「あっ・・・落としましたよ・・・」
思わずといった様子で小さく声を掛ける。
視線の先で、今しがた横を通り過ぎていった高校生くらいの青年が、ポロリと何かを落としていった。
コンクリートの路面に、ケースに入れられた新品の歯ブラシが一つ置き去りになっている。
一定間隔で立ち並ぶ街路樹が、規則正しい光と影のコントラストを描いていた。
その隙間、木漏れ日に照らされてプラスチックがきらりと光を反射させている。
実を言えば、すれ違う前から気にはなっていたのだ。
買い物帰りなのか、些か乱暴に扱っていたコンビニの袋から、荷物が落っこちてしまいそうだなと。
なんとなく気にしながら、横を歩いていく青年に視線を向けていたのだが、案の定自分の心配は的中してしまった。
しかし、本人はまったく気付いていないのか、振り返りもせずにすたすたと歩き去ろうとしている。
だから、咄嗟に彼を呼び止めていた。条件反射みたいなものだ。
意識してそうしたわけではなく、ただ注意を払っていた事柄に対して反応してしまっただけ。
そんな行為が無駄でしかない事を思い出したのは、言葉を発した後だった。
自覚すると同時に、軽い後悔と憂鬱が胸のうちに溜まっていく。
沈んでいく気分と共に、自然と頭も下がっていった。
そう・・・意味のない事なのだ、これは。
落し物をした人に親切心から声をかける。そんなごくあたりまえの行為が自分にとっては徒労でしかない。
それは声が小さくて聞こえないからなどといった、常識的な理由ではなく、
もっと根本的に、その行為自体が無意味なのだった。
自分はそれをよく知っていたはずなのに・・・・・。
考えたくない事を、また思い出してしまったというように、表情を暗くする。
一つだけ弱々しい溜め息を零した。
そして、声を掛けた青年のほうを見ることもなく、ゆっくりと背中を向けてその場を去ろうとする。
・・・・・・その時だった。
「ん?あ、本当だ。ありがとな。全然気付かなかった」
「・・・・・・・・・・・・・えっ?」
そんな感謝の言葉が聞こえてきた。
青年はくるりと振り返り、地面に落ちていた歯ブラシを拾い上げ、
こちらに向かって笑顔を向けながら、礼の言葉を口にした。
どこか人好きのする笑顔でこっちを見ている。
ガサガサと音を立てながら、拾った歯ブラシをビニール袋にしまいこんでいた。
一瞬何かの間違いではないかという考えが頭をよぎった。
自分の勘違いかもしれない。そう思い、何度も何度も周りを見渡す。
前後左右、ありえないとは分かっていても、上下にまで鋭い視線を向ける。
そうして周囲に自分以外の人影がないか、入念に確認し終わった後で、ようやくおそるおそる自分の顔を指差した。
「うん?」
何をしているのか、とでも言いたげに青年は首をかしげている。
互いが互いに向き直り、まっすぐ視線を合わせた。
礼を言われた自分と、礼を言った青年。
当たり前のようにお互いを”認識”しあっている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
無言の時間が流れる。
それから二人はしばらくの間、なぜかじっと見つめあっていた。
◇◆◇
「・・・・・ってわけなんだよ」
「・・・・・そうなんです」
室内においてあるコタツの前で胡坐をかきながら、横島は目の前で渋面を作っているジークに説明した。
もぞもぞと足の位置を置き換えながら、居心地悪そうに頬をかく。
前方から感じられる無言のプレッシャーに耐えかねて、
視線をコタツ用の掛け布団の上に落としながら、ぼんやりと考える。
いい加減これも、片付けてしまわなければならない。
なんとなく膝に掛かっている僅かな重みの感触が好きだったので、今まで放置していたのだが、
これから気温も上昇し、ますます暑くなってくるはずだ。鬱陶しくなる前に押入れの中に仕舞っておくべきだろう。
そんな風に思考をあさっての方向に飛ばしながら、頑なにジークと目を合わす事を拒否していた横島だったが、
腕を組みながら苛々と眉間の皺を深くしていく彼に、次第に落ち着きをなくしていった。
「・・・・・つまり」
一応こちらの説明を黙って最後まで聞いていたジークが、重々しく口を開いた。
冷徹な眼差しで、横島とその隣にいる人物に向かって視線を行き来させている。
普段よりも一段階は低い声が、彼の機嫌の悪さを表しているようだった。
「君は言葉巧みに彼女を自分の部屋まで誘導したという事か。
・・・・・悪いがこの事はありのまま美神令子に報告させてもらう。
情状酌量の余地はないものと思っていたほうがいいぞ」
「ちょっと待てい!」
何処からか取り出した報告書になにやら書き込み始めたジークを止めるべく、横島は慌てて彼を制止した。
「人聞きが悪すぎるだろ。ちゃんと話を聞いてたのかお前は!」
「事実は事実だ。それに話を聞かないのはお互い様だろう。
何度も言っているが我々はこっちに遊びに来ているわけではないんだぞ。
現地の人間とは極力接触を控えるべきだというのに、君ときたら・・・・・」
「だからこの間のは不可抗力だって言っとるだろーが!」
「先週末の事もか?なぜ神楽坂明日菜達がわざわざ食事など作りに来るんだ?」
「それはっ・・・いや、お前は知らんのだろーが、ちょっと前によんどころない事情があって食事会が失敗しちまったから、
そのリベンジがどーたらこーたら・・・」
「君たちが食事をしている間中、ずっと押入れの中に隠れていなければならなかったんだぞっ、こっちは!」
「んなもんてめーが勝手に隠れたんだろーが!いやなら出てくりゃよかったじゃねーか!」
「そうはいかない。幸いな事に彼女達は私の存在まで気付いていないようなのだからな。用心に越した事はないだろう。
だから君がしっかりと現状を認識してだな」
「お前そんな事言ってるけど、あの後自分も飯食ったの忘れてねーだろうな。
うまいうまい言いながら、残ったやつ全部独り占めしやがって」
互いに険しい表情で顔を突き合わせ、目尻の角度を急上昇させながら、相手を言い負かそうと文句を言い合う。
別に今に始まったわけではないが、ジークはこちらの行動をいちいち制限しすぎていると思う。
任務が任務だ。
横島もある程度の不自由は仕方がないとあきらめているが、
事あるごとに美神へ告げ口すると脅しを掛けられるのでは、たまったものではない。
ここらで一つ、いつまでも言いなりのままではいないのだと、釘をさしておくべきだろう。
指の関節をぽきりと鳴らせながら、目一杯肺に息を溜め込む。
そして思いつく限りの言葉で抗議しようと、机の上に両手を叩きつけようとした所で、自分の隣にいる少女が大きな声を上げた。
「あっ、あのっ!」
発声練習に失敗したような甲高い声が狭い室内に響き渡る。
何かに祈りを捧げるように両手を組み合わせながら、横島達に潤んだ瞳を向けていた。
「けっ、喧嘩しないでください・・・その・・・私が悪いなら、謝りますから」
気弱な態度で、それでも自分の意見を通そうとしている姿は、どこか健気に映る。
客を前にして身内で言い争いを始めた自分達が、とたんに恥ずかしくなってしまった。
横島は一度、目の前にいるジークと視線を合わせ、ばつが悪そうに頭をかいた。
当人達にしてみれば、本当に喧嘩をしているといった意識は、ほとんどなかったのだが。
この程度の言い合いは日常茶飯事といえる。
「いや、えっと、・・・すんません」
「・・・すまない。どうやら熱くなっていたようだ」
それでも、客をないがしろにしていた事は事実なので、二人は喧嘩を仲裁した彼女に、揃って素直に頭を下げた。
少女はそんな二人の謝罪に恐縮したのか、目線を下に向けて、顔を俯かせている。
落ち着かない様子で両肩を落として、こじんまりと縮こまっていた。
なんとなく所在なげに見えているのは、この場所に慣れていないからなのだろう。
何しろまだお互いの名前さえ知らない。
買い物帰りに荷物を落としたことを指摘され、その事に礼を言ってそのまま帰宅しようとした横島の後を、何故か彼女がついてきたのだ。
疑問符を浮かべながら自宅にたどり着いた横島だったが、
玄関の前で、それでも帰ろうとしない少女の姿を見て、よく分からないまま部屋に上げた。
そんな事情を知る由もないジークは、押入れに隠れることもままならず、室内に入ってきた彼女にあっさりと見つかってしまった。
驚きの表情を浮かべ、一体どういうことなのかと説明を求めてきたジークだったが、
そう言われても、何故彼女が自分にくっついてきたのか、横島にもまったく心当たりがない。
なので、事の成り行きをそのまま話すしかなかった。
・・・・・まぁ、当然というべきか、彼には納得してもらえなかったわけだが。
「とにかく、まずは自己紹介からだな。俺は横島、横島忠夫。で、こっちの無愛想なのが・・・」
