オリーシュ帝国本土への報告事業がひと段落した頃。常夏のパナマでは季節感はないが、北半球では冬の到来を知らせる寒風が吹き始めていた。そんな時期に、いよいよ近衛ユウ大使とそのお付きの人員を乗せた船が都市パナマを出発した。船は順調に航路を進み、大西洋を東進、のちに北進。良い風を掴んでヨーロッパ大陸の外縁を沿うように航行を続けた。
「順調すぎてつまらねぇぜ。映画ならここらで難破するところなんだよな、タイタニック的なさ!」
「――――山本、不吉なことを言ってくれるな。あっちを見ろ船員が怒ってるぞ。海で働く者は信心深いんだ」
「え? あ、すんません……あ、ちょっとま――――」
途中、オリ主が縄で縛られて船首あたりから吊るされるというハプニングがあったものの、航海そのものはトラブルもなく進み。海峡を挟んでブリタニア王国の対面に位置する、ガリア王国の臨海都市「カレー」に到着する。
都市カレーは、ドーバー海峡の北海の出口に面しているため、交易拠点でもあり対ブリタニア王国の最重要拠点でもある。都市周囲は厚い防壁によって囲まれ、更に郊外には数箇の砦が建設されている。まさに大規模な軍事要塞であった。
「おお、揺れない地面……」
誰よりも先に下船し、不動の大地を踏みしめるオリ主。一行は、これより先の先導をしてくれるガリア側からの案内人を待つ手はずになっていた。そのため、しばし港にて待つ。
「――――んんん? なんだあのでっかいの!」
地面で無意味に足踏みしていたオリ主が叫ぶ。隣接する広場にそびえ建つ巨大な何かを指し示し、ちょっと行ってみようぜとユウの手を引いた。まるっきり遊園地でテンションが上がった子供であった。
「あ、ちょ――」
「え~と、なんか書いてあるな? うわ、なんか文字のタッチが荒い! いや彫り込んでいるからタッチとは言わないのか? まあ別にいいか!」
ちょっと情緒が不安定になってないか? と小声でユウが言うが、ハイになって目の前にそびえるモニュメントに指を向けているオリ主は気づかない。ユウはちょっと呆れながら、その指が指しているガリア語の文字を見る。
「……ふむ、『血によって取り戻した麗しの都市。二度と奪われるな』か。」
「はぁまあ、物騒なことで」
「それは、我々の血の歴史でもありますゆえ。遅れてしまったお詫びに、ひとつ歴史講義をいたしましょうか?」
「え?」
オリ主が割り込んできた声に振り返る。そこには微笑をたたえる男性が立っており、帽子を取って一礼してみせ、そのまま語りだす。
「カレーの歴史は、戦火の歴史でもあります――――」
都市カレーの原型は古代帝国による北海交易の拠点として成立。古代帝国が滅んだのちはガリア王国の都市として再建されたという経緯がある。だがカレーはその立地により度々戦火に見舞われ、他勢力に奪われてきた。かつて勃発したブリタニアとの100年戦争では、ブリタニア軍による長期間の包囲の末に陥落。奪い返すのに長い年月を要した。だがその直後に、今度は西方の隣国であるヒスパニア王国に一時奪われるという憂き目にあっている。その後もヨーロッパで頻発する戦役でカレーは傷つき、火に焼かれた。その記憶は都市に物理的に刻まれ、生々しい焼け跡などがちょっとした隅に散見される。
「へぇ……そんなことが」
「歴史講義をありがとう。して、あなたは?」
「申し遅れました、わたくしジョゼフ・フーシェと申しまして。大使様方のパリへの案内を仰せつかっております」
再び礼をする男改め、ジョゼフ。柔らかい物腰、丁寧な口調。どれ一つとっても人を不快にさせる要素が無い。なのだが。
うーん、なんか首筋が微妙にチリチリするんだよな……
オリ主の直感がなぜか警報を鳴らしている。決して命の危険があるとか悪意を感じるというわけではない。ざっくり言えば「ただ者ではない」といったところか。
「えっと……けっこうエライ人ですか?」
「エライ? 私が? まさか、ついこの間まで求職中の身でしたよ! 所作に何か感じるところがあったのなら、それは私が神学校に通っていたからでしょう。もっとも、僧籍には入っていませんが」
「やま――ンン! 煉獄院、あまり詮索するものではないぞ。それと馬車も到着したようだ」
本名ではなく「オリーシュ帝国で通用している名前」を呼ぶユウ。名前が二つあるのはややこしい限りだ。
「あ、おう!」
