「これじゃあ捨て駒だ」
自らの古巣である要塞を爆破して逃げるオリーシュ帝国軍。これを討伐すべく先鋒を命じられた第13独立歩兵大隊の大隊長は、密かに毒づいた。視界がすこぶる悪いジャングルに先陣切って進むことの危険性を十分理解している中年の熟練指揮官は、せわしなく視線を周囲へ巡らせる。じっとりと流れる汗は、決して暑さと湿気のせいだけではない。捨て駒とは、まさに今の彼らの状況を適切に表現している。
さて、ではなぜこんな任務を仰せつかったのか。それは、大隊長自身の出自が原因となっていた。大隊長は、いまから50年ほど前にガリア領へと編入された地中海の島で生まれた。彼自身は幼少期からガリア本土で教育を受けたこともあって、文化的にも母国語的にもすっかりガリア人のつもりであり、周囲の人間もそう思うくらいになじんでいた。だが、普段は鳴りを潜めていていようとも、決まって状況が悪くなると「元々は外国人」という出自がシミのように浮き出てくる。
『ガリア人であることを今こそ証明して見せろ』
王室とも血縁的に繋がりがある将軍がそのように命令すれば、彼には拒否権も同行を申し出てくれる同僚も存在しなかった。皆、任務の危険性と癇癪持ちの上司から睨まれることを恐れていたが故だった。
厳密に調べれば、元外国領や長年外国に占領されていた自国領の出身者が上位階級者の中にも多くいるにも関わらず、誰もこの不当な扱いに抗議することはない。それは自らに飛び火するのを恐れるが故――――まったくもって理不尽な話であった。こうなっては、その証明とやらを献身で以て示さなければならず、わざわざ危険な指揮官先頭を大隊長という立場でありながら実践する羽目になってしまった。ちょうど先の要塞爆破事件で留守を預かっていた小隊長がケガで寝込んでいるという事情もあって、彼はいま、先遣隊のさらに最前列という極めて危険な場所に立つことを余儀なくされたのだった。
「――――それでお袋がさぁ、作るんだよムール貝のワイン蒸しを。バケツ一杯分くらい。その時はウンザリだったけどよ? もっと食っておきゃ――――へぶっ!?」
「無駄口を叩くな! 黙って手を動かせ!!」
雑談に興じている近場の兵士に向けて叱責と鉄拳を飛ばす。殴られた兵士は鼻を抑えながら、同じくおしゃべりをしていた相方も恐縮した態度で作業を再開する。棒が、再びせわしなく動き出す。
「ふんっ!」
その光景に余裕の態度で鼻を鳴らしつつも、大隊長は内心で焦りを感じざるを得ない。仕方のないことではあるが、部下たちの作業態度は著しく士気が欠けている。兵たちの間でも、撤退を望む声がちらほらと耳に入ってきている。
「……」
大隊長は、ちらりと後ろを見る。そこでは、後続のガリア軍兵士が行く手を阻む草木を木の棒で気だるげに払いのけていた。彼らの両隣には棒を持った者が隊列を組んで同じように枝木を払い、その背後にゾロゾロ続く兵士たちが獣道を人道へ踏み固めていく。それは、1個大隊規模で行われている地ならしであった。誰も彼もが、噴き出した汗と泥が混じり合った結果として汚らしい恰好をさらしている。後に通過する本隊のため、熱帯特有の高気温・高湿度の環境下でこの作業は実行され、人員は例外なく体力を消費させていった。
「あーもう嫌。ガリアに帰りてえ……そんでのんびり釣りでもしてえ……」
「あぁ――――って、思いださせるんじゃねえよ馬鹿」
「そもそも逃げた兵隊追っかけてどうすんだよ。さっさと撤退すりゃあいいんだよ」
「アステカへの義理なら別のところ攻めるべきだと思うんだがねえ。お偉いさんたちはよっぽど俺たちをこき使いたいらしい」
「うへえ……」
(別のところへ、か。まったくその通りだな。わざわざ僻地に潜む敵を追いかけるよりは、占領されたパナマ近辺をうろついて圧力をかけるほうがよっぽど有意義だ)
どこからともなく流れてくる雑談に、自らも心の中で共感する。そして、この反抗的な発言をあえて聞き漏らしてやる。目の前でやられるならばいざ知らず、離れたところでなら愚痴の一つや二つ許容してやらねば仕事が回らないからだ。
ただでさえ意義が見い出せない作戦で、加えて軍隊生活で主要な娯楽であるところの食事も、保存食がメインで美食とは程遠い。これでやる気が出るほうがおかしいというものだ。
「あ――――よだれが出てきやがった」
ペッと過剰な唾液を吐き出す。先ほどの会話の内容もあって、地中海の美しい海で日がな一日のんびりと釣り糸を垂らし、釣果を故郷風に味付けして食べることを夢想する。それは、ほんのささやかな現実逃避だった。
…………だが、彼には自分たちがいま敵地にいるという意識、それがこの瞬間ぽっかりと抜け落ちていた。暑さと湿気と生い茂る木々は本人の認識以上にその集中力を削り、周囲へ配るべき注意が平素に比べて大きく緩んでいた。
不案内な地形、不慣れな環境、そして油断――――これらの負債を払わされることになったのは必然であった。
ズダン! ズダダダダダンッ!
