ガリア王国の財政は、何十年も慢性的な赤字に悩まされてきた。しかしどうにかやってこれたのは、傭兵派遣による収入に助けられてきたからだ。しかし、この度の事件はガリア王国に致命的な一撃を与えた。
その事件とは、オリーシュ帝国への敗戦――のことではない。そもそもあの戦いは極めて局地的なものであり、戦費という意味ではさほどの負担にはなっていなかったのである。問題は、アステカ帝国が領土を大量に奪われたことにある。
当時、ガリア王国はアステカ帝国から多くの物資を輸入していた。当然安価とは言い難かったが、それでも安定した輸入量は確実にガリア全土の民衆と経済を根底から支えていた。しかしブリタニア王国のアステカ侵攻により、アステカ帝国は輸出品の生産地――特に綿花を栽培する大農業地帯――を失った。アステカ帝国は諸外国への輸出が不可能となり、その影響はガリア王国を直撃することとなった。
市場から品物が目に見えて減り、市民生活は悪化していった。とは言うものの、このとき消滅した物の多くは綿を筆頭とした品々であり、国内で生産できる品物については最低限賄えていた。この点だけを見れば、最悪の状態は回避可能な状態であったと言えよう。しかし、残念ながらこのような状況を奇貨とした者たちがいる。
「せや! 物資不足を煽って値段を吊り上げたろ!」
――富める者たちである。
小麦をはじめとした自給可能な品々ですら彼らは買い占め、不安を煽りつつ売り渋る。こうすることであらゆる物資の市場価格は徐々に上昇していった。本来ならば、このような方法で儲けた者から税金を徴収することで民衆に還元することができただろう。が、ここでガリア王国が抱える最大の弱点が最悪の形で露呈した。なんとこの富める者たち、多くが税金支払いの免除特権を有していたのである。だが、この問題に対処しようとする動きがあった。
時の国王、ルイ16世は長年の財政問題を根本的に解決しようと模索していたのだ。そこにきて今回の騒動である。
「これ以上ない最高な判断でしょう! ワ~タクシに全部お任せくだサーイ!!」
国王はとある男を財務長官として指名した。ジュネーヴで生まれ、パリで銀行家として成功した外国人、ネッケルである。デキる男として民衆からの信頼が厚い男でもあった。
ネッケルは抜本的な改革として、いきなり本丸である免税特権に切り込む。そして大々的にこれの停止を行うことを宣言した。すると、市民の歓呼の声が響くと同時に――――
「はあ?! 何様?!」
当然の如く、特権階級の大反発を招いた。
免税特権の廃止に反対する勢力は、あらゆる場面で抵抗する。
「そもそも事は重大でありますムシュー。たかが財務長官の意見ではなく、国民を含めた公明正大なる場で議決することを求めるウィ」
「然り然り」
そして、貴族・僧侶・平民という王国を構成する三の身分から広く意見を集める評議会――全国三部会の開催を要求した。
「彼奴らは……そこで免税特権廃止を正式に否決させるつもりだ……国王である余をなんだと思っているんだ!」
会議において各身分の構成員は同数だ。すなわち、貴族や僧侶が共に免税特権の廃止を否決すれば、いくら平民代表が廃止を訴えたところで「免税特権の廃止はなし」となる。
だが、民衆は自分たちの声が届けられるこの三部会で貴族や僧侶に要求を飲ませようと気炎を上げ、国王に開催を要求した。奇妙なことに、敵対すべき両派の意見が一致を見せたのだった。さすがにこうなっては拒絶できない。例え袋小路だと分かっていても。
「国王がうまいことやってくれると、民衆どもは赤ん坊のように信じているのですねぇ。なんでそんなにピュアなのか、ワ~タクシには理解出来まセーン!」
見え透いた罠に突っ込まざるを得なくなったネッケルは吐き捨てるように皮肉を言い、1789年5月に全国三部会を開催することを宣言した。
そして年が明けて1月。全国三部会の代表を決める選挙戦が始まり、身分の隔てなく影に日向に政治的会合が開かれた。
一方、そのような俗世界とは切り離された空間がパリから徒歩半日程度南西に行った先に一箇所存在した。目の前には、冬の森を意識させる静謐な空間に白亜のテーブルとイスのみがあるだけ。そこに、近衛ユウとオリ主は案内される。
「まもなく陛下がお越しになりますので、椅子に座ってお待ちください」
「あ、どうもです……」
リアルメイドさんに素になるオリ主。というのも、今の彼らの服装は一味違う。前裾を大きく斜めに切った形状のスーツを着込んでおり、パッと見はまさに紳士。
「んっ、ちょっと襟元が窮屈なんだけど」
