やはりこういった場所は慣れないな・・・。
そう思いながら魔界正規軍士官ジークフリード少尉はそっと溜息をついた。
その部屋は十畳ほどの空間で全体的に可愛らしい印象を見る者に与えていた。
柔らかさを感じさせるアイボリーホワイトの壁紙。
中央に置かれた一枚ガラスの丸テーブル。
アール・ヌーヴォー風の装飾が施されたランプは暖色系の暖かな光を放っている。
広めにとられた窓はフリル付きのカーテンで覆われ、窓辺には高級感あふれるインテリアが飾られていた。
隅に置かれた観葉植物はよく手入れされていて目に優しい。
アンティーク調のコンソールテーブルの上で、細やかなレースが刻まれたワンピースに白手袋、編み上げブーツを履いた古風な人形が微笑んでいる。
ここは知人のゴーストスイーパーが経営しているレストラン『魔鈴』の一室だ。
オーナーである魔鈴めぐみは魔女として天賦の才があり、異空間に独自の空間を形成できる。
本来は団体客の予約が入った時などに利用される部屋らしいのだが、今回はこちらが無理を言って使わせてもらっていた。
なにしろ現世とは隔離された空間なのである種の目的のためにはうってつけなのだ。
(そう、例えば今回のような密談の場としては・・・)
対面に座っている人物・・・いや同族であり自らの姉でもある魔界第二軍所属特殊部隊大尉ワルキューレの横顔を見ながらジークはそう思った。
チクタクチクタクと先程から一定の間隔で時計の針が時を刻んでいる。ジークがこの部屋に到着してから姉は何故かじっと黙り込んでいた。
任務に対しては即断即決を常とする姉にしては珍しく何かに悩んでる様子だ。
それでもわざわざこの場所を指定し、忙しい中時間を作ってきたという事は何か重要な話があるのだろう。
こちらから声を掛けるべきかとジークが考えているとワルキューレがゆっくりと口を開いた。
「ベスパと土偶羅が拘束された」
「・・・は?」
突然切り出されたワルキューレの言葉を飲み込みこめずにジークの口から間の抜けた声が漏れた。
アシュタロスが引き起こした騒乱の後、正規軍に入隊したベスパは現在ワルキューレの部下として軍に帰属している。
本来なら士官教育どころかまともな軍事教育も受けたことのない彼女が、いきなり軍の特殊部隊に配属されるなどありえないことだがこれにはいろいろと訳があった。
元々が強力な霊力を持つ上級魔族であるために扱いにくく、反乱を起こしたアシュタロスの幹部であった経歴から彼女の引き取り手がなかなか見つからなかったのだ。
それならばと手をあげたのが彼女の事情をよく知っているワルキューレだった。
慢性的な人手不足が解消できるというもっともらしい理由を聞かされたが、おそらく姉は彼女に少しだけ同情していたのではないかとジークは推測していた。
ちなみに明確な意思を持つとはいえ基本的には兵鬼である土偶羅は比較的簡単に引き取られていった。ほとんど備品扱いだったが本人は気にしていないようだった
そこまで思い出してようやく気持ちが落ち着いたジークは訝し気な表情でワルキューレに質問した。
「拘束?どういうことです?なぜあの二人が・・・」
「理由は・・・説明されなかった。機密事項だそうだ」
「機密?ベスパは姉上の部下でしょう。直属の上官を無視して特殊部隊の隊員を拘束するなんていったいどこの部署がどんな権限で」
「落ち着け。軍警察の監査程度の話なら情報部に所属しているお前も事前に何らかの兆候くらいは掴んでいたはずだ。
それもなく突然私に事後報告してきたという事はな、これはおそらく警告だ」
「警告ってまさか・・」
「我々に動くなと言いたいのさ、お前の上官殿は」
そう言ってワルキューレは皮肉に笑った。
ジークは喉の渇きを覚えて目の前にあるティーカップを手に取った。
先程魔鈴が入れてくれた紅茶はすっかり冷めきってしまっている。
「例の三体の魔族・・・余程調べられたくないという事ですか?」
口に出しながらここに来るまでに軍のデータベースで調べていた内容を思い出す。
三体の魔族・・・言わずもがな異世界に逃亡したあの魔族たちの事だが今更になって改めて調査し始めたのは美神令子の指示によるものだった。
どうも今回の一件にきな臭さを感じたらしい美神が、最初に依頼を持ち込んだワルキューレに色々と調査を頼んだのだ。
その一つが横島が倒した逃亡犯のデータを洗い出すことだった。魔力の回復も兼ねて魔界に戻っていたジークも当然巻き込まれた。
姉に捕まった時点で拒否権はないも同じだったが、ジーク自身も興味があったので手分けして調べることになった。
「情報部のデータも洗ってみましたが不自然なほど何も出てきませんでした。
ただ偽装の痕跡もなかったので、ひょっとしたら最初から何も入力されていなかったのかも」
口に出しながらそんなことがあり得るのかと自問する。
特殊部隊に捕縛命令まで出た魔族のデータが情報部のデータベースに何の記載もされていないなどと通常では考えられない。
自然と眉間にしわが寄ってくるのを自覚しながらシークは喉の奥で小さく唸り声をあげた。
「ふむ、お前の報告も気になるがおそらく本線はそちらではないな」
「どういう意味ですか?」
「私が・・・というかあの二人が調べていたのは別の事だからさ」
「別?」
「ベスパと土偶羅にはあの世界の事を調べさせていた。正確にはあの卵の出所だな」
卵・・・それは一つの世界を内包した文字通りの異世界そのもの。
そして一連の事件の発端であり、いまだに謎に包まれた存在だった。
ティーカップの受け皿に載せていたティースプーンを手に取りワルキューレは自分の紅茶をくるくるとかき混ぜた。
「報告書では、あれは軍の調査チームが発見したという事になっていただろう」
「え、えぇ」
「最初は私も気付かなかったんだが少し妙だと思わないか?」
「妙ってなにがですか?」
「調査チームが卵を発見したのは私が美神令子に依頼を持って行ったひと月ほど前の事だ。
そのころ倒壊したコスモプロセッサの残骸は解体処理と撤去作業が進められる直前だった」
「はぁ、それが」
「立ち入り調査の段階ではなにも見つからなかった。それなのにわざわざ調査チームを組んでまで軍は何を調べたかったんだ?」
そう姉に問われてジークは一瞬思考が止まった。
言われてみれば確かにおかしいかもしれない。事前調査で何も問題が見つからなかったからこそ残骸の解体と撤去作業が開始されるはずだった。
その後の過程で卵が見つかり調査チームが派遣される・・・この流れならば理解できる。
だが何も見つかっていない段階でいきなり調査チームが派遣されるというのはまるで・・・。
「軍は初めからあそこに卵があることを知っていたというんですか?」
「断言はできんがな・・・。だがあの場所には何かがあると確信していたはずだ。でなければあのタイミングで神族連中が姿を消した意味が分からん」
「神族たちはやはり?」
「ああ、全く動きを見せていない。お前の話ではないが不自然なほどにな」
今回の一件・・・卵の発見から魔族の逃亡。事態が一応の収束を見た今になっても神族側には一切のリアクションがなかった。
その事に疑問を覚えていた姉は秘密裏に神族側の動向を調べていたらしい。
とは言っても魔族である姉が天界の軍の内情を調査するのは容易ではない。個人的な伝手を使って何とかやっていたようだ。
「ヒャクメは?」
「あののぞき屋とは相変わらず連絡が取れん。全くどこで何をやっているのかあの極楽とんぼめ」
「小竜姫様は?」
「一応考えたがあいつは良くも悪くも妙神山の管理人にすぎん。天界にある軍の内情を調べるにはむいていない・・・それにあそこには猿神もいる。
下手に藪をつついて蛇が出たらそれが致命的なものになりかねない」
結局細々とやるしかないわけだとワルキューレは渋面を作った。
「しかしなぜ神族はあの場所から手を引いたのでしょうか。一応警備の指揮系統を一本化するといった目的はあったようですが当然監視はしていたでしょう?」
「どうだろうな私にはむしろ神族たちは・・・」
そこで言葉を切ってワルキューレは再び黙り込んだ。思索に没頭するように一切の動きを止めている。
ジークが姉の邪魔をしないようにじっと言葉の続きを待っていると、しばらくしてワルキューレは小さく首を振った。
「いや、やめよう。情報が出そろっていない段階で結論を出すべきではない。今はもっと情報を集めるべきだろうな・・・突破口があるとすれば卵の方か?」
「そうだとするとベスパと土偶羅がいないのは痛手ですね。アシュタロスの側近だった二人です。何か手掛かりを見つけられたかもしれないのに」
特に土偶羅の方はもっとも古くからアシュタロスのサポートをしていた唯一の存在だ。
アシュタロスの行動をある程度読むこともできるだろうし、彼のデータベースを調べることも可能だったろう。
「いや、あの二人は優秀だぞ。捕まる前にきっちり仕事をしてくれていた」
そう言ってワルキューレはウエストポーチから一枚の紙片を取り出した。
メモ帳の一部を無理やり引きちぎったような小さな紙片だ。手渡されたそれにジークは視線を落とした。
「E・・・P?何ですかこれは」
そこにはただアルファベットが二文字だけ書かれていた。急いで書かれたようにインクが少しかすれている。
意味が分からすジークが尋ねるとワルキューレは簡潔に答えた。
「名前だそうだ、あの卵の」
「名前・・・名前があったんですか?あの世界に」
「アシュタロスが残したデータベースから見つけ出したものらしい。もっともデータはほとんど消去されていてそれは辛うじてサルベージできたものらしいがな。
元々が壊れたデータだ。この文字がイニシャルなのか、はたまた文字列の一部なのかは定かではないが、とにかくこれで一つはっきりしたことがある」
「それは?」
「あの卵はコスモプロセッサ製作の過程で偶然生み出されたものなんかじゃない。意図的に作り出されたものだ」
ワルキューレはそう言うと冷めた紅茶を一気に飲み干した。
◇◆◇
その瞬間、横島忠夫は自分が狡猾な罠にはまり込んでいることに気が付いた。
本当の危険とは自分の意思とは無関係な場所から突然降ってくる。
いや、降ってわいてくるものではなくその危険のただなかにいる事にある日突然気付いてしまうものなのだ。
そしてそれが決定的なものであるほど逃げ道などない。
あがけばあがくほど底なし沼のような深みにはまり込んでいく。
抵抗は無意味であり、自らに待つ結末をただ粛々と受け入れる事しかできなくなる。
(なんて・・・こった・・・)
愕然としながら目を見開く。
体に微弱な震えが走り緊張で喉が渇いていく。目をそらすことはできない。
進むことも引くこともできはしない。立ち止まることしかできない横島の瞳に眼前の光景が写真のように焼き付いていた。
(ちく・・・しょう・・・罠だってわかっとるのに・・・体が動かん!!)
