「は? 軍籍取り消し……?」
カリブ海で捕虜になるピンチから逃れ、そのままコルシカ島で休暇を楽しんでいたヴオナパルテは唐突に自分が無職になっていたことを知る。
「うん。失職してるよ」
「……いやいやいや?!」
故郷からパリに帰ってきた彼を待っていたのは、軍の人事課による残酷な宣告であった。「国に帰ったら、軍人なんてやめて故郷に引っ込むのもええかもなぁ」などと以前言っていたものの、本当に失職となれば洒落にならない。
唖然とするヴオナパルテを前に、人事課員はご愁傷様と言わんばかりに理由をつらつらと述べ始める。
「あんた休職しすぎだよ。いない期間が長すぎて、いつの間にかもう辞めたって扱いになってたみたいだね。ところで、再就職のアテはあんの?」
「そんなんあるかい!! 何でそないなことになっとんねん!」
唾を飛ばして吼えるヴオナパルテ。人事課員は服の袖で顔を拭うと、失職に至った詳細を憶測を交えながら説明し始める。
「ただでさえ革命でどこも混乱してるもんだから、多分誰かに出された解雇通知か何かが誤認されてそのまま受理されたんじゃない? 普通に働いてたらすぐに発覚して修正されるんだろうけど、あんたの場合はねえ……。一応、間違いなら取り消しの手続きも出来るけど時間かかると思うよ? 一年くらい気長に待って――グエェ!」
「そない待てるかアホたれがあ! その間の給料は誰が払うねん!」
「ちょ、貯金で生活しなさいよ! あ、やめなさい!」
ヴオナパルテは目の前の人事課員の胸倉をカウンター越しに掴んで揺さぶる。基本貧乏な彼には、一年間の無職状態は看過できなかった。ゆえに何が何でも早く軍に復帰しなければならない。あるいは、金を貰えるアテが必要だった。
「生活費をよこせ! もしくはさっさと復職させえ!」
「そんなこと私に言われても知らないよ!」
「それを何とかするのが仕事やろコラ! 仕事せえや仕事!!」
「……おいおい何の騒ぎだこりゃ。前の通りにまで聞こえてるぞ」
絶体絶命のヴオナパルテ。しかし、彼の運はまだまだ捨てたものではないらしかった。
たまたま通りかかった、羽振りのよさそうな男が声をかけてきたからだ。若干どころか大分胡散臭い雰囲気をぷんぷんさせていたが、今この瞬間では救世主足りえた。
「なんだお前、軍人になりたいのか?」
「誰やアンタは? そもそも本職の軍人やコッチは! 事務手続きの不備でいつの間にか失職させられてただけで!」
「ほお……」
良い掘り出し物を見つけたという様な顔でヴオナパルテを見つめる胡散臭い男。そしてそのまま、「ならちょうどいい」と言って手を叩く。
「ワシが何とかしてやろうか?」
「は?」
「ワシはバラス! 何と何と! 今をときめくロベスピエール一派の議員様だ。まあそれは置いといて――今、南のトゥーロン要塞がブリタニア海軍に占領されててヤバイ状況だ。でまあ、奪還のためには優秀な軍人がいくらでも必要なんだわ」
「ほうほう! そりゃあ……渡りに船で!」
「ああそう言えば、今は貴族階級出身の士官が大量に亡命して士官が足りんのだったなあ。し・か・も・人事課は混乱状態だから階級の一つや二つくらいならゴホンゴホンしてもいいんだけどなあ。----あっと、この後昼飯でも食いに行きたいんだけどちょうど小金が無いんだよなあ」
バラスは、チラチラと流し目を送る。そして「なあ、分かるだろ?」と囁きながらヴオナパルテをじっと見つめる。その際、顔にはニタニタとした下品な笑みが浮かんでいた。議員と言うよりもチンピラの方が似合いそうな男である。
「うわぁ……」と内心でバラスを軽蔑するものの、失職がかかっているヴオナパルテはそこを我慢。努めて表情に出ないようにしつつ、自身の財布をそのままバラスのポケットにねじ込んだ。
「……これ、夕食分もぜひ」
「くけけっ! いいぜぇアンタ出世するよ間違いない!」
「あーあー私は何も見てない聞いてない」
目と耳をふさいで知らぬ存ぜぬを通そうとする人事課員を尻目に、ヴオナパルテは無事、階級を大尉に昇進させての復職を果たしたのだった。
ちなみに財布の中身は大した金額は入っていなかったが、それにバラスが気づいた頃にはすでに全部終わった後だった。