「まったくしょうがないな……少しだけだぞ」
今まで縁がなかったようなフォーマルなスーツに身を包んだオリ主は、首元を緩めてふうっ、と一息。やはり、本物の貴種であり一国の大使であるユウと比べてしまえばすぐにボロがでる模様。七五三の子供だろうか。
「……普通に室内で会っちゃダメなんかね」
一息つけば、思わず漏れる愚痴。少し遠くに目を向ければ、そこには豪華絢爛たる宮殿が鎮座している。
「政治情勢的な理由もあるのかもしれないが、この国の作法に疎い我々のことを思ってのことだろう。ここは好意と思うべきだと私は思うぞ。……それよりも、今回相手側にこちらの資料を渡す際に気づいたが、なぜ名前が違う。なんなんだ煉獄院とは? 山本という名前はどこに行った?」
「え、今さら聞く? まあいい、気づいてなかったのなら改めて言おう! 煉獄院朱雀とは、魂の名前! 山本某とかいう平凡な名前はオリ主には似合わないからな……!」
「軍の正式な書類に偽名で登録するな……お前、もう私以外の他人には絶対山本だと名乗るなよ。面倒な事になるから」
そう言ったユウは呆れたような顔をして忠告した。普通に考えて、大使館にいるような軍人が偽名を持っているなど、疑ってくださいと言っているようなものである。
さて、そんなヤバ目なやり取りが行われているここはガリア王国の中心。王城たるヴェルサイユ宮殿の中、小トリアノン宮殿近くの庭園であった。つい先日、いろいろなゴタゴタから延期になった国王との謁見が急遽決まり、こうして二人は罷り越すこととなった。しかしどのような意図があったのか、外国からの賓客と謁見する鏡の間ではなく、このような場所に呼び出される事態となっていた。
……あ、やべ。もう帰りたくなってきた。
どのような意図があるかはさておき。慣れない服装でいろいろ窮屈な思いをしているためか、面倒な学校行事をサボりたくなっている学生のような心境になるオリ主。すると、誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。手には、湯気が出ているカップを乗せたお盆(?)を携えている。
「やや、申し訳ない大使殿。暖かいカフェでもいかがかね?」
そこには40歳手前くらいの、頭にいくつもカールを乗せたおっさんがいた。
「最近はすっかり、カフェも品薄が続いているらしいね」
そして、まるでそうするのが自然とでもいうべきスムーズな動作で、空いている椅子に座ってカップを配り始める。
「どうもありがとうございます。えっと……モーツァルトっぽい人!」
頭髪の特徴から、昔見た音楽室のモーツァルトの肖像画を思い出して突発的に口走るオリ主。クソ失礼なことをほざきながら、配られたコーヒーに手を伸ばそうとして。
「陛下!」
「うわっ熱っ!」
突如立ち上がったユウの声に驚いて、手にコーヒーを零してしまう。オリ主は手についたそれを口ですするという下品極まりないことをやっているが、本来それを注意すべきユウはそれどころではない。
「な、な、なぜこのようなことを……」
ユウはとんでもない失態を犯してしまったという風に焦っていた。だが、当人はどこ吹く風。
「私はこの宮殿の主人なのだ。なら、ご客人にこうしてカフェのひとつも出すことはむしろ礼にかなうというもの。それに、今日は茶会として招待したのだからあまり細かいことは気にしなくてもよいではないか」
「え、あの。茶会……ですか?」
「む? もしや連絡に不備があったかな。はは、なるほどだからそのような格好であるのだな!」
「――――ごめん、よく話がのみ込めないんだけど。」
オリ主は、何が何やらといった風に戸惑う。そして、「それで、このヘイカさんはどちら様なの?」と暢気な問いを口にする。
「おお! 自己紹介がまだだったね、失敬失敬!」
たはは! とコミカルにおどける眼前のおっさん。
「余はブルボン朝ガリア王国の国王、ルイ16世である」
コーヒーを持ってきてくれたおっさんは、職業:国王を名乗ったのだった。そしてそのまま、まあそれは置いておいてと一言。改めてオリ主たちに向かい合う。
「それでどうだね、我がガリアは?」
「あ、はい。そうですね。いい国だと思います」
「ほう……具体的には?」
「うぇ?!」
一国の王様に「うちの国どう?」と面と向かって聞かれて「いやーあんま良くないっす」と答えられる人間がどれほどいるだろうか。大抵は社交辞令的にでも良いと言うしかない。そしてそれは質問する側も当然承知しているべき事柄である。
オイオイオイ……そういう事聞くか普通!? つーか性格悪くないか?
