小隊長代理改め、正式に小隊長に就任したルドルフの朝は早い。誰よりも早く起床して時間を片付けると、手早く身支度を整えていく。着衣の乱れを直し、毛布を片付け、金髪をオールバックになるよう後ろに撫でつければ、そこには立派な小隊指揮官が現れる。彼は自身の身なりがキッチリと整ったことを神経質なまでに確認すると、カバンの中に仕舞われていたラッパを右手にしながら立ち上がる。再度時計を見れば、まだ予定されていた時刻には早かった。
「すぅ――…………はぁ――…………」
なので、演奏前の精神統一もかねて、朝もやに沈むジャングルの中で一人じっと目を瞑って深呼吸する。やや冷たい、朝の清涼な空気が肺に満たされていく。次いで耳を澄ませてみれば、鳥や虫の声、水の落ちる音、葉がこすれるようば音…………大自然の偉大なる生命の音楽が聞こえてくる。
「…………主よ。御身のすばらしさを今日もまた再認識させていただきました」
とても静かなひと時を心静かに味わい続ける――――彼はそうして、音楽と神に敬意を表していたのだった。時に人は虫の奏でる音色を雑音と断じる。だがしかし、彼に言わせれば大宇宙のすべてをあまねく支える創造主が生み出した命の音が、不快であるはずがない。もしもそう感じるというのなら、それは聞き手の心の問題であるのだと彼は断言する。ルドルフ小隊長は、独自の音楽観を持っていた。
「そろそろか」
ゆっくりと目を見開く。木陰や茂みには隠れるようにして眠る部下、さらには任務の都合で昨日の昼から行動を共にするようになった他の小隊隊員も同様に散らばっている。任務の途上、各々が各々の場所で夢を見ていた。昨日までかかった作業がようやく終わり、終了直後から急ぎ足で移動。今いる場所に日暮れ間際にたどり着くとすぐさま眠ってしまったので、疲労感からこのままでは昼間で眠ったままだろう。緑と少し湿った土のにおいが立ち込める、気持ちの良い朝ではあるが、さすがにこのまま惰眠をむさぼることを許すわけにはいかない。
「すぅ―――――」
ルドルフはそんな香しい早朝の空気を再度、目いっぱい吸い込む。肺の中で今か今かと出番を待つ空気たちを押しとどめ、おもむろにラッパに口を付ける。彼の肉体はその瞬間、音を奏でるための一個の器具と化す。そしてしっかと両足を地面につけて肩から胸、胸から腹部にかけて緊張していた筋肉を開放し、一気に吐き出した。
『ブッブピ! ズッズビイイイイ! プ~~~!!』
複数まとめて絞殺された豚が断末魔の叫びをあげているかのようであった。
端的に言えば、ひどい音色だった。耳障り極まりない騒音をひとしきり奏でられると、モソモソと不愉快そうに顔を歪めながら寝ぼけ眼を擦っている兵隊たちの姿がそこかしこに現れた。皆、だれもかれもが渋い顔をしている。騒音被害も甚だしいド下手クソ極まりない演奏であった。
「―――? フム……湿気のせいか調子が悪いのか?」
「うるせえ誰だ! いまクソみてぇな音ぉ出したヤツは!?」
不思議そうに頭を傾げながら、己の手にあるラッパを見つめているルドルフ。そんな彼に怒鳴り声が届いた。やや柄の悪そうな顔を真っ赤にして大股かつ速足で近づいてくるのは、ルドルフと共にこの場に移動してきた他の部隊の小隊長であった。オリーシュ人小隊長である彼は、人種的特徴である黒い髪と少し伸び気味なヒゲを怒り顔に添えながら、未だ手にラッパを持つルドルフの胸倉をつかみ上げた。