1発の破裂音の後に、釣られるようにして重なった複数の轟音がその場にいた全員の鼓膜を震わせる。一瞬の間をおいて、木々で翼を休めていた極彩色の鳥が飛び立っていく。深い緑の中にその鮮やかな残像を見る暇さえもなく、隣を歩く部下が崩れ落ちる。
「あ」
先ほど説教をくれてやった男が、今度は鳥の羽にも負けぬ紅を垂れ流しながらモノ言わぬ屍になったのを認識するのに、少なくない時間を要した。
茂みに身体が沈み込み、わずかにたわんで押し戻され、ユラユラと振動する様を眺めたことで、ようやく脳が眼前の光景を処理した。
「――――あぁあ!?」
――――待ち伏せ! 敵襲!
そう叫ぼうと口を開けて息を吸い込む動作すら、数瞬遅かった。いや、正確に言えば手遅れというほうが正しい。泥が顔につくことも厭わず地に伏せるも、追撃がかかる。どこからともなく発射された第2射が、彼らガリア軍の先遣部隊に降り注ぐ。理解が遅い間の抜けた者たちが、訳も分からずといった顔付きで倒れ伏す。やはり、鮮血のしぶきが木々の緑に吹き付けられる。
「撃ち返せ! 適当でもいいからぶっ放せ!」
「あ、あ、あああああ~~~っママァ!!」
「馬鹿! 走るな狙われるぞ!!」
「え、あ!? 反撃、いや逃げたほうが―――ああ、どうすればいいんですか! 大隊長殿! 大隊長殿!」
「貴様! もういいから落ち着いて伏せていろ!」
とにかく音が鳴る方向へ向かって銃口を向ける者、反射的に走り出そうとする者、冷静に物陰へと身を隠す者、慌てふためき対処不能になって上司に救いを求める者などなど――――そんな兵士たちを相手に一分間で都合三度、死へ誘う多重奏が密林を会場にして奏でられる。
「クソが! 何人やられた!? 生きてる奴は返事しろ!」
攻撃が止み、敵のものと思われる物音が遠ざかるのを確認するや否や、即座に大隊長は現状の確認を取ろうと声を張り上げる。その結果わかったのは、死亡者は片手で数える程度で、重軽傷者含めても10人もいなかったことだった。大隊全体から考えれば被害は軽微で、まだまだ戦闘可能といってもいいだろう。
さらに先ほどの攻撃を落ち着いて思い出してみる。発射音、足音の数からして、せいぜいが小隊規模。状況から考えて、相手の思惑は透けて見える。その上で、あえてその思惑を利用するべきだと結論付ける。
「よし、軽症者は重症者を連れて後方へ下がれ。戦える奴は―――――ッ!」
――――俺と追撃、と命令を下そうとして、断念する。部下たちの様子は、一見するだけでわかるほど奇襲を受けたショックで怯んでいた。それ以外の顔つきも、生き残れた事実に安堵するばかりだ。とても「さあこれから逆襲だ」といった闘志はみじんも見受けられなかった。これでは、しばらく使い物にならない。
「…………おい、貴様。おまえは後続部隊に伝令に行け……『逃走中の敵小隊を発見。被害甚大につき追跡はかなわず』だ」
「は、はっ!」
大隊長は手近にいた兵士へと伝令の命令を下し、足をもつれさせながら走る兵の背中を見送る。
「はあ…………」
終わった、という風にため息が漏れ出る。
被害甚大など嘘だ。戦闘後に何か言われたら、被害状況を誤認したと言い訳するつもりだ。さてうまく言いくるめられるかだが――――残念ながら望みは薄いだろう。たとえその件はどうにかなっても、少数に一杯食わされた事への責任問題は避けられない。軍歴30年の結末が絶望的なまでに暗いことに対して、思わず頭を抱えたくなる衝動に襲われていると、見えなくなった部下の背中と入れ替わるように別の誰かが茂みから飛び出してきた。
「大隊長殿!」
「――――ヴォナパルテ少尉か!?」
それは、自分の部下である小隊指揮官だった。その背後には、彼の指揮する部下たちもついてきているらしく、ガサガサと物音がしている。
「……何人連れてきた?」
「1個小隊を全員」
「よし」
わざわざ部下を全員連れて自らここに来た段階で、おおよその思惑を察した。なるほど、気を見るに敏とはこういうことをいうのか。いや、あるいは彼もまた自分同様に出自にケチが付いているから、別口で尻を叩かれているのかとあたりを付けた。
