一人の少年は一人のメシアンとなり、やがて教団の最高幹部の座に就いた。
アデプト・ソーマは民衆の守護に血道を上げる善行狂いであり、理想に燃える偉大な宗教家ではない。
悪党の命を手ずから奪い、背信者を躊躇無く斬り捨て、社会に不利益を与えるもの達を力尽くで排除する。善人ではあるが、手を汚して事を為す必要性を理解していた。
一般人であった頃に悪魔に殺されかけ、すんでの所で生き延び、やがて異能者としての覚醒を迎えた。
最初に覚えた魔法が回復用の『ディア』であった事が、彼が人助けを志した切欠と言っても良い。
彼には大仰な大義名分などは無かった。異能者であり、悪魔と関わり、その過程で様々な人達と知り合い、その全てと死に別れてきただけ。沢山の人が死んでいく中で自分だけが生き残り、普通に暮らしている人達よりも多く知人や友人の死に触れ過ぎた結果、人の死というものに対して強い忌避感を抱くに至ったのだ。
だから、彼は人を守ろうと思い。だから、メシア教団の門戸を叩いた。
最初はただ、犠牲に対する怒りから。
やがて失う恐怖に繋がって。
次にまた、大きな怒りがやってきた。
かつてメシア教団には『ジエレーター』という階級が存在した。
教団の一部幹部によって行われた度重なる非道の研究成果。人体改造によって強力な異能を有するに至った者達。つくりもののメシアン。
『彼等は望んでその身を捧げた。主もきっとお喜びになるさ!』
『――ならば貴様らが身を捧げろッ!!!!!!』
献身は美徳だ。だが裏切りは許し難き悪徳だ。
身を切り刻まれ人の形を失った子供達が、本当にそんな自分を望んでいただろか。そうなる可能性を知らしめた上で、彼等は彼等をこんな暗闇に蹴落としたのだろうか。僅かな成功作を持て囃し、積み上げられた犠牲の山の眼前で何故彼等が笑っていたのか、アデプトとなった男には未だに理解できない。
その時も、理解できなかったから全て殺した。
狂おしいまでの激情を持て余し、彼に出来たのは関わる者全ての命を奪い、力尽くで研究を終わらせる事だけだった。
組織の健全性は高められた。教団の秘匿研究による犠牲も生まれなくなった。だがそれで何になる。どこに繋がるというのだ。殺した幹部達のおぞましい研究成果によって救われる筈だった者達を、研究の犠牲無くして現実に救えているのか? 救えていないのなら、彼等を止めた自分は正しいのか?
アデプトは今でも彼等の行いを正しいとは思えないし、再び同じ事が起これば暴力でもって止めるだろう。
「――だが綺麗事だけでも駄目なのだよ」
疲れ切った声で囁く男の顔は、やはり苦痛に塗れていた。
訓練施設の一角。少年とアデプトが顔を合わせて、酷くつまらない話に時間を費やしている。
笑って話せるものではない。未来ある若者に進んで話したい内容でもない。だが無駄に飾り立てた会話など、性根が不器用なアデプトには出来なかった。
監視役として派遣した天使『パワー』からの連絡に応え、アデプト・ソーマは少年からのメッセージを確かに受け取った。
パワーに訓練へ参加して欲しいという要請など、何の意味も無い。用件自体はきっと何でも良かったのだろう。ただ明らかに裏のある申し出をした、という事実をアデプト本人に知らせたかったのだ。派遣した天使を訓練に参加させたいなどという申し出、本来ならば了承する理由が無い。
この申し出には何かがある。俺はこれを使って何かをするぞ。――あれはそういうメッセージだ。
訓練に参加させるという名目によってパワーを一時監視役から外し、代わりとしてアデプトが出向いた。
有り得ない話だ。訓練に参加させるための天使を別個に用意してやっても良いし、パワーが離れる間の監視役を追加しても良い。そもそも少年からの申し出を断ってしまえば、何の問題も無い。
だがアデプトは彼のような人間を教団に迎え入れたいと思っていたし、彼は自分が教団に所属させられている不可思議な状況の原因を知りたいと思っていた。
彼を引き込みたいアデプトは誤魔化さず、教団の汚れ仕事を押し付けたいと言った。
現状を脱する手段を持たない少年は活路を見出すため、満面の笑みで引き受けた。
茶番である。
少年にはアデプトの言が真実かどうかが分からない。少なくとも論理的に納得出来る、段階を踏んだ分かり易い説明だった。だが自分が相手の立場ならば大して内面を知らない人間にそんな大事な仕事を任せないと思考して、まだ裏がある可能性を疑いながら、それでも現状よりも己の可能性を広げるために引き受ける。
