異界で、熊と、再会した。
サマナーたる者、とにもかくにも強くならねば何も出来ない。
面倒臭い性格の天使族悪魔だが、パワーの加入によって戦力は大幅に強化された。これもメシアンの役得と思い、天使を扱き使いながらの悪魔狩りへと出かけたのだ、――が。
「……そうか。お前、今はメシアに居るのか」
――は、はい。教団の方々には本当に良くして頂いて……。
遠出した異界で、サマナー御一行は何時ぞやの猛獣と再会してしまったのだ。
メシア教団所有地にはメシアンの訓練用に確保されている幾つかの異界がある。サマナーとて今はメシアン、本来ならばそこで悪魔と戦い経験を積むのが一番良い。
しかしサマナーは教団の暗部、『執行者(エグゼクター)』である。
エグゼクターの正装として渡された衣装は、顔全体を覆い隠すニコマークの刻まれた仮面と、申し訳程度のメシアンカラーに彩られた頭巾一枚。正直な気持ちを語るなら、この時のサマナーはアデプトの顔面を全力で殴り付けてしまいたかった。だが表沙汰に出来ない仕事を任せられた人間が、暗部の構成員が、自身の氏素性を気安く晒してはならない。名前を偽ったのだから顔も、と言われれば納得するしかない。
将来の可能性として、教団内で起こる問題を処理する事もあるだろう。ならば同じメシアン相手だろうとエグゼクターは顔を知られていてはいけない。
――だから、メシアン専用の異界でもエグゼクターの正装で活動しなければならないのだ。
段階を踏んだ説明に、サマナーは善良なメシアンを装って笑顔を返した。
――むしろ目立つだろう、それ。
一定以上の階級に至った正規のメシアンしか出入り不可能な訓練用の異界、そこを徘徊する怪しげな仮面に頭巾を被った変態。誰何されるどころか、不審者が侵入したとして多数のテンプルナイトが出動、力尽くで捕縛される未来が予測できた。
そんな説明に目を見開いたアデプトは、「では対外的な、仮の役職登録が済むまで待って下さい」と返した。本気で驚いた顔だったので、サマナーはアデプトの人物評価を改めたが、それは別の話だ。
周囲に所属を明かせぬ暗部の人間が堂々と教団の所有地を歩くのも、あれは一体誰なのかと周囲の疑念を呼ぶ。身元を教団に問い合わせても、アデプト麾下の機密部門故にエグゼクターでございと正直に教えるわけがない。だから表向きの、普通のメシアンとしての名簿を用意する。
最初からエグゼクターの物と一緒に用意しておけよとは思ったが、メシアン就任自体が昨日の今日の話だ、訓練用に色々と物が充実しているだろう件の異界へ行くのはまたの機会にしよう。そう納得して教団を後にした。
万全の状態でなければ戦えない、というのは非常に良くない。
訓練一つとっても過酷であって悪い事は無い。ただし死ななければ、だが。
何より、一日でも早く強くなりたい。現状でスライムに我慢を強いているのも知っている。だからこそサマナーは仲魔を連れて、入出許可など特に必要無い、どこにでもある異界の一つへと足を向けた。
何か不測の事態が起こってもパワーが居る。こいつは強いのだから大丈夫だろう。慢心ではなく、これから向かう異界に出現する悪魔の情報などを調べた上での結論だ。問題は無かった。
そう。問題など無かった筈なのだが、其処をまさかリハビリ目的の猛獣が闊歩しているとは、近い将来に教団暗部を担うと目された才気ある少年にも予想出来なかった。
「そこの天使もお前の仲魔か」
――はい。
「……そうか」
――は、はい。
気まずい。
異界にてガイアーズの女傑を見た瞬間、サマナーの胃腸は過大なストレスから軋みを上げ、かつて砕かれた右膝が幻痛を呼び起こして悲鳴を上げた。
顔を見た刹那、飛び出してくるだろう初撃によって殺されると咄嗟に思った。異界を進む際、パワーを先頭で歩かせた事は正に慧眼であったと自身の判断を褒め殺し、腰元からトラフーリの魔石を取り出す。
――哀れな天使はいつかのオニやアプサラス同様 即死するだろうが、せめて一拍の時間を稼げれば自分とスライムは逃走出来る!!