☆
1人のガリアの軍人がダーティーな方法で昇進を果たしたその一方、政治の場所でも動きがあった。欧州中が注目する一大事件――――国王裁判である。
ロベスピエールの演説により国王処刑は決定事項かのように思われていた。それだけの熱量があったからだ。だがガリアという国には法律があり、裁判制度がある。裁判なくして処刑は無いという理屈のもと、国王の処遇を決める裁判が開かれることとなったのだ。当初、これは国王の処刑を反対する勢力による悪あがきに思われた。だが蓋を開けてみれば、国王処刑に賛成する者と反対する者は市民の間でもほぼ拮抗していたことが分かった。新聞などで実際に死刑だ、裁判だという具体的な言葉が飛び交い始めると、尻込みする者が多く出たためだ。大衆も一枚岩ではなかった。あるいは、想像以上にうつろいやすかったか。
そして、国王が法廷に立たされるという前代未聞の事態が始まった。
「彼を暴君であったのか……否だ。そもそもの事の発端は財政改革であり、国民にのしかかっていた負担を解消するためであった。彼はそれに尽力したが、それが貴族や聖職者の妨害により頓挫してしまった。ただ、力が及ばなかっただけなのです」
改めて国王の行いを時系列に沿って説明すれば、ロベスピエール一派が抱いていた当初の流れが狂いだす。国王が意図的に国民に害を与えようとした事実はないのであるから、処刑に相当する罪を見出せないのだった。その場に、国王無罪の雰囲気が漂い始める。
「処刑は不適当! せいぜい退位だ!」
「反革命思想だ誰かアイツも裁判にかけろ!」
「お前がギロチンで死ねよ! 裁判長、一人追加だ!」
「静粛に! 退場させるぞ!!」
法廷は野次と怒号で荒れ、ロベスピエールは渋い顔をした。ここで間違っても国王が助命されてしまえば、今度は国王を殺そうとした一派としてロベスピエール達の立場が危うくなる。だからこそ、何が何でもこの空気をひっくり返す必要があった。
「――――いけ、サン=ジュスト……国王を処刑台に送るのは君だ!」
「ええ、見ていてくださいロベスピエール……」
法廷に立ったサン=ジェストは、国王であるルイ16世を前に主張を開始する。
「……皆さんは大いなる前提を見落としている。我がガリアには、国王を裁判にかけるなどと言う事態は想定されていません。だが、実際に国王は被告人席に立っている。これは如何なる理屈によるものか……この裁判はすなわち、法を超越した裁判であることをぜひ念頭に置いて頂きたいのです」
「はあ?」
いきなりの主張に、出席者は全員が耳を疑う。法廷に立って法廷を否定するなど、大きく矛盾しているからだ。そんな観衆を前に、朗々とその真意を説き始める。
「法律によるならば……我々こそが罰せられる立場にあります。革命は非合法であるから。だがそうなっていない。それこそが、我々が法を超越している根拠でしょう。であるならば、この目の前にいる男の罪も法を超越したものになるのは自明です。違いますか?」
「え……?」
「いや、でもそれは――」
再び騒然とした雰囲気に包まれる。だが、対象であるルイ16世はそれでも超然とした態度を崩さず、サン=ジェストの発言を黙って聞き届けた。そのさまを見て、思わず野次を飛ばそうとしていた議員も再び腰を落ち着けるしかなかった。
段々と、潮目が変わり始めていた。
「では如何なる罪で以て彼に裁きを下すのか。それは――国王であったことそのもの――です! 国王とは、人民が本来所有していた権利を奪い、独占する悪しき存在! 革命と王制は共存不可能なのですどちらかが死ななければならないのです! 私が主張する法を超越した原理により彼を処刑するか、王権神授説の原理を受け入れて神の前に我々が処刑されるか……どちらかしか選択肢はありえません! これらの中間は認められない!! そうでなければ、これまで革命に命を捧げた烈士たちに申し訳が立ちません!!」
