都市パナマに設置された軍司令部の一室において、近衛ユウは次々と関係各所へ回す命令書にペンを走らせる。出来上がった書類は即座に室外へと運ばれ、しかるべき者のもとへと運ばれていった。
「お考え直し下さい。もしもこのことが御父上に知られたら……お怒りを賜るだけではすみませんよ」
そっと見元で囁くように言ったのは、まだ中年とも言えない年齢の若い男だった。
ユウはせわしなく動かしていた手を止めると、目の前の若い秘書の顔を見る。彼は父に秘書として同行させるように言われて配属された部下であった。初顔合わせの時はずいぶんと若いと感じたが、今はひどく憔悴して見えた。とても自分より一回りほどしか年齢が上であるとは思えないほどに。
「この都市における現時点での最高責任者は誰か?」
「それは……」
じっと目を見て静かに言葉を発すれば、秘書は言葉に詰まらせた。我ながら随分と意地の悪い質問をしたと、ユウは密かに自嘲する。
「これ以上の問答は不要だ。準備は?」
「できてはおります……しかし、私は……」
「お前にも迷惑をかけるが責任の所在は私だ、何かあれば命令されたと言えばいい……卑怯者にも恩知らずにもなるつもりはないんだ。許せ」
「…………」
目の前の秘書の真たる主は父だろうことは容易に予想できる。お目付け役、あるいは監視役といったところか。命令されたから、で済むとは思えない。だが、公的に言ってしまえば現在においては自分こそが主人である。
板挟み。その気苦労に対する同情はあるが、今だけはそれを無視せざるを得ない。これから行うことは、それだけの意味と理由があるのだから。
「では、行ってくる」
ユウは身なりを整えて部屋から出る。与えられた権限で行えることはすべてやった。しかし、結局のところ事が順調に進むための条件は、まだそろっていない。それをそろえられるか否かは、これから行おうとしている行動にかかっていた。
「……成功を、祈っております」
絞り出したような声を背に、ユウは歩みを進めるのだった。
☆
パナマの労働者がそれぞれの一日を終え、家路につこうという時のことであった。
「皆、仕事終わりだということは理解している。しかし、ほんのしばしで構わない。立ち止まって私の言葉に耳を傾けてほしい」
太陽が西の海へと沈んでいこうという時分。広場に集まった群衆を前にして、樽で作った台の上から近衛ユウは声を張った。仕事終わりの疲労が見えるパナマ人の労働者たちは、突然の貴公子の出現に面食らった。オリーシュ帝国から湯水のごとく注がれる投資によって、アステカ帝国時代よりも格段と生活がよくなった彼らは、大抵がそれをもたらしたオリーシュ帝国に好意的である。そしてその評価は、目の前の貴公子にも転嫁されていた。仕事で疲れていても、少しくらい話を聞くくらいの手間は誰も惜しまなかった。
「知っての通り、現在この都市の東の島々に、ガリア王国軍が侵攻している。今はこの都市の志願兵たちが食い止めているが……」
わずかなどよめきが潮騒のように広がった。軍事情報として伏せられていたガリア軍襲来の情報が、パナマ人たちに初めて公開された瞬間であった。パナマという土地にとって、カリブ海の島々は庭先のようなものである。そこに外敵が侵入しているなど、ショッキングな情報以外の何物でもない。
「息子がそこにいるんです! 大丈夫なんですか!?」
若い女性の叫び声がする。
息子、兄弟、あるいは夫が……肉親が志願兵として現在もガリア軍と対峙しているというならば、そのような声は必然だった。安否を心配する叫び声がユウのもとへ届く。
「……正直、楽観視できない状況だ」
一度、伏し目がちになりながらユウは言った。群衆の中で、ショックで崩れ落ちそうになり、周囲の人間に支えられるという場面が散見された。
「ゆえに軍艦を援軍として送りたい!!」
そこへすかさず、ユウが力強く叫んだ。この場は決して、単なる説明会ではない。外敵による侵略に晒されている、そしてそれにどう対処するべきか。これこそが、本題であった。
「だが、陸地を遠回りしてでは東側の海に到着するのはいつになるかわからない。一分一秒でも早く今なお寡兵にて敵と対峙する兵たちを助ける為に――私はここに、皆に協力を仰ぐべく立っている!」
