等から与えられた『祓い』の加護。刀を用いた攻撃が接触した一瞬のみ、ヘカーテが纏う属性耐性を無効化する、守護神達による特別製の自動効果スキル『物理ガードキル』。
敵の護りが邪魔だというなら取り祓ってしまえば良いのだ。護りが消えれば、あとはライドウが斬って終わる。
終わる、と思っていたのだが――。
まさか月神などというマイナー神格がここまで厄介なものだとは、ライドウはまったく想像していなかった。
「――『絶対零度』!」
ヘカーテの放つ氷結魔法によって周囲一帯がことごとく生命宿さぬ銀氷に呑み込まれ、呼吸さえままならぬ極寒の世界が現れる。
それをライドウは力尽くで打ち砕く。
今度の魔法は先程の電撃とは違う、氷結属性。召喚したフロストファイブとの合体技『銀氷真剣』を刃でなく左手に握った黒鞘に纏わせ、縦横無尽に斬撃を見舞う必殺の『利剣乱舞』によってアスファルトや周囲の建築物ごと粉々にした。
だが、これでは勝てない。このままでは繰り返すだけだ。
月を構成するマグネタイトは質量にして如何ほどのモノか。あれを全て消費し尽くすまで目の前の魔王を一方的に攻撃し続けるなど、体力自慢のライドウとても流石に息が続かぬだろう。
この場に居ない天女センリが戦場周辺に構築している結界も、月光を遮るほどの効果が無い。力ある悪魔に異界を形成させて月から隔離するという当初の予定も、国ごと異界化させるという力技の前には実現不可能。この巨大異界の内部に新たな異界を設けても、より大きな異界に潰されて消滅するだけだ。
手詰まりかもしれない。悩むライドウには休まず敵を斬り続ける以外に出来る事が思い付かなかった。
翻ってヘカーテも少々悩んでいた。
目の前の少女は、間違いなく今の自分よりも強い。どれほど鍛えれば神格を有する魔王以上の位階に至るというのか、そのために必要な修練の質も量も、狂人呼ばわりされるほど積み上げ、それでも到底足りない筈だ。本当に人間かと心底から疑っている。
ヘカーテに有効な攻撃手段が刀一振りに限定されているという事実も、魔王の優位性足り得ない。ライドウ本人は異能の一つも使わず、必要な魔法の類は全て仲魔頼り。魔王の力を個人の武力でもって上回る豪傑が、刀を用いた攻撃と迎撃のみに集中していればそれで良いのだ。なんとも恐ろしく、しかしそれを乗り越えた際の喜びの大きさを想像すれば、ヘカーテは笑いが止まらない。
どちらにしろ、このままでは千日手。
ライドウ陣営が徐々に積み重ねる疲労が、戦闘不可能域にまで届くのが先か。
ヘカーテに万能の護りと力の供給を齎す月が、マグネタイトを削られて消滅するのが先か。
順当に考えればエネルギー総量の差でヘカーテが勝つだろう。だがそう単純に決まってしまわぬのが戦場だ。
「もっとだっ! もっともっと、このヘカーテに喰らい付いて来いィッッ!!!!」
「むう、ライドウはお月様が嫌いになりそうです……っ」
そして一人放置されたウリエルが、呆然と両者の戦いを見守っていた。
何故こんな事になっているのだろうか。誉れ高き大天使ウリエル、厳格なる懺悔の天使。この地を救うために降臨した輝かしき天の遣いが、どうしてこんな、誰の目にも留まらぬ戦場の片隅で一人孤独に座り込んでいるのだろうか?