今すぐに逃げるべきだと理性は叫んでいる。しかし横島の大部分を占める本能がそれを拒否している。
拮抗状態は延々と維持され続け、本人にはどうしようもなくなっていた。
(や、やっぱりここは危険を冒してでも前へ進むべきなんじゃないか?
攻撃は最大の防御とかえらい坊さんの言葉にもあった気がするし・・・ん?坊さんの言葉だっけ?
いやいやいや違う違う落ち着け!!さすがに今回ばかりは何も考えずに突っ込んだらマジでやばいかもしれん。
仮にここを生き延びられたとしても、事がバレようもんなら美神さんに必ず殺される・・・)
横島の目の前で魅惑の桃尻がぷりぷりとおいしそうに揺れていた。
世界樹広場を眼下に一望できる小高い丘の上で龍宮真名が先程からずっと狙撃体勢を維持しているのだ。
体にぴっちりと張り付いたボディースーツのミニスカートがいろいろな意味で目に毒だった。
時々姿勢を変えるためにうつ伏せ状態から少しだけ腰を動かすのだが、
そのたびにスカートの奥が見えそうで見えなかったり・・・ちょっと見えてしまったりする。
(いかん!いかんぞ!!横島忠夫!!いくらそうは見えないといっても彼女はれっきとした中学生!
ここで本能に任せて手なんぞ出そうもんならワイは中学生に手を出したロリコン野郎として一生十字架を背負うことになる!!
そんなことになったらもう二度と平気な顔してお天道様の下を歩くことなどできん!!
ここは何とか耐え忍んで・・・。いや、でもまてよ、真名ちゃんが中学生っつっても年齢的には俺とそうたいして変わらん。
二、三歳くらい違う恋人なんか世の中にはいっぱいいるよな。
ってことは今ここであの尻めがけて突貫したとしても世間的にはいろいろと合法なんか?
なんちゅーかよく分からんうちに中学生に手を出すのはまずいと思っとったが合法なら合法だし全部オッケーだよな。何しろ合法なわけだし!!)
本人の気付かないところで次第に理性と本能の天秤に釣り合いが取れなくなってきていた。
年齢にかかわらず付き合ってもいない女性の尻に飛び込んだ時点で合法もくそもないものなのだが、
性的欲求の権化と化した今の横島にはもはやそんな理屈は歯止めにすらならなかった。
(思えばこっちに来てから気持ちよくセクハラ出来る人がいなくてストレスもたまっとった。ちょっとくらいなら・・・。
いや、いやいやいや・・・まて。こっちに来たばっかで調子を取り戻してない美神さんの突っ込みは今の俺には命にかかわるぞ。
なにしろ俺も美神さんの突っ込みは久しぶりだからな。ここで一時の感情に任せたら俺はロリコンの罪によって美神さんの制裁を食らうんか?
い、いやじゃ、そんな理由で死ぬのだけは・・・ああ!だがエサはうまそうだ!!)
と、いうように横島の思考はループから抜け出せなくなっていた。
すると、真後ろで気持ち悪い・・・いやもう本当にキモイ感じでハァハァしていた横島にもめげずに淡々と仕事をこなしていた真名がさすがにうんざりしたのかくるりと振り返ってきた。
「横島さん。狙撃というのはこれでもかなりの集中力が必要なんだ。
手伝う気がないならせめて邪魔にならないようにあそこにあるちょうどいい感じの木の枝で首でもつっていてくれないか?」
「それ遠回しに死ねっつってるよな真名ちゃん」
投げやりに木の枝を指さす真名に横島は引き攣った笑みを返した。
「ま、まぁ俺としたことが少しだけ我を忘れてたみたいだな」
「アレで少しなのか?」
「うん、まぁそのなんだ、それより真名ちゃんちょっと聞いていいか?」
冷気さえ漂ってきそうな軽蔑の眼差しを受けて横島は慌てて話題を変えようとした。
彼女の返事を待たずに早口で問いかける。
「あのさ真名ちゃん。さっきからいったい何をやってんだ?遠慮なしにバカスカ人撃ってて、はたから見てても怖いんだが」
横島が来る前から真名はこの場所に陣取りひたすら銃を撃ち続けていた。
狙われた標的は撃たれてから大した間もなく立ち上がっているので実弾ではなく模擬弾の類なのだろうが、
それでも黙々と冷静に人を狙撃し続ける姿には何というか近寄りがたいものがある。
「ん?超から聞いていないのか?」
「ああ。なんか電話でここに行けって言われただけで他にはなんも聞いてないな」
「・・・あいつめこちらに体よく押し付けたな」
真名が顔をしかめて忌々し気に舌打ちした。
「私はただ学園側からの依頼をこなしているだけだよ。横島さんは世界樹の活性化についてどれだけ知っている?」
そう言って真名が前方を指さした。つられて横島も視線を送る。
そこにはある意味においてこの麻帆良という土地を象徴している大樹が存在していた。
見た目は何の変哲もないどこにでもありそうな木に過ぎないが、とにかくその巨大さが尋常ではない。
樹齢何千年だか何万年だか素人には判断がつかないような見事な樹木だ。
「世界樹ってあそこにあるでっかい木の事だろ?なんか魔力をたくさん持ってるとかなんとか」
「まぁその理解で概ね間違いじゃない。あの世界樹は二十二年に一度活性化して内に溜め込んだ魔力を外側に放出してしまうんだ。
その影響で世界樹周辺に特殊な魔法が形成される。
そいつが意外に厄介なものでね。学園の魔法使いたちはその魔法から生徒たちを守ろうとしている」
「魔法?それってどんな魔法なんだ?」
「ある種の催眠魔法だな。世界樹周辺の特定のポイントで告白すると相手はその告白を百パーセント受け入れる。
生徒の間でも噂になっていてね。学園祭の雰囲気と合わさって愛の告白をしようとする生徒が後を絶たない。
本来なら他愛のない都市伝説のようなものだが今回は時期が悪すぎる」
「は!?い、いや待ってくれ。それってつまりあの木の下で告白するとどんな女でもワイにメロメロになるっちゅーことなんか!?」
「メロメロになるかどうかは知らないが・・・そうだな。だから私たちがこうやって阻止しているわけだ」
言いながら真名は狙撃銃を抱えなおした。指先を銃身に滑らせながら言葉を続ける。
「とにかくあなたもこちら側についた以上、ちゃんと協力してもらう。
まぁ差し当たっては私の邪魔にならないように十メートルほど離れたところで首をつっていて・・・」
真名は溜息とともに呟くと横島に向き直った。そして目をパチクリとさせる。
いつの間にか先ほどまでいたはずの横島の姿は影も残さず消え去っていた。
◇◆◇
「いやよ」
「へ?」
簡潔にそれだけを告げて美神令子は横島から視線を外した。
ここは大通りから少し離れたところにあるカフェの一つだ。
古き良き洋食屋さんといったこじんまりとした佇まいで、日当たりのよいテラスには季節の花々がそこかしこに飾られている。
学園祭が開催されているためなのか道路沿いに臨時のテーブル席が増設され、美神除霊事務所の面々はその一つを占拠していた。
アイスコーヒーやメロンソーダを飲みながら、みんなが思い思いの姿勢でくつろいでいる。
パンフレットの案内図を広げながら、おキヌやシロとタマモがどの場所を見物するか話し合っていた。
そのまま美神も会話に混ざりそうな気配を感じて横島は慌てて彼女を呼び止めた。
「ちょ、ちょっと美神さん!!」
「あによ。まだなんかあんの?」
いかにも面倒そうな面持ちで美神が振り返ってくる。
「ありますよ!そんな一言でバッサリ断ることないじゃないっすか!」
「だって嫌なものは嫌だし。その・・・世界樹広場だっけ?なんでそんなとこにあんたと出かけなきゃなんないのよ」
「そ、それはほら美神さんこっちに来てまだ日も浅いじゃないっすか。だから俺が案内しようかなって」
「ふ~ん。でもやっぱり嫌」
「なんでっすか!?」
「午前中におキヌちゃんたちと大体見てまわったからよ。だから地図見れば迷わないくらいには実際の地形を把握できてる。
そういう訳で今更横島君と出かけなきゃならない理由はないの」
おざなりにそう言うと美神は話は終わったとばかりに後ろを向いてひらひらと手を振った。
「い、いやしかしですね。もうちょっとちゃんと・・・」
全く話を聞く気がない美神を横島が何とか引き留めようとする。
美神はそんな横島に疑わし気な半眼を向けた。
「なんか怪しいわね。なんでそんなにしつこいわけ?」
「え?や、やだなぁ美神さん。そ、そんなことないっすよ」
美神の言葉に横島の挙動がみるみるおかしくなっていく。
視線はあちこちにさまよいだし、落ち着かない様子で無意味に足元を蹴っていたりする。
額から顎の先まで汗がしたたり落ち、それを拭う事すら忘れているようだった。
そんな横島の様子に美神がプレッシャーを強くする。
「あんたなんか企んでるんじゃ・・・」
「うっ・・・あっ!!そ、そうだしまった!!そういや超ちゃんから色々頼まれてたんだった!!