「あの、どうやって……?」
群衆から、当然ともいうべき疑問が飛んだ。
船は水の上を行くもの。だから太平洋側の船をカリブ海側へと運ぼうとするならば、必然的に大陸を南回りで迂回しなければならない。それは、子供でも理解できる理屈であった。そこになぜ自分たちの力が必要だという話になるのだろうか、と。
「運河を掘るんだ。この都市パナマの中央を貫くように、軍艦が通れるような運河を皆の手で掘ってほしい。ただ……誠に申し訳ないが、給料は出せない……もう予算が無いんだ……仕事終わり、始まり、または休日に、一日でも一時間でもいい!」
ユウの声がひと際大きくなる。船が通るくらいの運河を掘るとなれば大仕事だ。それを、ボランティアでやれというのだから、その場にいた群衆は口々に隣の者と意見を言い合った。
「皆の時間をどうか、貸してほしい……早速明日の早朝から始まる! 場所は東側の海岸からだ! ほんの少しでも、どうか!」
最後。ユウはそう締めくくると、帽子を脱いで壇上から下りた。身分のことから頭を下げてしまえば自らの祖国を軽んじることになるという常識と、それでもなお無茶なお願いを叶えてほしいという願いから発せられた、ギリギリの誠意の示し方であった。
「どうする?」
「どうって……俺ん家もガキが三人もいるしなぁ……」
漏れ聞こえてくるネガティブな言葉の内容。今は西の海に沈みゆく太陽。その陽光の残滓を感じながら公王府へと帰る。すでに道具も手配した。運河ができ次第、カリブ海へと向かうよう、都市駐留の艦隊に命令も下してある。全ては明日の朝に決まるのだった。
人は利益で動くものと教えられたユウ。報酬が得られない仕事に人は従事しようとしない。それが現実世界の冷たい原理原則であった。しかしそれでも、今だけは都合のいい不条理を信じるしかなかったのだった。
そして翌日。東の空から太陽が昇る前の黎明時にユウは都市パナマの東にある海岸に着ていた。現在、人はいない。道具もあり工事用のかがり火は焚かれていたが、パナマ人労働者は来ていなかった。
「やっぱり金が無いと……」
工事用の道具を持ってきてくれた部下がぼそりと言った。ユウはその言葉が深く胸に突き刺さったような気がした。
(やはり……ダメなのか?)
もう数時間すればそれぞれの今日の仕事が始まる。だから、来るとしたら今ぐらいの時間帯であるのだ。
ダメだろうか? でもそれでもこうするしかない。しかし賃金が無ければ人は動かない。それが現実だ。だがアイツは助けてくれた。特別な例だ参考にすべきでない。人は目の前の利益で動く。道理をわきまえろ。
ユウの心はいくつもの内なる声で満ちようとしていた。そして徐々にネガティブな声の割合が大きくなろうとした時、ふいに声が聞こえた。
「――――あれ、お前何で来てんの?」
「まあ、アレだよアレ」
ざわざわとさざ波のように、都市部よりこの海岸に続く道から人の声と気配が届く。それも、一人や二人ではない。もっと多くの人の声が。
「そうそうアレ。しかも、弟が今志願兵で戦ってんだよ」
「ああ、なら仕方ないな」
「しょうがないよな、うん」
日頃、肉体労働に従事していると分かるような体躯の男たちを筆頭に、ゾロゾロと歩いてくる。その数は百人、二百人ではない。老若男女問わず、多くのパナマ人たちの集団が海岸に集まっていく。
「で、お嬢ちゃんは?」
「もちろん、今も戦っているお兄様のためでしてよ?」
「……にしても、その……なんかいい服だなそれ」
「我が家の伝統でして。どんな時でも恥ずかしくない装いを!」
その中には、やや場違いな空気をまとう者も混じっている。兄のためにといった十代中盤らしき少女など、動きやすさと気品さを両立したような服を着ている。いっそ、これから貴族の殿方と乗馬すると言われればそうかと納得してしまうような、絶妙なバランスの服であった。だが、それは大したことではない。とにもかくにも、粗末な服を着ている屈強な男から、場違いなまでに質の良い服を着た女性まで。本当に多種多様な者たちが今、なんの報酬も得られないような工事に参集してくれているという事実こそが大事であった。
(……山本! お前のような無茶なやり方もたまにはいいのかも知れないな……!)