最後、サン=ジェストは涙声で叫んだ。議員たちは改めて、これまでの自分たちの行いやこれからのことに想いを馳せる。死んでいった仲間がいて、そいつらに果たして顔向けできる結果を自分たちは得られたのか。もちろんそういった思いもある。だがそれ以外にも、王制が残ったことで国王を逮捕し裁判にまでかけた自分達がいずれ復讐されるのではないかという恐怖をも抱いてしまったのだ。恐怖……これこそがその場に居る国王含めた大部分の者が抱いた共通の思いだった。これにより、法廷の大勢は決した。そして
「死刑が多数につき、死刑」
結論が、出た。助命は結局認められず、国王の運命が決定した瞬間だった。そしてそれは同時に、ガリアという国そのものの運命も。
「フン、せいぜい死の恐怖に震えてな」
「……君は、出来るだけ長生きできるといいね」
「はあ?」
退廷の時、ルイ16世が近くを通りかかった時に吐き捨てるように野次を言った議員がいた。その議員は小さく驚いた。てっきり、恐怖で震えていると思っていたルイ16世がむしろ憐みの表情を浮かべていたからだ。発言内容に関しては良く意味が理解できなかったが。
「この首一つだけで終わって欲しいってことだよ、君」
「……」
国王が、自分を殺そうとしている者たちに向けた最大限の情けだった。だがこの慈悲深い王の発言は、残念ながら実現することはなかった。
ルイ16世は、処刑まで牢に入れられることとなる。人ひとりが入れる程度の薄暗い牢獄――それが一国の王が最後に領有した土地であった。
☆
国王の処刑は翌日、パリの広場で行われることとなった。湿り気を帯びた曇の下、処刑台に立たされたルイ16世は、堂々とした足取りで自らギロチンの前に立った。
「おぉ……今日ほど処刑人の家に生まれたことを呪います……自らの主君を手にかけるなど、なんと罪深いことか……!」
「すまんね。出来るだけ、苦しまないように頼むよ」
ルイ16世は、震える声でつぶやく処刑人サンソンに対し、気遣いの言葉をかけた。とても、これから首を落とされる前の人間には思えない態度であった。だがそれが、一層サンソンの心を苛んだ。
「陛下……その、遺言があれば……」
もはや正面からルイ16世の顔を見ることができないサンソンは、青ざめた顔で尋ねる。処刑される側でもないのに、ひどくおびえたように目が泳いでいた。
「私は私の死を願う者を許す。そして、これ以上の流血が無いことを祈っている……それと」
「はい、なんでしょうか?」
「手紙を書いた。家族と……とある大使館付きの青年に。必ず届けてほしい」
「神に誓って……」
サンソンはそう答えると、首がギロチンの刃の真下に来るよう、国王の身体を固定した。かつて、ルイ16世は罪人が不必要に苦しまないようにという配慮から、ギロチンの刃に工夫を加えた。これにより、受刑者の首を落とし損ねてしまうという事態を防ぐことに成功した。
「ふう……ふう……」
その刃が、鈍く陽光を反射する。いよいよとなり、国王は心の奥底に必死に押し込んでいた何かが溢れ出してくるのを感じる。
「やはり、こわ――――」
ダンッ
刃が落ちる。改良されたおかげで、ガリア国王ルイ16世の首は何の滞りもなく落とされた。
国王は、自らの本音を吐露しきることもなくこの世を去った。そのうえ最後の言葉すら民衆には届かなかった。広場には国王の死を喜ぶ民衆の大歓声が轟き、その余韻すら瞬く間に霧散した。
「さらばだルイ……あなたはかつて、私が作った詩を良いものと言ってほめてくれた。嬉しかった。きっと、あなたはよい人だったかもしれない。だが……どうか生まれの不幸を呪ってくれ。ガリア共和国誕生のため、王制による長年の搾取と圧政の罪を一身に背負って死んでくれ」
かつて、国王夫妻がロベスピエールの在籍する学院に訪れたことがあった。その際、学生から選ばれた代表として若き日のロベスピエールが、ラテン語で詩を朗読したことがあった。
ロベスピエールは、乱痴気騒ぎを起こす民衆そっちのけで、過去に想いを馳せるのだった。
この日を境に、ガリアは共和国を名乗り改めて周辺諸国に対して反王制を掲げる。また、ガリア共和国政府の覚悟に感銘を受けたのか、多くの市民が志願兵として名乗りを上げた。それらの志願兵たちに少ないながら存在する革命支持の元貴族(貴族制は廃止されたので)士官を優先して付けることで、共和国は一挙に士気にあふれたまとまった兵力を確保することに成功。負け続けていた戦争は、ロベスピエールが示したように好転し始めたのだった。