「おい貴様! 貴様は俺たちが今なにやってるのかわかっているのか!? 俺たちはなあ、敵にこの場所に潜んでいることを悟られちゃいけねえんだよボケカスが!」
「もちろん承知しているが?」
「じゃあなんだってあんな音を出しやがった! 殺すぞ!」
顔を怒りで茹でタコのようにしながら詰問するオリーシュ人将校。人相は悪いが、内容に関しては至極まっとうなことを言っていた。
とある作戦の一環で、彼らはこの場所に現在進行形で潜伏している。そして潜伏している以上、敵に見つかるキッカケとなりえるような行為は断固慎むべきである。だというのにそれを真っ向から無視するような行為に、オリーシュ人将校は我慢ができなかった。自然と、胸倉をつかむ手にも力がこもる。だが、当の怒られている本人は何の悪びれた様子も見せない。
「起床のラッパは当然の行為では?」
「時と場所を考えろ馬鹿野郎!」
「…………時と、場所、だと……?」
ピクリと、ルドルフのこめかみで血管が動く。そして、さっと顔色が変わった。「あ、ヤバい」と、ルドルフの様子に何かを察した彼の部下が慌てだす。
「大体お前、ラッパまともに吹けてなかっただろうが! なんだあの下痢の時に出す屁ぇみたいなきったねえのは! てめえケツの穴にラッパ突っ込んでやったんじゃねえだろうなあ!?」
「――――」
「いったい何のつもりだか知らねえが、音楽未満のクソみてえな音だすんじゃねえ、音痴ならまだしもウンチなんざお呼びじゃねんだよ!」
「音楽は……っ!」
「あ?」
ここにきて、遅れながらオリーシュ人将校は目の前の男の雰囲気が変わっていることに気づく。だが、もう遅い。
「音楽は時もぉ! 場所もぉ! 選ばないいいいいぃ!!」
唐突にプッツンしやがった何なんだコイツは、とオリーシュ人将校は思った。アドルフは手にしたラッパを振りかぶると、力の限り振り下ろす。カーンッ! と、先ほどのものと比べれば雲泥の差の奇麗で澄んだ音が周囲に響く。結果、いいところに入った一撃は容易に男の意識を刈り取った。
「おおおおお音楽はぁ、神が人間に授けた英知にして祝福! それを侮辱するは神への侮辱と知れ! こ、ここここの無知蒙昧なる蛮人め―――あ、ああ! 何たることだ大切なラッパに歪みが……! おおおおおのれ石頭が! カスが! クズが!」
「わー! 止めてください! さすがにまずいですって! 痙攣してますよこの人!!」
「ルドルフ小隊長がまたやった!」
「あーもうメチャクチャだよ!」
わらわらと集まってくる兵隊たち。ルドルフ小隊の人員はやけに手慣れた様子で自分たちの小隊長を羽交い絞めにして取り押さえる。突然の凶行に右往左往していたオリーシュ人将校の部下たちは、頭から血をドバドバ流している自分たちの小隊長を抱きかかえると急いでその場から立ち去っていく。「なんなんだよアイツは!」「『あの』ルドルフだ! オストマルク町のクレイジーボーイだ!」といった声が響いてくる。ルドルフには、妙な通り名がついていた。
「フゥー! フゥー! フゥー!」
「あれなら怪鳥の鳴き声と間違われ――じゃなくて、木がいっぱいでガリア軍の連中まで聞こえないですよ。神経質なんですよさっきの人が」