アデプトとて、少年が自分に賛意を抱いて了解したなどと勘違いしない。腹の内では自分の話を疑い、メシア教団に属して人々の利益を守ろうなどと欠片も思っていないだろう本心を悟っている。だがこれは好機でもある。自分の傍に置く事で彼が自ら教団に所属する動機を作れれば良い、そんな願望から彼の目論見をわざと暴かず、生来の善良な人柄故の寛大さを偽り無く示した。
人の世は汚れている。誰だって悪い事を楽しんでいる。
アデプトはそれが嫌だった。彼はただ守る事さえ出来ていれば満足できる、どこか外れた人間だ。他の大多数がそれだけでは生きていけないと知っていて、なのに力を振り回すくらいしか出来ない己の至らなさを理解していた。
数年前に起こった、ファントム・ソサエティを発端とした騒乱の折。メシア教団もアデプトも、秩序に縛られるが故に動けず、一般市民への被害を食い止め切れなかった。
事態を察知したのも、解決するのも、国家守護組織『ヤタガラス』がほぼ全てを行った。
もしもメシア教団内部に、秩序に縛られず世の裏側を這い回る暗部集団を組織していれば。もしもそうだったなら、自分達にも何か出来たのでは無いか。所詮はもしもの話だ。正攻法で手を出せなかった過去の事件に対して、勝手に後悔しているだけとも言える。
だが結果としてファントムとヤタガラスは相討ち同然の結末を迎え、人材に多数の欠員を抱えた事でこの国の霊的守護には陰りが出ている。
ただ守れれば良い。それがアデプトの本心であり、国家守護を本義とするヤタガラスの弱体化は彼にとって受け入れ難い事実だ。秩序によって人々を守ってきたというのに、秩序に縛られたために手を出せず、食い止められたかもしれない被害を悲しんだ。
守るためには足りないものがある。秩序の下で正しく振舞うだけでは届かない現実を味わってしまった。
綺麗な人間は尊い、だが汚い部分もあって当然。清濁双方を治めて、ようやく人の世の平和が築かれるのだ。
自分だけでは足りない。だから望んで汚濁に身を浸す同胞を求めた。
秩序を奉じ、清廉潔白を良しとする生粋のメシアンには自身の欲する人材は望めない。理想に燃える善人だからこそ信徒としての道を歩むのだ。善行を為すために悪行に手を伸ばす歪な在り方なぞ、良きメシアンであるからこそ徹しきれない。
だから外から取り込む。だから『悪食』が欲しいのだ。今は己を欺き出し抜こうと考えている、未だ未熟なこの若者を、正しく在りながらも穢れを飲み干せる、メシア教団暗部の中枢としたい。
他の候補者など見つからなかった。教団に足を踏み入れて数十年、ようやく組織の暗がりを任せたいと思える相手を見つけたのだ。
力が足りない。手札が足りない。そこに限り、奇しくも彼等二人の想いは同じだった。
「――君を私直属の『執行者(エグゼクター)』に任命する」
――拝命致します、寛容なるアデプト。
示し合わせたように笑みを交わす二人は、お互いに相手を信用し切っていない。
上手く出し抜きたい。望む形に納めたい。噛み合うようで噛み合わぬ、己が願いのために相手を上回ろうと挑み合う契約が、此処に結ばれた。
◇
外道スライムは不機嫌だった。
完全な自由が無理ならば、不自由ながらも今より広く。
言ってしまえば、それは妥協である。
そんな決断を下したサマナーが、スライムは凄く気に喰わない。
「我が眷属が、山神の家畜風情に従うなぞ……」
常よりも一層溶けたような不定形。グニャグニャになって消沈する外道を前に、サマナーも少しだけ困っていた。
およそ一週間の見習い生活、自身の立ち位置さえ分からない状況で気が滅入っていた。
至極一般的な人生を送ってきた少年が、唐突に神と救世主への信仰を常識として備えたメシアンの巣窟にて一週間生活。毎夜スライムに対して愚痴を吐き出していたのは監視役に対するパフォーマンスだけではない。本当に、精神的な負担が積み重なっていたのだ。
――このままでは不味い。けれど状況を変えるための手段が全く見つからない。
たった一週間。だが相手の掌中に囚われた一週間だった。
相手の意図が分からないままあの状況が続けば、やがて焦燥で心を削られ、判断力は鈍り、いつ己が安易な逃げに走ってしまうかという不安さえ増していく。元凶であるアデプトには何らかの狙いがあって、その上で自分を訓練施設に放り込んだのだろうと思いつつ、犯罪者を許せる慈悲に溢れた変人奇人である可能性も捨てきれない。
分からない。何も分からない。判断材料さえ手に入れられない。籠の鳥のままでは、いけないと思った。