そういう訳なんで美神さん俺はここで失礼しまっす!!そんじゃっ!!」
形勢不利を悟った横島が挨拶もそこそこに迅速な撤退を開始する。
土煙を上げる勢いであっという間にその場からいなくなった。
しばらくポカンとしながら横島が走っていった先を眺めていた美神だったが、
それほど気にする必要もないと思ったのかやれやれと首を振っておキヌたちの話し合いに参加した。
◇◆◇
「ちっくしょう、もうちょっとで美神さんを俺のものにできるとこやったのに」
ぶつくさと小声で愚痴をこぼしながら横島は来た道を引き返していた。
龍宮真名に聞かされた世界樹の魔法とやらで美神を自分の虜にする予定だったのだが、やはり彼女は一筋縄ではいかないようだ。
今のまま欲望にまかせて突っ走ったところで先程の二の舞になるだけだろう。
急いては事を仕損じるともいう。ここは一旦腰を落ち着けてから慎重に作戦を練り直そうと横島は表情を引き締めた。
とりあえず無味無臭の睡眠薬かしびれ薬を用意しようかと横島が考えながら歩いていると、危うく前にいる子供を蹴飛ばしそうになった。
どうやら考え事に夢中になっていたせいで足元がお留守になっていたようだ。
慌てて母親らしい女性と女の子に頭を下げてから、そそくさと道の端に避難する。
小物か何かを売っている店の軒先に寄りかかって横島はそっと安堵の息をついた。
この麻帆良という土地はもともと活気にあふれている場所だったが、今日のそれはちょっと次元が違うらしい。
単純な人口密度だけでも普段に比べて数倍は膨れ上がっているのではないだろうか。
改めてメインストリートを行き交う人々に視線を向けてみる。
まるでどこぞのテーマパークのような有様だった。
家族連れの一般客を相手にメイドのコスプレをした生徒たちが一生懸命客引きをしている。
一見しただけでは何の動物かもわからないような珍妙な姿の着ぐるみや
管楽器と打楽器などを抱えた楽隊が様々な演奏をしながら規則正しく行進していた。
ふと空を見上げると、ゲームに出てきそうなモンスターの形をしたアドバルーンや、
宣伝用の垂れ幕を張り付けた気球と飛行船が上空を飛んでいる。
周囲にあふれる笑い声や歓声に紛れて、
親とはぐれてしまったらしい子供の泣き声やそれを何とかしてなだめようとしている係員の声も聞こえてきていた。
「なんちゅーか話には聞いとったけど、これもう学園祭とかってレベルじゃねーよな」
呆けた表情のまま口の中でもごもごと呟く。
いくら学園都市全域で一斉に行われている祭りなのだとしても、ここまでの規模は横島の想像の範疇を超えていた。
シロとタマモがきらきらと目を輝かせていたことを思い出す。
あの二人はなんだかんだこういったイベントが好きなので、午前中に美神やおキヌを振り回していたのかもしれない。
そう考えると超の所に出かけていた自分は幸運だったのか。
(つっても結局なんも情報掴めなかったけど)
横島は四人目の情報を聞き出すために超の所でスパイをして来いと美神に命令されていた。
美神たちがこの世界に来てから皆で色々と作戦を考えてはみたのだが、
結局何も思いつかなかったために取り合えず相手の出方だけでも探っておこうとそういう話になったのだ。
もともと超からは仲間になるように勧誘を受けていたので、そこまでは結構スムーズにいったのだが、
彼女が企てている計画の具体的な内容を知ることはできなかったし、四人目の少年についても謎のままだ。
(なにしろ最初の指示が真名ちゃんのサポートだったしな。あれは超ちゃんの作戦がどうのってより魔法使い達の手伝いって感じだったし)
極力メインの計画にはかかわらせないようにしているのだろう。要するにまるで信用されていないという事だ。
(というかそもそもなんで俺を仲間に誘ったんだ?)
なにげなく空中を見つめながら自然と浮かんできた疑問を考えてみる。
正直なところ学園祭本番を迎えたこの時期にいきなり部外者を招き入れるのは彼女にとってデメリットでしかないのではないか。
ぼんやりとしたまま横島がそんなことを考えていると、突然周囲の喧騒が激しさを増した。
どうやらメインストリートでこれから盛大なパレードが開かれるらしい。
道路わきに設置されているスピーカーから交通整理のアナウンスが流れ、パレードの開始時間が告げられた。
あと少しすれば今よりはるかに人通りが多くなるだろう。
ただでさえ人込みにうんざりとしていた横島はぐったりとしながら顔をしかめた。
これ以上ここにとどまれば満員電車のように人の波に押しつぶされたまま、
大して興味もないパレードを終了時間まで延々と眺めていなければならなくなる。
横島は小さくため息をつくと寄りかかっていた壁から身を起こした。
(ちょっと人気のないところでも探すか)
口に出さずに呟いて、横島は思い描いた地図の上でゆっくりと休めそうな場所に丸を付け始めた。
◇◆◇
遠慮なく降り注ぐ初夏の日差しから逃れるため、木陰に設置してある木製のベンチに避難する。
どさりと背もたれに身を預けて横島はようやく人心地つくことができた。
深呼吸すれば植物や土の匂いが風に吹かれてこちらまで届いてくる。
森の香りと表現できそうなその空気は自然を強く感じさせた。
背後には古い映画にでも出てきそうな雰囲気のログハウスが周囲の景観を崩さずにひっそりと建っている。
静かな場所を求めてブラブラと歩いていた横島がたどり着いたのは、ここ最近毎日のように通っていたエヴァの家だった。
まるで人目を避けるように都市の中心地から離れた場所に建っているこの家は、ゆっくりと思索するのに最適な場所だったのだ。
学園祭期間中といえど、さすがに何もない森の中にまで来るようなもの好きはいないようで、人々の喧騒も遠くからわずかに聞こえてくる程度だった。
横島はここに来る途中で購入した缶コーヒーを飲みながら早速作戦を考えてみる事にした。
(さてと、どうやったら美神さんを騙くらかして世界樹広場まで連れていけっかな。
やっぱり一番手っ取り早いのは薬を盛る事だろうけど、あの美神さんにそんな正攻法が通じるとは思えんし)
正攻法という言葉の意味をまるっと勘違いしている横島がうんうんと唸っていると、玄関の方に誰かが近づいてくる気配がした。
視線を送ると玄関わきにいる小さな人影が呼び鈴を鳴らそうと指を伸ばしている。いつもと変わらない制服姿で肩にかけた学生鞄が若干重そうではあった。
「夕映ちゃん?」
短く呼び掛ける。
逆光になっているため顔の輪郭までははっきりしないがぼんやりと見えるシルエットからそう判断すると、訪問者は驚いた様子で小走りに駆け寄ってきた。
長い髪を風に煽られないように抑えながら綾瀬夕映が尋ねてくる。
「横島さんどうしてこんな所にいるですか?」
「夕映ちゃんこそなんでだ?学園祭中だってのにこんなとこにいていいんか?クラスのお化け屋敷は?」
「そっちは午前中で当番が終わってますし、研究会の方でも特に何かを発表するわけではありませんから」
夕映が呼吸を整えつつそう答えた。
「それで横島さんはどうしてここに?」
「いや、別に大した理由はないんだ。ただちょっと考えたいことがあってさ。
今日はどこも人込みだらけで落ち着かないからゆっくりできるところを探してて」
「考え事・・・ですか。それってやっぱり四人目や超さんのこと?」
「へ?あ、ああうん。まぁそんな感じ」
こちらの言葉をまじめに受け取った夕映が真剣な瞳を向けてくる。
まさか美神を陥れるための作戦を考えていましたなどとは正直に言えるわけもなく、横島は露骨に目を泳がせながらそっぽを向いた。
するとそんな態度に違和感を覚えたのか夕映が訝しそうにしながら覗き込んでくる。
「・・・横島さん?」
「な、なんだ!?別にワイはどうやったら睡眠薬が手に入るんかなとか考えてたわけやないぞ!!」
「睡眠薬?それって何のことですか?」
「い、いやだからそんなことはちーとも考えとらん!」
強引に話を打ち切って横島はかたくなに夕映から顔を背け続けた。
そんな横島をじっとりとした半眼でしばらく観察していた夕映だったが、やがてあきらめたのか隣の席に腰を落ち着けた。
夕映が追及をやめたことに心中でほっと安堵しつつ横島は再度彼女がここにいる理由を尋ねてみることにした。
「それで夕映ちゃんは何でここに?」
「えっと何でも何も私はただ魔法の練習をしに来ただけですけど」
「魔法の練習?いや、つってもこんな時くらいちょとはさぼっても罰は当たらんのじゃないか?
せっかくなんだしハルナちゃんとかのどかちゃんとか誘って学園祭回ってくりゃいいのに・・・」
夕映がことのほか真剣に魔法を習得しようと頑張っているのは知っているが、
せめて学園祭の時くらい友達と遊んでもいいのではないかと思う。横島がぼやくようにそう告げると、夕映は少々ばつが悪そうにしながら苦笑した。
「一応日課にしていることですから練習をさぼろうとは思いませんし、それに二人とも色々と忙しそうにしてて・・・」
「忙しいって部活の出し物かなんかか?」
「ハルナの方はそうですね。結構忙しくしているみたいで。のどかの方は今ちょうどネギ先生と一緒にデー・・・」
そこまで言うとなぜか夕映はピタリと口を閉ざした。時間すら止まってしまったかのように身動き一つしていない。
不審に思って横島が何度か名前を呼んだり眼前でパタパタと手を振ってみたのだがそれでも何の反応も示さなかった。
「夕映ちゃん?」
友達の行動予定について話していると思ったら突然硬直してしまった夕映に横島が戸惑っていると、彼女は焦った様子で爪を噛みながらポツリと呟いた。
「や・・・やっちまったデス」
ダラダラと脂汗を流し、手元がどこかをさまよっているように落ち着きをなくしている。
「我ながら何といううかつな事を!この前の事を考えたら横島さんにだけは絶対に知られるわけにはいかないというのに!!」
押し殺した声でそんなことを言いながら夕映が鋭く舌打ちしている。横島は彼女に気付かれないようにさり気なく距離を取った。
(えーっと・・・夕映ちゃんはいったい何を言ってんだ?ネギの奴とのどかちゃんがどうとか)
最終的には悔恨の表情を浮かべ髪をぐしゃぐしゃとかき回している夕映をなるべく見ないようにしながら考える。
すると横島の脳裏に思いつくことがあった。
「そっか、そう言われりゃ今日だったっけ。ネギとのどかちゃんがデートするのって」
横島がポンっと手のひらをたたきながらそう言うとその言葉を聞いた夕映が猛烈に焦った様子で問いただしてきた。
「な、なんでその事を知ってるです!?」
「へ?なんでって」
「どういうことですか?このことはごく限られた人しか知らないはず。ま、まさか私たちの中に裏切り者が!?」
「いや、よく分からんがたぶんそれは違うんじゃねーかな」
「くっ、どのみち知られてしまったからには私にできることは一つだけです。横島さんを亡き者にしつつ隠蔽工作を行わなければ」
「まてまてまて!何サラリと怖いこと言っとるんだちょっと落ち着け!!」
「これが落ち着いていられますか!!どうせこれからのどかたちのデートを邪魔するつもりですよね!なんかもうすごくえげつない感じで!!」
「な、なんじゃそりゃ、そんなことしないっての!」
「ふっ、今更そんなごまかしが通用するとでも?ただの練習に過ぎなかった明日菜さんとのデートの時ですらネギ先生の股間を焼け野原にしようとしたくせに!!」
「したけども!!」
しばらくの間互いに息を切らせながら言い合いを続けていた二人だったが、いい加減埒が明かないので横島は夕映に事情を話すことにした。
出来るなら隠しておきたいことではあったのだが。
「俺がネギ達のこと知ってるのはそもそもの切っ掛けが俺だからだ」
「え?」
「だから誰かに教えてもらったとかじゃなくて初めから知ってたんだよ。あの二人がデートするって」
「う、嘘です!もし初めから知ってたなら絶対に阻止していたはずです!!横島さんが他人の幸せを見過ごすはずがないです!!」
「まぁ確かにあんなかわいい子が十歳のガキなんかとデートするのはどうかと思うが・・・これには事情があるんや」
「事情?」
まだ疑わしそうに眉根をあげている夕映を見ながら、横島はなるべく分かりやすいように説明を再開した。
「えっとほら、いくらのどかちゃん本人が覚えてないって言ってもさ、あの魔族野郎のせいで彼女がひどい目にあわされたのは事実だろ?
