一週間とはなんと短い時間であろうか。
7日間。168時間。10,080分。604,800秒。
全能の主が今ある世界の基礎を創り上げた後に安息日を設けた期間。
とある少年が見習いメシアンの訓練施設に滞在した時間。
その隣室に居座っていた青年が、何も出来ずに過ごした日々。
メシアンの青年は考える。
何故自分には何も出来ないのか。
何故、あの犯罪者はたかだか一週間でこの施設を出られたのか。
自分は訓練期間に一年費やしてようやく守護天使を賜り、失って、今も尚見習いとしての立場に甘んじているのに。どうして、あの少年は容易く乗り越え、この施設から羽ばたいて行ったのか。
青年はアデプト・ソーマから言葉を賜った。
もう彼を見守る必要は無いのだと。だから君は自分のためにこそ時間を使って欲しいと。
自分の頼みを聞き入れてくれてありがとう、と。
何も出来ていないのに。本当に、偽り無く、青年には何もできていなかったというのに。
少年が消えると同時期にアデプトがわざわざ青年へ向けて言葉を送ったという事は、今回の状況変化は、少年の進退はアデプトの意志によって左右されたのだと予想出来る。
たった一週間の訓練しか受けていない人間を、メシア教団最高幹部が直々に召し上げたのだ。
改めてかつての犯罪行為を理由に罰せられたのだなどと楽観しない。施設で彼の性根が矯正され、居る必要が無くなったから一般生活に戻されたという可能性も有り得ない。
だってあの少年は優れた人間だった。
身体能力は多数の訓練生に優り、他者からの信頼と好意を瞬く間に得られるカリスマを備え、青年が無力を痛感した異界でガイアーズの猛獣相手に正面から打ち勝って、前科を有しながらアデプトの配慮によってメシアンとしての立場を与えられた人間だ。
きっと輝かしい未来が拓けている。
自分とは違う、優れた人間だから。特別な、力有る存在だから。
「ははっ、はっ」
もっと『力』があれば、自分にも出来るのだろうか。
彼のような力が、才能があれば。特別な存在になれば。
あの少年ではなく、自分こそが――。
「ははははは!」
笑う青年の内側に、最早 奉ずるべき『秩序』など存在しない。
力があれば良い。誰にも負けない、誰もが自分を慕うに足る、強く大きな力が欲しい。
考えに考え抜いたメシアンの青年が見出した答えは、混沌の領域に属するものだ。たった一人で捻り出した彼自身の答えは、所属する『秩序(LAW)』ではなく敵対すべき『混沌(CHAOS)』の求めるものだった。
数日の内に準備を終えて訓練施設を後にした一人の青年は、やがてガイア教団へ足を踏み入れる事となる。
そこに歓喜と栄光が待っているのだと、盲目的な願いを抱いて。
一人の少女もまた、考えていた。
訓練施設から姿を消した彼の少年を慕う彼女は、盗み聞きした会話から、少年がアデプト・ソーマ麾下に招かれた事を知っている。
凄い事だ。喜ぶべき事だ。自分が好きな彼は、教団最高幹部から直々に声が掛かる程の傑物だった。ああ鼻が高い、自分の見る目は確かだった。心の底から彼の栄達を寿ごう。諸手を挙げて祝うべき事なのだ。――だから、哀しさや寂しさを感じない自分は、決しておかしくなど無い。
施設の皆が驚き、戸惑い、羨み、僅かに妬んで。少年へと数々の祝いの言葉を送る中で、何も言えずに終わった少女。
――淡い想いだったのだ。
慕う相手が遠く、手の届かない場所に消えてしまっても、大きく取り乱してしまえないくらいに。これから時間をかけて育っていく筈の、幼い熱情だった。だから突然の別れに涙一つ流せずとも、何一つ異常な事は無い。
未熟過ぎた彼への思慕の、本当の意味での小ささに自覚が無く、動揺の薄い自己への猜疑を抱く彼女の現状もまた、よくある青春の一幕でしかなかった。
しかし。だが。それでも。自覚が無いというただそれだけで、少女が自己嫌悪の海に沈み込むには充分過ぎた。
彼の事が好きではなかったのかと己を疑い、祝ってあげる事も出来なかった薄情さに自分自身を嫌悪する。
鬱屈した感情の矛先を求めた結果、彼女が訓練により一層打ち込むようになったのは至極健全な、喜ぶべき結果だった。
アデプトと少年の会話を思い出す。
駆け付けた時には会話の大部分が話し終わっており、はっきり理解しているのは彼がアデプトの部下となった事だけだ。
