緋熊の振った拳が、悪魔の肉体を引き千切る。
「うぉっ、うぉれは、沈んでいるのかぁあぁぁ――!?」
悪魔の断末魔さえ聞き慣れた、もはや何度目かも分からぬ異界巡り。
自分より圧倒的に強い緋熊とその仲魔達を頼りに、今日も今日とてサマナーの強化訓練が行われていた。
「エグゼクターよ、私とて貴方のお役に立てると思うのです。女性にばかり任せておらず、我らも前に立ちましょう!」
張り切るパワーはサマナーの護衛役だ。
殺害された悪魔が撒き散らすマグネタイトを全身に浴びる事で、先月まで一般人であったサマナーも着実に強くなっている。
だが全く足りない。
現状では相変わらず前衛に立つ緋熊との実力差が明確で、仲魔であるパワーとの差も中々縮まらない。こんな事ではメシア教団を抜け出せる実力などいつ手に入る事か。手始めとしてパワーを殺す為の強さを求めているという真実を知らない天使が張り切る声を聞き流し、頑張る熊を労いに向かう。
――やっぱり、緋熊さんって凄く強いんですね!
今日の気分は憧れの先輩へと興奮交じりに声を掛ける健気な後輩君(推定中学生)である。
「あ、ああっ、まあこれくらいはな!」
にこやかに話しかければ、熊が照れた。
仮にも女性の端くれとして、異性へのアピール方法が悪魔に対する殺害性能の顕示というのは如何なものか。そんな内心を押し殺し、役に立っているのは確かなのだからとサマナーは感謝と労いのために飲み物を差し出した。当然だが毒物入りではない、普通のスポーツ飲料だ。
照れ照れと頬を染めながら豪快な一気飲みを披露する熊を見て、男の前なのだからもう少し振る舞いに気を遣えよとナタタイシが頭を抱えた。果たして本当に異性を意識しているのか、疑わしくなるような男らしい態度である。
熊だから仕方ないよね、と全てを受け入れる姿勢のサマナーは、意外と緋熊との相性が良いのかもしれない。
「討伐の調子は良いのだがなあ。まだまだ我が霊格を取り戻すには足りておらぬ」
小型のソリに乗せて引き摺られているスライムが呟いた。
元々が信仰を失いつつあった神格とはいえ、この国由来の国津神。将来的に神として完成したスライムが有する霊格は、今この場に居る誰よりも上位に在る。
その為に必要なマグネタイトなど、たかだか一月そこらで収集し切れるわけもない。腐っても鯛、零落しても神だ。神そのものではなく神力の残り滓であるからこそ、スライムが神を名乗るに足る御姿と神格を手にするには、本来以上のマグネタイト量が必要だった。
要するに、もっと頑張りましょう、という事だ。
「やはりあの乳母車が良いなあ。プラスチックのソリではなあ」
サマナーが色々考えている傍らでも、渦中のスライムはこんな調子である。
緊張の糸が切れているというべきか。安全の確保された戦闘、身を脅かすものの存在しない境遇。サマナーがメシアンとなった当初は思う所もあり消沈していたのだが、慣れてしまえばこのざまだ。
己が唯一の信徒が飛躍を諦めていない事を知っている。今は力を蓄えるため、地道な努力を必要とする段階だ。だから多少は仕方が無いのだろうが。
――お前も少しは働けよ。
ソリに乗せられ、サマナーに引き摺られ。
スライムは何もしていない。
戦っているのは男に良い所を見せたい熊とその仲魔。パワーはサマナーの護衛。サマナーは戦闘の観察を行うが、実力差があり過ぎるせいであまり勉強にならない。それでも何もしていないのはスライムだけだ。
「ふふん、良いのか? 偉大なる我が戦線に立てば、『たたり生唾』とか使ってしまうぞ!」
それは脅しのつもりなのだろうか。
使ったからどうなるというのか。名前の響きからして臭そうな上に汚そうなスキルだが、スライムが胸を張る理由が不明過ぎた。
ふにゃふにゃとソリの上で揺れる不定形生物から視線を逸らし、異界探索へと意識を戻す。
気が抜けてしまう理由はサマナーにも理解出来る。
当初 不安に思っていたほど、メシア教団は危険な場所ではなかった。あんなにも考え抜いてようやく訓練施設から出られたというのに、今が平穏過ぎて、勝手に追い詰められていた自分が恥ずかしくなってくる。
目指すものさえ忘れなければ、このまま時間をかけて力を付けて、事を為すのはそれからでも決して遅くはないのだ。
だが懸念もある。
ヴィーヴルから聞かされたガイア教団とファントム・ソサエティの同盟、彼等が企む謎の計画。
確かにキナ臭い話だ。しかしメシア教団の一構成員でしか無いサマナーに何が出来るのか。
現実に何かが起こっても、あの苦労人のアデプトが勝手にどうにかしてくれるのではないか? そんな楽観さえ浮かんでしまう。
良くない傾向だ。誰かに期待し思考を放棄して、そんな事でどうするのだ。
――でも、力が足りない。
結局はそこに行き着く。
間違いなく、掛けた時間の分だけ強くなっているのに、自身の得たものがどれだけ小さな力か、身近な人間や悪魔を見るだけで分かってしまう。開花した霊体由来の超感覚が、漠然としながらも理解させる。
