聖堂内にはクリスマスを祝う歌が響いていた。
メシア教団主宰の降誕祭。
一般にも開かれた大聖堂、集った信徒達は数多い。
宗教とは縁遠いこの国で、聖夜のミサが満席状態とは、教団が多くの人々に受け入れられている証明だろう。
沢山のキャンドルに照らされた聖堂内は、美しく神秘的な光景。聖堂の片隅でミサの進行を見守るサマナーも、こんな行事は面倒臭いだけだ、とは言い切れない心持ちだった。
『ぬおおおっ、これが我を讃える祭事であれば……っ、いや、いっそ此処で偉大なる我が降臨すれば』
――ああ、間違いなく大惨事だな。
COMP内で愚痴を吐き出すスライムを押し留め、聖堂内を一通り見渡す。
老若男女問わずとはいうものの、席を埋める信徒は老人の方が些か多い。教団による地域貢献の成果か、まさか教団の祭事にこんなにも多くの人間が集るとは思ってもみなかった。
ミサの進行に沿って聖典の朗読を行うアデプト・ソーマも、いつもより額の皺が少ない。
人助けをしていなければ呼吸が止まると言わんばかりの仕事中毒があんなにも安らいだ顔を見せるとは、成程、今日のこの日は聖夜と呼ぶに相応しいと言えた。
ミサのために用意されたメシアンの正装、その懐に指を当てる。
軽い紙片の感触を得て、あのツクヨミと名乗った少女もクリスマスはアイドルとしての仕事に精を出しているのだろうか、と相手の予定も知らずに考えた。
天津神『ツクヨミ』。
国産みの父神『イザナギ』が黄泉国から帰還した後に、身に纏う穢れを祓う禊を行う際、父神の右目から生まれたとされている。――夜を統べる、月の神格。
天に君臨する神の一柱と言えば偉大な存在に聞こえるが、ツクヨミは独自の神話と呼べるものは持たず、精々が豊穣神を殺害した際にその神の死骸からあらゆる食物の起源が生まれ出た、という程度。それさえも記述によっては他の神格に配役を取って代わられる場合もあり、そもそもが機嫌を損ねて友好的な神を殺したという話だ。どう取り繕っても物語の端役に過ぎない。
ツクヨミである必要さえ無い食物起源神話の一幕。これが一番有名かもしれないが、到底 月の神格が活躍する話とは言えなかった。
ならば他に何があるかといえば、――特に無いのである。
月の満ち欠けを死と復活になぞらえて不死信仰に繋げる話があっても、直接的にツクヨミという名の神格が出張る物語とはならない。
ならば彼の神はどういう神格なのか。
何が出来るのか。
何を望むのか。
関わる一切が神話においても語られる事はなく、ただ古き時代より多くの人々に愛され信仰される美しき天体としての『月』、その象徴たる神格として名を知られるのみ。
男神として扱われるのが一般的だが、実は性別さえ不明だった。
そんな不憫な神様と、彼女は関係があるのだろうか。
偶然の一致だというのなら、それで話はお終いだ。只の人間にしか見えない彼女とは、濃密な活性マグネタイトの立ち込める通路で出会わなければ、きっと言葉を交わそうとも思わなかっただろう。
不思議な雰囲気の少女だった。表情が消えてからは一層、サマナーの意識を惹き付けた。
今までに出会った事の無いタイプと言える。こんなにも彼女が気になるのは、何故なのか。
目の前の祭事とは関係の無い事で頭を悩ませるサマナーを見て、スライムが言った。
『オスザルよ、貴様 少々あの小娘に拘り過ぎではないか。よっ、よもやまた一目惚れとは言わぬよな!?』
――いや、あれで抜き身の日本刀でも持っていたらやばかっただろうけど。
そこまでされれば、流石に惚れていたかもしれない。
一人で考え込む余り、スライムへの返答も適当になるサマナー。さらりと聞かされた謎の性癖に硬直するスライムは、言葉にならない驚きで最早何を言えば良いのか分からなくなってしまった。
『……オスザルよ。その、だな? あまり気の多い男は良くないと思うのだよ我は、うん』
未だに緋熊へのプロポーズを真実だと誤解している外道を放置したまま、ミサの進行は順調だった。
準備に駆り出された身としては、このまま最後まで問題無く終えてほしい。