彼女の知り得る限り、メシアンの階級に『エグゼクター』などというものは存在しない。ならば新たに設けられた、或いは設けられる予定の席。その地位に就くために必要なものは全く知らなかったが、メシアンとしての実力を積み上げれば道は拓ける筈だ。
前向きに、少女の持つ知識の中で最も堅実で、間違いようの無い可能性を選び取る。何らかの異能や特別な適正が必要な場合もあるが、それでもメシアンとしての実績を評価されないなど、教団内においては絶対に無い。
もう一度、彼と同じ立場に立とう。
そうすればきっと何かが変わる。何かを見つけられる筈だ。
とても小さく瑣末に過ぎる、挫折とも呼べない当たり前の現実を前にして。一人のメシアンが真っ直ぐに進む道を選択した。
遠ざかった背の君との再会は、彼女にとって暫しの後の事となる。
◇
その頃サマナーはカラオケボックスで熱唱していた。
二人の若者の未来を揺るがし、或いは綺麗さっぱり台無しにした若きサマナーが、胸の内から湧き上がる思いの丈を曲に合わせて歌詞諸共、盛大にぶちまける。
サマナー兼メシアン兼現役学生である彼とて、歌を歌いたくなる時があって当然。誘った面々がちょっと戸惑うくらいの熱を篭めて、己が美声を張り上げた。
「久しぶりに学校来たと思ったら、……何があったんだよアイツに」
「知らない。興味無い、……わけでもないけどさ」
「きっと辛い事があったのよ」
「つーか歌上手くね? 驚きの才能だよコレは」
スライムと出会って以降、学校は欠席する事が多かった。
マンハンターを繰り返しながら、己の体調と相談しつつ登校日を捻出していたのだが、異界騒動のための準備からメシアン訓練施設への軟禁と、連続して外せぬ予定が出来てしまって暫く登校していなかった。
そして久しぶりに登校したサマナーは、己のキャラクターをすっかり忘れていた。
メシア教団の正式な信徒にして暗部候補生として名簿登録された衝撃か。訓練施設で周囲に慕われる頑張り屋の好青年を演じていた反動か。それ以前にも異界でガイアーズの雌熊相手に純情プロポーズを演出したり、命懸けの戦いに身を投じたりと中々に多忙であった。
――『俺』ってどんな奴だったっけ……。
一週間以上登校して来なかったクラスメイトが久しぶりに学校へと顔を出し、周囲の視線を惹き付ける明朗な挨拶を披露した直後、ふと思い出した様な仕草でぽつりと呟いた。
教卓の前で感情の抜け落ちた形相を晒す彼を、幾人かのクラスメイト達が温かく迎え入れる。冷めた心を暖めてくれる良いお話だ。この国の善性は、未来は、まだ朽ちていないのだと信じられる光景だった。
放課後に声を掛け、歌唱用の娯楽施設へと誘われた彼が一切遠慮する事なく絶唱するに至った経緯は、全て周囲の優しさによって築かれている。
クラスメイトにその意外な才能を知らしめながら、溜まりに溜まったストレスは残らず吐き出された。
吐き出し過ぎた反動で若干ダウナーになった彼は、ポテトを齧りながら他人の歌に合いの手を入れて、こっそり思う。
――こんな奴らクラスに居たかなあ。
元々あまり社交的では無かったサマナーは、クラスメイトの顔さえ半分くらいしか記憶していなかった。予想外の事態に戸惑う自分に優しくしてくれた彼等に対する感謝は当然あったが、所詮はダークサマナー、薄情さは変わらない。名称不明のクラスメイトに囲まれながら、「すっきりしたからもう帰りたい」とか考える恩知らずにはCOMP内の外道族も冷や汗を流すばかりである。
なのでスライムは己が眷属に啓示を授ける。
『オスザル、オスザルよ……。友垣は大事にせねばならぬ。何故ならばやがて築かれる我が偉大なる王国の民となる予定なのだから……』
契約を辿って囁かれた外道の声に、目論見としては結果の出る日が遠過ぎるだろう、と眉を顰めたサマナーはグラスを持ち上げ歪む口元を隠す。何故クラスメイトと遊びに来たのにスライム王国の国民増員に貢献しなければならないのか。
だが一日経ってようやくメシアン就任に不貞腐れていたスライムが立ち直ったのだ。友好的な態度で振舞えば何となく満足するだろう。
方針を決定したサマナーが歌う男子生徒を見て、首を傾げる。
――なんで女性アイドルの歌を歌っているんだろう?