「お、俺たちは小隊長の演奏いいと思うよ! なあ!」
「そうそう! 所詮あいつは海の向こうの連中だから、感性が狂ってるんですよ!」
「いよ! 未来の偉大な音楽家! きゃあ素敵!」
「…………―――――そうか? そう思うか? ようしなら、明日も起床のラッパを吹いてやろう。さわやかな朝にはふさわしい名演奏を奏でてやろうではないか。どうだ最高だろう!」
「「「わ、わーい」」」
がらりと表情を変えたルドルフ小隊長は、手でラッパの歪みをムニムニと直しながら笑顔で部下たちに提案した。嵐が去ったことを察してほっとすると同時に、心中でげんなりする一同。下手の横好き、演奏がほぼできないくせに何かと楽器を持ちたがる無意識な騒音発生装置、そしてそれを指摘されるとプッツンする。そんな要注意人物がルドルフ小隊長であった。「芸術を理解できない人間は生きる価値なし」と言って憚らないこの気性はパナマでも一部地域では知れ渡っており、比率的にどの部隊にも一人か二人は彼の悪癖を知っている人間がいるほどだった。音楽の演奏がらみ以外ではマトモという評価であるからこそ小隊長を務めることになっているのだが、度々このようなことをやらかすのだ。
まだ本来の小隊長が健在だったころは「これはこれで良い目覚ましになる、絶対に寝坊しないぞ!」と言ってフォローしたり、周囲との軋轢が発生しないようにうまく立ち回っていたが、それも今やない。結果、部下たちがトラブルの尻ぬぐいに奔走する回るはめとなっていた。
「と、ところでルドルフ小隊長。予定ではそろそろではないかと思うのですが……」
「あ、なに? ああ例の作戦か……あくまで予定では今日だな。だがそうそううまくいくかどうか……首尾よく進んでいるなら、合図が来るはず―――」
そこまで言いかけて、不意に銃声が鳴り響く。回数は1発、パーンと間延びした音がジャングルに響き渡った。同時に、鳥たちが一斉に飛び立つ。
「―――どうやらうまくいったらしい」
ルドルフ小隊長は音の鳴った方向へ向けて目線を向ける。その時、彼の部下たちは自分たちの出番がもうすぐであることを悟って緊張した面持ちをする――――と同時に、ほっと胸をなでおろした。少なくとも、戦闘状態になれば潜伏する必要が無くなり下手な演奏くらいでクレームを入れてくる味方もいないだろうし、キレた上司をなだめる必要がない、と。
彼らはルドルフが自分たちを見ていないことを良い事に安堵の表情を表に出していた。だが、ルドルフの表情もまた彼ら部下には見えなかった。だからこそ、その顔に一瞬苦みが差したことを知ることはなかった。
「ッチ」
舌打ちを1つ。頭の中には、例の言葉がよみがえる。忌々しいことに、自分を試すような不遜な文言が、一言一句正確に再生されるのだった。
『お前は俺の力量を問うたわけが、俺がそれを示せば、今度や逆にお前自身のそれも問われることになる。それをよく覚えておけよ』
力は示された。ならば今度は、自分が己の力量を示さなければならない。目の前に、無駄に態度がでかいヤツの顔がチラつく。アドルフはお気に入りの服にベットリ肉汁が付いたような不快な気分になるのだった。
(悔しいが認めよう、ただの運だけ男ではないと。だが……気に食わないな。上層部とコネがあるからだか知らないが、この私を差し置いて連隊長だと? 冗談じゃあない……!)