だからまぁ、なんかしてあげられないかなって思ってさ」
「え?」
「つっても俺があの子にしてあげられることなんてなんもないし、だからネギの奴に頼んだんだ。
のどかちゃんの事もう少し気にしてあげてくんないかって」
それがいらないおせっかいだと言われてしまえばそうなのだろうし、
のどかに対する罪悪感を紛らわせているだけなのかもしれないが、横島はどうしても何かせずにはいられなかった。
「で、でもあれは横島さんのせいってわけじゃ?」
「んーまぁそうなんだけどさ、でもこっちの世界に厄介ごと持ってきたのは俺たちの世界の都合だろ?だから何となくな」
我ながら言い訳じみているなと思いながら横島が苦笑していると、夕映が神妙な表情を浮かべた。
「・・・ごめんなさい」
そう言いながら居住まいを正しこちらに向けて頭を下げてくる。
「そんな事情も知らないで横島さんに失礼なことを・・・」
「あーまぁなんちゅーかそんな気にせんでもいいって。我ながららしくないなと思ってるしな」
なにやらいたたまれない様子で意気消沈している夕映を、横島がなんとかフォローしていると彼女は一応納得してくれたようだった。
「言われて見れば確かにそうですね」
「そんな簡単に納得されるとそれはそれでアレなんだけどな」
横島がじっとりとした半眼を向けると夕映が慌てて弁解してきた。
「い、いえ謝罪の気持ちに嘘はないですよ。ほんとに」
「・・・まぁ別にいいけどさ」
夕映の自分に対する信用度はいったいどうなっているのだろうか。
横島が心の中で溜息をついていると、そんな態度が目に入ったからなのか夕映が声を大きくした。
「あ、あの横島さん!」
「ん?」
上ずった調子で名前を呼ばれる。
彼女はどこかしら落ち着かない様子でもじもじと体をゆすっていた。
「トイレか?」
「ちがいます!!」
色々と察した横島がエヴァの家を指さすと、夕映は即座にその言葉を否定した。
「わ、私はただその・・・横島さんにお礼が言いたくて・・・」
「お礼ってのどかちゃんの事か?それなら別に礼なんて必要ないぞ。
俺はちょこっとネギの奴に口添えしただけで今日のデートやら何やら色々考えて行動したのはあいつ自身だしな」
「い、いえもちろんその事にも感謝はしているですけどそれだけじゃないというか・・・」
「どういう意味?」
要領を得ない言葉に横島が戸惑っていると、やがて夕映は何かを決心した様子で俯いていた顔を上げた。
「あの突然こんなこと言うのはあれなんですが・・・その、私と付き合ってくれませんか?」
「・・・・・・・・・・はい?」
上気した顔をこちらに向け潤んだ瞳でそんな事を言ってくる夕映に、横島はしばらくの間ただ茫然と彼女を見返していた。
◇◆◇
金属で硬いものを叩く音がそこかしこで響いている。
なかなか広いグラウンド内に幾つかの防護用ネットが設置され、
バッターボックスに立った打者がピッチングマシンから放たれるボールをバットで打ち返していた。
見物客の中には一般生徒たちに紛れて幾つか家族連れの姿も見られ、
子供にいいところを見せようとしていた父親が勢いよくバットを振って空振りしている姿が横島の目に入ってきた。
この仮設されたバッティングセンターは麻帆良大学の野球部が企画した展示物の一つだ。
電飾や紙製品の飾りなどで装飾した練習用機材を一般客にも開放して、希望者にはバッティングやピッチングの指導をしていたりする。
球数を制限して当たりによってはホームラン賞や猛打賞などの特典が付くといったゲーム性を取り入れた色々な工夫を凝らしていた。
多少興味をひかれるのは九枚のパネルがはめ込まれたボード目掛けてボールを投げ込むといった遊びだ。
別段投球に自信があるわけでもないが試しにやってみようかと横島が考えていると、隣にいる夕映がバットを手に取り真剣な眼差しで素振りをしていた。
「ずいぶん気合が入ってるな」
「ええまぁ。実を言うと興味があったんです。バッティングセンターに」
「夕映ちゃんって野球が好きだったっけ?」
「いえ、別にそうではないですが、最近なぜかバットを振り回す機会が増えたのでこれを機にバッティングの仕方を勉強しようと思いまして」
「・・・え?」
ニコリと眩しい笑顔を貼り付けて夕映が生き生きとバットを振り続けている。
その姿を見た横島の背中に一筋の冷や汗が伝っていった。
夕映はそんな横島の様子など気にも留めずに空いているバッターボックスに入るとそのままの勢いでバッティングを始めた。
・・・5分後。
「おかしいですね・・・」
不可解な現象に遭遇したとでも言わんばばかりに夕映が呟く。
あれから夕映は意気揚々とバットをフルスイングしていたのだが、結局一球もかすらせることすら出来なかった。
どうやらその事が本人にとっては予想外だったようで彼女はしきりに首をひねっている。
「いや、夕映ちゃんってバッティングセンターに来たの初めてだったんだろ?初心者なら無理もないと思うけど」
「いえ確かにこういうやり方は初めてですが、ほぼ毎日あれだけバットを振っていたんですから全くの初心者というわけではないはずです」
「・・・そ、そうかな」
あいまいに言葉を濁しながら内心横島はそれは違うだろと突っ込みを入れたかった。
確かに夕映はここ最近、主に自分への制裁のためにあの凶器を振り回してはいたが、
だからといってそれでバッティングが熟達するかといえばそんなことはあり得ない。
なぜなら彼女は逃げる獲物を追いかけて仕留める経験は積んだかもしれないが、向かってくる標的に得物を命中させる経験はまるでなかったからだ。
というかボールが向かってきたときに目をつぶってバットを振っていたようなのでそれ以前の問題だと言えなくもない。
「これはやはりあのピッチングマシーンに何らかの仕掛けがあるのではないかと。例えば手元でボールが曲がってくるとか」
「それってただの変化球じゃないんか?」
どうしても納得がいかない様子の夕映に若干の呆れを感じながら横島は自分もバッターボックスに立った。
傍にあるケースの中からてきとうにバットを選び、手に馴染ませるようにグリップの握りを確認する。
何度か素振りを行った後で横島はボールを待ち構えた。
「よっと」
気の抜けた掛け声とともにバットを振る。カキンと甲高い金属音が鳴って打球は見る見るうちに遠くへと飛んで行った。
それを見た夕映が目を丸くする。
「んなっ!なんで当たるです!?」
「いやなんでっつーても100キロの棒球だしなぁ」
ぼやきながら次々と大きな当たりを連発する。
結局一球も外すことなく横島のバッティングは終わった。そんな横島に向けて夕映が感心したように賛辞を贈る。
「なんというか誰にでも取り柄ってあるものなんですね」
「それ一応褒めてるんだよな夕映ちゃん」
いまいち素直に夕映の言葉を受け取れない横島が懐疑的な視線を向ける。
彼女は特に気にした様子もなくうんうんと頷いていた。
「横島さんって野球が得意なんですか?」
「別に自慢するほどでもないけどな。でもまぁ中学まではバイトもなかったし、たまに行ってたんだバッティングセンター」
「そうなんです?」
「ああ、つっても高校入ってからはこんな贅沢な遊びする余裕がなかったからずいぶん久しぶりではあるんだが」
「贅沢ってそんな大げさな」
「ふっ、十円単位に命かける生活しとったらそんなもん大げさでも何でもなくなるんや」
「どんな生活ですかそれは・・・」
こちらの姿を見た夕映が若干引いた様子で後ずさっている。横島はどこか哀愁を感じさせる笑みとともに遠くを眺めていた。
それから二人は何回か打撃練習をした後、大学内にある休憩スペースで休むことにした。
スポーツドリンクでのどを潤し一息つく。
「そういやさっきはちっと驚いたぞ。いきなり付き合ってくれっていうから」
先程の夕映の台詞を思い出す。
どうやら彼女は少し前に悪魔から助けてもらった時のお礼がしたかったようで、
あの唐突な付き合ってくれという発言は一緒に学園祭を回ってくれないかという提案だったらしい。
その際、出店などでかかった費用は自分が出しますからと熱心に誘われたのだが、それはさすがに遠慮することにした。
いくらなんでも年下の女の子に金を出させるわけにはいかないし、今は向こうの世界にいた時ほど金に困っているわけではない。
横島がそんなことを考えていると、夕映が恥ずかしそうにしながら話し始めた。
「え、えと、すみません。その・・・まだちゃんとしたかたちでお礼ができてなかった事に気が付きまして。
も、もちろんこんなことがお礼になるとは思ってませんが、私にも横島さんに何かできることがないかって・・・」
一言一言考えながら話しているようで夕映にしては言葉の内容が明瞭ではなかった。
だがその分彼女の真剣さは余計に届いてくる。
「さっきも言ったけどさ、ほんとに気にしなくていいんだぞ。
むしろ夕映ちゃんたちは被害者なんだからジークになんかほしいもんでも要求していいくらいだ」
「い、いえそれとこれとは話が別ですから。命の恩人に対して礼を失するわけにはいかないです。
ほんとはもっと早く行動に出るべきだったですが、どういう訳かそういう空気にならなかったといいますか、その、なかなか言い出せなくて・・・」
「い、いやまぁそれはなんちゅーか俺の自業自得という気がしないでもないな」
夕映と行動を共にし始めてからこちらが彼女にかけた迷惑を考えれば仕方のない事だろうとは思う。主にナンパ的なあれだ。
互いが気を遣いながら話していたせいか次第に言葉数が少なくなっていく。
何となく気まずい空気になりかけたその時、夕映が言いづらそうにしながら口を開いた。
「あの横島さん・・・ちょっと聞いていいですか?」
「うん?何?」
「えっとこの前、横島さんが超さんに会った日の事なんですけど・・・その、超さんと何かあったですか?