「ここからは陸路だ」
「へーい」
「では、ご案内いたしましょう」
こうして、ガリア側から用意された馬車に乗り込みカレーを出発。ぱっからぱっからガタゴトガタゴト、馬のひずめと車輪の音を響かせながら、ガリアの首都パリを目指して田舎道を進む。
「あ、あれ何の畑だろう。木が植えてあるぜ」
「ん? ああ、ワイン用のブドウの木らしい。この本に書いてある」
「へぇ、なんか買おうぜお土産的な」
ユウが参考資料として渡されていたガリア王国に関する本から解説する。その姿はまるっきりドライブ中といった風情であった。遠く澄み渡るような青空が広がるなか、一行はそれなりに道中の景色を楽しむ。
「はへぇ……」
オリ主が、ボケっとした顔で息を吐き、背もたれに身を預けて頭上を見上げる。
……そういえば、こんな観光しているような旅は異世界に来てから初めてか。
思い返せばこのオリ主。護送から始まって戦争が日常と化し、こんなゆとりのある日々は初めてだった。これも一種のワーカーホリックとでもいうべきなのか、まるで生き急ぐような日々を送っている。武勲を上げて出世して、オリ主らしく俺TUEEをする。そんな(勝手な)使命感に突き動かされていた。
ま、たまには休暇も必要だろう。ワークライフバランスってやつ?
どこかで聞いたような単語を思い浮かべながら、再び窓の外を眺める。ぼんやりとした目に、ヨーロッパの空を飛び回る鳥の姿が見えたのだった。
さて、そんなふうに観光気分で幾日か。それでも馬車は道中何のトラブルもなくスケジュール通りに進み、ついに大使一行はガリア王国の首都パリを視界に収める。
「ご用意した大使館の方はパリの北東にございますので、このまま向かいますがよろしいですか?」
「それで構わない。こちらも早く荷物を置いてしまいたいので」
「だな。パリ観光は後でもいいし」
カレーから着いてきたジョゼフが、先行する馬車から下りてユウに尋ねる。後半一名が完全に旅行者気分であったが、できた案内人は苦笑いを浮かべることなく華麗にスルー。だが、案内されるままに向かった場所に建つ大使館を一目見た大使一行は、スルーと言うわけにもいかなかった。
「えっと、こちらになります……」
「うーむ……」
「えぇ……なにこれ廃屋?」
「もとは由緒正しい教会でして。一応、作りはしっかりしておりますので掃除をすればすぐにでも……あ、目の前に川が流れておりますので、暖かくなったら休日に魚釣りなどいかがですか?」
「へいへい案内の人さぁ……」
「や! や! 違うんです!!」
カレーで見せた優雅なイメージを崩しつつ弁解するジョゼフ。それもそのはず、目の前にはドアが吹き飛び、ステンドガラスは砕け、建物の中にまで植物が侵入している廃教会が。流石に「ああ、リバーサイドとかいいね!」とはいかないオリ主。額に青筋浮かべながら案内人に詰め寄る。だてに実戦経験を積んでいないオリ主の迫力に焦る案内人は、とつとつと事情を話し始めた。
「……その、パリ市内には多数の国の大使館がひしめいておりまして。何分急な話でしたのでここ以外ですと本当に家畜小屋のような建物しか…………」
「にしたってよぉ……」
あまりにも申し訳なさそうな顔するものだから、オリ主も若干の罪悪感を抱く。そもそもこの人がこの建物を選定したわけではないのだから、脅したところでどうにもならないだろう。だが、人間よりも野生動物が住むほうが相応しかろう建物を寝床とすることは、そう簡単に受け入れられないというのが人情だろう。
「――――ま、しかたないだろう。ジョゼフ殿、近所の者に声をかけて、片づけや食事の用意を頼みたいのだがいいだろうか? もちろん礼金はこちらから出す」
「そうしていただけると、はい。助かります大使殿」
が、結局折れたのはユウたちの方だった。ユウの性格的にこうなることが予想できていたオリ主は、仕方ないこととはいえガックリと肩を落とす。内心、大使館ということでちょっと豪華なものを期待していたのだ。
「いいのか? 文句言えば向こうに金を出させることもできたんじゃねえのか?」
「いいんだ、見ろ」
ユウが目配せした方向をちらりと見れば、近所の住民らしき人々が遠巻きにこちらを観察していた。突然見知らぬ外国人が近所に来れば、こうもなるだろう。みな、興味と警戒の色を瞳に浮かべている。