戦場でオリ主無双(笑)は出来ても社交まではそう都合よくはいかない。悪戯が成功した悪ガキのような意地の悪い顔で答えを待つルイ16世に心の中で毒づいた。
(おい……無難に良い所を上げるんだ)
目でユウが語り掛けてくる。だが変に間が開けばますます答えにくくなるのがこの手の質問である。兵は拙速を貴ぶ――オリ主はこの言葉を実践して、最初に頭に上った言葉を言った。
「お、女の子が可愛いことですかね? まあ最初はなんだこのガキ大人ぶって生意気だなって思ってたんですけど、あ、これは近所に住んでる子なんですけどね。でも生意気な事言ってても慣れてくるとけっこうそういう点も含めて可愛い感じで将来美人に――」
グシャ! という擬音が聞こえてくるような痛みがテーブル下の足から脳に駆け上がる。
(それは無いだろう! それは!)
俺は悪くねえ! 俺は悪くねえ! こんな質問、急にするほうが悪いんだよ!!
ユウからの無言および物理的な非難に対して、理不尽を叫びたいのを我慢して何とか堪える。顔は痛みをこらえて軽く微笑んだままを維持する。オリ主、TPOをわきまる。ついでに発言内容的にロリコンが匂い立つが本人にその趣向は全くない。
「ッチ……なかなかいい答えだね」
いま舌打ちしなかったこの人?!
目の前の王様の顔には、田舎者をからかって遊ぼうとしたら思わぬ答えを返された、という感情が浮かんでいた。オリ主の中で、王様の威厳やブランドイメージが急速に落ちていく。
(もういい。もうこの辺で切り上げろ頼むから!)
とここで、ユウが焦りを抑えて必死に目配せをしてくる。隙を見て話を切り上げろということだ。
だが、当のルイ16世は会話を切り上げるタイミングを与える気はなかったらしい。
「そう言えば君、さきほどモーツァルトといったが……それはアレかね? 作曲家の?」
「え、あ。はい。そのぉ、変な事いってスイマセンでした、はい。」
「ハハハ! いいよいいよ! それより、彼の名前がまさか遠い外国のお客さんから出てくるとは思わなかったね! まさか海を越えるとは」
「はっはは……」
「たぶん未来の東の果ての国でも有名になると思われ……ハハハッ」
「未来とは! 君面白いこと言うねえ。でも彼、余の奥さんを子供の頃に口説いたことがあるらしいんだよ。まったくとんでもない男だ! できるならそういった話も含めて未来に伝わってほしいものだよ」
微妙な嫉妬心をのぞかせながら、ルイ16世は言った。
いい年したオッサンの嫉妬なんて見苦しいだけだろそんなもん見せんな!
心の中だけだが、うっかり口にすれば不敬罪は免れないレベルの暴言を吐く。
(気配を、気配を消すんだ……!!)
気配って無茶言うなよ忍者じゃないんだから。つーか俺だってもう嫌だよしんどいし!