このまま何年も、或いは何十年も費やしたとて、国を築くどころか今ある多種の組織を打ち倒す事も出来はしない。
ならばどうすれば良いのか。
若きサマナーは、なんとなくだが、己がどうすれば良いかを分かっていた。
日々が過ぎていく。
どれだけ緩やかに感じたとしても、降誕祭から後は流れるように時が過ぎ去った。
大晦日にも、メシア教団は礼拝堂を開放していた。
人気取りだとか、信徒を集めるだとか、お金の問題とか。そういった邪な考えは無い。
ただ毎年の事として、新しい朝を共に迎えようと同胞達に呼びかける、それだけの温かな集まりだった。
祭事の合間を縫って、礼拝堂の外へと出る。
見上げた空は、――新月。
一年最後の夜に月が見えないというのは、吉凶どちらに分類されるのだろう。どうでも良い疑問に頭を悩ませるサマナーは自身の吐く白い息に視線を絡め取られながら、いつも懐に仕舞ってある一枚のチケットに指を寄せた。
――やっぱり行けなかったな。
『貴様という奴は、やはり妙に気にしておるよなあ……。怪しい、怪しいぞっ、このオスザルめ!』
何を勘繰っているのか、スライムはこの話題になると いやに食いつきが良い。
ただ気になってしまうだけだ。あんな変な奴は初めて見たから、だから興味が湧いてくる。笑顔の消えたあの顔に、なんでもいいから分かり易い表情を浮かべさせてやりたいというような――。
ああ、まるで好いた女子に構ってもらいたがる子供のようだ。
自分で思い浮かべたその表現に、不意に笑いが込み上げてきた。
まさかそんな事があるものか、と。引き攣るような笑い声を抑えきれず、口元を手で押さえてようやく静かになる。
出来れば来るな、と言われたが。
チケットを貰った以上は、行けなかった事を謝まらなければいけない。次の機会があれば、そうしようと思った。
「あ、あの!」
緊張感に満ちた声に振り向けば、一人の少女が立っていた。
礼拝堂では今も年越しの祭事を執り行っているだろうに。こやつサボリ魔か、と己を棚に上げて悪態を飲み込む。
「その、ひっ、久しぶりだねっ?」
――そうだね。
誰だろう、こいつ。
どこかで見た事があった、だろうか。
多分そうなのだが、サマナーには目の前の少女が誰か分からなかった。
「私ね、貴方が居なくなってから頑張って、最近ようやく教団から天使様を賜ったの!」
心底嬉しそうに、弾むような声音で少女が語る。
未だに目の前の人間が誰かを思い出せないサマナーだったが、彼女の表情には憶えがある。
緋熊と同じである。
つまり、目の前の名称不明な少女もまた、自分に恋慕の情を――。
――やばい、吐きそう。
『それは流石に酷いと思うぞ我はーっ!?』
だが仕方が無い。連日 送られてくる緋熊発の短文メールに、猛獣の機嫌を損ねないよう脳味噌をフル回転させて返信する日々。相手のメール内容が短いのは失敗しないように、こちらの機嫌を損ねないようにと熊なりに考えた結果だろう。だが毎回毎回一時間おきにメールを送られるのは本当に勘弁して欲しい。
異界での共闘にしてもそうだ。
確かに安全に楽をして経験を積めるのは有り難い。だがかつて殺し合った際の獣の眼光を知っている身としては、微妙にしおらしい態度でこちらを窺う熊など、むしろ恐ろしさを感じる。
恋する乙女なぞ、外道スライムの信徒である年若きサマナーにはまだちょっと早いのだ。
奥歯がカチカチと音を鳴らし始める。目の前の少女が何をしたわけでもないのだが、しばらく色恋沙汰は遠慮したいのがサマナーの本音だ。出来るだけ早く彼女との会話を終わらせて、手早く礼拝堂に帰還しよう。
会話の段取りを脳内で組み立てるサマナーの上空、月の無い暗闇が五色に輝いた。
咄嗟に仰げば、新月の空に艶やかに輝く真球が存在した。
「満月……?」
――違う。
少女がぼんやりとした声で呟くが、即座にサマナーが否定した。
水面の如く揺らめくあの色彩は、活性マグネタイトの輝きだ。
それは月と見紛う大規模の球形、――マグネタイトの凝縮体。
『不味いぞオスザル!! あれはマグネタイトを用いて生み出された擬似的な満月だ! だがそれよりも――』
教団敷地の外側、市外方面から無数の遠吠えが聞こえた。
霊地であるメシア教団の敷地内に居るからこそ分からなかったが、満月モドキによって照らされた下界の空気が、強く霊感を刺激する。
『……街が、異界化しているな。あの月を構成する高純度のマグネタイトによるものだ』
言いつつも、見上げた輝きの強さから、高純度などという言葉では済まないと考える。
あれは目に見える巨大な月として具象化するほどの、大量の物質化マグネタイト。マグネタイトの結晶塊と言って良い。きっと人の手が届くのなら触れてしまえる、新月の夜に生み出された新たな『月』。
――『ツクヨミ』?