と、そんな事を考えていたというのに、いつまで経ってもパワーが死なない。
――おい、何で死なないんだよお前。
「え? ……えっ?!!」
天使の中身が凄惨に飛び散る光景を合図に魔石を使おうと思っていたのに、何故か、死なない。心底不思議だった。素直な疑問をパワーに投げ掛ければ、キチガイを見る目で聞き返される。
天使の身体越しに赤毛の猛獣を見遣れば、戸惑い気味にこちらへ軽く手を振られた。
一体全体、どうなっているのだろうか。
脳内を跳ね回る疑問を置いて、遠慮がちで余所余所しい会話が続けられる。
何故自分がこんな目に遭っているのか。サマナーは懐にスライムを抱え込んだまま、自問自答を重ね続けた。
少年の近況を尋ねる緋熊と、答えて相槌を打つだけのサマナー。会話の反応から現状を探るため、ガイアーズである彼女にメシアンである状況を知らせてみても、致死の拳撃が降って来ない。おかしい。あの時はもっとアグレッシブ且つバイオレンスな生き物だった。これではまるで。まるで――?
緋熊の背後、彼女の連れる仲魔が見えた。
粘土のように物理的に引き伸ばされた体躯の、薄っぺらな犬っぽい何か。
燃える小さな車輪に両足を乗せた、照り輝くロボっぽい人型の何か。
口元を押さえて肩を震わせる、以前にも異界で見た龍王『ヴィーヴル』。
笑いを堪えるヴィーヴルを見て、もう一度思考を回す。
こちらを窺うような、会話を交わす事そのものが目的であるかのような、遠慮がちで余所余所しい、特別な中身を持たない会話。他愛の無いお話。
メシアンであろうと、天使を連れていようと、大した反応を見せずに、チラチラとこちらに視線を向けてくる、熊。
これではまるで。
まるで、恋する乙女のようではないか。
――まじか。
思わず零れた言葉に、遂にヴィーヴルが噴き出した。
びくりと肩を跳ねさせた緋熊が笑う龍王を睨み付け、再度こちらを窺う。
仲魔の不審な笑いに、嫌な思いをさせてしまったのではないか、と。心配するような目を向けられた。
サマナーは何があったのか全く分からない、というように首を傾げて微笑んだ。ほっとする緋熊を見て、背筋が凍る。
この状況から見るに。
かつての求婚発言を、真に受けられてしまったようだ。
そしてヴィーヴルの楽しげな様子と、以前異界で戦った際、自分に対して徹底的に敵視した上で『悪食』呼ばわりした緋熊の言動行動を顧みれば――この女、目の前の少年と自分を打ち倒したマンハンターが同一人物だと分かっていない上に、仲魔からも知らされていない。
ちらりと視線を向ければ、したり顔の龍王が笑った。以心伝心。己の推測が全く間違っていないのだと、悪魔の笑みが語っているではないか!
サマナーの閉じたお口の中では、激情に震えた奥歯がカチカチ音を鳴らしている。
果たして痴情の縺れと言っても良いものか。それよりもこの状況をどうするべきか、どうすれば全てが無かった事になるのか、未だ年若い少年には活路を全く見出せない。
ヴィーヴルの思惑も分からないままだ。己の主をからかっているだけなのか、こちらが顔を真っ青にして右往左往するのが楽しいのか。少年が『悪食』であると龍王が口にすれば、恐らく、緋熊はこちらに襲い掛かる。そうならない可能性もあるが、楽観は出来ない。雌熊の乙女心なぞ現役男子学生に悟れる類のものではないのだ。
本来ならばこの状況を利用するための策を巡らせるべきだ。
だがヴィーヴルはまず間違いなくこちらの正体を知っている。たった一言二言で状況を一変させる手札があちらには有り、ここから戦闘に移行すれば、今 目の前で乙女面を晒す猛獣に殺される可能性がとても高い。とても、とても高い。
感情の一切を見せず殺しに掛かる緋熊の姿を憶えている。
あの頃と比べて、パワーが仲魔になった以上の明確な戦力強化を行えていないサマナーは、再度の死闘を制する自信を持ち合わせていなかった。
相手の様子など窺わずに逃げておけば良かった……、と反省しても状況は変えられない。
緊張のせいか胃が痛い。怪我など無いのに右膝も痛い。
懐に抱えたスライムのぶよぶよした感触に意識を逸らしながら、サマナーは当たり障りのない会話で場を濁す事に終始した。
その様子を観察するヴィーヴルはご満悦だった。
異界にて『悪食』がメシアンに降伏したのは知っていたが、あの状況からまさかメシアンへ転向していたとは。
――この少年には悪運がある。