分からないまま無為に思考を重ね、時間を浪費するより余程マシだ。変わらぬ意思を保てる今の内に、例え見当違いだろうと前へと足を進めねばならないと決断した。
彼にとっては、心が削られる事が最も堪える。
追い掛けている黒い誰かに対する執着が、薄れるかもしれない。
スライムとの約束を果たそうと望む己の意思が、崩れるかもしれない。
分かっている。
スライムだってサマナーの感情を知る事が出来るのだ、どういった理由から『エグゼクター』就任の要請を引き出したか、ちゃんと理解していた。
だがサマナーは己の信徒なのだ。
己のモノなのだ。
「……われの民なのだ」
外道スライムは拗ねていた。
悪魔としての知識だけで、記憶も神格も残っていない、神力の残り滓。現世に残留した力の塊が契約者との繋がりによって自我を得ただけのスライムが、生まれて初めて手に入れた財産が彼なのだ。
我が民、我が信徒、我が眷属。――容易く肯定されたその呼び掛けが、どれほどの歓喜を秘めていたか。理解出来る者なぞ、既に零落し名前さえ失った古き神々くらいのものだろう。
己のモノだ。己だけのモノだった。だが今はもう違うのだ。心の内では大丈夫だと知っていても、名目が他者に移った事実が酷く堪える。
ドロドロと転がる粘体生物が生暖かい溜息を吐き出した。
「ままならぬー、よのー、なんたらかんたらー」
遂には意味の分からない、下手糞な自作歌まで口ずさむ始末。「なんたらかんたら」などと歌って、ろくに歌詞さえ考えていない事が丸分かりである。
外道族は声が汚いので相当不愉快だったが、サマナーは耐えた。拝まれる地位に立つ事を喜び、崇められる事を尚喜ぶスライムが、契約者たる自身のメシアン就任を嫌がるのは分かっていたのだ。分かっていて実行したのだから、下手な歌を聴かされるくらいは我慢しなければ。
捕まったのも、下に就くのも、全ては自分の実力不足が原因だ。
異界で出会った赤毛の猛獣くらい強ければ訓練施設の壁を殴り壊しての野生的脱出劇も可能だっただろうに、己の非力さが恨めしい。
加えて「教団の暗部を担って欲しい」などと、あの痛そうな顔した中年親爺は何を考えているのか。
――俺は一般人だぞ!? 脳味噌入ってんのか、ボケェ!!
と言ってやりたかった。ツッコミどころがあり過ぎる。悪魔と出会ってようやく二週間目くらいの素人に過剰な期待を寄せるなと叱り付けたい。だが余りにも相手が当然の事実ですよねという顔で話すから、空気の読める彼はツッコミを入れられないまま話を終えた。
久しぶりの帰宅だというのに、疲れが取れない。
床にゴロリと寝転がって、スライムと一緒に天井を眺める。
タケミナカタ召喚の悪巧みを話していた頃は本当に出来ると思っていたのに。現実は上手くいかず、挙句の果てに宗教組織の暗部候補生と来た。社会の荒波とは恐ろしいものである。サマナーは己がいかに狭い世界で生きてきたのかを噛み締めた。
――というか、今更なのだが。
「おー? どうしたー、オスザル」
――お前がタケミナカタ召喚ミスったのがそもそもの原因じゃないか?
狭い自室に沈黙が流れる。
本当に今更の事だった。しかもその後で「我は貴様を責めはすまい」とか優しく、しかし上から目線を忘れずに言ってくれたが、原因を辿ってみればお前が言うなと言い返すべきだったのでは無いか。シリアスで切羽詰った空気に流されて答えを返したが、実はサマナーよりもスライムの方が責任の比重は大きかった気がしてくる。
召喚失敗が原因で、あの恐ろしい雌熊と正面切って殺し合う破目になったのだ。致死の一撃から庇って貰った手前大きな声で責めたくはなかったが、思い返してみると少しだけ腹が立った。
――おい神様、俺の神様よ。何か言う事はありませんかね。
「……わっ、我のせいじゃないしー!」
世界が終わるまで残り十六日。
成長する若きサマナーと相棒の戯れを余所に、時は確実に過ぎていく。
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クリスマスにも休まず投稿する第十三話です。
このSSが多重クロスものだったなら洩矢的な女神にしても良かったのですが、仮にスライムがヒロインになっても多分御柱に纏わりつく姿が関の山かもしれません。
あと、マサカド公はちゃんと帝都守護してますので偶然の一致ですと返信しておきます(白目)。
続いたり続かなかったりです。
※2014/12/25投稿
※2014/12/25誤字修正