だが実はこの後に、悪魔関係者であるメシアン総出で天使を交えたミサが執り行われるのだが、サマナーとしてはそちらだけはどうにかサボりたいと考えている。しかし今は席を外しているパワーが凄く楽しみにしていたので、きっと叶わぬ願いだろう。
きよしこの夜。
一年の終わり。サマナーとなった以降は酷く慌しい日々の連続ではあったが、悪くない。
本日の行事が全て終わったら、スライムにケーキとワインでも振舞ってやろう。
珍しく仲魔を気遣う気持ちで、とあるサマナーのクリスマスが過ぎていくのだった。
◇
その頃メガネは相変わらず引き篭もっていた。
月の初めに異界で別れて以降、全く音沙汰の無かった自身の友人、スライムサマナー。
ようやく彼の無事を知れたと思えば、知らせてくれた相手はガイア教団所属の凶獣『緋熊』。はてさて彼は一体どうやってこの熊と仲良くなったのか、メガネを掛けた中年男は己が友人のコミュニケーション能力に驚嘆するばかりだ。
今はメシア教団に所属しているため直接の連絡は取れない、と友人からの手紙には書かれていた。
それでも無事を知れて良かった。友達が彼しか居ないメガネは心底から安堵して、手紙を渡してくれた緋熊に礼を言う。
そしたら殴られた。
彼女曰く、「なんかムカつく」だそうだ。実に理不尽である。
常に猫背でぷるぷる震えて、どもり気味の口調に顔色の悪い痩せっぽち。自分が人に好かれない人間であるとは理解していたが、まさか罵倒より先に拳が飛んでくるとは。インテリ系のメガネとしては生まれて初めての経験だったが、生きていくのに決して必要の無い経験だった。
しかし自分一人しか居なかったメガネ宅に、友人とその仲魔であるヘドロ生物以来の来客だ。唐突に殴られるという理不尽な体験は捨て置いて、メガネは彼女を歓迎し、自宅へ招く。
そしたら殴られた。
彼女曰く、「塒に連れ込んで何するつもりだ!?」だそうだ。自意識過剰である。
常に猫背でぷるぷる震えて、どもり気味の口調に顔色の悪い痩せっぽち。自分が人に好かれない人間であるとは理解していたが、冬眠に失敗した空腹状態の熊が擬人化したような女を自宅に連れ込んで猥褻行為に走る倒錯趣味と思われたのは初めてだった。異性と縁の無いメガネとしては生まれて初めての経験だったが、余りにも新鮮過ぎて二度と無いだろう経験だった。
ここで緋熊のCOMPからヴィーヴルが登場。
話が進まないから自分が仕切る、と笑いながらメガネの自宅に上がり込む龍王族を見て、メガネはむしろ自分が身の危険を感じるべきなのではないか、と思ったが、また殴られそうだったので口を閉じる。
客に出せるものなど、常備している おでん缶やカップ麺くらいしかないメガネ宅。友人が買い置きしていた缶コーヒーをテーブルにコトコト並べれば、緋熊は遠慮せずに二本飲んだ。仕方無いのでもう一本取り出してヴィーヴルの前に置く。
彼女らからの話を聞く内に、頭の出来だけは他者に優るメガネはしっかりと事情を把握した。
要約すれば、――メシア教団に捕まりながらも教団内で一定の身分を得た友人が、目の前の雌熊を口説き落とすという快挙を成し遂げてしまい、熊というか熊の仲魔であるヴィーヴルはガイア教団から離脱するための地歩固めの最中だ、という事か。
二人がメガネに会いに来たのもその一環。悪魔使いとして、信頼できる邪教の専門家との縁は絶対に必要なものだ。
たった一人の友人からの紹介であるならば無下には出来ない。ガイアーズに対する隔意を持ち合わせないメガネは、快く彼女らを受け入れた。
「じゃあしばらく此処で厄介になるから」
「さ、流石にそこまで一気に来るのは予想外だよ、予想外だよー……」
笑顔でこれからの予定を告げたヴィーヴルに、メガネは戦慄した。
目の前の悪魔は笑いながら周囲を振り回す傍迷惑なタイプだ。そして緋熊と呼ばれるガイアーズの女もまた、評判から考えれば周辺一帯に被害をばら撒き、その上で自分だけは生き残る死神タイプである。
精密機械等、前提知識を持たない素人が触れては困る物の多い自宅に泊めるのは、正直に言えば御遠慮願いたい。
今更断っても無駄だと、分かってはいたのだが。
ちなみに男の家に泊まると聞いた緋熊が怒鳴り散らして反対したが、ヴィーヴルに丸め込まれていた。