あの時、様子がおかしかったから少し気になってて・・・」
夕映がチラチラと遠慮がちに見つめてくる。
こちらの顔色をうかがうその仕草が何となく叱られた後のシロを連想させて横島は自然と小さな笑みを浮かべていた。
「な、何か変なこと言ったですか?」
「ん、ああ違う違う。単なる思い出し笑いってやつだ。で、えっと超ちゃんの話か・・・」
そう言いながら横島は超との会話を思い出していた。
超が未来からやってきたこと。未来を変えるためにこの時代で何かをしようとしていること。仲間にならないかと勧誘を受けたこと。
どれも美神たちには既に伝えている内容だが、夕映にはまだ話していなかった。別に隠しておきたかったわけではないのだが何となくタイミングが合わなかったのだ。
この機会に彼女にも話しておくべきかもしれない。若干の逡巡の後、横島は夕映に超から聞かされた話を伝えることにした。
「・・・って訳なんだよ」
「タイムマシン?未来人?ほんとなんですかその話」
「まぁ本人がそう言ってるだけでほんとなのかどうか確認したわけじゃないんだけどな」
「信じるですか?超さんの言ってる事」
「うーん・・・正直半信半疑ってやつだな。
なんか証拠でもない限り簡単に信じるのはまずい気がするんだが、超ちゃんがいきなり姿を消したりするのは俺たちの方でも確認してるだろ?
時間移動だか空間移動だかは知らんが、あの子が特別な何かを持ってるのは確かだ」
「で、でも、もしその話が本当なんだとしたら超さんは・・・」
「たぶん未来を変えるためにこの時代でやらなきゃならんことがあるんだろうな。何するつもりなのかはさっぱりわからんが」
そういった情報を調べて来いと美神に命令されているわけだが、なにしろ超が二年以上かけて準備していた計画だ。
そう簡単に尻尾はつかめないだろう。調査に対するとっかかりすら思いつかず、横島はぐったりとため息を零した。
ふと隣を見ると夕映が神妙な面持ちで何事かを考えている。
無意識の仕草なのか重ね合わせた手の甲に指先でリズムを刻んでいると、やがて夕映は俯き気味だった顔をゆっくりと上げた。
「それで横島さんはどうするつもりなんですか?」
「何が?」
「超さんの話を聞いたうえで横島さんは彼女に対してどう行動するつもりなのかなって」
「う~ん、どうって言われても俺は美神さんの指示に従うだけだからなぁ」
夕映の質問にあいまいな返答をし、横島は誤魔化すように頬をかいた。
基本的には四人目が現れるまで超に張り付いていろと言われている。
その過程で超の目的や、四人目が彼女とどういった形で関わっているのか、それを調査してこいとも。
とは言ってもだ、現状を振り返るまでもなくうまくいっているとは言い難い。なにしろ超が今どこにいるのかすら分っていないのだ。
一応仲間に入れてもらっているはずなのだが、超からは電話で連絡があるだけでアジトがどこにあるのかすら不明のままだった。
「まぁなんにせよあのガキが出てくるまでは美神さんも動く気はないと思うよ」
「で、でもそれじゃ超さんの歴史改変を見逃すってことですか?」
「いや見逃すっつーか俺らがこっちの世界の事情に積極的に首突っ込むわけにもいかんだろ?」
「それは・・・そうかもしれませんけど」
消化不良でも起こしたような顔で夕映が黙り込む。理屈では理解できるが感情はそうもいかないらしい。
何かを言いたげな様子で俯く彼女にどう声を掛けるべきかと横島が頭を悩ませていると、ふと夕映の表情が変化している事に気が付いた。
先程までは眉間にわずかなしわを寄せながら口を閉ざしていた彼女だったが、今は何か信じられないものでも見たように顔一面に驚きを張り付けている。
横島も気になって彼女の視線の先を目で追ってみると、そこには到底信じられないような光景が広がっていた。
しばらくの間二人はポカーンと口を広げたまま微動だにせずその場に固まっていた。
しかしそれも長くは続かず、何やら形容しがたいどす黒い感情が横島の腹のうちからじわりじわりと滲み出してきた。
隣にいる夕映も同様であったらしい。信じていたものに裏切られたとでも言うようにショックを受けた表情から怒りの表情に変化していた。
横島が夕映にそっと目配せを送ると彼女は承知したようにこくりと頷いた。
相談らしい相談もせずに二人は素早く行動に移った。人込みに紛れるようにして標的のもとまで接近する。
極限まで気配を消したまま横島は近くの物陰に身を潜めた。すぐそばで楽しそうな声が聞こえてくる。
「あの、刹那さん。今日は色々フォローしてくださってありがとうございました」
「そんな、お礼を言われるようなことではないです。
ネギ先生は他の魔法先生たちと協力して作戦を行うのは初めてですし、私はこういった大規模な合同作戦も何度か経験していますので」
「いえ、それでも作戦の段取りや連携のしかたなんかで助けられたことは確かですからお礼を言わせてください」
「は、はい」
そこにはにこやかに微笑むネギ・スプリングフィールドとそんな彼の言葉に恐縮している桜咲刹那がいた。
二人は仲睦まじい様子で・・・そうまるで初々しいカップルがデートでもしているかのように談笑している。
すぐ近くにいるこちらには全く気付いている様子がない。
「それにしても話には聞いていましたけどすごい盛況ぶりですね」
「この時期は関東圏の観光客も増えますから。年々規模が拡大されている傾向にあります」
「皆さん本当に楽しそうにしていますよね」
「ネギ先生も色々見て回ってはいかがですか?」
「で、でもまだ世界樹周辺の警備もしなきゃいけませんし」
「ネギ先生にとっては初めての学園祭ですし準備期間中もずっと忙しそうにしていたでしょう?少しくらいなら早めに交代してもらってもいいと思いますよ」
「そ、そうですかね。実は僕行ってみたいアトラクションがあるんです!あと飛行船にも乗ってみたくて!!」
「ふふ、じゃあ一息ついてから一緒に行きましょうか」
「ほう、そいつは面白そうだな。俺も行っていいか?」
「もちろんです!ぜひ一緒に・・ってあれ?」
刹那との会話に夢中になっていたネギが突如割り込んできた男の声にピクリと反応する。
少年の背後から静かに接近した横島は彼の肩にポンと手を置いた。
「ようネギ。これまた意外なところであったなぁ」
「「よ、横島さん!!」」
ネギと刹那が同時に驚きの声を発する。横島はそんな二人を無視してネギの耳元に顔を近づけた。
「ずいぶん楽しそうにしてるじゃあないかぁ」
ねっとりとした粘着質な声で囁かれネギの首筋に鳥肌が立っていく。
「よ、横島さん何でこんな所に・・・ってあれ!?か、体が動かない!!」
声だけですぐにわかるほどおどろおどろしい何かを感じて反射的に横島から離れようとしたネギが、己の体に異常を感じて叫び声をあげた。
「ふっふっふ無駄だよネギくぅん。今貴様の肉体は完全に俺の支配下にある」
横島はネギの肩に手を置いたとき、抜け目なく文珠を仕込んでいた。
「よ、横島さん何でこんなこと・・・」
「なんで・・・か。よりにもよってそれを俺に聞くかぁ!?ガキのくせに女にモテモテのイケメン君は言うことが違いますなぁ!!」
「ちょ、ちょっと待ってください!僕には何が何だか。と、とにかく一旦落ち着いて説明を・・・」
肩をギリギリと締め付けてくるとんでもない握力に恐怖を感じながらネギが必死に横島をなだめようとした。
「説明だぁ!?そんなんこっちがしてほしいわ!!お前今日はのどかちゃんとデートじゃなかったんか!?何で刹那ちゃんとデートしてるんだ!?」
「え?・・・あっ!!」
「あっ!!じゃねぇぇぇ!!やっぱりお前!!」
「ち、違います誤解です!!僕はただ・・・」
ネギが何とか動かせる首を限界までひねって背後にいる横島に必死に弁明しようとしたその時、
初夏の気温から比べると温度差で風邪をひきそうなほど冷え冷えとした声が聞こえてきた。
「そうですか・・・なら納得のいく説明をしてもらいましょうか」
事態の急展開にいまだついていけていない様子の刹那の肩をポンと叩き夕映が現れた。
「ゆ、夕映さん!!」
呆然としていたとはいえ何の気配もなく背後を取られたことに驚愕して刹那がびくりと体を震わせた。
夕映は動揺を露わにする刹那を無視してじっとりとネギを見つめていた。
「ネギ先生、慎重に言葉を選んだ方がいいですよ。
私としてはネギ先生にそんなひどい事はしたくありませんが、そこにいる人はもう色々と滅茶苦茶な人なので」
冷然とした眼差しを向けたまま夕映が横島を指さす。横島は心底楽しそうにしながらネギの頭を鷲掴みにしていた。
「フゥーハハハ、さぁてどんな呪いがいいかなぁ!!」
「の、呪い!?呪いって言いましたか今!!何するつもりですか!?」
「そうだなぁ、例えば全身の体毛が異常発達して着ぐるみみたいになるってのはどうだ?
緑とか赤とか色付けてリアルガチャ〇ンとかリアル〇ックとか」
「い、嫌ですよそんなの!!」
「因みに毛を剃り落とそうとしても無駄だ。そんな事をすれば貴様の毛はより強靭になって帰ってくるだろう。
さぁ観念してこれから3年A組キグルミ先生としてみんなに親しまれるがいい!!」
「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
首を左右に振りながら全力で拒絶の意思を示すネギを邪悪な瞳で見下ろして、横島は鼻歌を歌いながら懐から藁人形を取り出した。
・・・その時である。
「まてぇぇぇぇい!!!」
どこからともなく妙に男くさい掛け声が聞こえてきた。
「何奴っ!!」
声が聞こえてきた方角に鋭い視線を向ける。横島は思わず似たような感じで誰何した。
「ふっ俺っちがいないのをいいことに兄貴に面白おかしい事をしようとするなんて、天が許してもこの俺っちが許さねぇ。神妙にするんだな横島の兄さん!!」
そんな事を言いつつテーブル席の下からニュッと現れたのは、ネギの周りをいつもうろちょろとしている小動物だった。
「あれ?お前たしか・・・アルなんとかだっけ?なんか久しぶりに見た気がするな」
「アルベール・カモミール!いい加減名前覚えてくれよ横島の兄さん」
「あぁ、すまん。興味がない上に名前が偉そうだからいまいち覚えられんのだ」
「はっきり言いすぎだろ!!ったく・・・」
ブツブツと零しつつ、カモは器用にテーブルの上に駆け上った。そしてジロリと睨みをきかせるように横島達を見まわす。
「とにかく先にこっちの話を聞いてもらうぞ。あとその藁人形しまってくれ。なんか怖いから」
それからカモは自分たちの身に起こった出来事を話し始めた。
ちょっとした切っ掛けで、ネギの生徒である超鈴音から一風変わった時計をもらったこと。
その時計はただの時計ではなく信じられないことにタイムマシンだったこと。
そしてタイムマシンを使って学園祭初日の今日を何度も繰り返し経験していることを。
「だからネギの兄貴はのどかの嬢ちゃんとの約束をすっぽかしてなんかねぇんだ。
きっちり最後までデートを終わらせてから今日の朝に再び戻ってきたってわけよ」
テーブルの上に置かれた時計を小さな手でぺしぺしと叩きながらカモは満足げに説明を終えた。
「タイムマシン・・・これが?」
先程まで夕映と真剣に話し合っていた件のブツが突然目の前に現れて、横島は少々驚いた様子でその時計に視線を落とした。
ぱっと見はどこにでもあるような懐中時計だ。一般に出回っているそれより一回りか二回りほど大きいだろうか。
金属製の外郭と表面にガラスのフレームがピタリとはまっている。
文字盤はかなり変わったデザインでおそらく月と太陽を模しているのだろう。
時刻を表示するための数字に限っても、0、1、2といったアラビア数字のほかにローマ数字や星座に使われる記号のようなものも見て取れた。
確かに懐中時計としては凝った作りだ、しかしそれがタイムマシンだと言われてもいまいちピンと来ない。
そんな感情が顔に出ていたのか、はらはらとしながらこちらを見ていたネギが懸命に言い募った。
「あ、あの信じられないかもしれないですけど本当なんです!