ルドルフ自体は、別に軍隊での出世を望んでいるわけではない。もともとは徴兵で無理やりやることになった兵隊稼業だ。だがそれはそれとして、元々オリーシュ帝国とは縁もゆかりもない立場からスピード出世を果たし、気づいたら自分の上に来られたというのは率直に言って気分がよろしくなかった。ありていに言えば、嫉妬だろうか。
(まあいい。さっさと兵役を終えて私は私の道を歩く。戦争など音楽をたしなむ文化的な文明人がやるようなことではないのだそもそも。……せいぜい大将気取りを続けているがいい)
などと心の中で吐き捨てるルドルフ小隊長であった。そのころになると、朝もはやいずこかへと消え去っていた。そして今日もまた一日が始まる。すなわち、戦いの一日が……
「あ~~喜んでいいやら悪いやら……わからんなぁしかし」
一方、ガリア軍のヴォナパルテ少尉は立小便をしていた。ジョボジョボと音を立て、不貞腐れたような表情で汚いアーチを作る。目の前に流れる大きな川に向かって伸びる放物線を眺めながら、訛ったガリア語で忌々しそうに愚痴を吐く。
逃走するオリーシュ帝国軍小隊を追撃するという任務に失敗したヴォナパルテ少尉は、負傷を理由に第一線からは外されていた。そして、目の前に架けられた橋の警備を命じられていたのだった。川幅は約10歩分程度だが深さがあり、軍隊が通過するには少々不都合があったのだ。さらに将軍直々に出張ってきたものだから進軍は一時停止。工兵部隊が突貫工事で架橋したもののさすがにこれを放置するわけにはいかないと、橋を守るための警備部隊を置くことになったというのが経緯だった。
「まあ、ついていったところでどうせロクな目ぇ合わへんだろうし? 手柄立ててもどーせ評価されへんやろうしなあ……やってられんわ正直」
初陣だ、手柄を立てて出世するんだと意気込んでいた当初のやる気はすでに無かった。いくら年若い彼であっても、これまでの将軍の自分に対する言動と現在の任務から考えて、将軍が自分を評価するどころか冷遇する気マンマンであることを察していた。無理してついていってもしょうもない作戦のしょうもない役目を負わされ。しかも上手くいっても昇進もなく下手すれば遠き異国の土になる、これでやる気が出るわけないと愚痴り続けるのだった。ジャングルの中にたかが一個小隊で放置をされたこと自体には不満だが、言ってしまえばそれまで。ただひたすら「あーせいせいした」といって、実質的な戦力外通告を屁でもないないとでも言わんばかりの態度で受け流していた。そして、兵士たちは降ってわいた実質的な重労働免除に喜んでいたが。
「おい、だれか水くんどけや。飯つくるで」
「え~いまトランプがいいところなんで、あとででいいですか?」
「アホ! もうすぐ見張りの交代の時間やろが。そいつらの飯は今から作らんと間に合わんやろ」
部下たちとそんな気の抜けた会話をしているが、その周囲には幾人かの兵士を立たせて警備は一応厳重であった。そして今のところ襲撃される気配はない。
(静かなもんやな。でも……)
ヴォナパルテには奇妙な確信があった。あの日、自分の奇襲を狙いすましたかのように防いで反撃してきた敵を相手にしている以上、決してこのまますんなり終わることはないと。ヴォナパルテ少尉は、頭の中で予想を立てる。敵の資質、こちらのトップの資質、地形、その他もろもろ――そういった要素を脳内でこねくり回すように考えていると、目の前に流れる水が妙に気になった。
「水、水……うーん。なんやろなぁ……」
理由などないが、目が離せない。
「どうしたんですか?」
「あ――――いやな。水を見てるとなんか忘れとるような気がしてなあ……」
「水汲み当番とかですか? それならさっき汲みに行きましたよ」
「ああ? 目の前に川があるやん」
「……さっき隊長が小便したじゃないですか。だからちゃんとしたところに汲みにいってるんですよ」
「ちゃんとしたところ……?」