「少尉、奴らを追撃しろ。ただし深追いはするな」
「はっ!」
潰走でもなく、鮮やかな撤退。十中八九こちらをおびき寄せての、今度はこちらを殲滅できるだけの兵力で以て待ち伏せするつもりだろう。だが、そのポイントに行くまでは違う。目の前にいるのは、背中をさらしている1個小隊だ。速さを重視して小隊単位で追いかければ、一度くらいは接敵するチャンスが巡ってくるだろう。そして捕虜から集結ポイントを聞き出してみせれば、ガリア人である証明とやらもできる――――二人の頭の中で、ほぼ同じ結論に達していたがゆえに短いやり取りだけで済んだのだった。
「ヴォナパルテ隊! 棒切れ捨てぃ! 銃を持てぇ!」
「うおっしゃ!!」
「草かき分けるよりゃよっぽどマシだ!」
いたるところで、忌々しい草払いの棒が捨てられ、背負われていた戦うための道具を構える兵士たち。雑用の時間は終わり、本業の始まりを告げる号令だった。
「注目っ!!」
怒鳴りながら、ヴォナパルテ少尉はサーベルの切っ先を逃げる敵がいるであろう方向へ向ける。部下たちは「待て」を命じられた猟犬のように、その方向をにらみつける。今にも飛び出しそうなくらいの熱量でありながら、奇妙に流れる一瞬の静寂。
「突撃ィいいいい!!」
部下たちを引き連れるようにして、ヴォナパルテ隊は走り出す。皆、殺意を銃剣と眼球とで共有しているかのように、その2つを妖しくきらめかせている。
「アイツラが大人しくクタバッてくれへんかったおかげがこのザマや!! 復讐や!!」
「おう!」
「こんなん全部アイツラが悪い! だから殺せ!」
「「おう!」」
「ついでに分捕るモンも分捕るで! 要塞にあった(方が都合がいいからあったことにした)資金も持っとるらしいから山分けや!」
「「「「おう!!!」」」
(――――こいつら、ちょっとチョロすぎへん?)
士気の低い兵士にやる気を出させるために使ったお題目は、それはそれはよく効いた。八つ当たりにも近い感情と、わかりやすい欲望によって突き動かされたヴォナパルテ小隊は、部隊を二手に分けて突き進む。そして先ほどまでとは打って変わって、少人数ならではの移動速度でジャングルを走り、逃げる敵の後を追いかけはじめた。
「止まるな引き続けろ! フリじゃないからな絶対に止まるんじゃねえぞ!!」
せっせと逃げる集団の最後尾。元日本人、現オリーシュ人が懸命に叫ぶ。普段のなにかと突撃したがる悪癖は鳴りを潜め、引けなどという普段なら言わないような命令を下し続ける。その際、足を動かしながらも聞き耳を立てて後方の状態確認も忘れない。
自称・天に愛されたオリ主様が直々に率いている奇襲・囮部隊による三度の射撃であったが、やはり効果はいま一つだったらしい。それは、元気いっぱいに追撃を仕掛けてくる敵の気配で察することができた。戦えども派手な戦果をもぎ取ることができずとはオリ主の面汚しであると責めたくもなるだろうが、密林での射撃はよほど接近していない限り効果が薄いことは織り込み済みだった。指揮下の兵士たちの最後尾をキープするように、煉獄院大尉は戦うでもなく逃げ続ける。
(でも、ちょっとしくじったぜ)
あらかじめ定めていた逃走経路をたどり、大地を踏みしめて駆ける。だが、若干の計算違いに、わずかに焦りを感じる。怖気づいてしまうよりはマシだが、敵の追撃があまりにもスムーズだったのだ。周りの兵士たちには、今のところ混乱はない。これは意図的な敗走で敵を誘引するためのものであることは全員知っている。だが、この早すぎる追撃部隊への対処を誤れば、指揮官が最もリスクが高い位置を走っているからこその信頼と統率も一瞬で崩れ去る。ただでさえ大軍が迫ってきているという状況だ、下手をしなくても本当の敗走になってしまうだろう。
(…………)
そしてそれ以外にも懸念事項があった。オリ主は最後尾という最も敵の襲撃のタイミングを計りやすい位置にいる。自分自身と仲間の音で聞き取りにくいものの、ジャングルという少し動くだけでも葉がこすれあう音が響く環境下にあっては、無音で背後に迫ることは出来ない。必ず、近づいてくればわかるのだ。
(なんで一気に距離を詰めない?)