「まずか近隣住民に受け入れられることから、だ」
ユウは、朗らかに笑った。
「終わらないと寝れないとはいえ、よう頑張ったぜ俺……」
「ふふ、おい顔にすすがついてるぞ」
「え、マジ? どこ?」
「いや、もう少し左……いや行き過ぎ……ああもう、少し待ってろ」
オリ主が顔の汚れをユウに拭ってもらう。その間、オリ主は掃除が完了した建物を内側から眺める。
礼拝に訪れた信者用の長いすは撤去され、代わりに来館した人を受け付けるための机やいすが置かれた元礼拝の場。本来は説法する神父が立つための講壇には、神聖オリーシュ帝国の国旗が鎮座している。割れたガラスを新しい物に交換する時間はなかったが、応急処置として木の板を穴に打ち付けているので当座はしのげるだろう。
――――ホント、頑張ったよ俺
程よい疲労と達成感に身をゆだねる。オリ主がこれほど真剣に掃除したのは、学校の大掃除以来だろうか。だがなんにせよ、近隣住民の力を借りてなんとか夕暮れ前に掃除を終えることに成功。そして教会の地下に物置があったのでそこをユウの私室に、屋根裏をオリ主の部屋とした。それぞれの部屋にベッドやタンスといった生活用品と私物を持ち込めばどうだろう。ちょっとした秘密基地の完成だ。
お、いいんじゃねえの?
当初は不満がありありと浮かんでいたオリ主の表情にも、何となく満足感の色が。
「――――うん、取れた。子供じゃないんだから変なところを汚すなよ」
「……それで今更なんだけど、何すんだろうね大使って」
「そ、そんなことも知らないでついて来てたのか……ま、いいか。一言でいえば、その国の出先機関の代表として国家間の交渉を代行することなんだが……」
「正直、そういった案件が来ることはほとんどないと思っていいでござるよ」
「……! だれだ!?」
唐突に話に割り込んでくる声がした。案内人のジョゼフはいつの間にか帰っているから違う。いま二人がいるのは中央のホール。そのため、入り口かと目を向けるがそこには誰もいない。混乱するオリ主が目をあちこちに向けるが、一向に声の主は見つからず。だが、焦るオリ主とは対照的に、ユウはひどく落ち着いていた。
「落ち着け。彼は父の部下で私について来てくれた人員なんだが……」
「茂武影と申します。ぶっちゃけていえば諜報員でござる」
「うわっ! いつの間に!?」
少し目を離していた隙にか、オリ主の目の前に片膝をついて控える全身黒ずくめの人間が出現していた。そしてこのどこからともなく現れた黒子のような存在は、なんだかその辺にいそうな感じの名前を名乗る。
「え、諜報……あ、スパイか?」
全身が真っ黒で、スパイというより忍者だった。それも、時代劇に出てきそうな感じの。
「実はパナマからずっと一緒だったんでござるよ?」
「え、うそ!? だったら出発前に顔だせよびっくりしたじゃん!」
「でもほら拙者、いないはずの人員な訳ですし? 他の人の目があるところでは、ね?」
忍者スタイルの茂武影はケラケラ笑った。口元を覆った布のせいで詳細な表情までは分からなかったが、それでも目を見る限りどうにも無邪気さが垣間見える。本当に、忍者やスパイと言われても全くそうは思えない雰囲気だった。
「はあ、まあいいや。で、やること無いってのは?」
「多分、ガリアも他の国々も我々を警戒してまともな交渉事などろくにもってこないだろうと思われますゆえに」
「オリーシュ人の知名度は、このヨーロッパにおいては限りなく低い。まずは、私自身が各国大使が集まるパーティーに顔出しするところから、だな。というわけでこの大使館は表向き二人、実際には三人でやっていく」
「はぁ、そんなもんなのか」
オリ主はよく分かったような、分からないような心持で返事をする。いや、実際問題として理解できていなかった。この男にとって大使館など、なんか外国から来た偉い人がいる場所くらいにしか思えなかったのだ。事実、異世界トリップする前の現代日本において外国の大使館に用事があったことは一度もなく、大使館の仕事とは何ぞやと言われても実感が全く湧かないでいたのだった。だからこそ、「大使館の人員がたったの三人」という異常に気付かない。
「ああそれと、拙者の寝床は不要でござるよ。基本的にパリに寝泊まりしつつ色々と後ろ暗いところでちょっと……でござる」