こんな筈ではなかったのだ。自分ならば、きっと偉大なる主のためになる事が出来たというのに。
アデプトを殺した事は間違っていない。ソロネを見逃した事が悪かったのだろうか。離反したメシアン達をもっと厳しく縛り付けておくべきだったのか。――あの汚らわしい罪人をすぐさま殺さなかった事が間違いだったのか。
三つ首の魔王も帝都の守護役も、どちらも目の前の相手を打ち倒さんとする決闘に没頭している。まるでウリエルなぞその後でどうとでも出来ると言っているかのようだ。
しかし事実として、霊地から引き離されたウリエルはあの二人のどちらにも勝てない。霊地に引き篭もって力の供給を受けた所で、無敵性はヘカーテが上で、実力はライドウが上だった。
本当に、目を向ける価値さえない雑魚なのだ。
それくらいは理解出来る。理解出来てしまうからこそ、狂おしい。
何故、自分が。何故、膝を突いている。何故、視線さえも向けられない。何故、褒め称えられる事が無いのだ。何故、主は傷付いたこの身に愛を注いでは下さらない。
「おっ、お、お、お、ォ、オ、オオォオオオォオォオォオオ……ッッッ!」
大天使ウリエルには『堕天』の記録があるとされる。
かつて天使に対する信仰が高まり過ぎた時代。触れることあたわぬ遥か遠き全能の主よりも、人に近しく美しく、なによりも形として分かり易い、翼持つ人間の形を持った天使こそを信仰した人々が数多く居たのだ。
信ずるべきは神であり、天使ではない。しかし人々の熱狂は止まらない。――ならば天使共を崇めるに足りぬ穢れの地平に突き落としてしまえば良い。
結果としてウリエルは堕天使となった。
ミカエル、ガブリエル、ラファエルの三大天使こそが清らかなるモノ。ウリエルは他の天使同様、信仰には値しない、誤り堕ちてしまう程度の存在だ、と。
そんなものは信仰の多寡に気を配った俗人共のつまらぬ都合によるものだ。しかしこれによって大天使ウリエルという存在に大きな傷と汚点が刻まれたのは確かな事実。
つまるところ、大天使『ウリエル』は、人の信ずる限りにおいて、堕天使と成り得る悪魔なのだ。
「オオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
人のような肉が捩れて異形へと変じ、透き通る青色の肌は金属質の青銀色に染まっていく。
麗しい尊顔はもはや顔とも呼べぬ白く硬質化した大きな仮面へと成り果てて、ゆっくりと体を滑り落ちて腰の辺りで大盾のように固定された。
全身が機械のように、金属のように照り輝いている。
身体の其処彼処から伸びた爪のような、牙のような禍々しい突起物が蠢き踊る。
「我は、大天使ウリエル。――主のために主のために主のために我はっ我こそガ、だ!!!」
気が付けば天使の象徴たる翼など欠片も残っていなかった。何処をどう判別すれば天使と呼べるのか、もはやナニモノかも判然とせぬ一匹の悪魔へと変身したウリエルが、ゆっくりと立ち上がる。
その時、月が翳った。
「偉大なる我の、偉大なる降臨を祝うが良いぞ、――愛しい眷属よ」
艶やかに輝く偽りの月に、何か大きく長いモノが巻き付いていく。
白い肉を晒し、紅い鬣を揺らし、ゆっくりと月を飲み込む悪魔が空に居た。
「――私の月が」
空を見上げて呆然と呟くヘカーテを余所に、上空より、異形へと変じたウリエル目掛けて一本の大木ほどの太い『御柱』が打ち落とされた。
「ぐぅ、ウオオオオオオオ! 貴様っ、貴様ア! 誉れある神の炎に対して不敬なる罪業ォオオオぐぎがぐがッ!!」
「うむ。我は寛大であるからな、眷属たるオスザルが望む故に、まずは貴様から討ち滅ぼしてやろうぞウリエルよ。……貴様ウリエルで良いのよな? うん? イメチェン?」
月と、月を構成するマグネタイトを飲み干した大蛇が、注連縄の巻かれた御柱に絡み付きながらその姿を変えていく。
人間のような両手両足を有し、紅から黒に色を変えた鬣を戴く首から上と、細く伸びた尾にのみ、蛇であった頃の名残を残す、半人半蛇の白い悪魔。
邪神『ミシャグジさま』と呼ばれる悪魔が現れた。
「ふあーっはっはっはっは!! 滾るぞー! すっごく漲ってくるぞー! 良くやったオスザルーっ! 褒めてくれるわっぬははははは!!」
上機嫌な高笑いを上げるミシャグジ神の降臨。
偽りの月が消え、徐々に崩壊していく巨大異界。
最終決戦が開始される。
■
執筆中のテンションでうっかり堕天してしまった第三十話です。
4の大天使ではウリエルが一番好きな外見なのですが、このような扱いに不快感を覚えられる方々には平に謝罪致します。
それと、造魔ツクヨミのレベルは普通にミシャグジ様より上です。
続くかどうかなどわからないのです。
※2015/01/11投稿
※2015/01/11描写差込「『祓い』の加護。」以降一行