☆
国王が処刑された熱が未だ冷めない夜のパリ。まるでお祭りのような熱気の余波が辛うじて伝わるような郊外にて、オリ主は眠れない夜を過ごしていた。
『前略。突然手紙を送りつける非礼を許してほしい。そしてついでに、今まで君の名前を尋ねておらず、名も知れない相手を振り回してしまったことにも謝罪の言葉を送りたい。現在、私はこの手紙を処刑を待つ牢の中で書き綴っている。自分でもまとまりがないことを書いている自覚はあるが、どうか恐怖のためであると笑わないでほしい。やはり、死は恐ろしい。しかし、妻と子供達が無事であることだけが、私を毅然とさせてくれるように思う。君が無事に妻たちを送り届けてくれたことは、議会の連中が悔しそうな顔で教えてくれた。その一点のみであるが、私は連中に勝利を上げられたのだと心の中で喝采を送った。
さて、あまり長く書いても詰まらんだろうし、更にみっともないことを書いてしまうだろうからまとめることにする。私は自らの運命を受け入れ、それに殉ずる。それを素直に受け入れられたのは君のおかげである。どうか、君の人生に幸多からんことを心の底から祈る。
ガリア王国国王 ルイ16世』
国王の処刑が行われることを知っていても、その場に行くことも反対のために突入することも出来ず。事が終わってもただモヤモヤとした気分だけを持て余し寝られなかったオリ主は、夜間に思わぬ訪問を受けた。
相手は、昼にルイ16世の処刑を行ってきたサンソンであった。青い顔をした男は、国王が最後に書いたというオリ主あての手紙を手渡した。そしてその手紙の内容を読み、今に至る。
「…………ああああああっ! 何なんだよおおお!!」
心の底に溜まったやるせない気分を吐き出したいがために叫んだ。何なら、ベッドを蹴飛ばす。小指で蹴ってしまったので、悶えるような痛みが足を駆け上がってきたが、それでも心の中の重い何かは全く紛れることはなかった。
☆
ガリアの宣戦布告により、既に周辺諸国すべての大使館は閉鎖し、大使たちは国外へと退去していた。だが、ユウと各国の大使達が連日会合していたおかげで形成された大使達のネットワークは十全に機能していた。そのネットワークに乗って、超特急で各国首脳へ国王処刑の情報は運ばれていく。当然、この男のもとにも。
「天運はまだ、あるらしいな」
「イヒッ! まあだ諦めないんかい、しつこい男だねぇアンタは」
「黙れ! まだまだ挽回可能だ!」
都市パナマで療養しているハズの近衛元帥は病床の上で叫んだ。回復後も面会謝絶を続け、秘書を通してのみ外部とやり取りしていた元帥であったが、彼は正確に今の自分の立場を把握していた。
「どいつもこいつもたかが一回敗北しただけで何だというのだ。結果を見れば我が帝国は領土を新たに増やし、欧州への足掛かりを手に入れたというのにその功労者へ向けて非難を浴びせる。クズどもが恥を知らないとはこのことだ」
アステカの首都を攻略するという一世一代の作戦の失敗は、元帥の今までの立場を一転して不利にしていた。本国からは、病状の回復を待って帰国し、説明責任を果たせという要求が来ている。そしてこのままでは間違いなく失脚させられる、と元帥は考えていた。
「だからってまーた仮病なんて手を使うなんてねぇ、芸が無いよ。……医者としちゃあ色々とねぇ」
「安心しろ。熱病は今日で完治だ!」
元帥はベッドから飛び起きる。
「密約通りガリア以外の欧州各国と連携してガリアに攻め込む。ただしそのどさくさに紛れて新たに領土を獲得すれば小言をいう連中も口を閉ざすだろう! ハッハッハッ!!」
「――――結局、役者不足だったってことかねぇ……」
大笑いを上げる主をしり目に、老医師は残念そうにつぶやいて静かに病室を出ていった。
あとがき
今月に入り初投稿です。年内完結という宣言を守るため、全力を尽くす所存です。というわけで、31日までしばらく短い間隔で投稿が続きます。(が、それでもダメなときは、どうかご容赦を)