「ああ、あいつ『MIKOTO』の大ファンだからな」
苦笑してサマナーの質問に答えるクラスメイト。
だが分からない。
――ごめん、『みこと』って誰かな。有名なの?
世に名を馳せるアイドルなぞ知らぬ。とすると硬派な物言いだが、サマナーのこれはただの無知である。
分かり易い困った表情でたどたどしく再度の質問を重ねたサマナーに対し、笑って快く答えるクラスメイトA。
曰く――。
今年の一月頃にデビューしたアイドルである。アイドル暦およそ一年。
歌も踊りもすごく上手い。特に歌が良い。いや踊りも良いぞ。
可愛い。
大々的なプロデュースによって、最近は海外でも売れているらしい。
年齢は中学生相当らしいが、公式のプロフィールには書かれていない。
可愛い。
今歌っている男子生徒はMIKOTOが大好きで、声域の違いから歌えもしないのにカラオケでは毎回歌っている。下手糞。引っ込め。アイドル好きとか顔に合っていないぞ。
質疑応答を耳にした他クラスメイトまで口を出してきた。彼等の言葉に逐一頷いて聞き上手を演じるサマナー。
――成程。つまり人気のあるアイドルだ、と言う事だ。何の捻りも無い真実だったので、サマナーは即座に興味を無くした。
そんなどうでもいいアイドル雑学よりも、連日多量のマグネタイトを得られる美味しい異界の情報が欲しい。アデプト・ソーマを再起不能に出来る程度の実力は、どれくらいの期間 異界潜りを続ければ手に入るのだろうか。そういった話題ならば興味津々のサマナーである。
メシア教団最大戦力などという化け物を直属の上司に戴く彼は、就職先の過酷な労働環境で胸が一杯だった。
「年末には、この街でMIKOTOが年越しライブをやるんだよ」
嬉しそうに差し出された携帯情報端末には、薄く笑う可憐な少女が映っている。
可愛い、のだろうか。魅力的、なのだろうか? サマナーの感性では半笑いの小娘にしか見えない画像を目にして思い、クラスメイト達には適当な褒め言葉で感想を誤魔化す。
容姿は整っている。歌は多分上手い。ダンスはよく分からない。この小さな画面に映る姿が、人々の関心を集める人気アイドルというものなのか。サマナーにはそれらの良さが今一つ理解出来ない。
そう、例えば自分なら。日本人らしい黒髪で、物静かな容姿に、あとは片手に日本刀でも握ってくれればそれで――。
そこまで考えて、サマナーは強く、激しく頭を振るった。
どこから日本刀が出てきたのか、自分で自分が分からない。そういう趣味が自分にあるとも思えない。ただでさえ最近は身の回りが物騒なのに、これ以上バイオレンスな生き物が増えるのは勘弁して欲しいと強く思う。
黒髪は良いんだけど。と肩を竦めて、座席に背を預ける。
曲調と合わない野太い歌声を披露するクラスメイトを見上げて、たまにはこういった骨休めも必要だろう、と誤魔化すように小さく笑う。
世界の終わりまで残り十五日。
迫る刻限に気付かぬ者達の中にあって、まるで平凡な少年のように彼は笑った。
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あとがきに書く文章を思い付けない第十四話、投稿しました。
では続かないと言いつつキャラ紹介です。
アデプト・ソーマ
LIGHT-LAWの魔法剣士タイプ。
ゲーム的に言うと多分レベル50くらい。
八話登場時の緋熊を一刀両断出来るくらい強い。
青年
DARK-CHAOSな名無しの青年。
LAW、NEUTRAL、CHAOSの順に属性が変動したなんちゃってカオス。
別にカオスヒーローとかではない。
少女
LIGHT-LAWのメシアン少女。
多少メシアン的な感性を持つだけの普通の人間。
別にロウヒーロー的なサムシングではない。