「・・・・・ジークフリート。ジークと呼んでくれ」
いつまでも無言のまま顔を突き合わせているわけにもいかないので、
横島はこのおとなしそうな少女を怯えさせないように、なるべく柔和な表情を心がけつつ、意識して笑顔を作り上げた。
・・・・・僅かに口元が引きつっているような気がしないでもないが、無視する方向で話を進める事にする。
こちらが気を使っていることが分かったのかもしれない。
少女は俯いていた顔を上げて、恥ずかしそうにしながら、横島達に向き直り姿勢を正した。
「わ、私は・・・相坂さよと言います。その・・・幽霊・・・やってます」
ふわりと浮かんだまま、物理的に透けて見える体を折り曲げて、丁寧な挨拶をしてくる。
どこか古めかしさを感じさせる制服姿で、少しだけ下がって見える目元が、優しげな、あるいは奥手な印象を与えていた。
綺麗に整えられた腰まである長い髪は、見事な白髪で、瞳の色は淡い赤色をしている。
色合い的なものか彼女自身の仕草から感じられるものなのか、なんとなく小さなウサギの姿が連想された。
ぺこりとお辞儀した後、こちらの顔をじっと見つめて、様子を伺っているようだ。
警戒心・・・といっては大げさかもしれないが、見知らぬ人間の前で緊張しているように見えるのは、ごく当たり前の反応だろう。
(・・・・・幽霊か)
横島は頭の中でポツリとその単語を呟いた。
こちらの世界で見るのは初めてだったが、むこうの世界では日常的に相手をしていた存在だ。
仕事でもそうであったし、プライベートでも色々と関わりを持っていた。
だから一般的には、十分超常現象の類なのだろうが、今更驚きはしなかった。
仕事柄そのような存在には慣れてしまっているし、目の前にいる少女は、普段相手をしている奴等のように恐ろしい姿もしていない
美神除霊事務所の近所にいる浮遊霊達に雰囲気が似ている気がした。
態度や仕草がいちいち人間臭いのである。
出会ったばかりの頃の、おキヌの姿が頭の中で浮かんできていた。
そのまま彼女と初めて会った時の事を思い出しかけて、そんな事をしている場合ではないと
過去に飛んでいってしまいそうだった意識を元に戻す。
今はとにかく、さよと名乗ったこの少女に聞かなければならないことがあった。
「えっと・・・さよちゃん。ちょっと聞いていいかな?」
一応、全員の挨拶が終わった頃を見計らって、横島はどうしても気になっていた事を彼女に質問することにした。
「はっ、はい、なんでしょうか」
さよは、こころもち強張ってしまっている表情で返事してくる。
どうも自己紹介した程度では、緊張がほぐれていない様子だった。
これは言葉を選んで事情を聞く必要がありそうだと、横島は気を引き締めることにした。
「あのさ、何で俺についてきたんだ?君とは・・・その、顔見知りってわけでもないし」
間違いなく彼女とは今日が初対面のはずである。
むこうの世界でならいざ知らず、こっちに来てからの知り合いは、そう多くはないのだ。
これが男だというなら、忘却していたという可能性もあるのかもしれないが、
彼女は幽霊とはいえ、美少女なのだ。
一度見たなら忘れるはずがない。
その事について、横島は自分の記憶力を信用していた。
「あ、あの、その、あの」
その質問が自分を疑っているように感じたのか、彼女は何か言おうと必死になっている。
だが、とっさに都合のいい弁解の言葉が出てこなかったのか、無意味に口を開閉していた。
その様子を見て、誤解させてしまったかと、内心で舌打ちする。
横島は慌てて彼女を落ち着かせようとした。
「い、いや、ちょっと待ってくれ。別に迷惑とかじゃなくて単純に理由が聞きたいだけだから」
「はっ、はい」
幽霊である彼女はそもそも息をしていないので、その行為にどの程度の意味があるのか知らないが、
何回も深呼吸して、冷静さを取り戻そうとしているようだった。
瞳を閉じて肩を僅かに上下させながら、胸に手を当てている。
やがて、そんな事を繰り返しているうちに、緊張もほぐれていったのか、さよは遠慮がちに口を開いた。
「・・・・・・・・・」
ぼそぼそとよく聞き取れない声で何かを話している。
目元を隠すように前髪が垂れ下がり、表情がよく見えない。
一見してみると独り言を言っているようでもある。少なくとも相手に聞かせるような声量ではない。
それでも何とかその呟きを聞くために、横島は耳をそばだたせながら、上半身を彼女に近づけた。
「・・・・・気付いてもらえたから」
僅かにそれだけが横島の耳に入ってきた。
「・・・え?」
思わず疑問を声に出していた。
気付いてもらえたから・・・・・確かにそう聞こえた。
こちらが必要以上に接近していたのを見て取った彼女が、慌てて距離をとっている。
「気付いてもらえたって・・・何に?」
「えっと、その・・・私にです」
「さよちゃんに?」
「はい」
部屋の隅っこにぺたりと正座しながら、こくんと頷く。
なんとなく可愛らしいその姿を眺めて、横島はテーブルに置いてあったお茶で喉を潤した。
湯飲みを元の位置に戻しつつ、体勢を変えるために座りなおしながら、さよが言った事を考えてみる。
素直に受け取るなら、横島が彼女の存在を認識したためにここまでついてきた、という事になるだろう。
自分には当たり前のように見えていたので思いもしなかったが、考えてみれば彼女は幽霊なのだ。
霊能力がない人間には彼女の姿が見えていないとしても、まったくおかしくない。
そう考えてさよに尋ねてみると、どうやら横島の見込みは当たっているようだった。
どうも彼女は幽霊という性質上、何年も話し相手がいない事にずっと寂しい思いをしていたらしい。
幽霊になってからすでに六十年近くたっているのだが、ほとんど自分の存在を認識してはもらえないという事だった。
私、存在感がないって言うか、幽霊の才能がないので・・・。
そう儚げに微笑む彼女は確かに今にも消えてしまいそうに見えた。
「あの、勝手に憑いて来てごめんなさい。でも、その、私嬉しくって、つい」
「いや、それは別にいいんだけど」
今更彼女のような幽霊の一人や二人で驚くこともなかったので、
横島は申し訳なさそうにしているさよを安心させるために、意識して表情を和らげた。
そして自分でよければ、いつでも話し相手になるからと、軽い調子でそう言った。
その言葉を聞いたさよが嬉しそうに微笑む。
花が咲いたような笑顔は、出会ってからこっち、
俯き加減で暗い雰囲気を漂わせていた少女の印象を、180度変えるものだった。
こちらに近づきながら元の位置に戻ってきた彼女と、なんとなくお互いに見つめ合って笑顔を浮かべる。
そのままほのぼのとした空気で、室内が満たされようとしたその時、
今まで一言も喋らずに、ずっと押し黙ったまま、話を聞いていたジークが、困惑したように独り言を呟いた。
「・・・妙だな」
しかめっ面はわりといつもの事であったし、特に気にする事ではないのだが、
顎を撫でながら真剣に考え事をしている様子は、目を引かれる。
「何が?」
顔をジークがいる方向に向けて、覗き込みながら尋ねた。
魔力消費を抑えるために小型化している彼は、当然座布団との対比もおかしな事になっている。
長期的にこの世界に滞在する必要がある以上、
自分のサイズにあった家具の一つも用意しておけばいいと思うのだが、彼は頑なに拒否した。
どうもこの間、おキヌが持ってきた玩具の寝具が気に入らなかったらしい。
まぁ、見た感じ小さな女の子がおままごとで使うような、
フリルのついた少女趣味全開の物を持ってきた、おキヌもおキヌなのだが。
それを渡されたときのジークの反応を思い出し、くすりと笑いがこぼれそうになった。
そんな横島に気がつくこともなくジークは話を進める。
「こちらでも怨霊や悪霊といった類の存在は確認されている。
GSとは組織としての在り方が異なるが、退魔組織のようなものもある位だしな。
しかし彼女のように生前の意識のまま、まったく変質していない幽霊というのはおかしい」
「いや、別に変なことでもねーだろ。向こうにはいっぱいいるじゃんか。」
「横島君、忘れていないか?こっちには霊力が存在していないんだぞ。
霊的に未成熟といっていいこちら側で、自我崩壊もせずに六十年以上もの長い間、己を保ったままなんて事は・・・信じがたい」
ジークが疑いの眼差しで、さよに鋭い視線を向けている
そこそこ付き合いのある自分には、彼が悪意を持って彼女を見ている訳ではないと理解できているが、
初対面のさよにそんな事が分かるはずもない。
ただでさえ目つきがいいとはお世辞にも言えないジークの鋭い眼光に射竦められ、さよは可哀想なほど萎縮していた。
「おい、ジーク。とりあえずその怖い顔を何とかしろって。さよちゃんが怯えちまってるじゃねーか。
それにお前もこっちの事、全部分かってるわけじゃねーんだろ?