僕もどうしてこんなことができるのかわからないですけど、で、でも僕は・・・」
「いや分かったからちょっと落ち着け。別に疑ってるわけじゃねぇから」
「・・・信じてくれるんですか?」
「あー・・・まぁ一応な」
あいまいに言葉を濁し横島は軽い溜息をついた。視線を別の方向に向ける。
そこにはカモの説明の途中から席を外していた夕映がいた。携帯電話を耳に当てて誰かと話している様子だ。
通話先の相手に何度か頷いた後、会話を切り上げた夕映がこちらに歩いてきた。
「確認が取れました。確かにネギ先生は今のどかと一緒にいるみたいです。隣で射的をやっていると」
どうやらのどかに電話をかけていたようだ。確かにカモの話の確証を得るためには一番手っ取り早い手段だろう。
夕映の言葉を受けてネギは思い出したように何度も頷いた。
「あっ、は、はいそうです確かにのどかさんと一緒に屋台巡りをしました。その時に射的も」
ネギは身動きの取れないまま背中越しにそう言った。夕映は僅かに逡巡した後横島に目線で合図を送った。
「悪かったな。疑ったりして」
横島は謝罪の言葉を口にしつつネギの頭にポンっと手を置いた。同時に文珠の効果を消失させる。
「あ、体が動く」
ストレスや心身の疲弊によって起こる金縛り・・・とはまた違うが似たような状態から復帰したことによりネギは安堵の息をついた。
「でもどうしてそんな簡単に信じてくれるんですか?自分で言うのもなんですけど随分突拍子もない話だと思うんですけど」
「それはだな・・・なんちゅーか・・・」
疑問を投げかけるネギに何と答えるべきか横島は頭を悩ませた。
別に超本人から彼女の事情に対して口止めされているわけではないが、それでもホイホイと人に話すような内容ではない。
超の周辺に四人目の影が見え隠れしている以上、下手に詳しい話をして興味を持たれても困る。
先日魔族に襲われた記憶を持っている夕映には話しておいた方がいいと判断したが、
その記憶を持たないネギや刹那には出来ればこちらの事情にこれ以上関わってほしくなかった。
結局、無難に当たり障りのない内容だけ語ることにして、横島は近くの席から椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「実はちょっと前に超ちゃんから話だけは聞いてたんだよ、タイムマシンの事」
「そうなんですか?」
「ああ、つっても実物を見せてもらったわけじゃないし、ただの冗談かもとは思ってたんだが・・・」
そう言いながら横島はテーブルに置いてある懐中時計を指先で突いた。
なんとなくその仕草を目で追っていたカモと刹那も同感だと言わんばかりに深く頷く。
「まぁ最初は俺っちも全く信じてなかったしなぁ」
「時間移動は東西を問わずどんな魔法使いにも不可能だと言われている技術の一つですから」
実際に経験した今でも完全には疑念を払拭できていないようだ。
「しかし何だって超ちゃんはお前にタイムマシンなんか貸したんだ?」
「それは僕にもわかりませんけど、前に超さんが魔法先生たちに追われてたとき助けた事があってこれはそのお礼なのかも」
「お礼にタイムマシン渡すんか?」
「そのあと学園祭の予定が詰まっててちょっと困ってるって話をしたんです。だから・・・」
「それでタイムマシンで時間をさかのぼって何とかしろってか?なんちゅーか随分おおざっぱな話やなぁ」
確かにそんな反則技が使えれば問題も力尽くで解決できるだろうが、それにしたってほかにやりようはありそうなものだ。
いくら超でもそう簡単にタイムマシンを貸与できるほど量産できているとは思えないし、このことには何か重要な意味があるのかもしれない。
(つってもなんか深読みしすぎてドツボにはまってる気はするんだよなぁ。超ちゃんのやる事いちいち怪しんでもかえって話が進まんかもしれん)
今はあれこれと悩むよりも情報収集に専念するべきかもしれない。本人に直接事情聴取するというのが難しい現状、周囲の人間から聞き込みをしてみるのも有効だろう。
そう考え、横島はネギたちに超と出会った時の様子を聞いてみることにした。
「超さんの様子ですか?えっと・・・特に変わったところはなかったと思いますけど」
「まぁ怪しいのがデフォルトみたいな嬢ちゃんだし、いつも通りといやそうかもしれねぇが」
「いえ、さすがにそれで済ませるのもどうかと・・・。私もどういうつもりかと問い詰めてみたんですがうまくはぐらかされてしまって」
刹那が超を捕まえて正体を探ろうとしたらしいが、のらりくらりとかわされるばかりで何も聞きだすことはできなかったらしい。
「やっぱり単純に兄貴に対しての感謝の気持ちだったんじゃねぇか?それかタイムマシンの起動試験がどうとか言ってたし都合よく実験台にされたか」
「カモ君せめてモニターとか別の言い方してくれても」
歯に衣を着せないカモの言葉に、ネギが疲れたようにガックリと肩を落とした。
そんな一人と一匹の様子を見ながら、横島はそれは何となくありえそうだなと思っていた。
ネギには悪いが超という少女にはそういうことをやりかねない雰囲気があるのだ。
まぁさすがに命の危険があることまでさせているとは思えないが、タイムマシンの調整のために担任教師を利用するくらいは平気でやりそうだ。
横島が何となく納得しそうになっていると、難しい表情で隣に座っていた夕映がポツリとつぶやいた。
「たぶん違うと思います」
「どうして?」
「もしも超さんがネギ先生をタイムマシンの実験だ・・・もとい、モニターにするつもりならもっとうまくやると思うからです」
テーブルに置いたスポーツドリンクで唇を湿らせ、夕映はネギに問いかけた。
「ネギ先生、超さんからタイムマシンのほかに何か預かったりしていませんか?」
「え?いえ特に何も」
「何か指示を受けたという事は?」
「ありませんけど・・・」
急に質問され目を丸くしているネギから視線を外し夕映は横島に向き直った。
「私も詳しいわけではありませんが、こういう精密機械をテストする場合、普通はもっと細かくデータを取るものなんじゃないですか?
例えば同一条件で何度も使用して数値上の誤差を測るとか、でもネギ先生は測定器の類を受け取ることもタイムマシンを使用する際の具体的な指示もなかったんですよね。
だからタイムマシンのモニターという線は消えるんじゃないでしょうか」
夕映は落ち着いた口調でそう説明するとその場にいる全員の顔を見回した。
「あ~まぁ確かにそう言われるとそうかもしれないな」
「ってことはやっぱり兄貴への純粋なプレゼントか?」
「うん、きっとそうだよ。学園祭の予定で困っていた僕を超さんが助けてくれたんだよ」
無邪気に自分の生徒を信じている様子のネギが笑顔を見せている。
「待ってください。超さんがタイムマシンなんてものをどうやって作ったのか、何に使うつもりなのかも謎のままですし、
とにかくもう一度会って詳しく話を聞いてみるべきじゃないでしょうか。
それにタイムパラドックスの問題もありますし、あまり不用意にタイムマシンを使わないほうがいいんじゃ・・・。」
その笑顔に対しての遠慮かどうかは知らないがどことなく気後れしながら夕映がネギを止めようとした。
「タイムパ・・・って何だっけか。どっかで聞いた覚えがあるんだが」
「SF小説なんかで時間移動に関する話をする時、だいたい一緒に語られる思考実験の一つですね。親殺しなんかが有名でしょうか」
「なんか物騒だなおい」
「あくまで例えです。タイムトラベラーが過去に戻って自分の両親を殺したらどうなるかという問題提起ですね。
そんな事をすれば当然未来でタイムトラベラーは生まれなくなりますが、そうなると過去に戻って両親を殺したという事実そのものがなかったことになるわけです。
因果関係に矛盾が生じて論理の破綻が起こります」
「そうなるとどうなるんだ?」
「いろいろ言われてますけど、違う歴史に分岐するパラレルワールドが発生するとか量子力学の多世界解釈なんかに話が発展しますが・・・聞きたいです?」
「いや、なんか面倒そうだからいい」
何となく生き生きとして見える夕映の提案をそっと遠慮して横島はネギに話しかけた。
「つー訳であんま使わん方がいいらしいぞそれ」
「でもこれがないと学園祭の予定が・・・」
「あ~・・・というかそもそもなんでそんな消化できないほど予定を詰めたんだ?」
「いえ、それがいつのまにか身に覚えのない予定で手帳が埋まってまして」
困惑している様子で頬をかいているネギをカモがからかい半分ではやし立てる。
「兄貴はモテモテだからなぁ。みんな兄貴と一緒に学園祭をまわりたいんだろ」
「そ、そんなことないよカモ君!」
若干顔を赤くしながら慌てているネギに横島は暗く澱んだ瞳を向けた。
「くっこのガキ、やっぱり一度きっつく呪われといた方がいいんじゃねぇか?」
「やめてください」
わりと本気で再度ネギに呪いを掛けそうな横島を夕映が軽くどついた。
そしてネギに対して諭すような口調で穏やかに語りかける。
「まぁクラスのみんながネギ先生と学園祭を楽しみたいと考えているのは間違いないと思いますけど、
ネギ先生がいろいろと忙しくしていることはみんなもわかっているはずですし、無理をさせてまで一緒にいたいとは考えていないでしょう。
だからせめてもう一度超さんに会って彼女の真意を聞くまではタイムマシンの使用を控えてみてもいいんじゃないですか?」
「うぅん、そうですね。皆さんをがっかりさせるのは申し訳ないですけど」