近づけば相手にばれることはお互いが承知しているだろうが、それでも無防備な背中をさらして逃げる敵に後ろから襲い掛からない道理はない。だというのに、こちらに接近することなく一定の距離を保つようにガリア軍は追いかけてくる。それが極めて不気味であった。オリ主は考える。しかしいくら考えても、彼の頭は正解を導き出してくれはしなかった。というよりも、凡人の脳みそにそこまでの働きを求めること自体が酷というものだった。だが、頭は持ち主の期待に応えてくれなかったものの、別のものはしっかりと自らの主人に応えてくれた。
「――――痛っ」
それは稲妻のようにオリ主の首筋に走り、ちりちりと後頭部から背中にかけてのうぶ毛を焼くような鋭い痛みだった。この奇妙な痛みは徐々に強くなりつつ、背中を這うように身体の左半身へと回り込み、一気に発汗という形で最大の警告を発した。後ろからの気配は相変わらずで特にスピードを上げたという様子はないが、オリ主は自分自身が発するサインを疑うことなく受け入れた。
「来たぞ来たぞ来たぞぉ――お前ら銃撃つぞしっかり持て!」
そう命令された部下たちは、マスケット銃の銃身をしっかとつかんだ。各々の銃には、必ず追撃がかかるからと予め込められていた弾丸がその出番を待っている。
その時が来たのだと。自分たちは分からなくとも、最後尾という一番それが聞き取りやすい位置にいる指揮官が敵襲来を知らせるならばいよいよなのだと皆が考えた。ただし、それが所謂オリ主の勘であることまでは分からなかったが。
「全員、左側に銃口向けろ!」
「「「……え?」」」
誰もが疑問に思った、後ろからではないのかと。言った本人そのものもまた、背後からではないことに戸惑いかけた。だが、疑わなかった。なぜならそれは彼の人生で1度も経験したことがない、しかし無条件に信じるべきだとわかるような天啓のごときひらめきであったからだ。ギャンブラーがのたまう「次はマジで勝てるから」という言葉と本質的には同じで全く信頼性がない直感。ここが賭場なら鼻で笑われて終わるだろうそれはしかし、次の瞬間には実行に移され――――正しかったことが証明された。
「――ッッッ……撃てえええ!!」
「ヨッシャぶちかま――――っ!?」
まさに狙ったかのようなタイミングであった。逃げる煉獄院小隊の横っ腹に食らいつこうとしたヴォナパルテ少尉率いる少数精鋭の分隊は、さあいよいよ奇襲を仕掛けようと飛び出した瞬間、銃弾によるカウンターを至近距離から食らわされることになった。彼らの視点からは、やぶを突き破って襲い掛かろうと思ったら、準備万端で迎撃されたといった感じだろうか。
移動する音を誤魔化すためと、移動速度を稼ぐためによる少数での攻撃であったことがアダとなり、1回の斉射でヴォナパルテ少尉が直接率いた分隊は半壊した。この時点でヴォナパルテ少尉の計画は破綻する。
(此奴等、今ので俺たちの足を止めさせて後ろから追加で襲い掛からせるつもりだったのか……!)