お前が知らないだけで、さよちゃんみたいな幽霊もいっぱいいるかもしれんだろが」
「む・・・それは・・・そうかもしれないが。
・・・・・すまない。どうも疑り深くなってしまっているようだ」
「い、いえ。だ、大丈夫です」
横島のとりなしを、しぶしぶ納得した様子のジークが、さよに頭を下げた。
まだ怖いのだろう。問題ないといいつつ、さよはジークと目を合わせることが出来ないでいるようだった。
もじもじと服の袖を引っ張って顔を上げられないでいる彼女に、横島が何か言葉を掛けてあげようとしたその時、
意外な事にさよの方から何かを話し始めた。途切れがちの小さな声だったが、今度はちゃんと聞き取る事ができた。
「・・・あ、あの。私からも質問していいでしょうか?」
「え?そりゃまぁいいけど・・・」
なんとなく彼女のほうから話しかけてくるとは思っていなかったので、言葉尻が跳ね上がった素っ頓狂な返事をしてしまった。
それでもそんな事はどうでもよかったのか、僅かに勢い込んだ調子で言葉を重ねてくる。
「さっき、ジークさんが言ってましたよね。神楽坂明日菜さん達が料理を作りにきたって。
あの、お二人は明日菜さんのお知り合いなんでしょうか?」
「えっと、一応知り合いだな。前にちょっとあって最近知り合ったんだが・・・
・・・ん、あれ?何でさよちゃんが明日菜ちゃんのことを知ってんだ?」
目の前の少女から、こちらの世界にいる数少ない知人の名前が出た事に、少しだけ驚きながら尋ねる
先週末、木乃香と刹那、ついでにネギやカモと一緒に、この部屋を訪ねてきた明日菜の顔が頭をよぎった。
確かに見た目は、明日菜とさよ、二人とも同じくらいの歳に見える。
実は友人同士でしたと言われても、あまり違和感はない。
・・・しかしそれは、彼女が生きていればという前提に立っていえる話なのだ。
いくら見た目の年齢が、同年代に見えていたとしても、実際は横島をはるかに越える年長者でもある。
彼女の正体が幽霊である事を鑑みても、二人がすでに知り合っているとは考えにくい。
それにさよ自身も言っていた。話し相手がいなくて寂しかったと。
やはり明日菜達に、さよの姿は見えていないはずだ。
とするならば、さよが一方的に明日菜を知っているという事になるのだろうか。
しかしそれはそれで、外見上の年齢くらいしか共通点が見当たらないのだが。
横島が首を捻っていると、さよが少しだけ明るい声で質問に答えた。
「私、明日菜さんとはクラスメイトなんです。
・・・・・・・一度も話したことはありませんけど」
前半部分は元気に言っていたのだが、余計に付け足した語尾で、自分自身を傷つけていた。
どんよりとした空気を放ってくる。
正直、幽霊がそれをやると、見ているこっちまでひんやりとしたように背筋が寒くなるので、できる事ならやめて欲しいのだが。
「クラスメイト?いや、ちょっと待ってくれ。こういっちゃなんだけど、幽霊がクラスメイトって何か・・・・・
・・・・・あれ?そこまでおかしいってわけでもないのか?」
横島の頭の中に、一瞬常識的な考えが浮かびそうになって、すぐさまそれが打ち消される。
よくよく思い返してみれば、元の世界にいる自分のクラスにも、机の妖怪がいたりする。
別段変でもないのかもしれない。
「そんなわけがないだろう。
前から言おうと思っていたが、君は自分の周りを一般的な基準と考えないほうがいいぞ。
・・・・・しかしまぁ、さよ君に関しては、クラスに在籍している時点で、
学校関係者が、彼女の存在を認識しているという事になるのだろうな」
横で話を聞いていたジークが、呆れたように言った。
聞けばクラス名簿にも、ちゃんと名前が記載されているとの話だった。
どういった経緯でそうなっているのか、彼女自身も詳しい事情はわからないのだそうだが。
「私、今年こそクラスのみんなとお友達になりたいと思っているんですけど・・・」
だがそれも、まず自分の存在をクラスメイトに認識してもらわなければ話が始まらない。
そのための方法に頭を悩ませている時、偶然に横島と出会ったという事らしい。
そんな話を聞けば、何とかしてあげたいと思うのが人情というものだ。
美神除霊事務所にある霊視ゴーグルでも持って来れば、おそらく霊感のない人間でもさよの姿を見る事は可能だろう。
・・・・・だが。
思わせぶりな視線をジークに向ける。
彼は横島を真っ向から見返し、難しい顔で首を振った。
さよ自身がどうこうといったわけではないだろうが、
学校関係者、おそらく魔法使いかそれに相応する何者かが彼女の存在を認識している以上、
余計な事をして、横島達の素性を知られると言った可能性もゼロではない。
うかつな行動は慎まなければならなかった。
「うーん、まぁそっちは俺も何とか方法を考えてみるよ。今すぐにどうこうは出来ないけどさ」
横島の言葉を聞いたさよが僅かに残念そうな表情を見せた。
しかし、今まで一人ぼっちだった事を思えば、普通に会話ができて、相談する相手がいるという現状はそう悪いものではない。
さよは柔らかい笑顔を向けて、改めてよろしくお願いしますと頭を下げた。
こちらこそと、軽く返礼した横島だったが、ジークは複雑そうな顔で口を開閉していた。
弱く唇を噛んで、何かを思い悩んでいた様子の彼だったが、結局何も言わない事にしたのか、深い溜め息と共にそれを飲み込んでいた。
そんな二人に、もの問いたげな視線を向けたさよが、もう一つだけ聞いていいですかと尋ねてきた。
「ジークさんは妖精さんですか?」
真面目な表情を浮かべ、真剣な眼差しを向けている。
どこか興奮しているように見えるのは、たぶんこちらの気のせいではない。
この様子では、最初から聞きたかったのではないだろうか。
慣れてしまえばどうという事ではないが、よくよく考えてみれば、こんな小人サイズの、
しかもまったく人間には見えない存在がいれば、事情を知らない者は間違いなく注目する。
確かにサイズだけを見れば妖精・・・・・で通じるかもしれない。
ジークの正体を知っている横島にしてみれば、そんな可愛いもんでもないよなと、思わず口元が引きつってしまうのだが。
・・・・・いや、そういえば妖精という存在自体、ろくでもないやつだったような・・・。
ふと頭の中で、事務所に勝手に住み着いている忌々しい姿が浮かんだ。
妖精かと問われた本人もなんと言って否定するべきかと苦慮しているようだ。
苦しい言い訳すら出来ずにいたジークだったが、何も思いつかなかったのか、
もごもごと口ごもりながら、何かをさよに頼んでいた。
ここに来る事については・・・まぁ、ある程度認めるとしても、我々の正体に関しては、なるべく詮索しないで欲しい。
そんな事を言いつつ曖昧な表情を浮かべているジークと、
こくりと頷きながら、それでも何かを期待しているように目を輝かせているさよに、
横島はやれやれと首を振るのだった。
◇◆◇
それからさよは、よく横島達を訪ねてくるようになった。
彼女は昼間、ちゃんと自分が所属している学校に行き、授業を受けている。
六十年以上も学生をやっているという事は、同じ内容の勉強を繰り返ししている事になるので、
嫌にならないかと不思議なのだが、彼女自身の性格と、賑やかな空間が好きという理由で真面目に登校しているらしい。
そういうわけで、横島と一緒に行動するのは、学校が終わってからの事だった。
放課後の時間帯、横島はたいてい近所をぶらぶらと歩き回っている。
建前上、この地に潜伏している上級魔族を探さなければならないので、調査の一環として周辺を調べ回っているのだ。
もっとも本人にやる気はほとんどないので、ただの散歩に成り下がっているのが現状といえる。
元の世界でも高校生をやっている横島は、この学園都市でも特に目立つ事なく行動できる。
異邦人として異世界で潜伏している身には、好都合なのだが、それにはいくつかの制限があった。
こちらに住んでからしばらくして気がついたのだが、まず朝から昼間にかけてはろくに外を出歩けない。
休日に限って言えばそうではないのだが、
平日に学校にも行かず、ぶらぶらと高校生がうろついていれば、間違いなく補導されてしまうだろう。