連れている仲魔もスライムはともかく、パワーは中々良い悪魔だ。秩序に従う いけ好かない天使だが、悪魔としての位階は降臨する土地や国によってはヴィーヴルよりも格上だ。契約者である緋熊によって悪魔合体を繰り返されているからこそ戦っても恐らく負けない、しかし問題は元マンハンターにそんな力ある天使をつけたという事実。
警戒されているから監視するのか。期待しているから護衛するのか。少なくとも、生かした上で異界を闊歩する自由を与えている事から、罪人の生殺与奪を決定できる程度の上位にある存在が、彼という個人に目をかけている。
面白い。
もしもあの異界で緋熊が負けていなければ、そんな人間がガイア教団に来たのだ。
龍王は可笑しげな笑みの奥に隠して、冷静な人物評価を行っていた。
その腹の内はそこまで複雑なものでもない。
――最近、ガイアの上層部がキナ臭い。
ファントムとの繋がりに関してもそうだ。何故わざわざ、あんな負け犬に手を差し伸ばす。
数年前にヤタガラスと殺し合い、派手に敗れ散ったファントムの残骸。かつて組織を率いた上層陣は一人残らず命を落とし、現在の総責任者が誰かも分かっていない。知られない程度の小物か、或いはその逆か。
組織の蜜月というにはガイア側から流れる資金と資材が大き過ぎ、教団上層部が失墜したダークサマナー組織に屈しているなどと気の逸った怒声を上げるガイアーズも相応の数が見て取れ、だが目立った動きは裏で全て潰されている。
怪しいなどという段階はとうに過ぎている。両組織の上層部は、確実に何かを行っている最中にある。
連絡役としてここ二、三年 定期的に教団へと顔を見せているバットマンが、『悪食』を勧誘しようとした事もそうだ。
上が軒並み死んだとはいえ、方々への伝手を有するファントム・ソサエティが人材に困窮するなど有り得ない。その気になれば表裏問わず、遠く国外からさえも目ぼしい人材を引っ張って来れる組織の人間が。ジョージ・バットマンが、何故新参のデビルバスターを勧誘に出向いたのか。
人が欲しくとも、ファントム所属ならばわざわざ足を動かす必要など無いのだ。
それでもやると言うのなら、それはバットマンの独断。
ヴィーヴルとしてはキナ臭くなってきたガイア教団を抜ける事も考えている。己のサマナーである緋熊は、宥めすかして頭を下げれば動かせるだろう。内情を詳しく説明してしまえば「逃げるなど言語道断」と拳を振り上げる可能性もあるが、内側からより外から殴る方が戦い甲斐もあると説得すれば良い。間違いなく、緋熊はそれで納得する。
バットマンが単独で動く。あの怪しげな同性愛者が、組織の力を借りずに個人で人手を集めるのだ。絶対に胡散臭い事情が隠されている。ヴィーヴルは厄介事に首を突っ込むのは嫌いではないが、自身が他者の目論みに翻弄されるのだけは我慢出来ない。
流れに呑み込まれる前に、教団から外に出なければ。
そのための糸口を、能力と悪運に恵まれた『悪食』の少年から引き出したい。
猛獣臭い己の主が彼を口説き落とせるなどと、そんな哀れな妄想は抱いていない。だが、あの緋熊が執着すれば、逃げられる相手など この世に居ないのだ。こうして見事喰い付かせれば、後はなるようになる。少なくとも、現状で既にヴィーヴルの求める最低限度は満たせると決まったようなもの。
予測を確実とするためにも彼には、年上のお姉さんにうっかりプロポーズした純情な少年のままで居てもらおう。
まさか面と向かって殺し合った相手の顔もろくに見ていなかったとは、自身のサマナーの戦闘狂いには呆れるしかない。だが今回は好都合。全くもって似合わないが、彼女にはそのまま恋する乙女でいてもらう。
出会った時から変わらない、闘争に愛された獣の娘。
「――絶対に死なせないわ」
小さな呟きに肯定の意を返すのは、同じく緋熊の仲魔である神獣『マカミ』と幻魔『ナタタイシ』。彼等全員、主を守ろうという意思だけは違えない。
残る問題は、彼の少年が今はメシア教団の所属であり、己の主である緋熊は骨の髄まで生粋のガイアーズだという事だ。
繋がりを作るのは良いが、さてどうやってこの荒っぽい雌熊を『秩序』の側へと引き摺り込もうか。
龍王ヴィーヴルは主と少年の拙いやり取りに薄っすらと微笑み、酷く楽しげに思考を巡らせるのだった。
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こんな筈じゃなかった!と頭を抱える第十六話です。
このSSを書いていて、ひょっとするとこれがハーレム系SSというものなのか、と首を傾げています。現在のヒロインはほぼスライムと熊ですが。
続かないのではないでしょうか。