忍者がパチリとウインクを飛ばしてお茶目に言う。そんな軽い感じ言うことじゃねえだろこの忍者が、と思ったものの口には出さず苦笑いで返す。
でもスパイか……うーん。
人知れず闇に暗躍する正体不明のシルエット、報われることもなく散る滅びの美学的なものにそこはかとないカッコよさは感じる。が、やはりオリ主的にはキャーキャーいわれてなんぼな訳で、アリよりのナシという判定を下さざるを得ない。残念ながら、007の世代ではないのだ。
さて、それぞれの活動内容はともかくとして、暫定的な方針は決まった。ユウはパーティーで各国の要人に顔を覚えてもらうためのあいさつ回り、茂武影はダーティーな忍者活動である。だがここで一つ、浮かんで当然の疑問が浮上する。
「――――そういえば……俺の仕事は? 護衛って聞いたんだけど」
「そうだな、外出時には付き添ってもらうことになる」
「それ以外は? 別にずっとパーディーな訳じゃないだろ」
「…………ガリア国民との交流かな?」
いやいや、こういう地味な仕事が重要になってくるでござるよ、という忍者スタイルからのフォローがあったが、つまりは「付き添い以外、仕事としては特にない」という最大限オブラートに包んだ発言であったことくらいは理解できた。
「ま、まあアレだよな、今まで忙しかったわけだしこういうのも良いよな!」
最大限の強がりを言うが、歯切れが悪く。こうして一人、遠い地でほぼ窓際となるのだった。
その後、三人は近所の住民に作ってもらった夕食を食べ、食器の片付けもそこそこに各人の部屋へと戻っていった。さすがに、長旅直後の大掃除は負担が大きかった。体力の限界に加えて腹が満ちたことで襲い掛かる急激な睡魔は強烈であった。
「ふぁぁぁ……ねむ」
大あくびをしつつ、ランプの灯を落としてベッドにもぐりこもうとするオリ主。だがそれをノック音が待ったをかけた。屋根裏ゆえに、階下へと通じる床がパカリと開く。
「もし、煉獄院殿。すこしよろしいでござるか?」
「あぇ? なに……?」
「なに、男同士の密談でござるよ」
すっかり寝るタイミングであったオリ主は眠気眼のまま、床からひょっこりと顔を出した茂武影を招き入れる。ユウも男じゃね? と何となく思ったがすぐに流す。
「よっと。ではさっそく……」
茂武影は相変わらずの忍者スタイルのまま、屋根裏部屋に入ると声を落として話し出す。
「……大変今更でござるがご注意を。情報というものは、知るべき者が知るべき時に知っておけばよいもので。これは決して意地悪というわけではござらん。単純に、そっちの方が誰にとっても幸せであることが多いという事情でござる」
「はぁ……」
「なので、自分の仕事に関係のないことは気にしない、聞かない、と。自己防衛のためにもこれは徹底してほしいのでござるよ。具体的には、ユウ殿の部屋には入ったりしないなど」
「あぁ……えっと、外交機密的な?」
睡魔で鈍くなった頭であったが、そうあたりを付ける。いまは顔繋ぎの前段階という状態でも、いずれは色々と機密情報を扱わなければいけなくなるからかな、とオリ主は納得した。
「おけ、見ざる言わざる聞かざるってやつでいく」
「いいこと言うでござるなぁ、今度からそう言う風に説明するでござる」
「そりゃ――ふぁああ……どうも」
カラカラと忍者は笑った。オリ主としては、いい加減重くなったまぶたを持ち上げるのに苦労する。
「じゃ、いい夜をでござる。いやあ、昼間ちょっとのぞいただけでもパリ、というよりこの国は色々と見ごたえがあるでござるからなぁ」
「あ、いくのね――――俺はもう眠くて……」
「おお失礼。ではではこのあたりで」
オリ主は手を振りつつ階下へと戻る茂武影に背を向け、ベッドに潜りこみ速攻で寝息を立て始める。それを床の扉の下から確認した黒ずくめスパイは、やれやれと胸を撫でおろす。聞き分けが良くて助かった、と。
「味方を謀殺するのは、気乗りしないでござるからなぁ……」
諜報員が振るう冷たい刃や毒が、敵国人のみを対象とするとは限らない。知ってはいけないことを知ってしまった同国人を、機密保持の名のもとに処分するのもまた彼らの仕事。国家の裏側で人知れず活動する彼は、誰にも聞こえないつぶやきを残して影のように消えた。あとには何も残らなかった。
あとがき
何とか五月中という約束が守れてほっとしています。ちなみに次回は未定ですが夏をめどに頑張ります。