そうなってはこちらの活動に支障をきたす。
そのため、放課後の時間まで、家の中でじっとしていなければならなかった。
それに夜は夜で、あまり遅くまで外出していれば、今度は別の理由で同じ目にあってしまう。
よって、夜の活動にも注意が必要だ。
だから横島が怪しまれる事なく、周辺を調べられるのは、明け方から学校が始まるまでと、放課後から夜の時間帯だった。
そういったわけで、どうしても不規則な生活になってしまいがちなのだが、それは別に苦ではなかった。
GSの仕事で深夜まで起きている事などざらだったし、多少の無茶で体を壊すほど、自分の体はお上品には出来ていない。
問題なのは、むこうの世界と違って、急に出来てしまった空いた時間をどのようにして過ごすかといった、人によっては贅沢な悩みだった。
なにしろ給料が給料だ。必死になって働かなければ、普通に餓死してしまう生活を送っていたので、一ヶ月のほとんどをバイトに当てていた。
たまの休みには学校に行ったり、シロの散歩に無理やり連れて行かれたりしていたので、はっきり言って横島は、暇の潰し方があまりうまくない。
美神の所でバイトを始める前は、いろいろ遊び回ってはいたが、家で何かをするというよりは、ほとんど外を出歩いていた気がする。
なので謹慎処分を受けたかのような今の状態は、精神的につらいものがあった。
同居人のジークは基本無口で、一日中妙な装置でこちらの世界の情報を調べ回っている。
暇つぶしの相手にはならない。
だから横島にとっても、さよと知り合いになれた事は、ありがたい事なのだった。
◇◆◇
「ご飯・・・ですか?」
いつものように、放課後さよと合流した横島が、軽い調子で言った言葉に、彼女は小さく首をかしげた。
「ああ、朝倉和美って子知ってるだろ?その子が言ってたんだけど、何か学校の近くで屋台が出てるんだってさ。
彼女のクラスメートがやってるらしいんだけど・・・さよちゃんも知らないか?」
「あ、はい、知ってます。超さん達のお店ですよね?確か名前は・・・」
「超包子。中華の店らしいんだけど、安くてうまいって評判らしくってさ、一回行ってみようかと思ってたんだ」
あの南の島の一件以来、和美とはちょくちょく連絡を取りあっていた。
どうも最初は横島の正体に探りを入れている節があったので、それなりに警戒していたのだが、
今ではそんな事を気にしないでメールなんかをやり取りしている。
なんとなくお互い波長が合ったというか、横島にもよく分からないうちにそうなっていた。
「学校の近くなら、さよちゃんも一緒に来れるだろ?」
最近になって知ったのだが、さよは浮遊霊ではなく、地縛霊なのだそうだ。
活動できるのは学校周辺に限られるのだとか。
そのため、さよと会っている時の調査は、彼女の通う中学校の周辺に限られていた。
もっとも、探査装置と各所に配置されている中継器のおかげで、霊力反応があった場合、
即座に対処できるようにはなっているので、それでも別に支障はなかった。
もともと気休め程度の意味しかなかったので、横島にとっても気楽なものだ。
「はい、ご一緒します」
こくりとさよが頷いたのを確認し、目的の場所に向けて移動を開始した。
和美からのメールで、ある程度場所の見当はついていたので、迷う事無く歩みを進める。
温かな日差しに目を細めながら、さよと一緒に横断歩道を渡った。
ここ数日、快晴の日が続いたためか、ただ歩いているだけでも肌が汗ばんでくる。
時期的にはまだ早いはずだが、すっかり初夏の陽気になっていた。
(そういや夏物の服とか、あの部屋にあったっけか?なかったら取りに戻るか、新しく買わねーと・・・)
着の身着のままこちらの世界に送り込まれた横島は、その手の準備が一切出来ていない。
もともと服装にこだわるたちではないため、別段不自由を感じてもいなかったのだが、
そろそろいつもの格好ではきつくなり始めている。
(今度明日菜ちゃんか和美ちゃんにでも、服を買う場所聞いとくか)
金はジークに払わせればいいしな・・・。
そんな事を考えながら、テクテクと歩道を歩いていると、やがて目的の場所にたどり着いた。
ざわざわとした喧騒が、こちらの耳に届いてくる。
ちょっとした広さを持つ空間に、何人もの人間がひしめき合っていた。
野外に直接設置されているテーブルに数々の料理が並び、彼らはそこで賑やかに食事を取っている。
とうに昼の時間帯を回っているにもかかわらず、まったく人の波が途切れていない。
すみの方で一列に並んでいるのは、おそらく順番待ちをしている連中だろう。
人気のラーメン店でもあるまいに、凄まじい数の人間がおとなしく自分の番が来るのを待っていた。
「・・・・・なんだこりゃ」
思わず呆然とした言葉が横島の口から零れた。
和美から繁盛しているといった話は確かに聞いていた。だが、いくらなんでもこれは想像の範囲外だった。
テイクアウトした肉まんを咥えた二人組みの女の子が、楽しそうに談笑しながら、横島の脇を通り抜けていく。
どうやら席に着くのをあきらめて、買い食いをする事に決めたようだ。
よく見れば、似たような袋を抱えた人間があちこちに見られる。
席に着くための順番待ちとは別に、テイクアウト用に並ぶための場所があるようだった。
「これ、本当に中学生がやってる店なんか・・・?」
どう見てもただの屋台に集まる人数ではない。これはもう予約制が必要な規模ではないだろうか。
正直、従業員の数と客の総数が、まったくかみ合っているようには見えないのだが・・・。
「えっと、いつもはもうちょっと少ないですよ。でも、もうすぐ学園祭があるので」
幽霊であるのだからそこまで気にしなくてもいいはずなのだが
さよは通行人の邪魔にならないように、せわしなく体を動かしながら横島の呟きに答えた。
「本当は準備期間も、もうちょっと後なんですけど。予行演習なんでしょうか?学祭中も超さんのお店は凄い人気ですから」
「いや、それにしたって・・・」
明らかに全て埋まってしまっているテーブルに眉根を寄せる。
これから並んだのでは、自分の番が回ってくるまで、かなりの時間が掛かるはずだ。
うまい料理のために、昼食を抜いてきたのがあだになった。
はっきり言ってそんな悠長には待てないくらいに腹が減っている。口惜しいがここは日を改めるべきだろう。
もっとちゃんと和美に話を聞くべきだったかもしれない。がっくりと肩を落としながら、横島は残念そうに溜め息を零した。
しかし、そうと決めた以上、ここに立っていても通行の邪魔になるだけだ。
横島は、漂ってきた食欲を刺激される香りに未練を引き摺りながら、それでもすごすごとその場を離れる事にした。
ついでにすぐ横を通り過ぎて行った女子大生の後をつける事にする。
食欲が満たされないのは、もうこの際仕方がない。だがしかし、それならば別のもので、欲求を満たしてやればいい。
大勢の人間がいるだけあって、横島好みの年上の女性が、ちらほらと目に留まっていた。
一瞬ジークの気難しい顔が頭に浮かんだが、すぐさま振り払う。そんな未来の心配するくらいなら、目先の欲望を優先する。
それが横島忠夫という人間だった。
人の波から離れたところで声を掛けるべく、不審者まがいの追跡を開始しようとした横島だったが、
その時、そんな彼の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい!よーこーしーまーさーん!こっちこっち!」
大声を上げながら、こちらに向かってぶんぶんと手を振っている。
屋台のすぐ脇、順番待ちが長蛇の列を作っているその中に、見知った少女が手招きしていた。
横島は意外な人物を見かけたというように、目を丸くして小走りで彼女に駆け寄る。
「和美ちゃん?・・・なんだってここにいるんだ?」
「そりゃ、ここの点心を食べに来たのよ。学祭準備期間中は、こんなだから大変なんだけどさ」
和美は、にやりと口元に笑みを貼り付け、指を立てながらそう言った。
「メールに横島さんも来るって書いてたでしょ?人の多さに呆然としてるんじゃないかと思って、待っててあげたんだよ」
「えっ?じゃーわざわざ俺のためにか?