何故にこんな猛獣を口説いたのか。友人の守備範囲の広さに脂汗を流しながら、メガネは緋熊が寝泊りする部屋の用意に取り掛かるのだった。
日は過ぎてクリスマス。
聖夜だというのに外出の予定など一切無いメガネと、酒を浴びるように呑む緋熊と、その仲魔達を合わせた五人は揃ってケーキを食べていた。
「サマナー、彼をデートに誘えなくて残念だったわね?」
「べっつに、そういうつもりじゃなかったしー……」
「大丈夫ー、僕達がついてるよーサマナー」
くだを巻く熊と、彼女を慰める仲魔達を眺めて、メガネは一人ケーキを啄ばみながら新しいCOMPを弄っていた。
共に祝う相手は少々バイオレンスだが、ここ数年は全く無かった年間行事における団欒に、メガネも少しだけ心が弾んでいる。
数年前のファントム騒動。
ファントム・ソサエティとヤタガラスの共食いに紛れて、メガネは組織を離脱した。
正規の離職手続きなど行っていないし、その程度の余裕も当時のファントムには無かった。だからこそ抜け出す事が出来て、今も組織から追われる事なく細々と暮らせている。
ファントム上層陣が何を企み、護国組織であるヤタガラスがどうやってそれを食い止めたのか。
メガネは全てでなくとも一通りの事情を知っていたが、それらは既に終わった事だ。
当時ファントムに所属していた研究部の一職員。能力相応の待遇は受けていたが、両組織間の戦争染みた殺し合いを見た後でも組織への貢献を惜しまぬ、などと言えるだけの忠誠心は持ち合わせていない。メガネは優秀な技術者だが、ファントムの組織規模を考えれば代わりの利かない人材という程でもなかったのだから、組織内の混乱を放置してまで引き止める者も居なかった。
ヤタガラス陣営の天津神『ツクヨミ』と、ファントム・ソサエティ有する魔王『ヘカーテ』。
主力悪魔同士の衝突によってファントム本社ビルの上半分が煙の如く消し飛んだ瞬間、メガネは己が全霊をもって現職を辞す決意をしたのだ。
邪教に手を染めた事を後悔はしない。今更になって修めた知識と技術を捨てるつもりも無い。
だがあれは無理だ。あのような戦いは、自分が手を出せる領域には無い。
ダークサマナーの巣窟であるファントムに隔意は無かったが、忠誠心とて欠片も無い。組織と共に潰える覚悟など、持っていないし持てる気もしない。共倒れした両組織には今後も関わりたくないと思っていたが、さて。あの偉そうな外道スライムの物言いから考えれば、メガネの友人はいつかきっとあのような大騒動に飛び込む事になるだろう。
その時 自分が逃げずに手を差し伸べられるのか。メガネは少しだけ自信が無かった。
設定の終了したCOMPを作業机の上に置く。
『アームターミナル』と呼ばれる、携帯性を向上させた片腕に取り付けるCOMPだ。
メガネ謹製の乳母車型COMPを非常に気に入っていた友人とスライムだが、やはり乳母車などという斬新な形状は不都合が多い。大型サイズに比例して他のCOMPの数十倍の機能拡張を実現させた万能性には大きな魅力があるが、技術者の端くれとしてはやはり多機能と携帯性を両立させた良品を手渡したかった。
本当は、年下の友人へのクリスマスプレゼントに、などと考えてはいたのだが。
「へ、ヘドロ君のマークでも入れておいてあげようかな、あげようかなー」
要らぬ気遣いを発揮して、額に浮かんだ汗を拭う。
空調が利き過ぎて少し暑い。室内に視線を巡らせれば、緋熊一行は揃ってワインの一気飲みに興じていた。
正直、緋熊が来た時はどうなる事かと思ったのだが。
意外と世の中なんとかなるものかもしれない。そう楽観的に考えて、メガネもまた手元のグラスを飲み干した。
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気が付けば全編通すとそこそこの分量に達しつつある当SS、第十九話の投稿です。
そして忘れていたメガネの登場。このペースでいくと最終回が微妙に遠いです。
続くのかどうかわからないです。
※2014/12/31投稿
※2015/01/07誤字修正