目で会話する主従。しかしここで、「さて」とルイ16世は軽く一呼吸を置いて、ここからが本題だと言いたげに、先ほどとは変わって落ち着いた声色になって話しかける。幾分か、声を潜めて。
「すまないね、こんなところに呼び出してしまって。いま宮殿内はちょっと、ね」
「選挙、のことですか陛下」
「はは、いやいやお恥ずかしい話だ!」
たはは! と笑うが、目は決して笑っていない。むしろ、憔悴の色が見て取れる。先ほどまでとは違った意味での、国王らしからぬ雰囲気だった。追い詰められつつある、切羽詰まった人間のそれだった。
……王様って大変なんだな
と、内心で思いつつ、その後はただユウとルイ16世のやり取りを見守るだけとなる。手に持ったカップを口に付け、いくらか冷めたコーヒーを喉に通す。
ゴーン……ゴーン……
――――遠くのどこかで鐘が鳴った。
☆
冬に訪れた冷たさがすっかりなくなり、春も終わろうという頃であった。一台の粗末な馬車がパリへと向かう街道沿いに留まっていた。そのそばで、馬車の主と思わしき男性が知り合いと談笑していた。
「選挙だなんだって、それでなにか変わんのかよって話だ!」
「だな!」
ゲラゲラと笑い、ついでに痰を道端に吐く男二人。どうやら、先日行われた全国三部会に送り込まれる議員を選ぶ選挙に対して思うところがあるらしかった。男たちは口々に日頃の不満や愚痴を言い合う。しかしそんな馬車に、貧相ながらも身なりのいい青年が歩いてきた。
「失敬。君、この馬車はどこへ行くのかね?」
青年は、その恰好に見合った品の発音で言った。
「ああん? ああ、パリだよ。なんだよ兄ちゃん乗りたいのか?」
「ええ。頼めるかね? 急ぎなんだ」
青年の対応は始終丁寧なものだった。それこそ、いまこの田舎道では浮くような。ゆえに、馬車主の顔に微妙な渋みが走る。それは端的に言えば「スカした若造の態度が癇に障った」といったところか。
「別に構わねえよ。ただ急ぐなら料金は――だがね」
この時提示された金額は、急ぎであったとしても相場の倍であった。だが、若い紳士はそれに即答する。「それでいい。よろしくたのむ」と即金で手渡す。
馬車主の顔はますます渋くなる。そして軽く目が泳ぎ、はっと気づいて改めて向き直る。
「へっへ……そんじゃあ、明日ここに来てくれよ」
「今からではダメなのか?」
紳士は空を見上げる。まだ太陽は登り切っておらず、昼前である、
「準備ってもんがある。明日だ」
「私は急いでいる。明日では遅いのだ。別の業者を探そう、返してくれ」
紳士はため息を吐いて手を出すが、馬車主は鼻で笑って取り合わない。
「おっと悪いがそうもいかねえ。いいから明日にしな若いの」
「……私は急ぎといった。そしてそのうえで、相場の倍支払っている。料金を受け取った以上あなたは仕事をする義務があるというのに、明日出発などと言い料金を返さない。それは道理が合わない、というものではないかね?」
紳士は噛んで含んだように、わからず屋に教え諭すような口調で言うが、馬車主はそれが心底気に食わないと言ったように声を荒げる。
「てめえ俺に説教かまそうってのかよ!! ちょーしに乗るんじゃあ――――」
だが、その罵声は途中で切れる。青年の仲間たちが――否、のちに歴史に名を残す男達が集まってきていた。
「おいおいロベスピエールよ、なに揉めてんだよ」
顔面のあばたが醜い。しかし、大柄で筋肉質な体格とそれに見合った迫力を持つ男、ミラボー。
「我々は使命を帯びています。つまらない諍いなど起こさず早急にパリへ向かう義務があります」
クールな顔で鋭い声色を放つ色男、サンジェスト。
その他複数の人間が、馬車を取り囲んでいた。その誰もが、一癖二癖もある。
「あ、どうぞ今すぐ出発しますんで、ハイ」
馬車主は、先ほどまでの態度を一転させた。ちなみに、馬車主の連れは早々に何処かへ逃げていた。
「あ、あ、あの――それで旦那方はいったい……」
一変した態度で、ロベスピエールと呼ばれた青年に尋ねた。
「我々が何者か、ですか」
ゆっくりと馬車に乗り込もうとしたロベスピエールは答えた。
「ガリアを救う者――ですよ」
全国三部会が開催される直前のことだった。
追記
感想欄でご指摘を受けた通り、こちらの手違いで同じ話を投稿していることが判明しました。昨年12月に投稿したものを消去し、今年の6月に投稿したものを残すことにしました(6月に投稿したのは12月に投稿したものに加筆修正を加えたものなので)。ご指摘ありがとうございました。