くぅぅ、さすが和美ちゃん!えー女やなぁ。あと一年くらいたったら、俺と付き合わないか?」
「あはは、それは遠慮するけどさ。それに横島さんのためだけってわけじゃないよ、私達もここのファンなんだ」
さらりとしかけた横島のモーションをあっさりとかわしながら、和美はすっと立ち位置をずらした。
「どーもです」
「あ、あの、こんにちは」
額の上で短く切りそろえた前髪と、両サイドを緩く三つ編みにした特徴的なロングヘアの少女が、眠たげな半眼をこちらに向けていた。
その隣では、長い前髪で目元を隠している少女が、もじもじとしながら和美の背中に隠れている。
あまり感情がこもってるとは言いがたい声と、おどおどとして聞き取り難い声が揃って挨拶をしてきた。
「あれ?君たちは確か・・・夕映ちゃんとのどかちゃん、だったよな」
「ええ」
「は、はい」
確認するように名前を呼んだ横島の言葉を、短く肯定し、こくりと頷く。
「君たちもここに食べに来たんか?」
「ええまぁ、本当はテイクアウトしてすぐに帰るつもりだったのですが、朝倉さんに半ば強引に誘われまして・・・」
夕映は小さく溜め息をつきながら、僅かに眉をひそめた。
「まーまー、別にいいじゃん。肉まん一つおごってあげるからさ」
「小龍包でお願いします」
夕映が素早く己の希望を口にしながら、グビリと喉を動かし何かを飲む。
ちらりと見えただけなので、はっきりとは言えないのだが、抹茶コーラという字が書かれていたような・・・。
思わずなんだそりゃと突っ込みを入れそうになった横島は、慌ててその言葉を飲み込んだ。
「OK、宮崎もそれでいいかい?」
「え?あ、はい。大丈夫です」
ほんのり顔を赤くしながら、のどかは小さく頭を動かした。
「いや、そういうことなら俺がおごるよ。待っててくれたお礼にさ」
そんな二人の会話に横島は口を挟んだ。
ちょっと前までの自分なら、他人に物をおごる事など物理的に不可能だったが、今は違う。
ジークから若干多めに生活費をもらっているので、年下の女の子の優しさに報いる位の事は出来るのだ。
小龍包がいくらなのかは知らないが、屋台で出すものだ、そこまで高いものでもあるまい。
それに、ちょっとは彼女達にいい格好をしておきたい。
そう考えた横島は、小鼻を膨らませながら、きらりと歯を輝かせ、親指を立てて自分を指差した。
「えっ、いいの?」
「いいって、いいって、全然問題ない。何ならラーメンと餃子もつけるぞ。わはははは」
「いや別にそれはいいけどさ。っていうかそんなのメニューにあったかね?」
えらそうに高笑いしている横島に呆れたような視線を向けながら、和美は肩をすくめた。
そんな話をしている間に、どうやら順番が回ってきたらしい。
チャイナ服に身を包み、髪を二つのお団子状に結い上げた古菲が、いらしゃいませーと声を掛けてきた。
「おーす。来たよー」
「どーも」
「お、お疲れ様です」
和美達による三者三様の挨拶を聞いた古菲は、にこりと微笑んだ。
「おお、みんな来てくれたアルか。それに、えーと、えーと。・・・よ・・・よ・・・よごれさんも」
「誰がよごれや!!よしか合ってないじゃねーか!!・・・・・忘れてんなら無理して呼ばなくてもいいからさ。
横島、横島忠夫な。・・・ったく・・・南の島以来だな古菲ちゃん」
両手に持ったお盆の上に、空の中華蒸篭を山積みにしながら、器用に首をかしげている古菲に、横島はツッコミを入れた。
どうも名前を覚えてもらってはいなかったようだ。別に難しい名前でもないと思うのだが。
というか、何がしかの悪意のようなものを感じるのは、こちらの気のせいであってほしい・・・。
古菲が、横島、横島と、確認しながら頷いている。何度かそれを繰り返し、やがて納得がいったのか、もう大丈夫と顔を上げた。
「そうアルなー。また今度、一緒にビーチバレーでもするアルか?挑戦ならいつでも受付中アルよ」
にやりと不敵な笑みを浮かべている。
「いや、さすがに勘弁してくれ。それにビーチないだろ。いくらなんでも」
口角を釣り上げて、再戦を提案する古菲の言葉を、横島はウンザリとした表情で辞退した。
仕事でもないのに、命がけで自らの限界を超える趣味など持ってはいない。
そういう汗臭いのは、どこかのバトルジャンキーにでもやらせておくべきだろう。
もっともあいつがビーチバレーをする姿は、まったく想像できないのだが。
なんというかまるで似合っていなかった。
「そんな事よりほら。案内、案内」
いくら知り合いだからといっても、この混雑している状況下で、いつまでも話し込んでいては、店にも客にも迷惑になる。
僅かにあわてた様子の和美が、古菲を急き立てた。
「おお、スマンかたアル。それじゃ、四名様ご案内ネ。あちらの席でちょっと待ってるアルよー」
両手がふさがっているからだろう、古菲は顔を動かして、空いているテーブルに座るよう横島達を促した。
接客業においては、些か行儀が悪い態度かもしれない。だが、これだけの数を相手に、数人の従業員でさばいているのだ。
むしろよくやっているほうだろう。
そんな事を考えつつ、歩き出そうとした横島だったが、
ふと自分の背後にいるさよが気になって、彼女に視線を送った。
実際は四名ではなく五名なのだ。
もともとは横島だけで、ちゃちゃっと食事を取る予定だったので、彼女にも付き合ってもらったのだが、
和美達と合流している今はそうもいかない。
わざわざ自分の事を待っていてくれた和美達の好意を、無碍にするのもどうかという話しだし、
会話の流れとはいえ、おごると約束をしてしまった。
だが、彼女達がそばにいる間は、さよと会話することも出来ないだろう。
何しろさよの姿が見えているのは自分だけなのだ。いつものように気軽に声を掛ければ、問答無用で危ない人になってしまう。
どうしてもさよの事を無視してしまう形になるので、横島は和美達に見えないところで、
小声で彼女に話しかけ、申し訳なさそうに、頭を下げた。
「ごめんな、さよちゃん。つき合わせたのはこっちだってのに・・・。もし退屈なら先に戻っててくれても」
「え?いえ、そんな、仕方のない事ですし、それに見ているだけでも結構楽しいですから」
そんな彼の姿を見たさよが、あわてて自分の顔の前で手を振る。
にこりと笑って、気にしないようにと横島を気遣った。
そして先に行っていますからと言いながら、席に向かってふわりと飛んでいく。
(・・・気を使わせちまったかな)
心の中で、ポツリと呟いた。
本当はさよも和美達と話をしたいはずだ。
口では気にしないと言ってはいても、周りが賑やかに会話をしている中で、
自分だけ、その輪の中に入れないというのでは、どうしても疎外感を感じてしまうだろう。
彼女はそんな寂しさを長い間ずっと感じてきたのだ。
横島はぎゅっと拳を握り締めた。
そして、さよの姿を目で追いながら、なるべく早く何とかしてやろうと心に決めた。
視線を空中に向けながら、なにやら難しい顔をしている横島に、早く来いと和美が声を掛けてきた。
いつのまにか自分以外は、席に向かって歩き出している。
その呼び声で我に返った横島は、急いで彼女達の後を追った。
配膳や片付け、注文を聞くために、せわしなく働いている古菲達の邪魔にならないように注意しつつ、
指定された席に向かって通路を進む。
途中で、安価、激旨、迅速などと書かれている店の看板に、体をぶつけそうになりながら、横島はどうにか座席に腰を落ち着けた。
ふぅ、と安堵の息をつきながら、改めて周りを見渡す。
それにしても凄い人数だ。人気のあまりテレビが取材に来ていたとしてもおかしくない。
それに客層を見る限り、どうもさまざまな人々から支持を得ているようだ。
学校帰りの中学生グループや、おそらく大学生の少し大人びて見えるおねーさま方。
制服を着たまま休憩中の清掃員やら、学園祭が近いからだろうか、
何を勘違いしたのか、いまいち何の生物かも分からない着グルミを着込んでいる連中までいる。
古菲達の接客の様子から、彼らが一見ではなく、この店の常連である事が伺えた。
それだけここの料理を気に入っているのだろう。
これだけのリピーターがついているという事は、料理のほうも相当期待できるはずだ。
周囲の喧騒にまぎれて、横島の腹がグゥと一つ音を立てた。
「いやー楽しみだ。中華料理なんて、あんまり食べる機会がねーからなぁ。
おキヌちゃんは、どっちかってーと和食専門だし、魔鈴さんの店は洋食だしな。」
カップラーメンなら、ほぼ毎日食べているが、あれを料理というのは、なんというか・・・はばかられる。
自分の食生活に、ほんの少しだけ、わびしさを覚えるが、今はそんな事より何を食べるか決めるべきだろう。
うきうきとしながら、テーブルの上に置いてあるメニューを開く。
「とりあえずラーメンと餃子は決定だろ。そんで後は、エビチリとホイコーローと・・・」
頭の中に浮かんできた中華料理の名前を口に出しながら、ページをめくる。
表情をほころばせつつ、何を注文しようかと視線を走らせていた横島だったが、さらりと夕映が口を挟できた。
「・・・何か勘違いしてるようですが、一応ここ屋台なので、基本は点心しか売っていませんよ?」
「へ?そうなんか」
「まぁ、一口に点心といっても、さまざまな種類があるので、初見では何を注文するか悩み所でしょうね。
もっとも外れはないので、何を選んだとしても、満足するとは思いますよ。ちなみに私はゴマ団子が好きです」
横島が持っているものとは、別のメニューを手元に引き寄せ、夕映は自分の好みを口にした。
「この間食べた、えび餃子もいけてたよ」
「・・・・・春巻きもおいしいです」
和美とのどかも夕映の言葉に乗ってきたようだ。
次々と自分の好きな物の名前を言い合っている。
「うーん。んじゃ今言ったの、一通り頼んどくか。昼飯抜いてきたからな。残しちまうって事はないだろうし」
とりあえず目に付いたものを片っ端から注文する事にした。
タマネギとヤモリさえ入っていなければ、食べられないという事はないはずだ。
横島は片手を挙げながら、すぐ傍で配膳作業をしている店員に声を掛けた。