ヴォナパルテはこの島に来る前は、カリブ海の大西洋寄りにある島で勤務していた。そこには、セノーテと呼称される天然の井戸ともいえる自然地形が存在していた。足元に巨大な穴がぽっかり開いており、その奥に溜まった水を飲料水として利用していたのだ。それこそ人間の千や二千は軽く入れるような巨大な落とし穴じみた――
「――――――あ」
唐突に理解に至った。そして戦力から外された自分の幸運に感謝したのだった
将軍自らが最前線に顔を出すという事態に、ガリア軍側の現場はますます動きを膠着させていた。まず、万が一にも負傷させてはいけないと護衛は厳重に。そして思いついたような指示を飛ばされての対応、食事をするテーブルがないことへの不満、湿気や虫の多さへの癇癪などなど……もはや邪魔しにきているのではないかと勘繰るくらいに、側近以下兵卒は振り回されていた。だが、機能不全に陥りかけながらの行軍もついに終わりを迎えることになる。
「とうとう諦めたか……手間取らせやがって!」
獰猛に笑う。将軍の目には憎き敵の姿が映った。ジャングルの中で広場のように開けた場所で、木を切り倒して作られたバリケードの裏に固まるおよそ一個中隊。それが健気にも銃口を向けて威嚇しているのだ。時間さえあればもう少しましな砦が作られていただろうが残念だったなと、将軍は自らの迅速な行軍を評価した。実体がどうかはともかく、将軍の中では「敵に陣地を作らせないほどの手際の良さがある名将」というのが自身への評価だった。
そしてじっと敵陣を観察してみれば、兵士が装備している武器は銃のみ。大砲もなければ騎兵もいないことは明白だった。ならば、あとはセオリー通りに戦列を組んだ歩兵で押し出せば敵陣は瓦解するだろう、と判断した。ゆえに、そのように支持を出す。
「戦列を作れ、密集隊形で踏みつぶすぞ!!」
大声で部下に命令を下す。兵士たちが隣り合う仲間と肩を寄せあうかのように密着して、鎖のように横へつながっていく。広場に収まるギリギリまで伸びた人間の鎖は、その後ろに同様の列を複数列かさねる。こうする事によって、人の鎖はさながら分厚い壁へと変貌した。
その完成を見届けたのち、将軍は軍楽隊とともにこの壁の最後尾に陣取った。そして、すうっと右手を上げる。
「散々手間をかけさせてくれた礼はたっぷりさせてもらう――――楽に死ねると思うなよ……!」
あと一声。この右手を振り下ろすと同時に命じれば、目の前にたむろするナメ腐った連中をゴミか虫けらのように蹂躙しすり潰せるという段階にいたって、将軍のテンションは血圧と共に最高値を更新した。そして、真っ赤に染まった顔面で血管がピクピクしはじめると、将軍は怒鳴り声で命令を下した。
「前っ進! これ以上奴らを私の目に触れさせるな、粉砕してぶっ壊して踏みつぶせえええ!!」
軽快かつ勇壮なテンポの音楽が流され、それを合図にして戦列歩兵たちが一歩一歩進んでいく。彼らはまだ銃を撃たない。相手の白目が見えるくらいまで隊列を維持したまま接近し、それから肩に担いだマスケット銃を発射するのが彼らの戦法であるからだ。これは命中率の悪い銃弾を有効に活用させるためには近距離から密集して撃てばいいという発想に基づいているのだが、これをやらされる兵隊には苛烈な精神力が要求される。
「あははははっ! 最高の悲鳴を聞かせてくれたまえ!」
将軍がご機嫌に笑う。
今のヨーロッパでは、敵味方両軍の歩兵たちは隊列を維持しつつ音楽と共に接近し、互いに互いの弾丸が十分相手に当たるくらいの距離でどちらかが恐怖に駆られて逃げ出すまで銃を撃ち合うのがスタンダードであった。しかも、大概は大砲の砲弾が飛び込んできたり騎兵が突撃してきたりするというおまけつきである。こうしなければまともに機能しないとはいえ、冷静に考えれば正気の沙汰とは言えない、究極の度胸試しとでもいえる戦法である。だが、対するオリーシュ軍一個中隊はこの度胸試しにはのらず、ただひたすらバリケードの内側からマスケット銃を撃っていた。
「ははははははははっ……はあ」
ひとしきり大笑いした将軍は、逆になんだかすっきりしたような顔をした。まるっきり情緒不安定である。そして改めて敵の姿を見ると顔をしかめた。