「~~~メッッッチャ痛っ! ええい、総員退却や! 引け!」
敵の指揮官らしき者の叫び声を聴きながら、ようやく敵の意図を察したオリ主。敵が奇襲に失敗して逃げようとしているのは分かったが、それで何か特別な一手を打てる訳でもなく、足を速めて駆け抜けろと叫ぶしかなかった。もしもこの時、この奇襲分隊を率いていた指揮官の顔を見ていたのならば多少の無理を押してでもその指揮官のとどめを刺そうとしただろう。だが、生い茂る木々がそれをさせなかったため、オリ主は逃げに徹する。一方、失敗したヴォナパルテ少尉もまた銃弾が足を掠めたおかげで負傷し、速度を上げて逃げ足を速める敵を見送るしかなかった。
――――カリブ海の緑深きジャングルの中、戦史においては取るに足らない小規模な戦いは、後に宿命とでも呼ぶべき因縁の始まりを告げる嚆矢だった。
焼け落ちた要塞跡地にて、不機嫌そうに食事をとっていたジャン・ピエール将軍はその知らせに歓喜した。
「ハハッ奴らの尻尾に食らいついたか! ――――ようし、ならば私も出よう!!」
ガンッとフォークで肉の塊を突き刺し、強引に噛み千切りながら宣言する。口にモノが入った状態で近くに控えていた部下を呼びつけ、ジャングルへ突入する準備を指示する。
だがしかし、軍医、料理長、主計係、護衛部隊の指揮官等々、ほぼすべての人員が難色を示した。
「それには及びませんよ閣下。発見した以上、すぐにでも敵どもはジャングルの中で死体をさらすことでしょう。わざわざ将軍自らなどと」
と、側近の一人がそれとなく諫める。彼の言っていることは嘘ではない。推定される敵の戦力を考えれば、多少の時間をかければ順当にすりつぶせるだろう。そうなれば、この島はガリア軍の占領するところとなる。が、戦いに行けばノーリスクとはいかない。視界が悪い密林の中に入れば、奇襲を受ける可能性は高い。
部下たちに任せていればいいものを、わざわざ視界が開けていて安全な砂浜から出ることはないのだ。
「はあ?――何言ってんのお前……!?」
だがその常識的な言葉は、敏感になっていた逆鱗に触れた。将軍は立ち上がると目の前にあった皿を意見具申した側近に投げつけ、続いてテーブルをひっくり返してがなり立てる。
「我らへの侮辱はすなわち敬愛すべき国王陛下への侮辱! ならば、この手で海の果てからやってきた野蛮人どもに陛下に代わってその罪を償わせるのは我らの義務である! まさか他の連中まで、腑抜けたことを抜かすのではないだろうな!?」
唾を飛ばしながら、周囲に侍る部下たちに視線を飛ばす。こうなると、もはや異議を唱えることは出来なかった。まさか「勘弁してくれよ! わざわざそんな危険なところに突っ込むなんて冗談じゃない! 行きたいなら遺書を用意して自分だけで突入してくれ!」と言う訳にもいかず、みな急ぎ出発の準備を始める。
「ハァハァ、捕虜を得たなら私自ら取り調べをしてやろう! ご、拷問だ拷問! 死ぬまで締め上げてやる……!!」
ぶつぶつとつぶやきながら、手を開いたり閉じたりする。よほど、自分が一杯食わされたことが我慢ならなかったのだろう。まさに「頭に血が上っている」と評価するに値する怒り心頭っぷりであった。
(これがあるからなあ……)
付き合いが長い護衛部隊の指揮官は、心の中で深い深いため息を吐く。冷静さを要する将軍という立場にあって、癇癪持ちの人間などあってはならない。しかし、なんの因果かよい家柄に生まれて、死ぬこともケガを負うこともなく軍歴を重ねて今の地位についてしまった目の前の男は、まさに「困った人」であった。
こういう悪癖があるからこそ僻地に飛ばされたのだが、本国の目がなくなって手が付けられなくなってしまった。こうなったら、敵を打ち倒すまで彼の頭の血が下がることはないだろう。
「これより我々は一週間以内に全軍でもって敵を根絶やしにする! 出撃準備を急がせろ! 前線にも発破をかけておけ! ハアハア! 敵残党どもは皆ここで獣のく、く、く、糞となれぇ!」
こうして、将軍自らの出撃に伴い――――戦局は大きく動くこととなる。