「すんませーん。注文いいっすか?」
「はい、ただいま参ります」
静かで落ち着いた声が、横島に答えた。
くるりと振り返り、感情を映さない無機質な瞳をこちらに向ける。
一際目立つ緑色の長い髪から、特徴的なアンテナ?が飛び出している。
この店の制服なのだろう。彼女も古菲と同じようなデザインのチャイナ服を着込んでいた。
「茶々丸・・・ちゃんか?え、君もここの従業員なんか?」
パチリと瞬きし、瞳を大きく見開く。
京都以来会っていなかったが、まさか飲食店で普通に労働しているとは思わなかった。
「はい。こんにちは、横島さん」
ぺこりと挨拶しながら、伝票を取り出し近づいてくる。
「へーえ。でもまぁ、考えてみりゃ、マリアもカオスのおっさんと一緒に、よくバイトしてるもんなぁ。
茶々丸ちゃんがここで働いてても、別に変じゃねーか。」
横島は感心したように頷きながら、知人の女性型ロボットを思い出し、一人で納得していた。
「そういや今日は、エヴァちゃんと一緒じゃないんか?」
「はい。マスターは茶道部に出席後、今はもう帰宅していると思われます。何かご用件がおありでしょうか?」
「ん?あぁいや、そうじゃないよ。ちょっと元気かなって思っただけ」
「そうですか。・・・・・あの、一応マスターの健康状態は良好かと思われます」
茶々丸は空中を見つめ、僅かに思案した後、念のためにとでもいうように、ポツリとエヴァの調子がいい事を付け足す。
世間話のつもりで何気なく質問しただけだったのだが、それでも彼女はしっかりと回答してくれた。
思わず、横島は苦笑を零す。
元の世界のマリアにも言えることだったが、彼女達はどこか生真面目な性格をしている。
姿形はまったく似ていない二人なのだが、それでも共通点はあるものらしい。
何かを懐かしむ様子で自分を見ている横島に、茶々丸は不思議そうに首を傾げていた。
そんな彼女の態度に、少しだけいたずら心を刺激された横島が、唐突に茶々丸の服装を褒めだした。
無表情の中で、それでも感情を感じさせる、彼女の鉄面皮を、なんとなく崩してみたくなったのだ。
それに、間接部分がメカメカしいデザインなのは確かに残念ではあったが、
もともとスタイルのいい茶々丸には、チャイナドレスがよく似合っている。全てが嘘というわけでもない。
一度も成功した事のないナンパをしている時のように、薄っぺらい表現で、本心の混じった感想を口にしていく。
急にそんな事を言い出した横島に、茶々丸は戸惑った様子で、おろおろとうろたえていた。
「おーい、お二人さーん。そろそろ注文いいかい?」
「あっ、す、すみません。ただいまお伺いします」
ニヤニヤ笑いを貼り付けた和美が、からかい混じりの声を掛けてくる。
どうも、彼女にとっては、面白い見世物だったようだ。
その言葉に、あからさまな安堵をみせた茶々丸が、普段の冷静さを取り戻していく。
そして、手際よく横島達の注文を取って、逃げるように去っていった。
「まったく、まだまだだね、横島さんも。からかうにしてもさぁ、もうちょっと考えていじらなきゃ」
「そうですね、もう少しデリカシーというものを意識すべきかと」
「うーん、ちっとやりすぎたかな。別に嘘言ってるつもりはねーんだけど・・・」
呆れた様子の和美の苦笑と、夕映の無表情に諭され、横島は気まずそうに頭をかいた。
それからは特に何をするでもなく、世間話しながら、おとなしく料理が到着するのを待つことにした。
椅子に座りながら、改めて人気の屋台を見てみようと体を動かした横島が、一風変わった店の外装に目を丸くする。
人の多さにばかり気を取られて、特に意識していなかったのだが、
落ち着いて見てみると、どうも一般的な屋台とは、かなり違っているようだ。
電車かバスの側面を切り開いて、カウンター席を作っている。おそらく内側は料理を作っている厨房部分だろう。
妙にレトロな雰囲気を崩さずに、なかなか洒落た改装を施している。中央上部には、大きく店の名前が書かれた看板が設置されていた。
そんな店の様子が気になって、前の座席に座っている和美に尋ねてみる。
彼女は、詳しくは知らないけどと前置きしつつ、それでも丁寧に解説してくれた。
その内容によると、やはりあれは横島の予想通り、路面電車を改装して作られたものらしい。
元は展示品として、学校に寄贈されていたものが、長年の雨風にさらされ、すっかり老朽化してしまっていたのだそうだ。
処分を検討されていた、その電車を引き取ったのが、この店のオーナーである超という娘らしい。
彼女は建築学科の学生を巻き込み、ボロボロだった路面電車を屋台として改装し、今の形に落ち着いたということだった。
「へー、凄いなその子」
中学生にしては、かなりの行動力だ。思わず感心した声で呟く。
「ちっちっち、それくらいで驚くようじゃ、まだ甘いよ。あの子は・・・」
「お待ちどうアルー!」
人差し指を振りながら、何事かを解説しようとした和美の台詞を遮り、
両手に持ったトレーの上に、湯気を立てた蒸篭を満載にした古菲が、笑顔と共に現れた。
中華蒸篭はもともと積み重ねられるように出来ているものだが、
それでも重ねすぎだと一目で分かるくらいの高さを、危なげなく運んでいる。
一つ一つは軽いのだろうが、これだけの量となると、総重量はかなりのものになるはずだ。
それを一人で持ち運んでいる古菲は、華奢な見た目よりも、ずいぶんと力持ちであるようだった。
絶妙なバランスで積み上がっている蒸篭を、機敏な動作で次々とテーブルの上に置いていく。
見た目からして、とてもおいしそうだ。空腹の身としては、すきっ腹にずしんと響く光景だった。
「おっ、来た来た。うーん、やっぱり、うまそうやなぁ」
横島の目の前で、熱々の肉まんが、ほこほこと湯気を立てている。
思わずゴクリとつばを飲み込んだ。
全ての料理を配膳し終えた古菲が、テーブルの上に視線を落としながら、伝票を確認している。
そして全てが注文通りであることを確認し、ごゆっくりどうぞと言いながら、足早に去っていった。
どうもまだ、客足に衰えはなさそうだった。
「それじゃ、頂くとしましょうか。これ全部横島さんのおごりだから、心して食べるように」
「ご馳走になるです。あ、朝倉さん、そこのゴマ団子取ってください」
「え、えっと、すみません」
軽い調子で会計の全てを横島に押し付けた和美に、夕映がさらりと同調し、のどかが遠慮がちに謝ってきた。
「いっ!確か小龍包がどーのって話だったんじゃ・・・・・ま、まぁ、べつにいいけどさ・・・」
いつのまにか全額支払う事になってしまっていたが、所詮は他人の金である。
自分の懐が直接痛むわけでもなし、このくらいは必要経費として、依頼主に払ってもらう事にした。
さて何から手をつけようか。
そんなことを思いつつ、備え付けの箸を手に取り、とりあえず手前に置いてあるエビ餃子を口に放り込む。
前歯で噛み千切り、奥歯ですりつぶし、舌の上で転がしつつ、最後にゴクリと飲み込む。
そして間髪いれずに二つ目を箸で掴み上げ、口内に投入、同様に咀嚼し嚥下する。
次第に箸を動かすスピードは上がり、一つ目の器があっという間に空になった。
「こらうまい!!こらうまいっ!!」
中身の具が透けて見えるほど薄いモチモチの皮が、プリプリとした食感のエビを包み込んでいる。
噛み砕くほどに味が舌に染み込んでくるのは、おそらく豚の背油か。
薄く切った筍もちょっとしたアクセントになっている。
若干濃い目に味付けされたそれらの具材は、口内でうまい具合に調和を作り上げていた。
「いや、すっごいうまいな、これ」
二つ目の器、シュウマイを引き寄せながら、素直な感想を口にする。
空腹は最高の調味料とは言うが、自分がそうである事を除いても、素晴らしい味だった。
粗食に慣れてしまっている横島は、えらそうに解説できるほど、上等な舌を持ち合わせているわけではないが、
それでも、この料理はかなりの物だと断言できる。これだけの人間が集まってくるのも頷けるというものだった。
「ふふーん。でしょう?なにせ、大学生から教師連中にまで人気の店だからねー。
手ごろなお値段で、この味が楽しめるってんだから、人気も出るってもんだよ」
烏龍茶で唇を湿らせながら、和美が自分の事のように自慢する。
「もともと人気のお店でしたが、また人が増えた気がしますね。噂が噂を呼んで、と言う事なんでしょうけど」
ゴマ団子の攻略を手早く済ませた夕映が、口周りを拭っている。
そして彼女は、黒酢トマトなる得体の知れない飲料を何処からか取り出し飲み始めた。
店への持込がどうのというつもりはないが、それは本当においしいのだろうか。
横島は視線を逸らした。
「ま、まぁとにかく。俺も常連になりそうだ。和美ちゃん、ありがとな。いい店紹介してくれて」
「別にいいよ。でも当たりだったでしょ?」
「大当たりだな。昔、香港で食った中華もうまかったけど、ここも全然負けてねーよ」
「へー、横島さん香港に行った事あるんだ」
「まー、仕事でちょっとさ。成り行きっつーか、どっかの馬鹿がしくじった後始末に巻き込まれたというか・・・」
今思い出しても、原始風水盤の一件は、トップクラスの厄介ごとだった気がする。
正直あのゾンビ集団に襲われた時には、死を覚悟したものだ。
遠い目をしながら、過去に思いをはせた横島が、気持ちの悪い姿を想像してしまい、慌てて頭を振って、記憶を消去しようとした。
少なくとも、こんなにうまい飯を食べている時に、思い出すことではない。
しかし・・・・・。
それでも、何かが引っ掛かり、横島は首をかしげた。
少し前に京都で戦ったデミアン。あの怪物。あいつの言動は、どこか香港で倒したオカマの姿を思い出させた。
むしろ、ほとんど本人そのものであったような気さえする。
実力もさることながら、無駄に強力なキャラクターをしていたので、よく覚えている。
ただ香港で戦った奴の姿と、京都で戦ったデミアンの姿は、まったくかけ離れたものだった。
仮にあのオカマが、京都のデミアンと同一人物であったとするならば、奴に一体なにがあったというのか。