バリケードに頼る敵のありさまに、ヨーロッパ育ちの将軍は心の底から軽蔑した。臆病者どもが、と。歩兵は死ぬもの、歩兵は何も考えず命令を忠実にこなす駒であれ、それができるのが勇者であるという思想が常識として浸透している者たちにとって、遮蔽物にこもる姿はどこまでも滑稽であったのだ。
「見るに堪えんな」
嘲笑と共に吐き捨てた。圧倒的な戦力差で挑んでおいて、敵が自分の「好ましいと思える戦法」を取らなかったことに不満を感じるという性根と傲慢さと――――歩兵は固まって動くものという固定概念が将軍の目を曇らせ、その運命を決定づけた。
それでもあえてフォローをいれるならば、とある世界で発生した「ある戦い」がこの世界ではいまだ起こっていないことだろう。戦列歩兵は、武器の性能上の都合だけでなく、兵士の逃亡を抑制するという効果もあって採用されている。基本、この時代の歩兵は逃げるものなのだ。しかし、明確な戦う意思と覚悟を持った者たちだけが行える戦い方がある。
たとえ指揮官の目がなくとも逃げず、命令を遂行するべく戦う真の勇者。そんな彼らだからこそ奇跡を起こしうる。
「志願兵連隊ぃいいいいっ、突っ撃いいいいぃ!!」
突如としてそんな絶叫が響く。同時、広場周辺の茂みからオリーシュ軍兵士が隊列を組むこと無く飛び出した。
「俺と家族の生活がかかってんだ!」
「出来高払いぃ!」
「パナマの未来のために死んどけオラぁ!」
数は決して多くないものの、その気迫にガリア軍に動揺が走る
「な、なんだお前らは! なんなんだ!?」
「てめえら酒にでも酔ってんのか!」
『ブッブピー! ブブブピュヒョ!!』
「あとなんだこの地獄の底から響くような不気味な音は!?」
ガリア軍兵士たちが悲鳴を上げる。地獄の悪魔が狂気に駆られて演奏しているような不愉快なラッパらしき音色が混乱を助長したのだ。
「パナマは高度経済成長中だ! お前も、お前の家族も! 働けば働くほどいい生活ができる! こいつらがパナマに突入したらまたスラム暮らしだぞええ!? 追い返せれば希望の未来に向かってレディゴーだお前らあ!!」
オリーシュ軍兵士たちの後方、ボロボロにあった服を着て叫ぶオリ主の姿がそこにあった。当然、パナマ人たちの士気が異様に高いのはコイツのせいである。オリ主は結構な枚数の、兵士に届けられた家族からの手紙を代読してきた。そしてその内容が、オリーシュ帝国に併合されて生活が向上した、おかげでスラム生活から抜け出せたというものばかりであることに目を付けた。部隊を細かく分割するにあたって危惧される逃亡を阻止するために、使えると。
つまり簡単に言えば、自分も家族もまとめていい生活させてやりたければ敵を追い返せと煽ったのだ。加えて、活躍したものはパナマにいる近衛ユウ将軍から特別褒章を出させるとも(勝手に)確約した。
結果、すでに故郷からの手紙で家族の現状を知ったパナマ人たちは奮起した。
広場いっぱいに固まっていたガリア軍を囲むように現れたオリーシュ帝国軍。全体として長細く伸びたガリア軍の先頭を、三方向から攻める格好となる。
「か、囲まれてます! 敵は今にも噛みついてきそうな勢いです!」
「ええい、かまわんそのまま前進せよ!」
ガリア軍戦列歩兵の外縁部は、なし崩し的に白兵戦に移行する。そのうえで将軍は前進を命じた。目の前の一個中隊を撃破すれば、包囲は二方向に変わる。その後、少数の敵は後続部隊からの増援で押しつぶせばいい。ここで気にすべきは、ガリア軍将兵に走る動揺のみと、意外な冷静さを発揮する。
だが、遅かった。責め立てられながらも戦列歩兵たちは広場の中へと進み、いよいよ敵軍バリケードを射程におさめようとしたその瞬間。
「え?」
メキメキバキッという木の枝が折れる音と共に兵士たちは浮遊感に襲われ。
「あ?」
将軍は、目の前で大量の部下が突如として発生した穴の底へ落ちていく光景を見せつけられたのだった。
あとがき
おそくなってすいません。定期的に更新する難しさを嚙み締めています。