「まぁちっともったいない気もするが、それが妥当かもしれねぇな」
「冷静になって考えてみれば大まかな原理すらわからないものをそう簡単に使うべきではなかったかもしれません」
三者三様の反応で納得している二人と一匹を見ながら横島と夕映は気づかれないように頷き合った。
超が何のためにネギにタイムマシンを渡したのか不明な以上、あまり積極的にタイムマシンを使ってほしくないというのが本当の所だ。
いずれにせよ超の動向の一部をつかんだことには変わりないので美神に連絡しておくべきかと横島が考えていると、
テーブルからネギの肩に駆け上がってきたカモが何かを思い出した様子で両方の前足を器用にポンと打った。
「そうそう、なんかいろいろあってすっかり忘れちまってたが、そもそも俺っち兄貴に話があったんだった」
「話?それってどんな?」
「ほら、今日の夜に予選があるって言ってたろ。例の格闘大会」
「え?ああそれ・・・うん、そうみたいだね」
カモの呼び掛けに答えながら、ネギは懐からチラシのような物を取り出した。
鼻の頭にかけた小さなメガネを指先で押さえながら読み始める。
何となく気になって横島もネギの肩越しにちらりと視線を向けてみた。
そこには中央部分にどでかくまほら武道会と書かれていた。軽く流し見ただけでも印象に残るほど色合いやレイアウトが強く自己主張している。
「まほら武道会?なんだそりゃお前そんなもんに出んの?」
目の前にいる少年が見た目に反して妙に武闘派・・・というか好戦的・・・というと意味合いが違うが、
とにかくあちら側の世界にいる知人のツリ目マザコンとなんとなく波長が合いそうなことを思い出した横島は呆れ半分でそう聞いた。
「はい一応。最初は出るつもりなかったんですけど小太郎君に誘われたりマスターからも出場するように言われたり、いろいろありまして」
軽く頬をかきながらネギは苦笑を浮かべた。どうやら彼には彼なりの事情があるようだ。
横島はふぅんと相槌を打ってネギから一歩離れた。率直に言えばそこらの事情には大して興味がわかない。
美人のねーちゃんが水着でキャットファイトするというのならともかく、
常識的に考えれば格闘大会などという汗臭そうな大会に出てくるのは筋骨隆々のむさくるしい男どもだろう。
そんな連中の殴り合いなど見たいとは微塵も思わなかった。
まぁ余程暇だったら散歩のついでに顔を出すくらいはしてみてもいいかもしれないが・・・。
などと横島が考えていると、突然ネギが名案を思いついたとでもいうように瞳を輝かせた。
「そうだ、横島さんも一緒に出ませんか?武道会」
「は?なんで俺が」
「ほら横島さんはかなりの実力者ですし、優勝だって狙えるかもしれませんよ」
「あほか、仕事でもないのに何が悲しくて自分から痛い目にあいに行かなきゃならんのだ。それに優勝つってもどうせ大したメリットもないんだろ?」
こちらの力量に対して何やらネギが勘違いしているのはどうでもいいとして、
そのまほら武道会とやらがどの程度の規模なのかは知らないが、所詮は学園祭の出し物に過ぎない。
優勝賞品もせいぜい学園都市内で使える食券が一か月分とかその程度だろう。そんなもののために殴り合いをしなければならないほど血の気は多くなかった。
「いや、ところが今回はそうでもないみたいだぜ横島の兄さん」
渋面を作りながらネギの提案を拒否した横島に不敵な笑みを浮かべたカモが待ったをかけた。
「あん?どういう意味だ?」
「たしかに去年までは学園内の格闘関係者が各々企画してたせいで一部の例外を除いて小規模な大会がいくつかあっただけらしいんだが、
今年からそいつを一つにまとめた立役者がいるらしくてな、優勝賞金も相応にでかくなっててその額なんと一千万円」
「い、一千万!?」
思いもしなかった大金を提示されて横島は目を丸くした。
どこの誰が企画したものなのか知らないが、素人がやる学園祭の一企画にしては賞金の額が大きすぎる。
それだけ大規模な大会なら会場設営や運営にも材料費や人件費が大量にかかるだろうし、宣伝効果を当てにした投資と考えても元が取れるか怪しいものだ。
それとも大会の運営をしているものの中に優秀な人材がいて複数の企業がスポンサーについたのだろうか?
麻帆良の学園祭が一般的なそれとは一線を画すほどの規模であることを考えればありえない話ではないかもしれない。
横島がそう言うとカモは短い指を口元で振りながらあっさりと否定した。
「いいや有名企業がスポンサーについたわけじゃねぇ。大会を企画し大量の資金を投入して実現にこぎつけたのは一個人だ」
「なんじゃそりゃ、どこの金持ちがそんな事・・・」
口に出しながら一瞬ネギのクラスの財閥令嬢が頭をよぎったが、そんな横島の予想は外れていた。
「超鈴音」
「・・・へ?」
「まほら武道会の発起人は超鈴音らしい」
動物にしては表情豊かにそう言ってカモはネギの肩からテーブルの上に降りた。
そしてどこからか煙草を一本取り出すと口にくわえ、今時珍しいマッチを擦って火をつけ、うまそうに紫煙をくゆらせている。
一般的に見れば愛くるしい姿をしている小動物のオヤジ臭い仕草に内心辟易しながら横島はカモに質問した。
「その話マジなのか?マジでそのまほら武道会ってのに超ちゃんが関わってんの?」
「俺っちが調べたところじゃそうらしいぜ。なんでも二十年位前に開催したきり廃れちまってた武道会を復活させて学園祭の目玉イベントにするんだと。
宣伝の方も大々的にやっててこの分じゃ、出場者もかなりの人数になるんじゃねぇか」
麻帆良は血気盛んな連中がわんさかいるからなぁ、そう言いながらカモはくわえタバコを揺らしながら笑った。
横島はそんなカモから視線を外して溜息をついた。どういうつもりか知らないがはっきり言って超の行動は意味不明だ。
貴重品であるはずのタイムマシンを無関係の人間にあっさり譲渡したかと思えば、大金を出資して格闘大会なんてものを開こうとしている。
行動に一貫性が見出せず予測がつかない。
超の考えが読めないのは単に情報が不足しているだけかと思ったが、どうやらそんな単純な話ではないらしい。
「どう思う?」
横島は隣にいる夕映に小声で話しかけた。
「・・・分かりません。武道大会自体に何か意味があるのか、それとも本命の計画を実行するための囮か・・・」
「陽動ってことか?まぁ結構大きなイベントみたいだし目立つっちゃ目立つんだろうが、ちっと派手過ぎじゃないか?」
「どういう意味です?」
「いや、だって今のところ超ちゃんの素性とか目的を知ってそうなのって俺達くらいだろ?
俺たち相手にこんな大掛かりな仕掛けを用意するとは思えんし、かえって怪しまれるだけじゃないか?」
「それは・・・」
眉間にしわを寄せたまま夕映は言葉を飲み込んだ。唇の先をほんの少しとがらせて熟考しているようだ。
横島は夕映の横顔を見ながら似たような表情で黙り込んだ。
そんな調子で二人そろって思い悩んでいると、どことなくにやついた笑みを浮かべたカモが夕映に話しかけてきた。
「なぁ、夕映っち。ちょいと質問していいかい?」
「・・・なんです?」
カモの口調になんとなく嫌なものを感じたのか夕映が若干警戒の色をにじませている。
「いやね、兄貴の誤解を解くのに忙しかったんで今まで聞けなかったんだが、なんで横島の兄さんと一緒にいるんだい?」
「・・・?」
「いや、だからさ、見たところ今さっき合流したって感じでもねぇんだろ?ってことはひょっとして二人で学園祭デートってやつを楽しんでたのかってな」
「んなぁ!!」
夕映の表情がカモの言葉で引き攣ったように硬直する。
ほんのりと紅潮した頬の下でわなわなと唇が震えて、突き付けた人差し指が明後日の方向を示してまったく狙いが定まっていない。
そんな夕映の態度から確信を深めたのかカモの口角がにゅっと吊り上がっていく。
「なぁぁるほどなぁ、やっぱり噂は本当だったってことかい。親友のデートの裏で自分もよろしくやってたと」
カモがしたり顔でそんな事を言いつつ腕組している。
夕映は荒い呼吸を何とか整えると勢いよくカモに詰め寄っていった。
「な、な、な、何を言ってるですか!!私と横島さんはそんなんじゃ・・・」
「べつに隠すこたぁないだろ?悪いことやってるわけじゃないんだからよ。何なら今度は兄貴とのどかの嬢ちゃんも誘ってダブルデートでもすりゃいいじゃないか」
「ぐぬぬぬぬ」
もはや酔っ払いのオヤジが若い子に絡んで悦に入っているようなカモと、
その姿を悔し気に睨みつけている夕映を見ながら横島はそっと溜息をついた。放っておくのも後が怖いので仲裁に入ることにする。
「おいおっさん。自分に浮いた話の一つもないからって僻むなよ。みっともねぇ」
「なっ!なんだと!!こう見えても俺っちの女性遍歴は・・・」
「いや、別におっさんがどのハムスターと付き合ってたとか興味ないし」
「は、ハムスター?ハムスターだと!?オコジョ妖精の俺っちに、言うに事欠いてハム野郎がとっとこしただとぉ!!」
「いや知らねぇよ。つかほんとに酔ってんのか?」
関わり合いになりたくないばかりにおざなりな仲裁をしたせいで何かがカモの逆鱗に触れたらしい。
地団駄を踏みながら唾を飛ばし、刻一刻とオヤジ妖精が面倒くさくなっていく。もはや直視するのも嫌なので横島は首を傾けて空を見上げた。
するとそんなこちらの態度がますます気に障ったらしく、カモは怒り心頭な様子で怒鳴り声をあげた。
「そんなん言うなら横島の兄さん!!あんたはいったいどうなんでぇ!!