しかも自分のことをデミアンと名乗っていたのだ。なぜそんな勘違いをしたのだろう。
逆にあいつが本物のデミアンだったとするなら、なぜ性格があんな風に変わっていたのか。
しばらく見ない間に新宿の二丁目にでも遊びに行ったというのか。・・・・・いや、いくらなんでもそれはない。
どいうか、そもそも、どちらもすでに死んでいるはずだったのだ。
こんな仮定を考える必要はないはずだった。
手元においてあるお絞りで、ごしごしと顔を拭う。
いい加減、脳の許容量を超えてしまいそうだった。
一息ついて落ち着いた横島が、そういえば、と思い出す。
タマモにもジークにも今感じた疑問を話した覚えがない。
京都では、そもそも話す暇自体がなかったし、帰ってきてからも色々あったせいですっかり忘れていた。
オカマ・・・どうしても正確な名前が思いさせないのだか、二人とも奴とは面識がない。
両方を知っているのは、あの場にいた者の中では、自分だけだった。
ジークはデミアンの存在を疑っていたようだが、この事も話すべきなのだろうか・・・。
眉間に皺を寄せた、難しい顔で考え込む。
そんな横島の態度に、和美と夕映は不思議そうに疑問符を浮かべていた。
・・・その時。
「あっ、あの!」
口数少なく、押し黙ったままだったのどかが、急に大きな声を上げた。
勢い込んで身を乗り出してしまったのだろう。テーブルに腕をぶつけている。
ガツンといった鈍い音がなると同時に、置いてあった料理が、僅かに振動した。
「そっ、そのお仕事って、どんな仕事だったんですか!?」
それでも、そんなものは瑣末な事だったのか、ぶつけた箇所を気にするでもなく尋ねてくる。
長い前髪から僅かに覗く瞳は、とても真剣な色をしていた。
「へ?あ、いや、仕事っつーても、たんなるバイトなんだけど・・・」
まさかそんな所に食いついてくるとは思わず、横島はオタオタしながら、言葉を濁した。
立場上ジークには口止めされているし、色々と誤魔化しながらではうまく話せる自信がない。
「ふーん・・・・・なんか意外だねぇ。興味あるの宮崎?」
「どうしたですか?のどか」
のどかの態度に不審なものを感じたのか、二人は、訝しげに問いかけた。
おとなしい印象の彼女が、突然大声をあげた事に驚いているようだ。
のどかはそんな二人の言葉に、ハッと我に返ったのか、ビクリと体を震わせた。
「あっ、あの、わ、私・・・・・・・・・・・・ご、ごめんなさい!!」
おろおろと視線をさまよわせ、分かりやすいほど動揺していたのどかが、
突然何かに謝ったかと思うと、急に席を立って逃げるように走り去っていく。
勢いが強すぎたのか、蹴飛ばした椅子が後ろ側に倒れて、大きな音を立てた。
そしてあっという間に、彼女は通行人の陰に隠れて見えなくなってしまった。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
あまりの早業に呆然としていた横島達だったが、そんな事をしている場合ではないと気付いたのだろう。
のどかの去った方角を見つめながら、放心していた夕映が、慌てて彼女を追うように席を立った。
「のどかっ!!」
「えっ?ちょっ、ちょっとゆえっち・・・綾瀬っ!ああ、もう!ごめん横島さん。
お金ここに置いとくから・・・待ちなさいって!」
「へ?いや、和美ちゃん!?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺がおごるって話じゃ・・・」
のどかに続いて、駆け出していった夕映を呼び止めながら、最後に残った和美も、横島の視界から消える。
騒ぎを耳にした客や通行人達の好奇の視線にさらされ、彼は聞き手のいなくなったその場所で、ポツリと呟いた。
思わず立ち上がっていた体を、椅子の上に深く沈める。
何がなんだか分からなかったが、あっという間に取り残されてしまったようだ。
なんとなくテーブルに残ったままの料理を眺める。
ほとんど自分で食べるつもりで注文したものだったが、かなりの量が残っていた。
「俺・・・なんか悪いことしたかな?」
自分の真後ろを振り返り、尋ねる。
横島の肩に寄り添うように浮かんでいたさよが、困惑した様子で、小さく首を振っていた。
溜め息を零しつつ、テーブルの上に落としてしまった箸を拾い上げる。
どうあれ、注文した料理は食べなければならないだろう。
もともと一人で食事を取る予定だったが、予期せぬ知人との食事は、なかなか楽しいものだった。
一抹の寂寥感を感じつつ、食事を再開する。
何一つ味は変わっていないはずだが、それでも先程よりはおいしく感じられなかった。
むぐむぐと、少しだけ冷めてしまった、シュウマイをかじり、やるせない思いを噛み締めていた横島だったが、
そんな彼の背後から近づいてくる影があった。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
唐突に、声を掛けられた。
透き通るような透明感のある声だ。
店の内装に合わせているのか、アンティークのような陶磁器の茶器を持っている。
黒を基調とした、人民服に身を包み、柔和な表情を浮かべていた。
横島におかわりを勧めてきたのは、落ち着いた雰囲気を漂わせた一人の少年だった。
こちらで知り合ったネギよりも、いくらか年上だろうか?
中肉中背、特に特徴的でもない一般的な体格をしている。
よく手入れされているのか、ふわりと風に揺れている髪の色も、よくある黒色だった。
少なくとも見かけだけは何処にでもいそうな少年だ。
唯一つ、横島にとっては気に食わない、その整ったイケメン面を除けばだが・・・。
「いや、別にいらん」
嫌な顔をしながら、そっけなく断る。
何が悲しくてイケメン予備軍の相手などしなければならないのか。
ただでさえ和美達がいなくなったことで、両手の花が散ってしまったというのに。
子供が店員をしている事に、一瞬疑問が浮かんだが、ネギの例もある。特殊な土地柄というものなのだろう。
そう無理やり納得し、横島は少年から顔を背けた。
「連れの人たちはどうしたのかな?」
つれなく無下にされたというのに、その少年は空気を読まずに再び横島に声をかけた。
むっとしながら、それでも適当に言葉を返す。
「さーな、俺にもわからん。トイレじゃねーか?」
「化粧直しにしては慌てすぎだと思うけどね・・・。それに方向が違うよ」
のどか達が去っていった方角とは別の向きを指差し、少年は苦笑を零した。
「痴話喧嘩?」
「んなわけあるか!急用かなんかだろ?・・・・・・まぁ、確かに様子がおかしかったけど」
自分に向けられたのどかの真摯な瞳を思い出し、横島は複雑な感情を抱いた。
いったい彼女は、自分に何が言いたかったのだろうか?
横島の言った仕事の内容に興味を持ったのか。
だがそうだとしてもあれだけ真剣に尋ねてくる理由が分からない。
興味本位というには、彼女の態度は、なにか・・・・。
(まるで切羽詰った何かがあるみたいだった・・・)
うまくはいえないのだが、何かに追われていたというか・・・・・。
むっつりと真面目な顔で押し黙った横島に、少年は仕方ないなとでも言いたげに、微笑を浮かべつつ忠告を口にした。
「謝るなら早くしたほうがいいと思うけど・・・」
「だから違うといっとるだろーが!というかお前には関係ねーだろ!」
「まぁ、それはそうだね」
手に持った茶器を軽く振りながら視線でもう一度横島に確認を取る。
横島は鬱陶しいものを追い払う仕草で、いい加減にその意図を遮った。
それだけ確認したかったのか。肩をすくめながら少年が去っていく。
横島はその背中に視線を向けつつ、何故かとっさに彼を呼び止めていた。
「おまえ、ここの店員なのか?」
何故そんな事を尋ねたのか、横島本人もよく分からないままだった。
別に気になって質問した訳ではなかったからだ。ただ意識するでもなく自然と口が動いていた。
背中越しの質問を受けた彼が、ちらりと半分だけ振り返る。
そして、意味ありげな視線を横島に向けたまま、こう答えた。
「ええ、一応。出来れば今後ともご贔屓に。・・・・・・・・・・・・・・・そちらの娘さんもね」
最後の一言を横島の背後に向けて、少年はゆっくりとした足取りで、屋台の方に歩いていった。
横島は思わず後を振り返り、さよと顔を合わせた。
「・・・・・・見えていたんでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・さぁ?」
困惑した様子で互いの顔を見つめ合ってから、二人は同時に首を傾けた。
◇◆◇
しとしとと雨が降っている。
ここ数日、連続して働きづめだった太陽は鳴りを潜め、発達した低気圧が前線を伴い、
広範囲にわたって雨を降らせていた。
窓枠越しに、じっとりとした湿気が部屋の内側に侵入してくる。
窓ガラスの表面には結露によって浮き出た複数の水滴が付着していた。
部屋の中にいるというのに、湿気によって着ている服まで、どこか重たい感覚を覚える。
昼間だというのに薄暗い室内で、横島は己の鬱屈とした精神をもてあましていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・暇だ」
「・・・・・何回目だ。その独り言は」
同居人であるジークが、手元にある雑誌のページを乱雑にめくり上げ、
些かうんざりとした様子で、吐き捨てるように言う。
ここ最近のお気に入りである漫画雑誌に視線を固定したまま、横島のほうを見向きもしない。
横島がこちらの世界に来てから、購入し始めたものだが、
何故か買ってきた当人よりも、彼のほうが気に入ってしまっていた。
「しゃーねーだろ。実際に暇なんだから」
長時間同じ姿勢で横になっていたために、鈍痛を感じる腰を思い切り捻る。
ゴキリという音と共に僅かな快感を脳が知覚した。
そのまま、簡単なストレッチを行い体のコリをほぐした後、横島は力尽きたかのように、再びゴロンと寝転んだ。
「まったく。・・・だったら、少しは勉強でもしたらどうだ?君の本業は一応学生だろう?