名前を呼んだところでどうにもならない。
何も出来ないし分からなかった、だから放置した問題だ。真実、サマナーが脳裏に思い描く彼女が原因で生み出されたモノだとして、ならばどうしろと言うのだ。
再び、遠吠えのような何かが耳朶を叩く。
『あの叫び、間違いなく悪魔のものだ。空に浮かぶ月が放射するマグネタイトによって現世を異界と化し、異界に開かれた経路より有象無象の悪魔共が溢れてきているのだろう』
つまりこのまま放置すれば、人々の行き交う街中に悪魔が解き放たれる事となる。いや、既にそうなっているのか。
異界化した街中に、街の人間が存在しないなど。そんな楽観が通じるわけがない。きっと、間違いなく、一般人を巻き込んだ現世の一切が異界内部に呑み込まれている。
一大事どころの騒ぎではない。世にある悪魔犯罪の中でも飛び切りの、類似する案件さえ見つからないだろう歴史的な大規模テロ。何を目的とすればこんな馬鹿げた儀式を実行しようと考えられるのか、想像も出来ない。それでも考えるなら、この状況そのものが目的か。
現世を悪魔の溢れる地獄に落とす。
そういった、意義無き悪意の元に行われたというのなら、納得出来なくもない。
十字架型COMPを握り、得られた情報を脳内で纏め上げる。
結論を述べるなら、とにかく不味い。今すぐアデプトの元へ報告に走り、あとは全部押し付けよう。
『RECEIVED ANGEL』
決断した直後、操作してもいないCOMPが受信を告げる。
――何だっ?
マグネタイトの輝きと共に、サマナーの眼前に燃える車輪の天使が現れた。
天使『ソロネ』。
直接 目にするのは初めてだったが、アデプト・ソーマが従えるとされる高位の天使族悪魔。
それがアデプトから渡された自分のCOMPから現れたという事は、やはりこの十字架型COMPにはサマナーに秘匿されたアデプトとの直通回線が設けられているだろう。以前から疑っていた可能性が実証され、次いで目の前に現れた天使への疑念が膨れ上がる。
アデプト側からの操作によって自分のCOMPに悪魔を召喚させる。それが可能なのは構わない。
だが何故、今自分の前にソロネを召喚する――?
『SUMMON DEVIL』
「ふぅむ。出番か、オスザル!」
混乱は晴れない。だがもしもの可能性を考えて、スライムを召喚。
パワーでは駄目だ。出て来ようとはしているが、教団所属の天使をこの場に召喚するのは万が一を考えて控えるべきだろう。
ソロネ相手では戦力差から戦闘にさえならないと分かってはいるが、それでも、理由など全く分からないが、もしもこの天使が自分を殺すつもりで出て来たのなら、先の敗北が確定していようと、己の頼れる仲魔はスライムだけだ。
当然、それは見当違いの覚悟だった。
すぐに知る事となるが、ソロネが現れたのはサマナーを殺すためではない。
「アデプト・ソーマが身罷られた」
――ア?
「以後はエグゼクター『虚心』の指示に従えと、我が契約者からの用命を遂行するなり」
不快感さえ感じるほど平坦な声音で語るソロネに対し、告げられたサマナーは何を言われたのかが理解できない。
アデプト・ソーマが、みまかられた。
目の前の天使は何を言っているのだろうか。
一体どういう意味合いの言葉を口にしたのか、本当に分かって言っているのか。
――いま、何て言ったんだ?
聞き返す少年に告げられる言葉は、一言一句変わらなかった。
「アデプト・ソーマが身罷られた。以後はエグゼクター『虚心』の指示に従えと、我が契約者からの用命を遂行するなり」
愚者と外道の出会いから一ヶ月。
新しき時代を告げるその日、古き世界の崩壊が始まった。
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メシア教団編終了。女神転生編開始。
ようやく崩壊に至る情報が出揃ったので世界を滅ぼす第二十一話です。
女神転生編だけど転生出来るかは不明です。
そしてライドウは女子ですヒロインです、と強調します(震え声)。
続かなくもないです。