東から登りまぶしい朝日に、ユウは目を細める、その視線の先にいる人物に想いを馳せる。光の中に、無茶ばかりする友人の顔を思い浮かべて。
☆
その頃。話題のオリ主がいる折杖諸島では、捕虜の返還と撤兵に関する話し合いがなされようとしていた。ギラギラとした南国の陽光で照らされた砂浜では、日傘の下で両軍の幹部が一つの机を挟む形で向かい合う。
最初に口を開いたのは、ガリア側であった。
「まず最初に言っておくべきことが一つ。我らの将軍閣下の安全の保障がなされぬ限り、この交渉がまとまることはないだろう」
「大変結構。だが、安全の保障というのならばこちら側のことも考慮に入れていただかねば、我々側も是非を問うまでもないと思っていただきたい」
毅然とした態度で、北是がきっぱりと言い切る。
「はぁ……艦を自沈させよとは、到底受け入れられない。現実的な提案を望む」
これ見よがしにため息を吐かれてイラつく北是であったが、耐える。手元に握られたペンが若干ゆがむ。
北是達オリーシュ軍側の提案は、敵フリゲート艦の自沈処理と陸上兵力の撤退を見届けたのち、捕虜の将軍を連れてパナマまで後退。のちに外交ルートでの捕虜の返還を行うというもの。対してガリア軍側の要求は、直ちに将軍を開放しそれがなされたのを確認次第即座に撤退するというもの。なお、約束の履行は神への誓約によって保障されるものとする、としている。
双方ともに最初の提案が自分たちにどこまでも都合がいいものという事は重々承知。ここからいかにすり合わせるのかが肝である。
「そちらの将軍の身柄を返した後、貴公らが心変わりしないという確たる証拠を示して頂けるならば、こちら側も応じる用意がある」
『回せ回せパスだよパス! へいへいマイボマイボ!!』
「ハハッ! 己の心を証明せよとは無茶を言う!」
「では、砲弾の類をすべて海に放棄して頂こう」
『馬鹿野郎なんで回し蹴りするんだよルール教えただろ! 格闘技じゃねえんだぞサッカー舐めんな!』
「ノン。それでは我々の道中の安全が保障されませんな。この海域の海賊の多さはご存知のはずだが?」
『はいオフサイド! それオフサイドな! あ、おいコラ待てやあ!!』
「……では――」
「いやならば――」
「いやいや――――」
「いやいやいやいや――――」
「かかってこいやボケどもが! 未来じゃこれがグローバルスタンダードなんだよ糞どもがああああああああああ!」
「「うるさい今交渉中なんだから静かにしてろ!」」
難しい交渉。だが、テーブルのすぐ近くで飽きてサッカーを始めたバカたちに対して、初めて意見が一致した瞬間だった。
☆
フリゲート艦「ロリアン」の艦長であるフランソワ・ポール・ブリュイは甲板に立ち、砂浜での騒ぎを部下と共に眺めていた。望遠鏡越しの映像は、能天気の極みであった。
「船長、あいつらヤシの実蹴って遊んでますね」
「らしいな。腹立たしい」
艦長は胡乱気な目で、傍らの若者に声をかける。
「それで、あーっと、ヴォナパルテ少尉。先ほどの意見は本気か?」
「はっ」
「人質ごと撃てとは、また誰もが思っていても言えないことを言う。君は出世するぞ」
「艦長! 左舷全50の砲門、装填および照準完了しました」
「よろしい。合図を出し次第撃て」
まるで朝食の準備ができたから食べようとでも言う様な気楽さで、艦長は報告してきた兵士に言った。
「……あの、本当によろしいのですか?」
困惑で目が泳いでいる。報告にやって来た兵士すら戸惑う様な有様であった。しかし艦長は派手な身振りで大声を張り上げる。これが舞台劇であるかと錯覚するほどに。
「まさかまさかまさか! よろしいわけがない。彼らは同じ国王陛下に仕える同胞だ。それにやむを得ずとはいえ砲を向けることに、心が痛まないわけがない」
手で目元を覆うしぐさをしてみせる。だが、口は笑っていた。
「とは言うものの、現実問題として仕方がないことは仕方がないんだ、ああ。現場の意見もあるし、それに、将軍でありながら捕虜となり交渉カードになってしまっている様子を見るのは忍びない。むしろ、これ以上失態をさらさないようにという閣下への配慮だよ君」
そして、プルプルと艦長の身体が震える。同時に、口元の笑みが凶悪な三日月型にゆがむ。
「……俺の艦を沈めるとか舐めた要求出されやがってテメエが無様に捕虜になるのが悪いんだクソがぁ。敵も無能王族もひき肉になるのがお似合いだってんだよ」
ぼそっといった言葉は、誰の耳にも届かなかった。艦長――すなわちブリュイは伯爵という地位にあったが、決して王の血族という肩書に無条件で平伏するような精神構造ではなかった。
――――だが。
「かっか、艦長!! 大変です!!」
「なんだ落ち着け! 先走って撃とうってんじゃ――!」
「そ、それが……! 西の海に敵艦隊発見、既に接近されているとの報告が!!」
「――っ!! なぜ気づかなかったぁ! 見張りはどうした!!」
「その、サボっていたらしく……」