こっちに来てから、一度もそれらしい姿を見かけていないのだがな」
「あほか。ただでさえ、じめじめして気分が沈んでるっつーのに、そんなんするわけねーだろ。
それに教科書の一つも持ってないしな」
その手のものは、今頃自分のドッペルゲンガーが有効活用しているはずだった。
「えらそうに言う事でもないと思うが・・・・・ならば、さよ君の特訓を手伝ったらどうだ?」
眉間を片手で揉み解しながら、ジークは疲れた声音で提案した。
急に名前を呼ばれたさよが、ピクリと反応する。
横島はその姿を片側だけ開いた瞳でとらえ、むくりと起き上がった。
「特訓ってまたロウソク使ったやつか?」
「違う。さすがに火を使うのは懲りたろう」
「あぅぅ、ごめんなさい」
申し訳なさそうに首をすくめたさよが、部屋の隅へ移動する。
体の半分以上を床に沈めながら、頭だけをひょっこりと覗かせていた。
幽霊の特性を生かして、身の置き所がないという状況を、実際に表現しているらしい。
もしくは穴があったら入りたいか・・・。
首だけが床に転がっている有様は、詳しい事情を知らない人間が見れば、あらぬ誤解をしそうな状況であったが、
今は横島達しかいないので、問題はなかった。
なんとなく怖かったので横島は片手を動かして、彼女を手招きする。彼女は案外あっさりと近寄ってきた。
少し前からさよは自分の存在感を増すための訓練を開始していた。
ふと昔に似たような事があったのを思い出した横島が、物は試しにと彼女に提案したのだ。
仕掛けは至極単純なもので、燭台に突き刺したロウソクに火をつけて、その火を彼女が揺らめかせれば成功、といった具合だ。
幽霊である彼女は、ある意味物理的な法則の外側にいる存在でもある。
息を吹きかけても、手で扇いで風を起こそうとしても意味がない。要するに己の霊力を使って物質に干渉するという訓練なのだ。
とはいっても、ジーク曰くこの世界には霊力がないらしいので、容易にはうまくいかない。
正確にはまったくないわけではないのだが、極端に弱いのだそうだ。
当然その世界の住人であるさよも、影響を受けている。
横島の同僚には、元幽霊という経歴を持つ娘がいるが、彼女は300年間も幽霊をやっていた大ベテランでもあった。
あまり参考にはならない。
己の霊体を維持するだけでも精一杯であるはずのさよが、すぐには彼女の真似事を出来るはずがないのだ。
そのはずだったのだが・・・・・・。
「まさか、ロウソク置いた机ごと吹っ飛ばすとはなぁ」
それでもやるだけやってみようという事で、訓練は開始されたのだが、
キリッと表情を引き締めた彼女が、いざっと気合を入れて、ロウソクの火を消そうとした瞬間、土台のコタツ机が一回転した。
どうも彼女の気合が強すぎたせいで、ポルターガイスト現象を引き起こしてしまったらしい。
横着して収納を保留していた例のコタツ布団は、見事に全焼してしまった。綿はよく燃えるのだ。
「うぅぅ、すびばせん」
身体を丸めたさよが、鼻にかかった声で謝罪した。
「本来ならありえないはずなのだがな。やはり彼女は興味深い」
思案顔で、顎を撫でながら、ジークが横目でさよを見つめている。
その熱心な視線から彼女を庇いつつ、横島はジークに問いかけた。
「ロウソクじゃなかったら、何すりゃいいんだ?」
「ふむ。彼女の場合、物質に干渉する力は既に持っているようだしな。
後はそれを手加減して出来るようになればいい。
・・・そうだな、トランプでもしてみたらどうだ?暇も潰せて一石二鳥だろう」
「トランプなぁ。いいかもしんないけど、二人じゃ出来るゲームが限られちまうぞ。お前も付き合えよジーク」
「・・・了解した」
何だかんだといって、ジークも暇をもてあましていたのだろう。
意外にあっさりと読んでいた漫画雑誌をパタリと閉じた。
「さよちゃん。トランプって知ってるよな」
「さすがにそれ位は知ってますよぅ。あ、でもばば抜きとかしか知りません」
「ふむ。じゃーまぁ、とりあえずそのあたりから始めるか」
そういや、そもそもトランプなんてあったかな、そう思いながら押入れに向かって歩き出そうとした横島だったが、
その時、彼の尻ポケットから、安っぽいメロディーが流れてきた。
携帯電話の着信音だ。
初期設定のまま放置してある合成音が、一定の間隔で流れている。
この世界では戸籍をもっていない横島は、それを入手するのに、なかなか苦労した。
彼にしてみれば、携帯電話など、贅沢品以外の何ものでもなかったが、人付き合いのツールとしては便利である事も否定できない。
そう考えた横島はジークに頼み込んで、何とか携帯電話を手に入れようとした。
最初は渋い表情で、断り続けていたジークだったが、
横島の、子供顔負けな買って買って攻撃に、いい加減根負けしたのか、最後には疲れた様子で許可を出していた。
それくらいで横島のやる気が買えるのなら、安いものだと判断したようだ。
それから携帯を手に入れるまではあっという間だった。
どうやら土偶羅がうまくやってくれたらしい。
そんな経緯を思い出しながら、中腰のまま尻ポケットに手を入れ、携帯電話を取り出す。
そして、画面を見て着信の相手を確認した。
朝倉和美。画面にはそう書かれている。
先日、変な形で別れてしまった彼女から連絡があった。
慣れない手つきで携帯を操作しながら、通話ボタンを押し、耳に当てた。
「もしもし、和美ちゃんか?どした?」
軽い口調で呼びかける。
和美からの電話は都合がよかった。あの時、のどかに何があったのか、彼女なら知っているかもしれない。
そう考え、耳を澄ませながら、返事を待つ。
しかし、いつまでまっても携帯電話からは何の返事もなかった。
「和美ちゃん?」
さすがに不審に思って、横島が訝しげな声をかける。
すると、受話器の向こうから、何者かの荒い息遣いが聞こえてきた。
低く、小さく、呼吸の間隔が短い。幼い子供が無理をして苦しげに押し殺しているような声。
その音が横島の耳に直接響いてくる。
「・・・・・・・・・和美・・・ちゃん?」
妙な気配を感じた横島が、低い声で尋ねた。
自然と心臓の鼓動が早まっていく。携帯を握った掌が急速に汗ばんでいった。
(・・・・・・なん・・・だ?・・・何か・・何か・・・嫌な予感が・・・)
焦りが表情に表れ始め、何か言わなければと息を吸い込んだその瞬間。
”彼女”は水が染み込んでいるような濡れた声で言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・横・・島・・・さん」
擦り切れて、霞んで聞こえる頼りない声だ。
口ごもりながら、懸命に言葉を発しようと努力している。
その震えを聞いているだけで、不安をかきたてられるような、身がすくんでしまうような錯覚が、脳を痺れさせていく。
「・・・・・君は・・・夕映・・・ちゃんか?」
思考の濁りを洗い流すように、強く頭を振って、横島は声の主を確認した。
自信があったわけではない。それでも少し前に話しをしたばかりだ。
声色が変わって聞こえたとしても、かろうじて判断できる。
おそらく夕映であろう通話相手は、何度も唾を飲み込み、不規則な呼吸を繰り返しながら沈黙している。
横島は、焦って問いただそうとする心を、強引に押さえつけながら、辛抱強く、彼女が何か言うまで待っていた。
「・・・・・・・・け・て・・・・だ・い」
気のせいだと流してしまいそうなほど、その声は小さく脆い。
意識して聞こうとしていなければ、間違いなく聞き逃していただろう。
感情を凍らせたかのように、抑揚を感じない硬く無機質な声だった。
それでも反応があった事で、僅かに勢いづけられた横島は、もう一度彼女の名前を呼ぼうと・・・。
「たすけてください」
ふしぎとそれはとてもよくきこえた。
同時に室内に設置してある霊力探査装置が、けたたましいアラームを発する。
音に導かれて背後を振り返った横島は、条件反射のように、その場所を見た。
胸を悪くさせる赤が、室内を照らしている。
緊迫感を煽るように、次々とさまざまな情報がディスプレイに表示されていた。
何かの演出ではないかと疑うタイミングで、規則正しく聞こえていた雨音が、勢いを増す。
天に轟く轟音と共に峻烈な稲光が残光を残した。
それは、誰かの悲鳴にも聞こえた。
ここにはいない、それでも必死になって何かを伝えようとしている彼女の絶叫。
「・・・・・お・・・おねがい・・・します。・・・・・のどかを・・・私の友達を・・・どうか・・・・・」
たすけてください。
耳朶を刺激するその願いは、横島の思考を止めた。
微弱に痙攣した唇から、吐息がこぼれる。
無意識のうちに視線をやったその先で、ぎゅっと拳を握り締めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雨は・・・・・・やみそうもない。