あんたこそ生まれてこの方一度だって女に縁があったようには見えねぇぞ!!」
「ふっ、まぁたしかにそうだな。ちょっと前までの俺がそのセリフを聞いていたら、貴様の生皮をはがして油をそぎ落とし、
丁寧に水洗いしたうえでミョウバンなどを加えたなめし液に浸し、一週間ほどたってから日陰で乾かしつつ石でたたいてなめし皮を作り、
襟巻なんかに加工して女の子にプレゼントしてやるくらいには激怒していただろうが・・・」
「ぐ、具体的になんちゅう恐ろしい事を・・・」
「ちなみにプレゼントした後で原材料を報告してごみ箱に捨てられるまでが貴様の末路や」
「追い打ちがえげつないぞこんちくしょう!!」
真顔でここまで言ってのけた横島に戦慄した様子でカモが震えている。
さすがに脅し過ぎたかと・・・まぁ大して反省はしないで横島は言葉を続けた。
「だがな今の俺はそんな誹謗中傷なぞ屁とも思わん。なぜならちょっと前まで俺には美人の彼女がおったからな!!」
親指を立てて己を示しながら横島は小鼻を膨らませてニカリっとわざとらしい笑みを浮かべた。
はたから見たら確実に気味悪がられる表情で勝利の余韻に浸る。
そんな調子でしばらく勝利者の余裕を見せつけていた横島だったが、ふとなにやら周囲に違和感を覚えた。
意外な事実を聞かされたはずの一同は一様に動揺を露わに・・・してはいなかった。
何やら気まずそうに互いを見やり、どうすればいいかわからないといった様子で押し黙っている。
「お、おいなんやその態度は」
「だってなぁ・・・」
「えっと・・・」
「その・・・」
訝し気なこちらの問いかけに言葉尻を濁していたネギたちだったが、やがて仕方なくといった様子でカモが代表して口を開いた。
「いや、なんかさ百パーセント嘘だってわかる見栄を聞かされると馬鹿にしたくなるよりも悲しくなるんだなって」
「なんで嘘だと決めつける!!全部ほんとの事や!!」
「えっ!本気で言ってたのか!?ま、まさか横島の兄さん、女にもてなさ過ぎて幻覚を見るようになっちまってるんじゃ・・・」
横島の心からの言葉はしかし相手には全く届かなかったらしい。
こちらを信じるどころか危険な薬物に手を出しているのではないかなどと、事実無根な妄想を真剣に話し始めた一同に横島の怒りが限界に達した。
「こんハム吉妖精がぁぁあ!!もはや貴様なんぞ加工製品にするまでもない!!直接土に返してやるぅぅぅ!!」
「うわぁぁぁ!!に、逃げるぞネギの兄貴!!」
「え!?あ、わ、わかった。横島さんよかったら格闘大会見に来てくださいねぇぇぇ!」
「そ、それじゃ、私も失礼します!」
目の端が眉毛に届かんばかりに吊り上がるほど激怒している横島の剣幕に、ネギたちが脱兎の如く逃げ出していく。
見事な足さばきで人込みを避けつつ一瞬で視界から消えた。
横島は彼らがいなくなった方角を睨みつけ、一度舌打ちをしてから何度か深呼吸を繰り返した。いつまでもくだらないことで怒っているのも馬鹿らしい。
とりあえず今度あのおっさん妖精にあったら首をキュッとひねってやると心に誓いながら横島は隣にいる夕映に顔を向けた。
「・・・・・・・・」
彼女は何故かぼうっとしたまま考え事をしているようだった。
「・・・夕映ちゃん?」
様子がおかしい夕映に横島が戸惑っていると、彼女は表情を変えないままポツリと呟いた。
「横島さんの彼女ってどんな人だったですか?」
「へ?」
横島は思わず夕映の顔を凝視して間の抜けた声をあげた。予想もしていない角度から投げかけられた質問に思考が空回りする。
歯車がかみ合わず無限に空転している状態は、突然我に返った夕映が慌てて言葉を掛けるまで続いた。
「い、いえその違うです私は別に横島さんの彼女がどういう女性だったのか知りたいわけではなくてですね
ただ横島さんがその女性とどのような交際をしていたのか興味があるわけでもなくあくまで一般的な統計として情報を収集しようとしたわけでして
もしこれからのどかとネギ先生が交際することになったとしたらのどかの相談に乗る際にも何かと役に立つのではないかと愚考した次第で
もちろん横島さんが答えたくないというなら答える必要はないのですけれども」
ものすごい早口で言葉を発しながら夕映はリンゴのように顔を赤くしていた。
これだけ一気にまくし立ててよくもまぁ舌をかまないものだと感心するが、それも時間の問題な気がする。
横島はとにかく夕映を落ち着かせようと両手をあげて制止した。
「ス、ストップ!夕映ちゃん一旦落ち着いてくれ」
「え!?い、いえでもそのあのこれはべつに私はあのえと」
「わ、分かったから。とにかく統計がどうのってやつなんだろ?参考になるかは知らんがちゃんと話すからさ」
「は・・・はい、すみません」
恐縮したように項垂れる夕映の後頭部を見ながら、横島はさて妙なことになったぞと苦笑した。
夕映を落ち着かせるために彼女の質問に答えることを了承してしまったが、
改まって他人に話したことなどないせいかうまい言葉が浮かんでこない。
それでも話すといった手前いつまでも黙っているわけにいかず、横島は久しぶりに『彼女』の姿を出来るだけ鮮明に思い出していた。
そして語りだす。自分の中に今も眠っている『彼女』のことを・・・。
「俺の彼女はだな・・・」
「・・・はい」
固唾を呑んでこちらの言葉を待っている夕映に横島は重々しく告げた。
「尻がよかった」
「・・・・・・・・・え?」
頭の中に思い描いた『彼女』は相変わらずいい尻をしていた。
真面目な表情でそう言い切った横島に夕映は目を丸くした。
「・・・えっと、あの・・・」
「背中から尻にかけてのラインが驚くほど芸術的でやな。こう一目見ただけでわかるほどプリっとしとって思わずむしゃぶりつきたくなる感じやった」
そう、下からのアングルで見上げたらおそらくご飯三杯はいけるだろう。それほどあの曲線は美しかった。
「太ももも最高やったなぁ。細すぎず太すぎずムチムチしとってハリがあってだなぁ。まぁ、胸はなかったけど」
「・・・は、はぁそうですか。でもその私が聞きたいのはそういう事ではなく・・・」
「顔はお姉さま系の美人やったんやが、たまに年下の女の子みたいに可愛い時もあってだな。
基本的にコスプレしとる時がデフォだったんだが、その分地味な普段着でもかえって魅力的というか。あと、胸はなかった・・・」
「横島さん。これはあくまで私見ではなく一般論ですけど、
身体の一部分をあえて強調するような表現の仕方は一定の女性に殺意を抱かせるには十分ですので気を付けたほうがいいですよ」
「あ、はい。なんかすんません」
地面に置いてあった金属バットが収納してあるケースを何故か手元に引き寄せて夕映は優しく微笑んでいた。
横島は背筋に冷たいものを感じながらゴクリとつばを飲み込んだ。
「私が聞きたかったのはその・・・彼女がどんな性格をしていたとか、人柄とかそういう事です」
「はぁ、そんなんでいいのか?えっと・・・」
夕映にそう言われて横島は頭に浮かんできたことを素直に話すことにした。
「う~ん。なんちゅうか普通に真面目というか常識的な奴だったな。たまに妙に暴走する時もあったけど」
「暴走・・・ですか?」
「ああ。一途っつうか思い込みが激しいというか。一回その性格のせいでベス・・・ええと姉妹でシャレにならんレベルの喧嘩をしたことがあってな」
「ふむ」
「まぁ生い立ちとか生活環境とか結構特殊な奴だったんで、今思えばそこらへんも関係しとったのかもしれんが」
「なるほど」
「あとは・・・そうだななんて言えばいいかな・・・」
思ったことをつらつらと話しているだけなので当然スムーズに言葉が浮かんでくるわけではない。
もともとこういったことに対して弁が立つような人間ではないので、このくらいで勘弁してもらおうかと横島が考えていたその時、夕映が真剣な目をして質問してきた。
「横島さんは彼女をどう思っていたんですか?」
「へ?どうって?」
「た、例えばその・・・す、好きだったとか。あ、愛してたとか・・・」
「あ、あいいいぃいい!?」
俯き、顔を真っ赤にしながら蚊の鳴くような声で夕映はそんな事を言ってきた。
横島の思考が再びクルクルと空回りする。なんというかあまりにド直球な質問だ。
好きだの愛だのそんなもの、当時の自分だって真面目に考えたことはなかったのに・・・。
苦笑してその事を夕映に伝えようとしたところで・・・ふとあることに気が付いた。
(そうか・・・そういやそうだった・・・)
自分は彼女に対してやらせてくれだのなんだの、そんな事ばかり言っていて肝心の・・・自分の気持ちを一度も話したことがなかった。
彼女を大切に思っていたことは事実だ。
そうでなければ、世界を改変しようとするほど強大な力を持った魔神と戦うことなんてできはしない。
それでも彼女の気持ちに対して本気で真正面から向き合ったのかと問われれば、たぶんそんなことはなかった。
夕映に言われて思い出した。彼女を失った時にも感じた思い。
吹っ切ったつもりでいても、こういうきっかけですぐに胸の奥から湧き上がってくる。
これは・・・この感情は・・・間違いなく・・・自分にとっての・・・。
「横島さん!!」
「え?」
強く肩を揺さぶられて横島は我に返った。
目の前で何やら心配そうな表情を浮かべて夕映がこちらの様子をうかがっている。
「大丈夫ですか?」
「えっと・・・なにが?」
「なにがって・・・さっきから何度も呼んでるのに突然黙ったまま動かなくなったから・・・」
「あ・・・そ、そう?わるい、なんか考え事してて・・・」
愛想笑いで誤魔化すように横島はそう言った。
そんなつもりはなかったのだが、いつの間にか夕映の呼びかけに反応できないほど物思いにふけっていたらしい。
今もなお胸の中でざわめいている感情を自制しながら、こんなのは自分のキャラではないと自嘲する。
どうにかしていつもの調子を取り戻そうと四苦八苦している横島に、夕映が怪訝そうな表情を浮かべていた。
そんな彼女に大したことではないからと告げて横島はワイシャツの首元を緩めた。
どうもすぐには冷静になれそうもない。ここは彼女の追及を受ける前に離脱した方がいいかもしれない。
そう判断して横島は少し無理のある苦笑を浮かべながら夕映に話しかけた。
「えーと、すまん夕映ちゃん。今日はこれくらいで解散しないか?
ほら、夕映ちゃんも日課の魔法の訓練があるし、俺もネギたちの話を美神さんに報告しなけりゃならんからさ」
「え?あ、はいそれは・・・そうですけど・・・」
唐突な発言に多少の無理を感じたのだろう。夕映はすっきりしない様子だった。
それでも提案自体は一応妥当であると感じたのか、結局は何も言わずにこちらの言い分を受け入れてくれた。
そんな彼女に心の中で感謝しつつ横島はとりあえずホッと胸をなでおろした。
最後に明日も予定がなかったら闘技大会にネギの応援をしに行くと約束を交わしながら二人は椅子から立ち上がった。
互いに手を振りながら別れる。
一人になったとたん、もやもやとしたものが胸の奥を支配しそうになって横島は強く頭を振った。
出来れば熱いシャワーでも浴びたい気分だった。いやこのうだるような天気の中では水風呂にでも飛び込んだ方が具合がいいか。
そんな風に余計なことを考えないようにくだらないことで頭の容量を埋めながら、横島はとぼとぼと美神たちのもとに帰っていった。