「そいつは後で海に突き落としておけ! そして100年後に回収しろ! 右舷戦闘用意だ! 急げ俺の艦を沈ませるな! 艦長になっての初航海なんだぞこっちは!」
そう言ったブリュイ艦長の声は、連続する大砲の発射音でかき消される。次いで響く着水音。一度空中に上がった海水が重力に導かれて艦に降り注ぐ。おかげで誰もが全身ずぶ濡れになった。
「あんな距離からだったのに至近弾だ!」
「クソが運悪ぃぜっ!!」
甲板にいる兵からの叫び声が響く。長距離からと思われる砲撃。それが至近弾であった。このことにブリュイ艦長の頭の中に様々な可能性が浮かぶ。敵艦はこちらの想定する以上の精度を持った大砲を装備している? それとも砲術師の腕が良いのか? 拿捕できれば思わぬ戦果だ。だが……
「単騎で暴れまわるには分が悪い…………艦の保全を優先する。右舷の装填作業はそのまま、進路を大西洋へ向けろ!」
「了解!」
素早く判断し、命令を下す。艦は撤退に向けてゆっくりと動き出した。その間砲弾が飛んでくるものの、ついぞ一発の直撃もなくフリゲート艦「ロリアン」は戦場からの離脱に成功した。
「あーもう! なんもかんもアホらし! せっかく初陣だって張り切っとったのに結末がこれとかほんまやってられんわ!」
後甲板の上。図らずもフリゲート艦と共に撤退することになってしまったヴォナパルテ少尉がケッタクそ悪い! と叫ぶ。
「国に帰ったら、軍人なんてやめて故郷に引っ込むのもええかもなぁ」
だんだんと遠くなる折杖諸島を眺めながら、頬杖をついてため息を吐く。こうして、オリ主に目を付けられていたヴォナパルテ少尉は思わぬ形でその手から逃れたのだった。それは一種の、運命的なまでの幸運であった。
☆
「俺たちのフネが……!」
「おおい! ちょっと待てよぉ、まさか俺たち……? 置き去りか……?」
ガリア側のフリゲート艦が逃げて、新たにオリーシュ側の艦隊が現れた。そのことに、砂浜ではガリア軍兵士が絶望に染まった顔で膝をついていた。
完全な形での降伏勧告を行えることが確定した北是は、晴れ晴れとした顔で友軍艦隊に翻る旗に敬礼を送っていた。旗には、オリーシュ帝国の象徴たる海鳥が踊っている。
「胴色の海鳥があれほど心強く感じたことはないな」
「……え、あ、うん」
あの旗の船で罪人として護送されたことがあるオリ主は、ちょっと言葉を濁した。
「ま、なんにせよ! これで俺たちの勝利が確定したってことだな!」
艦隊から小舟がつるされ、続々と友軍兵士が砂浜に上陸してくる。オリ主はニカッと笑い、周りも遅れながら事態を認識して、方々で歓声が上がり始める。
(それに、あのギラついた目の男もこれで一緒に捕虜にできるわけだしな!)
どうやって密かにターゲットにしている例の男も捕虜にするか。それに頭を悩ませていたオリ主にとっては、考えうる中で最良の終わり方であった。もっとも、すぐにその顔は曇るのであるが。
さて。そんな風に一時の完全勝利に浮かれているオリ主目に、見知った影が波打ち際に現れる。砂浜に乗り付けられた小舟から水しぶきを上げて飛び出たその人影。海水のしぶきと少将の階級章が日の光を反射している。
「――!! おーい!」
「そんな、なぜこのようなところに!」
慌てて敬礼で迎えようと姿勢を正した北是と、腹立つくらいに能天気な笑顔で手を振るオリ主が一人。そして「やあやあ迎えに来てくれるなんて助かったよ。久しぶり」とでも言いそうな気やすさで近寄り。
「やあやあ迎――――――――ぐへぁ!」
「なんだその顔はふざけてるのか散々心配させてあんな手紙書いて何考えてんだ死ぬつもりかそんなの許さないぞもういいわかったお前は放っておくとすぐ危険なところに行くことが分かっただからもう今後一切私の近くから離さないからな分かったか……この……ばかぁ…………」
「え? あ? はいスイマセン――――?」
心配顔から怒りへ、そして最後はベソをかく百面相。駆け寄ってきた近衛ユウに思いっきり殴られ、胸倉をつかまれ揺さぶられ。
後半は涙声になっていたのでよく聞き取れなかったが、雰囲気を察して黙るオリ主。そしてそのまま、問答無用で小舟へと引きずりこまれる。
「…………なんだったんだ?」
「あの強引サ、イモウトを思い出しマスネ」
何が何やらわからない、と。部下たちが唖然とする。太陽だけが我関せずと天頂にたたずむ。しかし確かなことがただ一つ。彼ら神聖オリーシュ帝国陸軍第501独立志願兵連隊の生き残った志願兵600名は無事、生きて故郷に帰る権利を勝ち得た、ということである。死した400名の屍を踏み越えて…………とりあえず、今日のところは。
あとがき
いつもお世話になっております。瞬間ダッシュです。
現在、拙作は数か月ごとに一話投稿するというペースですが、このままいくと完結までもう何年かかるかわかりません。なので少しペースを上げようと思っています。差し当たっては、来週もう一話更新します(自分を追い込んでいくスタイル)。